ハルヒSSの部屋
オキノイシノ
夕暮れの部室だった。
手持ちぶさただった俺は手の中でトランプを弄(モテアソ)び、十分にシャッフルを終えて、さて古泉に本日の缶コーヒー奢り争奪杯でも持ち掛けるかねと考えた丁度そんな時じゃなかったかと記憶しているのだけれども、
記憶力にはほとほと自信が無いので、手にしていたのはトランプじゃなくて花札だったかも分からない。
そんな物覚えの悪い俺でも未だにはっきりと覚えているのは、落日に染められて燃える様に真赤な髪をした古泉の横顔だ。
憂い顔っつーのか、日頃笑顔を張り付けっ放しの少年エスパーでも、つい気が緩む瞬間ってのを持っているんだな、と。そんな当たり前の事がヤケに印象的だった。
まあ、深く考えるまでもなく機関の工作員だって人の子なんだ。そりゃ夕陽を見て物思いに耽る事もたまには有るだろうさ。
俺は微笑の貴公子の、ともすれば男顔の女性に見えなくもない(……いや、やっぱ流石にそれは無理が有るか)横顔に向けて手の中の花札だかトランプだかを振ってみた。が、古泉は気付かない。
疲れでも溜まっているのかも知れんが、しかし最近は神人が大暴れなんてニュース(皮肉と言い換えても良いぞ)もトンと聞いちゃいないしな。
ならば結論、平和ボケだ。この俺の華麗な推理に平伏せ、超能力者。真実はいつも一つとは限らないし、じっちゃんの名前だって情報操作で捏造は容易い!
閑話休題。

古泉が状態異常「心ここに有らず」なんて珍しい。朝比奈さんだったら日常茶飯事なんだがね。
中々無いレアイベントに遭遇した俺が興味本位からじっと見つめているその先で、あらぬ方向を見ながらぼんやりと、少年は囁いた。
「我が袖は、潮干に見えぬ、沖の石の(ワガソデハ シオヒニミエヌ オキノイシノ)」
「人こそ知らね、乾く間もなし(ヒトコソシラネ カハクマモナシ)」
古泉が呟いた言葉を団長机に座っていたハルヒが間髪を入れずに継ぐ。なんだなんだ? 突然、二人して。呪いの儀式でも始まったか?
「百人一首ですよ、キョン君。それにしても上の句に対してパッと下の句が出て来るなんて、涼宮さんは凄いですねえ」
解説&お茶のおかわりをありがとうございます、朝比奈さん。凄いと言うか……スペックの無駄遣いにしか見えないんですけどね、俺には。
「作者は二条院讃岐(にじょういんのさぬき)。呪詛ではない」
長門……うん。「呪われちまう!」とか本気で言ってたら俺はどんだけ痛い人間なんだい、ヘイ、ユウ?
そんな眼でずっと見られていたんだとしたら、ダディは悲しくて涙が出ちまうぜ?
「……ジョーク」
宇宙人の冗談は難しい。主に本気かどうかの見極めが、だ。何せ長門の表情には変化が乏しく……間違い探しじゃねぇんだからさ。ミリ単位は厳しいって。
コレが種族の壁ではない事を心の底から祈るばかりの俺だった。異文化間のコミュニケーションって難しいんだと改めて知る次第。合掌。
「和歌が、お好きで?」
そう団長に聞くのは当然ながら俺ではない。狩衣だか烏帽子だか、はたまた古代ローマ辺りの服装をさせてさえ様になりそうな対面に座るイケメンティウスだ。
俺がメロスなら断固として走らないとか徒歩最高とか……いや、容姿に嫉妬した訳じゃないからな?
俺の名誉の為にも、そこんとこはキッチリ理解しておいてくれ。古泉なら放っておいても自力で脱出する事、風の如し。
バイバイ、セリヌンティウス。
「別に好きな訳じゃないわ。百人一首全部の暗誦とか出来ないし。今のだってたまたま覚えてただけよ、たまたま」
容姿だけなら美少女と言って差し支え無いハルヒに「たまたま」とか連呼されるのは色々と困り物だと考えるのだが、どうだろうか。
この場で同意を求めた所で女性陣から冷たい視線を浴びせられるだけなのは分かっているから、絶対に口には出さないけどな。
俺の想像力が豊か過ぎる? まあ、根本からクリエイティブな男だし、否定はしない。知ってるか? 人間がCPUに唯一勝るのは発想力だけなんだってよ。
「和歌は偶然で覚えられるモノでは有りませんよ。何しろ常用している現代語ではなく古語ですからね。最低限、興味くらいは抱いて頂いてなければ」
毎回の古文の試験に頭を悩ませる僕の立つ瀬が有りません、と古泉は笑った。
対照的な面構えをしているのがハルヒである。不機嫌を表すアヒル口の出来損ないを貼り付けて、眉はへの字。
なんという微妙な表情か。ハルヒは珍しく「こんな時、どんな顔をすれば良いのか分からない」顔をしていた。
笑えば良いと思うぞ……じゃなくって。
ハルヒに助け舟的な声を掛けようかと思ったが、しかしながら、俺にはなぜ少女が困惑顔(多分)をしているのかが分からない為、結局開閉を繰り返す口からは二酸化炭素くらいしか出て来なかった。
和歌の内容が話題に関連しているのだとしたら独力での状況判断はお手上げだしな。
心の中で万歳万歳と両手を上げ下げしていると、朝比奈さんが湯呑みを片手に俺の隣まで来て、そして耳元でそっと囁いた。
「恋の歌なんです、さっきの」
解説は助かる。しかし耳元はマズいですよ、メイドさん。俺の理性を司るであろう数値が、毒に侵されたみたいに眼に見えて減っていくのが分かっちまう。
花の様な少女の纏う、蜜の様な匂いが俺の鼻孔をくすぐる。それだけでいつもの部室を天国と勘違いしそうになる俺は、どんだけ浅ましい生き物なんだろうな。
「はあ。恋の……ですか」
「はい。それをピンポイントで覚えていたんですよ、涼宮さん」
朝比奈さんはふわりと笑った。この人、もしかしなくても体重とか無いんじゃなかろうか。背中に羽が生えていたとしても不思議がるどころか、造物主には惜しみないGJを拍手と共に贈らせて頂きたい次第だ。
「可愛らしい所、また一つ発見ですね、キョン君」
……また?
「え? ああ、朝比奈さんは今更追発見する必要なんてどこにも無い程可愛らしいですよ?」
天使の生まれ変わった少女は顔を赤く染めて(差し込む西日のせいだけではあるまい)、声を潜(ヒソ)めつつ叫ぶというなんとも難易度の高いチャレンジをやってのけた。
「可愛らしいのは涼宮さんですよっ!」
「は?」
うーん……「可愛らしい ハルヒ」で脳内検索を掛けても該当ページはおろかイメージ画像すら出て来ないのは気のせいですか、朝比奈さん?
目の前のメイドさんや椅子に座って静かに本を読む文学少女の画像なら、部室PCのフォルダに俺コレクションが幾らでも眠っているのだが。
閑話休題。

