ハルヒSSの部屋
通りすがりの雑用係さ
さて、全てが終わった後で毎回思うのは、それでもやっぱりこの世界はアイツの思い通りなんかじゃないって事だ。
まぁ? 結果だけ見れば確かにそれはハッピーエンドである事に疑いようはない訳で。実は少しだけそれが悔しいのは否めない。
しかし、それでも。
こんな事件がハルヒの望んだモノだなんて、誰かが言ったら俺はソイツを殴ってしまうだろう。
長門を苦しませて。
朝比奈さんを泣かせて。
古泉を傷付けて。
そんな事件をハルヒが求めたなんて、俺に信じられる筈が無い。俺はこれでも、SOS団の団員その一だからな。
だから、古泉の言う「全てはアイツの望んだ通り」、なんてお題目に決して首を縦に振る訳にはいかないんだ。
だったら俺はぶち壊す。気に入らないレールなら、どんだけだってぶち壊す。
世界は一人で作る事が出来るようなモンじゃないって。そんなんは子供だって知ってるぜ。なあ?
聞いてるか? お前に言ってるんだぜ、涼宮ハルヒ。


事の始まりはそう、俺にとってはごくごく平凡な日常であり、その他多くの人にとっては非日常なのであろう出来事から始まった。
いつもの学校、いつもの教室。学業を納めるという学生の本分に従い、俺は何の疑問も持たないまま教室へとやってきた……んだが。
窓際後方から二番目である俺の後ろ、非常識を煮詰めとこうなるという実例でもある団長さんの姿はそこに無かった。
……あいつが俺より遅いってのは珍しいな。


ちらりと嫌な予感が胸を掠めるのは、多分、いつぞやの後遺症なんだろう。冬、という時期もまた、悪かったのかも知れない。
そう、昨年。丁度この時期に、涼宮ハルヒは文字通り「消失」した。悪夢、という言葉があれほどしっくり来る三日間も無かったと思う。
なんとなく椅子の座り心地が悪い気がして、チラチラと教室の扉に目が行っちまうのは……ま、仕方ないっちゃないんだろうね。
でも、アレはもう、終わった事だ。
そうさ、涼宮ハルヒだって氷点下を当たり前の顔をして下回る、こんな寒い朝なら少しくらい布団の誘惑に負ける事も有るだろうよ。
そんな風に思い込もうとして、俺は冷たい机に身体を預けた。
結論から言えば、この時の俺の考えは浅はかだった。事件は既に始まっていたし、実は序盤なんてのはとっくのとうに終わっちまってたんだ。
とは言え。この時点の俺がそんな事に気付ける訳も無い。これで事件の全貌に気付けるヤツなんてのは超能力者になれちまってるさ。俺が保証書を書いてやっても良いぞ。
であるからして、宇宙人にも未来人にも超能力者にも太鼓判を押された一般男子高校生である所の俺は、何も知らずに机の下で手を擦り合わせていた。


そんな事をしている間にホームルームとなり、一時間目の授業が始まる頃には、俺の中に小さな違和感が生まれていた。
その理由は、あの冬の時みたいに誰もハルヒの事を覚えていないとか、そんな事ではない。
岡部はハルヒは休みなのかって生徒に聞いてたし、谷口が「涼宮に勝てるウイルスなんてあんのか?」とか無駄口を叩いてたしな。
……でも、だ。
授業の合間、そっと覗きみた無人の机。
谷口じゃないが……普段ここに座ってる奴が、普通に考えて風邪やインフルエンザなんぞにかかるとは思えない。っていうか、休むなら休むでメールくらい送ってきそうな物だ。


