ハルヒSSの部屋
長門「それは古泉一樹の観察記録」
放課後の文芸部室。彼が僕を見ていた。じっと、疑惑のこもった目で見つめられていた。
いつもであれば僕はそれを受け止めて微笑んでみせただろうけれど、しかしいつもではないのでそれも適わない。
目を逸らしたまま、およそ三分が経過した頃にようやく彼が口を開いた。

「えーっと、だな」

歯切れの悪い彼というのも、珍しい。とは言え、その理由には検討が付きますので僕は何も言えない。
まるで、審判を待つ罪人のような気分でした……が、果たして僕が何をやったというのでしょうか?
完全に冤罪です。

「なあ、古泉」

「……はい、なんでしょうか?」

「こういう場合、俺はどこからツッコめば良いんだろうな?」

血の気の引いた顔で彼がボヤく。その気持ちも痛いほど理解出来ますよ。

「発想を転換してみてはいかがでしょうか?」

「転換?」

「ええ、そうです。例えば、貴方と僕の状況が逆ならば、貴方は果たして僕に何を望むでしょうか、と」

彼が人差し指を額にするすると持っていく。その表情はまるで難事件の推理を始めた名探偵のように険しい。

「……スルー、だろうな」

「ですよねえ」

十一月。登下校の道のりにマフラーを巻いている北高生が目立つようになってきた昨今。しかしながら、決して僕が寒いと感じないのは絶えず腰の辺りが暖めているからで間違いありません。

「なるほど。納得した。なら、質問の内容と対象を変更してやる」

「助かります」

肩の荷が下りたと、そう感じるのは錯覚でしかないのでしょう。状況が何も変わっていない以上、問題は何も解決していない以上。
彼は怪訝な視線を僕の斜め後方へと送り、そしてまた一つ深い溜息を生産した。

「長門。いや、俺の目に何らかの宇宙的なウイルス辺りが侵入した結果だと、信じたいんだが」

「貴方の視覚情報にそのような介在要因は現在存在していない」

いえ、今のは確認ではなく皮肉だと思います、長門さん。
……現実逃避、でしょうか?

「そうか。……受け答えが出来るって事は等身大一分の一長門フィギュアって線は消えたな」

そんな想像をしていたのですか、貴方は。その類稀なる発想力は少々驚嘆に値しますが、しかし仕方のない事なのかも知れません。
人間というのは突拍子のない状況を否定しようとして、更に突拍子もない事を考えてしまう生き物ですから。

「……フィギュア?」

「あ、いや、何でもない。ただの妄言だ」

妄言というか、何というか。僕が何も言葉を挟めずに押し黙っている、その隣で彼と長門さんの視線が交錯している。
視線のデッドヒート、とでも比喩するべきでしょうか。

「長門のそっくりさん、ってンでもないんだな、古泉?」

「世界には自分と生き写しの容姿を持った人間が三人居ると言いますが……しかし、宇宙製有機アンドロイドは二人と居ないでしょうね……」

「だよなあ」

彼が頭を掻いた。僕は恐る恐るこの言葉にし難い状況を作り出した張本人を振り返る。
少女は、ただそこに居るのが当然と立っている。いや、抱きついている、という方が正しいでしょうね。

「さぞあったかいだろうな、古泉」

彼がうんざりと口にする、その台詞に僕も同調してうんざりと応えざるをえなかった。

「いえ、どちらかといえば薄ら寒いです。共感、頂けませんか?」

「いや、無理だろ。想像の範囲外だ。非常識っつーか、非日常っつーか」

「不快ではありませんが、しかして快いとも決して言えない僕が居ます。お気付きに、なりませんか?」

僕の視線の先には、携帯電話のストラップのように離れない、少女。

「谷口調べの北高の美少女ランキングでトップ10に入るソイツに抱き付かれておいて、そんな感想しか出て来ないのかよ、お前は?」

話題の渦中、長門さんは無言を貫いている。それは彼女の常態ではありましたが、正直今だけは饒舌に振舞って頂きたいと心から望んでいる僕が居ます。
無言などはこの状況下、あらぬ誤解の種でしかありません。

