ハルヒSSの部屋
古泉「ただいま」
さて、敬愛なる皆様は最早お気付きだと思うが嵐ってーのはずっと一所に留まってるようなモンじゃあない。
ま、そりゃそうだ。明けない夜なんてモンは無いし、どんだけ繰り返しても、それこそ終わらない夏休みなんて夢のようなモンさえ世界には無かったんだ。
時は待たない、ってヤツだな。はて、これは誰が言ったんだったか。誰が言ったにしても含蓄有る言葉だね。うむ。
つまり、時間ってーのは宇宙人だろうと未来人だろうと超能力者だろうと、はたまた神様であったとしても、平等に過ぎ去っていくように出来ているらしい。ん? そんなんは常識だろって?
いやいや、その常識ってーのを疑っていたのが昨年までの俺だったりするんだ。もしかしたらループエンドだったりすんじゃないのか、とかも多少本気で考えたりもしたね。ああ。
こら、そこ。ゲーム脳乙とか言ってんじゃねえぞ。
もしもだ。もしも仮にアンタが俺と同じ状況に追い込まれてみろ。俺と体を入れ替わり、高一の八月であったり十二月であったり、高二の四月であったり七月であったりを経験してみろ?
俺は断言するね。今、画面の前でふんぞり返ってるアンタだって時間感覚ってヤツに多少の弊害を持っちまうだろうってさ。
SOS団で唯一の一般人であり、かつ、まあ自分で言うのもなんだが比較的常識人な俺でさえこの始末だ。その俺が語り部の、そんな物語を楽しんでるアンタらなんかは最たるモンだと思うね。違うか?
だがしかし。それでも俺達は順調にハルヒ出題の問題(一つ残らず難題で無理難題なのは、まあハルヒらしいっちゃらしいんだが)を解き明かし、潜り抜け、あるいは素通りして……。
ああ、ここまで言えば分かるだろ? 大体、話の骨子は読めたよな?

俺達は無事に三年生に進級したのであった。

つまり、この話は後日談ってヤツだな。
神様が居た面白おかしく、波乱万丈、驚天動地で支離滅裂な、その残り香だけがほんのりと桜吹雪に乗って校舎を包み込む。
そんな感じの、取り立てて面白味も無い、フツーの日々、ってヤツを、俺はこれから語っていこうと思う。
勿論、主役は俺じゃない。
この話の主役は……いや、これまでのどの話の主役もそうだったのだが。
最初から最後までクライマックスでお馴染み。
俺達の団長様だ。
そう。やっぱり後日談であってもスポットライトはコイツに当たる。

涼宮ハルヒ。

何を隠すでもない。俺の、恋人である。

「……非常に貴方らしい恥ずかしい独白ですね。ああ、ターンエンドです」
とは言え、俺達に限って言えば余りその日常風景が変化している訳でもない。残念だったな。だが、様子が一変してる事を期待したアンタらが悪い。
「うるせえよ、古泉。大体、原作中で乱立させた死亡フラグを残らず叩き折りやがったヤツが言えた義理か?」
言いながら俺はカードを引く。お、悪くない引きだな、今日は。
「一緒になって叩き折った人間が何を仰っているのですか。あんまりそういう事を言うのは止めて下さい。僕はこれでも、昨年の七月の貴方の台詞には少なからず感動しているのですよ?」
「さっさと忘れろ、んなモン」
俺が場に出したカードにもたじろぐ事の無い、古泉のポーカーフェイスは健在である。だが、内心の動揺が俺には手に取るように分かるね。
伊達に二年もお前とテーブルゲームをやってきた訳じゃないんだぜ?
「『SOS団は誰一人欠けさせねえぞ、ハルヒ!!』。……あ、今の似てましたか?」
「……古泉、お前なあ……」
ああ、口の中に今、見事に苦虫が巣食ってやがる。
「そんな顔をしないで下さい。言ったでしょう。僕は感動したのです、と。嫌味でも皮肉でもありませんよ」
そんな風に思われる事こそ心外です、と。そう言って古泉は俺の使役するモンスターカードに蹴散らされた薄っぺらいヒーローを墓地に送る。
「だったら、声真似とかしてんじゃねえよ。そもそも、ちっとも似てねえっつの」
「おや、そうですか? 僕としては今のモノマネは自信作だったのですが……と、投了です。コーヒーで良かったですか?」
「ああ、冷たいのを頼むわ」
「了解しました」
そう言って古泉は一つウインクを俺にむけると教室を出ていく。
……はーあ。
全く。アイツも偉く丸くなったもんだ。
背伸びをした際にぎしりと音を立てる椅子は昨年までとは質感が違う。当然だが、音も違う。なんとなく、しっくりと来ないが、まあ、これが進級ってヤツなんだろう。
誰も居ない三年五組の教室の隅で一人、俺は大欠伸をして窓の外を眺めるのだった。

