ハルヒSSの部屋
雲を食むもの 3
『Starry Sentimental Venus 3』


さて、七夕当日。あるいは世界改変までのカウントダウン最終日。
俺達は授業も終えて部室でそれぞれ短冊を相手に云々唸っていた。
とは言え、台風が今まさにその片足を校舎に乗っけているそんな中である。正直、短冊を書く手も鈍る……と思いきや。
意外や意外。ハルヒと俺を除く三名は楽しそうに(長門はよく分からんが)短冊へと向かっていた。
「今日は晴れそうに無いわね……」
窓際に立ってハルヒが呟く。そりゃそう思うのも無理は無い。
「台風直撃だそうだからな。仕方ないさ」
心にも無い事を呟く。窓は今にも吹き飛びそうな頼り無さで、叩き付けられる雨粒に必死で耐えていた。室内にデスメタルのドラムみたいに雨音が響く。
「はぁ……折角、鶴屋さんに頼んで笹も用意したって言うのに」
ハルヒが手元に飾ってある笹を揺らした。そこには既に書き終えた赤い短冊が三枚吊ってある。言うまでも無く全てハルヒのものな。曰く、リーダーは赤と昔から決まっているそうだ。
「台風一過という言葉が有ります。夜には晴れるかも分かりませんし、取り敢えず吊るすだけ吊るしてみても良いかと考えますが」
俺の隣で優男が言う。まったく、コイツもどの口でもってそんな事を言いやがるのか。流石は機関の送り込んだ超能力少年、って所かね。嘘を吐くのはお手の物かい。
「それもそうね」
ハルヒはうんうんと頷きながら新しい短冊を手に取る。お前はまだ願い事をする気か。台風でなくともそんなに欲張ったら叶わないんじゃないのかと……いや、俺が不安に思う必要は無いな。
「台風もなぁ……何もこんな日に来なくても良いんだけどな。空気読めないヤツだ、全く」
「本当ですよね。あ、でも、台風の日ってなんだかワクワクしません?」
ピンクの短冊をヒラヒラと揺らしながら朝比奈さんが言う。いえ、貴女が居るだけで俺なんかはワクワクよりも和んでしまいますよ。ええ。
「でも、やっぱり台風よりも七夕の方が大事よね」
そう仏頂面で言うハルヒには同意出来ない事も無い。だが、この台風を呼び寄せた当人が何を言ってやがるんだと、ああ、ぶっちゃけてやりたいのをぐっと堪える。あ、視界の端で古泉が苦笑いしてやがる。
「そう言えば皆さん、台風が来るから生徒は早々に下校する旨の放送は聞きましたか?」
「聞いたけどね。でも、教師が職務怠慢で見回りに来ない以上、そんなのは無視よ無視」
そう言うと思ったよ。行動と言動が逐一分かり易い団長様で今回ばかりは本当に助かる。素直というか、単純というか。
「わたしは鶴屋さんと一緒に帰る事になっているんですよ。この風雨ですから」
「へぇ。あ、車ですか? 鶴屋さんなら迎えを呼んだりとかも有りそうな話ですね」
はい、と朝比奈さんは頷く。実際は機関の車が迎えに来ている筈だ。コレは古泉と長門も同様。つまり、この会話は仕込みである。朝比奈さんはその台本通りの台詞を、危惧していた淀みも無く口にする事に成功。
未来人少女が台詞を噛んだ時のフォローとして考えていた展開が無駄になったのは、別に惜しくも何とも無いさ。肩を竦める俺だけに見える様、朝比奈さんが小さくガッツポーズを取った。ああ、そんな仕草も素敵です。

俺とハルヒだけがこの学校に取り残される。それが俺達の計画。その第一段階である。取り敢えずは序盤の山は越えたと考えて良いだろう。
「それにしても、よく振るわね、雨」
「台風だからな」
雨が降らない、風が吹かない方がオカしいさ。
「言われなくても分かってるわよ、それくらい」
そうかい。だが、この部屋に教師が来ないのはなぜか分かるか、ハルヒ?
