ハルヒSSの部屋
古泉一樹の情操教育 9
『Ituki Koizumi's intellectual development』

『last story』



『これはとても大切なこと』



君と僕の結婚式。神父の役は彼。仲人は未来から来た彼女。ピアノの前に座っているのは僕達の神様。
「新郎、古泉一樹」
彼が読み上げる。使い古された誓約書。がらんどうの教会に、声が響く。
「はい」
「貴方は新婦、長門有希を妻として、これを愛し……ああ、面倒臭いな。飛ばして良いか?」
出席者一同は苦笑する。とは言っても五人だけの結婚式。
「どうせ、内輪の結婚式ですし、構いませんよ」
「貴方の言葉で……良い」
僕と、隣の雪の様に白いドレスを着た彼女が頷く。それを見て、彼は満足そうに笑った。
「じゃ、御託は抜きだ。言いたい事を言う」
ピアノの調べが流れ出す。荘厳と言うよりは粛々とした音の集合。神様の選曲でしょう。何と言う曲か僕は知らないけれど、素敵な曲だった。
人知れずひっそりと静かに流れる、せせらぎの様な旋律。
「古泉、責任は取れ」
「何ですか、それ?」
「他にしっくり来る言葉が無えんだよ」
朝比奈さんが口元に手を当てて笑っている。微笑んでいる、その眦には涙が浮かんでいた。
「長門をそこまで変えたのは……悔しいがお前だ。その責任は重いぞ」
「承知しています」
「死んでもコイツの笑顔を守れ。それが出来ないなら今、この場で死ね」
「命に換えても、守ります。誓いましょう」
「途中で死ぬんじゃねぇぞ。お前が死んだらコイツは笑わなくなる」
「死ねと言ったり、死ぬなと言ったり。僕にどうしろって言うんですか?」
彼は少しだけ顔を傾けました。自分の左手と長門さんの顔を一度づつ見やって言葉を紡ぐ。
「生きている限り、コイツを愛すると誓え」
「貴方らしくない、台詞ですね」
「かも知れん。だが真理だ」
彼の左手。薬指に光る指輪。彼も少し前に誓った事。僕にも同じ事を誓えと、彼はそう言っている。
「誰に誓いましょう?」
「決まってる」
神父の格好も窮屈そうな彼は、そろそろ足首から先を失っているであろう彼女の肩に手のひらを置いた。
「テメェの信じる神様に、だ」
彼女が泣いている。朝比奈さんが泣いている。きっと、一番泣きたい誰かの代わりに、泣いてくれている。
僕は泣かなかった。長門さんとの約束だったから。
「誓います」
彼女の笑顔の為に、僕はずっと笑っていると、そう約束したから。
彼女が隣に居るのに、どうして涙を流す必要が有るのでしょう?
「……今の言葉、忘れんな」
それは残酷な言葉による楔。意味する所を知りながらも、彼はそれを口にする。
それが自分の仕事だ、と昨晩の彼は言っていた。ケジメだと、そう言っていた。
切っ掛けを作った、自分の責任だと。
「忘れません、決して」
刻み込む。強く。強く。いつか、忘れてしまわないように。君の為に、生きていられるように。
「……俺は覚えてるからな、その言葉」
「心配されずとも、僕だって」

ピアノがテンポを崩す。それでも彼女は気丈に鍵盤を叩いていた。朝比奈さんは、床に零れる程に涙を流しながら、僕達の方を見つめている。
長門さんの侵食は……どこまで来ているのだろうか。ドレスの下、見えないその体に残された時間が少ない事は、分かり切っている。
「聞いたか、長門」
「聞いた。私は忘れない」
「そっか……そうだな」
長門さんが小さく首肯する。そして、少しだけ笑った。

