ハルヒSSの部屋
あー、佐々木とまったりイチャイチャしてえ
「キョン。君はどんな女性が好みなのかな?」

籤引きによって決められた古泉と共に行く半日都市伝説ツアーを前日に終えた日曜日。十二月も折り返しを迎えた世間はクリスマスムード一色であり、一人身の俺としては目に毒な事この上ない。誰だ、毎年毎年律儀に電飾を物置から引っ張り出してくる奴は。
故イエス・キリスト氏もきっと呆れていやがるんじゃないかと俺は見るね。身内でもない、敬ってる訳でもない相手の誕生日に何をどうしてそこまで心血を注げるのか。実際、俺は理解に苦しむ。
……とか言って世俗から離れているようなスタンスを幾ら俺が取っていたとしても、それでもしかしイベント事となると我らが団長様が誰に頼まれた訳でもないのに、なんでだろうな、まるで義務のようにはしゃぎ回りやがる。
勝手にしてくれよ、とも言い切れないのはなんでだろうな。いや、分かっちゃいるんだよ。ただ、認めたくないだけでな。
俺は「SOS団」に自分の居場所を作ってしまっているのだ。あーあ、我ながら早まってしまったのかも分からん。

「……聞いているのかな?」

「いや、悪い。考え事してたわ。何か言ったか?」

はてさて。そんなSOS団の一員であるこの俺だが、それでもやはりと言うかハルヒ他、宇宙人、未来人、超能力者ばかりと付き合っていては神経だって持ちはしない。
時には旧友とまったりしたくもなるのである。日頃がジェットコースタだから、余計にな。

「おやおや。キョンには目の前の友人よりも大切な事が有るらしいね。それで頭がいっぱいのご様子だ」

「いや、そういう訳じゃないけどな。ただ、頭がいっぱいなのは否定出来んかも知れん。いや、胸がいっぱいだな。心労で」

「涼宮さんの事かい?」

目前の少女、佐々木はホットカフェオレの入ったカップの中でスプーンを泳がせながら、俺を見ていた。

「ハルヒの……? 間違っちゃいないが、だがハルヒだけじゃないな。SOS団っていう団体に関してだよ」

商店街を少し離れた喫茶店。煉瓦の壁が少し洒落過ぎた印象を受けるこの店は、勿論俺のチョイスではない。落ち着いた感じのクラシックジャズが流れていて、逆に場違いな感じがして俺などは落ち着かないけれども。
しかし、目前の少女にはやけにしっくりと似合っていた。

「当ててみせようか。差し迫ったクリスマスの予定だろう?」

「当たりだ。ま、時節柄誰にだってそれくらいの推察は付くだろうから別に褒めてはやらんぞ」

「くっくっく。涼宮さんがイベント好きなのは橘さんから聞かされていたからね。いや、楽しそうで羨ましい事だよ」

「何が羨ましいものかよ」

去年はトナカイ。今年はサンタクロースの乗るソリ役だぜ? ついに無機物にクラスチェンジだ。やってらんねえ。何が楽しくて古泉を持ち上げにゃならんのか。
雑用って肩書きなのは分かっちゃいるが、それにしたって不当に役柄を割り当てられてる気がするぜ、うむ。

「ぶっちゃけた話、参加したくないってのが半分だよ」

「ふーん……半分、か」

「ああ。楽しいパーティーになるだろう、とは思ってる。悔しいけどな。家で家族クリスマスやってるよりはまあ、恵まれてそうだ」

言って、珈琲を啜る俺に向かって少女はカフェオレから抜き出したスプーンの先を向けた。

「では、キョン。君の理想とするクリスマス、というとそれはどんなものを指すんだい?」

なぜだか楽しそうに目を三日月型に緩ませる佐々木。理由は分からん。きっとカフェオレが美味かったとかそんな理由なんだろうな。
見ようによっては眠そうにも見えなくはない。

「そりゃ……いや、クリスマスっつったら誰の為のイベントかくらいは分かるだろ、佐々木」

「クリスチャンの為の、だろう?」

くつくつ、と独特の含み笑いがソイツの口からは零れ出た。ああ、コイツ。俺をおちょくってやがるな?