さて、上の一文に不自然を感じた方は一体何人居られただろうか? その数少ない方々に俺は是非とも敬意と称賛の拍手を送りたい。ブラボー、名探偵になれるぜ。
三年五組。
まあ、つまりは俺の所属している学級だ。
さて、なぜそこに古泉が居るのかと問われれば。まあ、俺に会いに来ただけと言えるのだが。ああ、勿論放課後の暇潰し相手としてだぞ? 深い意味は無い。
って言うか。アンタ達が疑問に思っているのは「なぜ文芸部室じゃないのか」だろ? だが、その疑問に行き着いた時点で解答は出てると思うね。
わざわざ俺が言う事も無いような気がするが……ま、それでもあえて言葉にするならば。……簡単だな。SOS団……じゃねえ、文芸部が廃部になったからだ。
原因は、これも改めて言わなくても分かるだろうが部員不足。規定人数の五人に満たなきゃ原則として同好会は認めて貰えない。
ま、そんな訳で文芸部室は取り上げ、没シュート。てれってれってれー、ってか。
勿論、ハルヒは抗ったさ。そりゃもう、俺と古泉の二人掛かりであっても止まらない馬力でもって直接教師と生徒会に掛け合い。その挙句に一悶着、と。
右腕に貼られた絆創膏はその時にハルヒにやられた引っかき傷だ。やれやれ。アイツは彼氏相手であっても手加減ってモノを知らないね。
……ああ、ちょっと不安になってきた。俺はアイツの中でどんな立ち位置を与えられているのか。
流石に雑用呼ばわりされる事はもう無いが、それにしたって恋人相手とは思えない不変っぷり。
「まあ、いいんだけどさ」
俺は首筋に貼ってあるもう一枚の絆創膏をなぞった。
「そこがアイツの、いいところでもあるさ」
そう、思い込む事にして自分を騙す、あんまり格好良くない俺だった。……とは言え騙してるのは半分くらいなんだけどな。

「やっぱり貴方の独白は恥ずかしいですよ。聞いているこっちが赤面物です。以後はどうか、自重して頂けると僕としては助かりますね」
振り返ればヤツが居る。超能力者改めおつかいクン一号ご帰還だ。
「聞き耳を立てるヤツが悪いに三千点だ」
「そう言わないで下さい。諜報活動というのは機関の主要任務でして、どうもまだ、その癖が抜けてないんですよ」
古泉はヘラヘラと笑いながら俺の机に缶コーヒーを置く。小指をクッションにして音を立てない、そんなさり気無い仕草が一々俺の癇に障るね。
「お前の天職はバーテンダーだな」
「ふふっ。考えておきましょう」
古泉は前の席に後ろ向きに座ると、自分用に買ってきたジンジャーエールの缶から小気味良い音を鳴らした。
「コーヒー党じゃなかったのか?」
「ああ、アレはキャラを作っていただけです。実は僕はコーヒーも紅茶も、苦手ではありませんが取り立てて好きという訳でもありません」
「苦労してたんだな、お前」
俺が適当にそんな相槌を打つと、古泉は笑った。
「いいえ。キャラ設定というのも存外楽しいものなのですよ。そうですね……こうして仮面を脱いで接する事が出来る友人と談笑する際などに、幸せを感じます」
「気持ち悪い」
「おや、照れているのですか?」
「寝言は寝て言え」
古泉から視線を逸らしてさっきまで見ていた様に、校舎の外を眺める。北高は少しだけ周りよりも高い場所に有り、見晴らしは結構悪くない。
桜が、春一番に舞っていた。

「絵になるな、アイツらは」
「ええ。お二人とも、北高屈指の美少女ですから」
俺達が揃って見下ろす、その視線の先では少女が二人、下校途中の生徒に対してビラ配りをやっていた。
ハルヒと長門だ。
「桜並木と少女。これが絵にならない筈もないでしょう?」
「そんなモンかね」
「そんなものです」
既に大半の生徒は校舎から撤退している。無理も無い。新学期おめでとうテストとか言う憎たらしい名称の拷問が終わった、その翌日である。
教師達は一心不乱に採点に追われ、部活の顧問なんてやっていられる訳もないから部活動、同好会その他の活動は今日明日と全面停止だった。
「さっさと帰れば良いのにな、俺達も」
歩き去る生徒の姿はまばらで、夜空を眺めていて流れ星を見つけるレベルのレア具合と化していた。
そんな中でもハルヒと長門は懸命に……いや、長門はただ流されているだけだろうが……時たま道を行く生徒にビラを手渡していた。
「そう言わないであげて下さい。可愛らしいじゃありませんか」
古泉が缶を振る。
「朝比奈さんの帰って来る場所を作っておいてあげたい、だなんて」
「ま、思いやりに溢れたその動機は否定せんでもないさ、俺だって」
だが、ちょっとでも好奇心を示してくれた生徒に対して脅迫まがいの行為を迫るのは頂けないな。
……あ、ハルヒが男子生徒の胸倉掴んだ。
舌打ちを一つして席を立ち上がる。
「あの馬鹿が犯罪行為に手を染めない内に、あの男子生徒を救出するぞ、古泉」
「ふふっ、了解です」
阿と言えば吽。促すよりも早く走り始めた古泉に追従して、俺達は揃って走り出す。急いで飲み干したコーヒーの空き缶はゴミ箱にストライク。当然、左手は添えるだけだ。
廊下は走るな? だったら動く歩道でも付けやがれってんだ。
「まったく、あの馬鹿は少しも成長してないな」
長門を見習え。アイツの急成長っぷりを隣で見ておきながら何の感慨も無いなんてのは、そりゃもう罪悪だぞ、罪悪。
「そうでしょうか? 貴方ほど涼宮さんの成長を感じていらっしゃらない方も、僕は他に存じ上げていないのですが」
「一々茶々を入れるな、古泉」
「ああ、なるほど。今のが世に言う『つんでれ』でしたか。失礼。僕とした事が至らない発言を」
ああ、うるせえ! 誰がツンデレだ! その言葉はな、俺達の団長様の為に産まれたような言葉なんだよ!
断じて俺の為じゃねえ!
「ふふっ。では、そういう事にしておきましょうか」
まだ何か言いたそうな後ろを走る古泉をギロリと睨みつけると、ソイツは走りながらも器用に肩を竦めた。目は口ほどになんとやら。ああ、ニヤケスマイルが非常に鬱陶しい。
コイツほど桜の季節が似合わない似非爽やかもいないだろうね、まったく。