「さっきの『オキノイシノ』ってヤツがですか?」
「はい」
「恋の和歌だって、よくご存じでしたね?」
未来人と和歌。ベクトルにしてみたら恐らく正反対で、対消滅しそうな組み合わせだ。鰻と梅干し、みたいな。
アレは組み合わせじゃなくって食い合わせか。だが、流行の最先端はコーラにメントスだぜ?
あ、良い子は実践すんなよ。比喩じゃなく腹が爆発するからな?
……また話が逸れちまった。

「キョン君、女の子はお気に入りの和歌を一つ二つ持っているモノなんですよ」
そう言って少女は星さえ蕩けそうなウインクをする。実感→可愛いは正義だ←結論
「ちなみに朝比奈さんも持っていらっしゃるんですか? その……お気に入りの和歌ってヤツを」
俺が聞くと、朝比奈さんはエプロンドレスから筆ペンを取り出して、机上に放り出されていたプリントの切れ端にサラサラと文字を書いた。
「四次元ポケット!?」
「普通のエプロンです」
「猫型じゃないですしね」
……猫耳未来人か。有りだな。うん。有りだ。
「ロボットでもありません」
朝比奈さんは意外にも達筆であった。もっと丸っこい可愛らしい字を書くと思いきや。
「筆ペンだと字が変わるんです、私」
ああ、そういや元は書道部でしたね。勿体ない。
美少女×未来人×書道×巨乳×コスプレ。売り方さえ間違えなければ大成間違いなしの器量だというのに。未来人は兎も角として。
プロデューサーがハルヒなのが致命的過ぎるよなあ……。
俺が一人勝手に途方に暮れていると、朝比奈さんから書き終わったばかりの紙を差し出された。
「今は唯、想い絶えなむ、とばかりを、人づてならで、言ふ由もがな(イマハタダ オモイタエナム トバカリヲ ヒトヅテナラデ イフヨシモガナ)」
「ユヨシオナガ? 絶滅したニワトリか何かですか?」
「違います」
朝比奈さんが眉を潜めて俺を見るが……ごめんなさい。音読までして頂いて非常に心苦しいのですけれど……内容サッパリです。
古文などという社会に出て使わない教科トップ2に俺が注力している話は当然ながら有りはしない。
ちなみに一位はぶっちぎりで英語だ。俺は生涯に渡って日本から出る気は欠片も無いんでな。
日本最高。古文は意味不明だが、分からないから「こそものぐるおしけれ」とやらさ。
「さっきの和歌の解説をお願いします」
「禁則事項です」
……。
……。
いやいやいやいやいやいや。
和歌の解説に未来から制限が掛かってるってオカしいですから。新解釈? 古代史を揺るがす新見解でもその和歌に有ったんですか?
「有りません。ですが、私の口からは……内緒です」
興味が有ったら自分で調べなさいって、素晴らしい教育方針だ。ああ、朝比奈さんの子供が本気で羨ましい。
だって吸えるんだぜ? 何をとは言わねえけどさ!

