ハルヒSSの部屋
初花凛々
「ふぅ」
朝比奈みくるは溜息を吐いた。時間移動者……通称「ジャンパー」に宛がわれた職場の個室。その部屋の面積を四分の一は陣取っている大仰な机に重たい両の胸部を乗せて、彼女は頬杖を付いていた。
妙齢の美女と言って何の差し支えも無いであろう彼女の、眉間に皺を寄せさせる罰当たり極まりない理由は一つであった。つまり、後何度過去に時間移動を許されるのか、である。
大人とはノスタルジィに囚われて生きる愚かしい生き物なのだから、彼女のそれもまた仕方が無いと言えるだろう。
この辺りは大人を自称する方には肯いて貰えるだろうし、分からない方も大人になったら自然と分かるものだと考えている。
「キョン君は何度『私』に会ったのかしら……」
彼女は誰にともなく口走る。未来人なのに分からない過去。過去の少年しか知らない、その回数。それが少し可笑しくて、また、そこから彼とその愉快な仲間達を連想して彼女は少し切なくなった。
「ふぅ……」
朝比奈みくるはお茶を啜ると、また一つ溜息を量産する。
過去に常駐していた、あの頃とお茶の味だけはさほど変わらなくて、それがまた彼女の溜息を誘った。
大人とはノスタルジィに常に駆られながらも前へ進む事を強制される、哀れな生き物だったりする。異論は各自心の中にしまっておいて貰いたい。
「また、会いたいな……」
何も無い空間に向かってぼんやりと呟く。それは希望か。はたまた祈りか。
しかし、神様はそんな所にはいなかったりする。残念ながら。だから、彼女はまた祈る。ぼんやりと。誰にも届かない言の葉に載せて、祈りを捧げる。

そんな彼女の日常風景。

しかし、この日は日常ではなかった。理由を挙げるとするならば、日常とはお話にしづらいものだから、となる。だから、この話も類に漏れず、日常から少し離れようと思う。
みくるの目の中に、いつか見た銀髪がぴょこぴょこと机の端から覗いているのが映り込んだ。見紛う筈も無かった。それは自分と青春時代を共に過ごした少女の髪で間違いなど有ろう筈も無かった。
「長門……さん……?」
「正解」
机の下からにゅっと顔を出す少女。数年前に見た時と、なんら変わりの無いその姿に、みくるは今が『未来』である事を一瞬忘れそうになった。
息を飲む、音が聞こえた。無論、宇宙人少女のものではない。
「巧く隠れたつもりだった。なぜ、気付いたのか教えて欲しい」
「……その……」
大真面目な顔をする少女を前にして、事実はなかなか言い出し難い。
「髪の毛が……机から覗いてました、よ?」
指摘されて、長門有希は頭を押さえた。その構えのまま、じっとみくるを見つめてくる。
「……うかつ」
そう、少女は一言口にした。その姿が余りに『あの頃』と変わらなくて、『あの頃』に戻ったように錯覚して。とうとう抑え切れなくなった涙が、みくるの瞳から零れ出した。

少女は大人になった今も、涙腺の緩さだけは変わらなかったらしい。

「……朝比奈みくる、呼吸がしにくい。放して欲しい」
胸に抱いた小さな頭からくぐもった声が聞こえて、慌ててみくるは其れを解放した。有希は小さく息を吐くと、真っ黒な瞳で首を少しだけ横に傾げた。ほんの、数ミリ。
「なぜ?」
「へっ?……えぇ、っと。なにが『なぜ』なんでしょうか?」
「なぜ、貴女は泣いているの?」
問われてみくるは目を擦る。その指は確かに少しだけ濡れていた。
「悲しい?」
みくるは首を横に振った。そして赤い目のままで微笑んだ。
「いいえ。ヒトが涙を流すのは、悲しい時だけじゃ無いんです」
「……彼といた頃に一度その類の涙を見た記憶が有る。前例では涼宮ハルヒが嬉しくて泣いていた。ならば、朝比奈みくるは今、嬉しい?」
「嬉しいに決まってるじゃないですか!」
まるでヒマワリのように笑う美女。その笑顔と有希の記憶に有った少女の笑顔との間にほとんど誤差が見られない事に、少女は疑問を抱いた。
なぜ、成長して少なからず顔も変わってしまった過去と未来の彼女の笑顔の間に、私は誤差を感じなかったのだろう、と。
有希はその理由を知りたくて問う。その笑顔の訳を知りたくて問う。
「なぜ、貴女は嬉しいの?」
「それは当然……」
美女は今一度、少女の頭をその豊満な両の胸の中に抱き込んだ。
「貴女にもう一度、会えたからですっ!!」
「……朝比奈みくる。5分前にも言ったが、この体勢は呼吸に大きな負荷を与える。速やかに私を解放して欲しい」
そう有希は言ったが、しかし、抱かれる事に少女は少なからず安堵を抱いているのだった。けれど、宇宙人少女には自分の中の情緒変化を観察する術も、またそれに付けるに値する言葉も分からない。
結果、有希はみくるに抱かれたまま、困惑するしかなかった。

