ハルヒSSの部屋
鶴屋さんの隷属 2
そして、ついにこの時間がやってきちまった訳だ。
いやな。人間として生まれついちまった以上、行動継続可能時間には限りが有る訳で。大体、十六時間程度連続して行動しちまった暁には目蓋が重くなるのは必定なんだ。
つまり、何が言いたいか、ってーとだな。
「さ、ご主人様、お布団は暖めておいたよっ。さっさと入った入った!」
良い子は就寝の時間だったりすんだわ、コレが。
そして、浴衣姿の良い子はさっきからばっちり布団の中に入って俺が入ってくるのを今や遅しと待ち構えていたりするんだなー。
(BGM「九龍妖魔學園紀」オープニングテーマ もしくは ライフカードのCMソング)
どうするよ、俺!? どのカード切るのよ!?
「えーっと、鶴屋さん『男女七歳にして席を同じゅうせず』という言葉をご存知でしょうか?」
「知ってるよ! 『礼記』の一説だねっ!」
何の言葉かまで俺は知りませんでしたが。れいき、って何ですか? 名刀? つか、博学だな、この人!
「それがどうしたんだい?」
「いえ、知っているなら俺の言いたい事も分かって頂けますよね?」
「むぅ……」
頬を膨らませて布団の中からこちらを窺う鶴屋さん。ああ、命の危険さえ無ければ今頃絶対にその美貌の虜ですよ、俺だって。
「しかしだね、ご主人様? もしもその言葉を一生実行するとしたら、だよ? 子供なんて作らないって事だよね?」
うぐ……痛い所を。
「それとも、ご主人様の子供はコウノトリが運んできたり、キャベツ畑で生まれてきたりするのかな?」
鶴屋さんが蟲惑的に唇の端をにぃ、と持ち上げる。紅でも塗った様なピンクが愉悦に笑う。やり込まれてる。そんな事は分かってるんだ。
「しかしですよ、鶴屋さん。俺は男で、貴女は女性なんです。体格差は歴然としてる! 俺は正直、こんな状況で理性を保つ自信は有りません……」
内情を素直に吐露する。俺に出来る唯一の反撃がこれって。ああ、情けねぇ……。情けなさ過ぎて涙が出るね。
「さっきは見事にズボンを取ったけどねぃっ!」
「それは……! ですが、布団の中ですよ!? 俺にだってきっと力任せに押し倒す事が出来ちまうでしょう!?」
「かもしれないね」
「……だったら!!」
思わず語気を荒げる。そんな俺に対して鶴屋さんは静かに、けれどしっかりと言葉を紡いだ。
「ご主人様。……アタシは言ったよね。アタシの全てはもうご主人様のモノなんだって。あの契約書に押印して貰った時に、アタシは覚悟を決めてたんだよ」

「何度も言わせないで欲しいな。それとも、何度も言って欲しいのかい?」
鶴屋さんはにっこりと、笑った。季節外れの満開の桜みたいな、そんな笑顔で。
「アタシの全ては、君のものだよ。キョン君。だから、君の好きにして良いんだよ?」

