その1
『たいへんなことになっちまった』
草木も眠る丑三つ時。
雀荘の電話から聞こえた声は切羽詰まっていた。
言われるままにボロアパートへ向かったアカギは、出迎えた電話の主の姿に何度か目を瞬かせ、言った。
「なんですか、その」
頭の上にある、真っ黒い三角の耳をじっと見て、続ける。
「ふざけたナリは」
オレが聞きてえよっ……!! と叫んで、カイジは大仰に頭を抱えた。
「……で、そいつとの勝負に負けて、そこからの記憶がぜんぜんねえんだ。気づいたら、このナリで道端に倒れてた」
カイジはどっかりと胡座をかき、神妙な顔で話す。
玄関先では気づかなかったが、その背後には獣の耳と同じ色をしたしっぽが堂々と鎮座している。
どうやら飾りではなく、ほんとうに体から生えているものらしい。
アカギはタバコの煙を深く吸い込み、時間をかけて吐き出した。
「あんたって、つくづく妙なこと呼び込むよな。どんな相手と勝負したか知らねぇけど、怪しいと思わなかったの」
「うっ……だって」
負けても殺しはしないし、タコ部屋送りもない。勝ったらいくらでも、言い値を支払う。
あとにも先にも、これほどの好条件はないだろう。
高そうなスーツの中年男はそう言ったが、今から考えるとそんな条件はおかしい。なにか、相手に必勝の策があると踏んでしかるべきだった。
隣に山と積み上げられた金に目が眩んで、一も二もなく頷いてしまったことを、カイジは今さら後悔した。
その心情にあわせ、耳としっぽも萎れるように垂れ下がる。
アカギはそれを見ながら考える。
カイジはおそらく、クスリかなにかの実験台にされたのだ。そんな大金で素性の知れないギャンブラーを釣り上げるあたり、相当な危険を孕む実験だったのだろう。下手すると、死んでいたかもしれない。約束が違うが、死人に口なし、だ。
こんな姿でも生きて戻れたカイジは、はたして幸運なのか不運なのか。
(……それにしても)
立派に成人している男に。
獣の耳としっぽ。
「クク……狂気の沙汰だな」
「てめぇ、他人事だと思って笑ってんじゃねぇよっ……!!」
耳を立て、吠えるように怒鳴るカイジを片手で制して、アカギは口を開いた。
「で、どうするの」
「どうするって、決まってんだろっ……!!」
カイジは拳で床を叩く。
「あいつを探し出す……!! そして、今度こそ必ず倒すっ……!!」
奮い起つように、しっぽが一度ばさりと振られた。
たしかに、もとに戻るにはそれしか道はなさそうだ。
「そう。じゃあ頑張って」
「えっ……!? えっ……!?」
さっさと立ち上がって帰ろうとするアカギに、カイジは慌てる。
「まっ、待てよっ……!!」
上着の裾をつかんで止めようとするカイジを、アカギはゆっくりと振り返る。
「なに」
「っあ〜、なんだ、その……っ」
せわしなく耳を動かしながら視線をさまよわせたあと、カイジは意を決して深く土下座した。
「たのむっ……!! 協力してくれっ……!! この通りだっ……!!」
アカギはニヤリとする。自分より年上の男の土下座など見飽きていたが、カイジのそれはアカギを特別愉快な気分にさせた。
突然、頭から抜けそうなほど強く耳を引っ張られ、カイジはバネのように上体を跳ね上げた。
「……っ痛ぅ!!」
涙の滲む視界に、アカギの楽しそうな笑みが映る。
「いいぜ、協力してやる。他でもねぇ、あんたの頼みだからな」
あきらかに面白がられていることに腹をたてながらも、カイジは握手するように差し出されたアカギの手を握った。
つづく?
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