風の強い日・2
信号が青に変わり、惰性的に歩みを進める。
横断歩道の中ほどまで歩いたところで、後ろから声をかけられた。
「お兄さん」
季節はずれの風鈴が鳴るみたいな、涼やかな声だった。
行き交う人々の中で、その声が自分にかけられたものだと、なぜだかすぐにわかった。
反射のように振り返り、瞠目した。
真っ白い髪。
切れ長の目。
酷薄そうな薄い唇。
似ている。
喉がからからに乾いていく。
そこにいたのは、白の開襟と黒のスラックス姿の、明らかにまだ「生徒」と呼ばれるような年齢の少年だった。
少年の風体は異様だった。
その異様さは、少年の髪の色がもたらすものではない。
見た目の年齢と総白髪であるということのギャップは、オレにとっては些末事だった。
ただ、少年は、あまりにも赤木さんに似すぎていたのだ。
完全に足が固まってしまったオレに、少年が近づいてきて、目の前で立ち止まる。
近くで見ると、ますます似ている。
息を飲むオレの目を覗き込むようにして、少年は言った。
「これ、」
差し出された掌の上には、薄っぺらな財布。
「落としましたよ」
そう言われて、オレは少年にみとれていたことに気づく。
はっとして、急いで財布を受け取った。
少年の手に指が触れる。氷のように冷たくて、思わず声を上げそうになった。
「……あ、ありがとう」
やっとのことでそれだけ言って、手を引っ込めようとすると、逆にその手を財布ごと掴まれて心臓が竦んだ。
そのままオレの手を引いて少年が歩き出したので、さすがに慌てる。
「お、おいっ……!」
「信号」
静かにそう返されて目線を上げると、歩行者信号の緑色がチカチカと明滅を繰り返していた。
まったく気がつかなかったが、周りの人々はみんな小走りで横断歩道を渡り始めている。
すこしだけバツの悪い思いをしながら、オレは少年に引っ張られるまま、歩道の向こう側へと渡った。
オレと少年が歩道を渡りきった直後に信号は赤に変わり、堰き止められていた車の列が流れ出した。
手を離し、オレと向かい合った少年に、頬を掻きながら礼を言う。
「なんか、ぼんやりしちまって……悪い」
少年は黙ってオレの言い訳にもならないような言い訳を聞いていたが、やがて睫を伏せた。
「お兄さん、迷子?」
その頬に刻まれた仄かな笑みに、ひやりとする。赤木さんはしなかった笑い方だ。
迷子? オレが?
成人済みの男を捕まえて、迷子、はないだろう?
「……どうして?」
と問うと、
「そんな風な顔してるから」
さらりと、そんな答えが返ってきた。
「どこへいけばいいのか、わからないって顔」
その答えに、またひやりとした。
少年の目には、今のオレがどんな風に映っているのだろうか?
赤木さんとそっくりな、なにもかもを見通すような深い瞳。
「赤木、しげる……」
オレの口から自然に、その名前が零れ落ちた。
言ってから、赤木さんの名前を口にしたのが、ずいぶんひさしぶりだったことに気付いた。
オレの顔をじっと見たまま、少年は表情を変えない。
「お前……、赤木さんの、親戚かなにかなんだろ?」
続けて言うと、少年はゆっくりひとつ、瞬きをして、
「お兄さんがそう思うなら、それでいいよ」
口角を持ち上げてひっそりと笑んだ。
曖昧にはぐらかされたが、少なくとも、赤木さんの名前は知っているらしい。
それに、この容姿。
赤木さんの関係者であることは、間違いないだろう。
「なぁ」
少年に声をかけながら、財布の中を見る。
二千円と、小銭がすこし。足りる。
「昼飯、まだか? 財布拾って貰った礼に、奢らせてくれ」
少年はすこしだけ、考えるような顔をしたあと、細い首でこくりと頷いた。
こうして出会ったのは偶然なのか、そうでないのか。
それは少年だけが知っていることだったが、どちらにしろ、赤木さんの面影をもつ人物と、離れがたいと思うのは、オレにとって至極当然のことだった。
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