ハルヒSSの部屋
古泉一樹の情操教育 8

「あなたのしあわせになりたい」

「あなたとしあわせになりたい」

朝、目覚めて真っ先に疑問に思ったのは機関からの定時連絡が無かった事でした。
登校前、自室で朝食を摂っている、その半ば辺りでいつもならば新川さんから電話が入るのですが。
用件それ自体は変わり映えも当たり障りも無いつまらないものではありましたが、一応僕は雇われの身。その無意味なやり取りも業務の内でした。
今朝の涼宮さんの精神状態はどうか。今後どの様なイベントが考えられるか。僕、古泉一樹は今日一日をどう過ごせば良いか。といった取り留めの無い内容を数分行い、機関との間に共通認識を得るのが目的です。
雇い主からしてみれば僕に首輪を着けているつもりなのかも知れません。しかし、その窓口が気心の知れた老紳士であれば、その目論見は見事に失敗していると言わざるを得ないでしょう。
例えば文化祭が迫っていたり、夏休みが間近であった頃などはそんな会話にも幾ばくかの意味は有りました。しかし、涼宮さんの精神が安定している今日この頃となっては、そんなものは殆ど形骸化してしまっていました。
最早、僕にとっては定例な二度目の目覚ましベルと言っても、言い過ぎではありません。事実、新川さんも機械的に淡々とテンプレートな質問を続けるだけになっていた事から、彼が何を思っているのかも容易に想像が付くと言うものです。
だが、今朝はそれがありませんでした。心のどこかに少しばかりの引っ掛かりを感じつつも、気にする事では無いでしょうか、と思い直します。
最近は平和でした。閉鎖空間の発生も非常に少なく、僕の携帯電話が鳴る回数も右肩下がりです。あの新川さんとは言え気が緩んでしまうのも無理は無いでしょうし、咎めるべきでもありません。
彼は常日頃、良くやっていらっしゃいます。
こんな小さな失態で、僕の中での彼の評価が覆る筈もありません。
僕は制服に着替えると、カレンダーを見ました。殺風景な部屋に、不似合いな子犬のカレンダーは支給品です。捨てても良かったのですが、飾っておいた所で邪魔になる物でも無く。
元々、この部屋には物が圧倒的に少ないのです。いわゆる趣味と言える物が僕には殆ど無いせいで物が増える事も有りませんでしたしね。
カレンダーの上半分では白い犬が雪と戯れていて。季節感はそこと、玄関脇に掛けられたコートくらいからしか匂っては来ませんでした。

今は冬。
クリスマスを一週間後に控えてはいましたけれど、今年もと言うべきでしょうね、そこに機関の思惑が介入する余地は有りません。
涼宮さんは仲間内のみで盛り上がりたがっていらっしゃいました。理由は何と無く分かります。
人数が増えればそれだけ彼と二人きりになるチャンスが減るから、でしょう。
ありがたい事です。周りを巻き込まずに動いて頂ければ僕も余計な事を考えずとも済みますので、ね。
今年も彼と彼女の友人として、その恋路をバックアップする事だけを考えていれば良いのです。
何と言いますか、まるで同年代の一般高校生の様だなと苦笑を禁ぜざるを得ません。
……こんな時間がずっと続いていけば良いのに。こんな穏やかな、時間が。
出来れば彼と彼女にはこの機に恋仲へとステップアップして頂ければ幸いでしたが、しかし焦るまでも無いと考え直します。僕が見ている分ではそれは時間の問題でした。
となれば、僕は彼の友人として、SOS団の副団長として、思う所をやれば良い。只の高校生の様に。
……それだけ考えていれば、良いのですよね、キョン君?

十二月十八日。この時の僕はまだ何にも気付いていませんでした。
そろそろ雪も降ろうかと言う、ある寒い日の話。

いつもの様に坂道を登る。少し遠くに朝比奈さんが鶴屋さんと話しながら歩いているのが見えました。
声を掛けようかとも少し逡巡しましたが、しかし気心の置けない女性同士の会話に混ざり込むのは無粋と言うものでしょう。僕はその背中を見送りました。
下駄箱で革靴を脱いで、内履きに履き替える。いつもの様に教室へと入り、級友と何でも無い会話をする。そうこうしている内に担任がやって来てホームルームが始まる……。
いつもと変わらない、いつもと同じ日常。繰り返される日常。
けれど、世界は確実に変わっていました。少なくとも「いつも」では決して無かったのに。
気付くのが遅いと、言わざるを得ません。ええ、我ながらうかつ過ぎました。
平和ボケをしているのは決して新川さんではなく、僕の方だったのだと、知ったのは昼休みになってからになります。