人はそれを心と呼ぶ。あるいはそれを郷愁と呼ぶ。
情報生命に産まれた心が視覚にデジャヴを引き起こしたのだと、 少女が知るのはもっと未来のお話。

「ところで長門さんはどうしてここにいるんですか?」
少女を解放したみくるが呟く。その問い掛けに有希は服のポケットから一枚のカードを出して美女に見せた。
「時間移動者用のIDカード……しかもこれ、私のじゃないですかぁっ!?」
「……偽造は簡単だった」
カードに書かれているサインまで全く同じなのが長門有希の長門有希たる由縁である。
「この時代の人間も、未だ私達の脅威とはなりそうにない」
「そんな事は聞いてませんからっ!」
みくるは溜息を吐いた。きょとん、という擬音が相応しい表情を浮かべる『仲間』がまるで『あの頃』と変わっていない事に、大きな溜息を吐いて、そして笑った。

「時間移動をお願いしに来た」
有希の言葉にみくるは困惑した。当然だ。
「えっと、長門さんは一人で時間遡行が出来るんですよね?」
「出来なくは無い。不可能か可能かと問われれば後者」
「なら、なんでわざわざ私の所へ来たんですか?」
みくるはお茶を淹れながら愛くるしい少女に尋ねる。部屋にキッチンが備え付けであるのは、時間移動を許可された者の中でも彼女ただ一人である。
「彼に、あまり力を使わないと昔約束した」
そう言う有希の声に、少しだけ曇りが混じった。きっと、長門さんは私と同じ気持ちでいたんだと、その音からみくるは感じとる。
「なら、なんでこういう事をするんですか?」
みくるは偽造されたIDカードをお茶と共に長門の前に置いた。ああ、こんな事をするのも久し振りだな、と美女は思う。
「問題無い。この時代の技術から逸脱した行為は何一つやっていない。彼も許してくれる」
「そういう問題でしょうか……」
みくるはお茶を啜る少女を見つめながら呟いた。頬杖を付いて、本当に『あの頃』が戻ってきたように感じた。

「私の能力でも時間遡行は可能。しかし、この方法では昔の私に気付かれる可能性が極めて高い。何より私は能力を使う事を自分に許可していない。そこで、貴女の力を借りたい」
「そんな事を言われても……私だって許可が下りないと時間遡行は出来なくって……」
有希は懐から一枚の紙を取り出した。この時代、紙媒体(ペーパーメディア)は非常に貴重である。使われる事など殆ど無いと言って良い。
そう、それこそ時間移動の認可証でも無い限りは。
「……これも偽造したんですか?」
「偽造ではない。正当なルートを通じて発行されたもの。認可を通すのに少し苦労した……三分ほど」
宇宙人の辞書に不可能という言葉を思わず探してしまうみくるだった。

「では、行きますけど……長門さん、準備は良いですか?」
「いつでも」
みくるは有希の小さな肩に手を置く。そして目を覗き込んだ。黒い、けれど光り輝く星を内包した、宇宙の様な目を。
「一つだけ聞かせて下さい。長門さんはキョン君に出会って、何を言うつもりなんですか?」
時間移動認可証に書かれた時間は二十分。たったこれだけでは、少年を見つけるまでの時間を考慮すると、一言二言話せばタイムオーバーとなるのは目に見えている。
有希の能力を持ってすれば幾らでも時間は引き延ばせたはずなのに、なぜ?
みくるの頭の中を疑問が渦巻いていた。

「……朝比奈みくるが認可証のみで時間移動を行える役職に着くまで待った。あの時代から、ずっと。それは時間の概念が乏しい私にとっても、少し長く感じた」
有希がいつもどおりの口調で話す。
「その間私は色々な事を考えた。最終的に貴女に頼んで時間遡行をしようと結論付けた。理由は曖昧で、詳細に分析しようとすると必ずエラーが発生する」
しかし、そこにみくるはいつもとは違う人間臭さを感じた。
「結論に至る過程がエラーならば、結論もエラー。しかし、私はそれに抗えなかった。これもエラー」
その目の中に紛れも無い「少女」の色を見たから、そう思ったのかも知れない。直感なんてものはどう言葉にしても言い表せないものだ。
「私は彼に一言だけ言いたかった」
長門有希は、宇宙人製対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドだった人形は、朝比奈みくるの目には、もう恋する少女にしか見えなかった。

「大好き。そう、伝えたい」

その一言の為だけに時空を超える。恋の力とはかくも偉大である。
そして大人はそんな子供の想いに応える為に、今日もノスタルジィを胸に抱いて前を向くのだ。
無論、朝比奈みくるも、例外ではない。

少女の内に初めて咲いた心という花を見せる為に。
いつかのどこかの少女が顔を真っ赤にして紡ぐ、ただ一言の「ハロー」をいつかのどこかの少年に届ける為に。
今日も世界は回っている。そんなお話。

"time clossin' love heart" closed.


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あきゅろす。
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