さて、俺が美少女メイドさんと徒然に会話している間にハルヒはどうやら帰ったようだった。珍しい。声くらい掛けていけよと愚痴ったら対面から俺に声が掛かった。
「やってしまいました」
古泉が微笑と苦笑の間という、どっち付かずな顔をしている。やっぱりコレもざらには見ない表情で。
「間接的にですが……結果から言うと涼宮さんをからかってしまいました」
「何やってんだ、お前。職務に真っ向から反発する反抗期が今更やってきたのか?」
どうやら今日はレアイベントの一斉大売出しらしい。

帰り道、古泉の語った所は……といっても掻い摘むまでも無い短い内容だった。
ハルヒは百人一首の中でも恋を主題にした歌に集中して記憶力を発揮している。そう踏んだ古泉は覚えている限りの恋に因んだ歌の上の句をハルヒに振ったそうだ。
最初の内こそ新しい遊びが始まったと(負けず嫌いな気性も一因だろう)意気揚々下の句を答えていたハルヒだったが、何首目かで自分に投げられている上の句に一定の傾向が有る事に気付いたらしい。
ほんのり赤み掛かった頬で古泉をキッと鋭く一瞥すると、音も無く鞄を引っ掴んで廊下に飛び出して行っちまったって訳だ。
「いや、お前がそんだけ和歌を記憶している事に先ず驚いたよ、俺は」
「恐縮です」
「あー、つまり恋歌ばっかり記憶している事をお前に悟られたハルヒは、バツが悪くなって逃げ出した……この理解で合ってるか?」
「ええ。逃げる必要は特に無いと思うのですけれど。乙女心とは僕達、男性にとって永遠の謎ですね」
上手い事、綺麗に話を締めようとするな、馬鹿。
「アイツは『恋愛は精神病』論者だからな。格好が付かないんだろうよ」
やれやれと一つ呟いて伸びをする。秋も深まってきた今日この頃は、帰宅時にもなると街灯が点灯し出す程度には薄暗い。
「アルバイトは大丈夫なのか?」
問い掛けに、先を歩いていた古泉は足を止めて振り返った。
「おや、貴方が僕の心配をしてくれるのですか? これは嬉しい誤算ですね」
「ちょっと気になっただけだ。深い意味は無い」
俺は前に出す足を止めず、ソイツを追い抜く。少年は後ろから付いて来た。
「閉鎖空間は出ていないようです。苛立ちではなく羞恥だったのでしょうね。助かりました」
「ちっ……つまらん」
「貴方も酷い人だ」
古泉の押し殺す様な笑い声を聞き流し、俺は今日の晩飯とテレビ番組の予定について考えながら坂道を歩いていた。
ぼんやりとしていたのだろう。足元が暗かったのもいけなかった。
何かを踏んづけたと気付いた時には、既に視界が真上を向いていた。きっと傍目には見事な転倒振りだったのだろうと思う。
「痛ってええっっ!!」
咄嗟に突いた右の手のひらからは、じわりじわりと赤い液体が染み出してきていた。出血にはまるで止まる様子が見受けられない。
「ちょ……大丈夫ですか?」
「いや、大丈夫じゃないな……見た目よりも大分ザックリといっちまってる。結構痛い」
「縁(ヘリ)に手を突いたのがマズかったですね」
救急車を呼ぶ程ではないが、電車に乗る事が躊躇われるレベルの怪我に顔を歪ませて辟易している俺に古泉が言った。
「僕の部屋、この近くなんですよ」
一も二も無いとはこの事だった。

古泉に案内された、どこにでも有りそうなマンションは、しかしどこにでもある住居に擬態しているだけで、ちょいとそこいらじゃ見掛けない程には人の住家とは言えなかった。
生活臭がまるでしなかったのが原因。
長門の部屋と比べて確かに必要最低限の家具は有る(アイツの部屋には必要であるモノすらない。箪笥とかな)。
……有るのだが、にも関わらず古泉の自室として通されたここは住居としちゃどこか不自然に見えちまうのは、なぜか。
簡単だ。人間がそこで生きている限り不可避で生じる筈の痕跡が全くと言って良い程に見当たらないからに決まっている。
そう、痕跡。具体的には洗濯物やゴミだ。
どこからどう見ても、外観からも内に入ってみても独り身用の2ルームマンションで、それを裏付けるように室内には俺達以外の気配は無い。
もしも俺の予想通りに古泉の一人住まいであるならば、部屋は少しばかり散らかっていても反(カエ)ってその方が自然な気はするんだけどな……。
中に入る前に玄関で待たされた(今日のコレが予定外の来訪である事の裏付けだな)のも二、三分といった所だった。そんな短時間でここまで人が住んでいる形跡を消す方法を俺は知らない。つーか、出来る訳ねえ。
グルリと部屋の中をもう一度見てみる。
同居人が居る居ない以前に、この部屋にはそもそも人が住んでいる感じがしない。いや、家具はそれなりに揃っているし「住まい」なのは認める。だけど、どちらかと言えば「住まいのショールーム」の方がこの部屋の印象として腑に落ちる。
もしかしなくともハウスキーパーでも雇っているのかも知れない。ああ、そう考えればギリギリ納得はいくし、逆にそれ以外の納得いく予測が一つとして立たない。
それにしたってエラく実力派なハウスキーパーもいらっしゃるモンだ。自宅でありながらホテルみたいな整然さは……なるほど、コレがプロの犯行ってヤツかね。
整い過ぎていても逆に落ち着かないんじゃないかと他人事ながら訝しんでしまうのは、俺が心の底から小市民だからだろうか。ほっとけ。
誤解されても困るので一応弁明させて貰うが、俺だって自室の四隅にマーキングをして縄張りを誇示する趣味なんてのは断じて持っちゃいない。そんなイメージ画像を頭に描いたヤツは今すぐ記憶を消せ。この件に関してのみ俺から長門に頼んでやっても良い。
話が脱線した。
結論。古泉の部屋からは「俺の城」的な主張が砂粒程にも見出だせんかった。
と、初めて潜入した超能力者の部屋に関してつらつらと語ってはみたが、そろそろ飽きた。結論も出たようなので、次の言葉で状況分析の方は締めさせてくれ。