果たしてここまで言われてちっとも感情を動かさない奴が居るだろうか。
彼女のその微笑には、きっと宇宙人だって少なからず心動かされてしまうに決まってる。
「あの……ですね……」
ダメだ。続けて言葉が出て来ない。少女の、その体いっぱいに詰め込んだ過去から放たれた覚悟を聞かされて、一体俺に何が言えるというのか。
「それとも、アタシじゃダメかい?」
「そ……そんな事は!」
無いに決まってる。むしろ俺には勿体無いって話なんだ。勿体無さ過ぎて、俺なんかには手を出す事すら出来ないんだ。
だからさ。
「俺、空き部屋で寝ますよ。だから……鶴屋さんは安心してここで寝て下さい」
鶴屋さんのお誘いは狂おしいほど抗いがたいさ。だけど……だけど、さ。
ヘタレだって、指差して笑ってくれて構わない。けどきっと、こういう事は一時の気の迷いでしちゃいけない事の気がするんだよ。
「んーと……ご主人様がそう言うんなら、アタシには何も言えないんだけどさ」
えっと……なんでしょう、その歯切れの悪い「間」は?
「この部屋とトイレとお風呂以外は、もう全部入れなくなってるんだよね……」
最初から俺の意思なんか聞いちゃいなかった、って、はいコレお約束!!
「なら、トイレで一夜を明かしますよ」
「黒子の皆が困るっさ!」
「廊下で……」
「この真冬に……凍死するつもりかいっ、ご主人様っ!?」
「……唐突に喉が渇いたんですが」
「ポットを用意してあるっさー。お茶で良いよねっ?」
「なら、もう浴室で……」
「最初はお布団でが良いんだけど……ご主人様がそういう嗜好の持ち主なら仕方無いねっ! 鶴にゃん精一杯頑張るっさ!」
俺の意思の介在する余地無し! 結論!
さて、という訳で俺と鶴屋さんは今二人で一つの布団に横になっている。……不可抗力だ。
「にしししっ」
何が可笑しいんですか、鶴屋さん?
「こうして誰かと一緒の布団で寝るなんていつ以来かな、って考えたら楽しくなってきちゃったのさぁ」
言われて俺も気付く。そう言えば、こんなんは何年振りになるのだろう、と。
母親と父親と一緒に寝なくなったのは、遠く記憶の彼方の話で。妹と一緒に寝たのだってここ数年は一度も無かった。
……こんな風に誰かと一つの布団を共有するのは、一体どれくらい振りになるのだろう。
少しだけ、ほんの少しだけ、悪くは無いかもしれないと、そう思った。
「アタシはね。物心付いた時にはもう、一人で寝るようになってたのさ。だから、誰かとこうやって一緒に寝た事なんて、学校の行事で、ぐらいしかなくってさ。
一枚の布団をこうやって分け合って、なんてのはもう、ほーんと初めてかもしれないのさ。寝る時はいっつも一人で。じぃーっと天井の木目とかを数えてたりするんだよっ」
「なんですか、それ。鶴屋さんらしいような、らしくないような話ですね」
中空をじっと見つめる猫のような目で天井を睨む小さな鶴屋さんを想像して、少しだけ笑った。なんともまぁ、微笑ましい話じゃないか。
「見る物がそれくらいしか無かったのさ。でね……じぃーっと木目を見てるとさ。そこに人の顔とかが見えてきたりするのっさ」
「ああ、有りますね」
「キョンく……じゃなかった、ご主人様も、かい?」
「ええ。そんで怖くなっちまって、でも親の布団に逃げ込むのも格好悪いから布団の中に頭まで、こう、すっぽりと」
「そうそう! 子供って皆考える事はおんなじなんだねっ! でもさ……」
少女の声のトーンが急に落ちる。
「でも、なんです?」
「アタシの場合は逃げなかった理由が、格好悪くて、じゃないんだ。逃げられなかったんだよ。……おやっさんは昔すっごく仕事が忙しい人でさ。アタシが寝るような時間に家に居る事はほとんど無かったんだよね」
お母さんはどうなんですか? そう聞こうとして咄嗟に口をつぐむ。
そう言えば、一度だって俺は鶴屋さんから母親の話を聞いた事が無かった。もしかしたら、そういう事なのかも知れない。
「家に居るのはお手伝いさんばっかりでさ。仲の良い人も居たけど、やっぱりそういう人は他人なんだよ。逃げ場には、アタシには出来なかったんだ……」
そう言う鶴屋さんが俺の浴衣の背をぎゅっと掴む。
ああ、ちなみに俺は鶴屋さんに背を向けて横になってる。さすがに顔を見たまんまじゃ眠れそうに無かったからな。
「だから……だから、すっごく自分勝手な話だけど、今、こうしてるのがちょっと嬉しいんだよ」
あの快活な鶴屋さんが、酷く小さな子供に見えて、なんだろう。俺は、安堵しちまってたんだ。
だからかな。こんな事を口走っちまったのは。
「今日だけ……今日だけですけど、俺が貴女のお父さんの代わりとして、一緒に寝ますよ。なんて、俺じゃ役不足かもしれないですけど」
「そんな事無いよっ!!」
背中で鶴屋さんが叫んだ。その声に少しだけ、涙が滲んでいた気がするのはきっと俺の気のせいだ。
「めがっさ……めがっさ嬉しいんだよぅっ!!」
俺の後ろで小さな女の子は、父親に抱かれて眠る娘に少しだけ戻れただろうか?
俺には知る由も無かったけれど。もし……もしもそうなら、ちょっとは今日一日の色々を許してやっても良い気がしたんだ。

