ハルヒSSの部屋
恋は戦争
目標が路地を曲ったのを確認したと橘さんからメールが来た。つまり、後数十秒で僕は彼とすれ違う訳だ。
きっと彼は驚くことだろう。一月以上間の空いた、再会が道端だ。「おう、奇遇だな。元気にしてたか?」くらい言ってくれるかもしれない。
しかし、肝心な言葉は彼の口から出ない。「もし、これから暇だったりするのなら一緒にコーヒーでも」と言い出すのはいつもこっちだ。
……いつもいつもこっちだ。
キョンは……ずるい。
 
だけど、恨み事ばかり言っても仕方が無い。この機会を逃す訳にはいかないのだから。
国木田くんや古泉くんに手伝って貰って、やっと手にした再会の切符だ。涼宮さんの眼を盗んで、こうして二人っきりになれる機会なんてそう滅多にやってくるものではない事は、ここ三ヶ月で嫌と言うほど教えて貰った。
彼女はなんだかんだと言って、結局キョンにべったりだから。キョンも気付いているのかいないのか。いや、きっと気付いているんだろう。勘の良い彼の事だ。
そして、素知らぬ顔をするのもまたキョンがキョンである、いわれ。
「まだ、キョンと涼宮さんは決定的な関係には至っていないよ。でも『まだ』だね。傍から見ていると二人の関係が発展するのは時間の問題。……佐々木さん、貴女はそんな二人を、ただ指を咥えて見ているだけで良いのかな?」
愚問だ、国木田くん。
 
僕は全力でその問いに「否」と答えさせて貰う。
 
彼を振り向かせるために準備は入念にしたつもりだった。橘さんと一緒に服を買いに行き、この日のために精一杯頑張って、普段は着ないだろう可愛い服を着た。
彼女の機関の女性にメイクも施して頂き、不自然じゃない程度に可愛くして貰った。
藤原くんや国木田くんからどんな仕草に男の子は心を動かされるのかを聞いて、勉学の合間に必死になって反芻した。
僕に出来る範囲で、出来る事は全部やったと思う。
 
神がどれだけの力を持っているか知らないし、実際に世界を都合良く作り変えるっていうのがどんな事を意味しているのも具体的には分からない。
だけど、
僕は神様の見つけた恋人候補を横から奪い取ろうとしているのかも知れない。いや、事実そうなんだろう。
だけど、
そんな事は決して出来ないのかも知れない。彼と彼女が男女の仲になるのは決定された事項で、僕がそこに付け入る隙なんてこれっぽっちも無いのかも分からない。
神様を相手取って、武器は恋心しか持っていない滑稽な女。
それでも、
僕はこの世界の神様に反逆する事を決めた。その結果、どんな結末が待っていようとも。
振られるのなら、それでも良い。キョンが最終的に誰を好きになってくれるのかなんて事は彼しか知り得ない。彼の勝手だ。
だけど、もし僕を選んでくれるなら。その結果、世界が崩壊の危機に晒されるとしても。
「最近、考えを改めまして。貴女とキョン君が付き合う事になったと仮定して、結果世界が滅んでしまうのならば、いっその事滅んでしまえと。そんな風に考えるようになったんですよ。これはキョン君の影響でしょうね。
神ではなく一人の少女として、他の少女と好きな少年を取り合う。その結果少年が自分の方を振り向かなったとしても、それを受け入れて祝福する。
僕らの女神も、もうそろそろ学んでも良い頃ではありませんか?他人の幸せの、その尊さというものを」
 
ありがとう、古泉君。
僕は君の応援が無ければ、こんな風にキョンを待ち伏せする事も出来なかったと思う。
 
振られるのは怖い。僕だって、涼宮さんだって同じ。でも、きっとキョンの事だ。決定的な関係になる一言は、絶対に言ってくれない。
彼は優しいから。
世界の為に言えないとかそんなんじゃない。キョンは世界の行く末になんてこれっぽっちも関心を持ってはいない。
彼が言わない理由は一つ。僕達の心情を慮ってだ。自分の一言が僕か涼宮さんのどちらかの恋心を完膚なきまでに叩き潰す事を知っているから。
だから、彼からはきっと「好きだ」なんて言わない。言えない。
キョンは優しくて優しくて、とても残酷。
 