長門有希は、笑った。
僕も、笑った。

「古泉一樹はとても嘘吐きだけれど、私に対して、大切な事には決して嘘を吐かない」
抑揚こそ変わらなかったけれど、それは誇っているように聞こえた。
自分が手に入れたパートナーがどれだけ凄い人間なのかを、世界に吹聴しているようだった。
小さな教会の中で、長門さんの小さな声は、それでもよく響いた。
「なら、コイツはお前の事を忘れないな」
「確信している」
「お前の口から『信じる』なんて言葉を出させる男が少しだけ憎い。殴って良いか、古泉?」
「神父の格好をしたままで言う事ではないでしょう?」
首を竦める彼。無理矢理に笑う僕。意地っ張りな男性二人の代わりに涙を流す二人の女性。そして……腰から下を失った花嫁。
ドレスが、不自然に皺を作っていた。
「さて、長門」
「何?」
彼はポリポリと顎を掻いて言葉を探しているようだった。
「……コイツで良いのか? 言っちゃ何だが、コイツは変態超能力者だぞ?」
「この人が良い」
「嘘吐きだし、胡散臭いぞ」
言葉を選んだ後にしては、出て来る単語に悪意しか感じられません。
「ちょっと、酷くないですか?」
「古泉、テメェは黙ってろ。どこの世界に神父と花嫁の誓いの儀式へ物言いを付ける新郎が居やがる」
……都合の良い時だけ「神父」気取りは止めて貰いたいものです。
「……長門」
「何?」
長門さんを見る彼は、けれど「父」と呼ぶに相応しいとても優しい目をしていました。
「コイツに愛されればお前はしあわせになれるのか?」
少しの沈黙。長門さんが口を開きます。

「この人を愛する事で、私はしあわせになれる。この人に愛されるなら、私はもっとしあわせになれる」
純白の手袋がパサリと床に落ちた。
「……そうか。なら、仕方ないな」
「仕方ない。私は選んだ。後悔はしていない」
僕は問答を聞きながら、床に落ちた手袋を拾い上げる。左手で握り締めた。
彼女の体温が、そこにはまだ残っている。
「お前に誓わせるのは一つだけだ。古泉を愛せとか、そんな事を言う気は毛頭無い」
……明確な男女差別です。ジロリと睨み付けたが、彼は僕の視線には構わなかった。
「何を誓えば良い?」
「決まってる」
とうとう、ピアノが止まった。奏者は朝比奈さんに抱き付かれて、抱き付いて、泣いていた。
泣きながら、こちらを見ていた。
「お前がしあわせになる事だ」
柔らかい布が落ちる音はBGMを失った教会に酷く大きく響く。引っ掛かっていられなくなった、どこかの衣装が落ちたのだとすぐに分かった。
「分かった」
少女は力強く頷く。とてもとても、しっかりと。
「しあわせに、必ず、なる」
「誓うな?」
「誓う」
彼女の体からあふれ出す光の粒子が、ステンドグラス越しの陽光に反射して、この世のものとは思えないほど、目を疑いたくなるほど幻想的な光景の中で。
……結婚の誓約は、終わった。

「指輪の交換は……出来ないから省略で良いか」
彼が二つの指輪が載った盆を脇の机に置いた。
「また、今度で良いだろ?」
「ええ」
「構わない」
ここに居る誰一人として、彼の言う「また今度」など訪れない事を知っている。
そして、ここに居る全ての人間が、彼の言う「また今度」に喜んで騙された。
「そしたら……誓いの口付けを、ってヤツで進行としては合ってるのか?」
僕は頷いた。長門さんには頷ける首が無かった。
折角着せて貰ったウェディングドレスは、教会の床に白い水溜りを作っている。
「まぁ、時間も押してますしね」
「……巻きで」
「なら、とっととキスしちまえ」
彼は天井を見上げた。
「それで、この服をやっと脱げるってモンだ」
涙が床を撥ねる音。立ち上がった彼女によってピアノが再開する。
僕は彼女の頬を両手で包んだ。
「貴女は今、しあわせですか?」
「しあわせ」
「もっとしあわせになりましょうね?」
「……貴方に託す」

僕は目を閉じて長門さんと口付けた。
長く。
長く。
彼女の温度と体重と感触と。
強く。
強く。
それを脳髄に刻み込んだ。

それで、終わり。
余りに呆気無い、終わり。

目を開いた時、彼女はいなくなっていた。
手の中に有った小さな、良く整った顔は無く。
残ったのは、唇に有る自分の物ではない温い口紅だけだった。


「記憶……今日一日は保つんですよね?」
「そう、言ってたな」
「僕、今日一日だけは彼女の新郎で居られるんですよね?」
「何、言ってんだ?」
彼が、笑う。真っ赤な目で、笑う。
「お前は、この先もずっと、アイツの旦那だろ?」
「ええ……ええ。約束、しましたから。僕の、神様に」

僕は泣かなかった。
彼女が隣に居るのに、どうして涙を流す必要が有るのでしょう?
だから、一筋だけ頬を流れたのは、決して僕の涙では無いのです。
「……この教会、雨漏りしてるんじゃないですか?」
「仕方ないだろ。古い建物だからな。そんな事ぐらいで騒ぐんじゃねぇよ」
そう。だから、止め処無く流れるこの水滴は、決して僕の涙では無いのです。


