ハルヒSSの部屋
itosi itosi
「俺はお前が好きだよ」
あの頃みたいに、僕はキョンの自転車の荷台に揺られていた。
「愛している、ってのがどんな状態を言うのかは知らねぇけど……お前が俺にとってそういう感情の対象であれば良いと、そう思う」
「ありがとう」
君の背中に顔をうずめる。少しだけ汗を含んだ、僕の好きな君の匂い。
「でも、ダメだ」
「そっか」
素っ気無いキョン。
「そっか、ってなんだい。そこはもう少し……言及するべきだろ?」
「知ってっから」
キョンが喋る度に君の体の内部から音がする。液体と空気の動く音。
「お前がそういうの無理だって」
「そういうの、ね」
「知ってっから、無理強いはしないし、する気も無いな」
「……ごめん、キョン」
「なんで謝るんだよ」
「僕は……僕も君が好きだよ。でも、僕は僕が嫌いなんだ」
そう、僕は僕が嫌いだ。
「だから、君の想いには応えられない。君の優しさに甘えてしまいそうで……嫌だ」
キョンが着ているパーカに額を擦り付ける。
「甘えちまえば良い。そんなお前も見てみたいし、な」
「ダメ。絶対ダメ。……君が好きだから。君に迷惑をかけたくない。こんな女の為に君の心を使わせたくない」
それは僕の本心。だけど、甘えてしまいたいと思う。全てを投げ出して縋ってみたいと思う。それも僕の本心。
「この服の先に有る君の心を……汚したくない。君が好きだから」
「こんなモンはもう、十分擦れちまってるよ」
「そんな事は無いよ……」
パーカに口を付けて呼吸をすると、肺がキョンで満たされるみたいで息を吐くのも苦しかった。
「君みたいになりたかった……な」
君の腰に回している両腕に力が篭もって。まるで赤子みたいに。口では何とでも言いながら。僕は縋っていた。
抗い難い、温もりがそこには有ったから。

「僕は自分の心を君に裂くだけの余裕が無いんだ」
そう。だから、僕は周りと適当な同調だけして、決して深くに踏み込ませては来なかった。
誘蛾灯に誘われる羽虫のように開かれた心に惹かれそうだったから、誰にも踏み込んでも来なかった。
「僕は利己主義だから」
「そうか」
「きっと君の事もその内利用するようになってしまう。君は好きでも君の中に居る『ヒト』に嫌悪感を抱いてしまう。したくないのに君の中の嫌いな部分を探して、勝手に絶望してしまう」
「したくないなら、やらなきゃいい」
「それが出来たら苦労してないよ」
したくないで出来るならそうしてるんだ。でも、僕は人間だから。猜疑心のカタマリだから。
「裏切られるのが怖いんだな」
キョンがぽつりと呟く。
「信頼して愛して、裏切られる事が怖いんだ、きっと……なぁ、佐々木。お前は誰かに裏切られた経験は有るか?」
「……特に無い。だから、余計に怖いんだと思う」
「そっか……ソイツはちょいと楽しみかも知れんな」
キョンの言葉に少しだけ苛立つ。
「何がだよ?」
「ん?……いや、かなーり下らない上に私的な事なんで、詮索はするな」
「なら、最初から口に出さなければ良いだろう。……気になるから言ってくれ」
「引くなよ?」
少しだけキョンの心臓が早くなる。
「お前が未だ処女だって知って、ちょい興奮しちまった」
「馬鹿じゃないのか、君は!!」
僕は顔を真っ赤にして叫んだ。
「違うのか?」
「違わないけど……君は何を言わせるんだい!?」
「まぁ、色々と言わせてはみたいかな」
キョンが肩を震わせて笑う。密着してるから振動がこちらにも響いてくる。
「と、まぁ冗談だ。……肩の力は抜けたか?」
この状況で肩の力なんて抜けたら自転車から振り落とされると思うんだけどねぇ……。でも、キョンの優しさは理解出来て。

