その8
※文中にでてくるゲームは「algo」というゲームをもとにしております。
一部ルールを省略、改変しております。
ゲームの説明シーンは読み飛ばしてもまったく問題ありません……













 カイジとアカギが男の後をついていくと、さっきまでいた診察室よりやや広い部屋に出た。
 薄暗いその部屋には、四角い木のテーブルと、対面にパイプ椅子が二脚。
 テーブルの上には、トランプの束と、その隣にタイマーらしきものが置いてある。
 その光景に、カイジは強烈なデジャヴを覚えた。
 前にも一度、オレはこの場所で、こいつと闘った。
 そして無惨に敗北し……こんな惨めな姿にされたのだ。
 カイジは奥歯を強く噛みしめる。
(今度こそ……絶対、負けねえっ……!)

「掛けたまえ」
 カイジは男に言われるがまま、手前のパイプ椅子に腰掛けた。
 同じように奥側の椅子に座り、男はカイジの後ろに立つアカギをじろりと見た。
「赤木君。わかっていると思うけど、ここから先は手出し禁止だ。すこしでも不審な動きをしたら、その時点で君たちの負けとする」
 アカギはひとつ、こくりと頷く。
 そしてカイジから離れ、部屋の壁に背中を預けて立った。

 その様子を見届けてから、男はようやくカイジを見る。
「まずはチュートリアルといこう。どんな風にゲームが進むか、実際にやりながら確認してくれ」
 そして、テーブルの端にあるトランプの束を指さす。
「この束の中身は、ハートとスペード、それぞれ1〜13のトランプだ。ここから各自、まず四枚ずつ手札を引く」
 男がまず続けざまに四枚引き、それにならってカイジも自分の手札を引く。
「自分の手札を確認したら、ルールに従ってカードを自分の前に伏せて並べる。
 自分から見て左側から右側に向かって、数字の小さい順に一列に並べる。つまり左端が最小の数字、右端が最大の数字となる。
 赤と黒の、同じ数字のトランプが手札にあった場合、黒の方が大きいとする」
 言われたとおりカイジがカードを並べ終えると、男は残ったトランプの束を指さす。
「ここから、ゲームのはじまりだ。直前の勝負で勝った方が先攻で、まず山からカードを一枚引く」
 男が山のいちばん上からカードを引く。
「色と数を確認したら、相手の手札のうち一枚選んで、その前に引いたカードを伏せてセットする」
 男は机に伏せられたカイジの手札の、いちばん左端のカードの前にセットする。
「セットしたら、相手のカードの数字を推理して言い当てる。このとき、色まで言う必要はない」
 男はすこし目を細めてカイジのカードを眺め、
「5」
 と言った。
「当たってるか?」
 カイジは念のため、左端のカードを確認する。
 スペードーー黒の、3だった。
「……違う」
 カイジが答えると、男は肩をすくめる。
「こうして、引いた手札をセットして相手のカードを言い当てる動作を、アタックと呼ぶ。俺は今、オマエの手札を言い当てられなかったから、アタックに失敗したということになる」
 そう言って、男はセットしたカードを表に返す。
 ハートの6だ。
「アタックに失敗したら、セットしたカードを表に向けて、自分の手札に加えなくてはならない。このときカードを入れる場所は、最初に説明したルールに従わなくてはならない」
 男は伏せられた自分の手札の、左から二番目と三番目のカードの間にハートの6を置いた。
「次はオマエの番だ。俺がやったことと同じ手順を踏めばいい」
 カイジは山から一枚引き、すこし迷ってから、男から見て左から二番目のカードにセットする。
(ハートの6がここにあるってことは……、左から一番目と二番目のカードは6未満ってことだ……)
 ハートの6より右側の三枚にセットするよりも、左側の二枚どちらかにセットしたほうが当たる可能性は遙かに高い。
「3っ……!」
 男はセットされた手札を確認する。
「……ハズレだ」
「くっ……!」
 カイジは唸り、セットしたカードを表返す。
「スペードの2か……そのカード、どこに入る?」
 カイジは歯噛みしながら、左から一番目と二番目の間に入れる。
 男はニタリと笑い、次のカードを引くと、すぐにカイジの左端のカードの前にセットした。
「1だ。正解だろう?」
 男のにやけ顔に苛立ちつつも、カイジは渋々頷く。男は益々愉快そうに鼻を鳴らした。
