ハルヒSSの部屋
Five billion out of one
俺達がこの部屋でこうして集まって笑い合っている事。
それは50億分の1の奇跡。



世界の終わりってヤツはもっとあっけなく来るモンだと思っていたんだがね。
俺は授業を聞く気にもなれず、まぁ、元から余り授業態度が良い類では無かったのだが、窓の向こう、落ちる紅葉を眺めていた。
あの葉が落ちるのが先か、私が死ぬのが先か、ってな。勿論、たった今はらりと落ちた銀杏よりも早く死ぬ事は無いだろうが。
しかし何にしろ、だ。この世界に時間は残ってはいないらしい。
柱を欠いたからだそうだ。
柱。

振り返っても、誰も居ない。机も、椅子も、匂いすら残す事無く。
涼宮ハルヒは消えた。そりゃもう綺麗さっぱりと消え失せた。
神様に見放された世界。
それが、今、俺の居る世界だ。
それでも未だ、俺は生きている。

「なぁ、明日世界が終わるとしたら、お前は何をする?」
部室でぼんやりと呟いた、俺の声は辛うじてソイツに届いていたらしい。俺としては別に返答が欲しい訳でも無かったが、それでも律義に古泉は喋り出した。
「そうですね。貴方を相手に白星を挙げてみたいです」
そう言って桂馬が跳ねる。だが、残念だな。勝負所で考えず、事前のプランに沿ってノータイムで打つお前じゃ今回も勝ちは譲れん。
「真面目な話だ」
古泉のあからさまな挑発には乗らず、銀将をずらす。超能力者は苦笑した。
「おや、桂馬には手を出しませんか」
「王手飛車取りとか、気付かない訳無いだろ。お前は戦法が大味なんだよ」
「手のひらの上、でしたか。いや、困りました。ああ、未練が残ってしまいます」
古泉が大げさにそう言って立ち上がった。どうやら投了らしい。負けた方はコーヒーを奢るという約束だったからな。
「なぁ……本気で。お前ならどうする?」
俺の震える声に、ソイツは被りを振った。
「僕の答えは貴方の答えとはなり得ません」
「それでも、聞かせてくれ」
この世界が終わる事を、知っているのはほんの僅か。谷口にも、国木田にも、こんな事は聞けやしない。
誰かと、共有したかったんだろうか。恐怖とか絶望とか、そんなんを。
「……分かりました」
少年が微笑む。なんでこんな時に、そんな顔が出来るのか、俺には不思議でしょうがない。
「お題は『もしも明日世界が終わるのなら』でしたか」
もしも、じゃないんだけどな。明日でも無かったが、しかし「近くその内」ではあった。
超能力少年は苦笑した。まるで、照れ隠しの様に。
「何のしがらみも無く、友人とゆっくり話をしてみたいです」
捨て台詞の様にそう言って、ソイツは廊下に消えた。



ハルヒによって世界は分裂した……らしい。俺も良くは知らない。
思い通りにならない現実を、アイツは受け入れようとして、それでも受け入れたくないと思う部分が有った……とかなんとか。
人間は白と黒だけじゃ出来ていない。大部分が灰色だ。まぁ、アイツの気持ちは分からいではないさ。
だがな、だからと言ってだ。
「現実を受け入れたい。でも、受け入れたくない」そんなんで、世界を二つに分けられたら堪(タマ)ったモンじゃないんだよ、こっちは。
一々、振り回される方の身にもなってみろ、全く。
まぁ、一応、事件は終息したらしい。世界は二つ有った内の一方「改変されていない世界」で存続していく事になったそうだ。
さっきから伝聞調ばかりで申し訳ないが、何しろこの事件の当事者は俺ではないのだから仕方が無い。
俺だって長門から聞いた話を古泉に要約して貰ってなんとか半分程理解したに過ぎないのだから。
事件の解決に奔走したのは間違なく「俺」なのだが、しかし俺ではない。
同姓同名、DNA判定をしたら「同一人物」と判断されるだろう少年の仕業だ。

ソイツは現実世界と微妙に改変された「ハルヒに都合の良い世界」が有る事に気付き、何をどうやったのかは知らないが、何がどうなったのかも知らないが……。
とにかく、ハルヒの眼を「現実から逸らさせない」事には成功したんだろう。
だから、改変されていない世界が続いていくのはハルヒがまた一つ大人になったって事で、それが喜ばしい事なのは分かってる。