月の光が少しだけ障子戸を通して室内に入り込む。沈黙の時間がどれだけか過ぎて。そして、次に口を開いたのは俺じゃなかった。
「キョン君。抱いてくれないかい?」
出来ません。何て言った所で、もしここで振り向いちまったら自制が利かなくなる事は目に見えている訳で。
「ねぇ? それともアタシじゃやっぱりダメなのかい?」
「滅相も無い!」
「なら、なんで? キョン君はさっき『自分は男でアタシは女だ』って言ったよね。ねぇ、なんでなのかなぁ?」
鶴屋さんの腕が俺の首に巻き付く。耳たぶに吐息をかけられる。
「俺は今晩だけ、貴女のお父さんですから。お父さんはそんな事しません」
俺の言葉に少女が耳元でくすくすと笑う。
「お父さんなら、ぎゅぅってアタシを抱き締めてくれるはずだよ。正面から。そうじゃないかい?」
言うが早いか、暖かく柔らかいものが俺に密着してくる。
甘い香りが、脳を焼く。
俺は、背後から鶴屋さんに抱き締められていた。
「これでも出来ない? するのが怖い? ブレーキ掛けられなくなりそうでダメ?」
まるで肉食獣に捕食される小鹿のように、ただ身をじっと縮めて耐えるしかない俺。完全に、男女の役割が逆転してないか!?
蛇の様に、俺の脚に柔らかい肌が絡み付く。
「ねぇ、こっちを向いて、アタシを抱き締めてよ」
耳たぶを襲った粘着質な甘い痺れに、俺の中の何かが、切れた。
「ほんっとうに、どうなってもしりませんからねっ!!」
振り向いて少女の両腕を押さえ込み、その上に圧し掛かろうとする。その時。
俺は見た。闇の中で、小刻みに震えている、少女の姿を。
急速に自分の中の何かが冷えていくのが分かる。
少しだけでも、障子から月の明かりが入り込んでいて良かった。何も見えなかったら、少女の強がりを見抜けなかったら、俺はとんでもない過ちを犯す所だった。
「なんで、そこで止まっちゃうんだい!? そのまま……そのまま、アタシを……」
残念ですけど、本当に心の底から残念ですけど。鶴屋さん、俺にはもう出来そうにありません。
「なんでなのさっ!?」
鶴屋さんが俺のヘタレ度合いをなじる。でも、無理です。何を言われても……。
「だって、鶴屋さん……震えてるじゃないですか」
肉食獣に捕食される小鹿のように、ただ身をじっと縮めていたのは、俺なんかじゃ無かった。
考えてみりゃ当然の話で。
俺は鶴屋さんの腕を放すと、なるべく痛くないように、なるべく傷付かないように、なるべく怯えないように。
そっと、壊れ物を扱うように、胸の中に小さな頭を抱き込んだ。
まるで、父親のようだな、となんとなくそう思った。
「キョン君。このままで……少しだけ、話を聞いてもらって良いかい?」
勿論、俺にNOなんて言える訳は無く。少女は話し始めた。
「えっとね。正直、今日はなんかゴメンね。突然で戸惑ったよねっ?」
「そりゃぁ、もう。唐突に『ご主人様』扱いですからね。戸惑うな、って方が無理ですよ」