「これで俺のアタック成功だ。オマエは、言い当てられたカードを表に返さなければならない」
 言われたとおり、カイジは左端の、ハートの1のカードを表に向ける。
「アタックに成功した場合、次の行動はふたつのうちから選べる。
 ひとつは、アタック続行。同じように相手の手札にセットして、数字を言い当てることができる。
 もうひとつは、ステイ。セットしたカードを裏のまま、手札に加えることができる。もちろんこのときも、ルールに従った順番で加える。
 アタックは、当たりさえすれば何度でも続行できる。ただし外れたらそこまで。セットしたカードを表に返して手札に加え、相手のターンとなる」
 男はセットしたカードを、裏のまま手札に加える。
「こうやってゲームを進める。先に、相手の手札をすべてオープンにした者が勝ち。この勝負を十回行い、トータルで勝ち数の多い者が勝者となる。
 ……どうだい? 面白いだろう?」
 ひゃらひゃらとしゃくりあげるような笑い声を上げ、男はすっと指を人差し指を立てる。
「そうそう、肝心なルールがもう一つ。カードを引いてから、アタックするまでの制限時間は三十秒だ。カードを引くと、そこのタイマーがカウントを始める。時間内にアタックしなかった者はペナルティーとして、引いたカードをアタックなしでそのまま表にして手札に加えなくてはならない。
 また、もちろん、説明したルールと違う順でカードを並べた場合、たとえそれが故意であろうとなかろうと、ルールを破った者の負けとする。
 その関係上、勝敗がつく毎に、勝者も最後は手札をすべて明かし、不正がないことを証明してから、次の回のシャッフルに移ることとする。
 ……理解できたか?」
 カイジが重々しく頷くと、男はにんまり笑った。
「それじゃ、本番といこうか」
「その前にっ……!」
 遮るようなカイジの声に、男は自分の手札を集めようとしていた手をぴたりと止める。
「そっちのブツも出しやがれっ……! あるんだろっ、もとに戻る方法がっ……!」
 男は能面のような顔でカイジを見ていたが、すぐにニコリと笑った。
「ああ……そうだったな。すっかり忘れてたよ。俺の勝利がわかりきってるもんだから、ついつい、ね」
 そして、スラックスのポケットからなにかを取り出し、机の上に置く。
 銀色のケースに入ったそれは、一見なんの変哲もない、大きめの錠剤だった。
「これを一錠飲めば、一時間でもとの姿に戻る。副作用は……実験した限りではゼロだ」
 もしかして存在しないのでは、と懸念していた『もとに戻る方法』がちゃんとあったことに、カイジはとりあえず胸を撫で下ろす。
 それから、強く男を見据え、言い放つ。
「まだだっ……! さっきの女の人の分も用意しろっ……! のめなきゃ、オレは降りるっ……!」
 カイジがいきなり出してきた条件に、男の顔からまたしても表情が抜け落ちた。
 しばらく無言で、じっとカイジを見詰めたあと、ふっと息をつく。
「まぁ……いいよ。取りあえず今は、一刻も早く纏まった金が要る。オマエに降りられたら、それも手に入らなくなるからな……ここにきて勝手に条件を追加したという点には、目を瞑ろう……」
 ぶつぶつと言いながら、男は同じ錠剤をもう一粒取り出して、同じように置いた。
「これで文句はなかろう?」
「……ああ」
 カイジが頷くのを見て、男は口角を緩く持ち上げた。
「では……勝負を始めよう。覚悟はいいな? 犬くん……」







 かくして、カイジの命運を賭けた勝負の火蓋は切って落とされた。
 この勝負、もちろん運も大きく勝率に関わってはくるが、それ以上に大切なのは、限られた情報から相手のカードを推理する思考力だ。
 最初の数回のアタックは情報が少なすぎるため、否が応にも当てずっぽうにならざるを得ないが、勝負が進むにつれ、互いのカードの見える部分が増えてくると、推理の幅がぐっと広がり、頭を使う必要性が高まる。
 それに加え、考える時間が極端に制限されているため、瞬時に情報を統合し、答えを決める判断力も必要となってくる。
 カイジは初めこそ苦戦していたが、二回、三回と勝負を重ねるごとにコツを掴み、四回戦、五回戦と連続で勝利をもぎ取った。
(いける……この調子なら……!)
 五回戦で勝利を納め、カイジは内心ガッツポーズをする。

