ハルヒSSの部屋
St.claus On Stage !!
子供達にサンタクロースは居ると嘯く理由

『サンタクロース・オンステージ』


1.サンタなんて信じない僕らのために

サンタクロースをいつまで信じていただろうか。
なーんて取り留めのない事を考えてみると気付くのは、今でこそ捻くれちまった俺なんかでも、昔はそれなりに素直な子供だったんだな、っていう至極当たり前の事だったりする。
それは例えば、常に斜に構えているような独特の立ち位置を崩さないどっかの超能力者であってもそうだろうし、それは例えば、理知的で理詰めがちな親友にしたって同じだったんだろうと思う。
昔は子供だった。そんなのは当然の事だし、誰だって赤ん坊で産まれてくるなんてのは言うまでも無いよな。
んじゃさ。俺は果たしていつサンタクロースに夢を見る事を止めたんだろうね?
中学に入る頃にはもう、クリスマスの朝の玄関先にプレゼントを置いているのは両親の仕業だと気付いていたはずで。
喜びはしゃぐ妹に向かって「サンタさん今年も来てくれたぞ。良かったな」ってなリップサービスをその頃には既にしていた気がする。記憶は曖昧だが、小学生の後半にはもう「それ」が両親の仕業である事を信じて疑っちゃいなかったね。
……全く。我ながら可愛げの無いガキだった。両親には幾ら謝罪しても足りないかも知れん。
とは言え、未だにサンタクロースを大真面目な顔で待つ、夢見る少女真っ盛りな妹の行く末は兄なりに心配ではあるのだが。

なぁ。サンタクロースなんてのは、所詮、嘘っぱちなんだ。

しかし、結論を出すには少し早過ぎるかも知れん。ってな訳で、ここらでもう一度思索に沈んでみる。
俺は、どうして大人に騙されてきたのだろうか。言い換えれば、大人達はなぜ子供にサンタクロースなんて居もしない赤服爺さんの幻想を押し付けているのだろうか、って疑問。
夢は、叶わない。そんな身も蓋も無い事を言うつもりは毛頭無いが。それにしたって何の根拠も無く夢を信じさせるその所業は、果たして無責任が過ぎる気がしないでもない。
嘘吐きは泥棒の始まり。そう子供達に言い聞かせる、大人達が率先して嘘を吐く。
だとしたら子供の頃の俺は何かを盗まれたかも知れない。
「彼ら」に。
「大人」に。
彼らは子供の、サンタに夢を見る眼から、何を盗っていったのだろうか。
答えは……子供の俺には未だ見えちゃこない。

十二月。寒い寒い冬の日。事件は唐突に起こった。いや、逆だろうな。何も起こりはしなかったんだろう、きっと。
そう、思い返すまでも無く。何も、起こりはしなかった。
ただ、「終わった」だけで。
高校に入ってから……これも違うな。全てが始まったのはアイツが中学一年生の七夕か。
俺が手伝って、少女が自分の存在を宇宙に向けて大きな声で訴えたあの日から。
始まった事件が五年の歳月を経て漸(ヨウヤ)く終息を見た。
それだけの話。
神様の最後の願いは「神様でなくなる事」だったのかも知れない。
そう。
ただ。
それだけの、話。

ずっと一人きりだった、神様が寂しさを覚えても、それは罪なんかじゃ、決して無いだろう。

だから、この話は誰が悪い訳じゃない。
誰も悪くない。責務を失って何も出来なくなった宇宙人も、役目を終えて在るべき時間へ帰っていった未来人も、命令に従って唐突に姿を消した超能力者も。
神様でなくなった神様も。
誰も、悪くない。悪いのは、俺くらいのもので。
クリスマス。
良い子の願いが叶う日に。
虚偽の、幻想の、夢物語の。赤服爺さんは来なかった。
一年を良い子に過ごしていた少女の前に、奇跡は降りちゃ来なかった。
そりゃそうだ。そんなんは居やしないんだから。
だから、俺は悪者になる決意をしたんだ。
呪って、罵って、憎まれて、疎まれて。
それでも構わない。
俺はその日、嘘を吐いた。
最低で、最悪で、醜悪な、醜態を。
晒して。
それでも……それでも、俺は構わない。
ハルヒの笑顔が見られれば。
俺はそれで良い。
ああ、そうかい。
なるほどね。
だから、大人は嘘を吐くのか。
大人達が子供から奪っていったモンってのは、きっと――。

十二月二十日。

コンビニで買った缶コーヒーを簡易カイロ代わりにコートのポケットに入れて左手を温めていた俺は、自宅を目の前にした下校道途中で声を掛けられた。
「どうも」
「……珍しいな」
黒塗りの乗用車の、運転席から顔を出した古泉は俺に向けてにこやかに笑っていたのだと思う。暗がりだったせいで顔はよく見えなかった。
「免許、持ってたのかよ」
「まぁ、こういった仕事ですから。何でも有りですよ」
「なんだ? 船舶免許でも持ってたりするのか?」
「運転出来ないのは戦車や戦闘機くらいでしょうか。……ああ、冗談です」
……どうだか。悪いが俺にはその台詞が冗談には聞こえないが。
「俺を、待ってたのか?」
「ええ」
「ハルヒの前じゃ言えない用件が有る、って事だな」
「察しがよろしいですね。そんな所です」
「分かった。特急で着替えてくるから少し待っててくれ」
それだけ伝えて家に入る。後ろからパワーウィンドウの上がる音が聞こえた。

階段を上がりながら、古泉が訪ねて来た意味を考える。
ハルヒに関しちゃ最近は大人しいもので。
まぁ、大人しいって言ってもやっぱり言動と行動はどっかしらネジが緩んでいる感じだったが、それにしたって古泉が疲れた顔をするような事態も、朝比奈さんがワタワタするような無理難題も有りはしなかった。
……ふむ。俺の方には古泉が尋ねてきそうな用件に心当たりは無い、な。
だとしたら、十中八九近く差し迫ったクリスマスか冬休みかに向けて何かしらの悪巧みを持ちかけようってハラだろう。
……暇なのか、機関ってのは?
世界を守る為にそれが必要な事だ、ってのはよくよく分かるんだが。にしたってやってる事が、たかが女子高生一人のご機嫌取りであるからして。
世界って軽いんだな、結構。
「やれやれだ」
俺もそこに乗っているんであって、もう少し土台にはしっかりして貰わないと真っ直ぐ立っていられずに右往左往する事になるんだが。さりとて、おんぼろ宇宙船地球号のハンドルを握ってるのは何せあのハルヒだ。
あーあ。俺に迷惑さえ掛からなければ、別にそれで良いと、そう願うのすら過ぎた願望なのかね。俺はごく普通の男子高校生だぜ?
……勘弁してくれよ。