俺は横目で長門を見やる。少女はじっと短冊を見ながら、今この瞬間にも情報操作をしている筈だ。まさに、縁の下の宇宙人。頼りになるなる、長門有希。
……「一家に一台、長門有希」の方がキャッチフレーズっぽいな。
「皆! 雨が酷くなって帰れなくなる前に、ちゃっちゃと短冊を書き上げちゃうのよ!」
ハルヒの号令に伴って俺達はまた、短冊に向かってうんうんと唸り始めた。……俺の短冊、「平穏無事」にダメ出しをしたのはどこのどいつだよ。
つまらないから? ハイハイ、どうせ俺はつまらない男ですよーだ。

部室へと顔を出した鶴屋さんに誘われてノルマを消化した朝比奈さんが帰宅。ついで長門と古泉も部室を出て行き、今現在この室内には俺とハルヒしかいない。
計画通り、とか言ってニヤリとしてしまいたいが、実際はそうでもなく。
只、単純に俺が書いた短冊がまるで無双系ゲームの雑兵の様にハルヒに蹴散らされていただけだった。
書き損じの短冊で埋まったゴミ箱を見て「もののあはれ」を感じる俺は、案外風流の似合う男なのかも知れん。戯言だ。聞き流せよ?
「キョン、あんたどんだけ待てばちゃんとした短冊を提出出来るのよ!?」
俺の書き上げた短冊を千切っては(ゴミ箱に)投げ、千切っては(ゴミ箱に)投げした奴の口から出た台詞がコレである。おい、ハルヒ。自業自得、って言葉を知ってるか?
「知らないわよ! 大体、アンタがせせこましい事ばっか短冊に書くから悪いんじゃない! 挙句の果てに『平穏無事』!? 不思議を追い求めるSOS団の心に真っ向から反逆するなんて……アンタもしかしてどっかのスパイ!?」
「阿呆か」
古泉曰く。この短冊に書いた願い事は有り余るハルヒパゥワーによって十六年後、あるいは二十五年後に実現しない事も無いかも知れず。
そんな事を言われてしまえば下手な事は書けないし、かと言って何の欲望も抱いていないような解脱しきった坊さんでは俺は無い。所詮、一介の高校生だ。
庭付き一戸建ては去年書いたし、今年も被ってはいけないだろう。となると俺が迷うのもむべなるかな。
そんなこんなで俺がノルマの二つの願い事を書き終えた時には既に午後六時半を過ぎていた。
「……つまんない願い事ね」
ようやく、渋々とオーケーを出したハルヒが次いだ二の句がコレ。ほっといてくれ。叶っちまうかもしれないって前提で書くとなると中々難しいモンなんだよ。
流行のゲーム機なり音響機器なりは十六年もすれば既にヴィンテージだし、かと言ってここで下手に結婚願望なんぞを書いた所為で、三十過ぎまでどう足掻いても結婚出来ないとかそんなのは勘弁だ。
未来の選択肢をこんな下らないイベントで奪っちまう趣味は俺には無いんだよ。
俺はハルヒの手から緑の短冊を二つ受け取ると、それを速やかに笹に吊るした。チラリと桃色の短冊に目が行ってしまうのは……男の性みたいなモンだと思おう。
……朝比奈さん、「早く大人になりたい」って教育番組みたいです。
「良いのよ、可愛いから!」
そういうモンかい。ああ、そうかい。

さて、部室を出て下駄箱へと歩を進めた俺とハルヒを待っていたのは、これでもかと言う程の土砂降りだった。この中を帰るのは……勇気と蛮勇を取り違えるなよ、小僧!
「……帰れないわね」
「帰れない訳じゃないが、強行軍だな」
傘を差せばそれが簡易のパラボラアンテナになる事請け合いの暴風雨。朝比奈さんとか、冗談抜きに飛ばされそうだ。それはそれで愛らしいだろうか。ちょっと見てみたい。
「キョン、突貫!」
おうよ! 突き抜けろ、青春! ……って、違うだろ。
「ざけんな」
「意気地が無いわね」
「なら、お前が突貫してみろ」
「嫌よ!」
……人にされて嫌な事は人にしてはいけません、って幼稚園辺りで習わなかったか、ハルヒさんや?
「しょうがないわね。雨が弱くなるまで部室で待ちましょう」
全面的に賛成だ。幸いにもと言うべきだろう、校舎に人は残っていないみたいだしな。
「……宿直の教師も帰っちゃったのかしら。珍しいわね」
「ま、所詮公立の教師なんざサラリーマンだしな。給料以上の働きを求めるだけ酷だろ」
実際は某宇宙人の暗示による事などおくびにも出さずに俺は言った。お、今ならハリウッドから誘いが来てもおかしくないんじゃないか?