まあ、古泉の不思議な生態とかは割とどうでもいいんだけれども。

「……一人暮らしだったんだな、お前」
「僕の本業はご存じですよね。つまりはそういう事です」
「本業? 高校生だろ?」
「さて、どうでしょう?」
慣れた手付きで俺の右手に包帯を巻きながら古泉は言った。顔はいつも通りに笑っていたが、声から少しだけ寂しさを感じたのは……俺の気のせいって事にしておく。
一応、今日の所は恩人だからな。多少は気も利かすっつーモンさ。
「救急箱とか部屋に置いてあるのな、一人暮らしなのに」
「以前に言いませんでしたか? 機関では幾らか血腥(ナマグサ)い事もやっていますので。……救急箱のお世話にならずに済めば一番良いのですけれどね」
意味深にニヤリと笑う少年エスパー。あまり深入りしたくない話題だな。藪を突いたつもりも無いのに蛇と強制エンカウントさせられた気分だぜ。
「救急箱なんて所詮気休めですけれど、それでも備え有れば憂い無しというヤツですよ。入り用になる事態について詳しくご説明しましょうか?」
「お断りだ」
「即答ですね。残念だ」
「なら少しばかり残念そうな顔をしてみせろ」
男子として、少年として、ハードボイルドな生き方には多少心惹かれないでもない。だが、世の中には知らなければ良かったと後悔する側面が確かに存在する事を、俺はこの一年半で嫌と言う程教え込まれた。
人間は学習する葦である。進歩が無いのは谷口のナンパ術だけで十分だ。
「何を勘違いしているのかは知らんが、俺に厄介事を進んで背負う気は無えよ」
「そうですね……ええ。きっと、その方が良いでしょう」
チラリと俺を一瞥する眼に、僅かばかりの陰りが宿っている。傍目には判で押した様な代わり映えの無い笑顔に見えるだろう。
しかし。
それなりに短くない付き合いから俺は知っていた。基本的に古泉は感情を殺すのが下手な部類だという事実。
ポーカーフェイスがもうちょいまともに出来るヤツだったらば、俺はもう少し骨の有る放課後の暇つぶし相手を手に入れていただろう。
……つまりは、そういう事だ。
基本的に古泉一樹という男は偽悪者で、善人で、根が朴訥なんじゃないかと俺は考えている。秘密機関の工作員とかにはこの男、実は性格的に向いていないよな、とも。
……今度、秘蔵のエロ本でも貸してやるか。労(ネギラ)いの意味と今日の恩返しでも込めて。
「そういう痛そうなのじゃなくて、もっと一般的な話なら普通に付き合ってやるよ」
「残念です。こちらの内情を貴方に理解して頂ければ、少しはバイトが減ったかも知れないのですが」
マグカップを差し出しながら嘆息する少年。
「ああ、コーヒーです。熱いので気を付けて」
「出来ればテーブルに置いてくれ。この通り右手が使えないんだ。片手で受け取っても良いが、熱いんだろ? 今の俺は驚いてマグカップを取り落としかねない」
「ああ、これは失礼。話に夢中で貴方の怪我の事を少しばかり失念していました」
トンとマグカップがリビングダイニングの低いテーブルに置かれた。丁度その時だった。古泉の腰辺りから音楽が流れ出して。
どんなセンスの着メロだ、古泉一樹よ。センスが良いのは間違ないが、ちょいとセンスも切れ味も良過ぎるな。
「……イギー=ポップがご立腹だ。犬になりたいって叫んでやがる」
「ご想像の通り、バイトの呼び出しですよ」
戦う高校生はケータイの着信を見て溜息一つ。
「コーヒーをたった今出した所だというのに……いやはや、タイミングが悪い」
「いや、事情が事情だし、俺もさっさと飲み干して帰るよ……づ熱っちぃ!?」
淹れたばかりのコーヒーは恒星の如き熱量をもって、俺の立案した一気飲み計画を実行に移すより早く、そして鮮やかに打ち砕いた。
俺が魅惑の琥珀色と格闘している様を見て古泉はクスリと笑う。
「慌てなくても構いませんよ。貴方は怪我人ですし。僕は出て行かなければいけませんが、どうかゆっくりしていって下さい」
友人をここに招待したのは初めてなんですよと、古泉一樹は柄にもなく「はにかんだ」。
「いや、俺だって何時になるか分からんお前の帰りを待つ気は無えしな……」
「だったら鍵を渡しておきますので、帰りに郵便受けに入れておいて下さい。あ、そうそう。飲み終わったらマグカップは流し台にお願いしますね」
「……え? あ? おい、古泉っ!」
混乱から回復した俺が反論するよりも早く、スマイルゼロ円は颯爽とこの部屋のモノと思しき鍵をテーブルに置いて、そしてやはり颯爽と部屋の外に消えていった。
基本的にSOS団の人間はどいつもこいつも自分勝手だ。
「……なんだなんだ、この展開は?」
古泉の自室に俺一人。全くこのシチュエーションに必然性が見えて来なければ、俺は一体なぜここに居てコーヒーを啜っているのだろうと自問。
コーヒーは少なくとも缶のヤツよりよっぽど美味かった。ああ、美味かったさ。だけれども、それが何だってんだ?