問題は……いや、問題ですら無いのだが、俺を含めた「神様の都合の良い様に改変された世界」には未来が無いって事なんだ。

この今は夢の残滓。少女が一つ大人になって、自覚無く捨てていく世界。
別にハルヒを責めたい訳じゃない。あの十二月、俺はアイツの奇想天外な世界に死ぬまで付き合うと心に決めた。
だから、アイツをなじる言葉は出て来ない。
ただ、ハルヒの居ない世界で。「明日、全てが終わる」かも知れない世界で。
俺にはどうやって今日という最後の日を過ごして良いか分からないだけなんだ。
ああ、ヘタレと笑ってくれて良い。
自分の存在が未来に続かないとなってようやく……ようやく俺は自分の心に気付いた。
俺は、人生最後の日になるかも知れないってのに。
此処にはいないヤツの事ばかり考えている。
涼宮ハルヒの事ばかり考えている。

ああ、そうかい。
コレが恋か。確かにコイツは厄介な精神病だよ。



「具体的にはいつ終わるんだ?」
「不明」
「……そっか」
俺は溜息を吐いた。安っぽい椅子に座った少女の、髪が秋の風に揺れる。
少しだけ石鹸の匂いを含んだ、空気が俺の頬をくすぐる。
「春にも同じ様な事件が有ったよな?」
「そう。だが、細部が違う」
長門は読んでいた本を閉じると、その視点を俺に移した。
「あの時は両時空の同調を主目的として、合算世界とでも言うべき第三の世界を創った」
「今回、それをしなかったのはなぜだ?」
長門は眼を少しだけ伏せた……様に見えただけかも知れない。
俺が長門に同情を望んでしまっている、その事が俺に都合の良い表情を誤認させたのだとしても何の不思議も無かった。
「彼女は、世界に守られなくとも生きていける強さを望んだ」
……そっか。
「それで、改変されたこっちは……アイツが強くなるには邪魔なんだな」
「そう」
つまり、あの馬鹿団長は、自分で箱庭を創っておきながら、そこに逃げている自分を許せなかった訳で。

大人に……なったんだろうね、アイツも。でもなぁ……。
「作り物のご都合主義でもさ……」
俺は呟く。見上げた空は文句無しの秋晴れ。ああ、やってらんねぇ。
「俺達は生きてんだよなぁ」
「私達は生きている」
「なぁ。全く、神様の我が儘にも困ったモンだ」
やれやれと首を振る俺を、長門はじっと見ていた。
それに付き合って俺もちらりと宇宙人を見つめ返し……おっと、そうだ。
「なぁ、長門」
「何?」
「もしも明日世界が終わるとしたらお前は今日をどう過ごす?」
古泉にした質問をしてみる。すると、長門は制服のポケットから一枚のカードを取り出した。
眼を細めるまでもない。少女の手の中のそれには見覚えが有った。
コイツの私物なんてのはマンションを引き合いに出すまでもなく数少ない。その上、俺が見知っているとくれば、それはもう太陽系の惑星の数よりも少なかろう。
「本を返しに行く」
「今日が期限なのか?」
長門は数ミリ首肯する。律義を通り越して……何と言うか。
コイツには俺の質問の意図が正しく伝わっていないのではないだろうか?
「……世界最後の日なんだから、借りっ放しでもきっと問題は無いぞ?」
溜息を伴った呟きに、しかし無反応かつ無表情で俺を見つめる長門。
一分たっぷり沈黙した後でソイツが口を開いたのは、朝顔の開花の瞬間にすら見えた。
「貴方も、一緒に」
はい? 図書館にか? 別に嫌な訳じゃないが、しかし俺が付き合う理由を聞かせてくれるか?
「私が次に読む本は、貴方に選んで貰いたい」