 ふと、視線を感じて目を上げると、対面から男がカイジに冷めきった視線を送っていた。
 カイジは氷水を浴びせかけられたような気持ちになり、すうっと勝利の興奮が冷めていくのを感じた。

 ときおり男が見せる、この目がカイジは苦手だった。
 怒りでもない。蔑みでもない。哀れみでも嘲笑でもない。
 すべての感情に当てはまらない、言うなれば『虚無』の目なのだ。
 ずっと見つめていると、気が狂いそうになる目。
 猫にされたあの女性の目と、よく似た虚ろな目だった。

「なんだよ……」
 たじろぎつつカイジが言うと、男は瞼を下ろし、笑みをつくる。
「いや……案外、頑張るなぁと思ってな……」
 それから、何事もなかったかのようにカードをシャッフルし始める男に、すこし調子を狂わされつつも、カイジは次の勝負へと気持ちを切り替えた。









 異変が起こったのは、次の回の中盤からだった。
 互いに二枚オープンして手札は計五枚という、一進一退の攻防が続いている。
 相手の番が終わり、次のカードを引こうと、カイジは山に手を伸ばす。
 だが、確かに山に触れ、カードを掴んだと思った指は、虚しく空を掻いた。
 カイジは首を傾げ、目を眇めてもう一度カードの山に触れようとするも、やはり空振り。

 おかしい。
 カイジは自分の右手をじっと見る。
 緊張で、無意識のうちに震えているのだろうか?
 目を閉じ、大きく深呼吸する。
 ゆっくりと目を開いて、カイジは瞠目した。

 自分の右手の指が、十本に増えている。
 異変が起こったのが指ではなく、自分の目、あるいは脳だということに、カイジはすぐに思い至った。
 目を強く擦り、もう一度見る。
 が、状況は変わらず、それどころか周りの風景まで二重写しになって見える。
 カードの山に目を遣ると、それは三つに増えていた。
 カイジの額を、冷や汗が一筋流れ落ちる。

「どうした? 体調が悪そうだが」
 笑いを含んだ声に、カイジははっとして男に目線を移す。
 カイジの視界の中で、三人に分身した男が、不適な笑みを浮かべている。
「てめぇっ……、なにしやがったっ……!」
「人聞きが悪いなぁ。俺はなんにもしてねえよ?」
「嘘つけっ……! オレに一服盛りやがっただろっ……!」
「あのなぁ……俺はオマエの体に一指たりとも触れてねえだろうが。そんなんで、どうやって一服盛るっつうんだよ」
 やれやれ、といった風に、男は首を横に振る。
 それじゃあ、部屋に。この部屋になにか、仕掛けがされているのか!?
 だが、男の様子は至って普通だ。
 振り返ってアカギを見る。アカギにも、変わった様子はなく、壁にもたれて平然と立っている。
 部屋全体になにか仕掛けられているのだとしたら、カイジ以外のふたりにもなにかしらの影響がでてもおかしくないはず。
 まさか男の言ったとおり、ほんとうになにもされていないのか?
 いや、そんなはずはない。なにかーー部屋でなければ、机か、椅子か。
 どこかに、この異常の原因があるはず。

 立ち上がろうとしたカイジの犬耳が、ぴくり、と動いた。
 中腰のまま、固まる。

 音、だ。それから、におい。
 人間には聞こえない周波数の、微弱な音波。
 そして、犬の鼻でなら辛うじて嗅ぎ取れるほどの、微かな異臭。
 そのふたつがカイジの感覚に、重大な障碍を引き起こしているのだ。
 