「台風ね」
「台風だな」
「暇ね」
「暇だな」
「ねぇ……キョン?」
「なんだよ?」
「宇宙人って本当に居るのかな?」
「何言ってんだ、お前」
蒸し暑くて頭沸いたか? らしくないぞ?
「らしくない……か。そうね……そうかも」
短冊が疎らに吊るされた笹を横目で見て、涼宮ハルヒは唐突に語り出した。
「織姫と彦星ってさ」
少しだけ言いよどむハルヒ。その姿に既視感を覚える。頭の片隅で踏切がカンカンと甲高い音を立てる幻聴。
……俺はこのシチュエーションを知っている。去年の五月だったか。
自分がどれだけちっぽけなのかを、俺に淡々と喋って聞かせたあの時の……そう、あのハルヒが目の前の少女と綺麗に重なった。
「実在するとしたら宇宙人よね?」
「神様じゃなくて、か?」
「神様よりも宇宙人の方がまだ居そうでしょ?」
どちらも居る訳は無いとか俺の持論はさて置くとして。そうだな……。
「どちらかと言うとまだ宇宙人の方が有りかも知れん。」
「アンタでもそう思う!? ……でも」
でも? なんだ、続きが有るのか?
「でも、宇宙人なんて結局の所、居やしないのよね……」
「はァ?」
「……馬鹿面」
すまん。俺の聞き間違いだと思うんだが……ハルヒお前、今なんっつった?
「宇宙人なんて実在しない」
……聞き間違いじゃ、なかったみたいだな。
「なんでそんなに驚いた顔すんのよ」
お前がそんな事を言い出すのが不思議だったんだよ。俺の身になって考えてもみろ。日本酒職人が「下戸です」って言ったら普通に驚くだろ。そんな感じだ。察しろ。
「……あんた、あたしを馬鹿にしてない?」
「まぁな」
「否定しないって事は覚悟完了って意味なのかしら?」
ハルヒが握り拳を作ってこちらに見える様に振り翳す。その姿を見て俺は溜息を吐いた。
「……俺は……俺は、ずっとお前が羨ましかったんだよ」
「え?」
「ハルヒ、窓見てみ。今なら馬鹿面が映る筈だ」
やり返した満足感に笑ったら、額にスリッパが飛んできた。どこから出したんだよ、コレ。
「で? 何が羨ましいのよ?」
椅子に座って腕を組み、詰問口調はコイツのデフォなのだろうか。態度がデカいのは生まれつき? 実るほど、頭を垂れる稲穂かな、って良い日本語だろ。
「うーん、なんて言えば良いのか」
……ちょいと俺の中でも整理が付いていないんで聞きづらいとは思うんだが。
「宇宙人、未来人、超能力者……俺は残念ながら子供の頃からそんなモン信じちゃいなかった擦れたガキだったけどさ」
「うん」
「でも、居たら面白いだろうな、ぐらいは夢想しなくもなかったんだよ」
「……つまり、あたしがガキ以下だって言いたいワケ?」
スリッパ二射目が即座に装填される。待て待て。どうして、そうヒネタ受け取り方しかしないんだよ、お前は。
「言っただろ、羨ましかったって」
「だから、何が?」
「俺も、信じてみたかったんだよ。その、お前が言う所の不思議とやらをさ」
「……よく分かんない」
少女が首を捻る。だろうな。お前と俺じゃ多分物を見るレンズの規格自体が違う。勿論、俺とお前に限った話じゃない。誰だって、たまに似通っちゃいるが同一の視点を持っている人間なんざ居やしないだろう。
そんくらいは十六年ほど生きてきて理解したつもりだ。だからこそ、シンパシーを大切に感じる事も。
「お前みたくクソ真面目に、この世の不思議を探せる性格に産まれついていたら……少なくとも諦念なんかは抱かなくても済んだんじゃないか、ってな。そう思う訳だ」
「……要するにツマンナイの?」
「最近はそうでもないけどさ」
だが、お前のそれは砂の下に必死にロマンを追い求める考古学者みたいで、正直嫉妬の対象だ。
「アンタがあたしに嫉妬……」
そうだよ。だから、その涼宮ハルヒが宇宙人の存在を疑問視し始めれば、俺の調子も狂う。
「なんで、あたしの変調がアンタに関係有るのよ?」
太陽の女神様が岩戸に隠れちまった時、他の神様は皆大慌てだったそうだ。
「これ以上は聞くな」
「……っっ!?」
その顔を分かり易く赤く染めて……俺も臭い事を言っちまったと思ってるから引き分けって事にしておかないかと言い出す前にまたスリッパが飛んできた。鼻頭が痛い。
