その他二次創作の部屋
キョン「戯言だけどな」8
息を飲む。ソイツは、笑っていた。どこまでも、笑顔だった。鏡なんか見なくても分かる。俺と佐々木の表情はきっと正反対。
後ずさる、足が縺れて後ろ向きにすっころんだ。

「さ、佐々木……お前、何言ってんだよ?」

冗談だろ? 冗談だって言ってくれよ。あれだ、今流行の戯言なんだろう? 誰も彼もが使いたがるからお前も使ってみたくなった、ただそれだけなんだよな? な?
ああ、そう考えたら今夜……いや、明けて十二月三十一日。今年最後にして最高の冗談だぜ? まったく、とんだビックサプライズも有ったモンだ。驚いた。驚きまくって言葉も出ないし間抜けな顔を晒してる事も理解してるから「ドッキリ大成功」の看板を持ち出すんならこのタイミングしかないだろ。
……なんで、何も起こらない? なんで、誰も来ない? なんで、ネタばらしをしないんだよ、佐々木っ!!

「何を言っているのか? ふむ、そうだね。分かり易く言い直そうか。今夜、君と君のSOS団に起こっている事件の、全ての黒幕も元凶も僕なんだ」

佐々木は笑顔を崩さない。まるで仮面でも被ったように。ここで顔を崩したら何かに負けちまうとか、そんな強迫観念に襲われているみたいに終始微笑を頬に浮かべて。

「まあ、持ち掛けてきたのは狐面の第一席だったけれどね。だが、話に乗ったのは間違い無いし、脚本だって合作だから黒幕で間違いないよ、やはり」

「……なんで…………なんで、そんな事をするんだよ、佐々木! お前は!」

「君がそれを言うかい? 悲劇だな。いや、キョンはそれでいいのかも知れない。それでこそキョンだ」

少女が歩み寄る。そして、ここで出会った最初のシーンを巻き戻したように俺へと手を差し出した。俺の表情も佐々木の表情も、巻き戻したようにそのままで。ああ、この一連の会話がマジで夢だったみたいに。
夢であれば、どれほど良かっただろう。

「なんて顔をしているんだい、キョン?」

でももう、俺の眼にソイツは女神とは映らない。

「キョン。君は世界崩壊を望んだ事の有る女の子を知っているだろう?」

「……ハルヒの事か」

「ああ。それと同じさ」

「退屈が、理由かよ。だったら俺が」

「理由は違う。でも衝動は同じ。こんな世界なら、要らない」

「なんだよ、理由って?」

「知ってしまったんだよ」

「何を?」

「世界の残酷さを」

「漠然とし過ぎてる。具体的に言え」

「……恋愛は、精神病の一種。僕と涼宮さんの共通認識で、彼女と僕の罹っている病名さ」

「恋愛? そんな事で、世界を滅ぼすのか?」

「そうだ。僕はそんな事で世界を滅ぼすんだ。精神病だよ。自分でも病んでいるとしか思えない。だけど、止められないんだ。キョン、僕はね」

「僕は……なんだ?」

少女は、笑った。白い世界で。

「こんな想いをするくらいなら、報われない恋愛をするくらいなら、恋心なんて自覚したくなかった」

その笑顔は台詞の内容とは裏腹に鮮やかで。でも朗らかではなくて。鮮やかで。でも明るくはなくて。どこまでも、鮮やかで。
どっかの国の画家が言っていた、恋に憂いた女以上にそそられるモデルはいないという一節を思い出すのに十分だった。

「お前なら……振られる要素なんて無いだろ。俺が保証してやる。だからこんなバカな事は止めろ。なんなら紹介状だって書いてやる。本日のシェフのオススメってポップだって幾らでも書く所存だ」

「……その相手に他に好きな人が居ても、君は同じ事を言えるかい?」

「その言い方だとまだ恋人、って訳じゃないんだろ? だよな? だったら勝算は有る。お前、自分の価値を分かってないんじゃないのか? ほっとく男がもし居たとしたら、ソイツは同性愛者だ、って断言出来るくらいには魅力的なんだよ」

