ハルヒSSの部屋
Sixteen Star Speed
2010.07.07.



七夕はあまり好きじゃない。
十六年後なんて、二十五年後なんて、長過ぎて。
冗談では、ありません。

「例えば」
文芸部室に残された僕は短冊を手にしたままで戯れに思いついた事を口にする。
「未来を見る事が出来る占いが有ったとします。その精度は百発百中だとしてみましょう。さて、その占いは未来予知と何が違うのでしょうね」
「知るかよ」
僕と同じく、文芸部室に残された彼は少し不機嫌そうにそう言うと、残り少ない朝比奈さん印の玉露を名残惜しそうにちびりと口にした。
「恐らく、そんな占いは疎まれるのではないかと思います。一寸先は闇、という言葉が有りますね。人間は先が見えないからこそ一歩を踏み出せる生き物なのではないでしょうか」
彼が僕をジロリと睨む。
「話が見えん。何が言いたいんだ、古泉」
「何、戯れですよ。戯れの、戯言です」
そう、こんな会話に意味なんて無い。僕の言葉に、意味が有った試しなんて、そもそも有ったでしょうか。
「そうかい。俺はまた、朝比奈さんに向けて何かあてつけめいた事を俺に吹き込もうとしてるのかと思ったが……考え過ぎか」
「それは……ええ。考え過ぎです」
……そう言えば、一年前はそんな事も言っていた様な気がしますね。椅子の背凭れに体重を預け、少し伸びをする。
「もしも、そのような意図が有るのならば、もう少し言いようが有ると思いますが。僕は器用ではありませんが、そこまで不器用でもないつもりです」
「知らねえよ」
「ふふっ。この例で言いたいのは……おや? 僕は何を言いたかったのでしょうね?」
「……あのなあ。もう一度言ってやろうか? 知らねえよ」
話していたその内容を忘れるなんて、どうも、最近は緊張感と言いますか、そういうものに欠けてしまっているようです。
涼宮さんが心を平穏に保っている間は、自分はただの高校生だと、そう思い込んでしまっている節は無いでも無く。
考えるまでもありませんが、僕には使命が有るのです。機関からずっと、言い聞かされている使命が。
それを忘れて他愛の無い会話に興じるなど、本来は許される事ではない。
……ただの高校生?
……普通の男子生徒?
そんな有り得ない仮定。もう何年も前に失いましたよ。
「ああ、そうでした。この短冊です。ええ、短冊」
「短冊?」
「はい。以前にも言いましたが、この短冊に書いた内容は十六年、ないし二十五年後に叶ってしまう可能性が有ります」
彼は溜息を吐く。
「星に願いを、ってか。だが、十六年後なんて知った事じゃないし、そんなのは柄じゃないね」
どこまでも、らしい返答です。神の力に何も思わず、何を厭わず、何も欲さない、彼らしい言葉。
「貴方は無欲ですね。僕などは少し逡巡してしまうのですよ。機関からは『当たり障りの無い事を書け』とお達しは受けています……が」
「俺が? 無欲? 違えって、古泉」
パタパタと彼は顔の前で短冊を振る。
「もしも、この紙っ切れに書いた願い事が明日叶うってんなら俺だって真剣に悩むさ。これでも欲深な人間なんだ。財布は軽いから少しくらい重くなって貰いたいし、思春期だから彼女だって欲しい」
「おや、そうなんですか? 貴方から『彼女が欲しい』などという言葉が聞けるとは、意外でした」
「なんだよ、からかってんのか?」
「いえいえ、滅相も無い」
「俺だって普通に健全な男子高校生だからな。バラ色の高校生活ってヤツには憧れを抱かいではないさ。だが、そんなんを書くには『明日叶う』って前提が必要であって、あの馬鹿団長の十六年後云々って思い込みが有る限り……ゲーム風に言うなら上手い縛りだと逆に感心しちまう次第だ」
縛り、ですか。なるほど、彼らしい。