「……残念ながら、ですね」

「気持ちは分かるけどさ」

僕らは溜息を量産する。そろそろ文芸部室は僕らの溜息で埋め尽くされたかもしれない。重い空気が、漂っていた。
彼が本題を、そんな中であっても切り出した。この辺りの決断力は僕にはないものであり、流石は神に選ばれた少年だと少しだけ自分の事のように誇らしく思います。

「で、長門?」

「何?」

「古泉の腰にへばり付いて、一体お前は何をやってるんだ?」

彼の口から放たれた、その質問に少女が何と答えるのかを僕は知っていた。それは今朝から僕が何度となくしてきた質問と寸分違わぬ内容でしたので、ね。
まあ、順当に考えて一番の疑問でしょう。

「観察」

四文字。漢字にすれば二文字しかない、簡潔にして理解に易い回答。しかして、それは普通は到底理解出来るものではありません。

「観察?」

「そう。観察」

どうやら、僕は宇宙人の観察対象に、今朝から選ばれてしまっているようです。
僕と長門さんの前で、彼が頭を抱えた。

「ちょっと待て。今、俺は実は未だ夢の中に居るんじゃないかと自分の頭をいぶかしんでいる最中なんだ。少し状況整理と現実容認の為の時間をくれ」

「了承した」

恐らくはほんの数ミリ、首を上下に動かしただけの彼女の動作はけれど、僕の皮膚感覚に驚くほど容赦なく響く。
人間の体内は70%が水で出来ている。その事実が、まるでウォータベッドのように少女の身じろぎ一つ一つと鋭敏に共振する僕の精神を襲います。
……正直、ご勘弁願えないでしょうかという本心は、もしかすると男性失格かも知れません。

「よし、帰還完了」

「なら、目を背けないで下さいよ」

「いや、それ無理」

「でしたら笑うか泣くか、表情をはっきりさせて貰えませんか?」

「人間は一か零かじゃないんだぜ、古泉」

……少々気の利いた台詞回しであっても、その苦虫を噛み潰したような顔では少しも僕の心に障りませんが、果たしてそれでいいのでしょうか。

「まあいい。当面の問題は、だ」

だから、目を逸らさないで下さい。お願いします。この件に関しては「一生に一度のお願い」権を使用する事も辞さない覚悟ですよ、僕は。

「長門。何をしているのか、は分かった。観察……してるんだよな、古泉を」

「情報の伝達に齟齬が生じている」

ああ、少女が肺を上下させる都度、その小さな顎を動かす度に、理性の動員を余儀なくされるのは……これは何ですか? 涼宮さん辺りが考え出した新手の拷問ですか?
でしたらば、非常に効果的であると、僕は憎らしいですがそう言わざるを得ません。

「何? 齟齬だ?」

「そう。私は古泉一樹を観察しているのではない」

「おお? いや、ちょっと待ってくれよ。なら、何でお前は古泉にへばりついてるんだよ」

彼の問い掛けに少女は、僕の体を一度強く掴んで答えた。

「今回の私の目的は、他者かの視点から見た世界と自分の視点との『ズレ』を観察、理解する事」

全く、迷惑な話です。

「現在の私は私自身と古泉一樹の視覚情報を同時並列処理している」

彼が目を細め、そして僕と長門さんとを交互に見比べた。何かを訴えるように若干僕を見る方の時間が長い気がしますが、しかしアイコンタクトを受け取るには選択肢が膨大過ぎますね。

「いや、悪いが長門。お前さんが何を言ってるのか、俺にはさっぱり分からん」

「つまりですね」

そろそろ説明役である所の僕の出番でしょうか、とは思っていましたがやはりですか。

「長門さんが、他者に興味を持ち始めたという事なんですよ、これが」

そして、それが長門さんに対して僕がそこまで強く出られない理由でも有る。ああ、僕はこんなにお人よしだったでしょうか。
自分の属性、ないしキャラ付けが、自分自身の事でありながらも曖昧に、そして不安になってしまう僕です。

「説明ありがとうよ。で、だ。どうも俺にはまだよく分からないんで、どこをどう取ればそういう結論にたどり着くのか一つご教授願えんだろーか、プロフェッサー古泉」

博士号を取った記憶は無いのですが。

「以前の長門さんならば、このような行いはなされなかった。それに関しては納得頂けますか?」

「当たり前だ」

いえ、そんなに力強く頷いて頂かなくても結構ですよ?