「私はこの世界の未来の朝比奈みくるでは有りません」
衝撃の告白だった。いや、これまでの色々を放り出して「未来人」って肩書きまで捨ててしまったら、俺の過去がガラガラと音を立てて崩れてしまうのですが。
「……時間移動が出来る、世にも奇特な現代人ってオチですか?」
有り得ない話ではない辺りがまた恐ろしい。
「違います。この世界の私は既に存在していないんです」
存在していない。オーケー。その言葉を鵜呑みにしたとしましょう。なら、俺の目の前に居る貴女はどなたですか? 朝比奈さんの双子の妹とか?
「順を追って説明しますね。先ず、この世界から涼宮さんが消えました」
「消えましたね」
「すると、この世界は創造主にして禁則事項を失ってしまうので、近い内に禁則事項で未来が禁則事項なんです」
……いや、一生懸命ご説明頂いている所、非常に心苦しいのですが……正直サッパリ分かりません。
「……ううっ……す、すみません……」
「えっと……噛み砕くとこの世界には未来が無い、って事ですか?」
俺のフォローに、ぱぁっと顔を輝かせる朝比奈さん。なんかロゼッタストーンの解読に挑んでる気分だ……流石に比喩が大袈裟か。
「はい。涼宮さんと一緒に未来が無くなってしまいましたから、この世界から未来人である私も消えてしまいました……」
俺達より一足先に、か。さよならを言う暇もくれないんだな、神様ってのは。
ん? いや、だから俺の前に居る朝比奈さんはそしたら誰なんだよ?
「私は『続いていく世界』の方から来た朝比奈みくるなんです」
……はい、質問良いですか?
「どうぞ」
「どうやって此処に来たんですか?」
古泉から聞いた話では、分岐した世界でかつバッドエンドルートである「こっち」は、ハルヒがトゥルーエンドを選択した時点で「あっち」と切り離された筈なのだが。
「はい、その考え方で間違っていません。ここは時空という海に漂うボートみたいなモノなんです」
「朝比奈さんの居る『本物』の世界が陸地で、ここは……ボートはボートでも笹製ですね」
時を駆ける少女は俯いて、両手を胸の前で握り込んでいた。泣くのを堪える、子供の様に。
「どうやって来たんですか?」
「さっきの比喩で良いなら、船を使いました。詳しくはやっぱり禁則なんですけど……」
ふむ。どうやら、未来の時間移動には様々な隠しコマンドが有るみたいだ。今更、驚いたりはしない。
「……その……私は、向こうのキョン君から言われて」
「俺から? 何を言われたんですか?」
このタイミングで「用件」となれば聞くまでも無かった訳だが。



死亡フラグ。それってのは「この戦いが終わったら〜」とかいう台詞の後に来るモンだと思っていた……訳だが。
「恋の自覚も一種の死亡フラグではないでしょうか?」
「告げられない恋。残された想いと遺された手紙、ってか」
……違いない。俺は一時間弱掛かって未だ白紙の便箋を見ながら溜息を吐いた。
「そういうのって、萌えませんか?」
「止めろ、気色悪い」
既に何がしかを書き終えて、便箋を封筒に仕舞った超能力者は、それでもやはり笑っていた。
「あんまジロジロ見んなよ、書き難いから」
「心得ています。ですが、一つだけ」
古泉は人差し指をピンと立てて……なんだ? 天井には染みしか無いぞ。
「僕としては、折角貴方が自覚なさったのですから、この機会に是非とも涼宮さんへの想いの丈を綴って頂ければ、と」
「……あのなぁ」
そう呟きながらも、しかし古泉の言った通りの事をどう手紙に認(シタタ)めようかと迷っていた数十秒前までの自分に自己嫌悪だ。
「結構、本気なんですが」
その割には眼が笑い過ぎちゃいないか、超能力者。それはもう爆笑のレベルだぜ?
「仕方有りません」
「……何が?」
「涼宮さんがいなくなったこの世界では、僕はもう超能力少年ではないのですから」
そう言って、やはりソイツは笑い出す。だが、コイツが声を上げて笑う、ってのは案外珍しいか。
「そうか。そしたらお前も晴れて一般人の仲間入りかい」
「ええ。機関からも、勢力争いからも解き放たれた訳です」
まぁ、今日限りかも知れませんけどねと、付け加えた古泉は……いつもならそれは苦笑をするタイミングでありながら、その笑顔はちっとも曇っちゃいない。
「重荷だったのか? お前にとって……ハルヒは」
確かに慢性的睡眠不足の元凶では有るだろうし、文化祭上映の映画撮影をした時にコイツが見せた焦躁振りを知っている以上、愚問だったかも知れん。
が、しかし俺の予想に反して古泉は被りを振った。
「喉元過ぎれば、と申します。今となっては想い出ですよ。悪くない四年間だったとさえ、思っている位でして」
「……そんなもんかね?」
「そんなものですよ」
俺にはちっとも同情出来ないが、けれど古泉の表情は嘘を吐いている様には思えなかった。
「なら、なんでそんなに嬉しそうなんだよ?」
目の端のソイツは、しまったとでも言うみたいに口許を右手で覆う。だが、指摘されてから隠したんじゃ、幾らなんでも遅過ぎるだろ。
「これでやっと、貴方と含みの無い『友達』になれたと思ったんですよ」