「お金の方なら、明日にでも用意出来ない事も有りませんけどね」
「お前から貰うなんてぞっとしないね。どんな無理難題が付随して舞い込んでくるか分かったモンじゃないしな。お断りだ」
「そうですか。残念ですよ。僕としては……いえ、機関としては多少の出費で世界の基盤が確保出来るのなら願ったりなのですけれど」
「自由は金じゃ買えないんだとよ。誰かが言ってたぜ?」
「……まったく、貴方という人は」
だから、そんな所が無欲だと言っているんですけどね。女神も見事なパーソナリティの持ち主を自分のパートナに選んだものです。
それは……僕みたいな人間では、いけなかったのでしょう、結局。
女神の力に溺れない、彼女自身をきちんと正面から見て評価してくれる。それは世界に一人居るか居ないかの人格だと僕は知っている。
不用意に口から、本音が零れ落ちるのは止められなかった。
「……羨ましいです」
「え?」
彼の手の中から筆ペンが取り落とされる。
「おや、変な顔をして、どうしましたか? 僕、今それほど面白い事を口にしたつもりもないのですが」
「……なんでもない」
「そうですか」
なんでもない、と言う割にはその表情は知り合いの幽霊でも見たような感じでしたが……それでも口調と表情は、深入りはしないで欲しいというサインなのでしょう。
深く追求をしても、この様子では話しては貰えないでしょうし。
話を変えるのが、懸命でしょうか。
「短冊に書く内容にすら自由が許されないなんて、我ながら冗談のようですよ。事実は小説より奇なり。昔の人は上手い事言ったものです」
「なあ。ちょっと聞いてみるが、もしも好きな内容を書けるのならお前はなんて書くんだ、古泉?」
それは……また、なんて残酷な質問なのでしょう。
まさか、本当の願いを言う訳にもいきませんので、適当な嘘を探し。
「そうですね……ああ、その願い事とはやはり十六年後のルールに則って、ですか?」
「どっちでもいいけどな。だが、縛りが有る方がやっぱ面白いか。十六年後か二十五年後かで頼む」
「分かりました」
十六年後……三十代半ば、ですか。ふむ、彼では有りませんが、真剣に考えるとこれは中々難しいかも知れません。
「どんな形で有れ、幸せであれば良いなどと考えてしまうのは……つまらない回答でしたか。すいません」
「だな。ハルヒ的には零点だろ。曖昧が過ぎる、とかなんとかな」
「ふふっ。かも知れませんね。僕は……」
十六年後の僕は。願わくば。
星に願いが届くのなら。
「全てを忘れてしまっていたいです」
「忘れる?」
「ええ。余りにもこの高校生活は楽し過ぎました。いえ、現在進行形で、非常に楽しいのです。だから、きっと未来の僕には眩し過ぎる」
一寸先は闇。それはそれで構わない。背中からの光が強過ぎては、足元が見えてしまう。
それでは踏み出せないだろうから。
「貴方の事も、涼宮さんの事も。長門さん、朝比奈さんの事も……そして、機関の事すら。忘れてしまえたらどれだけ楽だろうと、夢見る事は有ります」
「そっか。薄情だな、古泉」
それは……今更、でしょう。
「ふふっ。僕は薄情者ですよ。何か勘違いなさっているのではありませんか? 宇宙人も、未来人も、そして僕ら超能力者も、皆一様に思惑が有って涼宮さんに接触しているのです」
そうです。そんな大前提。
勘違いを、してはならない。どんなに今が楽しくとも。
「お忘れでは、有りませんよね?」
「ああ」
「その思惑の為なら、非情にも薄情にもなりましょう。表情だって偽る事は容易い……もしも、貴方が僕を仲間だと思っているのなら」
誰にも言った事は無いけれど。一度、彼を敵に回してみたいと、心から思った事が有る。
「その認識は改めて下さい。僕が機関を裏切ってでも貴方達に味方をするのは」
誰よりも彼女に近い、彼を疎んじた。