少し言い過ぎかも知れないが、それだって九十五歩と百歩くらいの違いしかない。佐々木に好きな相手が居るってーのは、なんか勝手な話で申し訳無いが男友達代表として寂しい話であったのは間違いないが、この際そんな感情は脇に置いておく。
ああ、そんな俺が佐々木の片恋相手に嫉妬しちまうくらいには、コイツは可愛いんだ。
だから……だから、俺は納得いかないぞ、佐々木。

「君が言うと、滑稽だ」

「俺の口から出ても説得力は皆無だが、これは断じて笑い話じゃない。お前は、可愛いんだよ。自覚しろとは言わないが、俺を信じろとは言うぞ。信じられないような相手を友達に選ぶようなお前じゃないだろ」

「友達は選ぶものじゃないと思っていたけどね」

「揚げてもいない足を取るな。言葉の綾だ。信じられないと言われればそこまでだが。だが、佐々木よ。お前を見てれば『まだ告白もしていないのに一人で勝手に諦めてるんだろう』なんて事くらいは俺にも分かるんだ。
日頃、やれ鈍感だの、やれ朴念仁だの言われてる俺ですらお前に関しちゃこの通りの、俺たちの関係ってのはそういうものだぜ。今更、信じられないなんて言うなよ」

「信じてるよ。ああ、今の君の言葉で確信した。キョンはやっぱり思った通りだ、ってさ」

おい、今の言葉、なんか毒を含んでなかったか……と、まあいい。それよりも本題だ。

「だったらもいっちょ信じろ。ソイツに告白してみるんだ。それで上手くいかなかった、ってんなら世界崩壊も止(ヤ)む無しだが……絶対にそんな事は無いから安心してくれ。佐々木の見初めた男がそんなに馬鹿で見る目が無いとは俺も思わん」

「止む無し、なのかい?」

「いや、止めるが。だが万が一にも有り得ん話だ」

俺がそう言うと佐々木はその顔から笑顔を消して、そして真剣に思案を始めた。よし、良い兆候だ。もう一押しって感じだな。
まったく、どこの誰だか知らんが世界崩壊なんて罪作りにも程が有る。この一件が終わって佐々木の告白が上手くいったら殴ってやってもいいだろう……いや、それが元で佐々木との関係がこじれたりしたら元の木阿弥だしな……。

「君が言うと説得力が有るな。なら……キョン」

「なんだ? なんでも聞くぜ。世界崩壊の危機とかそんなんの為じゃなく、俺の友人の為にな。どんな裏方だってやってやる」

校舎裏に呼び出す手伝いから、いたいけな少女に絡む不良役まで、この際なんだってこなす所存だ。必要なものが有れば古泉を脅して用意させるも吝(ヤブサ)かじゃない。世界平穏の必要経費だから領収書は切ってくれよ?

「保険が欲しい」

「保険?」

「ああ、そうさ。振られればきっと僕は泣くだろう。そうなったら……らしくないと言われるかも知れないが、問題が問題だからね。借りれる胸が欲しいのさ」

「そんなもん、幾らでも貸してやる! むしろ役得だから安心しろ」

「そうかい。毎晩、それこそ君がもう止めてくれと言い出すまで夢の中で呼び出すだろう。それは?」

「構うものか」

「だったら……そうだな。デートがしたい。その人と出来なかった分、自分でも愚かだと分かっているけれど君を代役に」

「休みの度に付き合ってやる。俺なんかでよければ、な」

任せろ。ハルヒには不審に思われるかも知れんが、しかしそれよりも優先する事態ってのは有るんだ。例えば俺を親友だと言ってくれた、少女の失恋を慰めるだとかな。
世界を揺るがす大恋愛なんかにコイツが陥っていたとは正直予想外だが、しかし確かに佐々木の言う通り。それは異常じゃなくて人間として正常であり、厄介な精神病であると共に一生を通じて御厄介になる精神の支えでもある。
恋愛感情ばっかりは俺にだって否定出来ないし、する気も無いね。