「そこまでだ!」
「むむっ、何奴っ!?」
……コイツ、昨日、水戸黄門見てたな。
「お前の悪事は全て教室から見させて貰った! 大人しくその男子生徒を放せ!」
まあ、水戸黄門が昨日テレビでやっていた事を覚えているって事は俺も見ていた訳なのだが。
「悪事だなんて人聞きが悪いわね、キョン。これは勧誘よ、か・ん・ゆ・う。アンタ、目でも悪いんじゃないの? 今度、眼科に連れて行ってあげよっか?」
胸倉掴まれてつま先立ちしてる男子生徒の様子を見て、一体百人の内何人が「同好会勧誘」だと答えるのか。断言してやる。そんなんは零だ、零。
「ふーん……アタシの敵に回るっての、キョン。面白いじゃない」
「別にお前の敵に回るつもりは無い。っていうかどっちかって言えばむしろ味方だ、馬鹿」
このまま同じ事を繰り返していたら間違い無くハルヒと長門は愛の説教部屋行きである。ハルヒに説教はまだ分かるとしても、長門がとばっちりを食うのは正義の味方として見てられん。
「ふん。どうしてもこのアタシを止めたいって言うなら、力づくで来なさい! 先生! せんせーい!」
「……呼んだ?」
言いながら俺とハルヒの前に立ち塞がるのは、SOS団の誇る万能秘密兵器。長門有希その人である。どうやらコイツも昨晩の放送を見ていたらしい。その身に纏う雰囲気は悪代官に雇われた用心棒である。
ドイツもコイツも馬鹿ばっかだ。
「……コイツらをやっちゃいなさい!」
「了承した。鯛焼きはカスタードクリームを希望する」
これまた安い報酬で雇われたモンだと溜息を吐く事頻り。お前には宇宙人的なプライドとかそういったものは無いのか。
やれやれ。
「……古泉」
「はい」
俺の後ろでにこやかに待機していた元超能力者が隣に並び立つ。ズザツとか効果音がしたのは……まあ、気にしないでおく事にする。
SE(サウンドエフェクト)とかそんなもんは今時、珍しくも無いからな。
「長門に対してジェットストリームアタックを仕掛けるぞ」
「……あの絶技を使用しますか……本気ですね。了解です。タイミングは?」
「スリーカウント」
仁王立ちになって足元を確認する。締め上げられている男子生徒の顔が土気色になり始めていた。事態は一刻の猶予も無い。無論、俺達の方を向いて不敵に笑っているハルヒに男子生徒の変容が気付ける理屈も無く……くそっ。スリーカウントが長い!
古泉の靴の踵が地面を叩く。スリー……ツー……ワン!
「「イグニッション!!」」
俺達はまるで獲物を狩りにかかったサバンナ最速の獣、チーターの様に長門先生に向けて左右から襲いかかった。
一切の躊躇無く。
一切の戸惑い無く。
そして、それは長門も同じだった。少女は左右から襲い来る狩人に対してまるで臆する様子も無く、その場から身動ぎ一つしない。
纏めて迎撃、ってか。長門らしいぜ……だがっ!
俺と古泉の二年越しのコンビネーションをちょいと甘く見過ぎちゃいないか、元宇宙人!?
同時攻撃。長門に向けて俺達は「分かり易い」「軌道を読むに易い」テレフォンパンチを放つ。当然ながらこれを手首を握って受け止める長門。インチキパワーはすっかり失ったとは言え運動能力はハルヒにも劣らない少女である。
だが。
これで両手は封じた。スピードを落とさずに更に肉薄する俺と古泉の両方をどうやって食い止める? 出来る訳はねえよな?
「……しまった」
ああ、そうさ。古泉が機関に居た頃の癖を忘れられていないように、お前も宇宙人だった頃の動きが抜けちゃいない!
どちらか一方を蹴撃しようとも、もう一人がお前に辿り着く。そして、長門。
お前にはどちらを攻撃するか、って感じの「咄嗟の判断」をするには年齢が足りな過ぎるんだ!
ニヤリと笑う少年と二人で長門を挟み込む。チェックメイトだ、急ごしらえの用心棒。
そして俺と古泉は少女の耳元で、勝鬨(カチドキ)を囁く。
「長門、マロンパフェDXを食いたくないか?」
「今ならロイヤルミルクティをお付けしましょう。奢りますよ」