「んで? 何がどうしたらこの期に及んでお前が宇宙人を否定する様な事態になるんだ?」
スリッパを顔にくっ付けたまま、そんな疑問を投げかける俺はさぞかし滑稽だっただろうよ。ほっとけ。
「……今日は何月何日?」
「七月七日」
「七夕よ」
「さっきまで短冊に強制されて願い事書いてたんだ。言われんでも分かる」
「アンタ、また下らない願い事してたわね」
うるせー。アレでも俺的には石橋を叩いて叩いて叩き壊す慎重さと大胆さを併せ持って書いた渾身の内容なんだよ。
「でもね。あたしはキョンとは違うわ」
「はいはい、そうですか」
「あたしは真面目に考えて願い事を書いたのよ!」
「……あれ、マジな願い事なのか?」
思い返す。日本沈没とか、日本以外全部沈没とか、両方が同時に叶ってしまったら人類は水棲生物になる以外生き残る道が無いんだけどな……。
海底都市、ってのも浪漫か。だが、半世紀は気が早い。
「あったり前じゃないっ!」
「……いや、今更何も言わねぇけど」
「だから、叶って貰わないと困るのよ」
一つだって叶って貰っちゃ困りまくる様な短冊吊るしてるヤツの言う台詞では無い、絶対に。こんなんが神様だってんだから、俺がそれを頑なに信じない気持ちも察してくれ、誰かさん。
「なんか言った?」
いーえ、なんでも。下手な事を言ってスリッパのおかわりを貰うのは丁重にお断りさせて貰うとするさ。ソイツは一足で十分だ。
俺には足は二本しかないんでな。
「十六年後でも二十五年後でも、この際往復掛かって三十二年後でもまぁ、大目に見ようじゃない。でも、叶って貰わなきゃ困る事ばかり書いたの」
ばかり、って……笹に吊るしてあるの四つじゃねぇか。
「この笹だけじゃ勿論、無いわよ。商店街、大型デパートその他諸々。二十は吊るし上げたわね」
なるほど、最近テスト終了と同時にクラスを飛び出して行ったのにはそんな裏事情が有った訳だ。納得。それにしたって随分と強欲じゃないかい? ……聞いてねー。
「だってのに、その肝心の織姫と彦星が居なかったら、あたしの願いはいつまで経っても叶わない!」
ダン、と机が叩かれる。おい、お前の拳は鉛か何かで出来てるのか? かなり良い音がしたぞ、今。そうツッコミを入れようとして……息を呑む。
ハルヒが今にも泣きそうな……涙を必死に堪える子供のような横顔を見せる。モンだから、俺は得心した。
「それで神様よりは宇宙人の方が実在するかも知れんって話に繋がってくる訳か。だが、そもそも宇宙人が存在していなかったら……」
そっか。そういう事、ね。
ようやく理解したよ。コイツが何を思い、何を望み、なぜに諦めたのか。
今回の事件の真相は、こんな単純な子供染みた理由だったって、ああ、俺達らしいオチだぜ、全く。
……やれやれ。

愛すべき馬鹿、ってのはコイツみたいなヤツを言うんだ、きっと。
夢を忘れそうになって、短冊に吊って必死に空へ送り出したSOS。星に届いたかどうかは知らないさ。でも、星に届かなくても。
俺達には、ちゃんと届いたぞ。

だから……後は、任せとけ。

「ハルヒ」
出来る限り気に障らないような声を作って話しかける。
「何よ」
「お前、柄にも無く不安なのか?」
「……叶わなかったら本気で困るだけよ」
「そうかい」
「にも関わらず、宇宙人実在の証拠は全然見つけられない!! この一年半ちょっと、皆で力を合わせて一生懸命探したのに!!」
そんな意図が有った訳だ、このSOS団の今までには……って、ちょいと物言いが有る。
「野球大会とかプールとかは関係無いだろ」
「大有りよ。たまに息抜きする方が能率は上がる事くらい理解しなさい」
「……今、その理由取って付けたよな、お前も」
と、ハルヒの右手に更なるスリッパが装填されている事に気付いて俺は追加で喋るのを寸での所で押し止める。剣呑、剣呑。
「織姫も彦星も居なかったら……叶わないじゃない……」
おい、俺のツッコミはまるで無視か。気弱に見せといて、その実、結構いつも通りか、涼宮ハルヒ?