「だから、頑張れ」

「……頑張る。キョン、有難う。君のお蔭で決心が付いた。僕の決意の程を、聞いて欲しい」

佐々木の白い喉がゴクリと鳴る。なんだって聞いてやるさ。ここで好きな男の名前を暴露して退路を断とうとかそんな事を考えているんだとしたら、勿論付き合ってやるともさ。
だから……だから、戦う前から逃げてんじゃねえ。戦う前から退路確保すんのは戦術の基本でも、恋は真逆。背水の陣こそ最良の構えだぜ。

「キョン……ポニーテールは、好きかい?」





「は?」

俺の脳みそはフリーズしていた。予想外、過ぎた。真面目な顔をして何を言い出すかと思えば、飛び出したのは直前身構えたのが阿呆らしくなる程の妄言。ああ、妄言と一言で切り捨ててしまって何の問題もないだろうよ。
何を言ってやがるんだ、コイツは?
ポニーテールは好きか? いや、そりゃ好きだが。聞きかじった所によると男性が好ましく感じる女性の髪形ランキング堂々の一位に輝いたらしいし、それがどこ調べなのかは生憎覚えちゃいないが、その記事を見て自分がマイノリティではない事を確信した記憶が有る。
だが……それがどうした?
俺がどんな異性の髪型を嗜好していようが、しかし今議題に挙がっているのは佐々木の片恋相手の話であり、言ってしまえばそこに何の脈絡も無い。いや、もしかしたら無知蒙昧な俺には分からないだけで深淵にて話は繋がっているのかも知れん。

「あーっと……そうだな。好きだぜ。ポニーテールは一番好きな髪型だと言っても良い」

「そうかい。それは良かった」

あからさまにさっきまでの緊張した面持ちを崩して笑みを浮かべる少女に、俺としちゃまたしてもクエスチョンマークの大盤振る舞いでしかない。
何がしかの婉曲迂遠な表現なのかも分からんが、しかし遠回り過ぎるのではないだろうか。例えるなら地球を一周して飛んでくるドッジボールの球のようだ。
光は一秒で地球を七周半するらしいが、それが言葉、音ともなればどれだけの時間を必要とするのか。一秒三百メートル強。誰か俺の代わりに計算しておいてくれ。

「いや、春に聞いた通りだったな。君の趣味が変わっていなくて僕はほっとしているよ」

「ん? 俺、春の時にお前に何か言ったか?」

「覚えてないのかい? いや、無理も無いか。あの時はそれどころではなかったからね」

春。ついに現れたSOS団の鏡写しを相手にてんやわんやだったあの事件の最中、もしも俺が性癖を暴露していたとしても不思議は無いが……特に隠すほど特殊でもないしな。しかし、そんな自分の戯けた発言を脳に刻んでおくにはちょいとその当時は驚愕する事態が多過ぎた。
ともすれば記憶回路を疑われてしまいそうだが、けれどこればっかりは俺の脳みそに責を求めるのは辛い気がする。
記憶ってのは衝撃的なシーンほど強く残るものだからな。上書きに次ぐ上書きで、そんな俺の下らない台詞を覚えている佐々木の方がこの場合は特殊だと言わせて貰おう。

「で? 俺がポニーテールを好きだったらなんだってんだ?」

「改めて美容院に行く必要が無くなった、といった所さ。……はあ。話には聞いていたが、まさかこれほどだとは思わなかったよ、キョン」

これ見よがしに溜息を吐くな。むしろ溜息を吐きたいのはこっちの方だっつーの。どうしてこうも俺の周りには意味不明な言葉を意味深長気味に口にする輩が多いのか。
それともこのやり取りに地球の明日が乗っかってるんだとしたら、地面の下にはヘリウムガスでも詰まってるんじゃないかと勘繰っちまうほどの軽さにいつの間にやらなっちまってまあ。俺に明日を心配されるようになっては大きな宇宙船地球号様も心外に違いない。
俺だってそんなものに両足を預けていたくはないな……。