一時限目が終わったと思った次の瞬間、谷口が俺の机へと突進してきた。次にお前は「なぁ、涼宮どうしたんだ」と言う!
「なぁ、涼宮どうし……」
「知らん」
最後まで言わせずに俺は用意していた回答を放つ。ソイツは少しだけバツの悪い顔をした。
「俺の台詞を予想してたのかよ?」
「行動が逐一分かり易いお前が悪い」
谷口が溜息を吐くその隙を縫って、悪友その二が傍までやってきていた。
「珍しいね。涼宮さんが無断欠勤なんて」
「アイツらしいと言えなくもないだろ。なんせアイツは重役だからな」
「成る程。言い得て妙だね、キョン」
そうさ。アイツが重役出勤をしてきた所で、別段それに不思議がる点なんて無いんだ。自分に言い聞かせるように呟いた「そうに決まってる」は、しかし説得力にどこか欠けていた。
「……でもよお」
谷口が食い下がる。なんだよ? 何か言いたい事でも有るんなら挙手して発言しろ。
「中学の時ならともかく、今の涼宮が何の連絡も無く休むとは俺には考え難いんだよなあ」
馬鹿は素直な分だけ時として的を射る発言をする。その言葉は俺の危惧に見事に的中したが、しかし俺は頭(カブリ)を振った。
「アイツだって、人の子だ」
そうさ。涼宮ハルヒは、誰が何を言っても、それでも只のその辺りには少し居ないエキセントリックな、けれど普通の女子高生だ。


「いやそうじゃなくてよ、お前っていう便利な雑用係が居るってのに連絡無しってのがさ」
俺が雑用係ってのは規定事項なのか。
「ん〜、確かに変かもね。最近の涼宮さんって、はどこに行くのもキョンと一緒だったし」
別に、たまたまお前らにはそう見えてるだけだろ。
いつぞやの映画の時じやないが、あいつが俺にだけ何も言わないまま何かを企む何てのは想定内だ。
その企みの結果が、俺の予想範囲内に収まらないって事も含めてな。
――そうさ、多分休みの件だって古泉か朝比奈さん辺りには連絡済みで、例によって俺だけ知らないだけなんだろ。


始業のベルが鳴るか鳴らないかの頃に生物の教師が教室へと入ってきた。仲良しグループを作っていたクラスメイト達が三々五々に自分の席に着く。
「ま、俺達が心配する事じゃないか」
「そうだね。この件はキョンに任せておけば良いさ」
おい、国木田。いつから俺はハルヒの監督責任を負わされるようになっちまってたんだ。
教師の着席を促す声に谷口と国木田が俺の席から離れていく。谷口の含み笑いと国木田の貼り付けたような笑顔が気に食わない。クソ。
そんな顔をするのは古泉だけで十分……十二分だってのに。それとも何か? お前も実は微笑超能力者に覚醒してんのか、国木田?
背筋を冷たいものが這い上がる。勘弁してくれよ、もう。
そんな事を考えていたからだろうか。授業が始まって間も無い頃に、俺の胸ポケットでケータイが震えた。
教師がジロリと俺を睨むのに気持ちばかりの会釈をして、俺は机の上に立てた教科書に隠すようにソイツを開いて……目を見開く羽目になった。
本家本元Mrスマイルから送られてきた、そのメールにはただ一言「緊急事態」とだけ記されていたからだ。
椅子がガタリと、静まり返った教室の中で大きな、一際大きな音を立てた。俺の物だなんてのは、言わなくても良いだろ?


緊急事態。
この四文字から読み取れる内容といえば、忙しい中だが取り合えずピンチだって事だけは伝えたかった。ちなみに、何か具体的にして欲しい事は現状は無い。引き続き学生の本分を真っ当せよ。
ま、意訳の部分が多少はあるにしろ、古泉が言いたいのはこんなとこだろうさ。たった四文字にこれだけの意味を付与出来るんだから、日本語ってのは意外に優秀だ。
マナーモードのまま沈黙を続ける携帯をポケットにしまい、形だけでも真面目に授業を受けようと黒板へ視線を向けると−−まるで俺がそうするタイミングを計っていたかのように、再び携帯が振動を始めた。
……ええい、人が珍しく授業を真面目に受けようとしてるってのに。
相手が目の前に居ない事もあり、解りやすい不満顔を浮かべながら俺は携帯を取り出し――、
「すいません、保健室行ってきます!」
それは許可を求める提案ではなく、ただの形式報告。
朝比奈さんから届いた「緊急事態です、部室に来られませんか?」というメールを片手に、俺は教室を飛び出していた。


