candy 甘々




 雀荘から出たとたん、小さく咳込んだ赤木を見咎めて、カイジは尋ねた。
「風邪ですか?」
 口許に当てていた手で喉仏の上を撫でながら、赤木は首を横に振る。
「いや……少しな。いがらっぽくて」
 常に様々なタバコの煙が充満している上、ろくに換気もしない雀荘は、ものすごく空気が悪い。
 カイジは気遣わしげに赤木を見る。
「空気、最悪でしたもんね」
 そう言ってから、『いろんな意味で』と心中でつけ加えた。
 残り二人の面子を集めて打った半荘で、赤木があまりにも圧倒的な強さで首位を独走し続けたせいで、最初こそ和やかだった場の空気がどんよりと重々しく澱み、非常にいたたまれなかったことをカイジは思い返していた。

 喉を触りながら、ポケットからタバコを取り出そうとする赤木に、
「タバコはやめた方がいいんじゃねえ?」
 カイジが言うと、赤木はがっかりしたような顔になる。
「んー……やっぱり、そうか。でも、なんか口寂しくてよ」
「あ」
 なにかを思いついたように、カイジは小さく声を上げた。
「のど飴、持ってますよ」
 ドラッグストアのレジで渡された試供品を、入れっぱなしにしていたのを思い出し、カイジは上着のポケットを探る。
「どうぞ」
 差し出された手のひらの上に乗っかった、茶色の小さな袋を見て、赤木は頬を掻く。
「甘いものは、どうにも苦手なんだけどなぁ」
「でも、喉にいいって書いてありますよ」
 そう勧めてもまだ渋っている赤木に、カイジは呆れ声で言う。
「ガキみたいに好き嫌いしてんなよ。ほら」
 ずい、と飴の乗った手をさらに赤木の方へと突き出すと、赤木は降参したようにため息をついた。
「わかったよ。おまえが食べさせてくれたら、我慢する」
「えっ!?」
 思いも寄らぬ要求に、カイジはうろたえた。
 じっと自分の出方を見守る赤木の視線から逃れるように、カイジは辺りを見渡す。
 人気がないのを確認して赤木を見ると、目が合ってニヤリと笑われた。
「ほら、早く」
 愉しそうに細められた目が、引き下がる気はないと言っている。
 カイジは喉奥で呻きつつ、しぶしぶ飴の包みを開けた。
 ころんとした丸い形の飴玉をつまみ、睨むように赤木を見る。
「……くち、開けろよ……」
 言うと、赤木は素直に口を開ける。
 赤い舌の覗くその隙間に、カイジは飴玉を押し込む。
 即座に離れようとした指先を、軟らかい舌に掠められ、カイジの指がぴくんと震えた。
 慌てて指を抜き、睨みつけてくるカイジの視線を受け、赤木の笑みがますます深まった。
 しばらく口の中で飴玉を転がしたあと、眉を寄せる。
「んー……あんまりうまくねえな」
「そりゃそうだろ。薬用なんだから」
 怒っているのか照れているのか、無愛想な声で答えるカイジに、赤木は苦笑した。


 帰り道を歩きながら、カイジは隣を歩く赤木をチラチラと窺う。
 甘さに顔をしかめる赤木の右頬がまるく膨らんでおり、赤木がもごもごと口を動かすのに合わせ、それはときどき左頬に移る。
 そんな他愛もないことで、『神域』とまで呼ばれた男が、なんだか可愛く見えてしょうがなくて、カイジはついつい赤木を頻繁に見てしまう。
 自分から見えている側の頬が飴の形にまるくなると、指でそこをつついてみたくなる衝動を抑えるのに苦労した。



