その7
※オリキャラが出張ってます。ちょいグロです。メルヘンです。嘔吐あり。













「今回の勝負には、向こうがつけてきた条件がある」
 書類を繰りながら、アカギがぽつりと言った言葉に、フードの下のカイジの犬耳がぴくりと動いた。
「条件……?」
「そう……」
 話しながらも、ふたりは歩を緩めない。

 カイジが待ち望んだ勝負の日。約束の時刻が、迫りつつある。
 地図に示された場所を目指して歩きながら、アカギは男の示してきた『条件』について話す。
「まず……、こちらが賭けるのは、カイジさん、あんたの命だ。それ以外はいっさい、認めないと言っている」
「……」
 カイジはぐっと拳を握り締め、前を見据えたまま力強く頷く。
「なんとなく、わかってた……そういうことになるんじゃねえかって」
 すっかり腹をくくり、肝を据えたカイジの横顔に目を細め、アカギはさらに書類を繰る。
「で、ふたつめの条件ってのが……」
「あ、アカギっ、あれっ……!」
 アカギが次の書類に目を通す前に、カイジが鋭く叫んだ。


 目的の場所の近く。街灯のない、薄暗い道路の上。
 ひとりの女性が、そこにうずくまっていた。
 彼女は衣類というものをいっさい身につけておらず、生まれたままの姿で眠っているか、気を失っているらしく、微動だにしない。
 ただ事ではない雰囲気に、カイジは慌てて声をかける。
「お、おい! 大丈夫か、あんた……!」
 カイジの声にぴくりと反応し、女性はぱっちりと目を開けると、次の瞬間、寝起きとは思えないほどの俊敏さで大きく飛びすさった。

 床に四つん這いに這い、姿勢を低くしてふーふーと荒い呼吸を繰り返しながら、ギラギラした目でカイジ達を睨みつけている。
 まるで女優のように美しい顔立ちをしているが、それが余計に理性の欠片も感じられない異様さを際だたせている。
 そしてなによりーーその女性には、カイジ達も嫌というほど知っている、普通の人間にはあるはずのないものが生えていた。

 短く切られた黒い髪の間に見え隠れする、茶色い三角の耳。興奮にうねうねと蠢く、茶虎模様の長いしっぽ。
 そしてその首には、蛇のようにいやらしくぬめった光を放つ、黒い皮の首輪が巻き付けられていた。

 カイジ達が唖然としているうちに、女性は素早く身を翻し、本物の猫のような動きで地面を蹴って逃げていく。
「あっ……おい! 待てっ……!」
 カイジとアカギは、女性を追った。
 あの女性の行く先に、目的の人物はいる。
 互いに申し合わせたわけではないが、ふたりはそう確信していた。





 四足で走る女性は速く、まかれないようにするのが精一杯だった。
 必死に後を追う内に、薄暗い廃ビルの入り口へと辿りつく。
 女性が躊躇なくそこへ飛び込んでいくのを見て、カイジとアカギも中へ入る。

 当然だが電気の通っていないビルの中は真っ暗で、ふたりは女性の足音だけを頼りに進んだ。
 ビルの中には同じような部屋が無数に並んでいる。
 目を凝らして中を見ると、ベッドらしきものが置いてあった。もとは病院か、クリニックだったのかもしれない。
 ガラスの嵌まっていない窓には大きな蜘蛛の巣が張り、月明かりがそれを照らし出している。
 進むにつれ、土埃の湿った匂いに混ざって、なにかとてつもなく嫌なにおいが鼻をついた。
 なにかを焼いたあとのにおい。あるいは、血と臓物のにおい。または、突き刺すような劇薬のにおい。
 それらが混ざりあって、いまやヒトの何万倍もの嗅覚をもつカイジにとっては、鼻がもげそうなほどの苦痛を伴った悪臭が流れてくる。
 しっぽを巻いて逃げ出したくなるのを懸命にこらえ、生理的な涙をぼろぼろと零しながら、カイジは進んだ。



 何度か突き当たりを曲がると、ずらりと並んだ部屋のうちの一部屋から、ぼうっとしたオレンジ色の灯りが漏れていた。
 女性がちょうどその部屋に駆け込んでいくのを見て、ふたりもその後に続いた。


 部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、カイジの喉元まで吐瀉物がせり上げてきた。
 地獄のような悪臭と、部屋のど真ん中に置かれた、赤黒い人型のシミがついたベッド。壁や天井にまで無数にこびりついている、さまざまな色の液体の飛び散った跡。壁に沿うように積み上げられた謎の白い箱、箱、箱。そこから飛び出している、禍々しい形をした器具。ずれた蓋の隙間からなみなみと溢れ出て、音もなく床に滴り落ちる真っ赤な液体。

 一度はぐっと堪えたカイジだったが、先に部屋に入っていた女性が床の液体を素手と素足で踏んで、点々と赤い跡をつけながら部屋の奥へ走っていくのを見た瞬間、限界を越えてしまった。
 前屈みになり、胃の中にあるものすべてを汚れた床へぶちまける。
 涙で視界が歪む。ほぼ消化しかけてどろどろになっていた食べ物まですべて吐ききっても、消えない悪臭のせいで吐き気が治まらない。
「大丈夫? カイジさん」
 出すものがなくなって、ついには胃液まで吐き出しているカイジに、アカギは淡々と問う。
 冷静そのものの声にどうにかこうにか落ち着きを取り戻すと、肩で息をしながら、口を袖で拭って前を見た。