文芸部室には、授業中だってのにも構わずそりゃもう当然とSOS団員が勢揃いしていた。ん? 勢揃い?
指定席に座って、しかしトレードマークのハードカバーはその手に持たない宇宙人。長門。
メイド服を着る事も無く、おろおろと、慌しく室内を歩き回る未来人。朝比奈さん。
これまた椅子に座る事も無く、壁に凭れ掛かって額を抑えたまま目を瞑っている超能力者。古泉。
そして――ハルヒ?
「どういう事だ?」
開口一番、俺はそう疑問を口にしていた。動かないハルヒを指で示し。
ピクリとも。微動だにしない涼宮ハルヒを人差し指で指して。俺は怒鳴った。
「何が起こってんだ!?」
古泉が、ふうと一つ大きな溜息を吐いて顔を上げる。そして、俺に対して頭を下げた。
「申し訳ありません」
「謝罪は後にしろ! 何が起こったのかだけ、端的に! 分かり易く! 俺に説明しろ、古泉!」
なぜ、俺は怒鳴ったのだろうか。けれど声を張り上げずには居られなかった。そんな俺から目を逸らして、副団長は決定打とも言える言葉を口にした。

「涼宮さんの精神が……消失(ロスト)しました」


え?
古泉の言葉の意味が解らなかった俺が、辺りを見回しながら思わずそう聞き返すと、
「ご、ごめんなさい! あの、あ、あたしにも詳しい事は解らなくて……」
怯えた顔を向けて俺に頭を下げる朝比奈さん。そうして漸(ヨウヤ)く俺の頭の中で遅すぎる緊急危険速報が鳴り出していた。
……えっと、ロスト? 言葉通りの意味で言えば、それはつまり。
「今の涼宮さんは……言うなれば、人間ではありません。むしろ人形とでも言った方が適切なのでしょうね……」
自重気に呟く視線の先で、ハルヒは古泉の言葉を肯定するように頷いた――頷いた?
「……おい、古泉」
「はい」
「どうせハルヒの思い付きなんだろうが、今日のはちょっと悪趣味だったぞ」
ったく、朝比奈さんまで巻き込みやがって。
「何がロストだ。普通にハルヒは頷いてるじゃねーか」
そう言いながら俺がハルヒを指射すと、
「古泉一樹の言っている事に間違いはない」
いつも窓際で読書をしている知り合いとまるっきり同じ口調で「ハルヒ」はそう呟いた。


淡々と。事実(?)のみを語る、その喋り方は俺もよく知っている。声が変わろうと、まさか聞き間違える訳も無い。
「今の……長門か?」
「「そう」」
ほんの数ミリ。コンマ一秒の狂いも無くハルヒと長門は同時に頷いた。
……おい。これは何の冗談だよ?
「……何が……マジで何が起こってるってんだ、なあ?」
「落ち着いて下さい。今から詳細をご説明します」
落ち着け? コレで落ち着いていられるヤツが居たら今すぐここに連れて来い!
「涼宮さんの身体は、現在『もぬけの殻』でして。僕が要請して長門さんに一時的に身体を操って……」
「ンな事は見れば分かるんだよ!」
俺の怒声に、朝比奈さんがビクリと震える。申し訳無いとは思いつつも、けれど俺は昂ぶる感情を抑えられそうに無かった。
涼宮ハルヒが人形? 精神が消失した? ホワイ? なぜ? ホウェン? いつから? ハウ? どうして? フー? 誰が?
頭の中を埋め尽くす疑問詞の濁流に、飲み込まれた脳みそでは冷静な態度を求める事がそもそも無茶振りだって話で。


いつの間にか俺の手が古泉の服の衿を掴んでいた事に、俺は朝比奈さんが慌てて止めに入るまで気付きもしなかった。
「キョンくん……」
力無く古泉から手を離した俺を、朝比奈さんの悲しそうな目が見ている。そんな彼女に何かを言おうと言葉を選んでいると、
「異変に気付いたのは今朝の事です。涼宮さんの家を監視していた同士から僕に連絡が入りました。彼女がいつもの起床時間を過ぎても起きて来ないと。閉鎖空間も出来ていませんでしたので、ただ彼女の眠りが深いだけなのだろうと考えて居たのですが……。その後、様子を見に来た彼女の両親が救急車を手配した事で、これが異常事態なのだと解りました」
疲れきった口調でそう言い終えた後、古泉は物言わぬハルヒへと視線を向けた。