でも、僕が惹かれたのはそんな所なんだ。だから仕方が無い。
 
ポケットでマナーモードに設定してあるケータイが震えて、ふと我に返る。慌ててケータイを開くと、橘さんからのメール。
「迎撃して下さい!」
たった一文の内容。僕は首を傾げた。迎撃?迎え撃つって何を?自分が何をしていたのかを必死に思い出そうとケータイの画面を矯めつ眇めつしていると、そこに影が差し込んだ。
 
顔を上げると、キョンが居た。
「おう、奇遇だな。元気にしてたか、佐々木?」
心臓が早鐘を打つ。
ちょっと待って。
心の準備がまだ出来ていない。
僕に深呼吸する時間を与えてくれ。
ああ、顔が近い。
いや、全然嫌じゃないんだけど!
「げ……、」
「げ?」
「げ、迎撃用意!」
「何をだよ?」
キョンが笑った。その笑顔が僕は好きだ。
「久しぶりに逢ったってのに、第一声が『迎撃用意』って意味が分らんぞ。何をテンパってるのかは知らんがとにかく落ち着け、佐々木」
言われて僕は深呼吸をする。ああ、心臓が非常事態を訴えている。きっと顔なんて真っ赤になっているに違いない。恥ずかしい。
冷静になれと自分に言い聞かせるほどに、冷静とは遠ざかっていく脳が恨めしい。
「ぼ……僕はいつだって冷静だよ、キョン」
「声、上ずってるぞ。お前らしくもない。たかが旧友に偶然、再会したくらいで取り乱すなよ」
残念ながら、僕にとって君は「たかが旧友」じゃないんだよ、キョン……。それとも君にとって僕は「たかが旧友」だったりするのかい?
取り留めの無い思考に滅入ってしまう。肩を落とした僕の、その肩をキョンはぽんっ、と叩いた。
「この後、何か用事でも有るのか?もしかして、見られたくない所にでも遭遇しちまったか?」
「そんな事は無いさ」
元々、ここには君を待ち伏せるために居たんだし、とは言えない。言える訳が無い。
「なら、暇って事だな」
「そう取って貰って一向に構わないけど。僕が暇なのと君に何の関係が有るんだい?」
僕が問うと、キョンは苦笑した。何だろう。今、君が何を考えているのか、さっぱり分からない。いつもなら、キョンの思考は鏡写しのように分かるのに、今日は何で?
 
私が逡巡していると、キョンは言った。
「もし良かったら、その辺の喫茶店で茶でも飲もうぜ。色々、非常識な件で相談も有るしな」
一も二も無く、恥も外聞も無く、僕はキョンの提案に食い付いた。
まさか君から誘ってくれるとは思ってもみなくて。僕は顔を真っ赤にして、ご主人様の帰りを待ち望んでいた犬みたいに尻尾を振って。
尻尾なんて無い替わりに首を縦に全力で振って。「じゃぁ、行こうぜ」なんて言う君の後を追ったんだ。
 
君の背中を見ながら「ああ、私は今、この人に恋をしているのだな」と改めて思った。
 
「どうですか、戦況の方は」
廃ビルの屋上。双眼鏡片手の橘の横に、いつの間にか古泉が並んでいた。
少女は盗聴機のイヤホンを小振りな耳から外すと、まるで「鍵たる少年」の様に首を振って言った。
「戦況はいまだ不利なのです……頑張って下さい、佐々木さん。どんな朴念仁でも今日の佐々木さんに『可愛い』って言わない事など出来ませんからっ!」
少女が空に向けて振り上げた拳を見て、少年がくすりと笑った。
「なるほど。乙女にとって『恋は戦争』ですか」
 
イヤホンの向こうから声が聞こえる。
「佐々木、今日はやけに気合いの入った格好してるな」
「え、そうかな……この間、橘さんと買い物に行った時に買ったんだけど……もしかして、似合ってないかい?」
「いや、そんな事は全然無い」
橘がイヤホンに耳をそばだてた。ごくりと喉が鳴る。これではどちらが恋をしているのか分かりませんね、と古泉が笑った。
 
「似合ってる。橘に感謝だな。良い眼の保養になった」
「え、それって……?」
「可愛いって言ってるんだよ」
瞬間、息を飲んで声を上げられない誰かの代わりに、どこかの廃ビルの屋上で少女が恋の始まりを叫んだ。
まるで戦の始まりを告げて回る、ラッパを持った天使のように。
 
 
“Love is the most important one of all wars, all over the world” is started & closed.

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