古泉の車の助手席に揺られながら、黙って車内BGMを聞いていると、ずっと口を閉じていた運転手が不意に口を開いた。
「『yapoos(ヤプーズ)』と言います」
「何が?」
「アーティストですよ。戸川純、聞いた事有りませんか?」
「……いや、無いな」
「残念です。このアルバム、『ダイヤルYを廻せ!』は名盤なんですよ」
「そうか。なら、今度貸して貰えるか?」
俺の問い掛けに、古泉は一瞬だけ返答を詰まらせた。気がした。
「差し上げますよ」
「MDに焼くから貸して貰うだけで良いんだが」
「きっと返して貰えないでしょうから」
そう言って苦笑を隠すようにソイツはハンドルを切る。
「どういう意味だ?」
「これが最後の逢瀬という事ですよ」
「気色悪い言い方をするな」
「おや、心外ですね。僕としては真実、デートの誘いのつもりだったのですが」
車は高速道路へと吸い込まれていく。どこに向かっているのか、なんてのは俺には知る由も無い。
運転手任せだ。

「そんな下らない用件なら降ろせ」
「ふふっ。連れないですね」
「……最後、ってのは?」
「言葉通りですよ。貴方と僕が顔を合わせる事は以降、二度と有りません」
意外にも、俺は驚かなかった。ただ、古泉の言葉を自分でも不思議なくらいにすんなりと受け入れていた。
いつかこんな日が来るだろうな、と。楽天家な俺だって一度たりとも考えなかったワケじゃない。
……心構えは、有った。宇宙人も、未来人も、超能力者も。いつかは俺の前から消えていく。元々が不自然な邂逅だ。
別れるのが、きっと巷じゃ「摂理」とかって呼ばれてるヤツで。
「そうか」
「はい。昨日の八時五十二分を以て、涼宮さんの願望実現能力の消失が確認されました」
「ハルヒのお目付け役としちゃ、晴れてお役御免、って事か?」
「ええ。最低限の監視、連絡網を除いて機関は彼女から撤退……いえ、解散と言った方が良いでしょうね。僕ももう、超能力者ではありませんし」
晴れやかであるべき筈の少年の台詞は、けれどちっとも楽しそうには聞こえなかった。気のせいかも知れない。気のせいじゃ、ないかも知れない。
「最終命令(ラストオーダー)は涼宮さん及び彼女の周辺人物との接触を断絶せよ、だそうで。明日の朝に正式に辞令が届きます」
「……寂しくなるな」
「ええ。恐らく、朝比奈さんも近く未来に帰られるでしょうね。彼女も僕同様に、貴方方二人の傍に居る意味を失いましたから」
ハルヒの願望実現能力の消失。その理由に、俺には思い当たる節が有った。
「やっぱ、昨日の電話が原因か?」
「原因という言い方は違いますね。元より兆候は有りましたから。ですが、弾み。切っ掛けでは有ったのではないかと思いますよ。素敵な告白でした」
「見てきたように言うな。いや、電話だから『聞いてきたように』か」
壁や障子に目や耳は有っても、俺にプライバシーは無いらしい。
「申し訳有りません。ですが、肝心要の部分は電波障害で聞こえなかったのでご心配なく。涼宮さんが、誰にも聞かれたくない。独り占めしたい、と。そう願われたのでしょう。そして、その能力の発現が最後になりました」
俺の方を見る事も無く……まぁ、ドライバーに余所見をされても困るんだが……古泉はクスクスと笑った。
まるで昔別れた親友の馬鹿話を、ふと思い出したみたいにクスクスと。楽しげに。そして少し、切なげに。


昨日の夜、ハルヒに電話をした。
内容の方は……まぁ、俺の口から言うつもりは無いし、余り人に言いふらすものでもないと思うのでここでは割愛しておくとして。
そして、その結果として今日の団活動でハルヒはさらりと、本当になんでもないかの素振りを装って、いつか出した「団内恋愛禁止」を撤回した。
口調こそいつも通りだったが、パソコンに隠した、その整った顔を真っ赤にして。
俺とハルヒは、今日、本日をもって恋愛関係になった。

引き金。
動けば。口に出せば。アイツを望めば。
俺を取り巻く世界の有り様の何かしらが変わるだろうな、とは思っていた。
けれど、何も変わらないだろう、と楽観視していた部分も確かに有って。
ハルヒなら。俺の慕う少女ならば。「今のままでいたい」と。そう思ってくれているんじゃないかと。願っていてくれていたらと。そう考えていた。
全く。我ながら浅はかだとしか言いようが無い。
ソイツは、少し考えれば分かる話で。
俺が告白をした事すら少女が望んだのだとした場合、それはつまり、涼宮ハルヒは「今のままでいたい」とは思わなかったって事になるんじゃないだろうか。
この世界は、神の意のまま。古泉の言葉を借りれば、全てがアイツの願った通りに動く。勿論、そんな訳は無いとは思うし、事実としてこの二年余り、ハルヒだってずっと笑顔だった訳じゃない。
けれど、それは。アイツの中に有る常識が「そんな都合の良い事は有り得ない」と。語弊を恐れずに言えば願望実現能力にブレーキを掛けてきたって事らしい。
常識。
そんなものがハルヒに満足に搭載されているとは思わないが、しかし、まるで無いとも言い切れない。少なくとも俺は、アイツが芯の部分では優しい女だって事を知っている。
神様は「今のままでいたい」と思っていながら、それでも「今のままじゃいられない」事を無自覚に理解しているのかも分からない。
それは「人間関係は変わっていく」って、そんな子供でも知っている事。
それは「別れはいつか必ず訪れる」って、至極当然の現実。
だって、俺達は出会ったのだから。
出会ったのだから、別れなければならない。いつか。