「だよね。ゴメン……ね」
腕の中でで少女が落ち込んでいるのが分かる。大輪咲きの紫陽花の様な、あの笑顔がきっと今や見る影も無くしおれてるんだろう。
「いえ、きっと鶴屋さんにも何か事情が有ったんでしょう?」
そうじゃなきゃ、この人が唐突にこんな事をする筈が無い訳で。何が有ったんですか? なんて聞くよりも先に鶴屋さんが口を開いた。
「実は、さ。おやっさんの具合がここんところ、あんまり良くないのっさ。お医者さんが言うには若い頃の無理が今になって祟ったんじゃないか、って」
うん? 申し訳無いが全然話が見えないぞ? それと俺がこうして鶴屋さんと同じ布団に寝ている事の間に何の関連が有るんだ?
「あ、何も今すぐどうこう、って話じゃないんだよ? だけどね、だけどあんまり時間が残されていないのは確かなんだ……少なくとも、働いたりはその内に出来なくなるらしくて」
絶句する。いや、絶句しか出来ない。小さな体に、この人はなんてものを抱えて生きているのか、改めて知った思いで。
「もしも、さ。もしも今、おやっさんが倒れたら、たくさんの人が路頭に迷う事になるんだ。合理化、ってヤツ? 多分、たくさんの人がリストラされちゃうと思う……。
おやっさんはね、武田信玄が大好きでさ。良く『人は城。人は石垣』って言葉を口にしてて、部屋にも掛け軸が飾ってあるような人なんだ。
だから、リストラとかは絶対反対、って人でさ。鶴屋グループがここまで大きくなるまでに色々ピンチも有ったらしいんだけど、それでも絶対に人だけは切ったりしなかったんだ。
だけどさ。最近はそんな事も言ってられなくなってきてね。色んな事が機械に任せられるようになって……知ってる? 人件費って、人一人雇うって凄いコストなんだって。機械の方が全然安く済むんだって。
ウチも、結構そんな煽りを受けててさ。上の人達はリストラを叫んでるんだ。勿論、おやっさんがいる限り、そんな事は絶対にしないよ。だけどさ。
……だけど、おやっさんがもしも倒れたら、きっとウチも今まで一生懸命会社を支えてきてくれた人達を切るようになっちゃうんだと思う。
……だから。おやっさんが倒れる前に、アタシはどうしてもお婿さんを取って、おやっさんの跡取りを決めなきゃいけないんだよっ」
鶴屋さんが、俺の身体に顔を埋めて、今度こそ間違い無く、泣いていた。
浴衣が、濡れる。
「それで、俺が?」
鶴屋さんのおでこが俺の心臓の辺りにこつこつと当たる。きっと、肯いているのだろう。
「でも、なんで俺なんです? 言っちゃなんですが、俺は会社の社長とか、そんな器じゃ全然無い。俺は精々で万年係長とかその辺ですよ?」
「器なら持ってるじゃないか! キョン君はとっても優しいっさ!!」
「俺は……優柔不断なだけですよ」
言ってて自分で悲しくなるが、しかし実際そうなのだから仕方が無くって。
「違う!絶対違うっさ!」