「なぁ、佐々木。さっきの話なんだけどさ」
「ん……ああ、どの話だい?」
「お前はお前の為以外に心の余裕は無いとか何とか。アレさ。お前にしちゃ珍しく間違ってると思うんだよな」
間違ってる? 僕が?
「ああ。俺の考えだとさ。ヒトは一人分のヒトを支えられるくらいの心を持ってる、ってそこまではお前に同意する訳なんだが」
「ああ、そうだ。だから僕は僕以外にそれを分けてあげられる余裕が無い。誰にも僕の分を肩代わりして貰ってないからね。自分で支えるしかないのさ」
「あーっと、肩代わりに立候補したいとか、そんなのはさて置いといて、だ。俺が思うにソイツはきっと自分の為には半分くらいしか使えないんだよ」
「え?」
でも、僕は今こうして一人で……。
「だから安定してないんだろ。ヤジロベーみたいにふらふらした今のお前を見て『沈着冷静』とか評価する奴が居たら俺の前まで連れて来いよ」
何も言えない。キョンの次の言葉を待つ。何に期待してるのか。両の手が彼の服をしっかと掴む。
「ぶん殴ってやる。佐々木のどこを見てやがるんだ、って言ってな。それがお前の彼氏とかそんなんだったら、尚更だ」
ま、殴り返されるだろうけどなぁ、と続けて呟く。そんな君がとても愛しくて。愛しくて。
「なぁ、佐々木よ。きっとヒトって奴は器用に産まれついてないんだ。たまに自己完結出来る器用な奴も居るけど、残念ながら俺やお前みたいな大多数は違う」
僕だけの為に紡がれる、まるで自分の子供に大切な何かを伝える父親のような優しい言葉。
「だから誰かに担いで貰うのは当然なんだよ。引け目とか感じる必要は無いんだ。そんなモン感じて罪悪感に捕らわれてる暇が有ったら、空いた片手でお前も誰かの荷物を持ってやれ」
パーカが濡れる。違う、僕の涙じゃない。零れ出したりしていない。だって、涙は生まれた傍から布地に染み込んでいくから。
「神様はきっと、あえて不器用に人間を造ったんだよ。だって、そうだろ。自己完結出来ちまってたら、社会なんてモンは存在してない。逆に言うと、だ。ヒト同士が支え合う事で成立する社会が存在している以上、俺達は」
「僕達は支え合わないと生きていけない。肉体的にも。精神的にも」
「そういうこった」

余りにキョンが淡々と似合わない事を喋り続けるものだから、珍しくて、可笑しくて。僕は今にも喉から出て来そうな嗚咽を堪えるのに必死だった。
「だから、さ。お前は誰かに甘えるべきなんだよ」
「こんなに醜い女でも? 許されるのかい?」
キョンの体の前で組む、両手の上に温かい物が乗る。
「許す。っつか、出来ればソイツは俺でありたい」
君の想いはいつでも真っ直ぐで。僕が心に着込んだ安っぽい鎧なんて簡単に突き壊してしまうんだ。
でも、やられっ放しも癪だから、一応の抵抗を試みてみる。
「キョン、僕も乗っているんだから片手離しは感心しないな」
「もう少しだけ、この侭でいさせろ」
ああ、何を言っても抵抗しても。やっぱり顔を赤くするのは僕の方なんだ。
それとも、前を向いてる君の、顔も赤く染まってるのかな?
もしそうなら、少し嬉しい。

「大体、醜い、ってなんだよ。誰かお前をそんな風に言った奴が居るのか?」
「いや。そんな人は居ないよ。ただね」
「ただ?」
「僕はヒトなんだよ」
ヒトは裏切る。ヒトは醜い。ヒトは愚かで。ヒトはヒトを傷付ける。そして、僕も例外無く、ヒトで。
「嫌いなんだ。自分の事だから裏側の黒い部分も誰よりもよく知っていてさ。僕は汚くて醜くて愚かで……総じて最低なんだ」
「お前は綺麗だ……と思う」
彼の体に密着させた、右耳から聞こえる心臓の音が早くなる。キョンの心臓はとても素直で、可愛くて。
「それはキョンが僕の裏側を知らないからだよ。だから、そんな事が言えるんだ」
だから、汚しちゃいけないと思う。この人を、自分の側に引きずりこんではいけないと思う。
「俺だって裏で何考えてるかわかんねー、って点では一緒だ」
「一緒じゃないよ。少なくとも鼓動は実直だね」
「……お前、ズルいだろ。流石に心音まで騙すスキルなんて持ってねぇっつーのに」
「だったら、背中に胸でも当ててあげようかい?」
勿論、冗談だが。あ。また、キョンの心音が早くなった。
こうしてからかうのは、ちょっと楽しい。
「結構だ。……そういうのは、きちんと段階を踏んでからやって貰うつもりだからな」
……やっぱり赤い顔をするのはこっちだった。