だから、古泉は俺達の前からいなくなる。

そして、朝比奈さんは俺とハルヒの前から消える。

きっと、長門とだってずっと一緒にはいられない。

だって、俺達は出会ったのだから。
出会ったのだから、別れなければならない。いつか。

きっとハルヒは選んだのだろう。誰と一緒にいたいか、を。
誰かを選ぶって事は、誰かを選ばないって事と同義で。何も選ばないで生きていく真似なんざ出来ないって、そんなんは俺にだって分かる。
そしてそれは、決して責められる事じゃないし、そしてまた、選ばれた俺には何を言える権利も有りはしない。
俺も、ハルヒを選んだのだから。同じように。
それは、他を選ばなかった、って事。
別れを受け入れた、って事。……なのかも知れないな。

「けれど、別れを惜しんではいけない訳では無いでしょう。……着きました」
車のエンジンが、それまでずっと続いていた何かに同調するように、その脈動を止めた。


2.永遠なんて信じない僕らのために

車から降りると途端に寒風が身を切り刻んだ。無理も無い。十二月真っ只中なんだ。寒くなかったら逆に、またハルヒが馬鹿をやったんだと疑わなきゃならん。
……ああ、ハルヒは願望何とか能力を失ったんだっけか?
少し物足りないと、そんな馬鹿な事を思っちまう俺は……多分、こういうのは気の迷いってんだろうな。ああ、そうに決まってる。
そうじゃなきゃ……困る。

困る? いや、困りはしない。ただ、破天荒な日々を懐かしむだけだろう。多分、きっと。
「ここは?」
「クリスマスには少し早いですが、所謂(イワユル)デートスポット、というヤツですよ」
「そんなんは見りゃ分かる。……地味に俺の事を馬鹿にしてんのか?」
「滅相も無い」
海に面して造られた郊外型のそのショッピングモールは、地元のテレビ局でよく特集が組まれていた。
確か、中庭にドでかいツリーがお目見えしたとかで、全国区のニュースでもやってた気がする。妹が母親に「行きたい」とせがんでいたな。
食い物屋の腹を唸らせる匂いに混じって、幽(カス)かに潮の香りがする。
「俺は、なんでお前と一緒にこんな所に来なきゃならんのかを聞いてるんだが」
「そうですね……僕に出来る最後のお節介を焼こうと思いまして」
お節介?
「予行演習、ですよ」
古泉はバチンと俺に向けてウインクした。その背後でショッピングモールはエコ運動に真っ向から反抗するように照明を焚いている。
元超能力少年の寂しげな微笑は、冬の夜に。ライトアップを背にして。不謹慎だがよく映(ハ)えた。
月を背負ったその姿は、まるで「孤高」という言葉を体現したかのように、そりゃもう映画のワンシーンみたいによく映えた。
別れを、意識しているんだろうな……俺も。コイツも。
シンパシー、ってヤツか。精神感応能力(テレパス)を手に入れた覚えは無いんだけれども。
超能力者は、目の前の優男の領分だ。お株を奪うつもりも、奪いたいと思った事も無いさ。

「予行演習、ね。そりゃまた、お節介極まるな」
「ええ」
こちらの気も知らず。いや、見透かしているにも関わらず、それでも楽しそうに。楽しくて仕方が無さそうに、古泉は笑う。
「初デートがクリスマスなんて、まるで絵に描いたようなスタートですね。羨ましい」
「偶々(タマタマ)だ」
「そうでしょう。偶然です。もしも貴方がもう少しシチュエーションを重視される方であれば、告白をこそクリスマスに廻すでしょうから」
僕ならそうします、と。うるせぇ。それこそ余計なお世話だ。
「上手くいったから良いんだよ。よく言うだろ。終わり良ければ全て良し。結果が全てだ、ってな」
終わり。
自分で言ったのに、針はチクリと心臓に刺さる。一瞬だけ、顔を顰(シカ)めたかも知れない。なるべく悟られないように、すぐさま俺は何事も無い様を装った。
「寒いし、中に入ろうぜ。で、晩飯奢れ。お前の誘いだろ」
敏(サト)いコイツに気付かれないはずが無いと、そう知りながら。
雪も降ってないのに湿っぽくなるのは、ゴメンだ。
「仰る通りに」
古泉が歩き出し、その後に続くように俺も歩いた。

少年の背に問い掛ける。
「引っ越すんだろ? どこに行くんだ?」
「申し訳有りませんが、言えません」
「電話とかメールとかはどうなる?」
「言いましたよね。機関の決定は『断絶』だと」
「そうか。なら……これが本当に最後か」
「ええ。本当の本当に、最後です。ですが、最後になって一つだけ願いは叶いました」
「へぇ。何だよ?」

「何の柵(シガラミ)も無く、超能力者ではない自分で、貴方とゆっくり語り合う事。つまり、今。この時間です」

古泉は、振り向かなかった。ただ、背中を震わせていた。寒いから、では無いのだろう。きっと。
「厳密に言えば、僕は未だ超能力者で在り続けているのですけれど、ね」
「閉鎖空間が生まれなくなったら、超能力を振るう場所も無い、ってか」
「そうです。涼宮さんの心の乱れに感応する事も出来なくなりました。以上、僕は今や名ばかりの超能力者なのですよ。スプーンを曲げる事すら出来ません」
前を行く男が取った両手を上げるそのポーズは、ソイツが空を見上げた事も相まって積雪を待ち望む子供のように。俺には「そう」見えた。
空には星。雲の一つだって有りはしない。
雪は、降らない。
「せめて、二学期終了くらいまで……クリスマスくらいまで待って貰う事は頼めないのか? 転校にしたってあんまりに唐突で、時期がオカしすぎるだろ?」
「元々、この学校に来た時期も中途半端でしたしね。それほど不審には思われないかと。それに、僕個人の感傷は兎も角として。機関は涼宮さんに力を取り戻して貰っては困るのですよ」
「機関、か」
「ええ。だから、契機。つまり彼女になるべくショックを与えたくないのです。そんなものは一度で良い。そして、その絶好のタイミングが今だと。そう僕らは考えています」
……一人称が「機関」から「僕ら」に変わった。つまり、その決定には古泉も納得済みだと、そういう事。
そうか。……そうかよ。
「貴方との新しい関係の始まりに彼女は少なからず高揚されているでしょう。どれ程しあわせを感じていらっしゃるのかは、既に僕ら超能力者には分かりませんが。それでも想像は出来ます」
「今のハルヒなら、離別に耐えられる、って言うのか?」
「例え耐えられずとも、傍に恋人がいらっしゃいますから。後のフォローは彼に任せれば、きっと良いようにしてくれるでしょう。違いますか?」
問い掛けに、俺としちゃ沈黙するしかない。
言われなくても、きっと落ち込んでいるハルヒに対して俺は何らかのアクションを起こさずにはいられなかっただろうからな。
惚れた弱み、ってそう言うのか、こういうの?
「涼宮さんには、笑顔がよく似合いますから」
肯定してやるのも、今の俺がやるのは照れ臭かった。
「どうだかな」
「もっと、色んな表情を……見ていたかったですよ」
後姿を見せ続ける、副団長の表情は見えない。こんな話をしながらでも、それでもコイツは微笑を浮かべ続けているのだろうか。
それとも……それとも。