「とんでもない。言い掛かりだよ、キョン。僕はただ後学の為に聞いておきたいだけさ」

「あのな。流石に俺だってそろそろガキじゃないから別に恥ずかしくもなんともない事くらい分かれよ」

クリスマス。子供に夢を運んでくる赤服爺さんが人知れず暗躍する日。
それは、子供以外にとっては。

「恋人達の日、だろ。常識的に」

「だね。くくっ。少し君をいじめるには幼稚な手段だったかな」

佐々木は満足そうに微笑んだ。

「ま、お前には無縁の話かも知れんけどさ。恋愛は精神病の一種、だったか?」

「おや。聞き捨てがならないね、親友。『お前には』なんて言い方をされると、キョン自身には縁が有るのではないのかと勘繰ってしまうよ」

「それはない」

言い切ってしまえる自分を悲しく思わなくもないが、こういうのは「縁」だからな。仕方ないだろうよ。
大体、恋愛ってのが俺には上手く想像出来ない、って根本的な問題が俺には有る訳で。愛、なんて壮大なテーマを考えるにはちょいと俺には荷が重そうだ。

「言ったろ。クリスマスはSOS団主催のクリスマスパーティに強制出席だよ。どっかの神様が俺から色気の有る展開を根こそぎ奪っちまったらしい」

「大変だね。しかし、その大変さを楽しんでいる節も僕からすれば見受けられるよ」

「だから、言ったろ。五分ってトコだ。親父やお袋の哀れみの篭った視線に晒されないだけ、マシだな」

「なるほど。しかし、趣旨と外れている所だけは涼宮さんらしくはない気がするね。いや、涼宮さんの事を余り知らない僕がこんな事を言うのはどうかと思うが」

「趣旨?」

「そうさ」

佐々木はこっくりと頷いた。そして机に頬杖を突いてチェシャ猫の目で俺を見つめる。
何かを企んでいるハルヒに、その表情は少しばかりダブって見えた。

「クリスマスは恋人達の日、なのだろう? 常識的に、ね」

くつくつと。動く唇はカフェオレで濡れていて、ソイツが異性である事に今更気付かされた俺の心臓が跳ね上がる。

内心の動揺を気付かれても癪だ。とりあえず平静を装って会話続行。

「アイツは非常識だからな」

「さてさて、どうだろうね。確かにこの世界へと不可思議な存在を呼び寄せたのは彼女……涼宮さんだけれど、それにしたって常識がすっぽりと抜け落ちている訳ではないだろう?」

どうだろうね。少なくとも俺は入学したての自己紹介であんな電波発言をするような女を他に知らんしな。
と言うか。あんな破天荒なヤツが二人も居てたまるか、ってのが本音だ。ストレス性脱毛症で俺の頭から髪の毛がなくなるのは時間の問題だぞ、そんなモンは。

「彼女に常識が有るからこそ、この世界は社会として成り立っているし、カフェオレを注文してミルクティが出て来るような事もない。違うかな?」

「俺はアイツが黒い鳩を一晩で真っ白に染めちまった不思議現象なんかをこの目で見てるからな。何も言えん」

「そんなのは可愛いものさ」

佐々木は言う。

「もしも、四月の時点で僕が神の座を彼女から取り上げていたとしたら、今更ながらぞっとするよ。きっと世界は様変わりしていたに違いない」

こんな風に、と言いながら佐々木は俺のカップにミルクを注いだ。
ブラックが見る間にホワイトへと模様替えしていく。

「僕はブラックが余り好きでは無いからね」

そう言って少しばかり、少女は自嘲の笑みを浮かべた。

「そんな事はないだろ」

「有るんだよ。権力とは自覚すれば溺れてしまうものさ。歴史を紐解いてみるといい」

生憎、ただのウィンドウショッピングに歴史の教科書を持っていく趣味は俺には無い。

「有名な言葉さ。人が歴史から学ぶ事はたった一つしかない。それは人は歴史から何も学ばないという事だ。誰の言葉だったかは忘れたけどね」

「あのなあ。どこの歴史の教科書に神様が現れた、なんて書いてあるよ?」

「くっくっ。書いてあるさ。イエス・キリスト。ブッダ。マホメット。彼らは『現人神』と言えるだろう? エジプトで言えばファラオ。中国では皇帝。日本でも天皇は長い間神の子孫として扱われてきたさ」

上手い返しをする。二枚舌は古泉の専売特許かと思いきや、どうやらそうでもないらしい。
いや、この捻くれた回答はどっちかと言えばハルヒが近いか?