「叶わないだけならまだ良いわよ? 自分の手で叶えてやるだけだもの」
ふむ。お前にしちゃ賢明な意見だな。星三つをやるにもやぶさかじゃない。
「でも……もしもその願い事が、受け取り手の居ない笹に吊るしたせいで絶対届かない所まで行っちゃってたら……あたしはどうすれば良いのよ!?」
常識的なのか夢見がちなのか、どちらか一つに統一しろ、馬鹿。
「……叶わなかったら……本当に困る……あたし……」
「あー……えっとな。唇噛んで落ち込んでる所、心底悪いとは思うんだが」
「何よ?」
だから、事有る毎にスリッパを構えるな。俺も身構えちまうだろ。
「日々是平穏を願う俺にとっては真に残念至極なんだが、宇宙人は実在するぞ?」
「ハァ? どこに? 証拠は?」
長門を持ってきてコレが宇宙人です、とか言っても面白いかも知れないと、出来もしない事を一瞬考えた。頭を振ってその思考を吹き飛ばし、口を開く。
「ここに。地球人だって立派に宇宙人だろ」
「……馬鹿キョンに一瞬でも期待したあたしが愚かだったわ……」
だから最後まで話を聞かずに捨て置く癖を直せ、この阿呆。
「まだ、何か有るの?」
有るさ。取って置きの話が。唇を口内に引き込んで湿らせる。

さぁ、始めよう、企画発案、俺。実行、SOS団超七夕祭り運営委員会。
開幕のベルは……この際だ。幻聴でも構わないだろ?

「……あー、ある所に変な奴が居た。丁度、お前みたいな奴で、ソイツは宇宙人の存在を信じながらも、証拠を見付けられない事に苛立っていた訳だ、が」
「……それ、あたしを遠回しに馬鹿にしてない?」
良いから人の話は最後まで聞けって。
「ソイツとお前の違いはな、ココの出来だ」
トントンとこめかみを人差し指で叩く。少女の形相が一気に般若へと変わった。沸点低いぞ、ハルヒ。
「やっぱ馬鹿にしてんじゃない!」
「そうじゃねぇよ。ソイツはな……」
息を大きく吸い込む。ジメジメとした空気は、しかし笹の香りを纏わせて意外と爽快だった。ソイツを吐き出すと共に確信とも言える言葉を伝えてやる。
「数学者だったのさ」
「へ?」
「なモンだから俺達地球人の他に宇宙人が居る確率から、ソイツとコンタクトが取れる確率まで割り出しちまったんだな」
「そんなの分かるの?」
さぁな。俺にはその数式を理解するだけの脳味噌が足りてねぇから真偽は知らん。お前なら、もしかしたら分かるのかもな。
「……続けなさい」
「……なんだったかね。太陽みたいな恒星が発生する確率がどうとか、生命が発生するのに適した温度になる距離に惑星が存在する確率がこうとか」
「つまり、地球がどんだけレアな星なのか、って事ね」
うんうんと俺の言葉に頷くハルヒ。その顔は少しではあったが紅潮している。さっき泣いたカラスがもう笑ったとか言うつもりは無いが、その瞳にはトレードマークのキラキラ星が戻り始めている。良い兆候だ。
話に食い付いてきている。元々、コイツは宇宙に関して強い興味を抱いているからな。この機を逃しては役者失格。俺は畳み掛けるように続きを話す事にした。
「そんなトコさ。で、その星が存在している間に生命やら文明やらが発生する確率。プラス核戦争なんかで滅ばない確率。
でもって、地球人類が生存している同時期にソイツらが重なる確率なんかを掛け合わせたんだが」
「ふんふん」
「さて、その数学者はどんな答えを出したと思うよ?」
「……さっさと言え」
「痛い!」
スリッパを投げるな、この馬鹿!
