エピローグ(※18禁)・1 ケモ耳しっぽ注意



 黄金の太陽が照らし出す、静かな池のほとり。
 天からの祝福のような朝の光の中、通じ合ったばかりの想いを確かめるかのように、少年とカイジは見つめ合っていた。

 朝日に洗われる白皙の美少年に、カイジがぼうっと見惚れていると、端正な顔が微かに曇った。
「カイジさん……、怪我……」
 陽が射し、辺りが明るくなったことで、カイジの体に残る傷が、改めて目につくようになったのだろう。
 表情を陰らせる少年を安心させるように、カイジは笑いかけてやる。
「あぁ……たいしたことねぇよ。こんなの、ただのかすり傷ーー」
 言いかけて、カイジは瞠目した。
 少年がカイジの手を取り、傷だらけの手の甲に、舌を這わせてきたからだ。
「ーーッ……」
 真っ赤な顔で身を固くするカイジだったが、少年の表情が真剣そのものだったので、言葉を飲み込んだ。

 少年は傷を癒してくれているのだ。
 事実、少年の舌が撫でるそばから、赤い切り傷が魔法のように消えていった。
 ただの治療だとわかっていながらも、とてもつなく気恥ずかしくなるカイジだったが、唇を噛んでどうにか耐える。

 白い瞼を軽く伏せ、細かい擦り傷のひとつひとつまで、丁寧に癒していく少年。
 普段の不遜な態度からは想像もつかないその仕草を、カイジはつい、まじまじと見つめてしまう。
 放っておけば勝手に治るような小さな傷でも、少年は見逃すことなく、カイジを労るように、赤い舌をそっと触れさせる。
 なんだか過剰なほど大事にされているみたいで、想いが通じ合う前とのギャップもあいまって、カイジはむず痒い気持ちで身じろぎを繰り返した。

 この上なく見目麗しい少年が、日に焼けた無骨な手に恭しく口づけを落としている。
 見ようによってはそんな風にも見えて、カイジが胸をドキドキさせているうちに、少年は手の傷を癒し終え、さらにその上の腕へと唇を滑らせた。

「……ッ……」
 カイジは密かに息を飲む。
 ちいさな薄い舌が肌を這うたび、こそばゆいような気持ちいいような、奇妙な感覚が背筋を走るのだ。
 堪えようとしても、濡れた舌の生々しい感触に、体が跳ねてしまうのを抑えられない。
 少年に悟られはしないかと焦るカイジだが、くっきりとした美しい瞳は相変わらず真摯そのもので、そんな懸念を抱くことすら憚られた。

 カイジの傷を丹念に消し去りつつ、少年の白い顔は上へ上へと移動していく。
 首筋の、ごく浅い切り傷に舌を這わされ、カイジは喉仏を大きく上下させた。
「も、もう、いいってーー」
 微かに弾んだ息の下、カイジは少年を止めようと、狩衣の袖をゆるく引く。
 伏せていた瞼を持ち上げ、少年はカイジの顔を見た。

 少年の愛刀に似た、鋭く玲瓏な双眸が、自分だけを映している。
 それだけで上気し、耳まで真っ赤になるカイジの頬を、少年のひんやりとした掌が撫でた。

 カイジの頬や顎にできた切り傷を、少年の舌がゆっくりとなぞっていく。
 心臓が、壊れそうなほどバクバクと暴れ、カイジはまともに呼吸すらできない。
 息を詰め、石のように固まっているカイジの、顔にできた傷が少年によって徐々に癒されていく。


 唇の端の、赤い線のような傷に指を這わせ、少年は軽く息をつく。
 そこに顔を伏せ、ちろりと舐められ、カイジはビクリと体を跳ねさせた。
「……」
 大袈裟すぎるほど、敏感な反応。
 自分の腕の中、真っ赤な顔でぎゅうっと目を瞑っている想い人を、少年はじっと見つめる。
 そして、肩を抱く手でカイジの体を引き寄せると、わずかに傾けた顔を近づけ、その唇をそっと啄んだ。
 カイジはますます身を固くしたが、拒絶は示さない。
 角度を変えながら幾度も啄んだあと、少年はカイジに深く口付けた。
「ん……ッ!」
 固く閉じた唇を舌でつつくと、おずおずと隙間が開く。
 ずっとずっと求めてやまなかった、想い人との口付け。
 少年はカイジの体を掻き抱いて、獣のようにその口内を貪る。
 その激しさにくぐもった声をあげつつも、狩衣の袖を皺が寄るほど強く掴み、カイジは遠慮がちに舌を差し出して、自ら絡めていく。
 
 瑞々しい夏の早朝。静謐な空気。
 水彩で描かれたような紫陽花に囲まれながら、ふたりは初めての口付けに溺れていた。
 まだ気温が上がる前だというのに、カイジの体は火照り、脳はぐらぐらと茹って目眩がする。
 