「僕はね、人間なんだよ。キョン。君が僕を信頼してくれているのは嬉しいが、僕は君ほど僕自身を信頼している訳じゃない」

「いや、俺がそういう……なんだったか、願望実現能力? それを手に入れたとしたら、そりゃ俺は好き放題やるだろうけどよ」

悪かったな、俗物で。

「だが、佐々木。お前は常々、理性的な人間になりたい、って言ってたじゃねえか」

俺の言葉に、けれど佐々木は笑顔で首を振った。

「本当に理性的な人間はね、そもそも理性的になりたい、などとは言わないのさ」

それは……俺も分かっていた。だから四月、俺は少女が神に成り代わる計画を破綻させる為に動き回った。
そんなものは、自覚してしまえば不幸にしかならない。例え願いが全て叶っても、それでは人は幸せにはなれないんだ。
それが自分の力で切り開いたものではない、その事がいずれ少女を蝕むだろう事。分かっていた。分かりきっていた。

「後になってみればね。神になどなろうとした自分の滑稽さに呆れて物も言えないのさ。あの時、止めてくれた君には本当に感謝している」

暗くなりそうな俺たちの座っているテーブルの雰囲気を察した訳ではないだろうが、店内を流れるジャズがアップテンポなものに転調する。
少女の憂い顔に引き摺られてずるずると項垂れてしまいそうだった頭を、支えるにはタイミングが良かったと言える。

「ま、過ぎた話だろ」

「軽く言うね、キョン。君は僕から後悔する権利すら奪おうというのかい? 横暴だよ」

「正直なトコ言えば、だ。俺にしてみたらお前が後悔してようがそんなんは別にどうでもいいんだよな。ただ……」

「ただ?」

「俺の前で辛そうな顔をされると珈琲が不味くなるのだけは頂けない」

ま、ホットコーヒーは当初の影も形も無く、冷めてるしミルクが入っちまってるけどな。

「ふむ……それは申し訳なかったね。確かに、連れ合いが芳しくない表情をしていれば味覚も鈍るか」

「そういう事だ。俺のいない所でやってくれ……っていうのも薄情だが。結局、あの件では誰も傷付いてないんだし、それでチャラって事にしとこうぜ?」

半年以上も前の話を蒸し返して気落ちするのも、いや、それは佐々木らしいっちゃらしいんだけども。
しかし、それで俺に謝られても感謝されても、俺としては「ああ、そんな事も有ったな」って程度でしかないのであり……いや、当事者ナンバーワンであるコイツとしちゃそう簡単に割り切れないのも分かるんだよな。
……やれやれ。

「キョン。君は誰に対しても『そう』なのかい?」

「『そう』? いや、質問の内容がよく分からんが。生憎、現国の順位も下から数えた方が早いくらいには読解力に欠けてるんで、そんな俺を気遣った発言をしてくれたら助かる」

「くっくっ。ううん、気にしないでくれ。しかし、国語が苦手とは意外だね、キョン」

……コイツは日頃、俺をどんな目で見ていやがるのか。得意な教科を聞かれて悩み込んでしまうような人間を捕まえて。
いかん、自分で言って切なくなってきた。

「もし良かったら、今度僕が教えてあげようか。いや、何。学校が違えども大学入試に向けての勉学である以上ベースは同じだ。力にはなれると思う」

「願ってもない話だけどな。だが、それで佐々木の放課後やら休日やらを潰しちまうのは悪い気がするね」

そんな事はない、と佐々木は微笑んだ。ふむ。どうやら後ろ向きモードは既に解除しているようで俺としちゃ一安心だ。
後はこのカフェオレの始末だが……どうすっかな、コレ。まだカップに半分は残ってるから、残しちまうのも勿体無い。貧乏性と笑うなら笑え。

「人の勉強を見るのも、受験勉強さ。復習方法としては、割に良い方法だと思うけどね」

「高校受験の時も同じようなやり取りしてたな、そういや」

「そうだったね」

俺と佐々木は顔を見合わせて笑った。非日常な日常も嫌いじゃない俺だったが、たまにはこんな談笑も悪くは無い。そうだろ?
欲張りなのかも知れんが、俺は不思議も当たり前も、どっちも捨てた訳じゃないんだ。