「なら、勿体付けずに言いなさい」
「……解答は大分前に既出なんだけどな。気付かないか?」
「回りくどい!」
「甘い! ……ふふふ、逃げ回っていれば死にはしな、がふゥッ!?」
アゴにクリティカルヒット。こ……ここが戦場だったなら四回は死んでたな、俺。
「って、どっからどんだけスリッパを出してんだよ、テメェ! ポケットか!? 叩いたら叩いただけ物が溢れ出るデフレスパイラルへの救世主でも持っていやがるのか、お前!!」
「こんな事もあろうかと、って言えば大抵の物は用意出来る物なのよ! 最近の子は漫画も碌に読まないからそんな事も知らないのね! そら、もういっちょっ!!」
「止めろ、テメッ! だからスリッパは投げる物じゃなくて履く物だと言っているのが分からんのか、この阿呆団長!」
「だったらさっさと続きを言いなさいっ!」
弾雨の隙間にチラリと見えたハルヒの眼に百Wの輝きが戻ってきている気がした。俺は迫り来るスリッパの一斉射撃を学生鞄で残らず叩き落としながら叫ぶ。
「確率は零じゃない、ってな。割と有名な話なんだぜ!? お前が知らないのが不思議なくらいだ!!」
「論拠が見当たらないわよっ! ……なっ、キョンのくせに全弾回避っ!? 生意気だわっ!!」
「有るさ、証拠ならな! ハッ、そうそう当たる物ではないっ!」
「だから、それをさっさと言いなさいっつーの!!」
ハルヒが振りかぶって投げた亜音速の(ちょいと表現がオーバー過ぎるか)一撃は俺の反応速度を超えていた。鞄乱舞を掻い潜り、俺の眉間へと直撃。
「ちょ……直撃だとッ!?」
「出で来なければ……死なずに済んだのよ」
言いながら唇を触るカトル……違った、ハルヒ。オイ、どうでも良いが「勝利の後はいつもむなしい」とか言ってみてくれるか。
「じ……ジオン公国に栄光有れッ!」
爆発は撃たれてから時間差で起こるのを忠実に再現する。俺は死に台詞を残して椅子ごと後ろに倒れた。パイプ椅子の骨が背中に当たった痛みで我に返る。ああ、何やってんだ、俺達。
子供みたいだ。いや、真実子供なんだ。それでいい。今はまだ。
今はまだ……それがいい。

「わたしはここにいる」
部室の天井を見ながら、そう言った。
「は?」
「それが宇宙人が居る証拠さ」
「わたしは……ここにいる」
勘の良いコイツの事だ。これ以上の説明は無用だろう。
「分かったか、宇宙人は居るんだよ」
宇宙人の実在を求める方程式。その解は零じゃない。だって、もうこの星には地球人って言う名前の宇宙人が実在してる。
そうさ。俺達っていう前例が有る以上、少なくとも可能性は零じゃ、決して無いんだ。絶望は方程式を立てた時点で……夢を追い求めた時点で既に否定されてたのさ。
「でもってな?」
俺は椅子に座り直しながら続きを紡いだ。ああ、座る時に口から出る「どっこいしょ」に年を感じずにはいられない。……まだ青春真っ盛りの高校二年生だった筈なんだけどなぁ、俺。
「何よ。まだ何か有るワケ?」
「俺達がここにこうして生きている確率は奇跡の連続なのは分かって貰えたと思うんだが……ハルヒ、二度有る事は三度や四度じゃ済まないって知ってるか?」
それはもう、俺が毎回喫茶店の奢りを担う様に。奇跡は連鎖する。ぱよえーん。ぱよえーん。お邪魔ぷよを満載した赤玉はもう何十個と画面外で出番待ちしてるんだ。
「……知るか、馬鹿キョン!!」
そう唾を飛ばして叫びながらも、満足そうにハルヒは笑っていた。ああ、取り敢えず宇宙人の実在に関しては信じて貰えたと楽観的になっても良いかね。

「宇宙人は居なくも無い、って事は理解したわ」
そうかい。助かるね。これでお前の願い事は織姫と彦星に届くだろ。よし、万事解決……と、そんな都合の良い話は有る訳無い。
なんせ相手はハルヒだ。
「でも、居るかも知れない、よね。居るっていう確たる証拠では無いわ」
はいはい、そうですよ。俺もこんなんで誤魔化そうなんて……少しばっかりコレで今回の事件が終息してくれたらなとかは思わないでも無かったが。
そうはハルヒが卸さない、ってな。ま、お前の天邪鬼な反応なんざ予想の範囲内さ。どんだけ涼宮ハルヒって人間に付き合ってきたと思ってる?