授業を受けながら、僕はクリスマスに彼と彼女にどんな余計なお世話をしようかと考えていました。我ながら井戸端会議を日課とする主婦の様な下世話さだなと苦笑せざるを得ませんね。
しかし、それが僕の仕事であり、延(ヒ)いては世界平和に繋がるのですから、余り責めないで頂けると助かります。
一組の男女の仲が世界の命運を握っている、この世界はそう考えるととてもロマンティックではないでしょうか。おっと戯言です。本題に戻りましょう。
僕は思い付いたちょっとしたサプライズを彼に打診する為に携帯電話を開きました。アドレス帳を開き……。
そこでようやく、僕は世界の異変に気付きました。

アドレス帳に彼の項目が無い。
いえ、彼だけでは有りません。
長門さんも、朝比奈さんも、鶴屋さんも、新川さんも、森さんも、田丸さんも、会長も……そして涼宮さんのものも。
携帯電話のメモリーは降ろし立てのドレスシャツの様に、まっさらでした。

「あなたとおなじ、いきものになりたい」

「あなたとおなじ、じかんをいきたい」

どういう……事ですか、コレは。
フリーズ。頭が上手く働かない。脳が真っ白になっているのが手に取るように分かります。
「オイ、古泉? お前、顔色真っ青だぞ? いつも笑顔のお前らしくないんじゃないか?」
クラスメイトが僕に聞いてきます。ですが、構う事は出来ませんでした。
「……少し……用事が出来ました。ので、お昼は僕抜きで……折角誘って頂いたのに……すみません」
「お前がいないと女子を輪に入れづらいんだけどな……分かった。じゃあなー」
僕は彼の言葉には答えずに、無言のまま教室を後にしました。地面がぐらぐらと揺れているように思えたのは……錯覚でしかないのでしょう。
そう、歪んでいるのは、僕の現実。そんな事は分かっていました。
壁に手を突きながら、僕は夢遊病者の様に歩きます。目指すのは……彼と彼女の居る教室。

廊下から室内を覗き、そして愕然としてしまった。しかし、それをどこかで予測していた自分が居たのは……有機生命体であるが故の矛盾と言ったところでしょうか。
そうでなければ良いと、最悪を予期しながらもそれを裏切られる事を、思っていた以上に僕は期待していたのかも知れません。
彼と彼女が在籍しているべきそのクラスの、有るべき場所に有る筈の机が二つ、不自然に、そして当然の様に消えていました。
そして誰も、それを不自然に思っていない。そのエアスポットと呼べる空間に座り込んで談笑する少年達。それに困惑しているのは唯一人。そう。僕だけ。
その現実に直面して、そこで初めて僕は確信しました。
この世界は、誰かの手によって確実に改変されている。その、非常事態に。

思い返します。しかし、こんな事態が起こりそうな予兆に思い当たる事は出来ませんでした。
最近の涼宮さんは上機嫌と言う言葉をそのまま体現したように明るかった。少なくとも昨日の団活動終了までは彼女は閉鎖空間すら創り出す気配が見受けられなかった筈です。
しかし。ならば、これはどういう事です?
僕は担任から借りた在校生名簿一覧に目を通しながら自問する。
二年五組。そこからは彼と彼女の名前だけが見事に消えていた。その分の補充すらされていない、余りにも雑な世界改変の名残が見て取れて。
例外としての特進を除いた他のクラスより、二年五組には明らかに人数が足りていなかった。普通、クラス分けでは全てのクラスの人数が均一になるようにするにも関わらず、です。……つまり、間違いは無い。
僕が長い夢を見ていたという、そんなオチではどうやら無いようです。念の為に転校した生徒がこのクラスに居ないかも確かめてはみましたが、そんな生徒はいなかったと返された以上。
この世界は彼と彼女が居ない前提で創り直されている。
……ですが、疑問が一つ。
そう、これは最大級の矛盾。この世界でこれよりもオカしな事は無いと言っても良い筈です。

なぜ、僕……古泉一樹が元の世界を覚えているのか?

本来、こういった事件に巻き込まれるのは僕の役では無い。コレはずっと彼の立ち位置でした。にも関わらず。
只の傍観者であった筈の僕が。物語のキーマンにこそ成れ、決して主役とは成れない筈の男が。
なぜ、彼の役を横から奪って、ここに愕然と立ち尽くしているのでしょうか。
一体全体、訳が……分からない。
それとも、彼は彼でこの世界のどこかで記憶を所有しているのかも知れません。
まだ出会っていないから何とも言えませんし、そもそも彼がこの世界に居るのかも怪しい話でした。しかし、もしも居てくれるので有れば、これほど心強い見方はいらっしゃいません。
……そう言えば。僕は朝の登校時に朝比奈さんを見かけていた筈です。後姿がそっくりの別人とは、鶴屋嬢を伴っていた以上考えにくい。
朝比奈みくるはこの改変世界にもしっかりと存在している。であれば。彼女が向こうの記憶を持っている可能性も十分に考えられます。