ゲートを潜(クグ)った俺と古泉を出迎えたのは、ニュースで見た地域最大級のクリスマスツリーだった。
目いっぱいに電飾をその体に巻き付けて光る、ソイツの姿がなぜだかハルヒと重なった。目を細めたくなる程に輝いているからだろうか。
どうやら古泉も同じ感想を抱いたらしい。
「このツリー……どこか、涼宮さんに似ていませんか?」
「奇遇だな。俺も丁度、同じ事を考えてた」
「似てますね、僕達の思考回路は」
「いんや。ちっとも似てねぇよ」
「そうですか?」
「ああ。俺はお前みたいに賢くは、どんだけ経ってもなれそうにないね」
「……僕は貴方みたいに優しくは、どれだけ経ってもなれそうにない気がします」
少年が呟いた頭が痒くなりそうな台詞に異を返す、その前に古泉は振り返った。
「男性が二人でツリーを眺めていても奇異な目で見られるでしょうから、移動しましょうか。何か夕食のリクエストは有りましたら、どうぞ」
「腹に溜まるモンならなんでも良いさ。奢りだし、贅沢は言わねぇよ」
振り向いたソイツの、その顔は……それでも矢張り笑っていた。

結局、晩飯はモールに隣接する駅ビルのホテルの最上階。近辺で一番高そうなフレンチレストランになった。俺としちゃ場違いな感じで正直心苦しかったが、しかし古泉は「予行演習と言ったでしょう」と譲らなかった。
出て来た食いモンの味は、残念ながら余り覚えちゃいない。箸……いや、ナイフとフォークが止まらなかったって事はそれなりに美味かったんだろうが。
だが、それにしたって俺みたいなガキがホイホイと来て良い店じゃあ無かったね。断言しよう。十年は早い。
コース料理が全て終わって、食後のデザートとコーヒーが運ばれてきた後、古泉は口を開いた。
「僕から言うのは筋違いだと分かっていますが。しかし、涼宮さんをよろしくお願いします」
それはソイツが言う通りに一本として筋が通っちゃいなかった。が、それでも俺は頷いていた。理由は……分からないって事にしておく。
「俺に出来る範囲で、支えていくつもりだ。言われんでもな」
きっと、「最後」じゃなかったら、こんな本音を古泉に漏らす事は無かった。
「涼宮さんは、これから『普通の人間』として生きていかねばなりません」
「まぁ、それが普通なんだが」
「ですが、彼女にとってはそうではない。彼女にとってみれば願望が実現する方が『普通』で『当然』だったのです」
ふむ。自転車の補助輪を始めて外すような感じだろうか。
「その比喩で言うならば、乗り慣れるまでに誰かが付いていてあげなければならないでしょう。そして、貴方はその役に選ばれた。いえ、自分から志願なされた。そうですね?」
「そう……そう、なるんだろうな」
「貴方の決意を、聞かせて下さい。『俺』が安心する為に」
古泉は、コーヒーを一口飲んで、そして鋭く俺をねめつけた。微笑みの欠片も浮かべず。
そこに居たのは、素の「古泉一樹」だったんだろうね。俺が初めて出会う、本当の、本物のソイツ。
最初で最後、って言葉はきっとこんな時に使うんだと思う。
今、この場で使わないで、いつ使う言葉なのか。逆に頭を捻るくらいだ。

「願望実現能力を失った以上、彼女の世界は変わっていくでしょう。
今までのツケを取り返す様に……一つとして願望が実現しなくなる、そんな事態も、決して有り得ないとは言い切れません。
それでも貴方は彼女の傍らに居続ける事が出来ますか?」

古泉の言っている事を要約するのは……珍しく容易だった。
ハルヒの願望が一つとして叶わなくなるって事は、裏っ返せばそのパートナー共々不幸になるって事だ。そうだろ?
パートナー。つまりは俺の幸せをアイツが願えば願うほどに。その思いは「裏っ返る」。
例えば進学で。例えば就職で。例えば……不慮の事故なんて可能性も捨てきれない。
……死ぬかも、知れない。そう。その最悪の想像は。……けれど。
アイツの願いばかりが叶っちまって。その待遇に何のお咎めも無いのならば。願望実現能力を持っていないヤツに対して、涼宮ハルヒという存在はあからさまに不公平だ。
それこそ、神様なんざ居やしない。

世界はこれでもそれなりに公平に出来ているらしい。ならば。
自覚の無い幸せな過去は、不幸せな未来となって、牙を剥く。
涼宮ハルヒにもっとも過酷な形を取って。
それは、つまり。アイツが一番しあわせにしたいと願う相手への度重なる不幸という形を取って。

顕現する。
それでも。重なる困難を前にして。お前はハルヒの隣に居続ける事が出来るのか、と。
俺の前に座る、俺の友人はハルヒを案じる振りをして、その実一番心配されているのは……俺だと考えるのは自意識過剰が過ぎるだろうか?
いや……いや。決して考え過ぎじゃない。
短くない付き合いだ。知っている。
古泉は、そういう回りくどい優しさを持っている男。
「貴方には面白くない例えを持ち出しますが」
「言ってみろ」
「貴方が涼宮さんを慕われる、その感情すら彼女の願望実現能力の発露であったのだとしたら。……有り得ない仮定では、さりとて有りませんよね」

夢は覚めるから、夢なのだろう。
古泉の言いたい事を理解して、それでも俺は首を横に振った。
「無いね」
「ほう? その根拠は?」
「考えてもみろよ。既にハルヒは願望うんたら能力を失ってやがるんだろ?」
だったら、その時点で俺が抱いていた「恋心」ってこっ恥ずかしいシロモノも消えてなくなっちまうはずだ。
「人の心とは、急変したりはしないモノですよ」
「それでも、だ。俺は今、ハルヒを好きだ。よしんば俺とアイツが普通の恋人同士であっても、それ以上に何が要る?」
「……敵いませんね、貴方には」
少年は深く息を吐いて、そして頷いた。
「僕の負けです」
初耳だ。勝ち負けとか、いつから有ったんだよ?
「……完敗、ですよ」