「あの時は結局、君が泣き付いてきたのだっけ」

「表現が悪いな。助けを求めた、に直しておいてくれ。大体、お前だって予備校講師の方は話半分で俺のプリントばかり見てたじゃねえか」

「見ていられなかったんだよ」

そうかいそうかい。くそっ。余計なお世話だ、と言えない俺が居やがる。実際、北高に入学出来たのだって専属教師が付いていたから、という事実を抜きに考えられない訳で。

「勿論、君が嫌なら無理強いはしないさ。だが、あの頃の君の点数を押し上げた要因の一つに僕の存在が入っていなかったのだとしたら、それは物悲しい事ではあるけれど。まあ、仕方が無いか」

「お前なあ……そういう言い方は卑怯だろ」

飲む気にもなれない茶褐色の液体をスプーンでかき回しながら、二の句を探す。売り言葉に買い言葉。何を言い返せば佐々木から一本取れるのかと俺が頭を悩ませていると、唐突に少女が言った。

「……罪滅ぼしだよ」

ポツリ、と。それは何かの拍子に本音が飛び出した、そんな表現がぴたりと当て嵌まって抜けなくなるような声音だった。

「君に、何かをしてあげたいんだ」

楽観視し過ぎていた。少女の心に蔓延った罪悪感の根は、深い。
神様に近付こうとした、その罪はバベルの塔を引き合いに出すまでも無く、重いのかも知れなくて。だけど、俺にはその百分の一も分からない。
親友は、親友を、分かってやれていなかった。こんなんじゃ、親友失格だ。

「いや、そんな事言われてもな……第一『何か』って何だよ?」

「何でも、だよ。君が望むのなら、何でも」

そう言って、佐々木は苦笑した。

「ただ、僕にはもう願望実現能力は無いから出来る範囲での『何でも』になってしまうけれど……ね」

もしも、何も知らない奴が同じ台詞を異性から聞かされたのならば、恋心の告白と勘違ってしまうだろう。けれど、俺は何も知らない訳じゃない。
佐々木はそもそもこんな事を言い出す奴じゃないし、けれどそんなコイツが真顔で世迷言を言い出すのだからこれは尋常な覚悟じゃないのは俺にだって分かる。
あれは一時の気の迷いだったのだ、と。そんな言葉でお茶を濁す事が叶うのならばそうしたいさ。

「そんな事をして貰いたくて、何かの見返りを求めて、俺はあの時動き回った訳じゃないぜ」

「知ってるよ。けれど、それでは僕の気が収まらない事も理解して貰えたら助かる。今のままでは君と対等な関係になんてなれそうにないんだ」

「対等じゃないのか?」

「少なくとも、僕の中ではね。君を親友と、そう呼ぶのも気後れしているんだ、正直な話。滑稽だと思うかい?」

「なあ、親友」

「なんだい、親友」

返した佐々木は酷く……言っちゃなんだが、女の子に見えた。そもそもコイツはSOS団の面々に勝るとも劣らない魅力的な異性であるのだが……なんだろうな。
そういう目で見ていなかったというか、そういう目で見ることに抵抗を持っていたっつーか……正直俺にもこの辺は自分の事ながらよく分からん。

「なあ。対等な関係になりたいんだったら、そういう気後れをまず取っ払っちまったらどうだ? 悪いがフィルタ作ってるのはお前ばかりで、俺の方にはそういうのが一切無いし」

「出来るものなら、そうしているさ。君がそう言うであろう事も予測の範囲内だった。けれど、出来ない。割り切れないんだ」

幼いと笑うかい? そう続けて佐々木はカップを手に取る。それを口元に持っていって、なだらかな白い喉がゆっくりと動いた。

「……仕方無いな。分かった。なら少し考えさせてくれ。『なんでも』って言われると中々難しいモンでな、こういうのは」

「欲が出て来たのかな? いや、それでいいさ。大いに悩んでくれ。僕としてもその方が助かる。遠慮は要らないよ、キョン」

何かを期待するように微笑むソイツ。しかし、俺としては恐らくソイツが考えている事とはまた別の意味で悩んでいたりするのであり。
それはつまり、どうすれば佐々木を納得させつつ、かつ事を穏便に済ませる事が出来るのか、という非常に難解な問題だった。

「そういえば。話は戻るけれどもうすぐクリスマスだねえ」

ええい、クリスマスなどに今は関わっていられるか。どうせ、今年もSOS団馬鹿騒ぎで終わっていくだけなのだ。そんな、それこそ朝比奈さん風に言う所の規定事項は考えるだけ無駄だ、無駄。

