ラブレター 学パロ 甘々



 放課後の開始を告げるチャイムが鳴り響いて、カイジは顔を上げた。

 がらんとした教室。ひとり取り残されたみたいに、カイジは窓際いちばん後ろの自分の席に、ぽつんと座っている。定期考査の期間なので、クラスメートは全員、さっさと帰宅してしまった。カイジは例によって単位取得のため、担任に押し付けられた課題に、嫌々ながら向き合っているのだった。

 息を吸うたび、空気に混じって雨の匂いがする。
 六月の教室は、じめじめしていて蒸し暑い。開け放った窓の外は、重く垂れ込めた雨雲のせいでどこまでも灰色だ。

 高い湿度と気温のお陰で、不快指数がかなり高い。だらりと頬杖をついていた肘を浮かすと、下敷きにしていた教科書のページが、汗と湿気でべたべたと膚に纏わりついてきた。
 カイジは軽く舌打ちし、窓の下に目を遣る。
 ただでさえ高い不快指数をさらに上昇させる要因が、そこにあった。


 カイジの席からちょうど真下へ見下ろす位置に、生徒がふたり、向かい合って立っている。
 ひとりは女子、もうひとりは男子。女子は肩口までの髪を明るい茶色に染め、プリーツスカートの丈はかなり短い。遠くて顔はよく見えないが、全身からは張りつめた緊張感が伝わってくる。
 その娘にはさっぱり見覚えがなかったが、男子の方にはうんざりするほど見覚えがあった。
 なにをおいても先ず真っ先に目に入る、特徴的な白髪。スラックスのポケットに手を突っ込んでだるそうに立つ、その男は学校一目立つ不良で、カイジの恋人である赤木しげるだった。

 アカギとカイジ。ふたりは去年のちょうど今ごろからつきあい始めた。
 ちょうど今カイジが座っているような窓際の席で、ちょうど今日みたいな天気の日に、ふたりは教室で初めてのキスをしたのだ。

 カイジはアカギより年上だが、留年していたため同じクラスに在籍していた。万年落第生のカイジだが、アカギのサポートもあってなんとか留年を免れ、一緒に三年生になることができた。

 クラスはバラバラになってしまったが、ふたりの仲は順調だった。少なくとも、カイジはそう思っている。
 さすがに男女のカップルのような訳にはいかず、人目を忍ぶような関係ではあったが、べたべたとしたつき合いを苦手とするカイジには、むしろちょうど良いくらいだった。アカギの方もそう思っている節があって、だからこそ一年も続いているのだとカイジは確信している。


 だが、それはそれとして、だ。
 今、窓の下で繰り広げられている光景は、カイジにとって面白いことなどなにひとつないのだ。
 人気のない放課後の学校で、向かい合う男女。いったいなにをしているのか、一目でわかってしまうほどありふれたシチュエーションである。

 カイジは頬杖を突き直して、つまらなさそうな顔で眼下の景色を見る。
 アカギに先日、女子からラブレターが届いていたのは知っていた。淡いブルーの水玉模様の、可愛らしい封筒。登校したら机の中に入っていたのだというそれを、アカギは封を切ることもせず、教科書やなんかと一緒にくたにして鞄の中へ突っ込んでいた。
 アカギと今対峙しているのは、きっと、その手紙の主なのだろう。手紙は読まれなかった可能性があるから、直接アカギに声をかけ、改めて呼び出したのかもしれなかった。

(そこまでするかね、あいつのために)

 カイジは半眼になり、白い頭を見下ろす。
 今日の放課後、担任から課題を押しつけられたことをカイジが伝えると、野暮用を済ませてくるから教室で待っていろとアカギは言ったのだ。野暮用とはこれのことだったのかと、現場を見てカイジは初めて気がついたのだった。

 ふたりは、なにやら話しこんでいるようだ。女生徒がアカギになにか言い、それに対してアカギが短い応えを返す。
 耳をそばだてても、会話の内容まではカイジのいる場所からだと聞こえない。満足のいく答えを貰えなかったのか、女生徒は必死になって食い下がっているらしい。スカートの裾を両手でギュッと掴み、ちいさな背を奮い立たせるようにして喋る女生徒の様子に、カイジは鼻白む。
 
(やめとけやめとけ、そんなヤツ)

 心の中で女生徒に呼び掛ける。だが、霧のような小雨の中にも関わらず、ふたりのやり取りは一向に終わる気配もない。
 心に雨雲のような影が差して、カイジは頬杖を突くのをやめた。

(どいつもこいつも……こんなヤツの、どこがそんなにいいんだか)

 カイジは心中で毒づく。今回に限らず、アカギがときどき女子からの告白を受けているのを、カイジは知っていた。
 向かい合うふたりを見下ろしながら、机の上に広げられている、まっさらなノートの一ページをビリビリと破く。

(そりゃ、見てくれはまあまあだし、腕も立つし、頭も悪くねえけど)

 破いた紙を半分に折って開き、できた折り線に合わせて角を折り上げる。

(基本的に意地は悪いし)

 湿気を吸った紙をカサカサいわせながら、さらに折っていく。

(狂ってるし)