「好奇心、猫を殺す」という諺(コトワザ)が有る。
俺だってそのくらいは知っているさ。意味する所もな。
だが待って欲しい。ここでその言葉を持ち出すのは卑怯だ。
だってさ。一体、どこの誰にこんな展開の想像が付くんだよ?
今回ばかりは本気で運命を司る三女神とやらに問いたい。問い詰めたい。小一時間問い質したい。
なぜ、俺にばかりこんな洒落にも何にもならない試練を突き付けるのかと。
俺は一度だって「天よ。艱難辛苦を我に与えよ」なんて言った覚えは無い。非常に迷惑だ。
覆水盆に返らず。始まってしまったモノは仕方無いという見方も出来なくは無い。
で……試練だとして? 試されてるのはなんだ? 肝っ玉? いやいや、勘弁してくれよ。
そりゃあさ。俺だって悪いですよ。悪かったっすよ。謝って済むのなら幾らでも土下座してやるともさ。
家主の不在を良い事に、いつもなんとなーくミステリアスなエスパー少年の私生活を垣間見るチャンスだと。
うさん臭さの正体を探り団長及び団員に報告しなければという奇妙な使命感に駆り立てられ。
いつも涼しい顔をしている美形でもやっぱり下半身は同じで、狼だったんだなと安心する為に。
俺はプチ家探しを敢行した。
……敢行してしまった。
多分あの判断がセーブポイントであり、かつターニングポイントだったのだろう。
やり直しを要求する際はどこに連絡すれば良いのかが分からない。
人間って操作周り(インタフェイス)が不便だと思わね?
クイックセーブとクイックロードくらい付けておけってんだ。時代は二十一世紀だぞ?
人生はノベルゲーにも劣るよなぁ。
閑話休題。

俺はこの「人間臭さに欠ける部屋」に少しでも「古泉らしさ」を見出だそうとしたんだと、後になってそう思い返す。
部屋は持ち主を映す鏡ってのはよく聞く話だろ。整理整頓され過ぎて逆に不愉快な、こんな部屋が「古泉の本質」だと考えて少しばかり残念な気持ちを一方的に抱いちまった、「それ」を俺は否定したかったんじゃないだろうか。
ま、何を言っても、格好を付けても、だ。
その日、その夜、その時間。リビングに隣接した古泉の私室には「アイツだって男の端くれ。絶対にエロ本やらエロDVDを隠してやがる」と念仏の様に繰り返しながら机の引き出しを引っ掻き回す男子高校生の姿が有った。
っていうか俺だった。
うん、マジで何やってんだって感じだよな。だが、古泉は俺を自室に入れる前「少々片付けさせて下さい」と即侵入を断った。
そこから導き出せる事なんて、俺には一つ考えられない。
たとえ秘密機関の工作員とはいえ、青少年なのだから。

「……だからさ……押し入れの中に女の子を隠す時間が必要だった、なんて誰が思い付くってんだ?」
少なくとも俺には無理だったね。ああ、そんなご大層なモン隠してたとは夢にも思わない自信が有る。
さて、明確な、読み間違えようの無い文章にして、端的に状況を説明してみよう。

家主不在

部屋

押し入れ

開ける


には
美少女

寝ていた
まる。

ドラえもんじゃねえんだからさ。押し入れを寝るスペースとして認知するには一世紀程気が早いと思うぜ?
……いかん。動揺しまくってるせいか、俺のツッコミがどうにも的外れだ。
でもさ、仕方無いじゃないか。
どうか、どうか想像して頂きたい。
友人の部屋でエログッズを探していて美少女(人形ではない。念の為)を発見。
ビックリし過ぎて心臓が止まるかと思った経験は過去に何度か有るが、宇宙的でも未来的でも超能力的でもないイベントとしちゃ過去最大級の驚愕だった。
押し入れ開けたら眠る美少女って……なあ?
どんだけ特殊な趣味してんだよ、古泉。マジで尊敬する。幾らでも敬ってやる。
……だから、勘弁して下さい。
運命の神とやら。コレがお前のシナリオ通りかどうかは知ったこっちゃねえが……俺は断固として一つ前のセーブポイントからのやり直しを要求する!