 永遠に続くかのように長く舌を絡ませたあと、少年は名残惜しげに唇を離した。
 透明な糸が濡れた唇を繋ぎ、荒い吐息を間近で交わらせながら、ふたりは見つめ合う。

 つり上がった大きな瞳をとろんと潤ませ、半開きの口から赤い舌を覗かせたまま、ぽうっと放心しているカイジ。
 欲望の滲む瞳でその表情を眺めたあと、少年はカイジの体を横抱きにして、スッと立ち上がった。

「……っ、おい……っ!?」
 わたわたと慌てるカイジを余所に、少年は人ひとり抱えているとは思えないような、しっかりとした足取りで神社の拝殿へ向かう。
 池に面した縁側から中へと進み、ずんずんと歩いて奥まったところにある部屋に着くと、行儀悪く足を使って襖を開け放った。

 そこには、光沢のある白い絹を四方に垂らされた帳台が据えられていた。
 少年はカイジを抱いたまま、帳台の布を潜る。
 その先の光景に、カイジは赤面した。
 
 青々とした畳の寝台の上に敷かれた、分厚い真綿の布団。
 寝台の脇では、火の入った紙灯籠が、やわらかい光を放っている。
 
 少年はカイジを布団の上にそっと下ろし、向かい合うようにして自らも座った。
「ち、ちょっと待てっ……!!」
 少年はただ腰を下ろしただけなのに、あたふたとなにかを制止するように手を突き出すカイジ。
「そ、その……、これってやっぱ、アレだよなっ……?」
 少年の方を見ないようにしながら、しどろもどろにカイジは問いかける。

『これ』だの『アレ』だの、なにを訳のわかんねぇこと言ってんだ、オレは……
 
 頭の冷静な部分でセルフツッコミを入れるカイジを、少年はじっと見て、口を開いた。
「ーー正式な番になるには」
 まるで独り言のように小さな声に、カイジはピタリと動きを止め、おずおずと少年の方を見た。
「お、おう……」
「オレとカイジさんが正式な番になるには、オレの力の一部を、カイジさんの体に流し込む必要があって……」
「へっ? は、はぁっ?」
 思わず素っ頓狂な声をあげるカイジを、少年は言外に何かを伝えようとするかのように、じっと見つめる。
 もの言いたげなその目を見て、カイジは一瞬ですべてを悟った。
「おっおっ、オレが女役ってことかよっ……!?」
 大きく目を見開き、驚愕を露わにするカイジ。
 少年はなにも言わなかったが、その沈黙がすべてを肯定していた。

 予想外の展開に動転し、目を白黒させるカイジ。
 だが、そこでふと、未来の少年に会ったときのことが心をよぎる。

 そういえば……、未来のこいつは、人間の『嫁』と一緒に暮らしてるって言ってたな……

 あのときは、こいつの想い人が、女性だと信じて疑わなかったけれど……

 そうか、嫁。
 ……嫁、か。
 オレが。

 カイジの額に、ぶわりと汗が噴き出す。
 九本のしっぽをふさふさと揺らし、機嫌よく『嫁』のノロケ話をする壮年の男の姿を思い出して、カイジは今さら、羞恥に身悶えた。

「ーーカイジさん」
「へっ……? ……!!」
 名前を呼ばれてハッと我に返ると、間近に少年のむくれた顔があって、カイジは飛び上がった。
「なに、ぼうっとして……誰のこと考えてたの」
「えっ!? い、いや、そのーー」
 咎める口調にカイジがわたわたしていると、少年は諦めたようにため息をつき、カイジから離れた。
「……あんたが嫌なら、無理強いはしない」
 ぽつりと呟く声に、え、とカイジは少年の顔を見る。

 少年はいつものポーカーフェイスをこころもち俯かせ、白い耳としっぽを極端に下げていた。
 いつもの気丈な態度はどこへやら、わかりやすく項垂れているその様子に、カイジの胸がズキンと痛みを訴える。

 ……惚れた弱みってやつか、これが。
 カイジはバリバリと頭を掻き、盛大にため息をつく。
「……お前、ずりぃよなぁ……」
 その言葉の意味が理解できず、ゆるく首を傾げる少年を、カイジは赤く染まった顔で睨むように見た。

『だから、そのときが来たら、お前さんも腹をくくれよ』
 未来の少年から告げられた、そんな言葉を思い出す。

 べつに……ちょっとビックリしただけで、別段「男役」にこだわりがあるってわけじゃねえし……
 いや、オレだって男だし、本当は好きなやつを抱いてみたいけど……
 だけど、こいつと『正式な番』ってのになって、ずっと一緒に暮らしていけるなら、正直、閨での役割なんてどうだっていいんだ。
 それに……、未来のこいつが言うには、どうやらオレが『嫁』だってことは、確定事項みたいだし……

 腹を決めるようにドカッとあぐらをかいて座り直し、カイジは真正面から少年の顔を見据えた。
「ーーいいよ。オレも、腹くくる。オレをーー、お、お前の、『正式な番』にしてくれ……」
 多少どもりながらも、潔く言い切るカイジ。
 少年は大きな耳をピンと立て、驚いたように鋭い目を丸くしていたが、「うん」とちいさく頷いて、カイジの体をそっと抱きしめた。



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