腐っても恋 過去拍手お礼 アカギ視点




 前髪をかきあげてまず額に。
 次に、閉じた瞼の上に。
 それから、そのまま移動して頬に。

 わざと、的をはずすような口付けに、カイジさんは薄く瞼を開いてじれったそうにオレの名を呼んだ。
 それに答えて、顔を傾け唇をカイジさんのそれに近づける。
 ぎゅっと目を瞑り、ようやく与えられる口付けを待つカイジさんの、胡座をかいた脚のすき間に置かれた両手は、なぜか白くなるほど強く拳を握っている。
 それはキスする時のカイジさんのクセで、オレはそれを見ると必ず、なにか意地悪してやらなければという気持ちになる。
 唇が重なる直前まで近づいて、素早く唇の端に小さなキスを落とし、すぐに離れると、目を開いたカイジさんはあからさまにがっかりした顔をして、それから、怒ったような目でオレを見た。
 酔いと、その他諸々の事情で、赤く火照っている頬。潤んだ瞳。
 ふてくされた表情と相まって、それがまるで泣いた後みたいに見える。
「どうしたの」
 わざとらしく訊けば、カイジさんは口をへの字に曲げて、
「……べつに?」
 と言って、缶ビールをぐいっと煽った。
「カイジさんって、ちょろいよね」
「な!」
 思っていたことを口に出して、ますます怒った顔になるカイジさんに素早く近づく。
 開いた口に舌を突っ込み、そこから飛び出ようとした文句を閉じこめた。
「ん……っ」
 カイジさんは驚いたような声を上げたけど、怒って舌に噛みついたりはしなかった。
 そのまま絡めると、カイジさんはまた手を強く握りしめる。手に持ったままのビール缶が、ベコッと音をたててへこんだ。
 熱を持った口内には、今飲んだばかりのビールの苦味が残っていた。
 少しだけ舌で掻き回してから唇を離すと、さっきまで怒っていたくせに、カイジさんは泣きそうな顔をしていた。
『嬉しいのが悔しい』という、複雑な心境のときに現れる表情。
「ね。ちょろい」
 とどめを刺すようにもう一度言うと、カイジさんは変な声で唸った。
「もー、嫌いだっ……お前なんかっ……」
 間延びした声でうだうだ言いながら、しかしカイジさんはオレに抱きついてきた。
 酔っぱらい。言葉と行動が一致してない。
 きつく抱きしめられて、むせかえるようなカイジさんのにおいに一瞬くらりとした。



 お互い恋というものに、向いていない人種だと思っていた。
 想いというものが通じ合ったとしても、距離の近くなった二本の平行線上で並んで歩いていくような、そんな関係になるのだろうと、勝手に思い込んでいた。
 しかし蓋を開けてみれば、ふたりの線はあっさりと交わり、絡まり、もつれあって二度と元には解けないくらいこんがらがってしまった。
 今にも腐り落ちそうなほど熟れた果実のような、甘ったるい関係だった。
 反吐が出そうだった。もともと、甘いものはそんなに得意ではないのだ。
 カイジさんはオレと違って甘いものが好きだから、なんとも思っていないみたいだけど。

 こういう時、オレは内心で、カイジさんの欠点をひとつひとつ上げつらうことにしている。
 しなやかさの欠片もない体。触れる肌はいつだってごわごわしていて、抱き心地が良いとはお世辞にも言えない。
 自分より大きな体は腕に余って、気持ちよくなると上がる声も当然男のそれで、獣の吠え声じみて耳にうるさい。
 おまけに、ちょろい。ゾクゾクするようなかけたりひいたりする行為は、こうなる前まではあったけど、落ちてからはすっかり飼い馴らされたようすで、さっきみたいな危うい表情を平気で晒す。
 博打の時の気狂いじみた気迫が好きなのに、ふたりきりでいるとき、カイジさんはその片鱗すら見せない。

 そこまで考えて、虚しくなって、思考をやめた。
 どんなにカイジさんの欠点を上げつらったって、結局たどり着く結論は、いつだって同じなのだ。

 オレがこんなことを考えているとも知らず、カイジさんは相変わらずオレに甘えてくる。
 カイジさんの方がガタイがいいから、抵抗しなければオレは簡単に抱きすくめられてしまう。
 胸焼けしそうなほど甘ったるいにおいが、鼻先を掠めたような気がして、顔をしかめる。

 反吐が出そうだ。
 こんな恋なんて。

「カイジさん」
 呼べば、ふたつの黒い瞳がオレをじっと見る。
 飼い主を見る犬みたいだ、と思いながら、オレはその瞳を見返して、口を開く。

「いまいましい」
(くらい、好きだよ)

 すべてを言葉にするのはいくらなんでもはばかられたので、最初のひとことだけ声に出して、言った。
 やたら、素早い瞬きを何度も繰り返したあと、カイジさんの眉根がきつく寄った。
「え……なんかオレ今、ひどい悪口言われたような気したんだけど」
 じっとりとした視線を寄越すカイジさんに、しれっと答える。
「気のせいじゃない」
「そうか?」
 ぜんぜん納得してなさそうなカイジさんに、そうだよ。と、言って、オレからもカイジさんを抱き締める。
 すると、たちまち険が抜け落ちてやわらかくなった声で、カイジさんは、そうか。と呟いた。
 それから、そっと腕の力を抜き、おとなしくオレの腕に抱きすくめられていた。

 ほらね。やっぱり、ものすごくちょろいよ、カイジさんは。

 また、甘ったるいにおいがしたような気がして、オレは顔を見られないようにカイジさんの肩口に顔を埋めて、深くため息をついた。


『嬉しいのが悔しい』だなんて。
 胸くそ悪いだけだ。
 恋なんてのは。







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