「何が『これほど』なのか分からん。具体的に説明しろ」

「重症だな。国木田君が心配して僕にメールを寄越す度にこれまでせせら笑っていた訳だが、事これが自分の身に降りかかるとなると……なるほど、厄介だ」

「国木田とメールのやり取りとかしてたのか、佐々木? なんっつーか、意外だな」

これは正直、驚いた。いや、男女ともに平等に接するヤツなのは知ってはいたが、それにしても交友関係ってのを疎ましがっていそうなイメージを勝手に佐々木に作っていた。まあ、これは佐々木にも非は有って、メールアドレスなんかをお互いに知っちゃいても、中学卒業以降佐々木から連絡が有った事など片手で済む程しかなかったからな。
いや、俺も片手で余る程しかメールを送らなかったのだから人の事は言えないのだけれども。

「メル友、というヤツだよ。気軽に話が出来る間柄だ。これは互いに互いの弱みを握っているから、といった理由が大きい」

「そりゃまるで、俺が『気兼ねする友人』にカテゴライズされてるような言い方だな」

「そう言わないでくれ。君にはもっと、別のカテゴリを用意してあるさ」

久方振りの再開の場で「親友」と俺を称しておいて、しっかし国木田よりも優先順位が低いのは何か納得がいかない。筆不精な自分も悪いと分かっちゃいるが、それにしたって……ああ、何だこのモヤモヤは。

「その『別のカテゴリ』ってのが大いに気になるね。メールが着信と同時にゴミ箱へと投げ捨てられる迷惑メールのような扱いをされていたとしたら、泣くぞ。いや、マジで」

「そんな心配はしなくてもいい。全くの的外れさ。なんなら僕の携帯を見てみるかい? 君から受け取ったメールは全て保存してあるよ」

そこまでの待遇は要求してない。普通で良いんだ、普通で。

「冗談にしても薄ら寒いな。連絡を怠けてた事は謝るから勘弁してくれ」

俺がそう言うと佐々木は笑っているような、泣き出しそうな、そんなどちらとも取れる表情をした。元々、コイツはあまり感情を表に出すタイプではない筈なのだが、場所が悪いのかも知れない。
閉鎖空間。自分自身の心の内側。そういったものが佐々木を普段とは異なる精神状態に追い込んでいたとしても、それはなんら不思議じゃない。不思議なのはむしろ、俺たちが今居る、この真っ白空間だ。

「くっくっく。だが、君が『そう』だと言うのは別に今に限った事では無いし、それに悪い面ばかりでもない。裏を返せばつまり、攻めあぐねているという事だろう。だったら後は覚悟次第さ」

「何を言われてるのかはよく分からんがしかし、馬鹿にされてるってのだけは理解したぞ」

「馬鹿に? いや、むしろ逆だ。褒めている、とまでは言えないが。それでも一年と八か月かい? その間、変わらずに僕の知っているキョンであり続けてくれていた事に僕は感謝しているくらいさ」

だから、それが「成長してない」って意味以外の何に取れるってんだよ……ったく。

「十何年ぶりの同窓会辺りなら感動の台詞なんだろうが、そこまで郷愁をそそられる程の疎遠って訳でもないぜ」

口にした、その言葉が恐らくは発端だったのだろう。突然、白い世界に雨が降った。いや、雨と言い切ってしまうと語弊が有るかも知れない。冷たい訳じゃないし、地面やら服やらに落ちてもその滴は跡を残さなかったからな。
とは言っても雪のように降り積もりもしない。不思議空間にお似合いの不思議雨だ。実体が有るのかも定かじゃない。何せ、触れれば消えちまう。空を見上げても雲も青空も確認出来ない以上、解析不能だ。物理学の限界ってのは人間の心の中にこそ有るんだろう。
その雨は、ざあざあと。
閉鎖空間――いや、佐々木の心の中に降った。

「……ままならないね」

雨の中、姿勢を崩さず立ち続ける佐々木は言った。

「ああ、ロケーションにここを選んだのは失敗だったよ。進学する高校を選択した時と比しても見劣りしない選択ミスだ。僕の心の中ならば、こういった事が起こり得るのは少し頭を回せば予想は付いたのだけれど……だが、誰にも邪魔されないとなると、ここ以外には無いしね」