少年はそう言って晴れやかに、そして別れの席には場違いに、笑った。
「乾杯は飯食う前にやっただろうが」
「では、今度は。貴方と涼宮さんの前途を祈って」
「お前も……元気でやれよ。手紙くらい、寄越せ」
「機関の監視が僕から解かれるのが何年後になるか、分かりませんが。必ず。お約束……しますよ」

「乾杯」
「乾杯」

コーヒーカップが奏でた、チンという軽い音は、それでも俺は生涯忘れる事は無いだろう。
忘れる事は……無いだろう。

分かっていた事だった。こんな日が来るって事は。
分かっていた……つもりでしかなかった。

古泉に降ろされたのは、変わり者のメッカ。よくよく縁が有るな、この公園は。
「僕のターンはここまででして。ここから先は『彼女』のターンです」
「彼女? ……誰だよ?」
「行けば、分かります。ベンチで、待っていらっしゃるそうです」
公園の街頭に虹の輪が、鮮やかで。
鮮やかで。
別れ際だってのに。
もう、会えないってのに。
鮮やかで。
鮮やかで。
鮮やかで。
「もう、会えないのか?」
あんまりに鮮やかだからこんな世迷言を、言っちまうんだ。返答なんざ分かってるのに。
分かりきっているのに。
古泉は何も言わずに頷いた。
その仕草は同性の俺ですら見入っちまうくらい、鮮やかで。
往年のハリウッド映画みたいに、記憶野にフルハイビジョンで記録されちまうくらい、鮮やかで。
「最後になっちまうが」
「はい」
「俺は、お前の事がそれなりに好きだったぜ?」
「……ありがとう、ございます」
「なんだかんだ言って、この二年程、一番喋った同性ってのはお前だったからな」
「僕も、ですよ」
「あー、なんだ。その……だから、おしい」
無二の友人を、失いたくは無かった。そういう、本音が口元から零れ落ちた。
「……知っていますか?」
「何をだ?」
「『惜しい』という言葉には、『愛しい』という意味が有るのですよ」
「へぇ」
「事実、『愛しい』と書いて『おしい』と読ませるそうで。ああ、作り話では有りません。お疑いなら帰ってから辞書を繰ってみて下さい」
古泉は目元を覆った。
「さて、貴方が先程言った『おしい』という言葉は、どちらの漢字を当てるべきですか?」
クスクスと、ソイツは笑った。クスクスと、俺は笑った。
「んなモンは神様に、聞いてくれ」
また今度、会った時にでも。
だから。
だから、また会おうぜ。
親友。

じゃあ今は、さよなら。

きっと少しだけの、バイバイ。

また会う日まで、ご機嫌よう。


3.再会なんて信じない僕らのために

冬のベンチに、「彼女」は座っていた。白い息で両手を暖めていた。俺の靴音を確認して、少女は座ったままに顔を上げる。
「お別れを、言いに来ました」
朝比奈さんの眼は、兎みたいに真っ赤だった。泣き腫らして、真っ赤になっていた。
鮮やかに。
鮮やかに。
鮮やかに。
艶やかに。
鮮やかに。
そりゃもう鮮烈な赤に染まっていた。
雪が降らないのが。背景に白が添えられないのが逆に場違いな、そんな気がする程に。
真赤。
「……お別れ、ですか」
「先刻(サッキ)、古泉君からも聞いたでしょう?」
俺は頷いた。
「ハルヒの力が、無くなったんですよね」
「はい。それによって、未来は確定しました」
「古泉と同様に、貴女の仕事も終わりって事ですか」
「いいえ。まだ、最後の仕事が残っています」
「最後の、仕事?」
「この時間から、私が消えるという、『仕事』です」

……良かった。救われた、気がした。
朝比奈さんが「帰りたくない」と思ってくれている事が、その言葉から分かったから。
仕事じゃなかったら。そう思ってくれている事が。どうしてだろうな。嬉しかった。
「朝比奈さん。どうしても、帰らなければいけませんか?」
「最優先コードで命令が来ていますから。私が何を思っても、何も出来ないんですよ」
朝比奈さんは笑った。クシャっと、可愛らしい顔を可愛らしく崩して。外灯に照らされたその顔はけれど見る間に、いつもの可愛らしい笑顔が見る影も無く歪んでいった。
頬を流れた涙は月の光を受けて虹色。
そんな顔は。例え最後であってもして欲しくなかった。

最後というこの場には、その表情ほどそぐうモノは無いと知りながら。それでもそんな顔は見たくなかった。
帰らないでくれと。そう懇願してしまいそうになるから。
もっと一緒にいたいと。そう哀願してしまいそうになっちまうから。
未来から来た少女は、未来に帰りたくないと、その顔をぐちゃぐちゃに歪めた。
「帰りたくないよう! もっと皆と一緒に居たかったよう! 涼宮さんと! 長門さんと! 古泉君と! キョン君と! もっと! もっともっともっと!! 一緒に、居たかった!!」
俺には、何も出来ない。何も、言えない。
肩を抱く事も。顔を見ている事さえ出来なくなって、眼を逸らした。
「なんで私なんですか!? なんでこんな思いをしなければならないの!? こんな想いを抱くくらいなら!」
聞きたくなくて、耳を塞いでも、少女の叫びはいとも容易く指の間を擦り抜けた。
心を塞いでも。指の隙間から、ソイツは的確に俺の芯を貫いた。