「敵わないな、本当に」
「ん? 何がだ?」
「君には敵わない。そう言ったのさ」
「何言ってやがるんだよ」
キョンは笑った。ちらりと見えた頬には朱が差していて。それは照れ隠しだと気付くのに時間は掛からなかった。
「俺なんかはずっと前からお前相手に連戦連敗だってのに」
そんな真っ直ぐな想いを、僕も口に出せるようになりたい。

「なぁ、さっきから背中が冷たいんだけど、さ」
「気のせいだ」
「そっか……なぁ、佐々木。俺にこんな事言える義理は無いんだが……俺の前以外で泣かないでくれるか」
温かい、背中。夏も終わりかけの今夜は久方振りの熱帯夜となる予定で。でも、その温度は全然苦じゃなかったのは一体どういう理由だろう。
「前じゃなくて後ろだよ」
「いや、そういう意味じゃなくて……分かってて言ってるだろ。案外、意地が悪いな、お前」
「嫌いになったかい?」
「まさか」
「僕は意地悪だよ?」
「惚れ直したね」
全く、恋する男っていうのは僕の既知範囲を越えて御し難い代物なのだと知る次第。
きっと、キョンの傍に居ると心臓が破裂するか涙腺が枯れてしまうんだろうな。
でも、最も厄介なのは。
僕の心がそれを喜んでしまっている事なんだ。

「もっと自分を好きになれ、とは言わねぇよ」
自転車は走る。走る。帰り道を疾走する。
「その代わり、誰かを好きになれよ。お前を好きだと思ってくれる誰かを、好きになってみろよ。ソイツを通して自分を見れば、きっとお前だってお前を好きに思えるだろうから」
「偏光レンズみたいに言うんだね」
「上手い例えだな。でも、それで良いんだよ。きっとお前を好きな奴もさ。そうやって自分がお前の支えになれたら嬉しがるって」
お前を好きな奴……ね。
「僕に君の事を好きになれ、って言っているのかい?」
「そう聞こえなかったか?」
曲がり角。密着しないと危ないから彼の体に縋る。そして、そのまま僕の体は彼から離れようとしない。
「お……おい、佐々木? 佐々木さん? 曲がり角終わったぞ?」
「馬鹿だね、君は。もう忘れたのかい?」
「何をだ?」
「僕は君が好きなんだよ」
「……当たってるんだが」
「今日の君が中々格好良かったから……そのご褒美、とでも受け取ってくれ」

自転車はスローダウン。ふらふらと、右へ左へ少しだけ振れる。成る程。こうしておけば帰り道を長引かせる事が出来ていたのか……って、何を考えているんだろうね、僕は。
「なぁ、佐々木。重ければ俺が半分背負ってやるが。どうも俺の周りは世話好きが多くてな……片手空いてるんだよ」
「それは……どういう意味かな?」
「付き合ってくれ、の変則形だと思ってくれ。どうにも片手がスースーして落ち着かんくてな。……こうやってお前の手を触ってると、丁度良い感じなんだ」
キョンにしては悪くない文句で。色々と考えて搾り出した言葉なんだろうな、と思ったらこの不器用な男の子が可愛く思えて。

自分でもキャラじゃない、って分かっているけど。少しだけ意地悪をしたくなるんだ。
「僕で良いのかな? 分かっているとは思うけれどとても面倒な女だよ?」
「……佐々木が良い」
聞こえてくる鼓動が速い。僕の心臓に負けず劣らず……緊張しているのかな、キョン?
「面倒事も泣き言も、ひっくるめてお前だ。そのお前を……これ以上は言う必要無いよな?」
そこまで言ったなら全部言ってくれ。今のは減点だ。……でも、それもまたキョンか。
「最初に言ったが無理強いはしないぞ。お前が嫌なら俺は引き下がるからな」
おやおや、男らしいじゃないか。でも、ハンドルを握ってる腕が震えているし、僕の手に添えた掌がじんわりと汗ばんでいるのは気のせいかい?
「なぁ、キョン」
「なんだよ?」
「君の申し出を受けるにやぶさかでは無いんだけどね……一つだけ、条件を付けても良いだろうか?」
「何でも聞く」
まるで飢えた狼の前にビーフジャーキーをばら撒いたみたいに即答するキョン。いや、嬉しいんだけど……内容を聞いてからにしてくれ。
「必要無いっちゃ無いんだが……なら、まぁ、聞かせてくれるか?」




「一日一回キスをして」

キョンがなんて返答をしたのか。それくらいは僕一人の胸の中に仕舞わせて頂こうかな。


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