結論から言う。長門、陥落。

「あー、ずっこい、有希ばっかり!!」
ハルヒが手の中の男子生徒を捨てて、ズンズンと恐竜のような足音を伴って俺たちに歩み寄ってくる。ああ、そのまま今度は俺の胸倉を掴むつもりなんだろ? 分かってるさ。
だが、やられっ放しってのも性に合わん。ハルヒ。お前にはちょいとばっかし反省をして貰おうかい。
「先生、出番です」
「……うむ」
長門有希は今度はハルヒの敵となって、元スポンサーに立ち塞がったのであったとさ。

さて、この後俺達とハルヒの間で壮絶な長門買収合戦があったのだが、それに関しては特に語る必要もないだろう。
結局、素直な良い子である長門の一人勝ちとこの戦いは相成り、この後四人で向かった喫茶店のテーブルにははみ出るほどのスイーツが並びまくったのである。

「何がいけないって言うのよ?」
「そうだな。お前の勧誘方法はほぼ間違っているという点を除けば大体正解だ」
喫茶店からの帰り道、俺はハルヒと二人で並んで歩いていた。なぜ、なんて言うなよ? ここでそんな野暮な事を言う奴は退場だ。
ま、有り体に言えば古泉が気を利かせてくれたのであり、だが、もしかしたらアイツは長門に惚れているのかも知れんとかは……無いとは言い切れないだけに薄ら寒い。
いやいや、考え過ぎだろう。
そもそも、古泉はハルヒに対して好意を抱いているのであり……いやしかし、逆境を共にした男女の間には恋愛感情が芽生えやすいとも聞いた事が有る。
釣り堀効果、だっただろうか?
むう……古泉だけは止めておけ、と言ってやりたい気持ちが反面。しかし、古泉が表面上はともかくとして根っこの部分で良いヤツなのを知っている俺としては……それでもやっぱり古泉だけはダメだな。
「……ってワケで、次はこの作戦で……ちょっとキョン、聞いてるの?」
ハルヒの物騒な声音で思考の海から回帰する。ああ、返答を間違えたら俺、蹴られたり叩かれたりするんだろうな。
幾つになっても私刑はゴメンだ。
けれど、ここで「ああ、そうだな。良いんじゃないか?」なんて適当に相槌を打ってみたりすると、コイツがもしも悪魔的な考えを口にしていた場合に、また罪無き一般生徒が犠牲になる訳であり……。
しかたがない。聞いてなかったのは俺で、悪いのも俺だ。腹を括るとするか。
「悪い、聞いてなかった。なんだって?」
「……今、他の女の事を考えてたでしょ、アンタ?」
ジト目で睨む涼宮ハルヒはいつの間にか超能力に目覚めていやがった。それも一番厄介な読心術系だ。勘弁してくれー。
「……佐々木さん?」
だが、そこでなぜ「佐々木」の名前が出て来るのか。ハルヒの脳内回路は俺にはよく分からない感じに混線しているようだ。何はともあれ、テレパシストになった訳ではないようで内心胸を撫で下ろす俺である。
「いや、違う」
「へえー、どうかしらね。アンタの事だから、またどこかで出会った女の子カ・シ・ラ? 登校途中にトーストを口に咥えた美少女と出合い頭に衝突してパンツ見て、その子がクラス替えでたまたまアタシ達と同じクラスで……誰!? 三船さん!? 椎名さん!?」
……どうしてコイツの頭の中は一々王道ギャルゲ的なのだろうか。第一、いきなりそんなオリジナルキャラが出て来るようなSSにすんじゃねえって、馬鹿。
「あー……まあ、ハルヒになら話しても良いか。その……こういうのは第三者が口やら手やらを出したりする類じゃねえと思うんだけどさ」
「一々まだるっこしい前置きはしなくて良いの! アンタの彼女は一を聞いて千里を踏破する女なんだから、そういうのは無駄なだけよ」
へいへい、そうですか。よくそんな自信過剰にして傲慢不遜な台詞が言えるね。俺なら例え、口に拷問器具を付けられても言えそうにないぜ。
唯我独尊ってのはもしかしたらお釈迦様がハルヒの為に造った言葉なのかも知れんね。
「その……だな」
「キョン。男らしくないわよ。さっさとズバリ言いなさい! それとも吐くのにカツ丼が必要? なら、今から定食屋に入っても良いのよ!」
「今、俺は生クリームで胃液が逆流しそうなんだが、それを察してのその発言は籠絡じゃなくて拷問だよな?」
ニヤリと。唇の端を意地悪っぽく上げるハルヒの表情は、けれど夕日に照らされて俺の目にはそこそこ魅力的に映り込んだ。
……断じて俺がマゾなんじゃないからな。
「吐くまで食わすわよ?」
「吐くのは言葉じゃなくて、カツ丼だな。この流れだと」
俺は空を見上げる。ああ、そもそも舌戦でこの女に勝とうとした事が間違いだったと、俺はいつになったら気付くのか。
しゃあねえな。悪い、古泉、長門。明日からハルヒタイフーンの風速が更に強くなりそうだ。
「考えてたのは、古泉と長門の関係だ」
「ああ。あの二人、付き合ってもう一カ月なのに、全然進展してないもんねー」

へ?
なんですと!?