「過去になんて来るんじゃなかった!!」

少女は泣いた。泣いて、喚いて。だけど、俺には、何も、出来やしないってのに。
俺は、宇宙人でも、未来人でも、超能力者でも、異世界人でも無いから。
俺は、何も、出来ない。
俺は、無力だ。SOS団の、誰よりも、無力で、無様だ。
「帰りたくないよう」
帰らせたくない。
「帰りたくないよう」
行かせたくない。
「お別れなんて嫌だよう」
俺だって、嫌だ。
「会う事の無い人に出会うって、とっても素敵な事だと、ずっと……ずっとずっと思っていたのに」
出会いが有るって事は。
「しなくて良いお別れを自分から作って、私は」
別れが有るってそんな……こんな当然の事。
「私は……こんなのに耐えられる程、強くは無いよ、キョン君」
まるで、夢が覚めていくみたいだった。とても、しあわせな。しあわせな夢が。
夢から覚めるってのは、それは不幸になるとイコールでは、そういう事ではないはずなのに。
「……また、会えます。……必ず。約束します」
「なんでそんな事を言い切れるんですか?」
「なんででも。必ず。絶対です」
俺の言葉に少女は顔を上げた。
「……そっか。……あの……キョン君は未来の私に、過去に逢っているんですね?」
俺は何も言わずに頷いた。これくらいなら、朝比奈さん(大)も許してくれるだろう。
「私は、それまでに何度、誰かと出会って……何度、誰かと別れれば、良いのかな?」
「……分かりません」
「なんで私はこの時間に生まれて来なかったのかな? どうしてこの時代の人間として、皆に出会えなかったのかな?」
「……朝比奈、さん」
朝比奈さん、それは。その思いは。
その、切なくて、壊れそうな、その思いは。
「それは……それは、楽しかった事の裏返しでしょう?」
ねぇ、朝比奈さん。
「別れるのは、俺だって悲しい。だけど、悲しいからって嬉しかった事を忘れてしまうんですか?」
少女は首を振った。ぶんぶんと。首が取れそうな勢いで。
「忘れないよ! 忘れたりなんて、絶対に無い!!」
「ええ。俺もです」
別れが悲しいのは、出会ったのが嬉しかったから。

今は夜だけれど、月が空に踊っているけれど。明日になれば、陽は昇るんだ。
冬は、やがて春になる。止まない雨なんて、無い。
だから、ねぇ。朝比奈さん。
「『悲しい』で、『楽しかったなぁ』を塗り潰さないで、下さい。お願いします」
きっと、逢えるから。
また、きっと、逢えるから。
きっと、もっと、「合」えるから。俺達の縁は、そんなにヤワじゃないから。
古泉とも、朝比奈さんとも。どこかで、道は交わるから。
だから。
「……キョン君は?」
朝比奈さんの赤く充血した眼に、月が映りこむ。
雪が降って来ないのが、本当に場違いで。
「キョン君は……楽しかった?」
不安そうに、顔を覗き込まれる。そんな表情は、貴女には似合わない。
「楽しくなかった、訳が無いでしょう」
宇宙人と未来人と超能力者と神様と。
五人で居た日々を面白くなかったと、言うようなヤツが居たら連れてきて下さい。
何を見てたんだって。何を聞いてたんだって。ぶん殴って、蹴り潰して、やりますから。
「……ふふっ」
少女は、涙で濡れた顔で、それでも漸く、笑った。
「ありがとう」
「俺こそ、ありがとうございます」
貴女に逢えて、良かった。
心の底から、そう思った。
逢えなかったら、なんて想像も付かない。
ならば。
きっと。
また。
逢える。
もう逢えない未来、なんて想像も付かない。
不意にベンチ脇に転がっていたポシェットが、鳴いた。それは、シンデレラに舞踏会の終わりを告げる鐘の音にしちゃ、少し軽過ぎたか。

「わたしはこの時代にもうそろそろお別れしなければいけません。
キョンくん……たくさん貴方の未来の事で言いたい事は有るのに、禁則ばかりで何も言えないわたしから、出来るのはお願いだけです。
涼宮さんは、何が起こっても、何が有っても……貴方の事を信じています。大切な……禁則事項……やっぱり、言えないみたい。ごめんなさい……ごめんなさい」

雪が降れば、良かった。
そうしたら、絶対に忘れなかったのに。
雪が降らなかったから。
彼女の赤い眼を俺は見続ける事が出来なくて。
雪が降らなかったから。
彼女の震える肩にコートを掛ける事すら出来なかった。
降り積もるのは、切なさばかり。
安物のコートじゃ、心はおろか、冷えた身体すら暖められない。

朝比奈さんが顔を上げた。
「ねぇ、キョン君?」
「何ですか?」
「最後に一つ、質問しても良い?」
「どうぞ」
「あの……どんな質問にも、答えてくれる?」
「最後ですから。何だって正直に答えますよ」
「だったら……一つだけ」
「はい」
「キョン君の」
「俺の」
「好きな人は誰ですか?」
俺は正直に、今付き合っている、今日から付き合い始めた、神様ではなくなった、少女の名前を告げた。
「羨ましいな」
「何がです?」
「そんな風に、誠実に。言って貰える涼宮さんが。うん。すっごく羨ましい」
「朝比奈さんなら、すっげぇ格好良いヤツが簡単に捕まりますよ」
「えへへ。でもね。私は過去で恋愛をする事は出来ないの」
「ああ……ああ、そうですね」
「どんなに好きになっても。私は、未来人だから」
帰らなければならないから、と。少女は雲一つ無い、月明かり冴え渡る夜空を見上げた。
「星は、未来も、過去も、同じなのに」
「この空は、貴女の未来に続いていくんでしょう、朝比奈さん」
「はい。未来は、確定しましたから」
「だったら」
だったら。
「だったら、俺達は同じ空の下に居る」
「私達は、同じ空の下に……居る」
「ハルヒも。言っていたでしょう」
「涼宮さんが?」

「SOS団は、永久不滅だって」
遠い遠い未来にだって、時間の壁なんてさらっと乗り越えて。続いていく。この空も。星も。そして……俺達も。

最後に見た、朝比奈さんは涙を流しながら、笑っていた。
時間移動の瞬間を見られるのはマズいらしく、少女に促されるままに後ろを向く。俺としちゃ去り際までその可愛らしい顔を脳裏に焼き付けていたかったが、まぁ、その辺は仕方ないだろう。
彼女は、未来人だから。
俺は後ろを向いたまま、問い掛けた。
「この時間に、本当に来なければ良かったと、思っていますか?」
返答は無かった。ただ、背中が暖かくなった。前に回された細い腕を見て、背後から抱きすくめられている事を知る。

「キョン君、大好き」

慌てて振り返った。時にはもう、少女は影も形も見えなくなっていて。
「……そりゃないぜ、朝比奈さん」
俺は顔を覆った。
そうしないと、気が狂(チガ)いそうだったから。
「言い逃げとか、マジで勘弁だっつの」
顔を上げて、星を見た。
そうしないと、何かが零れ出しそうだったから。