……俺の要求なんて通った例(タメシ)が無いんだけどさ。

その少女は、
不『可解』で、
不『明瞭』で、
不『思議』で、
不『穏当』で、
不『気味』で、
そして、
不『愉快』な程に、
不『自然』だった。

いや、男の一人暮らしの部屋の、その寝室の押し入れに入っていたのだから、それを自然に感じる方が非常識だとか、日頃どんな爛れた生活を送ってるんだお前とか、そんな一般論は分かる。ああ、分かるともさ。
だが、そういうのとは、なんかこう……違った。一般論とか常識とか、そんなトコとは違うステージでの違和感。確証は無いが確信を持って断言しよう。

また非常識な案件が始まっていやがるぜ、これは。

押し入れに「入っていた」と言うよりも「収められていた」の方が彼女の状態を言い表す上で適当じゃないのか。
少女を見ながらこんな場違いな疑問を抱く程度には、俺の頭は極めて冷静に現実逃避をしているんで、その辺りを加味した上で以降を読んでくれると助かる。
だってな。正直な話、俺には正確に現状を伝えられる自信が無いんだよ。何事にも動じない悟りなんざ開いた過去も記憶も持ち合わせの無い単なるしがない一般人なんだ。
宇宙的な未来的な超能力的な耐性が俺に全く無いかと言えば(余り歓迎したくない事実では有るが)、ああ、それは嘘になるだろう。
だが、リアルでギャルゲな展開に対しての耐性は、それこそ皆無と言って良い。年齢=彼女いない歴を舐めるなよ?
そして、押し入れの中で眠るのは薄暗い中でも光輝いて見えるかのような美人。どっかの海賊漫画で喩えるなら「あの覇気で三千万はオカしいと思ったぜ」って感じ。
平凡を絵に描いてもみあげを足した様などっかの主人公なんざ気圧される事受け合いだ。
つかな。「友人の部屋の押し入れ開けたら美女が居ました」なんて混乱しない方が少数派だろ。まだドラえもんの方が腑に落ちる。
てかマジで助けてくれ、ドラえもん。運命の悪戯が俺をいじめるんだ。
……我ながら大分脳味噌とテンションがオカしい。
閑話休題。

瞼(マブタ)を閉じたままの少女を何の気なしに(って事にしといてくれ!)注視しながら……俺はその寝姿になんか引っ掛かった。
ああ、引っ掛かったって言っても物理的なモンにじゃない。あくまで「気になった」の前段階な。
ピアノ線を踏んづけてトラップカード発動! とか、そんな展開ではないので安心してくれ。
眠り姫の寝室(何度も言うように押し入れの事だ)へと無断で入り込む不逞の輩(この場合は俺)に対して罠が仕掛けられていても、それは別段オカしくはないかも知れん……が。
幸いにもと言うべきか。どこからもボウガンの矢が飛んで来る事は無かった。
古泉の私室だから、そんな事は絶対無いだろって? いやいや、逆にアイツなら罠を仕掛けてそうな気はしないか?
ほら、想像してみたら案外しっくり来るだろ、黒古泉(あくまで、超能力者ですから)。
そんな事を思い浮かべちまったからだろうか。古泉がどこかで俺を見て嘲笑っているような気がした。背中に嫌な汗が一筋つつーっと流れる。
反射的に神経を張り巡らせて……そこかッ!?
背後……具体的には衣装箪笥上方から送り込まれている視線(?)を感じ取った。感じ取れちまった! 俺=一般人って前提丸崩れで涼宮ハルヒシリーズ完!
「見える! ラ○ァ、私にも見えるぞっ!!」
振り向いた際に放った台詞は……まあ、お約束ってヤツだ。
いよいよ俺も人外めいてきた気がするのだが、SOS団で日々経験値を稼いでいれば視線感知くらいのスキルは手に入れていても、しかし許される気はするよな。
等と阿呆な事を大真面目に考えてしまうのは今流行のゲーム脳とやらに俺も染まっているからだろうか。
とは言え、実際にはベッド脇の姿見越しに何か光ったのが見えただけなんだけどさ。
箪笥の上に手を伸ばす。
そこに仕掛けられていたのは単なる小型の防犯カメラだった。光を反射していたのはごく普通のレンズ。不思議でも何でも有りゃしない。妖精でも出て来るんじゃないかと予測していたが、当てが外れたな。いや、勿論冗談だ。
しかし、それにしたって防犯カメラねえ……アイツも妙な趣味が……防犯カメラ?
いや、自分で言っておいてなんだが、サッパリ意味が分からない。
「……は?」
なんで防犯カメラ?
自宅にこんなものを設置する古泉のハイエンドなセンスに一瞬フリーズしちまった。
「……有り得なくない?」
女子高生っぽく言ってみるも、事態は好転せず。する訳ねえよ。一人ボケツッコミ。
「いや、だってカメラの先に有るの……ベッドだぜ?」
就寝中の古泉は常に機関に監視(保護観察?)されているとか……それにしたって意味が分からん。
盗撮目的にしてはカメラの設置箇所が大胆過ぎるし。もしも自分の寝顔を狙うこのカメラに気付いてないなら古泉は相当抜けている。
……朝比奈さんならいざ知らず。あの抜け目の無いニヤケ面が気付いていない筈が無い……か。
つまり、このカメラは古泉が承知の上でセットされていると考えるのが一番妥当だ。しかし、なぜ?
「……いや、順序立てて考えれば割と簡単な話じゃないか?」
俺は押し入れで眠り続けている少女を見つめた。
「きっと古泉のベッドじゃなくて、この娘のベッドなんだ」