「……お前は何を書いたんだ?」
「……何も」
「そっか」
長門らしい返事だと思った。コイツが手紙なんぞを書く姿が、そもそも俺には思い浮かばないからな。
「私の事は私が決める様に、向こうの私の事は向こうの私が決める。だから、必要無い」
大体、コイツが書くとしたら文章ではなく、去年の七月の様に同期する為の記号になってしまうのだろう。
もう、異時間同位体との同期はしないと、そう自分で決めた長門。
なるほど。納得だ。別れ際の手紙なんて、そんなのこの少女には似合わない。
「貴方は……」
ん? 何だ?
「貴方はもう一人の貴方との同期を望む?」
「望むって、そう言ったらどうするんだよ?」
俺の問い掛けに長門は、座る人間のいなくなった特等席の机上から便箋を一枚持ち上げた。
「同期」
「あー、つまりお前が前にやったみたいにか?」
少しだけ頷く少女。白く細い指で摘み上げた紙切れに例の奇怪な内容を書くんだろうな。
アレは俺みたいな一般人相手に効果が有るのか? 宇宙人や未来人だから意味が有るのではなくって?
「貴方用にアレンジを加える」
何でも有りかい。流石「万能」選手、長門有希だね。
「どうする?」
ブラックオパールの瞳を揺らす事無く聞く少女に、俺は首を振った。
縦では無く、横に。
「……そう」
「あっちの、事件解決に奔走した方の俺は、その俺で良いんだ」
言いたい事は有るのに、上手く、言葉に出来ない。歯痒い。
「俺はソイツに寄生してまで自分を続けようとする程、生き汚くないさ」
古泉を見習った訳ではないが、立つ鳥跡を何とやら。なるべく格好を付けてみたつもりだったのだが、そんなのは長門には通用しなかったようだ。
「嘘」
一刀両断もここまで来ると妖刀クラスじゃなかろうか。
「貴方は、有機生命体は、死を何より恐れる筈」
日頃の読書の成果だろう。長門は語調こそ変わらねど、はっきりと断言した。
「……その、消滅とか言われてもイマイチ実感が無いんだよな。だから、怖がる事が出来ない」
コレは本心だった。世界がどうたらと言われた所で、漠然とし過ぎていてイメージ出来ないのも確か。
古泉なら「『赤信号、皆で渡れば怖くない』ですか」とでも合いの手を入れるだろうな。
「その時が来たら、伝えに行く」
「ああ。頼むよ。俺だって辞世の句ぐらいは考えておくからさ」
長門は頷いた。ゆっくりとゆったりと。けれど、いつもみたいなミリ単位の動作ではなく、こっくりと。
「……その時には、貴方の側に居る」
「……ありがとうな」
俺は笑った。存外に清清しい気分だったのは否めない。