「ん? 何よ、キョン。鳩が迫撃砲食らったような顔してるわよ?」
……その鳩は間違いなく死んでるよな。うん。……なんだ、ゾンビみたいな顔だとでも言いたいのか? 死んだ魚のような目をしているとでも仄めかしているのか、お前は?
そんなんが彼氏で、お前は許せるってのかよ? 発言の撤回を断固求めるぞ、俺は。
「いや……ちょっと……違うな。大分驚いた」
寝耳にポカリスエットを二リットル注がれた気分だ。
「え? もしかしてアンタ、あの二人が付き合ってる事知らなかったの?」
「……初耳だ」
絞り出すような声で俺がやっとかっとその事実を告げると、ハルヒはにんまりと笑った。お前、今日はエラく意地の悪い表情が目立つぞ。
「って、ちょっと待て。一か月前って事は……『団内恋愛禁止』の撤回ってもしかしてアイツらの為だったってのか!?」
「もしかしても何もそれ以外に有る訳無いでしょ? 有希に相談されたのよ。このままじゃ意に沿わない返答を古泉君にする事になる、って。本当、変な所で真面目なんだから、あの子」
知らなかった……いや、まあ、古泉が俺にそういった内容を相談しそうにないのは分かるよ。分かるんだが……長門がハルヒに直訴だって?
俺の知らない所でエラい成長振りだ……正直、イメージ画像が浮かばない。
「……それで、撤回したってのか?」
「そうよ。可愛い有希の頼みだもの。断れる訳ないじゃない?」
……。
……謀られた。完全完璧完膚なきまでに古泉の口車に踊らされた……。
「えっと……だな、ハルヒ」
「ん? 何よ、ニブキョン?」
いや、言って良いのか、コレを? ハルヒに?

『団内恋愛禁止の撤回……涼宮さんにここまで言わせておいて、それでもまだ貴方は臆するのですか? まったく、とんだ臆病者ですね』

……言える訳無え…………。
沈み込む夕日に向かって明日の古泉の打倒を誓う俺だったが、そんな渋い男の背中での叫びにも、まさかあのハルヒが耳を貸す筈もない。
「ほら、なんだってのよ。アタシ踏ん切りの悪い男って大っ嫌いなのよね。さ、可愛い彼女に嫌われたくなかったら、さっさと言いたい事を言いなさい」
……なんとか誤魔化さなければ……出来る限り自然に……この勘の良い少女にも気付く事が出来ないような反則的なまでの口から出まかせを。
……誰か分かるヤツが居たら今すぐここに飛んで来い!
「えっと……だな……」
「ふんふん」
いつもは俺の話なんかまるで聞き流す癖に、なんで都合の悪い時に限ってコイツはこんなに俺の発言に食いつくんだろうな。
性格が悪いのか、間が悪いのか。多分、両方だな。
「……お前は長門の相手が古泉で、それが許せるってのか?」
どっかから持って来て取って付けたような内容ではハルヒに簡単に真意ではないとバレてしまう。だからこそ、俺は思っていた事をそのまま素直に口に出す事にした。
我ながら孔明のような策士っぷりである。ああ、自分で自分を褒めてあげたいね。
「……アンタ、そんな失礼な事を考えてたの?」
心外だ。まさかハルヒに「失礼」なんて言われようとは。誰に言われようともコイツにだけは言われたくない台詞堂々のナンバーワンは、しかし確かに今のは礼を失する発言だったかも知れん。
だけどさ。古泉だぜ? 胡散臭いって言葉をそのまま人間にしたような、アイツだぜ?
お父さんはそんな相手断固許しませんよ!
「キョンもさっき言ってたじゃない。こういう事は第三者が口を出す問題じゃない、って。大体、古泉君で何か問題が有るの?」
問題は……無い。だが、心情的には俺は首を縦に振る訳にはいかん……いかんのだよっ!
とは言え。アイツ以外に長門を任せられるような人間を知っているかと聞かれて、俺には誰の名前も挙げられないのが実情であるからして……。
「とりあえず、古泉が長門を泣かしたら」
「決まってるじゃない。地獄って言うのは現実に有るものだって分からせてあげるつもりよ」

……いや、俺はそこまでする気はありません。

さて、唐突にシーンをぶった切って済まないが、どうか聞いて貰いたい。
俺にはずっと懸案事項が有った。
それはつまり「長門が宇宙人じゃなくなったら、どうなるだろうか?」という事であり。
それはあるいは「朝比奈さんが未来に帰ってしまったら、どうなってしまうだろうか?」といった具合に。
それははたまた「古泉が超能力者という責務から解放されたら、どんな事が起こってしまうのか?」なーんて感じで。
それは集約すれば