「俺の長門がそんなに腕白なわけがない」

「……俺の?」

「おや、さらっと所有物宣言ですか。これは困りましたね」

「そこは流せ」

彼が少しだけ顔を赤くして明後日の方向を見つめました。ふむ。どうやら僕が知らないだけでキャッチコピーか何かを捩った発言のようですね。
もしも本音がとっさに顔を覗かせた、そんな発言であったのだとしたら冗談ではなく世界の危機が訪れかねない事態であっただけに内心胸を撫で下ろす僕です。

「元ネタはちょっと恥ずかしいんだよ」

「分かりました。では、不問という事で。僕の浅学さも露呈してしまいましたし、これはどちらかと言えば痛み分けでしょうか?」

「いいから本題に戻るぞ。さっさと続きを話せ」

「畏まりました」

僕がお辞儀をすると、長門さんが僕の背中に乗るような体勢になってしまった。意外な軽さに……いえ、女性に関して体重の話を持ち出すのは野暮でしょう。

「さて、先ほど僕が口に出し貴方が頷かれたように、以前の長門さんならばこのような事態は有り得なかった。では、以前と今では何が違うのでしょうか?」

長門さんは喋らない。ただ僕の右側後方に張り付いているだけであるのを幸いと、僕はまるで彼女がこの場にいないように話す。

「違い……か。難しいな」

「では、ここで発想の転換を。貴方は入学当初に出会った長門さんと、現在の長門さんが同じ思考回路をしているとお考えですか?」

「……いや」

彼は首を振った。その様子は首の据わりを直そうとしているように、見えなくもない。
もしかしたら、まだこの現実を夢だと思っているのかも分かりません。いえ、僕も自信はありませんが。
朝起きたら同じ布団の中に宇宙産の美少女が居た、などといった現実を即座に受け入れられる人の方こそ希少であるのは想像するに難くなく。

「いや、それはないな」

「つまり、変化ですよ。成長と言ってもいいでしょう」

もしかしたら、それは退化なのかも知れませんが。これは言わぬが華。僕の心の中に留めおくだけにしておく。

「そして、その変化はついに他者を慮る所にまで来た、と。そういう事なのでしょう、恐らくは」

「ふうん。なるほどな」

「今の説明で分かりましたか? 正直、上手く説明出来たか心配なのですけれども」

「そうだな。分からない所を除けば概ね理解完了だ」

完全に間違っているという点を除けば概ね正解、の様な言い回しをされましても僕には困る事しか出来ません。

「いやな。それにしたってなぜ古泉なのか、っつー疑問は残るしよ」

「その発言は、なぜ自分ではないのか、と解釈させて頂いても?」

「よろしくない」

ジロリと、僕を睨み付ける彼は少し……いえ、とても疲れているように見受けられたのは、これはしかし鏡写しであるのでしょう。

「ふふっ。そうですね。なぜ、僕であるのか。それは僕も長門さんに聞きましたよ」

「まあ、当然の疑問だよな」

「ええ、極自然な質問だと思います。ヒトは不幸に見まわれた際にその因果を考えるよりも先に、なぜ自分なのかを問う生き物だと言います。身に覚えは有るでしょう?」

「現在進行形で有り過ぎる」

恐らくは涼宮さん絡みで、でしょうね。いえ、その中には僕も長門さんも、そして朝比奈さんも含まれている事でしょう。

「まあ、いい。で、長門はなんて?」

「観察対象……つまり、貴方と涼宮さんではいけなかったそうですよ」

少女の常日頃の観察対象。それではいけなかった理由は、これは推察するしか出来ません。が、推論は立ちます。

「そしてまた、同性であるよりは異性である方が観察の対象として妥当である……らしいです」

「それで、お前か。ようやく納得した」

「ええ」

本当に。ああ、可愛らしくも迷惑な話です。

「ご苦労だな、古泉」

普段であれば「ご苦労様です」と声を掛けるのは僕の側である筈でしたので、何か違和感を覚えます。沸々と沸いてくるこの感情は、余り気持ちの良いものではありませんね。
日頃の彼の心労が分かる気がします。ああ、これは肩代わりであるのかも知れませんね。抱き付かれているのは腰ですが。