「なぜですか?」
少女の問い掛けに対して、生憎俺には上手い返しの持ち合わせが無かった。
溜息を吐きながら、こう言うしかない。
「分かりません」
なんて万能な返答だろう。万能さ加減においては長門と良い勝負かも知れない。
「死ぬのが怖くないんですか、キョン君は?」
残念ながら、俺はそこまで達観も達見も楽観もしていない。
死ぬのは怖いですよ。当然でしょう、朝比奈さん?
「それなら……それなら長門さんの申し出を受けるべきです!」
その長門が同期を止めた理由が分かるから、俺は……宇宙人に習うってのは変な話だが、しかし、ここで長門の力を借りたらヒトとして間違ってしまう気がした。
ヒトに何かを行動で教えられる程、ヒトらしくなった宇宙人が友達である事。少しだけ誇らしい。
そして、彼女を誇る為にも俺は、俺を続かせる訳にはいかないと思うんだ。
「俺は、宇宙的な未来的な超能力的な何かじゃなくって、極々普通の高校生でありたいんです」
周りは普通じゃなくても。いや、普通じゃないからこそ俺は俺でいる必要が有る。
理由なんか簡単だ。
俺が、何の取り柄も無い一般人が、SOS団に居るのは。
ハルヒがそのパーソナリティーを望んだから。
「俺は、SOS団唯一の『普通』で、アイツが……ハルヒが忌み嫌う『普通』な男で、でもアイツにとって必要なのは『普通』の奴なんですよ」
きっと、そうだ。だから余計な属性を持たずに済む選択肢が有るなら、俺は例外なくソイツを選ばなきゃならない。
「……キョン君」
朝比奈さんの赤く充血した悲しい瞳を見つめながら、言葉を続かせる。
「パンピーはパンピーらしく、手紙で用件を済ませる事にします」
こんなに愛らしい郵便配達員が手渡しするんだ。届かないモノなんか有りはしないだろ?
それが例え、心でも。
それが例え、恋心でも。
きっと朝比奈さんなら余す所無くキッチリ届けてくれるってモンさ。
「信じてますから」
俺の手紙を届けて下さい、SOS団の名誉有る副々団長サマ。
「信じられましたっ!」
そうさ。多少頬が濡れているのだってアクセント。少女には笑顔が一番良く似合う。
「必ず……必ずっ、お届けします、もう一人の貴方の下にっ」
俺は頷いた。頬が濡れているのは、どうやら彼女だけじゃないみたいだ。


「すいません、変な事を頼んで」
『手紙』を渡された少女の顔は、見るも麗しく真っ赤に染まっていた。
「……お届けします」
唇を撫でつつ囁いた、その眼はとても色っぽかった。



その夜、夢を見た。
文芸部室の扉を開けると、長門が窓際で本を読んでいて。
朝比奈さんがメイド服姿で急須に入れたお湯の温度を真剣な顔付きで測っていて。
古泉が俺の姿を認めて立ち上がり、棚のボードゲームを物色し始め。
俺は定位置となった椅子に腰掛けて、ぼんやりと視線を動かすんだ。

眼に映り込むのは、眉間に皺を寄せてPCを睨み付けるアイツ。

会いたかった彼女。
もう会えない少女。


辺りを見回すと、長門も朝比奈さんも古泉もいつの間にか煙の様に消えちまっていて。
けれど、俺はそれを不思議とは思わずに。むしろ当然とさえ考えながら。
ハルヒの顔を眺め続ける。
飽きず、飽かず。穴が空く程に、ずっと。
その内に少女は俺の視線に気付いて。
立ち上がる。
「何、人の顔をジロジロ見てんのよ?」
眼と鼻の先で仁王立ち。
「なんて言えば良いと思う?」
「言い訳くらい自分で考えなさい」
ネクタイを引っ張られて、強制的に立ち上がる。
「気障ったらしくなっても良いか?」
「言ってみなさい。それが情状酌量に値するかは聞いてからになるわ」
ああ、コイツってこんなに背が小さかったんだ。


「ミトレテイタ」


顔を赤く、怒り、困惑し、照れ、疑い。
どっかの怪盗みたいに二十面相を繰り広げた後、ハルヒは結局アヒル口を披露した。
「頭でも打ったの? それとも罰ゲームかしら?」
「頭を打ったのは去年の暮れだし、罰ゲームならこんな曖昧な台詞じゃなくて、もっとちゃんとした告白をさせるだろうな」
アヒル口が四角に変わる。
「あたしに状況の整理と推理をする時間を寄越しなさい」
「断る。有耶無耶にされちゃ堪らない」
四角い口が半開きで戦慄(ワナナキ)出す。
「はっはーん。ポニーテールね! アンタみたいな生粋のポニテ好きが血迷うのに十分な破壊力だったって事よ!」
「ああ、そうだな。血迷ったって事にして、迷いついでに世迷い言を言わせてくれるか」
口を横一文字に引き絞り、そのなだらかな喉がゴクリと鳴った。