空っぽだった僕は彼らと出会って変わった。
空っぽだったと思っていた物は沢山の過去によって零(コボ)れるくらいに満たされていた事を知った。
今の僕は充実している。日々注がれるしあわせな記憶と、手のひらから零れ落ちるいつかの大切な記憶に背中を押されて。
いつからだろう、そんな日々にも少しだけ退屈を感じるようになったのは。
しあわせで。
しあわせで。
しあわせで。
そんな事は分かり切っているのに。それでも、時折僕は風の中に切なさを感じるのです。

振り返っても誰も居ないと、分かっていながら振り返る。そして誰にも見られないように溜息を吐く。
そんな癖が付いてしまった、大学二年生の冬の話。


「……どうも。ご一緒しても?」
「ええ、どうぞ」
情報統合思念体、所謂(イワユル)宇宙人組織から送り込まれた調査監視用有機体インターフェイス、喜緑江美里さんが学食のテーブルに居るのを見つけた僕はその対面に腰掛けました。
「……食事は、好きですか?」
「その質問は私にとって判断が付きかねます」
言いながら彼女は上品な所作でうどんを啜る。僕も牛丼の処理に取り掛かろうと割り箸を割った。食事に手を付ける前にもう一度ジャブを出す。
「最近はいかがです?」
「変わりは有りません。涼宮ハルヒは非常に安定しています。彼に切り札を握られている以上、私達には手を出す事が出来ませんし……傍観の姿勢を崩してはいませんよ」
彼女は口元に手を当てて微笑む。その所作に宇宙人は感情を持たない事を知っている僕は少し不快感を感じた。
そんな風に自然に笑われては、彼女のたった数度の微笑が価値を失ってしまうような気がして。
……彼女? ……彼女とは誰の事でしょう?
いけません、記憶が混線しているようですね。まぁ、まま有る事でしょう。
「そうですか。それは……僕達にとってはそうでないと困るのですが、貴女達にとっては少々面白くない事態ですね」
「ええ。なので、進化の可能性を得る為に別方面からのアプローチも始めました」
……聞き捨てがなりません。
「詳しく、聞かせて頂きたいものです。よろしいでしょうか?」
「ご心配無く。貴方達に不利益をもたらす様な実験ではありません。いえ、関係が無いと言い換えるべきでしょうか」
なるほど。涼宮さんの線は捨ててきましたか……。
僕は冷めていく料理に手を出すのを諦めて、喜緑さんを見つめた。
「世界の危機などは出来ればご遠慮頂きたいのですが。そのような事になれば僕も……それから彼も、黙ってはいませんよ?」
あくまでも微笑を絶やさず、けれど暗に「計画の全貌を話さないと実力行使に出る」と脅す。宇宙人は小さく、可愛らしい溜息を吐いた。見る人が見れば初めての恋に悩む少女の様にも見えたでしょうか。しかし、この人形に感情は有りません。
「有機体の思考サーキットの矛盾……感情ですか? そこに思念体の主流派が興味を持ちまして」
「まるで古典SF文学の様ですね」
はい、と彼女は頷く。
「それで、完全にヒトと同じ規格……ハードもソフトも……つまり『人間』を創り出して、それを常時モニタリング、得られたデータの詳細解析をしようという試みを行っています。現在進行形で、です」
ふむ。つまり、目の前の彼女の様な「宇宙人」ではなく、「人間」を地球へ送り込んだ、という事ですか。
「インプラント、の様なものでしょうね。恐らく、モニタリングを目的として一から創らなければ取りこぼす情報が有るかも知れない、そう貴女方の上司は考えた……僕の理解で合っていますか?」
「それで構いません。察しが早くて助かります」
少女が話は終わったと、テーブル上に置かれた椀の中身の処理に取り掛かる。僕もそれを見て少しだけ冷めた牛丼に手を伸ばす事にした。
食べ終わるのは彼女の方が早かった。しかし、少女は席を立たれません。僕を待ってくれているのでしょうね。律儀な事です。
「僕らへの干渉さえ無ければ何をやられても結構ですよ」
ただし、世界規模の介入は困りますが、と念を押す。すると少女は少しだけ眉を顰めた。
「……手伝って、貰えませんか?」
「……はぁ、何を、でしょう?」
正直に言います。宇宙人の厄介事に付き合う身体の空きは有りますが、出来れば御免被(コウム)りたい所でした。
しかし、彼女が次に持ち出した言葉は想像の斜め上を行っていたのです。
「子育てなのですが」
「……その、創られた『ヒト』というのは子供なのですか?」
「ええ。一から創りましたから。そして、現在は私が預かっているのですが……正直、困っています」
宇宙人を困らせる子供。その存在には少しだけ興味が有りました。それに、経緯はどうあれ、その子供は「ヒト」であり、「ヒト」として真っ当に生きる権利が有るでしょう。
義侠心からでは決して有りませんが、しかし宇宙人の実験に関われば僕達機関が彼女達に対してのアドバンテージを得る事も出来るかも分かりません。
「……僕の一存では返答出来かねますね」
「では一度、彼女に会ってみては貰えませんか?」
厄介事の臭いがします。虎穴に入らずんば何とやら、ですが。
「飛んで火に入る、の方はご遠慮願いたいのですけれど」
「古泉さん。今日、この時間に、この場所に私が居た事が偶然だと貴方は思いますか?」
なるほど。僕が「この申し出を受ける」もしくは「この話を聞いて何らかのアクションを起こす」事まで想定済みという訳か。
「そう、警戒する必要は有りませんよ。この世界の大前提は覚えていますよね?」
「……『彼女』が望まない事は起こり得ない、ですか」
「そして起こった事は全て『彼女』が望んだ事、なんです」
完敗です。僕は両手を挙げた。
「身の保障くらいはして頂けますよね? それが条件です」
「『神様』にお願いして下さい。それは私の管轄ではありません」
喜緑江美里は空の食器が載ったトレイを持って立ち上がった。そして僕に一度だけ視線を送る。「付いて来い」ですか。状況に流されるのは彼の役割だと思っていたのですが。
「……五年も近くに居たせいで、何か伝染してしまいましたかね」
悪い冗談だと、そう心の中で呟いて、これも彼の所作だと気付き少し可笑しかった。