「勿体無い言葉、とでも僕は言えば良いのでしょうか? とは言え、まあそれほど長くは続かないと思われるのが救いでしょう」

「へえ。その心は?」

「価値観の相違。主観の差異。そんなものは実際有り触れて、溢れ返っているからですよ」

誰かと同じ視点を持っているヒトなど、いない以上。それは抗えないギャップ。
視点がズレれば、論点がズレる。
接点がズレれば、交点がズレる。
始点がズレれば、終点がズレる。
そんな事は言葉にするまでも、考えるまでもなく当然の事でしょう。

「長門さんほど賢い方であれば、すぐにそこに気付き至ると考えますね。楽観でなく」

世界中のコンピュータを直列に繋いでも適わない、情報生命体が創り出した有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェイス。
長門有希。
彼女の処理速度は、想像する事すら許されない。

「きっと、今晩には愛らしいおんぶお化けさんもいらっしゃらなくなっているでしょうから。
そう考えたら、悪くない戯れ、日常におけるスパイスであるかも、などと自分を騙せる所までは思考も行き着きました」

「人はそれを諦めと、普通は言うんだけどな」

彼が意地悪く、そう口にした。
内心で辟易しつつも、そしてそれを見透かされつつも、しかし微笑みを浮かべ続けていられたのは機関の教育の成果でしょう。
別に、それが嬉しい訳でも感謝している訳でもありませんが。これはもう、癖のようなものですしね。

「大体、授業中とかどうしてるんだよ。凄い目で見られただろうが」

別クラスの長門さんが引っ付いて離れなかったりするのですから、クラスメイトはそれはもう奇異な目で見るでしょうね。ただし、彼らに長門さんの姿が見えていれば、の話です。

「問題ない。古泉一樹の日常活動に支障を来たすのは私の本意ではない」

「長門さんお得意の不可視、ですよ。いえ、認識干渉でしたか。見えていても、それに気付けない。そういう事になっているらしいです」

流石にそこは何とかして頂かなければ、僕は今日、仮病でも使って学校を休んだでしょう。
宇宙人に監視されている、となるとこれは統合失調から来る幻覚の疑いがありますね。ええ。

「その辺は考えて貰えてんのか。良かったな、古泉」

他人行儀な物言い。良かった、などとは欠片も思っていらっしゃらない事など明け透けです。

「本当に良かったと思っているのなら替わって……」

あげましょうか、と。そう続けようとした言葉はキイという扉が開く音に阻まれました。

「遅れましたー。すいません、涼宮さん。鶴屋さんと入試対策の問題集を睨めっこしてたらすっかり時間を忘れ……」

頭を下げつつ部室に入ってきた少女……朝比奈さんは謝罪の言葉を口にしながら頭を上げ、そしてそこで凍り付いてしまった。
……なんですか、この罪悪感。
彼女が見つめているのは僕。そして、その腰にピタリと吸い付いた長門さんの姿。
僕が悪い訳では、断固としてない筈なのです。なのですが……。

「あー……朝比奈さん、これには事情が有るんですよ」

「そうです。古泉のヤツが長門と付き合いだしたとか、そういうのじゃないんで、おーい、朝比奈さーん? 聞こえてマスカー?」

反応、無し。

「古泉一樹の視線が朝比奈みくるのごく一部に集中している。なぜ?」

僕が見ているのは、焦点の定まらない少女の目です。言い方に悪意を感じますが、もしかして長門さん、僕に何か恨みでも有るのですか?
そして、朝比奈さん。忘我の状態でありながらもゆるゆると両手を胸部へと持っていくのは、僕に対して少々失礼ではないでしょうか。
日頃、僕はそんな目で貴女を見ていた事などあったでしょうか?