人格だけを持って彼女に選ばれた、彼を僕は……。
「一度だけです」
「……そうかい。忘れたいと思うような相手に対しても義理堅いんだな、お前は」
彼が溜息を吐いて、短冊に向き直る。そして、下を向いたままに言った。
「そう言やさ。去年の十二月、長門の改変した世界で、お前に会ったよ」
「……それが、何か?」
「あっちのお前もな、俺の事を『羨ましい』とか抜かしやがった」
それは……なるほど。超能力者というステータスを失っても僕は僕という事ですか。口にする事は同じですね。
「ふむ。興味深い」
「なあ……違ってたら、悪いんだが」
「はい。何でしょう?」
「古泉、お前は……いや、やっぱ何でも無い。忘れてくれ」
「……はあ」
首を捻りながらも、しかし何となくですが彼が何を言おうとしていたのかには察しが付きました。
改変世界の僕。涼宮さんの隣に居た僕。その僕が彼に羨ましいと言った。そして語り難い内容であるのと来ているならば。
きっと、涼宮さんに関する事なのでしょう。
僕が言いそうな事なら、誰よりも分かっているのは僕です。もしも僕が機関に所属していなかったら。
僕が彼に対して彼女に向けての想いを話す事に何の不都合が有ったでしょうか。
そしてそれは……確かに彼にとっては聞き難い話で違いありません。
お前もあっちと同じようにハルヒの事が好きなのか? ……口にしなかった言葉の続きはきっとそんな所でしょう。
「貴方が会ったという僕は、少し嫉妬の対象ですね、正直」
「嫉妬? お前はお前だろ。何言ってんだ、古泉?」
「その僕は、超能力者では無かったのでしょう?」
僕は所詮超能力者枠で呼ばれたに過ぎません。人格も何も、彼女には関係無く。
改変世界の僕とは、目の前の少年とは……違う。
「それなのに……ずるいじゃないですか。僕には出来なかった事を」
もしも彼女の隣で、彼女への想いを、素直に吐露出来る境遇に有ったのならば。きっと僕は、それだけでしあわせだったのではないでしょうか。
「出来なかった事? よく分からないな。何がしたかったんだよ、お前」
「叶わない願いは、夢にすら成り得ないのですよ。覚えておくと良いでしょう。時に好奇心から出た言葉は悪戯に人を苦しめるだけの刃でしか有りません」
立場が行動を縛り付ける。そんなのはどこにだって有り触れている。
それについて何を言う程、僕は子供ではない。
「悪い。何が言いたいのか、さっぱり意味が分からん」
「もしも、今涼宮さん達が取りに行っている笹に、吊るされた短冊に書かれた願い事が全て叶うのなら」
僕には何を敵に回しても叶えたい願いが一つだけ有る。
「きっと僕は本気になってしまいますね。貴方の言う通りですよ。十六年後なんて叶うかどうかも分からない未来を設定なさるなんて」
それを、出来すぎている、と思うのは僕だけだろうか。
「まるでご自分の力を自覚していらっしゃるようです。これが翌日などでしたら、この学校を中心に戦争が起こっていましたよ。いえ、決して大袈裟では無く……ね」
「十六年後だなんだかんだ言ってもどうせ叶わないと思うんだがな、俺なんかは。大体、こういうのは受動的に叶うモンじゃなくて能動的に叶えるモンだろ?」
「それでも、縋りたい時と言うのは有るんですよ」
「気持ちは分かるけどさ」
「分かるけど……なんでしょう?」
「叶わないってのも、それはそれで味が有るモンだと思うんだがなあ」
もしも。
もしも、涼宮さんの気持ちが彼に向いていなければ。
だけど、それはもしもの話。
僕の恋は、叶わない。
楽しくなんて、無い。味なんて、有りはしない。
僕の恋は、そんな恋。
「……だから、僕は忘れたいんですよね、貴方の事を。涼宮さんの事を」
短冊に書いた文字列には、一欠けらの感情も有りはしない。

