くっついた カイジ視点 甘々
赤木さんとオレのうちへ向かう道すがら、自販機でタバコを買う。
「今夜は、明るいな」
隣に立つ赤木さんがそう呟いたので、取り出し口に手を突っ込みながらその目線を追うと、その先には、煌々と夜空を照らす丸い月があった。
「満月ですね」と言いながら、買ったばかりのタバコの封を切り、一本抜き取ってくわえる。
オレの住居近くにあるこの自販機は、隣に灰皿が設置してあって、堂々と外で吸える場所がめっきり減ってしまった昨今では、とても貴重な場所なのだ。
「吸いますか?」
パッケージを差し出して訊いてみたが、赤木さんは首を横に振り、明るい夜空を見上げている。
その横顔を、オレはつい、じっくり眺めてしまう。
恋仲だから言う訳ではないけれど、赤木さんはつくづく、惚れ惚れするほど男前だと思う。
中身はもちろんだが、見た目も。
鋭い線で縁取られたような輪郭。通った鼻梁。豊かな白い髪。
およそ見通せないものなどなさそうな、深い瞳。
今みたいに無表情でいると、ものすごく冷たそうに見えるけれど、笑うとたちまち深くなる顔の皺が、彼の印象をぐっと親しみやすいものにしている。
溢れる才気と闊達な人柄が、非凡な容姿からも滲み出ている。
昔は相当、やんちゃをしたのだと聞いたことがあるけど、いったい、どんな人生を重ねてきたらこんな風になれるのだろうと、想像を巡らさずにはいられない。
自分でも気づかぬうちに、見とれてしまっていた。
オレの視線に気がついた赤木さんは、微苦笑する。
「そんなに見つめるなよ。穴があいたら困るだろ?」
茶化されて、恥ずかしく思うと同時に、憎たらしくなった。
くそ、スカしやがって。穴でもなんでもあいちまえ。
そんなことを思いながらタバコに火を点けようとして、気がつく。
下唇に、フィルターがぺったりとくっついてしまっている。
やっちまった、と顔をしかめる。タバコをくわえたまま、ぼんやりしていたせいだ。
火を点けるのをやめ、唇を傷つけないよう注意しながら、慎重に剥がそうとする。
気を付けないと、唇の皮を持っていかれて、出血してしまうのだ。
ゆっくり剥がそうとしても、やはり皮膚が引っ張られて、ピリピリ痛む。
悪戦苦闘していると、赤木さんが笑いながら言った。
「やっちまったか。そういうのはな、湿らせれば取れやすくなるんだよ」
面白がられているようで、ムッとした。
長年吸い続けてるんだから、知ってる。そんなことくらい。
しかし、赤木さんの言うことに素直に従うのが癪で、うつむいて、痛みを耐えつつ無理に剥がし続けていると、突然、すい、と顎を持ち上げられた。
まんまるい月を背負い、赤木さんはオレの目をじっと見て、柔和そうに目を細めた。
「じっとしてな」
よく通る低い声が、鼓膜を震わせる。
赤木さんはタバコに添えられたオレの指にそっと指を重ねると、タバコを避けるようにして傾けた顔を近づけてきた。
「……!」
反射的に顔を背けようとしたが、ざらりと唇を掠めた舌の感触に体が硬直してしまう。
赤木さんの舌は、タバコとくっついている部分を何度も這う。
水分を含ませるように、そっと。
それで、この行動の意図を知った。
「ぁ、かぎ、さ……」
タバコが湿るより先に、オレの眼球が湿ってきた。
なぜだろう。この人に口付けられると、いつも、涙がでる。
潤んだ目で辺りを気にする。幸い、人気はない。
ホッと胸を撫で下ろしつつ、一刻も早くコトを終わらせようと、自分の舌をフィルターに伸ばす。
やわらかな舌先が軽く触れ合って、赤木さんが、ふっ、と笑いを漏らす。
それを聞いた途端、どくん、と体が疼いた。
頭の芯が、火照ったように熱くなる。
指が震えた。
このまま。
このまま、赤木さんの舌に舌を絡めて、体に抱きついて、人目もはばからず、溺れてしまいたい。
そんな気持ちに流されそうになり、慌てて赤木さんの舌を避けることで欲望を押し殺す。
そんなオレの葛藤をよそに、赤木さんはフィルターを湿らせながら、オレの指に添えた指で、ゆっくりとタバコを持ち上げていった。
すこし剥がしては、接着面に舌を滑り込ませて唾液を含ませる。
それを繰り返して、ついにフィルターが完全に唇から剥がれた。
赤木さんは静かに顔を離すと、ぼうっとしているオレの顔を覗きこんでニヤリと笑う。
「血、出てねぇか?」
その悪ガキのような笑みで、はたと我にかえった。
慌てて、口許を隠すように手で覆う。
確かに血は出てない。出てないけど……っ!
「あ、あんたなあっ……! いきなり、なにを……!」
「責任、取らなきゃなぁと思ってな」
責任……?
思いも寄らぬ発言にきょとんとするオレを、赤木さんは流し目で見る。
「俺に見とれてたせいで、くっついちまったんだろ?」
「!」
顔にカッと血が集まる。
赤木さんはオレの指から抜き取ったタバコをくわえ、火を点けながら悠然と笑っている。
「……言ってろ、バカ」
沈黙ののち、苦々しく吐き捨てた言葉は、自分の耳にすら負け惜しみにしか聞こえなかった。
赤木さんは朗らかに笑い続けていて、やっぱり、穴でもあいてしまえばいいのにと思いながら、白い煙越しにオレは、その憎たらしい顔を睨んだ。
終
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