頭では分かってる。古泉を責める理由が無ければ古泉を責めても何が解決する訳でもないって事なんざ。
「……異常事態、か」
「はい」
古泉の言葉に合わせて神妙な面持ちで頷く朝比奈さん。オーケー。俺は冷静だ。
酔ってないって言う酔っ払いみたいにそんな台詞に根拠なんて無いが、それでも激昂してるだけじゃ何も解決しないって事は分かる。
「長門、古泉」
少女二人が俺を見る。一人は物言わぬ、光の無い、力の無い眼で。
「分かってる事を全部話せ……後、スマン。取り乱した」
無言で襟を直す古泉は小さく微笑んだ。そしてすぐにその顔中を緊迫感で埋める。
「では、先ずは長門さんからご説明頂けますか? その後、僕が解説した方が、理解が得易いかと」
「了承した」
SOS団は全員、椅子に座り直して万能宇宙人へと注目した。長門がゆっくりと口を開く。
俺の喉が知らず、ゴクリと音を鳴らして。ああ、喉が渇く。お茶が、恋しい。


まるで俺がそう考えていた事を知っていたみたいに、俺の手元に見慣れた自分の湯呑みが置かれた。もちろんその気遣いの主は朝比奈さんであり、その優しさに感謝しつつお茶を口に運んで居ると、
「涼宮ハルヒはこの世界を見捨てた」
何の表情も顔に浮かべないまま、ハルヒの体を借りた長門はそう言った。
「詳しい原因は調査中。でも、起因する要因が他に存在していたとしても、彼女の精神の消失は彼女の力による結果で間違いない」
ハルヒの口から漏れる、淡々とした呟きの中、窓際に座る本当の長門がめくるページの音だけが部室の中に響いている。
長門とハルヒで別々の行動をする事も出来るのか、等と考えていると、
「精神の消失。有機生命体におけるそれは、死と同義とされる。彼女は自分の力でそれを行った……通俗的な言葉で言えば、自殺」
ハルヒの口から出たその言葉は、嫌に大きく俺の耳に届いた。


自殺?
「は?」
思わず耳を疑う。自殺だって? 誰が?
「ハルヒが?」
そんな言葉とは一番縁遠い女。俺の知っている限りで、全世界の人間の中でもハイエンドクラスで生命力に溢れた女が。
「自殺だって?」
信じられる、訳は無い。道理が無い。その言葉に頷く事が出来るだけの筋道が無い。
「信じられない、その気持ちは分かります。しかし、事実です。受け止めて下さい」
超能力者が放つ言葉が聞こえない。なんて言った? 今、古泉は何を俺に求めた?
「有り得ない」
地球が反対に回ったりしても、それでも「ああ、またハルヒが馬鹿やったのか」と信じてしまえる柔軟な脳みそを持っている俺でさえも。
その言葉は、信じられない。

自殺。

世を儚んで、なんて似合う女じゃアイツは決してない。世界が面白くないなら、自分から面白くなるように動けと。
俺の知っている涼宮ハルヒはそんな事をさも当然と言ってのける、そんな女。
そんな女が、自殺なんて、信じられるか? 信じられないよな。信じてたまるかよ。
俺は。SOS団創設メンバーたるこの一般男子高校生は。
それでも、お前を信じる事に賭けては宇宙人にも未来人にも超能力者にも。負けはしない。
だからさ。
なあ。

……ブラックジョークだって、そう言ってくれよ、長門。


自分でも、この時俺がどんな顔でハルヒを見ていたのかは解らない。ただ、ハルヒは首を機械みたいに小さく横に振って、
「事実」
小さな声でそう答えた後、生気が感じられなかった大きな目を閉じてしまった。
「あまり長時間続けて彼女の中に居ると、弊害が残る」
そう言ったのはハルヒではなく、窓際に座る長門だった。
意味が解らない……いや、解りたくもない。それなのに、部室に居るみんなはこれが終わってしまった事の様に落ち込んでいて、何故だか俺は、それが無償に悔しかった。
そんな中、何も言われないまま朝比奈さんが立ち上がり、動かなくなったハルヒに自分のカーデガンをかけている。
まるで、マネキンにそうするみたいに。
……待て、さっき長門は何て言った? 確か……弊害って。