僕と彼女が並んで大学構内を歩くのは、少しだけ珍しい。マイナスの感情が篭もった視線を受け流していると、前を歩く喜緑江美里が呟いた。
「……覚えて、いますか?」
「何を、でしょうか。目的語を付加して曖昧性を回避して頂けると、助かります」
「質問を変えます」
宇宙人は言葉の抑揚を変えず……しかし、そこに苛立ちが混ざっていたように感じるのは……いえ、彼女達に「感情」は有りません。
「SOS団の皆さんはお元気ですか?」
「ええ。彼と彼女は僕が言うまでも無くいつも通りですし、朝比奈さんとも偶(タマ)に顔を合わせますよ」
「……もう一人は?」
「もう一人?」
誰の事でしょう。……該当する人物が記憶の中には見当たりません。
「鶴屋さんの事でしょうか?」
内心の動揺を悟られない様ににこやかを装ってそう口にした。少女は僕を振り向く事無く、否定する。
「……覚えて、いないのですね」
「いえ、これでも記憶力には自信が有りまして。仕事柄、そういう事は忘れてはいけないというのも有りますが。名前を言ってくれれば、思い出しますよ」
少女が、足を止めた。

「――、――」

彼女が口にした名前が、聞き取れない。まるで強い風が狙って吹いたように、僕の耳にはその名前が届かない。
「……すいません、もう一度お願い出来ますか?」
問い返す。なぜか、心臓の鼓動が早くなっていた。理由は分からないけれど、それをとても大切なものだと心は判断している。意味が、分からない。
「――、――」
少女がもう一度それを呟く。だけど、僕には分からない。
ノイズ混じりのテレビをじっと見つめている様な心地になる。
ざわざわ、した。心の奥が。落ち着かない。
「……もしかして、『禁則』か何かなのでしょうか」
聞こえない、筈が無いのです。何らかの干渉が有ったと考えるべきでしょう。
「かも、知れません」
喜緑江美里は再び歩き出す。
「誰かに教えられるのでは、意味が無いと考えたのではないでしょうか」
「……誰が、ですか?」
「神様、です」
少女の後を追って坂道を下る。
「だとしたら、意地悪な神様も居たものですね」
僕は苦笑する。少女は数分歩いた後、更地の前で立ち止まった。
「六月の神様はご存知ですか?」
「……どこの神話でしょう?」
「ローマです」
僕は空を見上げて考える振りをした。冬の空は灰色の雲に覆われて、今にも降り出しそうだった。
「ユノ……ないしジュノーですね。婚姻の女神」
「はい。六月に結婚が多い理由です……ここには、教会が有ったんですよ」
「……へぇ」
「たった半日だけなんですけどね」
……この宇宙人は何が言いたいのだろうか? 僕に何かを伝えようとしているのは理解出来るがしかし……肝心の内容が分からない。
「半年前まで、感情を手に入れたインターフェイスが居たんです。いえ、彼女が手に入れたものが『感情』であったのかどうかは今となっては分かりません」
「その方が……ここに教会を?」
「ええ。ただ、思念体は感情……エラーを許しませんでした。彼女は『報告義務』という名目で処理されています」
「……そうですか」
僕はポケットの中で二つの指輪をいじった。こうしていると少しだけ心が落ち着く、いつからか身に着いていた癖です。
「……立ち話をすみません。先を、急ぎましょうか」
彼女が歩き出す。僕は横目でチラリと更地を見ました。どんな教会が有ったのか、少しだけ夢想します。
「……小さな、教会だったのでしょうね」
「はい。五人だけの小さな式の為だけに創られたものですから」
「見てみたかった気もします」
きっと、白く、小さく、質素な、教会だったのだろう。まるで見てきたかの様に、どんな建物だったのかが想像出来た。