 紙の向きを変え、反対側を折りこむ。

(けっこう、スケベだし)

 知らず知らずのうちに折る手に力が籠もり、折り目は手が切れそうなほどにくっきりとしている。

(そういうの、なんにも知らねえのに告白とか)

 心中でぶつくさ言いながら、羽の部分を左右対称に折り返す。
 最後に形を整えると、あっという間に真っ白い紙飛行機が完成した。
 出来上がったそれを、カイジは窓から身を乗り出すようにしてアカギに向かって構える。
 片目を瞑り、尖った先端がアカギに命中するように照準を合わせる。
 紙飛行機越しに、カイジは白い頭を睨むようにしてしばし、見下ろしていた。

 と。
 ふいに強い風が巻き起こり、木々がざわめく。
 当然のことにカイジがあっと驚いている隙に、風はカイジの手の中から飛行機を奪い去り、宙に巻き上げてしまった。
 曇天にふわりと浮かび上がった飛行機は、気まぐれな旋風に弄ばれ、あれよあれよという間に錐揉みしながら真っ逆さまに墜落していき、ちょうどアカギの傍らの地面へと突き刺さるようにして落ちた。
 それに気づいたアカギが、顔を上げて自分の方を見たので、ぽかんと口を半開きにして飛行機の行方を追っていたカイジは、慌てて体を引っ込める。

 本当に飛ばすつもりなど、まったくなかったのに。
 しくじったと冷や汗をかきながら、カイジは古文の教科書を熱心に読んでいるフリをする。
 アカギの方からも、恐らくカイジの姿は見えているに違いない。このくだらない悪戯の犯人が自分だと気付かれていないことを願うが、たぶん、いや、十中八九はバレているだろうとカイジは内心頭を抱えた。相手はあのアカギなのである。

 それでも一縷の望みを賭け、カイジはひたすら自分は無関係だという態度を貫き通す。
 なに食わぬ顔でシャーペンを取り、ノートに意味不明なぐちゃぐちゃとした線をひたすら書いていると、やがて教室の戸がガラリと開けられ、ゆったりと床を踏む足音が近づいてきた。
 カイジはノートから顔を上げず、足音の主が傍らに立つまで、ひたすら勉強に集中しているフリを続けた。

「カイジさん」

 名前を呼ばれて、初めて相手の存在に気がついたみたいに顔を上げる。
 鼻先を掠める雨の匂い。さっきまで窓の下にいた恋人の姿が、そこにあった。白い髪は雨に濡れ、半袖の開襟の下に着ているシャツの青が透けて見えた。
「よぉ、」
 そう声をかけたところで、アカギがよれよれの白い紙飛行機を手にしているのが目に入る。
「……野暮用とやらは済んだのかよ?」
 思わずヒクリと頬が引き攣るのを感じたが、カイジは努めて平静を装う。
 カイジの反応を受け、アカギの目が猫のように弓形に細まった。
「まぁね。長引きそうだったけど、無理やり決着つけてきた」
 愉快そうな口振り。『決着』という素っ気ない言いざまに、ああ、さっきの女子は今ごろ泣いてるんだろうなとカイジは思う。
 さっきまで面白くない気分でヤキモチなど妬いていたくせに、お人好しの性分でチクリと胸が痛む。表情をやや曇らせるカイジの様子に、アカギはわざとらしく肩を竦めてみせた。
「だってさ……しょうがないでしょ。こんな熱烈なラブレター貰っちまったらさ」
 クスリと笑い、アカギは手中の紙飛行機をカイジに示す。
「ラブ、……っ!?」
 思いも寄らぬ発言に面食らい、カイジは思わずガタリと腰を浮かせてしまう。
「そっ……、それのどこがラブレターなんだよっ……!! なんも書いてねぇ、ただのノートの切れ端だろうがっ……!!」
 動揺のあまり自分が作ったということをほぼ暴露してしまうカイジに、アカギは可笑しそうに肩を揺らした。
「書いてあるよ。『他のヤツに構うな、こっちだけ見てろ』って、でっかく書いてある」
「……」
 カイジは口をぱくぱくさせ、絶句してしまう。
 すべてお見通しだとでも言いたげな、アカギの不敵な笑み。カイジはしばらく固まったあと、
「はぁ? ……眼科行ってこい、眼科」
 ひとり言みたいにそう溢すのが、やっとだった。
 すっかり頬に血がのぼってしまい、それを隠すためにカイジは俯いてしまう。
「ねえ、カイジさん」
 前の席の椅子を引いて腰掛けながら、アカギはカイジに話し掛ける。
「こうしてるとさ、思い出さない? 去年の今頃のこと」
「……さぁな」
 カイジがぶっきらぼうに答えると、「つれねえな」とアカギが苦笑する。
「ちゃんと断ったんだからさ……そんなに臍曲げないでよ」
「! 誰が……っ」
 わざとらしいアカギの弁解にあっさりと乗せられ、顔を上げてしまうカイジ。
 目と目が合ったアカギは、一年前となんにも変わらず悪童めいた顔をしていて、『しまった』と思う暇もなく、カイジは始まりの時と同じように、唇をそっと掠め取られてしまったのだった。







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