それが僕。古泉一樹という男のパーソナリティ。

深夜の学校に忍び込むなんて行為は初めてだった。
前を行く少女に気付かれない様に距離を取りながら、追い掛ける。
さてさて、彼女は何をやろうとしているのか……なんて、分かり切っていますが。
二十三時。日付が変わるまで残り一時間を切っている。
七月七日。七夕はもう少しで終わり。
星が願いを聞いてくれる、次の特別な日は一年後。
上靴を手に持って、足音を忍ばせながら歩く。蝉の弱い鳴き声は僕の存在を彼女から隠すのに一役買ってくれた。
月明かり。三日月の薄ぼんやりとした光と非常口を示す緑光を頼りに彼女は歩いていく。振り返る事も無く。
尾行をしている僕にとって、彼女の迷いの無さは行幸でした。まあ、見失う事も無いでしょうけれど。
行き先は分かっているので……ね。
果たして視線の先の彼女はやはり、思った通りの教室へと、入って行った。
文芸部室。
手の中に有るスイッチを押す。耳に付けたインカムは多少ノイズは混じるものの概ね良好。彼女の声を余さず拾う。
「……神頼みなんて、アタシの柄じゃない。でも……何を失う訳でもないしね。明日の早朝に取りに来れば、それで良いのよ。うん」
涼宮さんの自分に言い聞かせるためだけの密やかな声は、しかし本人の意に反してよく通る。
最新鋭の盗聴機に、捕らえられない声ではない。
「さ、これで良し、と。後はちゃっちゃと退散ね」
身を潜めると同時に、ガチャリと文芸部室の扉が開きました。少女は階段の闇に隠れた僕には気付いた様子も無く、帰路を急ぎます。
少々、気恥ずかしかったのも有るのでしょう。
彼女の足音が聞こえなくなったのを確認して、僕は腰を上げました。
ここからが、僕の仕事。
「……機関は心配性過ぎるきらいが有りますね。困ったものです」
上靴を履いて廊下を歩きながら呟く。
「少し頭を捻れば、彼女が何を星に願ったかくらい、分かっても良さそうなものですが……いえ、きっと上も分かってはいるのでしょう」
文芸部室の扉を開いた時に少し乱暴になってしまったのは、心がささくれ立っていたのかも知れません。
いけないと思いながらも、しかし平常心を保とうとする試みは簡単に瓦解してしまった。
少女が人目を避けてまで吊るしに来た短冊を見た瞬間に。
呆気無く、無感情の仮面は崩れ落ちた。
……予想通りの内容で、ここまで心が苛立つなんて全く……意味が、分からない。
自分の感情に裏切られる、そんな感覚。いけない。嘆くのは後からでも出来る。今は、一刻も早く機関への報告を済ませなければ。
息を整えて、そして電話を掛ける。
「ああ、どうも。古泉です。短冊の内容を確認しました」
彼女のカチューシャと同じ色の短冊を手にとって、それを読み上げる時に、月明かりが少し翳った。
「内容は……僕が事前に予想していた通りです。では、これにて作戦は終了という事で。ええ。お疲れ様です」
右手の中の恋心を握り潰したくなる衝動を抑え込んで、そして僕は崩れるように長門さんの指定席に座り込んだ。
「はは……本当に、僕は損な役回りだ」
自嘲が止め処無く口から零れ出る。
「なぜ、僕だったんでしょうね。機関の人間は他に幾らでもこの学校に在籍しているというのに……なのに、なぜ僕だったんでしょう?」
項垂れてさかしまに瞳に映り込んだ三日月は、彼女とは似ても似つかない。
だけど、そこに問い掛けていた。
「ねえ、涼宮さん?」
僕は楽しくない恋をしている。
僕は許されない恋をしている。
僕は笑えない恋をして。
僕のこの恋は実らない。
すう、と。
一筋。
さかしまの。
涙。
流れる。
「どうして」で頭の中が溢れ返って動けない。
どうして、僕は。
彼女と出会ってしまったのだろう。
こんなに辛い想いをするくらいなら。
ああ、消して貰おう。
いっそ、消してしまおう。
彼女の前から消えるその時に。彼の前から消えるその時に。
この幸福な時間の思い出を。
消して貰おう、長門さんに。
僕の恋心。
言えない想い。口に出す事すら許されないこの想い。
宇宙に持っていって貰おう。
振られる事すら許されず。
潜め行き続けても、きっとつまらない。
涼宮さん。
僕は貴女の事が嫌いでした。
ずっと、ずっと嫌いでした。
でも。
今の僕は。
君の事がこんなにも。
泣けるほど。
好きです。
胸ポケットに潜ませた短冊を、彼女のものと入れ替わりに笹に吊るせば、僕のこの想いは叶うだろうか。
神の力は、この恋を叶えてくれるだろうか。
十六年後でも、二十五年後でも、いつでもいい。
星に願いを。
僕の願いは。
届きますか?
誰かの願いだけじゃなくて、皆が願い事をする事を許される日ならば。
僕みたいな卑屈で卑怯で、夢を見る事を諦めた人間であっても。
女神から想い人を奪い、取って代わろうとするその邪な想いは汲み取ってくれますか?
織姫さん。彦星さん。
涼宮、さん。
ひたりひたりと、足音。立ち上がって笹に歩み寄るこの体はまるで他人のもののようで、僕のコントロールを離れて一人歩き。
笹に掛かった短冊の、その中の一枚に触れる。
僕の好きな少女の、少女の好きになった少年への想いがが詰まったそれを。
僕は――、
「古泉くん!?」
少女の叫び声にビクリと震え、僕に体のコントロールが返ってくる。
振り向けば女神。
僕の好きな人。
「……涼宮さん?」
彼女は足早に僕へと歩み寄り、そして笹と僕の間にその小さな体を入り込ませた。
有無を言わさぬ、鋭い目つきで僕を睨み付ける。
「ここで……こんな時間に何をやってるの?」
さて、何と言って煙に巻こうかと思案していると彼女は僕の体を押した。
「離れなさい」
怒髪天を突く、という表現はこんな時の為に有るのでしょうか。いえ、彼女の激昂も理解出来ますけれど。
「……仰せのままに」
「古泉君……見たわね?」
見た? 何を?
決まっている。
少女が秘めてきた恋心。
「ええ」
僕は頷いた。嘘を吐く気も、無くなっていた。なぜだろう。虚無感が心を覆っている。
涼宮さんは僕があっさりと肯定した事に少しばかり逡巡しているようだった。この後に口にする台詞が思い浮かばない、といった様子で。
僕が何かを言うのを待っているようにも、見えた。
「涼宮さんが不機嫌になられるのも分かりますけれど。しかし、言わせて頂ければ貴女の気持ちに関しては今更……でしたよ。ええ、僕に言わせて頂くなら」