 この部屋に充満している音と異臭は、犬の感覚を持たないカイジ以外のふたりには、まったく影響を及ぼさないのだ。
 それらの出所は恐らく、天井裏。
 なにか、機械が仕掛けてあるに違いない。
「く……そ、きたね……ぞっ……!」
 男を糾弾しようにも、口が痺れて呂律がうまく回らない。
 体勢を保てず、ずるりと椅子に沈み込む。
 玉のような汗が絶えずカイジの額から滴り落ちては、手札の上にぽつり、ぽつりと落ちる。
「どうした犬くん。リタイアかな?」
 何重にも重なった男の輪郭が、ぶわりと膨らんだり縮んだりする。
 カイジは振り返り、アカギに助けを求めようとする。
 だが、カイジの目には、わずか数メートル離れた距離にいるアカギの姿さえ、シャボン玉の表面のように歪み、引き伸ばされて、見えなくなっていた。
「ほら、早く引け。オマエの番だぞ」
 はー、はー、と本物の犬のような喘ぎを繰り返しながら、カイジは山に狙いを定めて手札を引く。
 ようやく一枚掴み、震える手でセットしようとするも、カイジには男の手札のどれが表になっていて、どれが裏のままなのかすらわからない。
 すべてのカードが、玉虫色に光って見えるのだ。
 それでもカイジは唾を飲み込むと、懸命に裏のカードを探し出してセットした。
 だがこんな状態でのアタックなど、成功するはずがない。
 ほぼ当てずっぽうで数字を言い、どうにかこうにかアタックを終えて机に突っ伏すカイジの耳に、耳障りな声が飛び込んできた。

「さぁ……ここからがお楽しみだ」











 六回戦以降は、五回戦までの半分以下の時間で勝敗が決した。
 カイジがカードを入れる位置を間違えたり、アタックに三十秒以上かけるなどの反則をなんども犯し、その度にペナルティが課せられたためである。

 呆気ないほどあっという間に勝利を手にした男は、引き笑いをしながらカイジに声を掛ける。
「まー、麻酔は使ってやるからありがたく思え。あんまりぎゃーぎゃー騒がれると、鬱陶しいからな」
 軽々しく投げかけられた恐ろしい台詞も、机に突っ伏し、肩で息をするカイジには、もはや聞こえていないようだった。
 見開かれたままの黒い目からは、透明な涙が音もなく零れ落ちて、半開きの口から垂れる涎とともに、机の上に水溜まりをつくっている。
 黒い耳も、ベンチコートの下のしっぽも、死ぬ間際のカエルの脚のように、びくっ、びくっ、と痙攣している。

 勝負が始まってからの一部始終を、ひたすら黙って見続けていたアカギが、そのとき初めて動いた。
 カイジのすぐ背後まで近づき、不審げな目つきでアカギを注視する男を無視して、カイジの犬耳を軽く掴む。
 それから前屈みになり、そこへ口を近づけた。

「心配するな、カイジさん」

 息を吹き込むように囁かれた言葉に、カイジの犬耳がぴくり、と動く。
 さきほどまでの痙攣とは明らかに違う、カイジの意識を感じられるその動きを確認して、アカギは体を起こし、男をひたと見据えた。

「もう一勝負。まったく同じルールでの勝負を、この人と、あと五戦だ」
「はぁ?」

 アカギの言葉に、男がバカにしたような声を出す。
「なにを言い出すかと思えば……天下の赤木しげるが、こんなに明らかな勝敗を壊しにかかろうとするとはねぇ」
 完全なる蔑みの視線を寄越し、男は続ける。
「第一、この犬にはもう賭けるものがねえじゃねえか。そんなヤツとこれ以上勝負するメリットが、俺にはひとつもないねぇ」

「担保はーーオレの命だ」

 男の台詞を遮るような、静かな声。
 黒い耳がぴくりと動き、バネのような勢いでカイジがガバリと起き上がった。
 信じられない、という顔でアカギを見上げる。
「やめ、ろ……アカギ……っ、馬鹿な、こと……っ!」
 痺れる舌でなんとか止めようとするカイジを無視し、アカギはひたすら男を見続けている。
 男は呆気にとられたようにアカギの顔を見返していたが、すぐに引きつった笑みを浮かべた。
「神域の男……あの赤木しげるを従順なペットにできるって知ったら、金持ちの変態どもが黙っちゃいないだろうな!」
 あまりの興奮に頬を上気させ、男はやたら早口でまくし立てる。
「ものすごい額の金が動くぞ……そうなればもう、こんな薄汚い隠遁生活とはおさらばだ……!」
 今までにないくらい不愉快な哄笑で空気を震わせたあと、男はぴたりと笑い収め、アカギを見た。