そうです。僕だけが記憶を保持しているのではどうにも不自然と言えました。
僕は決して主役には成り得ない監視者(スケアクロウ)。特別扱いをされるのは彼だけでしかない。
その僕が記憶を有しているのなら。涼宮さんを除いたSOS団全員が「覚えている」と考えるべきです。
何度だって言いますが。僕が決して物語の主役とは成り得ない男なのは、誰よりも自分が良く理解しています。
そう。横から覗き込んで神の顔色伺いばかりをする僕には、面白みも無い語り部がお似合いでしょう。それこそ自動で本を朗読する図書館の備品の様な役柄で、それで十分です。
僕は同じくあちらを覚えている同士が居る筈の、上級生のクラスへと足を向けた。

入り口の近くに居たのは機関のスポンサーのお嬢さんでした。彼女に微笑んで語りかけます。
「こんにちは」
「おや、こんにちは。初めまして、かな?」
……どうやら彼女も記憶を改竄されているようです。なるほど。正規のSOS団以外はそれを許可されていないのですね。
「ええ、初めましてになります。古泉一樹です。どうぞ、お見知りおきを」
そう言って手を差し出す。彼女は僕の手を握り返すとそれを上下にシェイクした。
「うん、よろしく」
「朝比奈みくるさんは、いらっしゃいますか?」
「ほえ? みくる? おんやあ、年上狙いの後輩クンがやって来た感じかなあ〜ん?」
鶴屋さんが眼をにやにやと、まるで猫の様な三日月形に変えておっしゃったのに対し、そんな所です、と僕は努めて不信感を煽らない様にあっさりと告げました。
「おけおけ。正直な子は好感が持てるにょろよ? ほいじゃ、ちょいとそこで待ってるっさ〜」
言われた通りに廊下の壁に寄り掛かって待ちます。少し……いえ、かなりの期待をして、いなかったと言えば嘘になるでしょう。
この記憶が本物なのか、否か。僕が狂人ではない。その決定的な証拠が欲しかった。
正直に言いましょう。僕は今回の事態に少しばかり参ってしまっていました。
ですので、朝比奈さんの姿を再び見る事が出来た時には、心が躍りました。作り笑顔は二割り増しになっていたかも分かりません。
しかし現実は予測を上空三千メートル程飛び越えていました。一分もしない内に教室から出て来た未来人の少女は……結論から言うと未来人では有りませんでした。
もう、僕の顔を見た時の、その怯えた表情で全てに決着が着きましたね、ええ。ついで少女が口にした「どちらさまですか?」の一言がトドメとなって。

……どうやって教室に帰ってきたのかも覚えていません。
気付けば本日最後の授業が終わっていました。

僕はぼんやりと、外を眺めていました。気が抜けてしまったジンジャーエールの様に、心の中は飲み下せるような物ではなくなってしまっていて。
この世界には……少なくとも北高には彼と彼女は居ない。だから未来人は必要無いし、超能力も恐らく存在しないのでしょう。機関が有るのかどうかは分かりませんが、しかし、存在していたとしても僕と無関係なのは確実です。
いや、まだ諦めるのは早いかも知れません。……接触していない勢力がもう一つ有ります。
そうです。宇宙人は? 一体この世界ではどうなっているのでしょう? 涼宮さんが居ない以上、彼女もその属性を失っているのでしょうか? それとも、消えてしまっているのでしょうか?
僕とした事が完全にしくじりました。在校生名簿を見た時に長門さんの名前を確認しておかなかったなんて。
だが、もしも消失を免れているとしたら。彼女が居ると思われる場所は唯一つ。
今から行けば。まだ彼女は居るだろう。下校するには、時間的に少し早い。

彼女なら。この異常事態に有りながらも、超然と存在している可能性は十分に有る。

そこに思い至った時、僕は廊下を駆け出していました。
ああ、通学鞄を持って来るのを忘れましたが、しかしそんな事には構っていられません。
僕は一刻も早く、向こうの世界との繋がりを手に入れたかった。

僕は長門有希に、会いたかった。

「あなたといっしょにいきていたい」

「あなたのとなりをいきていたい」

文芸部室前。当然の様にそこに「SOS団」の張り紙は有りません。
扉を開ける事を躊躇している自分に気付きます。
……ここがダメなら……僕は……否。弱気になってはいけない。こんな世界は有ってはならない。ここは僕が居るべき世界じゃない。
僕は……彼女の元へ戻らなければならないのです。半ば義務感の様なものが僕の身体を突き動かしました。
そして僕は嫌な想像を振り払うように、部室の扉を一気に開いて。