「……なんだよ、この雨?」

「お察しの通り」

察しは――付いた。

「僕の涙だ」

少女の、涙。顔で笑って心で泣いて。不器用なソイツの、宿主に代わりましての感情表現。
ハルヒの閉鎖空間で神人が暴れるのは、ハルヒのストレス……破壊願望の顕(アラワ)れ。それと同じように。心は誤魔化しようがない。
それが鉄壁の理性を持つ佐々木でも。いや、だからこそ。

「僕はね」

少女が一歩俺へと近付く。

「僕がね」

そしてもう一歩。三歩分有った俺とソイツとの距離はもう、一歩分しかない。

「君との再会を――この日をどれだけ待ち望んでいたか、焦がれていたか、キョンは知らないだろう?」

もう一度。佐々木の左足は地面から離れた。最後の一歩分を、詰めようと。

なぜだろう。俺は一歩下がろうとした。いや、理由は分かる。人とぶつかりそうになったらそれを避けようと動くのは、これはもはや本能だと言ってもいい。
だが、俺の足は上がらなかった。もっと正確に言うならば靴が地面に貼り付いていた。俺の方へと倒れ込みそうな佐々木の両肩を、こっちは動く両手でもって受け止める。
初めて触れた佐々木の体は、比喩は悪いかも知れないがまるで軟骨生物のようにぐにゃぐにゃとしていた。男の体とは、それは根本から異なる事を俺の脳髄に叩き込むのに十分な感触だ。
ああ、このシチュエーションはなんだ? なんなんだよ、このデジャブ(既視感)? いや、デジャブだとしていつのデジャブだ?
閉鎖空間で、少女の肩を掴んでその動きを押し止めて……そこまで来て、ようやく、俺は理解した。
ようやく、会話のすれ違いに気付いた。
ようやく、役者の入れ違いに気付いた。
ようやく、佐々木が何を目的としているのかに思い当った。
唐突な事態に呆ける俺へと、少女が唇を開く。花が、綻ぶようにゆっくりと。スローモーション映像、もしくは早送り映像でも見ているようだった。

「『私』」

佐々木の一人称が俺にこれまで向けられた事のないものに変化する。なんなんだ、なんなんだよ。
俺が知らないだけで、世界は確実に面映ゆい方向に進んでいたんだ。置いてけ堀食らってたのは、自覚の無いスルーパスでフィールド外にボールを弾き出していたのは誰でもない俺だったって事なのか!?

「実はハーレクイーンが好きなんだ」

宇宙人、未来人、超能力者。三者三様に好き勝手な事をコイツに向けて言いやがる。
だけどさ。だったら俺にとって佐々木はどういう少女なんだ? 高校受験をともに戦った戦友? 勉強を家に招いてまで教えて貰った家庭教師? いやいや、そういう外から見ても分かるラベリングじゃない。そういう事を自分に問いかけてるんじゃない。ないが!
だったらなんだ? 友人? 親友? そういった言葉で済まそうとしていただけだろう? 今はもう疎遠になっちまった。自分から連絡を取るのも何か下手な事を勘繰られそうな気がして気が引けた。
それってのはどんな感情だ? もしも佐々木を本当に、心底から友人として見ているのならそんな遠慮が必要有ったのか、いや無い!
ああ、だが! だからと言ってこの感情を明確に「それ」だなんて言えるのか? 「それ」じゃないなんて言い切る事は出来やしない。そういう部分も含んでいるのは認めよう。
だが、「少女は神様ではない」じゃないならそれは「神様である」なんて数学の問題みたいに上手くいくかよ!
二重否定が肯定の意味なのは英語文化圏だけで、ああ悪いが俺は奥ゆかしい日本人なんだ!