この夜空が。
この星空が。
彼女の帰っていった未来に続いているのならば。
夜の風に溶かせば。
俺の返答はあの素敵な先輩に届くだろうか。
「俺も、貴女が好きでしたよ、朝比奈さん」
きっと、届かない。こんなんが届くなら、電話も郵便も要らないってハナシで。
ああ、本当に。
雪が降っていれば、良かった。
頬を伝うモノを、隠してくれただろうから。
雪が降っていれば、良かった。
悔しさに火照った顔に、それはすっと滲(シ)みていっただろうに。
雪が降っていれば。
そこにボールペンで未来への手紙を書いたのに。
前述の通り、今日は雲一つ無い星空で。
月にラブレターを書きたくても、手が届きやしないじゃないか。
いつかも分からない未来になんて、手が届く訳ないじゃないか。
また会える。そう自分で言っておいて。
俺はなんで、こんなに返答を諦めているのだろう。
もう会えないなんて夢の無い事。そんな現実を、俺は頭の片隅で理解していたんだろうね。
サンタクロースを信じなくなったように。
夢を見るのはいつしか諦めていた、そんな俺に降り注いだ二年間の奇跡。
それが終わっただけ。
奇跡は、二度続かない。

二度続かないから、ソイツは奇跡って言うんだ。
宝物みたいに閉じ込めて。脳髄に刻み込んで。
明けない夜がないように。
覚めない夢なんざ、有りはしない。
「貴女に会えて良かったから、俺は……俺も、今、悲しいです」
「未来」に帰っていった彼女は「今」頃、泣いているんだろうな。
きっと。俺と。同じように。
上を向いても零れるほどに泣いているんだろう。
月が、星が。憎たらしいくらい、綺麗だった。まるで嘲笑われてるみたいに、煌々と輝いていた。

こんな冷たい夜。忘れたくても、忘れられない。
なのに、寝るまでに布団の中で何度も反芻していたのは。
きっと、怖かったからだと思う。
記憶力の壊滅的な脳味噌を、この夜ほど呪った事は無い。
忘却なんて機能、俺は要らない。


十二月二十一日。

朝一番に入った古泉転校の報せは、ハルヒを落ち込ませた。まぁ、当たり前の話だが。
しかし……その日はそれだけだった。
ハルヒの口からは、長門の口からは、誰の口からも。「朝比奈みくる」という名前は出なかった。出て、来なかった。
まるで、最初からそんな先輩は居なかったかの様に。
部室に有るはずの彼女の衣装は、それが当然と一着も残ってはおらず。
学校に有るはずの彼女の痕跡は、それが忽然と塵一つ残さず消え失せて。
『わたしという存在は、パラパラ漫画の隅に描かれた落書きのようなものなんです』
まるで消しゴムで丁寧に擦り落とされたみたいに。修正ペンで上から真っ白に塗りつぶされたように。
ねぇ、朝比奈さん。
本当に、貴女はこれでいいんですか?
ご丁寧に、PCに有った彼女の足跡はフォルダごと消えて。
俺のケータイからは電話帳の登録件数が一つ減っていた。


4.希望なんて信じない僕らのために

「なぁ、ハルヒ」
団活が始まってからずっと団長机に突っ伏していたハルヒが、首だけを上げて俺を睨んだ。
「何よ?」
「クリスマス。いや、イブでも良いんだが」
「だから、それが何よ?」
「空いてないか?」
もう少し気の利いた誘い方は出来ないのか、俺!
「空いてないわ。空ける事は出来るけど」
「なら、空けておいてくれ。ああ、二十四でも二十五でも構わん」
「……どうして?」
「聞くか、それを?」
そして俺にそれを言わせるか?
「……甲斐性無し」
「何とでも言え」
「同情とか励ましなら、そんなのはお断りだから」
ジト目で呟く、俺の恋人。元神様。
「なら、予定はキャンセルだな。スマン。今の話は忘れてくれ」
「……そこは嘘を吐きなさいよ」
「フォローの意味合いも、無い訳じゃないんでな。俺はお前の彼氏だろ。お前の心配をする、権利くらいは貰えたモンだと思っていて、調子に乗っちまったらしい。忘れてくれ」
「……アンタ、口が上手くなった?」
「んなコタない。ただ立ち位置が変化しただけだ」
友人から。恋人に。
「だから、心配くらい、させろ」
「だったら、落胆くらい、させなさい」
ああ言えば、こう言う。全く、可愛くないね。
いや、そこが可愛いんだけどさ。

「クリスマスにさ。デートしないか?」
ハルヒの耳が、ピクリと動いたのを俺は見逃さなかった。

「二十四? 二十五?」
「いや、先刻言ったがどっちでもいい。都合の付く日を、お前が指定してくれると助かるんだが」
「なら、両方ね」
さらりと。言ったつもりなら分かり易く頬を染めるな。伝染すんだよ、照れってのは。
「泊まれる場所、探しておいてよね」
「……皆まで言うんじゃねぇよ。大体、今からじゃ見つかりそうも無いだろ、馬鹿」
気まずい。……なんだ、この空気。部室の隅の長門が心なし居心地悪そうに見えるのは、俺の罪悪感がそう見せているのか?
「何よ、キョン。嫌なの?」
本来は俺の台詞だろ、それ。俺のっつーか、男性側の。
……俺の彼女は相当に男前だね。いや、知ってはいたが。
「嫌な訳無いだろ。だが、ハルヒ。お前はいいのかよ?」
「付き合っていた時間とか、そんなのを気にしてるんならアタシは構わないわ。大体、こういう関係になってから日が浅いだけで、アンタとはずっと一緒に居たしね」
ハルヒの言う事も一理有るんだが。
しかし、それにしたって色々とすっ飛ばし過ぎじゃなかろうか。
「……鈍キョン。察しなさい!」
いや、何を察すれば良いんだよ、俺は。
……って、あ。
「……スマン。悪かった」
そうだった。涼宮ハルヒは、柄にも無く落ち込んでんだ。
コイツは、優しい女だから。大切な団員がいなくなって、凹まないはずがない。
「なぁ、ハルヒ」
「何よ?」
「もしも、違ってたら笑ってくれていいんだけどさ」
「だから、何?」
俺の恋人は、優しい女だから。
「俺に、気を使わなくても、いいんだぜ?」
古泉の急な転校で落ち込んでるのは、何もハルヒだけじゃない。
きっと、自覚が無いだけで。俺も……朝から一目瞭然で落ち込んでたんだ。
「心配してくれんのは嬉しいけどさ。同情すんなとは言わないが。だけど、そういう理由でする事じゃ無いだろ、『こういうの』は」
俺達は、似た者同士なのかも知れない。互いに互いを気遣いあって。それが悪い事だとは思わないけれど。だけど、そんなんを恋愛に持ち込んじゃいけないと思う。
笑うなら笑え。俺はそう思うんだ。
「キョン……アンタ、アタシを馬鹿にしてるの!?」
突然、ハルヒが椅子から立ち上がって、俺を下から睨み付けた。なんだなんだ? 何を怒ってるんだ、コイツは?
「どうしたんだよ、いきなり!?」
「アタシは! 情けない! 甲斐性の無い! 鈍感な! 馬鹿を慰める為だけに身体を許すような安い女じゃない!」