「いいだろう。あと五戦……それで決着をつけよう」

 瞬間、カイジは絶望の呻き声を上げ、頭を抱えた。
 その様子を鼻で笑い飛ばし、男はアカギに念押しする。
「ただし赤木君。さっきも言ったとおり、君とは絶対にやらないよ。やるのはその、駄犬とだ」
 当然だとばかりに頷くアカギを、カイジは色を失った顔で見上げる。
 その視線に気づいたアカギは、カイジの目をまっすぐ見返した。
「どうしたの」
「どう……って……お、まえ……っ」
 カイジは泣きそうだった。
 自分の命だけならまだしも、飼い主であるアカギの命を賭しての勝負など、今のカイジにとって重圧以外のなにものでもない。
 しかも、自分の感覚が限りなく鈍らされているこの状況。
 決して、フェアとはいえないこの環境を、相手は意地でも変えようとはしないだろう。
 このままの状態であと五戦。まともに戦い抜くことすら難しいのに、その中で勝利をおさめなければならない。
 さもなくば、アカギが、死ぬ。
「……っ」
 カイジの目から、ぶわりと涙が溢れだした。

(なんで……っ、なんで、こんなことに……っ!)

 こんなことになるなら、今日、ひとりでここに来ればよかった。
 そうしたら、アカギの命だけでも助けられたかもしれないのに。
「う……うぅ……っく……」
 後悔の念でぐちゃぐちゃになりながら、ぼろぼろと大粒の涙を零すカイジの頭に、アカギの手がふわりと乗せられた。

「あんたは必ず勝つ。そうだろう、カイジさん」

 穏やかすぎる声が、カイジの心にぽつりと落ち、その表面にちいさな波紋を描く。
 すると不思議なことに、嵐の吹き荒れていた胸が水を打ったようにしんと静まり返った。
 一瞬のうちに、まるで別人のように落ち着きを取り戻したカイジは、ひとつ、瞬きしてアカギを見上げる。
 そこにいるアカギはいつもの無表情だったが、その顔を見つめるうち、カイジはぐんぐんと自分の心と体が回復していくのがわかった。

 アカギが負けるのを、オレは見たことがない。
 そのアカギが、必ず勝つと言った。
 ならば、オレは本当に勝てるかもしれない。

 いや、とカイジは頭を強く振る。

(『勝てるかも』じゃダメだ……勝たなきゃいけねえんだっ……!)
 自分のために。そして、命を賭けて最後のチャンスを作ってくれた、アカギのために。

 両手で自分の頬を強く打ち、カイジはアカギに力強く頷いてみせる。
 アカギはすこしだけ口角を上げると、ぽん、とカイジの頭を叩いてもと居た場所に戻った。

 背中を壁に預け、アカギはカイジの後ろ姿を見る。
 決して調子がいいとは言い切れないものの、カイジの怒った肩には、一旦は完全に鎮火してしまったかに見えた『闘志』が、ゆらりと立ちのぼりかけている。

 カイジは自分のためよりも、人のために闘うときこそ、その力の真価を発揮する。
 さらにもうひとつ。追い詰められれば追い詰められるほど覚醒する、無限のポテンシャルをその内に秘めているのだ。

 そして、今、犬であるカイジは、一番大切な『飼い主』であるアカギの命の危機に直面し、本能がこれ以上なく研ぎ澄まされているに違いない。

 カイジ本人の特性と、犬としての習性。
 そのふたつが最大限に力を発揮できるシチュエーションを、自分の命を賭けるという一見無謀な行為により、アカギは作り出したのだ。

 ここまでくればもう、あとはもうカイジ次第である。



 アカギに見守られながら、カイジは自分を奮い立たせる。
 黒いふたつの耳を勇敢に立て、どっしりと構えて男を睨みつけるその目には、ひたすら勝利のみを追い続けようとする、強い光が蘇っていた。



つづく?



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