「神様がただの女子高生に成り下がってしまえば、俺の世界は元に戻るのか?」
となる。

甚だ自分本位で申し訳無いがしかし、どうか察して頂けないだろうか。
俺はあの破天荒で型破りな日々を、それでも愛していたんだ。だって、そうだろ? あんな体験をして、あんな世界を見せつけられて。
それでも尚、普通の方が好ましいなんて言うヤツが居たら、そんなんは思春期じゃねえよ。きっとよぼよぼのおじいちゃんだって、それでも魅せられるに決まってる。
だって、熱を持たない人間なんて、この世界のどこにも存在してないんだから。
俺達は一人残らず例外無く、外気を蔑ろにした三十六度を十億の細胞に搭載してんだ。違うか?
だから、涼宮ハルヒに吸い寄せられて。

いや……何考えてるんだ、俺?
ちょっと待ってくれよ。
俺は今の、この充足した日々に、それでも物足りなさを感じてるってのか?

なあ……オイ、勘弁してくれよ、俺。

もう、あんな日々は戻ってこねえんだよ。

さて、事件ってのは唐突に起きるもんだ。
歴史は繰り返すとは有名な言葉だが、つまり俺達が過去を学ぶのはそれを繰り返させない為である事に異論を挟む人はいないように思う。だよな?
……だってのに人間ってのは本当、救いようのない阿呆なモンだから繰り返しちまう。何度でも。何度でも。
それはもう、二年前の八月を引き合いに出すまでも無い。俺だって救いようのない阿呆だ。
思えば予兆は有ったんだ。いや、気付かない方がどうかしてる。つまり、俺はどうかしてたんだろう。無理も無い、ハルヒと付き合い始めて半月ちょっと。一番浮かれている時期だったのは間違いないし、事実として俺は浮かれていた。
だから、気付けなかった。
勿論、理由を並べ立てても、それで弁明出来る訳じゃないし、そんな事はしようなんて思っちゃいない。
俺は、最悪だ。
SOS団は誰一人欠けさせない。そう神様に宣言した去年の七月。だけど、結局の所はどうだよ?
朝比奈さんが俺達の隣を歩いているかい?
いないよな。
ああ、彼女が帰る時に「しかたがない」とか馬鹿な事を考えたのも俺自身だとも。朝比奈さんは未来人で、未来には家族も友人も居て。
そんな小賢しい事を考えて引き止めなかったのはここのコイツだ。分かってる。
だけど。
今にして思えば俺は素直に泣いておくべきだったんだ。泣いて、引き止めるべきだったんだ。それで彼女を引き止められなかったとしても。
素直に「SOS団は欠けさせない」って誓いに則って行動するべきだったのだろう、と。
俺はこの日、長門を前にしてそう思った。
そんな事を、考えた。

「古泉一樹が、昨日付けで転校した」

無表情はそのままに、それでも少女の瞳からは。
リノリウムの床に、まるで桜の花びらみたいに、ぽとりぽとり、鈍色の染みが広がった。

それは元宇宙人少女が初めて見せた、涙だった。

考える。あの古泉が、果たしてハルヒへの思いを吹っ切れるだろうか?
ああ、そんな事は分からない。そんな事は古泉本人しか知りはしない。
では、長門を好きになど、なるのだろうか?
別に長門に魅力がない、なんてそういう意味で言ってる訳じゃない。勘違いしないで欲しい。
そういう意味では無く。
あの古泉が。
五年も神様少女の幸福「だけ」を願って生きていた超能力少年が。
果たしてその想いを失うなど、捨てるなど、諦めるなど、そんなのは有り得る話だろうか?
……ああ、そんな事は古泉本人にしか分からない。だけど。
だけど、一つだけ。俺にだって分かる事は有って。
『団内恋愛禁止の撤回……涼宮さんにここまで言わせておいて、それでもまだ貴方は臆するのですか? まったく、とんだ臆病者ですね』
その、団内恋愛禁止令の撤回は、古泉が仕組んだ事で先ず間違い無く。
一月前。三月。ハルヒが神としての特性を失ったのは、丁度その月の初め。朝比奈さんが未来へ帰った、その翌日。
つまり、古泉が超能力者でなくなり、そして長門が宇宙的能力を失った……その、直後の撤廃令。
時期が重なり過ぎているのは、それは決して偶然なんかじゃ、ないだろう。
だったら。

……導き出せる結論なんてのは、一つしかない。
「長門、聞かせてくれ」
少女の肩に手を置いて、問いかける。怒鳴り散らして問い詰めそうな、その感情を出来る限り仕舞い込んで、俺は問いかける。
相手を気遣った優しい声を出せていたのかどうか、なんてのは分からない。
「……何?」
俺を見据える、ブラックホールを内包したような大きな瞳。まるでいつもと変わらないのに。その大きさはいつものままだけど。
けれど、長門の頬には絶え間無く滴が伝っていた。
おい、ハルヒ。世界を大いに盛り上げるって、その「世界」の中に「元宇宙人」が入っていないなんて事は無いよな? お前は仲間外れの寂しさを、よく分かってる筈だろ? もしも、元宇宙人が相手だって、ソイツが泣いてたら手を差し伸べるべきだよな?
俺は涼宮ハルヒの彼氏だ。誰にでも優しい、そんな元女神様の恋人だ。
だったらさ。俺のやる事なんざ、一つしか有りはしない。そうじゃないか。