「キョンはクリスマスは好きかい?」

「まさか。それこそ冗談だろ。一人身の男子高校生でクリスマス憎しと思ってない奴が居たら今すぐここに連れて来い、ってなモンだ」

谷口がここ最近妙にそわそわしていたのを思い出す。クリスマスまでに彼女を、とはまあ俺だって思わなくも無いがあの鼻息の荒さでは誰も寄り付くまい。
……この時期の谷口は本当に鬼気迫るものが有るからな……いつになったら気迫が逆に枷となっている事に気付くのか。まあ、面白いから指摘はしないけどな。

「なるほどね。僕にはその辺りの感覚はよく分からないけれど」

「この時期ばかりはな。イルミネーションを見ると笑いものにされてる気がするんだよ」

被害妄想なのは分かってるからほっといてくれ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。クリスマス関係無い電飾にすら人によっては殺意を抱くと聞くし。
俺なんかはまだ可愛いほうだろ、うむ。

「だったらね」

少女が深呼吸をする。なんだ、突然? 改まった話をするような雰囲気でも、そういう関係でもないだろうに。

「キョン」

「ん?」

「クリスマスまでに」

「までに?」

佐々木は俺から目を背けた。窓の向こう、コンビニの入り口に飾られたクリスマスツリーがその目に映っている。

「恋人は欲しくないかな?」

……おい、マジか。

「いや、さっきも言ったが別に君が嫌だと言うのならば無理強いはしない。この提案だって、君さえよければであって、君に他にして貰いたい事が有るのならばそちらで構わないよ」

……なんだこれなんだこれなんだこれ。何が起こってるっつーんだ? ドッキリか? どこにカメラを携えた橘とプラカードを持った九曜が待機してやがる?
慌てて辺りを見回すも、個人でやっている喫茶店はお世辞にも広いとは言い難く、いや、ぶっちゃけかなり狭い。
人が隠れられるようなスペースは無いし……いや、九曜ならば透明になっていたりも有りうる話だ。
落ち着け。落ち着け、俺。佐々木団(仮)の仕掛けてきたハニートラップを先ず疑ってかかるべきだと、俺の中の非日常に鍛え抜かれた第六感が警報を鳴らしてやがる!

「……いや……あー、佐々木よ」

「なんだい?」

「橘に何を吹き込まれたんだ?」

俺がそう言った、瞬間に佐々木が盛大に笑った。体をくの字に折り曲げて、息も絶え絶えと言った具合。
……おい、キャラじゃないだろ。

「くっくっ。流石はキョン。鮮やかだ。実に鮮やかだよ。まさにお手並み拝見、本領発揮だねえ。いや、くっくっ、こんなに愉快なのは久し振りだ」

褒められてはいまい。絶対、コイツ褒めてない。それくらいは分かる。いや、分からない訳が有るか。

「そうだねえ。橘さんに入れ知恵されたと、そういう事にしておこうかな。うん、その方が僕にとってもいいかも知れない」

「ちょっと待てよ。その口振りだと橘やら九曜……それに藤原は関係ない、って言うのか?」

いや、それはおかしいだろ。コイツは「恋愛は精神病」信者だったはずだ。だったら……義務感? 罪悪感? たかがそんな事でここまでするってのか、コイツは?
おいおい、根が深いなんてモンじゃないぜ。

「余り深刻な顔をしないでくれよ、キョン。君は僕を呼吸困難で窒息死させる気かい?」

俺の考えを知ってか知らずか、佐々木は片目に浮かんだ涙を拭いながらそう言って。その様子は確かに苦しんでいる人間のものには見えちゃこない。

「そうは言うけどな。俺はともかく佐々木、お前は恋愛に興味が有るようには見えないんだよ。中学時代を知ってるから、余計に」

「そうだね。確かにキョンの言う通りさ。僕は余り恋愛に関心はない。クリスマスが恋人達の祭典であったとしても、関係ないの一言で済ませてしまえるさ。けど」

佐々木はそこまで言うとケータイを取り出し、幾つかの操作をするとおもむろにそのディスプレイを俺に見せつけた。

「君には興味が有るのさ。これを惹かれていると、そんな風に言うのかは知らないけど。くっくっ」

無機質な画面には俺からの、今年送ったたった数件のメールが全て保護されて残っていた。

「俺に……? ハルヒじゃなくて、か?」

「君に、だよ」

意味が分からない。どうして俺なんだ? 俺なんかよりもよっぽど興味関心をそそられそうなヤツが周りにごろごろしてるにも関わらず。
その中から選ばれるとか理屈としておかしいだろ。違うか?