「弊害……それって?」
「ご想像の通りですよ」
古泉が俺に向けてシャーペンの先を晒した。
「この案件には時間制限が有ると……そういう事です」
漸く「緊急事態」って言葉の意味を理解する。
「人類の持つ脳の容量に対して、情報生命体の持つデータは大きすぎる。それは涼宮ハルヒであっても例外ではない」
「そしてまた、彼女は精神を失っただけでデータ……記憶は失っていないのです。長門さんが彼女の中に居れば居るほど、その行為は身体維持には有効に働きますが」
けれど、涼宮ハルヒの脳が持たない。
「その通りです。長門さんにも必要最小限の干渉しか行って頂いていませんが」
「しかし、それでもいつかは破綻する」
身体か。それとも脳か。どちらが早いか、なんてのは考えたくもないが。
「出来る限り速やかに、我々は涼宮さんの精神を取り返さなければなりません」
取り返す? 誰から?
「涼宮ハルヒ、本人から」
朝比奈さんがハルヒの身体を抱く。その情景はまるで天使による祝福のようにも見えたが、けれど。
抱いているものは、人形でしかないから。それは残念だけど子供の人形遊びでしかないんだ。


「で、どうやって精神ってのを取り戻すんだ?」
どうせ説明を聞いた所で、俺の頭で理解する事は出来ないんだろうが。
俺は宇宙的、または未来的、はたまた超能力的な説明が来る事を期待したのだが……。
返ってきたのは沈黙、そして古泉の苦しそうな顔だった。
「……古泉、もしかして」
「お察しの通り、彼女の精神を取り戻す方法が解らないんです。機関の情報網をもってしても、長門さんに依頼しても……ね」
古泉、お前がそんな顔をするとは思わなかったよ。知ってるか? そいつは絶望って顔だ。
「考えてみれば、それもそのはずなんです。涼宮さんの意思で生まれた僕達機関は……涼宮さんの意思が存在しない今、ただの人間と代わらないのでしょうから。試してみた訳ではありませんが……恐らく、閉鎖空間に入る事も出来ないでしょう」


そんな顔、するんじゃねえよ、副団長。
頼むよ。お前が笑ってないそれだけで、なんだか俺は調子が狂っちまうんだ。
「……長門?」
「現在時点で、有効な打開策は無い」
「……朝比奈さん?」
「……すいません」
宇宙人は。未来人は……ただ、下を向くばかり。はは……おいおい。嘘だろ、コレ。
「彼女たちを責めないで下さい」
「……責めてない」
ああ、俺は誰も責めてないさ。
「神が、それを望まれたのであれば。手のひらの上で踊る事しか出来ない僕達には、何も、出来ないのです」
それは宇宙人も同様。未来人だって無力。
そして、それ以上に無力な人間が一人。
考える事さえ放棄して。救い出す方法さえ他人に委ねて悪びれず。そんな滑稽な……俺。
「……長門。タイムリミットは?」
聞きたくなんか無かったけれど、聞かざるを得なかった。それは、綱渡りの綱の強度を確かめるが如き行為。
「明日。二十二時。それ以上は、涼宮ハルヒの身体か精神のどちらかが持たない」
緊急事態。タイムリミット。まるであの十二月のリフレイン。
けれど、あの時と違うのは。
今回は誰かの残してくれた栞が無いって事。
何を揃えれば良いかも分からないこの状況は。
果たして古泉が、朝比奈さんが顔中に貼り付けた「絶望」ってヤツだったんだろうね。
だけど。
諦めちゃいないヤツが、一人。ここに居る。

誰よりも。お前のことを。諦めちゃいけないヤツが。ここに居る。
「雑用」は「雑用係」がこなす。それで、良いんだよな。……なあ、ハルヒ?


結局、ハルヒは暫くの間長門の部屋に住ませる事にしたらしい。
俺と古泉は長門のマンションの前、街灯の下で並んで立っていた。
「涼宮さんのご両親には、病院を通じて問題にならない様に伝えてあります」
そうかい。
俺は謝るようにしてそう言った古泉の頬を指で摘んだ。
古泉。いいからお前は笑ってろ、これは団長代理命令だ。
「……この場合、代理を勤めるのは、副団長の僕の方が適切だと思いますが」
よし、ようやく笑ったな。
「自分に何かあったら、俺にSOS団の指揮を取れってハルヒが言ってたんだよ」
「涼宮さんが、ですか?」
ああ。
「嘘だと思うんなら後で本人に聞け、こいつも命令だ。もし嘘だったらコーヒーを奢ってやる」
朝比奈さんと長門に支えられながら歩くハルヒを見ながら、俺はそんな嘘をついた。
「ええ、必ず」
多分、ばれてるんだろうけどな。