「お前は、古泉の事が好きか?」
俺の問い掛けに、少女は小さく頷いた。ほんの数ミリ、首肯した。
「……大好き」

腹は決まった。腹は括った。
「オーケー、長門。その一言で十分だ」
俺達の大切な団員を泣かせるようなクズは。
「お前の前で古泉に土下座をさせてやる。泣こうが喚こうが絶対に許さねえ」

「あの下種野郎に地獄って言うのは現実に有るものだって思い知らせてやる」
首を洗って待ってろ、元超能力者。

それから。俺とハルヒは教師に掛け合って古泉の転校先を問い質した。こういう時、ハルヒの猪突猛進ぶりは本当に信頼出来る。勿論、俺はハルヒのブレーキ役をこの時ばかりは丁重に辞退させて頂いた。まあ、事情が事情だ。仕方が無いとそう思って欲しい。
特進クラスのなんとかって数学教師はかなり渋っていたものの、しかしハルヒが全力で仲間の行方を捜しているのだ。その迫力は某怪獣映画もかくや、である。
もしも古泉の転校先を教師が吐かなければ、それこそストーキングもしそうな勢いの俺達の団長を前にして、まあ、生半可な覚悟で沈黙を貫き通そうというのがそもそもの考え違いである事を悟った彼は二時間の激闘の末にようやく学校名を口にした。
「誰にも言わないで欲しい、という古泉たっての希望だった……か」
俺の後ろに続いて職員室から出て来たハルヒに問いかける。
「だが、アイツの希望なんか知ったこっちゃねーよな、実際」
「当り前でしょ!? 古泉君は有希を泣かせたのよ!? その罪、万死に値するわ!!」
「……だよな」
俺の代わりに心の底から怒ってくれているヤツが隣に居る。その分、俺は冷静になれた。まったく、ハルヒ様々だ。敵に回せばこれ以上に厄介な相手はいないが、味方であればこれほど頼もしいヤツもそうはいないだろうよ。
「……ハルヒ」
「何よ、キョン」
「折角手に入れて貰った所悪いんだけどな。その学校には多分、古泉は行ってないな」
「そうね。アタシもそう思う」
もしも俺が古泉だったとして、俺達が怒り狂う事。そしてそんな俺達の脅迫染みた質問責めに教師が耐えられる筈も無い事は想像するに容易い。っていうか自明だな。
だったら。
その存在理由を失ったとは言え「機関」のメンバーである古泉だ。姿を晦ます事なんざ朝飯前に相違無く。
そして俺達は、探偵じゃない。そういった方面ではドの付く素人。単なる一高校生の寄せ集め。
……こうなってくると、長門の宇宙的能力の喪失が痛いな……。
いや、そんな風に考えちゃダメだろ、俺。アイツは宇宙人って特性を失って、だけどだからこそ涙を流す事が出来たんだ。それは喪失なんかじゃない。断じて違う。
「だけど、今は心当たりを虱潰しに当たってみるしかない。違う、キョン?」
「いや、お前の言う通りだ」
ハルヒが前を向いている。だったら、俺は後ろを向いてる訳にはいかないんだ。
コイツの隣に立って、同じ景色を見ていたいから。
半月前。ああ、そう言や、そんな覚悟をもって俺はハルヒに告白したんだっけか。我ながら、青臭いね。
だけど……覚悟も無しに悪戯に長門に告白したアイツよりは、死ぬほどマシだ。

神様はその力を失った。
願望実現能力、だったか。裏を返せば、そこから先は涼宮ハルヒの思い通りには行かないってそういう意味。もしかしたら古泉はそういうのを俺に教えようとしたのかも知れない。
自身が姿を消すという、荒療治によって。言い換えれば、ずっと夢に酔っていた俺の目を覚まそうとしてくれたのかも、分からない。
なんてな。
もしも俺の思った通りの理由だったとして。だけど、そんなんはお前さんに一々諭されるような事じゃ無い筈なんだ、古泉。俺が自分で気付くべき事の筈なんだ。違うか?
そして、それに少女の恋心を利用して良い、そんな道理はどこにも転がっちゃいないんだ。俺なんかよりもよっぽど賢いお前が、なぜそんな簡単な事に気付かなかった?
気付けなかった?