信じたいけど、信じられない。だけど居たら良いなぁ、って高校二年生になっても子供みたいに思ってる。知ってるよ、そんなコトくらい。
「確かにな。……なぁ、もしもさ」
俺はそこら中に散らかっているスリッパを片付けながら呟く。
「もしも、未来人や超能力者が居たりしたら、宇宙人も居るんじゃないか、って思えないか?」
雨音に混じってハルヒの咽喉が鳴るのを聞きながら片付けを続ける。……どこからこんなにスリッパが出て来たんだろうな。
「あんた、未来人や超能力者を知ってるの!?」
朝比奈さんと古泉の事だとは……口が裂けても言えんよなぁ。溜息を一つ。やれやれ。そして、なんでこの馬鹿はそんなに嬉しそうに俺に詰め寄って来るんだよ。
気持ちは分からなくも無い所がまた、小憎らしい。
「知らなくも無いが、知っているとも言い難い」
「どっちよ!?」
アヒル口でぶー垂れる少女。お前は子供か。あ、ナリはともかく中身はガキそのままだったな。
「……喧嘩は売る相手を選びなさい?」
「いや、折角部室のスリッパを回収した直後にそのスリッパを全弾発射って、ここはどんな賽の河原だ。お前は鬼か。鬼なのか」
一つ拾っては朝比奈さんの為。一つ拾っては長門の為。……勘弁してくれよ。
「なんっつーのか、説明しづらいんだよな。具体的にこういう奴だ、って言葉にする事が出来ん」
「だったら百聞は一見にしかずよ! 今すぐこの場に連れて来なさい!」
……こう言えばこう来るだろうな、とかは思っていたが。しかし、台風直撃中、ちょっとした隔離空間である所の校舎でもってこんな事を言われるとは思いたくなかった。もう少し常識を持ってくれ。頼む。
皆はこんな困った女の相手はしちゃダメだぞ? そんな物好きは俺達だけで十分だ。
「台風来てますよ、ハルヒさん」
「それが何? 未来人や超能力者に会う為ならタクシーでも何でも使ってやるわよ!」
……そのタクシー代はどっから出す気だ、テメェ。
「決まってるじゃない!」
ですよねー。ああ、皆まで言うな。俺が凹む。財布クンとか誰かが陰口を叩いている幻聴が聞こえてきそうだ。……古泉、領収書切ってお前の機関に支払いは回すからな。
「で? どこに居るのよ、その未来人に超能力者は!?」
ソワソワと、落ち着かない様子でハルヒが辺りを見回す。……いや、流石に今回はロッカーの中から誰かがこんにちはしてきたりはせんと思うが。……しないよな?
「よし。取り敢えず落ち着け、ハルヒ。ハウス」
「犬扱いとか……覚悟は「うがふゥッ!?」出来てるんでしょうね?」
……出来れば警戒を促す発言の後でスリッパは投げて頂きたい。俺にも心の余裕とか身構える時間とかガ○ダムネタを仕込む時間とかが必要なんだ。
「卑怯? 戦場で暢気に構えている方が悪いのよ」
いつから文芸部室は戦場になったのかを小一時間ほど議論したい。
「さっき」
うん。ふざけろ。
「で!? ああ、もう! どこに居るのよ、その未来人に超能力者は!!」
今頃、両者共に河原で七夕祭りの準備中です、ええ。この台風の中を機関の人間まで借り出して仕込みの真っ最中。言い出したのは俺だが、しかしご苦労様な事だよな、なんて言う訳にはいかないだろう、やはり。
であるならば。さて、台本通りに動くとしますかね。
「分かったよ。だが、この台風の中をソイツを訪ねるのはゴメンだぜ?」
俺は鞄からケータイを取り出す。
「……何やってんのよ」
「見りゃ分かんだろ? メール打ってんだよ」
「誰に?」
「未来人」
嘘。実際は超能力者宛である。こちらは順調、っと。お、返信早いな。なになに……準備完了、か。ま、そっちは心配してないさ。なんせ、機関の全面バックアップに加えて長門まで居るんだからな。
「なんて返ってきたのよ?」
ハルヒが俺の背後からケータイを覗き込もうとしているのが気配と床に落ちている影の動きで分かった。俺はごく自然にケータイを尻ポケットに突っ込んで画面を見せない。ケータイは流石にプライバシーの塊だ。
「この台風で学校から出れてないらしい」
「ここの生徒なの!?」
途端に眼を輝かせるハルヒ。ああ、コイツ阿呆だ。知ってたけど、再確認。
「あたしとした事が抜かったわ……キョンにさえ見つかる様な間抜けな未来人に気付けなかったなんて……一生モノの不覚、末代までの恥だわ……」
いや、「orz」なポーズ取られても困るんだが。……あ、立ち直った。両手を天高く突き出して……何? エイドリアンとでも叫びたいのか、お前は?