古泉は俺を部屋に入れる前に散らかっていると言って、多少の時間の猶予を俺に求めた。まぁ、知人を部屋に入れる前に片付けておきたいというその気持ちは分かる。
だが、今回はちょいと事情が違う。時間を求めた相手は怪我人である、この俺なのだ。それも結構悠長な事は言っていられないレベルの傷。……少しばかり腑に落ちない。
もしかしたら、それはつまり、何としても俺の眼から隠さなきゃいけないモノがこの部屋には有ったって、そう考えるのは決して強引な推理じゃない筈だ。
そして、その「隠さなきゃいけないモノ」……言い換えれば「俺に見せられないモノ」とは何か?
決まっている。
俺の目の前で眠る少女だろう。
それ以外に考えられないし、家探ししても彼女以上にインパクトの有るモノが出て来るとは思えない。
以上、古泉が隠したモノとはこの少女でほぼ確定であり、ならば……この娘は押し入れに仕舞われる前はどこに居たのか。
ずっと押し入れに居たのか。……いや、違う。
「この、カメラに四六時中見張られたベッドに眠っていた、だな」
そう。その確信を持って室内を見てみれば確かに、整った部屋の中で唯一ベッドメイクだけが乱雑だった。
……ここまで思い当たってようやく気付く。
見なかった振りをして穏便に済ました所で、俺がこの少女を発見してしまった事実は一部始終防犯カメラが捉えている訳で。
「……やっちまった」
それはつまり厄介事が、また始まったという意味に他ならない。
それはまた、厄介事から逃れられなくなったという意味でも有る。
だけど、いつもと違うのは。
今回のイベントのトリガーを引いたのがハルヒでも長門でも朝比奈さんでもなく。
誰でもない、俺自身だったって事なんだ。
恨むぜ、この胸の内に詰まった溢れんばかりの好奇心を。
これじゃハルヒの事を言えやしないじゃないか。
事件はまだ始まったばかりで、いや、始まってすらないのかも知れないが。それでも今回のこの「眠り姫」に纏わる一連のイベントを消化した時に俺に残される教訓は、もう嫌って程に理解したからイベント途中で強制終了とか出来ないか?
……出来ないよな。
俺は溜息と共に今回の教訓を吐き出した。
「好奇心、猫を殺す」
良い子の皆は人の部屋を家探しとかしちゃダメだぞ? お兄さんとの約束だ。

決して変な意味ではなく、まして邪な行為でもない事を先ずは釈明しておく。
少女の肩に手を置いているのは、彼女を揺さぶり起こす為だ。それ以上ではなく、また、それ以下でもない。それ以外には有り得ないのだという事を十分に理解したら読み進めてくれ。
……後ろ指を差すな。
確かに? 俺は色々と若さを持て余し気味の健全な男子高校生だ。それは認める。認めようじゃないか。
しかしだ。それにしたって、眠っている少女相手に狼藉を働く程に狼でもなければ、そんな大それた真似が出来る様な心臓は持ち合わせが無い。
心は鶏肉で出来ている。臆病者or変態の二択なら迷わず前者。ヘタレ呼ばわりで結構だ。
「っつーか、ぶっちゃけタイプじゃないしな」
誰に対して釈明しているのか。自分自身にか。違いない。
自分の女性の好みなんてモノを自覚した事は一度も無いが、そもそも選り好み出来る身分だとも思っちゃいないが、しかし朝比奈さんに常日頃心惹かれる事から鑑みるに多分、俺は保護欲をそそられる感じの女性が好きなのではないだろうかと考える次第だ。
その点を十分に自分に言い含めた上で問題の少女を見る。
美人だ。うん。それは間違いない。可愛いというよりも綺麗といった容貌。閉じた眼を縁取る睫毛は長く。
緩くウェーブの掛かった髪は肩辺りまでのセミロング。ピンクのパジャマが少し似合わない。
「下級生から『お姉さま』とか呼ばれてても違和感無いだろうな、この人」
出て来る物語を間違えている気さえするのは気のせいだろうか。そしてこの場合は俺が間違えているのか、彼女が間違えてしまったのか。
マリア様が何を見ているのかなど知る由(ヨシ)も無いし、「世界を革命する力を!」とか物騒な事を言い出されるのも願い下げなんだがな……。
「眠り姫」がどんな容貌をしているのかは……少なくともキャラデザは「いとうのいぢ」ではない。「さいとうちほ」だ。うむ。
「この無駄な美形……もしかしなくても古泉の兄妹か?」
口に出してみて気付く。そういや、どことなく少年エスパー戦隊に似てなくもない。
具体的にここがそっくりだ、とかはパッと出ては来ないが……そうだな、強いて言うなら雰囲気が瓜二つだった。
親族まで例外無く美形かい。くっ。……羨ましくなんて無いからな。
さっきまで気付かなかったのがオカしなくらい、一度そう認識してしまえば彼女は、古泉の縁者である事を疑う余地など無いと言い切れる程に、
まるで鏡で映したかの様に、
左右だけでなく性別を反転させる鏡で映したかの様に、
彼女は完全無欠に女版古泉だった。