「キョン君はとっても優しい! 今だってアタシの事を思って堪えてくれたじゃないか! 君以上に人を思いやれる人を、アタシは他に知らないよっ!!」
腕の中から俺を見上げた少女の、その顔は涙でぐしゃぐしゃで。だけど、そんな顔を見て俺は、初めてこの少女をいとおしい、って思ったんだ。

「でも……でも、ちょっと待って下さいよ! 今までの話は分かりましたよ。貴女がこんな風に迫ってきたのも、ちょっと釈然とはしませんが理解は出来たつもりです」
「キョン君の周りには可愛い女の子がいっぱい居るからさ。アタシが選んで貰う為には多少でも強引に行くしかなかったんだ……」
鶴屋さんがしょんぼりと話す。しかし……。
「そんな事はどうでも良いんですよ! そんな事よりも全然、大事な事が有るじゃないですか!」
「なに?」
「貴女の気持ちですよ! 決まってるでしょう!!」
俺が口走った、その言葉に少女が涙目で笑った。
「ねぇ、キョン君。アタシのおやっさんはどんなにピンチに立たされても、絶対に人を犠牲にしたりはしない、そんな人なんだ。アタシはそんなおやっさんを世界で一番尊敬してる。
おやっさんは、とっても優しい人なんだ。今もこうやって身勝手な、アタシなんかじゃ全然勝てないくらい、人が好きな人なんだ。
アタシがキョン君を選んだ理由。優しい、ってそれだけじゃないんだよ。
おやっさんは優しいからさ。もしもアタシが会社の為に、おやっさんを安心させる為だけに。望まない結婚なんかしようとしたもんなら、先ず大反対するのはおやっさんさ。だから、あたしは望まない結婚なんて出来ないんだよ。
ねぇ、ここまで言えば分かってくれる?」
「えっと……その……」
「もう、しっかりして欲しいっさ、キョン君。女の子に皆まで言わせるなんて、男らしくないぞっ!」
すいません。
……でも、ですね。
俺としては一回くらいそういう事を、ちゃんとした言葉で聞いておきたいな、って思っちゃったりしてまして。
「もう! 仕方の無いご主人様だなぁっ!」

「何度でも言ってあげるよ。アタシは、君の事が、好きなんだ」

そう言って、少女は俺の腰に腕を回して、力いっぱい抱きついてきた。
その顔にはもう、涙は見えなかった。

「やっぱり、キョン君はアタシが見込んだ通りの人だったね」
「そうですか?」
「うん。何よりもアタシの思いを優先してくれる。おやっさんそっくりっさ」
「……そうですか」
「そうさ!」
少女が世界で一番尊敬していると断言するその男性と、この俺なんかが同列に扱って頂けるなんて。

「そいつは身に余る光栄」
俺達は笑った。まるで仲の良い兄妹みたいに、一つの布団に入って顔を見合わせて、抱き合って、笑った。

月の光を受けて障子がほの白く光る。俺と愛らしい小さな先輩は抱き合って眠る。

「ねぇ、鶴屋さん、もう寝ましたか?」
「寝たねっ!」
思いっきり起きてるじゃないですか。って、まぁいい。
「その、入り婿云々って話はいつまでに、とか決めてるんですか?」
「卒業がタイムリミットかな……うん、アタシが一人で勝手に決めたんだけどさ」
後三ヶ月ちょい、ですか。
「なら、鶴屋さん」
「なんだい?」
「後三ヶ月で、俺の事を貴女に惚れさせて下さい。俺も、後三ヶ月。貴女を好きになれるように、精一杯努力しますから」
「今はダメなのかい?」
鶴屋さんが不安そうに聞く。
「ダメですね。鶴屋さんの気持ちは分かりました。でも、生憎と俺は鶴屋さんが思ってるほど優しい人じゃないんです。俺にだって恋愛をする権利ぐらいは有るはずでしょう?」
こくこくと俺の言葉に一々肯く少女。
「結婚ってのは恋愛のその先に有るものですよね。で、恋愛ってのは出来れば俺は両思いで有りたいんですよ。わがままですから」
「そんなこと無いよ! キョン君の言う通りさ!」
恋愛は一人じゃ出来ない。二人で育んでいくものらしいからな。
「だから、どうかこれから、よろしくお願いします」
俺は腕の中の少女の額に唇を寄せた。こんなキスしか、俺には出来ない。けれど、この程度が俺にはお似合いだ。
「って、こんな感じじゃダメですかね?」
鶴屋さんはブンブンと首を振ると、俺を見た。大きく開いた目の中に、月の光がキラキラと照り返ってとても綺麗だと、そう思う。
「こちらこそっ、めがっさお願いするっさ!」