「おい、古泉。今すぐにその両目を抉り取れ。朝比奈さんに失礼だろうが」

ああ、分かりました。僕に人権は認められていないのですね。少なくとも、このSOS団不思議チームの中では。

「抉り取るとか、ちょっと酷くないですか?」

「無い。全く、無い。神様の姿を見て目が潰れたとかそんな神話がどっかに有っただろ。その両目に最後に焼き付けられたのが朝比奈さんの御姿だって幸いを胸に抱いて潔く抉れ」

彼の朝比奈さん信仰はちょっと行き過ぎている気がしないでもありません。
そして、僕の扱いの無残さも。

「あ……あのっ!」

ようやく、少女の精神が現実世界へと帰還されたようです。今日の僕を見て現実から幻想へと逃亡を計ったのは貴女で二人目です。
そんなに滑稽ですか、他人の不幸は?

「わ、わたしは両目なんて酷過ぎると思います! 片目で十分です、古泉くん!」

片目だって嫌ですよ。勘弁して下さい。
どこまで冤罪は続くのでしょう。そして、長門さん。いつになったら離れてくれるのですか?
僕は貴女の思い付きの行動によって今、まさに虐待の危機に瀕しているのですが。

「冗談はそのくらいで」

「おい、待て、古泉。どこが冗談だったのかさっぱり分からんので説明を頼む」

「貴方達の発言の全てが僕には冗談としか取れませんでした……が?」

特に朝比奈さん。貴女の発言がトドメです。ピンク色の声音をもってのどどめ色の発言はどうかと思います。

「俺は一度も冗談を言ったつもりはないんだけどな」

「本気だったんですか!?」

本気で人の両目を抉る算段を立てていたのだとしたら、僕は付き合う相手を間違えてしまったかも分かりません。
それより何より、神の人を見る目を疑います。

「……割と」

その声は彼ではなく、僕の後方から聞こえました。
四面楚歌とはこの事でしょう。味方が欲しい、と僕が心から思った所で誰にそれを責められましょうか?

「あ……ごめんなさい! わたしが、わたしがいけないんですっ! 別に減る訳じゃないし……み、見てくらしゃい、古泉くんっ!」

声を震わせてそんな事を言われても……一体、僕が何をしたというのです?
そして、そんな目で睨まないで下さい。お願いです。唯一の同年代、同性の友人だと思っていた貴方に本気で睨み付けられると、いっちゃん本気で悲しいです。


さて。
一悶着有った末に何とか朝比奈さんへの説得……違います、説明を終わらせた僕らは互いに指定席となった椅子に落ち着いてお茶を飲んでいました。
朝比奈さんの淹れてくれたお茶がここまで心を癒す効果が有ったとは、思いもよりませんでした。もしかしたらこの世界のバランスはこのお茶で保たれているのかも、と真剣に思案してしまう程です。
今度、機関に掛け合ってSOS団での茶葉購入に予算を使えるようにしてみましょうか。

「へえ、そういう理由なんですかー」

「そう」

「なんだか、長門さん変わられましたね」

「私は、変わった?」

「あれ? 実感有りませんか?」

朝比奈さんは僕の方を向いて、ふんわりと笑顔を浮かべられました。いえ、実際は僕ではなく僕の隣に座った長門さんに向けられた笑みなのでしょう。
何の裏も見受けられない、その笑い方はいつか是非ともご教授頂きたいものです。

「えと、変化って言っても勿論良い意味で、ですよ? とっても、何て言うのかな……可愛く、そう、可愛くなられました!」

残念ながら諸手を挙げての賛成は出来そうにない僕です。両目を失いかけた恐怖は、どうしてもフィルタとなって長門さんを見る目を濁します。
非常に魅力的である事は認めなくもないですけれど、しかし魅惑的なまでに非情な気もするんですよね……。
いえ、からかわれて遊ばれているのは分かっているのです。少女の感情が発育してきている実感は有るのですよ。
ただ……これは好きな子をいじめるいじめっ子をいじめられた方は決して良くは思わない、というそんなものなのかも知れません、が。
……。
……好きな子。
いえ、まさか。
まさかまさか。ありえません、そんな事は。

「可愛い、という概念が私にはよく分からない。朝比奈みくる。詳細な説明を希望する」

「ふえ?」

少女の言葉を僕は心の中で反芻する。可愛いという概念が分からない。なるほど、そう来ましたか。
それはつまり、人を好きになる、という感情が育っていないのが原因なのでしょう。……否。自覚の有無、でしょうね。
これは厄介な質問ですよ。さて、朝比奈さんはどう返すでしょう。