……公園、ですか。よく、SOS団の集合場所になっていましたね、ここは。
「らしいですね。……やっぱり思い出せませんか?」
問われて考え込む。
「僕は、何かを忘れているのですね?」
「はい。貴方にとってどれだけの重要度がその記憶に設定されているのかは分かりません。ただ、『彼女』に会わせるには思い出して頂かないと都合が悪いので」
そう、彼女は言って眦(マナジリ)を伏せた。酷く……苛立つ。
人形が、まるで感情を持っているような仕草をするな、と。彼女がやっとの思いで手に入れた、「それ」を嘲笑うような真似をしないでくれ、と。
……だけど、その彼女というのは……一体誰の事なのか、分からない。
ポケットに手を突っ込む。コツリと、二つの硬質の物に指が当たる。それをくるくると、玩(モテアソ)んだ。
「僕は『彼女』を忘れているのですか」
「はい。貴方は『忘れない』と仰ったそうですね」
「まるで、恋人同士の会……」
話ですね、と続く言葉は遮られた。遮ったのは誰あろう自分自身。右手が口元に持って行かれているのは僕の意思ではない。
「……まさか?」
「ええ、恐らく貴方が思考の末に行き当たった『まさか』で合っています」
喜緑江美里が、微笑む。そこは、彼女のポジション。笑わない彼女のいつも立っていた場所。
「……五人目?」
「昔は、そうでした」
おぼろげに、浮かぶ彼女の姿は遠い。その立ち位置に宇宙人。きっと、彼女がそこに佇んでいるのは、偶然などではない。
まるで食堂に居た時の様に、その位置取りには、意味が有る。
「……その方は宇宙人、ですか?」
「昔は、そうでした」
「僕の、恋人だったのですね?」
「昔は、そうでした」
「では僕の恋人は消失したのですね?」
「はい。貴方の記憶ごと、この世界から」

「誰よりも貴方にとっては唯一でありたかったと、そう聞いています」
「……忘れて、しまいました」
「一つ、昔話をさせて下さい」
宇宙人はまるで人間の様に、空を見上げた。

「ある所にヒトに恋をしたロボットが居ました。彼女はヒトになる事を望み、そして神様に頼み込んで自分がヒトである世界を作り上げ、そこに想い人を呼び寄せました」
僕は目を伏せた。ブランコがキィキィと風に揺れている。まるで、今の僕の様に見えるのは、自分の姿を何かに投影したいと願うヒトの性でしょう。
「……続きを」
「ありません。以上です」
どんな謎掛けですか。
「意味が……分かりませんよ、それでは」
「詳細は教えて頂けなかったのですよ。だから、教えて下さい、貴方が」
宇宙人は引き続き空を、いや、宇宙を見上げているのでしょうか。
「もしくは、貴方自身の手で続きを紡いで下さい」
「……嘘でも、良いのなら」
「先んずるのが嘘であっても、後にほんとうにしてしまえば、それで良いのではないでしょうか?」
僕に……神様を謀(タバカ)る大嘘吐きに、何を望んでいるのだろうか、この女性は。
「そこまで器用ではありません。一度、閉鎖空間を出てしまえば僕は只の男子大学生ですよ。只のヒトをそこまで買い被る、理由をお聞きしたものですね」

「大切な記憶は色褪せはしても忘れる事はない。そう私は考える……考えたいからかも知れません」
「……考えたい?」
「そうです。らしくないと笑われても構いません。しかし私は恋心が何も残さず忘却の海に沈んでしまうなどとは考えたくないんです」
「貴女は……忘れないでしょう。意図して記憶を消そうとしない限り」
「記憶……問題にしているのはデータではないんですよ、古泉さん」
「では、何が問題なのでしょう?」
「記憶に伴う感情です」