「俺は」
「アタシは」
「お前の事が」
「アンタみたいなの」


「好きだ」
「ずっと待ってた」


どちらからともなく近付いて。
どちらからともなく腕を広げ。
どちらからともなく抱き締め合って。
どちらからともなく顔を近付け。

宇宙を内包した様なアイツの瞳の中には、今だけは俺しか映り込んでいなかった。

どちらからともなく、キスをした。
けれど残念ながら、全部夢の中。



「分岐した世界の数は50億に及んだそうですよ」
古泉の台詞を、長門が次いだ。
「それについては統合思念体の干渉が大きい」
言葉少ない少女の台詞は割愛させて貰おう。正直、覚えてないってのが本音だ。
長門による八割を理解不能の専門用語によって修飾された話だが、古泉ディクショナリを使って噛み砕くと以下の様になる。
今年の春、涼宮ハルヒによって世界が二つに分裂した事件を覚えていらっしゃるだろうか。
ついに異世界人が登場し、そしてすったもんだの末に何とも言えない切なさを残して終わったあの事件だ。
記憶力にマイナスの意味で定評の有る俺だったが、流石にコレばっかりは忘れる事は出来なかった。
異世界から来て帰っていったアイツにも、忘れないって誓ったしな。
……話を戻そう。
昔の人はこう言った。「何かの終わりは別の何かの始まりでしかない」。全く、何の呪いか冗談だろうか。
無事に終わりを見た筈の「世界分裂事件」は、しかし別の事件の引き金となっていた。人知れず、俺知らずに。
あの一件で平行世界を作り出すハルヒの能力を、半ばまで解析したヤツが居たのだ。
言うまでもないだろう。長門の親玉。情報統合思念体。
そして事件はまたも起こった。
長門……いや、宇宙人の目的は自律進化のうんたらこーたらだって話は前に聞いた事が有った。
その為にハルヒを観測してるって事も。
さて、では問題だ。人間の……別に人間に限定しなくてもいい、観察をしてデータを取ろうとする時。
サンプルが単体と複数とだったらば、どちらが正確な、詳細な、多岐な、有用な、データが手に入るだろうか。
秋。つまりはつい先日だが、俺の不用意な一言からまたも世界を分裂させたハルヒの、その能力に情報統合思念体は介入して、そして暴走させた。
分岐だけが一人歩きをする様に。分岐が分岐を呼ぶ鼠算。
瞬く間に。事態を「俺」が認識し終息させるまでに。
平行に存在する世界は50億に及んだという。
そしてたった一つを除き、全て等しく消えてしまいましたとさ。

いや、まだこの世界は消えてないけど。

「ここは極めてオリジナルに近い分岐世界。だから朝比奈みくるが持つ技術でも辿り着く事が出来た」
なるほどね。
「では猶予が……体感的にですが、長いのもそのせいですか? オリジナルに遠い分岐ほど、早く消滅するのでは?」
「そう。既に世界は残り638まで減っている。この世界も、もうすぐ」


「詳細な時間までは分からないが、明後日は無い」

もしも、明日が世界最終日だとしたら。
さぁ、俺よ。何をする気だい?



「何してるんですか、こんな所で?」
世界最終日は何の皮肉か土曜日で。いつもならば不思議探索という名の暇つぶしに明け暮れる俺だったが、お生憎様と言うべきか幸運にもと言うべきか。
旗振り役が居ないのでは、その予定もキャンセルだった。
にも関わらず、俺は駅前公園に朝から足を運び、更には待ち合わせていた訳でもないのに古泉に声を掛けられた。
「何をしてるか? そりゃこっちの台詞だ」
俺の問い掛けに対して古泉は何かを得心したかの様に頷く。
「……きっと、同じでしょう。貴方がここに居る理由と僕がここに来た理由。……そして」
古泉が意味深に俺の背後へと視線を投げた。なんだよ、示し合わせた訳でもないのに。
お前ら、そんなに暇なのか?
「私がここに居る理由」
振り向くまでも無かった。背中に掛かった声は紛れも無くSOS団の万能選手。
「家で寝てれば良いのによ、こんな時くらい」
「貴方がそれを言いますか?」
「……だな」