さあ、楽しくない恋をしよう。

「バレバレ、でした」
そう口にした瞬間、拳が飛んだ。僕はそれを容易く受け止める。幾ら運動神経抜群の涼宮さんとは言え、所詮素人。
玄人の僕に避けられない速度でも、止められない力でもない。
手のひらの痛みよりも少女の体温の方が僕には衝撃で。
初めて、手を繋いだのは、僕の恋が終わる日。
涼宮さんは……こんなに温かい生き物だったのですね。
「忘れなさい!」
搾り出すように少女が吼える。
「それは団長命令ですか? それとも涼宮さん個人としてのお願いですか?」
「団長命令!」
窓ガラス越しの月光に彩られて、真赤に猛る少女は僕の目にとても弱々しく見えた。
「……では、お断りします」
何の迷いも無く蹴撃。素晴らしい決断力です。即断即決。敵と認めた者に対しての容赦は一切無し。惚れ直してしまいそうになる。
ですが、ああ、笑いがこみ上げてくる。彼女にとって今回ばかりは相手が悪い。
僕は後ろに下がりながら、少女を挑発するように呟く。
「貴女の想いは分かっていました。が、どうしても決め手に欠けていた為、今まで言わないでいましたが……そうですね。明日の朝にでも彼に僕の方から告げましょう。ええ。それがいいでしょう」
少女の両手両足が空を凪ぐ音。僕はそれらを尽(コトゴト)くかわし、そして軽口を続ける。
「言わないで! 言うなっ! 言うなあっ!」
「嫌ですよ。こんな面白い事、不思議を追い求めるSOS団の一員として黙っている訳にはいきません。愉快な事は、分かち合わないと」
「いらないっ! いらないいらないいらないいらないっ!!」
「それを決めるのは貴女では有りませんね……おっと」
そのままよけては机にぶつかる軌道で放たれた右足を受け止める。
「狭いのですから、気を付けて下さいね。傷でも残ったらどうなさるおつもりですか」
せせら笑う。
笑いが込み上げて来て、しょうがなかった。
まるで月の下で貴女と踊っている様だった事。
貴女に僕の存在を否定させて消えようとしている事。
逃げるという選択肢しか選ばない卑小な自分。
その全てがおかしかった。
逃げ回っていた僕の背中に、笹が当たる。
「涼宮さん。ここでぼくが避ければ笹に当たりますが、どうしますか? まだ、続けますか?」
「……古泉君が忘れると約束するならね」
「出来ません」
僕という存在はまだ消えない。ふむ。もう一押し、挑発が必要でしょうか。
……どうせ、これで終わりなら、お披露目も、良いでしょう。
僕はシャツのポケットからそれを取り出した。
恋の。
想いの。
カタマリ。
「短冊?」
「ええ、短冊です。貴女が吊るしたものと、内容は余り変わりません。ただ……当然ですが相手は違います。貴女の想いは彼に。そして僕の想いは……」
さようなら、僕の恋。