「……コーヒー、楽しみにしていますよ。あ、その時は僕の行きつけの喫茶店をご紹介しますから」
「お前、行きつけの店なんて有るのかよ」
二人して顔を見合わせる。少しの沈黙の後、俺達は双子の様に噴出した。
「高い店は、お断りだぜ」
「いいえ。一杯八百円の店です。約束は、守って頂きますよ?」
そう言って古泉は制服の内に手を入れた。
「なんだ? 誓約書でも書かせるつもりか、大袈裟な」
「……いいえ?」
そう言って笑う、超能力者が服の中から取り出したのは……カートリッジ式の拳銃。
「お、おい!?」
「さて、問題です」
お前がそんなモンを天下の往来で取り出してる方が余程問題だ!
「涼宮さんが意識を失われた。この状況下で、涼宮さんの力を欲しがっている勢力はどの様に動くでしょうか?」
楽しそうに言って。それはもう映画のヒーローみたいに不敵に笑って。ソイツは拳銃に弾を込める。
「彼女が健在の間は、彼女の望まない事は起こりえません。彼女の力を望む団体は、彼女の力を知っている故に積極的に動くことはそうありませんでした」
ですが、今、この状況はどうでしょう? と。まるで他人事みたいに。人知れずヒーローが決意しているのが、その握り込んだ手から透けて見えた。
「絶好の、タイミングと言うヤツですよ」
世界を守る少年は、まるで俺と同年代の少年みたいに、クスクスと笑った。


「あなたは涼宮さんにとっての鍵、最初に危険が迫るとしたら……あなたです。長門さんは涼宮さんを、僕は暫く調査で学校にも来れないでしょう。念のため、自衛手段を持っておいて下さい」
お前に言っても解らんだろうが、その台詞は今更過ぎる。
しっかし……拳銃ねえ。
渋々触ってみたそれは、厭味な位に冷たく、そして重かった。
「訓練を受けていないあなたに、拳銃を火器として渡すのではありません。あくまで抑止力です」
だろうな。
俺としてもそうであって欲しい。
受け取らされた小振りな鉄の塊を持て余していると、
「ただ、もしその拳銃を使う時が来たら……その時はどうか、躊躇わないで下さい」
不吉な事を言うだけ言って、作り笑いの超能力者は夜の闇の中に消えていく。


重苦しい沈黙が場を支配していた。俺は渡された「抑止力」とやらを制服の内ポケットに仕舞う。少しはみ出しちゃいるが、まあ構うまい。
少しだけソワソワしていると、唐突に後ろから声が掛かった。
「……安全装置」
「あ、そうか。そうだな」
自分の身体を誤射とか洒落にならないしな。……いや、本気で洒落にならんぞ?
「違う。今は安全装置が掛かっている状態。有事に備えて、その所在の確認を」
取り出した拳銃にこちらもいつの間にか長門の後ろに居た朝比奈さんがビクリと驚く。ああ、この人にこんなモン見せちゃダメだよな。情操教育に悪い事この上無い。
……いや、俺だって好き好んで拳銃なんか触りたくねえけどさ。
「安全装置……コレか?」
「そう。それを外さないと弾は出ない。覚えておいて」
「ま、使わないで済めばそれが一番良いんだけどさ」
首を竦めて遺憾の意を示したが、多分長門には伝わってないだろうね。
「……キョン君。えっと……全てが終わるまで長門さんの部屋にキョン君も泊まっていった方が良いと思うんですけど……」
朝比奈さんがすごすごと呟いた、その申し出は嬉しかったがしかし、俺にはやる事が有る。
「いえ。家に、帰りますよ。ハルヒに続いて俺まで、挙動がオカしくなったらマズいでしょう?」
そんなのは建前。朝比奈さんだってきっと分かってるだろうが……けれど引き止めないで下さいよ?
「じゃ、行って来ます。おやすみなさい」
行って来ます。
「帰ります」じゃなかったのは、それは。
出来るなら、嘘を重ねたくは無かったから。

さて、なら俺は俺の出来る事を。もう一人の超能力者に、話を付けに行くとしますかね。


自分に危険が迫った時、してはならない事が二つある。
一つは一人にならない事。
二つ目は――、
「……罠の一つも用意しないまま、夜の公園にたった一人で呼び出すとはな。気でも振れたか、現地人」
いつか、朝比奈さんから未来の話を聞いたベンチに座って待つ事数分。
ふと気が付いた時、俺の目の前に立つ気に入らない男の姿があった。
「携帯で急に呼び出した割に早かったじゃないか」
まるで呼び出されるのを知っていたみたいに。
「当然だ。アンタ達は今朝から最優先で監視されている。僕達以外も含めて十数の組織からだ」
そいつはどうもご丁寧に。
まったく何の役に立たない情報をありがとうよ。