 しばらく、無言で飴を舐めていた赤木が、急に立ち止まる。
 カイジも足を止めると、ぽつりと漏らした。
「……タバコが吸いたくなった」
 甘いもの食うと無性に吸いたくなるんだよな、とぼやきながら、赤木はポケットからタバコとライターを取り出す。
「飴、まだ残ってるだろ」
 カイジがたしなめると、赤木は悪戯っぽくニッと笑う。
 いやな予感がして、僅かに後ずさりするカイジの頬を、赤木は両手でがしっと挟み込み、動けないように固定した。
「ちょ、あか、んぅっ……!?」
 焦った声は、赤木の唇によって封じられた。
 唇が重なった瞬間、石のように体を硬直させたカイジだったが、驚きに薄く開きっぱなしだった口の中にぬるぬると甘い肉塊が侵入してきて、金縛りが解けたように抵抗し始める。
 赤木の胸に腕を突っ張り、がっちり固定された頭をなんとか動かそうとものすごい力を込めてくるカイジに対抗するように、赤木はぴたりと体をカイジに密着させ、顔を傾けて口づけをさらに深くする。
 精一杯の抗議を示すように呻くカイジに、赤木が喉を震わせて笑いを漏らす。
 狭い口内で逃げ惑う舌を易々と捕まえ、甘くてほんのり薬の味のする唾液をたっぷりと絡めてやったあと、赤木は右頬に仕舞ってあった飴玉を、舌先でカイジの口内へ押し込んだ。

 力を緩めてやると、カイジはすぐに赤木から離れ、涙ぐんだ目ですばやく辺りを窺う。
 ほっとしたように息をつき、ふつふつと沸き上がる怒りをたたえた目でねめつけてくるカイジに、赤木は涼しい顔をして言った。
「吸い終わるまで、預かっててくれや」
 そしてタバコに火を点け、目を細めて心からうまそうに一服吸った。
「あくまで預けただけなんだから、後で返してくれな」
 煙を吐き出しながら、タバコの先をカイジに向けて念押しするようにそう言い、赤木は歩き出した。

 カイジは恨みがましい目で、その背中を睨む。
 半分くらいの大きさに縮んだ飴は、赤木の言ったとおり、お世辞にも美味しいとは言えなかった。
 それを舌で転がし、カイジは怒りも露わに大きな足音をたてて赤木の隣に並んだ。
「機嫌、悪ぃな」
「……」
「そんなに怒るなって」
 むっつり押し黙るカイジを宥め賺す赤木だが、その表情はさほど深刻そうでもなく、むしろカイジが拗ねているのを愉しむような顔をしている。
 つのっていく憤懣をぶつけるように、カイジは仏頂面のまま、まだ形のしっかり残っている飴玉を、奥歯でガリガリと噛んだ。
 当然、ほとんど歯は立たず、飴の表面がほんのすこし削れただけで、むしろ奥歯の方が欠けてしまったのではないかと危ぶんでしまうほどの衝撃が、神経を通してカイジの脳を揺さぶる。
 しかし、カイジは無理を押して、今度は逆側の奥歯で飴を噛む。
 眉を上げて自分を見る赤木を横目で睨みつつ、カイジはわざとらしいほど大きな音をたて、どんどん飴を噛み砕いていく。
 やがて、歯を痛めながらも四つほどの塊に砕けた塊を、カイジはまとめてゴリゴリと奥歯で磨り潰し、ごくりと飲み下した。
 カイジの喉が動くのを見て、赤木は眉を下げた。
「返してくれって言ったのに」
「んなこと、誰がするかっ……!!」
 ざまあみろ、とでも言いたげに吐き捨てるカイジを黙って見つめたあと、赤木はタバコを深く吸い、ため息とともに吐き出す。
 それから、カイジの耳に口を近づけ、そっと囁いた。
「言いつけを守れない犬には、仕置きが必要だな」
 喉の調子が悪いせいか、いつもより掠れた低い声が、カイジの耳から全身へとゾクゾクした震えを走らせる。
 鋭い目に意味深な目つきで見られ、心臓が大きく跳ねる。
 その声と目線の方が、飴玉なんかよりよっぽど甘美に感じられて、カイジは自分のダメさ加減に、処置なし、と心中で嘆いた。









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