「理屈、ね。うん。気持ちは分からないではないんだ。けれど、言っただろう。僕は理性的な人間に『なりたい』だけなのさ。理性的な人間では間違ってもないんだ、キョン」

「それ……えっと、それってーのは?」

「皆まで言わせる気かな? 突然こんな事を言われて動転しているのも言葉通り目に見えて理解出来るけれど、僕の事も少しは鑑みてくれると、嬉しい」

店内BGMはいつの間にやらダウナーなものに変わっている。気付かなかったのは、そんだけ動揺してた、って事か。
それにしても、ここの店の曲は空気読みすぎじゃあないかい?

「さて、と。ああ、勿論、返答は今日でなくてもいいんだ。他の提案が有ったらそっちでも構わない」

「おい、佐々木。お前は俺が恋人で、それでいいって言うのかよ?」

「ふむ。別段、困る事は無いよ。むしろ、僕の方がそれは聞きたいね。キョン。君はもしも僕が君の恋人になったら困ったりしないかな?」

……この質問に「特に無い」と答えてしまえばなし崩し的に佐々木と付き合う事になってしまうのかも知れない。それは分かってる。
だが、俺に困る要素などは一つとしてないのであり、そして断ってしまうのも惜しく、ああ、なんか色んな思いがごちゃごちゃして頭が整理出来ん。

「……笑わないで聞いてくれ」

「うん」

「困ると言えば困るし、困らんと言えば困らん」

「そうだね」

「例えば……いや、違うな。こういうのに第三者を持ち出すのはお門違いか」

ハルヒ。長門。朝比奈さん。古泉。
神様。宇宙人。未来人。超能力者。俺を取り囲む状況は誰がどう見たって普通じゃない。けれどそんなんは恋愛には無関係だろう。
これだって、一つの非日常だ。不思議も不思議。超不思議な事なんだ。だったら、何も変わらない。そうじゃないか?
債は投げられた。ユリウス・カエサルの言葉だが、恋愛を司るのは神様の領分。神様になり損ねた、神様候補が投げた債は俺の手の中にある。
さあ、どんな目を出す。どんな目を望むよ、俺。

「なあ、佐々木」

「何かな、キョン」

「クリスマスパーティをキャンセルしたら俺、かなりめためたにやられると思うんだが、それを慰める役をお願いしてもいいか?」

深呼吸を一つして、ダイスを転がした。どんな目が出たってそんなのは……知ったこっちゃねーや。

「任せてくれ」

佐々木は笑う。ここに恋愛契約はなし崩し、曖昧な形で締結された。どちらかがきっちりと言葉にした訳じゃない。それでも俺達の間には通じ合うものが有った。
気のせいだろ、って? いやいや、決して俺の勘違いじゃない気がするね。俺がそう思い込む、理由は単純で。
空気を読む事で(俺個人に)定評が有る喫茶店のBGMが「The man I love」を流し始めたからさ。ここぞという時にここぞという曲を流す。そのセンスには脱帽だね。いや、マジで。

「ああ、そう言えばキョン。さっきからコーヒーに口を付けていないけれど」

「ん? あー、俺ミルク入りってあんまり好きじゃないんだ。飲めなくはないが、好んで飲もうとは思わん」

「そうかい。それは悪い事をしたね」

「だが、残すのも勿体無くてな。それで処分保留がずっと続いてる、ってそういうこった」

「ふむ」

一つ頷いて、ついさっき俺の恋人になったばかりの少女は自然な、極々自然な動作で俺の方へと手を伸ばす。手に取ったのはコーヒーカップ。
少女は二度三度、喉を鳴らすと俺に向けて笑いかけた。

「おかわりを、頼もう。もう少し、ゆっくりしていこうじゃないか」

その笑顔は、見ていられないくらいに、まるでクリスマスの電飾のように真っ赤に染まっていたけどさ。
そして、俺はそんな少女の勇気に応えるようにこう言ってやったんだ。

「実は俺、お前を親友と思ったことは一度もないんだぜ」


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