「可愛い……ですか。そうですねー。なら、長門さん。今度、一緒に女の子のお店に行きましょう!」

「女の子の、店舗?」

「そうです! 可愛いものがたーっくさん有りますよ! きっと、長門さんが気に入る物だって中には有るはずです。ぬいぐるみとか、ティーカップとか、お人形とか。わたしと鶴屋さんがよく行くお店を一緒に巡りませんか?」

これはこれは。僕には出て来ない発想ですね。朝比奈さんらしい、まさに発想の転換。概念を言葉で教えるのではなく、感じる事、触れさせる事によって理解を促すとは。
ヘレン・ケラーに家庭教師が水とコップの違いを教えた逸話のようです。
素直とは、時に天才的な発想を生み出すものなのだと、朝比奈さんをまじまじ見……ようとして目を逸らす僕です。
どうにも、やりにくいですね。

「そう」

「ダメ、ですか?」

僕の背中に少女の動きが伝わってくる。恐らく、長門さんは首を振られたのでしょう。少女を振り向かずともそれが分かったのは、朝比奈さんの歓声が部室に満ちたからです。

「朝比奈さんは、SOS団で一番長門の事が分かってるような気がするな」

彼の台詞には全くもって同意です。
少女達が、どこの店に行くか、いつ決行するかを話し合っているその横で、僕と彼は戯れにオセロ盤を囲む事にしました。
話し合っている、とは言いましてもほぼ一方的に朝比奈さんが長門さんの都合を聞いているだけではありましたが、それはそれとして傍で見ていて悪い気はまるでしません。
九月の一件で、二人の距離はとても縮まりましたね。仲良き事は美しきかな、と昔から申します。

「なあ、古泉。流石に角四つとも取られておいて逆転も無い気がするんだが、俺」

「角を取られたのではありませんよ。譲ったんです。そういう拘りよりも大局を見る方が大事だと、教えてくれたのは貴方ですよ?」

「あの時はお前が角に執着し過ぎてたのが悪いんだよ」

盤面は圧倒的に白が優勢でしたが、角を全てこちらが握っている以上、勝敗は火を見るよりも明らかです。

「今回こそ、僕の勝ちですね。ようやく連敗記録をストップ出来て一安心ですよ」

「そういうのはゲームが終わってからにしないと格好付かんぞ。ほれ、古泉の番だ」

僕は白と黒のだんだらを目を皿のようにして見回し……おや?

「あれ? 置ける場所、どこですか、これ?」

「ねえよ。どこにも置けないように石置いたからな。はい、お前パス。で俺はここに置いて、っと」

「……真綿で絞め殺す、という表現をご存知でしょうか」

「今知った。また一つ賢くなったぜ、ありがとよ、古泉」

そう言った彼の後ろに有る勝敗表には、また一つ僕の名前の横に黒い丸が付けられた。
さて、第二戦と。負けた僕が駒を整理している所で彼の胸元から少し耳障りな音楽が聞こえた。

「電話ですよ、キョン君」

「いえ、この音はメールです、朝比奈さん。……ハルヒのヤツですよ」

携帯を開かないでも誰からのメールか分かるという事は、相手によって着信音を変えているという事でしょう。
マメな方です。

「いや、最近ちょっといじっただけだ。いじり始めたら止まらなくなってな」

「ちなみに僕からのメールにも設定してあるのですか?」

「ああ。つーか、SOS団は全員登録して有る。古泉はダースベイダーのテーマだったかな」

王道の嫌がらせですね。そしてそれを本人に言って聞かせるというのは人としてどうなんでしょう。
僕、闇のフォースに飲み込まれてるような態度を貴方に対して取った事がありましたか?