「ふん、用件は分かっている。そして、次にアンタが言う台詞もな」
だろうよ。お前は未来人だからな。だけど俺が何を言うか、なーんて教科書に書いてあるとは思わないけどね。
「呼び出したのは超能力者の筈だったんだが? 未来人はお呼びじゃないぜ?」
俺の台詞に、しかしソイツは少しだけ斜に構えた表情を崩さない。
「僕は既定事項をこなしているだけだ」
「へえ……既定事項、ねえ……」
「先刻(サッキ)、言っただろう。気でも振れたか、と。少し考えてみれば分かる筈だ。それとも、そんな事にさえ頭が回らないほどアンタらの世代は知能指数が低かったか?」
舌打ちは、俺の口から出たモノだった。
「借りを作った、なんて思わないぜ?」
「元より貸した覚えも無い」
もしも、コイツがこの場に現れなかったとしたら。橘は。いや、橘個人はともかくとして。橘の所属する「組織」とやらはどう動いただろうか。
簡単だ。俺なんて素人が銃で付け焼刃的に武装した所で赤子の手を捻るように拉致られるだろう。
「未来人……銃なんかよりもずっと『抑止力』だな」
「ふん。心にも無い事を言うな。橘を呼び出した時点で僕もここに来る事を、アンタは見透かしていた筈だ」
「どうだかね」
あんまり、人を高く買い過ぎるんじゃないぜ、未来人。ま、お前らは俺の中で一セットだと考えなかったワケじゃないが、ね。


「結論だけ言う、橘はここには来ない。……というより、来る事が出来ない。アンタの連れにいる男と同じ様に、調査に借り出されている」
なるほど。超能力者は多忙だね。
「それで、用件は何だ」
同じ未来人でも朝比奈さんならともかく、こいつと長話をする趣味は俺にはない。
「質問だ。……お前達は気付いているのか」
「答える価値もない問い掛けだ。アンタが考えているままが答えだろう」
そうかい、じゃあ……、
「今回の件について……お前達は、敵か、味方か」
それに意味が無い事を理解しつつも、俺は胸ポケットを意識しながら藤原に言った。
そう、例えこれがハルヒの意志による事だとしても……前科がある以上、こいつらが何らかの形で関わっている可能性は否定出来ない。
まるで価値の無い物でも見ている様だった藤原の顔が、不意に歪んだ気がした。
「いい質問だ。アンタの言葉を借りて言えば、今回の件に関して僕達は敵対するつもりはない」


敵対……敵対、ね。
「物は言いようだな、未来人。積極的に関わる気も無い。そういう風に俺には聞こえたぜ」
「アンタが僕の言葉をどう取ろうが、そんな事には興味が無い。そもそも、僕には既定事項以上の事をする気が無ければ、それをする権限も無い」
藤原はそう言うと、話は終わったとでも言いたげに口を噤んだ。
「それで世界が終わったとしたら? お前らも困るんじゃないのかよ?」
「世界はこんな下らない事では終わらない」
「下らない?」
「ああ、そうだ。下らない。上につまらん。そんなものに、なぜ僕達までが踊らされなければならないのか、逆に理解に苦しむ次第だ」
下らない……つまらない。どういう事だ? 神が死ぬかも知れない。未来が断絶の危機に晒されてる、ってのに、一番未来を憂う筈のコイツが不干渉?
有り得ないしか、俺には言葉が思いつかない。
「ハルヒが死ねば、世界はどうなる?」
「あの女は未だ死なん。その質問は前提から無意味だ」
「まだ……だが、明日の晩には……」
俺の言葉を遮って、藤原は鼻を鳴らす。
「おめでたいな。どこまでも手の施しようが無い。呆れて物も言えないね、現地人」
いや、その割には口数が多いぞ、お前。
「あの女は、死なん。お前らが、死なせない。それが、この時間軸での既定事項だ」
ソイツは呟いて、そして何かを俺に向かって投げた。
「……絵本?」
「精々、足掻いてくれ。僕はこれ以上の事を、する気は無い」