少女は今一度、大輪の紫陽花の様に笑った。俺の腕の中で。
「大好きだよ、ご主人様っ!!」


(こっから先は蛇足です)


そんなこんなで翌日。
まぁ、当然と言えば当然なんだが一睡も出来んかった訳で。
目の下に隈を作っての登校が鶴屋さんを連れてなのは、もう言わなくても分かるだろう。
「いやー、昨日はぐっすりだったよ! なんか溜めてたもん全部吐き出してすっきりさんっさ! ご主人様、ありがとうっ!」
いえいえ。どういたしまして。ですが、ここは登下校に皆が使う道の途中です。右腕に貴女の両腕が絡んでくるのはもう諦めましたから、せめて「ご主人様」は止めましょうか。
誰だよ、鶴屋さんの隣に居るあの地味な奴、って視線が本気で痛いんですよ。
「そう言えば、二人っきり以外の時はキョン君だったね。あはは、失念しちゃってたよ!」
頼みますよ、ホントに。
「でも、本当に今日は快調だなぁ! やっぱり抱き枕は人肌に限るって事なのかねっ!」
鶴屋さんが大声でそんな事を口走るもんだから。
俺が少女を小脇に抱えてダッシュで北高名物の坂で心臓破りをしなきゃいけなくなるのは、これもまたきっと規定事項。

「ちわっす」
ノックをしてSOS団部室……違った文芸部室に入る。すると其処にはメイドさんが三人もいらっしゃった。
「何着てんだよ、揃って」
「話は聞かせて貰ったわ、キョン!」
ハルヒがフリフリのヘッドドレスを振り乱して叫ぶ。コイツはなんっつーか、いつも通りなのかそうでないのかの区別が付きづらいな。
「何の話だ?」
ちらりと部屋の隅でこちらを楽しそうに覗き込んでいる古泉を見やる。アイツ……昨日神人と散々格闘したにしちゃ、そんなに憔悴してないな……。
何が有ったんだ?
「アンタ、鶴屋さんをメイドにしたそうじゃない?」
メイドというか何というか。本人曰く「愛の奴隷」だそうだが、まさかここでそんな事を口走る訳にもいかん。
「そんな面白い事をアタシ達に黙ってるなんて、言語道断よ。だからっ!」
おいおい、嫌な予感がするぞ、チクショウ! 何吹き込んでくれやがったんだ、古泉この馬鹿野郎!
こんな時の俺の悪い予感は絶対に外れないんだ。ああ。
こいつもやっぱり規定事項で。
「アタシ達をアンタに隷属させなさいっ!!」
ああ、真性の阿呆だ……コイツ。って「達」!?

「なるべく粗相はしないように心掛けますので、どうかよろしくお願いしまぁすっ」
未来人少女が微笑み。
「……頑張る」
宇宙人少女はいつも通りの無表情で。
「やぁ、これでハーレムルート開通ですね。羨ましい事です」
超能力少年は俺に襟首を掴まれて頭をぐらんぐらん揺さぶられながらも、ちっともにやけ面を崩そうとしやがらねぇ。

そうしている内に、鶴屋さんが満面の笑みと共に部室のドアを開けて。
俺の世界は今日も厄介な非日常が展開されるんだ。
楽しいか楽しくないか、なんて事はまた別の問題としてな?

「ハルにゃん達には渡さないよっ!ご主人様はアタシのもので売約済だからねぃっ!」
まぁ、少女が今日も満面の笑顔で笑えるなら
俺に降りかかる数多の災難なんてのも、きっと問題でも何でも無いんだろうよ。

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