肩を揺さぶり。声を掛け。頬を弱く叩き。水で濡らしたハンカチを顔に乗せて……考え付く限りの、セクハラで訴えられない起こし方を試した。
ファーストコンタクトで彼女を不自然に、そして不気味に感じた理由をそこでようやく理解する。
少女は、俺が耳元で多少大きな声をあげても、まるで目覚める素振りが無かった。いや、もっと酷い。
気付くのが遅過ぎる。
「……『Sleeping beauty』?」
口から自然と出て来た言葉に愕然とする。せざるを得ない。おいおい、悪い冗談だろ?
少女の顔に当てられた、口許を覆い隠すハンカチは、しかしピクリとも動かない。
胸元を見れば、そこは一ミリたりとて上下しておらず。
少女は息をしていなかった。
「……マジかよ……冗談キツいぜ、古泉?」
咄嗟に脳裏に浮かんだ四文字熟語が「死体遺棄」だった俺が冷静で居られる訳が無い。
俺は少女から手を離して、隣のリビングダイニングへと舞い戻り、そしてマグカップの中に残っていたコーヒーを一息に啜った。
そして一言。
「もう限界です」
まるで夫のDVに耐え続けた傷だらけの妻の様に、全身の力を抜いてテーブルに突っ伏す男子高校生の姿が、そこにはあった。
ってゆーか、俺だった。

古泉の登場を心の底から待ちわびたのは、後にも先にもこの夜だけじゃないだろうか。
一生の屈辱。

ああ、言うまでもないかも知れないが、一応。
一時間後、疲れた顔で帰宅した古泉は、彼が扉を開けた瞬間に何者かによって放たれた渾身の右ストレートによって玄関に沈んだ。
全く、悼ましい事故としか言い様が無い。合掌。

「で?」
「『で?』とは?」
小さなテーブルの差し向かいで酒を飲みながらの、終止和やかなムード……になんてなる訳が無い。
酒を飲んだのだって「これが飲まずにやってられるか」という心境からである事は、わざわざ書かなくともご理解頂ける所だろう。
「あの押し入れの中の少女について被告の弁明くらいは聞いてやろうと思ってな」
「ああ、なるほど。玄関を開けて自室に帰ってきただけなのにどうして殴られなければならなかったのかが甚(ハナハ)だ疑問だったのですが」
「カッとなってやった。反省はしてるが、後悔はしてない。その反省にしたって、お前に手を挙げた事にじゃなく、浅慮にも怪我をした右手を使った事に対して、だ」
「酷い話です」
ああ、その両手をヒョイと上げる欧米風のボディランゲージが、俺の腹立たしさに油どころかニトロを注いでやがる。
古泉との間にテーブルが無かったら即座にもう一発お見舞いしてた所だ。
「余り過度な運動をなさると傷口が開きますよ?」
「その場合、開かせたのは確実にお前だけどな」
「ふむ。冗談はさておき……」
超能力少年の眼が細くなる。どうやらターン交替らしい。エンド宣言をした覚えは無いんだがな。
「彼女を見つけてしまったんですね? 見つからないように隠しておいたというのに、悪いお人だ」
ニヤリとチェシャ猫染みた笑みを浮かべ、それが笑みから続く一連の動作であるかの澱(ヨド)みない仕草で一息にグラスを呷るソイツ。
透き通ったワインレッドの安カクテルが、重力の存在を見る者に再確認させようとして、古泉の喉へと一目散に消えていった。
「なぜ、彼女が貴方に見つかってしまったのでしょうね? 一応、目には付かない様にした筈なのですが」
「……それに関しては謝る。家探しなんてのは人として最低の行為だった。スマン」
俺の謝罪に、古泉は右手人差し指を左右に振った。メトロノームに憧れているって訳じゃないだろう、きっと。
「貴方の部屋で勉強会を開いた、あの夏休み最終日を覚えていらっしゃいますか?」
「忘れられる訳ないだろ」
終わらない八月。ループを脱出したシークエンスの俺には非日常って感じは殆ど無いが。それでもあの時、確かに事件は起こっていて、そしてそれはその後に起こった他の事件の引き金にもなった。
忘れられるモノでは、あの夏休みは決してない。
「……その八月三十一日がどうかしたか?」
「貴方が言う所の『人として最低の行為』を、僕らが崇めている『神』がやっていらっしゃ……」
古泉の言葉は言い終える事なく途中で中断された。俺が左手でテーブルをぶっ叩いたからだ。
「……何も……出て来なかった……よな?」
古泉は目を逸らした。その方向には明後日しかない。
「ですから、僕は家探しをされた事に関して怒ったりはしていないのですよ。非難する権利もあの時見て見ぬ振りをした僕には無さそうですし……ね。いえ、むしろ逆に……貴方が僕にそこまで関心を抱いてくれていた事に嬉しくなってしまう程でして」
先の質問を軽く無視してそう言いながら、決して俺と視線を合わせなかったのは古泉なりの優しさだろうか。
「……俺の部屋で何か発掘したのか、ハルヒは?」
「……皆までは言いません。ただし、『神が望んだ事は現実になる』。この言葉で貴方ならきっと、あの日起こった事を悟ってくれるものと信じています」
超能力少年の神妙な顔付きは何よりも雄弁な回答だった。……これが飲まずにやってられるかってんだ!


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