「誰かを好きになった。その感情を忘れて欲しくないと。いつまでも持ち続けて欲しいと。そう忘却を強制される生き物に願うのは酷でしょうか?」
何が言いたいのかが分かりかねます……ですが。
「忘れたくは無い、としか僕には言えません」
宇宙人は振り向いて、笑った。鮮やかに。
「そうですね。私もそう思います」
その笑顔に、誰かの顔が、重なった。

「誰も誰かの大切な思い出を奪う事なんて出来ない。そう言ったのは……彼女に教えたのは貴方だと聞いています」
彼女の服が、風に揺れる。
「もしも貴方が思念体によって記録を全消去されたとしても」
曇り空に似つかわしくない、水色が揺れる。
「必ず、何かが残るのでしょう? 一番大切な、何かが」
冬にはまるで似つかわしくない、ワンピースが揺れる。

「私の妹を、貴方を信じて待っている妹を、嘘吐きにしないであげて下さい」

僕の顔に、冷たい何かが乗った。
「……雪」
「今日、この時間に降雪が始まる事を、知っていましたから、利用させて頂く事にしました」
「……雪、を?」
「はい。この自然現象を」
それが少しづつ、少しづつ、降る。キラキラと、光を反射して、世界を彩る。
「もう一つ、利用したモノがあるのには気付きましたか?」
ええ、気付いていますよ。思えば、貴女のその格好は、不自然過ぎではありませんか。
水色の、ワンピース。

『初めて人から貰った服。貴方に選んで貰った服。私はきっと、ずっと大切にする』

懐かしい、少女の声が聞こえた気がした。
「雪」
僕は口にする。
「ユキ」
僕はその単語を愛する。
「有希」
僕が愛した、たった一人の、何でも出来るのにとても不器用な、少女の名前。
喜緑江美里が僕を見て、そっと微笑んだ。

「あの部屋までの道のりは、全部開けておきました……いってらっしゃい」

連続して軌跡。ぼくのいる、今。
連鎖して奇跡。きみといく、先。


そして再び動き出す
キセキレンサ


走り出す。ズボンのポケットの中に有った指輪の、一方を身に着けて。
「また今度、が来ましたよ……ああ、この約束を破って捨てた最低の嘘吐きに。たった一度だけ嘘を真実(ホントウ)にする『また今度』が!!」
今度こそ。
僕は君の手を離さない。
神様にだって誓おう。
僕はもう二度と、君の手を離したりはしない。

「有希さん!! 聞こえていますか!! 一つだけ聞かせて下さい!!」

僕は叫んだ。悲しみと切なさと申し訳無さと悔しさと……そして堪え切れない愛が僕の喉から溢れ出た。
「貴女をしあわせにする役は、まだこの不甲斐無い僕のものですか!?」
しあわせに狂いながら、君の名前と同じ自然現象の続く道を全速力で走り抜けた。