電車に揺られる事二時間弱。俺とハルヒと長門はその週の土曜日、古泉が転校したという二県先の高校に突撃していた。
いつぞやの中学侵入を思い出すね。なんて言ってはみても、しかし夜中と真昼間では勝手が違う。門が閉まっている事こそ無かったが、グランドでは運動部が部活中。校舎へ向かう道には吹奏楽部が屋外練習ときたもんだ。衆人環視ってヤツだねえ。
「どうやって中に入るんだよ、ハルヒ?」
ただでさえ、最近は物騒である。学校に警備員を配置している事なんてザラだし、この学校もその例外では無いらしい。正門横の掘立小屋ではおっさんがのんびりとテレビを見ていやがる。
「あのおっさんに見つからずに潜入するのは楽そうだが、それよりも生徒の目が多過ぎるぜ? あれに見つからずに、なんてのはちょっと無理が無いか?」
「ちっちっち」
俺の前で細い指が右へ左へと揺れる。催眠術を掛けようとしているのでは、どうやらないらしいが。
「学校なんてのはね、不審者でなければ誰でも入れるのよ。分かる? 何の為にアンタに学生服で来るように言っておいたと思ってんのよ」
そう胸を張って言う、ハルヒも当然だが制服を着ていた。俺だけにその旨を伝えたのは、長門は休日であっても制服がデフォルトだからである。言うまでもないだろうが、今日もやっぱり長門の私服姿は拝めなかった。
「良い、キョン。あくまで堂々としてなさい? 堂々と、よ。前に調べたんだけどこの高校、バスケが凄い強いらしいのよ。だから設定は『ライバルチームの偵察に来たマネージャーとその友人』って事にするわ!」
よくもまあ、そうポンポンと奇想天外な発想が出来るもんだ。まったく、柔軟な思考回路で羨ましい限りだね。
「アンタ、喧嘩売ってんの?」
「いーや。褒めてんのさ。お前が味方で頼もしい、ってな? さ、そうと決まればさっさと入ろうぜ」
守衛小屋に向けて歩き出す俺に、トコトコと付いて来る長門。そして、俺達を速足で追いかけて来るハルヒ。少女はあっという間に長門を抜き去って俺の隣へ立ち並ぶ。
「アンタ、なんでそんなに堂々としてんのよ?」
いや、なんでって言われても。堂々と、ってのがお前のオーダーだろうが。何の問題が有るってんだよ。
「アンタらしくないわ」
「お前の中の俺らしさってのに関して、今度ゆっくりと話し合いの場を設ける必要が有りそうだな……っと。ハルヒ、ちょっと近い」
俺は半歩分、恋人との間に距離を取る。さり気無く。気付かれないように。
「は? 近くて何か問題が有る訳?」
こっちを睨み付けて分かり易く顔をむくれさせる。そんな所も可愛いとは思うが、しかし今日ばかりはそういった展開は無しだ。
「ハルヒ。長門の事も、ちょっとは考えろ」
「あ」
好きだった男と離れ離れになった直後の少女の前でそんな雰囲気になるのは、きっと少女にとって見ていて気持ちの良いものではない。それぐらいは男女の機微に疎い疎いと日頃散々ハルヒに罵倒されている俺にだって分かる。
「……そうね。キョンの言う通りだわ」
自称、一を聞いて千里を踏破する女はそれだけ言って、俺から視線を逸らした。ああ、そうだ。俺達の恋愛なんてのは後でゆっくりとやれば良い。
俺の恋人である以前にお前は。
涼宮ハルヒはSOS団の団長なんだ。
世界中のどこのグループよりも、団員想いの、団長様だ。
そういう優しいお前だから、団員の為に本気で怒れるお前だから、全力で行動出来るお前だからこそ。
俺はお前を好きになったんだと。
まあ、これは全てが終わった後で、ちゃんと言葉にしてコイツに言ってやろうと思う次第だ。

潜入作戦はトントン拍子に進んだ。それこそ俺達が拍子抜けする程にあっさりと。
守衛のおっさんは来客帳ってヤツにちょっとしたサインと学生手帳の確認だけで俺達を快く通してくれたし、職員室に居たどっかの部活の顧問だろう壮年の女性は余りに呆気無く俺達の質問に応じてくれた。
余りに展開があっさり過ぎて、ハルヒのオーダー以上に堂々とし過ぎちまったくらいだ。
まあ、でも。
廊下をとぼとぼと歩くハルヒの後ろ姿の小ささからお分かりだと思うが、古泉に関する情報はまるで得る事は出来なかった。
「長門」
「……何?」
「大丈夫か?」
「……大丈夫」
「そうか。なら……いい。悪かったな。変な事聞いちまって」
「……いい。気にしていない」
長門はまるで表情を変えなかった。長門表情学権威の俺の目にすら、無表情にしか見えなかった。
……クソッタレ。
大丈夫な訳は無い。そんな筈は無いんだ。本当に大丈夫なヤツは「好きだ」なんて言いながら涙を流したりなんかしない。
今の長門は、二年前の長門とは違う。ちゃんと心を持っていて、涙だって流せて、そして、人に恋をする事を覚えた。だってのに。
まるで時間が巻き戻っちまったような無表情。能面。
……そうか。
長門表情学権威なんて言って。ちょっと長門の事が分かった気がしていい気になってた俺。
でも、そうじゃなかったんだな。
長門は、ちょっとづつ、けれど確実に。表情を身に付けていってたんだ。感情を、身に付けていっていたんだ。
「……怨むぞ、古泉」
俺の大切な仲間に、こんな表情をさせているお前の事を。無表情なんて悲しい表情をさせている男を。
俺は一生怨むに違いない。このまま二度と俺達の前に姿を現さなかったとしたら。

俺は古泉を一生怨むに、違いない。


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