 ベッドの向こうに、誰かいる。
 診察用の丸椅子に腰掛け、こちらに背を向けている人物。
 黒いスラックスのその足に、女性がすりすりと体を擦りつけている。

「なんだ……? 騒がしいな」
 不機嫌そうな声がして、丸椅子がゆっくりと回る。
「お前っ……!」
 カイジの獣の毛がぶわりと逆立ち、怒りで息が荒くなる。
 忘れもしない。見間違えようもない。
 そこにいたのは、あの夜カイジと勝負した中年の男だった。


「あ? 誰だオマエ」
 男はカイジの方を見て怪訝そうな顔をしたが、カイジがフードを落とすとそこにある犬耳を見て、
「あぁー……失敗作か……」
 と呟いた。

「オマエ、よく生きてたなぁ。」
 男は足を高く組み、感心したようにまじまじとカイジを見る。
「オマエ以外のほとんどのモルモットは、数日として生きられた試しがねえのに。運が良かったなぁ、兄ちゃん」
 虚仮にするように言って、耳障りな引き笑いをする男に、カイジは吠えた。
「馬鹿やろうっ……! こんな姿にしておいて『運がよかった』なんて、寝ぼけるのも大概にしやがれっ……!」
 自分への憎悪に燃えるカイジの目を見て、男はよりいっそう笑い声を高くする。
「そうだなぁ。オマエみたいな中途半端な状態でだらだら生きてんのが、いちばん苦痛かもしれねえなぁ」

 それから手を伸ばし、自分の顔を無垢な瞳で一心不乱に見上げている女性の頭を、愛おしげに撫でる。
「オマエみたいに人間の意識が残ってる奴は失敗なんだよ。本当ならあのクスリを使えば、一発で従順なペットになるはずなんだ」
 この子みたいに、と言って男は女性の喉を擽るように掻いてやる。女性は自ら男に頭を預け、気持ちよさそうに目を細めていた。
 うっとりと陶酔するその瞳には、ほんの小さな理性の光すら見て取ることができない。ぽっかりとあいた、暗い穴のような瞳だった。

 カイジは戦慄した。唾を飲み込み、問いかける。
「ど……どういうつもりで、こんなことを……」
「いるんだよ。こんな風に、人間を身も心もペットにしたいって連中が、少なからず。……金持ちのシュミってのは、わかんないねえ」
 鼻で笑い飛ばし、男は女性を撫でるのをやめる。
 もっと、とすがるように見上げてくる濡れた瞳に目を細め、男は首を傾げてカイジを見る。
「まあ……お前らモルモットの犠牲の上に、このクスリは完成したわけだから、お前らには感謝しねえといけねえな」
「なにが感謝だっ……! ふざけるなっ……! 死人まで出しやがってっ……! この、人殺しっ……!」
 男の言い草に怒りを再燃させるカイジに、男は突然、すっと表情を消す。
「で? オマエはここへ、なにをしに来たんだ?」
「えっ……?」
 ほぼ棒読みで問いかけられ、男の豹変ぶりにカイジは一瞬、たじろいだ。
 だがすぐに気を取り直して、自らを奮い立たせるような強い声で叫ぶ。
「もちろんっ……、お前を倒すっ……! そして、もとの姿に戻るっ……!」
 そこでいったん言葉を切り、大きく息を吸って、続ける。
「それだけじゃ足りねえ……! お前に殺された奴らの敵を取るっ……! お前は、お前だけは、豚箱にぶちこんでやらねえと気がすまねえっ……! こんな馬鹿げた実験は、オレが終わらせてやるっ……!」
 拳を強く握りしめ、ぜえぜえと肩で息をするカイジを男は無表情で眺めていたが、矢庭にすっと立ち上がり、
「それじゃあ、さっさと済ませよう」
 と言った。
「勝負の条件は、わかってるな」
 冷たく響く男の声に、カイジは重々しく頷いた。
「賭けるのは、オレの命……」
「そうだ」
 男は喉を引きつらせて笑う。
「無事完成したこのクスリを、これからは量産しなくちゃいけないからな。金はいくらあっても足りない。死なせすぎて後ろ盾を失っちまったから、どうにか自分で工面しなきゃならねえ」
 そして、カイジを見てニタリと顔を歪める。
「オマエみたいな欠陥品でも、バラして売ればそれなりの金になるからな……ていうかお前、内臓はきれいなんだろうな?」
 胡乱げな目つきでじろじろと体を見られ、嫌悪と憤りでカイジの獣の毛が倍以上にも膨らむ。

 その様子を横目で見ながら、アカギは男の方へと進み出ようとする。
 それを、カイジが手で制した。
「こいつは、オレが潰すっ……!」
 男を確と睨みつけたまま、カイジは宣言する。
 それを聞いたアカギは、ふっと笑った。
「わかったよ。あんたに任せる」
「当たり前だよ。それが今回の勝負を引き受けるもうひとつの条件なんだから」
 アカギの言葉に被せるようにして、男は呆れたように言う。
 それから、カイジをすっと指さした。
「やるのは、オマエとだ。赤木しげるとは、絶対に勝負しない。これからやらなきゃいけないことが山ほどあるんだからな、俺には」
 アカギの博打の才を知っているらしい男は、ゆっくりと噛んで含めるような口調で言って、カーテンで仕切られた部屋の奥へと進む。

「場所を移そう。ここは臭くて嫌だろう? なぁ、犬くん」

 男の目が三日月のように細められるのを、カイジはただ黙ってじっと睨んでいた。



つづく?



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