「君の自転車の荷台に乗っていた帰り道、私はまるで小説の中のヒロインであるような気持ちだったんだ」

そう呟いて、そして佐々木は俺の方を向いたまま目を閉じた。

何を期待されているのかは分かってる。これはあの時のリフレイン。だけどあの時と違うのは。あの時の記憶が俺に有るって事。
それは、選択肢。
どちらの世界を望みますか?
目の前に提示されたT字路。左に行くか右に行くかで、見える景色はまるで違う。なぜならそれは後戻りだけは決して許されちゃいないからだ。そういう意味じゃ、丸一年前のリフレインでもある。
佐々木の世界と、ハルヒの世界。きっとどっちに行っても俺は後悔しないんだろうさ。だからこそ、俺はここでだけは熟慮しなきゃならない。そうじゃないか?
目の前で震える睫毛、唇。抗い難い引力を発生させる。目を閉じてもコイツは美人だな、なんて今更だ。佐々木を今になってようやく異性扱いしてやがるとかお前本当に健康な男子高校生なのか? なあ、俺よ?
吸い込まれるように顔を近付ける。ああ、ここで状況に流されちまってもそれはそれで俺らしいかもな、なんて。
神様が居るんなら。きっと笑うんだろうよ。大爆笑だ。シナリオ通りだとかなんかそんな事言って。
俺らしく。
俺っぽく。
アイデンティティってのが希薄な俺であってもキャラ作りってのをまるでしてない訳じゃない。それはまあ、言葉遣いであったりだとか身の振り方であったりだとか自覚の無いレベルでの話だが。
それに身を任せるなら。
それが俺だから、とか自分に言い訳だって出来るしさ。そういうのも良いんじゃないか、って思うんだよ。
そうだな……佐々木の気持ちは分かった。ここまでされてまだ何も理解出来ないってんなら、初等教育からやり直ししなきゃならんだろう。
だから後は、俺の気持ちだ。
俺は。
誰が好きだ?
俺は。
どうやって生きていたい?
俺は。
どんな奴だった?
神様はサイコロで遊ばない。ここでハルヒを選んでも、佐々木を選んでも。どちらにしたって手の内の孫悟空。
だが……だが!
キャラじゃないとか、そんなんは知った事か!
こんなの俺らしくないとか、言いたきゃ勝手に言え! それでも、これが! この選択が「らしさ」じゃない「俺」なんだよ!
手の中の賽を投げ捨てた。T字路の、正面の壁に向かって。ざまあみろ。人を舐めんのも大概にしろよ、神(シナリオライタ)様。
裏も表も巻き込んでメビウス、賽子(サイコロ)の目は手榴弾。
佐々木の顔に唇を近付けて。
そして、俺は言った。

「タイムアウト」

時間制限を付け忘れたヤツが悪いんだよ。

「え?」

佐々木が目を開く。その目に涙が浮かぶよりも早く、浮かばせて堪るかと矢継ぎ早に、俺は捲し立てた。

「佐々木。お前の気持ちは分かった。こういうのはその場で返事を寄越すのが礼儀なんだろうが、礼儀なんてのを俺に求める所から先ず間違えてる気がしないか? 人選ミスだろ。それも致命的だ。
ああ、こういう事をグダグダ言うのが男らしくないってのは分かるが、だがその『男らしい』ってのが熟慮しないっつー意味なら俺は男らしくなくて結構だ。
ハーレクイーン、恋愛小説の代名詞だな。俺はそういう方面に関してはとんと無知だが、それにしたって『今、ここで答えを寄越せ』なんて告白の仕方はせんと思う。まあ、こいつは俺の思い込みだが。
体育館裏に呼び出して告白して、だ。そういう時のお決まりの台詞は『返事はいつでも構いません』と、普通はこう来るモンだろ。内心では今返事を下さいと思いつつも、それを言い出さず相手を立てる。……こういうのはどっちかってーと少年漫画のお約束なのか?
どっちでもいいが。そんな訳で俺は時間を求める。勘違いすんなよ? 別に断り難いから保留してるんじゃない。むしろ逆かも分からん。
佐々木。お前の事は好きだ。これは間違いない。だが、果たしてこれが友達としての好きなのか……いや、恋愛側の好きだとは思うんだよ。けど、自信は無い。確信も無い。
こんなんでお前の気持ちに答えたくない。分かってくれとは言わんし、お前としちゃ不満だろうさ。
しっかし……済まんが佐々木。俺はこういうヤツなんだよ。決断が早い、なんて流石のお前も思っちゃいないだろ?
だから、タイムアウトだ。棚上げじゃない。クイズ番組でも回答時間が設けられてないような鬼畜な番組は見た事がない、って事で頼む」