「涼宮さん。貴女宛てです」

七夕。
七月七日。
世界が願い事で満たされる日。
僕の願いは叶った。
少しだけ、叶った。
告白をしたいという願い事だけは叶えられた。
こっ酷く振られたいというそんなどうしようもなく後ろ向きな願いだけは叶えられた。
二十三時五十八分。
君は僕の告白に停止して。
世界は僕の告白に停止して。
「さて、七夕に願い事が叶うのならば、この笹に吊るされた誰かの願い事の代わりに、僕の短冊を吊るしたならば、どちらが星に届くのでしょうね」
ベガとアルタイルは窓の向こう。
デネブと三角形を作っている。
でも、七夕物語にデネブは出てこない。
それは線であって、三角形では無いのです。
消えてしまえ。
僕(デネブ)。
二十三時五十九分。
僕の手が君の想いを撫でる。毟り取って、短冊を付けるのに、一分も要らない。
手に力を込めて。
僕という存在はそこで消えるのだと思った。
女神に存在を根底から否定されて、消えるタイミングとしてはそこが一等上出来だった。
全てを忘れたいという願い。
忘れ去られてしまいたいという願い。
織姫。
彦星。
願いを。
叶えて。
その時だった。
付けっぱなしだったインカムから、声が聞こえた。
恋敵にして大切な友人の、声が聞こえた。

「古泉一樹、一度だけ俺の言う事を聞け。俺達の……SOS団の敵に回るな」

それは空耳だったのかもしれません。それは幻聴でなかったという保証など僕には出来ません。
だけど、僕の手から力を奪うには十分で。
何も出来ずに七月八日。零時零分を示す、長針が音を鳴らす。
それが全てでした。
「……残念です。七夕は……終わってしまいました」
「……そうね」
「僕の短冊は、結局一回も飾られないままでしたよ」
「……そうね。……古泉君」
少女が僕に歩み寄る。そしてだらしなく垂れ下がった僕の手の中から短冊を抜き取って、そして言った。
「アタシは織姫でも彦星でも無いから、この短冊の願いを叶えてあげる事は出来ないわ」
「そうですか。そうですね。返事も……要りませんよ。分かり切った回答なんて、つまらない話です」
つまらない恋は、これで終わり。
楽しくない恋には、お似合いの結末を。
「……それで、古泉君は良いの?」
「良くないですよ。本当は、こっ酷く振って貰いたかったのですけれど」
そう、それこそ。
世界から、この身が消え失せるほどに、痛い失恋がしたかった。
叶わない想いなら。
せめてセンチメンタルな結末を。
なんて、僕には分不相応だったのでしょうか。
道化師の僕には。
「……そうね……これは、預かっておくわ」
僕の想いのカタマリを懐に仕舞いながら少女は言う。
「どうとでも、お好きになさって下さい」
「古泉君」
「はい?」
「嫌いにはならないわよ」
それは……それは。
「恋愛的な意味で好きになる事は出来ないけれど」

だから、嫌なんです。
この場所は、居心地が良すぎるから。

「アタシはSOS団の団長だから。団員の面倒ぐらい最後まで見る覚悟よ」

きっと、僕はこの思い出を一生背負っていかなければならないから。
話は終わりと、今にも部室から出て行きそうだった少女に声をかける。
「だったら、涼宮さん」
少女は振り返る。月明かりを受けて、不適に微笑むその立ち姿。
僕の好きになった少女。
彼を好きになった少女。
「何?」
「七夕には時間切れですが、一つだけ僕の我侭を聞いて貰えませんか?」
僕はズボンのポケットからぐしゃぐしゃになった短冊を一枚取り出す。

「十六年後でも二十五年後でも良いので、僕と七夕デートをして下さい」


七夕はあまり好きじゃない。
十六年後なんて、二十五年後なんて、長過ぎて。
冗談では、ありません。



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