「それでそれで? 涼宮さんからはどんなメールが来たんですか?」

「あー、ちょっと待って下さい。ん……っと。ああ、あの馬鹿、また商店街で使い古しのガラクタ貰い受けたらしいです。取りに来い、だそうで」

やれやれ、と呟いた彼は立ち上がる。

「ちょっくら行ってきます。ああ、ハルヒと俺は帰り遅くなると思うんで今日は解散しましょう」

「分かりました。荷物持ち、頑張って下さいね」

「行ってらっしゃい」

僕と朝比奈さんの送り出しの声援を受けて、しかし彼はドアノブに手を掛けて立ち止まった。
視線の先は僕、ではありませんね。長門さんですか。

「長門」

「何?」

「古泉に何かされそうになったら情報なんたら解除をやっちまっていいぞ。俺が許可する」

「了承した」

最後まで、一言多いと言いますか。そんな狼藉を、僕に働く事が出来ると思っていらっしゃるのならこれは一度彼と話し合う必要が有りそうです。

「では、私たちも帰りましょうか」

言って朝比奈さんが立ち上がる。彼女は机に置いてある四つの湯飲みを慣れた手際で回収していく。

「そうですね。余り遅くなってもいけません。秋の日は釣瓶落とし、と言いまして。いえ、もう冬に片足乗せていますけれど」

立ち上がる際に腰の辺りに慣れない重量を感じ、否応無しに現実に引き戻される。
ああ、そう言えばこの問題が有りましたか……。

「長門さん」

「何?」

「もしかして、僕の部屋にまで付いて来るおつもりですか?」

「問題無い。遮蔽シールドはいつでも展開出来る状態にある」

そういう問題でしたか? そういう事を僕は言っていましたか?
どうも、意思の疎通が上手くいっていないようです。僕は溜息を吐いた。

「女性が男性の部屋に足を運ぶというのは、倫理的に問題を孕んだ行為であると僕は考えます」

「今朝、貴方の部屋に入ったが、しかし問題と呼べるようなものは存在を確認出来なかった。有ったとしても無視出来るレベル」

……。
それ、僕の存在を無視出来るレベル、って言ってるんですよね、そうですよね。

「大丈夫ですよ、古泉くん。何か有っても長門さんなら大丈夫です!」

その場合、僕は大丈夫ではない気がします。
日頃世界の危機……神人と戦っている以上の命の危険を感じている、僕。ああ、「僕の」世界の危機なのか。なんて上手く言ってはみても何の解決にもなっていません。

「統合思念体から情報連結解除の許可は下りている」

情報連結解除……よく分かりませんが非常に不穏当な響きはその中から嗅ぎ取れた。機関で養われた危険への嗅覚が僕の脳内で警鐘を鳴らして止まない。

「任せて」

長門さんの小さな声が、僕にはギロチンの縄が切断される音に聞こえてならなかった。
長門さんの説得に全力を注いでいると、僕が割と本気で困惑している事は朝比奈さんにもようやく気付いて貰えたようでした。
気付くのが遅くないだろうか、などと思ったりもしましたが、それでも説得する側が一人増えた事は喜ばしいので恨み言は心の奥底にしまっておく事にします。
我ながらこの辺りはなかなか大人な対応ではないでしょうか。

「長門さん。古泉くんはどうも本当に困っているみたいですし、そろそろ許してあげたらどうですかー?」

ちょっと、朝比奈さん。許すってなんですか? 僕、自覚が無いだけでやっぱり何かやってたりしたのですか?
過去に無いほど全力で記憶を辿る。脳内で思い出フィルムを巻き戻し、三歳の頃に行ったどこかの湖で白鳥相手に歓声を挙げていた頃を思い出す。
ああ、あの頃の僕はとても純粋でした……。

「困惑する理由を求める」

「そう、改めて聞かれると、ええと……やっぱり、男の人と女の人が一緒の部屋で一晩過ごすっていうのは……」

頑張って下さい、朝比奈さん。僕の生命は貴方に掛かっていると、言っても決して過言ではありません。
僕が心の中でエールを送っている事など構わずに、少女はただ「分からない」ゆえに質問を繰り返す。