雨が、上がる。

「……分かった」

「分かって、くれたのか? いや、正直自分でも苦しい言い訳だとか思ってるんだけどな。っと、言い訳じゃない。言い訳じゃないぞ」

「二回言わなくても良いよ。それに、僕が分かったのは別の事さ」

「へえ? 何だよ」

佐々木は踵を上げた……んだろう、きっと。急にソイツの顔が迫ってきて避け切れなかった。

「んっ…………ふう。御馳走様。憎からず思っている相手なんだ。悪い気は、しないだろう?」

俺としちゃ、どんな表情を浮かべていいものかも分からずに、ただ立ち尽くすしかない。喜ぶとか、悲しむとか、そういうんじゃない。あのモヤモヤを何倍にも増幅したような。ああ、なるほど。これを言い表す言葉はそりゃ一つしかない。
精神病、だ。

「キョン」

呼び掛ける、少女の顔は目と鼻の先。距離を取ろうと考えないのはどうしてなのか。分からん。分析不能って事にしておく。
こっちの問題は棚上げしても誰にも怒られたりはせんだろうよ。

「なんだ?」

「悪かったね」

「……こっちこそ、だ。そう言わなきゃならん。恋愛感情ってのが、それが例え心恋(ウラゴイ)程度であったとしても世界を壊す理由になり得るのは知ってた……筈なんだけどさ。どうも、忘れてたみたいだ」

「くっくっく」

「何が、可笑しいんだよ?」

「キョン。君は日頃わざとやっているんじゃないのかと思ってしまう時があるよ。心恋なんて言葉を知っているとは思えない呆れる程の鈍感だ」

言って靴音二つ、離れる少女。視界が佐々木で埋められていた時は、気付かなかった。

「……うお……凄っ」

白色だった世界はいつの間にだろうか。鮮やかな桜色へと模様替えを果たしていた。その中央で笑う少女。季節外れに、桜吹雪の中。

「君とこの世界でたった二人、生きていくのもいいかも知れないと、そんな愚かな事を考えてしまったような、愚かな女だが、今後ともよろしく頼むよ。友人じゃなく、親友じゃなく、恋人候補として」

桜色の世界が、割れる。天井――っつーか、空か。空にゆで卵をテーブルにぶつけた時のような罅が入っていく。佐々木はそれを満足そうに見つめていた。

「満たされて、内側からの圧力に耐えられなくなった。そんな所かな」

一人ごちる、ソイツは空から視線を外し俺を真っ直ぐに見つめた。

「僕は、期待してもいいのかい?」

「さあな。サイコロの出目なんて俺たちの意志の外だ。だがまあ、お前を蚊帳の外にはしない。こっちは約束する」

「ただ、この為だけに君たちを危険に晒した女を、君は許せるのかな?」

「許すも許さないも無い気がするね。清濁飲み込んでプラスマイナスゼロだ。関係を始めていくんなら、ゼロからの方が良い事だってきっと有る」

桜のように、綻ぶ口元。

「……なら、済まない。頼みが有る」

「なんでも聞く」

「僕がようやくの思いで気持ちを打ち明ける事が出来たこの世界の明日を、守ってくれ」

「言われるまでもない。そのつもりだ」

「もう一つ。僕が好きになった男の子を、守ってくれ」

「まだ死にたくはないね」

頷いた。俺を見て少女は一筋涙を流した。閉鎖空間は、泣かない。だから俺にもそれが悲しい涙じゃないのは分かった。

「僕の想いは……やっと君に届いたんだ。産まれてから今までで、こんなに嬉しい事は無い」

罅はどんどんと浸食する。周りに有るビルまでもが、ぐしゃぐしゃになったプリントを広げたみたいになっていた。時間は、もう無い。

「後、一つだけ」

「欲張りだな」

「欲張りだよ、だから」

天井が、剥がれ始める。ちょっとしたスペクタクル、って感じに現実離れした景色。

「僕を……嫌いにならないでくれないか」

閉鎖空間が崩壊する。現実が戻ってくる。最後に俺が口にした言葉は、果たして佐々木に届いただろうか。

「何時寝るか、またメールしといてくれよ」

明日の夜、夢の中でまた会おうぜ。


[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!