その2

 もとの姿にもどる。

 アカギという強力な助っ人を手に入れたはいいものの、いざ考えてみると、具体的にどう行動するべきか、カイジにはさっぱり思い付かない。

 途方に暮れるカイジを横目に、アカギはいつも持ち歩いているボストンバッグからごそごそとなにかを取り出す。
 コバルトブルーの、四角いそれにカイジは目を丸くした。
「ケータイ? お前、いつの間にそんなもん買ったんだ?」
「買ったんじゃない。無理矢理持たされてるだけ」
 二つ折りの携帯を開き、アカギは着歴からどこかに電話をかける。
 不審そうな顔で自分を見るカイジに、アカギは涼しげな顔で笑って見せた。

「ま……、蛇の道は蛇、ってね」



 アカギの電話は三分ほどで終わった。パチンと携帯を閉じるアカギに、カイジは問う。
「なぁ、誰に電話してたんだよ」
「ヤクザ」
「はぁ?」
「これ、代打ち頼みたいときに連絡つかねぇと不便だからって、ある組に無理矢理持たされてるのさ。海にでも棄ててやろうかと思ってたけど、意外なところで役に立ったな」
 話の筋が掴めないカイジに、アカギはすっと目を細めて言う。

「あんたをこんな姿にした奴の素性、ヤーさんが調べてくれるってさ。ま、オレが暫くの間、代打ちを問答無用で引き受けるって条件付きだけどな」

 カイジの耳がぴんと立った。初っ端から行き詰まったと思っていたが、アカギのお陰でこの数分の間に、飛躍的に話が進んだのだ。

 急に開けた展望に、カイジは感激で目をきらきらさせる。
「あ……ありがとうっ! ありがとうアカギっ……!」
 もしかすると、ことは案外スムーズに運ぶかもしれない。
 まだ、なにも始まっていないというのに大船に乗った気持ちになって、カイジは機嫌よくしっぽをふった。


 ばさばさと床を打つしっぽを眺めながら、アカギは口を開く。
「……ところで、気になってることがあるんだけど」
「え?」
 言うなり、アカギにずいと近寄られてカイジは後じさる。
 しっぽの動きがぴたりと止まった。嫌な予感しかしない。

「それって、一体どうなってるの」

 アカギが指差す先が自分のしっぽだとわかったとたん、カイジはさっと顔色を変えた。
 慌てて立ち上がりかけたところに、足をかけられて体勢を崩す。
「ふ、ふざけるなっ……! やめろっ、アカギっ……!」
 アカギはカイジの体をいとも容易くうつ伏せにし、腰の上に跨がる。

 少し緩められたズボンの隙間から出ている、たっぷりとしたしっぽを見て、「へぇ、本当に生えてるんだ」などと悠長なことを言っている。

「クク……なかなか立派なモン持ってるじゃねえか」
「妙な言い方するなっ……! おい、さっさとどけっ! どけったら……!」

 じたばた暴れる体を押さえつけ、アカギは苛立ちに激しく振れるしっぽに触れた。
 ふさふさとした毛ごと、真ん中あたりをきゅっ、と握る。

 その瞬間。
 カイジの腕にびっしりと鳥肌がたった。
 それは一呼吸する間に全身へ広がり、耳としっぽの毛がぶわりと逆立つ。

 手の中で急に膨らんだ尾に、アカギはカイジを振り返る。

「カイジさ、」

 名前を呼ぶ声はそこで途切れた。
 突然、スイッチが入ったかのように、カイジの体が滅茶苦茶に暴れだした。
 不意をつかれたアカギはカイジの体の上から振り落とされ、尻餅をつく。

 すぐさま、カイジはアカギに飛びかかった。目を見張るような俊敏さでアカギの体を押し倒す。
 床に後頭部を強かに打ち付け、アカギは短く呻いた。


 髪の中に隠れるくらい耳を伏せ、アカギの肩と胸をギリギリと押さえつけながら、カイジはアカギを睨み付ける。
 至近距離で見るその目はぎらぎらしていて、理性が感じられない。
 歯は強く食い縛られていて、鋭い犬歯がやけに目につく。
 今にもアカギの喉笛を食い千切らんとするような顔だった。
 喉から、「うぅぅぅ」と、低く唸り声まで発している。


 どうしたものかとアカギは考え、とりあえず、カイジの目の前に掌をかざした。
 そのまま、ゆっくりと左右に動かす。
 唸り声を発しながら、カイジはその動きを注意深く目で追っている。

 何往復かさせていると、唸り声が小さくなってきた。
 さらに暫くすると、カイジははっと目が覚めたような顔になり、アカギの体から転げるようにして飛び退いた。

 アカギはゆっくりと体を起こす。
「わ……悪ぃ、アカギっ! なんか、しっぽ触られたら急に、訳わかんなくなって……」
 額を床に擦り付けんばかりに平謝りするカイジの瞳には、人間らしい光が戻っていた。

 その様子を黙って眺めたあと、アカギは不意にカイジの方へと手を伸ばす。
 殴られるかと、カイジの身がすくむ。

 だが予想に反し、アカギの掌はカイジの頭の上にぽんと乗せられた。

 そのまま、くしゃくしゃと頭を撫でられる。
 意外な行動に驚き、カイジはアカギの表情を伺う。
 だが、そこにあるのはいつものポーカーフェイスで、カイジを益々混乱させた。

 頭を撫でる手付きは無骨で、決して優しいものではない。
 だが、カイジは妙な心地よさを感じていた。
 いつもなら、男に頭を撫でられても、気色悪いと思うだけだろうが、今はむしろ、ずっと続けていてほしいとさえ思う。

 撫でやすいよう、自らアカギの掌に頭を預けるようにして、カイジはうっとりと目を細める。

 やがて、アカギがぼそりと呟いた。
「しっぽ……」
「え?」
 カイジは自分のしっぽに目を落とす。それは、先程と同じように、嬉しそうにばっさばっさと揺れていた。
 それを見たカイジの顔が一瞬で朱に染まる。慌ててしっぽを掴み、動きを止めようとした。

「クク……、ずいぶん単純なんだな、犬っころってのは……」
「う、うるせぇっ……!」

 本物の犬が吠えたてるようなカイジの反応に、アカギは喉を鳴らして笑う。
 その様子が、まるで新しい玩具を見付けた子どものようで、カイジはこの先の生活に一抹の不安を抱くのだった。

つづく? 

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