「気落ちしていても仕方ないわ。って事で、早速突撃するわよ、キョン!」
「ちょいと待て、猪武者」
アクセルを全力で踏み抜いたスポーツカーも吃驚の加速で飛び出していくHARUHI360が俺の制止を聞く筈も無い。全力で壁に叩き付けられた扉は……そろそろ接続部が金属疲労で寿命だろう。
今度、古泉にでも言って直させるか。
「……ところで、あの馬鹿はどこに未来人が居るのかも聞かずに飛び出して……ああ、馬鹿だもんな」
腕を組んで納得である。うんうん。仕方ない。アイツはちょいとばっかり可哀想な子なんだ。一年以上の付き合いだ。これでもかと知ってるさ。
「うーん、どんくらい待てば帰って「キョン! 一体校舎のどこにその未来人は生息してんのよ!?」きやがったよ。予想より幾分早いお帰りで何よりだ」
全力疾走をしたハルヒは肩を上下させている。……お前、猪年だろ。もしくは牡牛座だな?
「まぁ、落ち着け、ハルヒ。未来人もそんな勢いで詰め寄られたりしたら速攻で未来に帰る」
蝉取りじゃねぇんだから、と内心で自分の発言にツッコんでみた。咳をしても一人。
「落ち着ける訳ないじゃない! 大丈夫よ。帰る暇も隙も与えたりはしないわ! こう、後ろからガバッと羽交い絞めにしたり……キョン、クロロホルムとか科学準備室に置いてないかしら!?」
やめて? ねぇ、普通にお願いするから。俺、この年で目に黒線とか入れられたくないっスよ、ハルヒさん?
「なら……声を掛けて相手が振り返り様、鳩尾に一発ね」
「同じだ、馬鹿野郎! いや、さっきの発言より悪化してるじゃねぇか、この犯罪者予備軍が!!」
聞く人が聞けば……いや、そうでなくても完全に誘拐犯の台詞としか思えないっつの。
「……むぅ。だったらキョンには何か良い案が有るワケ?」
「フツーに接触すりゃ良いだろうが、フツーに」
ツッコミ疲れてきたのが声に出る。頼むからトチ狂った発言はこれくらいにしといてくれ。十分付き合ってやっただろ? もうやめようぜ? 俺のライフは零よ?
「フツーって……つまんないじゃない」
「あー、ハルヒ。お前、ちょいと部室で待ってろ。俺が連れて来る」
「嫌よ! 団長自ら迎えに行くわ!」
そう言って胸を張る猪……もといハルヒ。鼻息荒いぞ。俺が幼稚園児とかだったら今のお前を見た時点で取り敢えず「にげる」を選択するね。
触らぬ神に何とやら。剣呑、剣呑。
「ダメだ」
「何でよ」
キラキラと眼を輝かせたままにぶー垂れる。器用な表情筋をしているモノだ。俺には出来そうにも無い。
「お前が行くと未来人が逃げる」
「そんなんやってみないと分かんないじゃ……」
「分かる」
一刀両断。だから、一々「orz」になるな。スリッパを投げるな。地味に痛いんだよ、それ。
「キョンのくせにっ! 上官に口答えする時は意見の前と後に『サー』を付けなさいっ!」
サー、嫌であります。誰が上官だ、ふざけんな、サー。
「ハルヒ、お前は取り敢えず、このスリッパを片付けろ。ファーストコンタクトだろ。きっちりしとかないとSOS団の悪評が未来にまで轟くぞ?」
北高に限って言えば隅々まで轟いてるけどな。
「そ……それもそうね。キョンのくせに、気が利くじゃない」
「後、お茶の準備でもしておいたらどうだ? ゆっくりと歩いてくるから、五分くらいを見ておいてくれ。その間に……まぁ、落ち着いておけ。な?」
俺は部室を出た。戸を閉めるとギチギチと金具から黒板を爪で引っかくような嫌な音がする。ああ、やっぱり立て付けが寿命か。日頃、暴力団長の標的になっている第二位だもんな。今度、直してやるからそれまで持ち応えてくれよ?
あ、ちなみに標的第一位は言わずもがなダントツで俺。誰か、このひび割れたグラスハートを優しく包んでくれないだろうか……結構デリケートなんだぜ、これでも。


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