話はこれで終わり、そう言いたげな顔で藤原は去って行った。
まあいい、あいつが来たのは予想外だったが……取りあえず敵ではないらしいし。
それより、これはいったい何だ?
藤原から受け取った絵本、それは表紙こそ子供向けな絵が描いてあったのだが、そこに書いてあったタイトルらしき文字列は外国語だった。
……多分、これが英語じゃ無いって事くらいまでは解るんだが……。
元々知らない言語を解読しようという無駄な努力を試した後、とりあえず俺は本の中を開いてみることにした。
えっと、何々……。
当然中に書かれていた文字も外国語で、挿絵だけを頼りに読み進めていく。


「……ん?」
何か、引っかかった。最初から、読み直す。
「……おや?」
二度目の疑問符。三度目の正直で解読チャレンジ。
「……コレ、ページが破れてないか?」
それも恐らくもっとも大切なページ。最終オチの、その直前の一枚だけが。しっかりと破られた跡が残されていて。
そりゃ違和感を感じるワケだよ。
「端(ハナ)から日本語じゃないから意味分からんのに、それを更に難解にしてどうするつもりだ、アイツは?」
未来人流のヒントはいつも虫食いだが……しかし、ここまでアカラサマだとそこに悪意を感じずにはいられないぞ、俺には。
「せめてタイトルくらい分かればな」
まあ、良いさ。こういうのは人間翻訳機、長門に頼めば一発だろう。
森。
長い髪のお姫様。
糸車。
魔女。
お城。
どっかで読んだ事の有りそうな話だったが、しかし悲しいかな。俺は幼少の砌(ミギリ)も今と同様に文学には縁が無く。
ああ、笑うなら笑え。グリム兄弟よりもライト兄弟に憧れる幼少時代だったんだよ。
「……やれやれ」
俺は解読を諦めると、その絵本を小脇に抱えて一路、家路に着いた。
ああ、帰路で未来人への呪詛を撒き散らすのも忘れずに、な。


その日の夜、我が家における唯一のプライベート空間である鍵のかかる机の引き出しに例の護身用具をしまった後、俺は夕飯も食べないままベットに横になり、あの絵本を眺めていた。
最初のページには緑の植物らしき物が一面に描かれていて、遠くには何か建物らしき物が見える。次のページからは主人公らしき恥ずかしい恰好の王子様が登場し、何やら活躍するシーンが続いているらしい。
この、ありきたりと言えなくもないストーリーの絵本に、いったい何のヒントがあるってんだ?


「ダメだ。さっぱりだ。残念無念また来週ー、ってな」
いや、来週だと時間切れだぞ、俺。また明日だ、明日。
……王子様、ねえ。まさか、白タイツを吐いてアイツを笑わせろ、って意味でも有るまいし。
笑わせる? 笑わせて、閉じこもった神様を……。
「なんか、そんな昔話が有ったような無かったような気が……」
生憎、俺の記憶力は壊滅的であり、他人様から見ればそれはもう嘆かわしいくらい必要な時に必要な知識が出て来ないのが常だったりする。
残念、とか何とか言って人を指差すんじゃありません、全く。
「なんだったかね……確か凄えややこしい名前の神様が沢山出て来て……」
ほいで、どんちゃん騒ぎをして……そうそう、太陽の女神だったかが引きこもっちまうんだったな。
「そういう……事か。なるほどね」
布団の中で一人納得。太陽の女神。それってのは、まんまハルヒの事じゃないか!
そして。未来人のメッセージを解き終えた俺は、きっと安心しちまったんだろうね。そのまま寝入ってしまった。


だが、その翌日。意気揚々と絵本とその答えを手に長門のマンションを訪れた俺に、
「あ、これって眠り姫ですよね」
ドアを開けてくれた朝比奈さんの第一声は、どう聞いても太陽の神様の話では無かった。
「眠り姫……ですか」
「はい。これって凄く昔の本みたい……あの、これがどうかしたんですか?」
あ、いえ。
多分何でも無いんだと思います、はい。
「あの、ところでハルヒは」
連絡が無かった時点で、答えは解っている気もするが。
「……昨日の夜も、長門さんといっぱい話し掛けてみたんですけど……何も変化は無くって」
朝比奈さんについて部屋の中に入ると、和室にしかれた布団の上でハルヒは目を閉じて眠っていた。


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あきゅろす。
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