小説
春告げ鳥
――時間ごと凍らせるような季節が溶け、ゆるやかに春設(ま)く―――
随分と暖かくなってきたな、と思えば庭の梅が見事に開花していた。このままいけば桜もちらほら咲き始める頃だろう。
「もうそんな季節か」
伸びをして首を左右に曲げ肩をほぐす。結構長い間原稿と向い合っていたせいか体がキシキシと軋む。
「少し休憩するかな」
庭の春を見ながら茶でも飲もうと立ち上がった。
盆に緑茶と知人に貰った和菓子を乗せて縁側に立てば先程見た庭にはなかったものが居た。
「うちになにか用かい?」
器用に梅の枝に座っている少女に話しかけると慌てて頭を下げてきた。
「すみません。見事な梅だったもので」
澄んだ高い声がスルリと降ってきた。
「そうか。ところで君、和菓子好き?」
「えっ?はい、好きです、けど」
突然の問いに少女は戸惑いつつ答えた。
「それは良かった。降りておいで。お茶と和菓子をご馳走しよう」
急なことについていけないのか瞬きを数回して素直に枝から降りた。
「怒らない…んですか?」
「んーまぁ驚いたけど怒るほどのことでもないし。それに君はうちの梅を誉めてくれたしね」
和菓子と湯呑を追加して二人揃って縁側に腰掛けた。
「いただきます」
「召し上がれ」
食めば直ぐ甘味が口に広がった。
「君、名前は?」
「鶯(うぐいす)です」
「へぇ、花見鳥の名前かい」
「はい」
無邪気に笑う少女につられて口角を上げた。
「梅が咲き始めたので見に来ました」
そう言って再度和菓子を口にした。中々冗談の上手い娘だ。そう思いながら濃紅の梅に目をやる。
「もう春だからね。これから桜も咲き出す頃じゃないかな」
「そうですね。梅が起き出したんだから桜ももうそろそろ起こしに行かなくちゃ」
「え?」
なんの事かと聞き返そうとしたとき、少女はお茶を飲み干し、スッと立ち上がる。
「お茶と和菓子ご馳走さまでした。とっても美味しかったです」
一礼して礼を述べた。
「もう行くのかい。もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「そうしたいんですけどやる事がありますので」
心底残念そうに言うので引き留めるのは止めておこう。
「あの…また梅を見に来てもいいですか?」
「勿論。梅も喜ぶだろう。僕も嬉しいしね。お茶と和菓子を用意しておくよ」
「ありがとうございます」
嬉しいそうに笑って踵を返した。
「それではまた次の春に」
と走り去ってしまった。
「…また次の春?」
なんのことだろうか、と首を傾げながら和菓子の皿と湯呑みを片付け始めると耳に春馴染みの澄んだ高い声が辺りに響いた。
「おや、ウグイス」
そう呟いた瞬間にハッとする。
「まさか…ね」
と言いつつ笑みが溢れる。
「まぁとりあえず来年の春の楽しみが出来たな」
暖かい風が頬を撫でる。春はもうやって来ているようだ。そんな空を仰ぎ見る。
「今度は桜を起こしてからおいで。春告げ鳥」
その方がゆっくりお茶ができるだろう。
‡END‡
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