ああ、そうだ。
そんな事は知ってる。っつーのに。
俺ってのは馬鹿だから。
自分ばっかり良い格好をしようとして。
結果、優しい恋人を蔑むような真似をする。
なんて……ガキなんだ。

「そんなつもりは無かった。撤回する。謝罪もする。スマン。考えが足らなかった」
ハルヒが。そんな軽い気持ちで俺を受け入れる覚悟を決める訳が無いじゃないか。あの、涼宮ハルヒが。俺は一体二年間、コイツの何を見てきたんだよ。
きっとスゲェ悩んで。
きっとスゲェ考えて。
でもって出した、振り絞った誘いだってのに。俺ってヤツは。
ああ、マジで。これが自分じゃなかったらぶん殴ってやりたいね。
「なぁ、ハルヒ。俺で……情けなくて、甲斐性も無くて、鈍感で、挙句に頭も悪い、こんな俺が相手で、お前は良いのか?」
そうだ。情けなくても。これが俺の本音なんだろう。
自分に自信が無いのを、認めたくないが故に「慰める」とか理由を付けて。
ハルヒの覚悟を踏み躙(ニジ)ってた。
情けねぇ。ああ、なんて情けねぇ野郎なんだ。
大切な女に、本心すら明かせないなんざ。
「……反省してる?」
「ああ」
「だったら、二度と、あんな下らない発言はしない事ね」
「ああ。二度と口に出さないのは無理かも知れんが、努力はしてみる」
俺の言葉を聞いて、漸くハルヒは本日初めての笑顔を見せた。
「よろしい。だったら、先刻の質問に対する答えだけど」
そう言ってはにかむ。そうさ。古泉も言っていた。お前には笑顔がよく似合うんだ。
そんな表情をしてると、本当に女神様みたいだぜ、お前。
ああ、きっと。何も知らない人がお前を見たら、黄色のカチューシャをした勝利の女神に見間違えるだろうよ。
「確かにアンタは情けないわ!」
そんな事を胸を張って言うな。
「甲斐性なんて期待するだけ無駄だし!」
あーあー。なんでお前は俺を罵倒する時に限って、そんなに生き生きとしてやがるんだ。
「阿呆だし! アタシの気持ちに一年以上気付かなかったとか、鈍感も良い所よね!」
正面から蔑まれてるはずなのに。なのに、なんで俺はこんなに嬉しい気持ちになれるんだ。
ハルヒ中毒、ってか。オイオイ、冗談にも程が無いかい?
なぁ、俺の方はお前じゃなきゃ、ダメらしいぞ?
……お前は、どうなんだ?
「だけど!」
こんだけアクの強い女は後にも先にも居やしない。それにさんざ慣らされちまってんだ。
責任くらいは、取ってくれるんだろうな、団長さんよ。
俺の……唯一無二の恋人さんよ。
「だけど、しょうがないわ! アンタで我慢しといたげるわよ!」
「別に我慢してまで一緒に居てくれなくても良いっつの!」
「仕方ないじゃない! 好きになっちゃったんだから!!」
「……お前、逆ギレで言う台詞じゃねぇだろ、それも」
俺達の間に、色気なんでモンは無いし、ムードのムの字も有りゃしない。
だけど。それでも俺達は。
両想いで。
恋人同士だ。



ハルヒを家まで送り届けたその足で、俺は宇宙人御用達のマンションへと向かった。
「率直に聞く」
果たして長門は制服姿で。俺の来訪を分かっていたかの様にスムーズにマンションのドアは開いた。
「朝比奈さんの居た痕跡を消したのは、お前だな?」
「……そう」
玄関先で、長門は数ミリ頷いた。
「また情報操作ってヤツか」
「……そう」
「なんでだ?」
「朝比奈みくるに依頼されたから」
プラスティックドールみたいに、冷たい眼差しでそう呟く。
「わたしには断る理由が無い」
「そうかい」
長門が、一歩身を引いた。
「……立ち話もなんだから。入って」
「いや、ここで良い」
来る途中に買った缶コーヒーはすっかり冷めてしまっていた。それを口に含んで心を落ち着ける。
「お前は……お前も古泉や朝比奈さんみたいにやっぱりいなくなるのか?」
「情報統合思念体からわたしに送られている指令(コマンド)は現状維持で変わっていない。観測」
「そうか」
吐き出した息が白く染まる。安堵の溜息。
「このまま、涼宮ハルヒに能力再発の兆候が見られなければ、私は廃棄処分となる」
「廃棄処分?」
「実情は現状維持と変わらない。ただ、思念体との接続を永続的に切り離される為に情報操作能力を失う」
……人間になる、って意味に聞こえるのは俺の気のせいだろうか。
「それよりも……涼宮ハルヒ。そして、貴方」
「……俺?」
「統合思念体は涼宮ハルヒの能力喪失に強い失望を抱いている」
ああ。そう言えば長門は「自律進化の可能性」とやらを求めて地球に、延いてはハルヒの元にやってきたんだっけか。
「結局見つからなかったのか?」
「見つからなかった」
「そりゃご愁傷様だが……それと俺とハルヒの間に何の関係が有るんだ?」
長門はくりくりとした眼を俺に向けて、そしてはっきりとこう言った。

「涼宮ハルヒに近付く事は推奨出来ない」

意味が分からなかった。だから、聞いた。
「なんでだよ?」
「自律進化を彼女に見出だせなかった思念体が急進派を送り込んだ」
急進派。聞き覚えが有る、その単語。
「涼宮ハルヒの精神を揺さぶり、あわよくば彼女に能力を取り戻させようと……その為なら貴方を機能停止にするかも知れない」
機能停止。恐れていた、可能性。
それは、有り得なくは無い、程度の認識でしかなかったのに。
「その行為は正規の手順を踏んでいる以上、観測が任務のわたしには、何も手出しが出来ない」


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