何度記憶を消されようとも僕は同じ事を答えますよ。ええ、何度だって。

「こいずみいつき」
「はい」

貴女がこの世界に居る限り、何度だって。

「しあわせになりたい」
「分かりました。僕が貴女のしあわせを請け負います」

嘘ではない。偽りではない。その場凌ぎではない。

「あなたのしあわせになりたい」
「もう、既にその願いは叶っています」

貴女に吐いた嘘は一生を掛けて真実にする、その覚悟が出来たから。

「あなたとしあわせになりたい」
「では、一緒にしあわせなりましょう」

記憶を消したくらいで、消えるような想いではないのですから。

「あなたとおなじ、いきものになりたい」
「もう、既にその願いだって叶っていると思いません?」

嘘吐きが、正義のヒーローが口に出すような嘘を吐くのはよくある事ですが。

「あなたとおなじ、じかんをいきたい」
「こうして語らっているのが、同じ時間を生きている証拠ではありませんか?」

その嘘が真実になってしまったら、それはもうヒーローでしょう。

「あなたといっしょにいきていたい」
「断る理由が、見当たりません」

ああ、勘違いしないで下さいね。別にヒーローになりたい訳では無いのです。

「あなたのとなりをいきていたい」
「奇遇ですね。僕もですよ」

ただ、偶然に、吐いた嘘がヒーローみたいな台詞だっただけなんです。

「僕も、貴女の隣で一緒に生きて幸せになってみたいと、丁度思っていた所でした」

だから、僕はなりましょう。貴女のヒーローに。

「わたしでいいの?」
「他の誰でもない、貴女が良いです」

貴女がそれを望むならば。

「わたしはうちゅうじん」
「そんな事を言ったら、僕だって超能力者じゃないですか」

僕はそれを叶える為に産まれてきたのだと、この全身全霊で嘘を吐きますよ。

「……そう」
「そうです。ふふっ。案外、似た者同士なのかも知れませんよ?」

吐き、貫いてみせます。
さぁ、準備は良いですか。世界で一番嘘吐きの、死ぬまで吐き続ける嘘です。

「帰ってきて下さい、僕達の元へ」

今度の今度こそ。キミの手を離さない。
コレは僕とキミの告白儀式(Heart To Heart)。

「帰ってきて下さい、僕の元へ」

愛する少女に告げる言葉なんて、世界のどこを探しても一つしか無い。

「愛しています」

僕の渾身の嘘よ、君に届け。

「結婚しましょう」

君にだけは、僕はヒーローでありたい。


君の部屋の扉のキーロックが外れる小さな音がした。
「……このドアを貴女が開けたら、もう後戻りは出来ませんよ」
ドアに手を掛ける音がする。そして、それを開ける事を中の人間が躊躇っているのが息遣いで分かった。
「当然でしょう。僕の辞書からはもう、自制などという言葉は無くなってしまっているのですから」
扉が半ばまで開いて、止まる。
「抱き締めますよ、その身体を。ああ、貴女が何と言われようと、です」
それは動かない。
「僕は……貴女が好きです」
それは動かない。
「お待たせしました。あの時の続きを、始めましょう」
僕はドアノブに手を掛けた。中に居る人がビクリと震えるのが、扉越しでも分かる。
「……もう、待つのは沢山ですよね?」
それを一気に引いた。ドアノブに手を掛けていた少女が突然のベクトルに耐えられずに飛び出す、僕の方へと。

抱き締めた。小さな身体を。小さな、小さな。力を入れれば折れてしまいそうなその身体を。力一杯、抱き締めた。

腕の中の少女を見て、微笑んで見せる。
「……有希さん、随分とお若くなりましたね」
「……にんげんねんれいにかんさんすると、6さいじそうとう」
「そうですか」
道理で予想以上に軽く感じる訳です。
「……そう」
「それが、僕の前に出る事を躊躇された理由ですか?」
「それもある」
「……不器用ですよね」
「ぶきよう?」
そうですよ。昔、貴女が僕に言ってくれたではありませんか。僕だって同じ事を貴女に対して思っていたというのに。
「僕は貴女がどんな姿であっても、それを貴女だと認識出来る限りは」
「できるかぎりは?」

「貴女を、愛します」

「わたしで……いいの?」
「貴女以外で、僕が愛する事の出来る相手が居ると本気で思うのですか?」
「でも……わたしは6さい……」
「それが、何か?」
「……あなたが、こまる」
「僕は一度でも困ると言ったでしょうか?」
君の身体を一際強く抱き締める。
「僕はけれど何度だって言いますよ。貴女を愛している、と」
僕の背中におずおずと、手が回される。
「僕を誰だと思っているんですか? ここに居るのは稀代の大嘘吐き。その真価はですね……」
君が顔を上げた。涙と、微笑でくしゃくしゃになった、けれど僕が見た中で最高の笑顔。

「その吐いた嘘が真実になってしまう所に有るのですよ」
君の為に、僕は、ヒーローにだって、なってみせましょう。
「僕は貴女の隣をずっと生きていきます。貴女が嫌だと仰っても、こればかりは絶対に譲りません」
「……いやなんかじゃ……ない」
君が瞳を閉じる。そして、ふっくらとした唇を開く。
「わたしのしあわせを……あなたにたくす」
「託されました。僕のしあわせを、貴女に託しても良いですか」
「……わたしでよければ」
「何度でも言うと言ったでしょう。それとも、甘えていらっしゃるのですか?」
少女の瞳からすうと一筋涙が流れる。僕はそれを綺麗だと思った。
「僕は、貴女が、良いんです」