朝、目覚ましの音で眼を覚ました。冷蔵庫と棚を漁って簡易の朝食を摂り、流れる様な動作で身仕度を整えると、まるで義務の様に自転車に跨がった。
誰とも会わずに。
駅に付くまでに一台の車ともすれ違う事無く、そこでおぼろげながら納得して実感した。
ああ、本当にこの世界は今日で終わるのだと。

「無人なのに電車がダイヤ通りに動いていたのはちょっとしたホラーでしたね」
無人。
「乗客は?」
「僕だけでした」
「駅構内は?」
「僕だけでした」
「なぁ、長門」
「この世界にはもう、私達三人しか残されていない」
アダムとイブにしちゃ一人オマケが付いて来てるが……まぁ、良いか。
気にする事じゃないさ、きっと。
「どうしましょう? 折角ですし不思議探索でもしますか? とは言っても僕達が置かれているこの状況こそが一番の不思議なのですが」
古泉が笑う。こんな状況でも。いや、こんな状況だからこそ笑っているのかも知れない。
「そうだな……長門、図書館は午後でも良いか?」
「構わない」
少女はいつも通りの制服にカーディガン。……世界最終日だってのに、その格好はちょいと日常過ぎるな。
「そうだ。今日しか出来ない悪い事をしよう」
「悪い事……ですか?」
「ああ」
ニヤリと笑って、傍らの宇宙人の頭にポンと手を置く。
「朝比奈さん代理。カメレオン少女のファッションショーだ」
「なるほど。面白そうですね」
一日着せ替え人形は俺と古泉を交互に見て、コクリと頷いた。

さて、長門は四年前に誕生したのはご承知だと思う。つまり、彼女は四歳である。
当然ながら服のセンスなど持ち合わせてはいない。
普段の知識、言動からたまに忘れてしまうが、情緒という面においては発達してないのが現実だった。
何が言いたいかと言うとだ。
「僕が選んだ全身モノクロで統一、テーマはこの娘になら血を吸われても逆に本望だ、な吸血鬼ファッションか!」
「やはり長門に似合うのは水色しかあるまいな、深窓の令嬢風ブリテイッシュファッションか!」
「今夜の!」
「ご注文は!」
「「DOCCHI!!」」

ああ、何をやっているのだろうか、俺達は。
また、長門が律義にも持って来た服を文句も言わずに一つ残らず着てくれるモンだから。
そして二つの衣装からなら、どちらが好きか、ぐらいには答えてくれちまうから。
俺と古泉は張り合う様に、商店街と言わずショッピングモールと言わずを走り回ってコーディネートに躍起になってしまった。
まるで、何かを忘れる様に。
誰も居ない服屋を、本屋を、CD屋を誰に憚(ハバカ)る事無く荒らして回った。
今日は世界最後の日。
神様がくれた責任を伴わない自由、いや「傍若無人」の、その限りを尽くした。
人間がいなくなっても、不思議な事に電気は来ていたし。だから時計だってその歩みを止める事は無く。
通算何回目だったかのコーディネート対決を終えた丁度その時に、モール内の大きな仕掛け時計からメロディと共に人形達が飛び出した。
「……十二時」
「飯時だな」
「お昼にしますか」
最後に長門が着ていたのは赤基調のチェックのスカートに七分丈の白いシャツ。黒のベストの下に覗くサスペンダーがポイントか。
存外に気に入って貰えたのか、制服に着替え直す事もしない少女にわざわざ「制服に戻らなくて良いのか?」と聞く程、俺だって馬鹿じゃない。
古泉コーディネートって所が癪だったが、まぁ通算成績では五分だったし、アイツの運が良かったって事にしておこう。
「何、食うよ?」
「さて、どうしましょう。外食と行きたい所ではありますが、調理人が居ませんしね」
「……だが、食材は有る筈」
少女が放った一言に俺と古泉は顔を見合わせて噴き出す。長門よ。お前も大分、世界の終わりの楽しみ方ってヤツが分かってきたみたいじゃないか。
「なら、その辺の喫茶店の厨房でも借りるか」
「ではまた、勝負ですね。長門さんが審判で」
世界がたった三人のギャングにジャックされたみたいに感じた。



さて、と。

緩やかに。

しめやかに。

いつも通りに。

ぐだぐだに。

俺達らしく。

偽物の世界の終わりを、始めるとすっかね。



追記:いつか続き書きたいです


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