「なぜ?」

「え? ええと」

「なぜ、男女が同じ室内で夜間、同時に存在してはならないのか。それはこの文芸部室における活動内容と何が違うのか、朝比奈みくる、詳細を」

それはきっと、彼女には分からない。
インターフェイスには、伝わらない。
性という、ものがそもそも彼女達には存在していないから。

「詳細を、求める」

どんな言葉で説明しても、きっと理解はさせられない、有機体の生。性。

「それは、えっと……えっと……」

顔を赤らめてこちらを見る少女には申し訳なく思いますが、しかしこれはそんな色気の有る話ではないのでしょう。
これは、そう。
目の見えない人に青という色を教える行為のような。
そういう類の、質問と内容なのです。
しかし、考えてみれば当然の話でして。
彼女は、有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェイスは。
親は居ても。
肉親は居ない。
つまり、生というものの源流がそもそも僕らとは違うのです。単一生殖ですらない。殖えるという思考が存在しているかどうかも定かではない。
長門有希。
この星に無い生まれ方をしている彼女に、それをどう教えればいいのでしょうか。
性の倫理と禁忌。
命の重さ。尊さ。
恋と、愛。
好きと、嫌い。
それは人間であってすら難解なテーマであるのに。ましてや宇宙人に教えられる道理が、無い。

「長門さん」

「何?」

「僕の負けです。部屋に、ご案内します」

「そう」

それに気付いてしまえば過ちなど、僕には起こせそうにも無い。

「古泉くん……いいんですか?」

部室を出ようとする僕を引き止める声に振り向くと、朝比奈さんは両手を胸の前で組んでこちらを、僕たちを見つめていた。
誰の心配をしているのか。僕か。長門さんか。いや、多分両方でしょうね。彼女の気持ちは嬉しい。
けれど僕は頭(カブリ)を振った。

「良いんですよ。なんと言いましょうか……そうですね。分かってしまいました、と。そう言うしかないのでしょうね、これは」

理解。何を?
自問自答は堂々巡りのウロボロス。

「何を、と聞かれても困りますが。けれど分かってしまったのですよ。なぜ、と聞かれるのもそれも困りますね。分かってしまったのだから、としか僕には言えませんし」

そう、それをあえて口にするならば。

「長門さんは、宇宙人なんですよ」

こんな感じでしょう。
宇宙人、未来人、超能力者、異世界人。そうやって女神の傲慢の下、一所に集った僕たち。
僕が超能力者であるように。彼女は宇宙人で、それは揺るがない。

「いえ、長門さんは宇宙人ですけれど……」

少女が言いよどむ。僕の腰に抱き付いた長門さんは何も語らない。ただ朝比奈さんを見つめているのでしょう。
何を考えているのか、それは僕の想像の及ぶところではない。

「朝比奈さん」

出来る限りの優しい声音を装って、僕は少女に語り掛ける。

「僕はそんなに信用なりません?」

「い、いえ! 決してそんな事はありません!」

「勿論、僕は男性で長門さんが女性である事は揺るぎようのない事実です。危惧は分かりますし、僕だって抱きました。けれど考えてもみて下さい」

両の手のひらを空に翳す。雨が降ってきた事を確認しているようなそのポーズは、しかしここは屋内です。そういった意味には受け取られないでしょう。

「彼女は、外見はともかくとしまして産まれてから四年しか経っていないのですよ」

四歳児。
流石に守備範囲外ではあります。ボール球も良い所。残念ながら、いえ、幸運な事にでしょうか。ストライクゾーンの遥か彼方です。

「そ……そうですよね。長門さんがあんまりに可愛らしいから忘れていましたけれど、そうは言ってもやっぱり」

「ええ、恋愛……色っぽい事に発展するには何と言いましょうか、こう、情緒が無いのですよ。大事でしょう、情緒とか雰囲気って」

僕の苦笑を、少女も苦笑で返す。

「ふふっ。古泉くん、ロマンチストなんですね。ちょっと意外でした」

おや、心外です。僕はこれでも夢に夢見る年頃であったつもりなのですが。

「なら、長門さんを任せても良いですか?」

「はい。どうしても困った時にはもしかしたら連絡をするかも知れません。その時はよろしくお願いします」

首だけをもって軽く会釈する。深いお辞儀をしてしまえば長門さんの体が僕に付いてくるので、そこは妥協しましょう。
色々と言ってはみたものの、それでも女性の体重を感じるというのは余りよろしい事ではないでしょう。相手が恋人でもない限り。

「分かりました。任せて下さい」

「素敵な返事です」

こうして僕たちは湯飲みを洗い出した朝比奈さんと別れ、校門を二人で潜った。


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