「無駄だぜ、長門」
背後から声が聞こえる。これは彼の声。
「お前が服の中に隠してる短針銃はもう、耐用年数切れだ」
振り返る。少年が未来人の少女と僕達の神様を後ろに連れていた。息を呑む僕の腕の中からスルリと恋人が抜け出し、そして僕達と距離を取る。
「こいずみいつきがはつゆきのふるきょう、わたしをおもいだすかもしれないことはよそくのはんいないだった」
違いますよね。それは予測ではなく、貴女の願いでしょう?
「わたしのきおくは、あなたがいきていくうえでじゃまにしかならない」
震える腕で、少女が銃を構える。それは僕の左胸……心臓に照準を定めた。
「それをりせっとするのは、わたしのしごと」
「だから無駄だって言ってるのよ、有希!」
僕達の神様が叫ぶ。けれど少女は力無く首を振るだけだった。
「じょうほうとうごうしねんたいから、このひとをまもるためならわたしはなんだってやる」
少女の瞳から止め処無く、涙が流れる。ああ、本当に貴女は人間になられたのですね。
それが嬉しい。
「その情報統合思念体は涼宮さんが食い止めてくれます! だから、どうか止めて下さい!」
朝比奈さんが飛び出そうとするのを、彼が片手を出して制した。
「俺達の出る……幕じゃないかも知れませんよ、朝比奈さん」
僕は腕を空高く翳して、親指を突き出した。
「オイ、色男。決める場所くらい……テメェの女の涙ぐらいテメェの指で拭ってみせろ」
分かっていますよ、マイヒーロー。ここが僕の、大嘘吐きの一世一代の見せ場でしょう?
僕は僕の唯一の少女に向かってスタートを切った。
「SOS団根性、見せ付けてやりなさい、古泉君!!」
神様のエールが背中に届く。僕の身体は少女の力で更に加速して。
有希さんが、目を瞑った。
「……さよなら、わたしのたいせつなあなた」
そして少女は引き金を引いた。僕の胸に何かが突き刺さるのがはっきりと分かった。けれど、僕の身体は止まらない。
止まる、訳が無い。
後ろで歓声が上がる。

「やっちまえ、超能力者!! その分からず屋に、愛を叩き込んでやれ!!」
「絶対に止まっちゃダメよ!! あたし達の大切な仲間を、取り戻してみせなさい!!」
「古泉君なら、そんな小さな針一本には絶対に負けません!! 貴方は長門さんの、たった一人になるんでしょう!!」

当然ですよ。誰にモノを言っているつもりなんですか、貴方達は。
僕はこの銀河で絶対無敵のSOS団の副団長ですよ?
そして、誰あろう、この世界で一番愛らしい少女の……ヒーローなのですから。
「貴女の我が侭ならば、幾らでも受け止めて、それでも笑っていて見せますよ、有希さん?」
僕の少女が目を見開く。その大きな瞳に星々を詰め込んで。驚愕に、しあわせに、その色を染める。
「……なぜ? なぜ、あなたはたおれないの? なぜ、あなたはたっていられるの?」

「なぜ、あなたはわたしのことをおぼえていられるの?」
「決まっています」
僕はその細い頤に右手を添えた。上を向かせる。
「僕だけの神様が……貴女がそれを願ったからです」
そう言って、僕は腕の中にすっぽりと収まる小さな愛らしい神様にキスをした。
唇を、ゆっくりと離す。
「それ以上の理由が、有ったら逆に教えて頂きたいくらいですよ」
「……わたしは、あなたが、すき」
「……はい」
そして、僕達はもう一度キスをした。

「……抜け目の無いヤロウだな、お前はよ。……ったく、勝算の低い博打なんかよくやろうと思うモンだ」
彼がニヤニヤと、僕を見ている。
「いくらお約束と言ってもな……いつの間に指輪を仕込んでおいたんだ? なあ?」
「え?」
「それで……針が止まったの!?」
朝比奈さんと涼宮さんが驚いて声を上げる。僕は彼女を腕の中に抱き締めたままに笑った。
「だって、こういうのは貴方も言う通り『お約束』でしょう。それに……」
少女の左手を手に取る。僕は指輪を「左胸のポケットから」取り出した。
「ズボンのポケットから取り出すのでは、絵にならない。そうは思いませんか?」
彼女の白く透き通った薬指を、あの時嵌め損なった誓約に通す。

「遅くなりました」
「さみしかった」

「おかえり、有希!」
「ったく……おかえり、長門」
「おかえりなさい、長門さん」
少女が微笑む。僕も微笑む。
「おかえりなさい、有希さん」

少女は笑った。僕は笑った。彼女も彼も彼女も笑った。
「ただいま」
僕達は、ずっと……ずっとずっとずっと笑い合っていく。
この先ずっと、僕達はしあわせを続ける。

「だいすき」
「はい。僕もですよ」

僕はもう二度と、君の手を離さない。
「そのことばはうそ? それとも、ほんとう?」
「さあ、どちらでしょう。一つだけヒントを差し上げるとすれば」
「すれば?」
僕は少女の星瞬く大きな瞳を見つめて、微笑んだ。

「これはとても大切なこと、です」


「キセキレンサ」is closed.
& 「Heart To Heart」 is all ended.Thank you for your reading.
BGM「夏の燈火」by "Circle Mebius"


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