「……居て……くれたんですね」

果たして部屋の中には望んだ通りの人がいらっしゃいました。
驚 い た 表 情 で 口 を 開 き 、
眼 鏡 の レ ン ズ 越 し に 僕 を 凝 視 す る 長 門 有 希 。

「……僕の事をご存知ですか?」
震えそうになる声を必死に隠し通し、なんとかそれだけを紡ぎます。
「……」
長門さんが僕を見ていた。まるで朝比奈さんが乗り移ったような怯えた表情を伴って。それを見た僕の心の中にドス黒い絶望が広がっていくのが……。
「……この線も、アウト……ですか」
一人ごちる。俯いて溜息を吐く僕に、予想外の言葉が降りました。
「……知っている」
希望の女神。それが僕の前に舞い降りたように思えましたね。ええ、いささか表現がオーバー気味に聞こえるかも分かりませんが、しかし、事実としてここまで安堵したのは産まれて初めてでしたよ。
「……実は僕も貴女の事を知っているんです。少々お話を、よろしいですか?」
後から思えば、僕は完全に思考回路を麻痺させていたとしか考えられません。
まるで人間(ボクタチ)の様に表情を持つ少女。その人を長門有希だと、何をどうして思い込んでしまったのか、正直事後になってから考えるとぞっとします。
恐らく、それ程までにこの時の僕はこの世界に動揺していたのでしょう。
僕はまるで長門さんの様な事を、彼女に伝えました。どこかの神様が考えた、出来の悪いSFの設定を口から出るに任せてすらすらと。それは止め処無く溢れ出て。
きっと「そうであって欲しい」という気持ちの現れだったのだと思います。この時の僕は、古泉一樹というキャラクタを放棄していましたから。
「……結論。貴女は宇宙人ですね?」
少女は俯いて何も言わない。僕は彼女の肩を掴んで引き寄せた。
「どうなんですか!?」
自然、荒くなった声に、少女が身を縮み込ませる。そして彼女は一分以上たっぷりと沈黙した後、彼女は言いました。
「……ごめんなさい」
足元が、崩れいく感覚、と言うのはきっとこんな感じなのでしょう。

「あなたが九組の生徒であるという事は知っている。時折、見かけたから。でも、それ以上は……」
何て……事だ。
「わたしは……ここでは初めてあなたと会話する」
……この長門有希は、僕の知っている長門有希では、ない。
「涼宮ハルヒという名前に覚えは有りませんか?」
搾り出した言葉に、彼女は首を振った。確定。彼女は「違う」。あの長門有希は、こんなにはっきりと首を振る事など、ない。
「……ない」
「……そう、でしょうね……」
向こうの世界との繋がりは、絶たれた。この世界は、完全に改変されていた。彼と、彼女の居ない世界。そして、彼女が、彼女ではない世界。

超能力すら持っていない、少なくともその行使出来る場所が感知出来ない。
僕に……只の人間に、そんな状況で一体何が出来ると言うのでしょうか。

「マジで……ですか」
両脚から力が抜けていく。僕はその場に座り込んだ。
床が……冷たい。冬だから、当然だけれど。その冷たい床に、身体の全てを預けたくなってしまう。どうしようもない倦怠感が血管を介して全身を巡っていた。
「っ……大丈夫……? 椅子……使って?」
少女が僕に向けてパイプ椅子を動かしてくれる。僕は立ち上がって少女の手を握り締めました。
「……本当に……本当に僕の言っている事に心辺りは無いんですか!? 一つも! これっぽっちも!?」
少女は眼を背けました。とても、悲しそうに。

「……放して」

白い頬には朱が走り、息を乱して肩を震わせる少女。
……この子は、僕の知っている長門有希では……決して無い。その希望は、有りはしない事に、再度気付かされる。
まるで脳を直接叩かれる様な強い貧血に襲われて、僕は顔を覆った。
「すいません……狼藉を働くつもりでは……ありませんでした。確認したい事が……有ったんです」
必死に心拍を抑え付けます。冷静になろうとして部室を見回して……。
……零細文芸部、ですか。
SOS団の痕跡はどこにも見られない。朝比奈さんが持ってきたお茶を淹れる用具一式、涼宮さんの「団長」と書かれた三角コーナー。僕と彼の時間をこれでもかと飲み込んだ各種レトロゲーム。
そういった、向こうの匂いがする物は、一つとして見られない。
……ふと、本棚に眼が行った。そこだけ、何かオカしな気がした。そこだけ、何かが決定的に矛盾している気がした。

「……長門さん」
「何?」
「……これは?」
僕は本棚の一つを手に取る。上下の棚に並んでいる物に比べて、それは明らかに薄い。
「それは前の文芸部の人達の置いていった物。その人達はわたしと入れ替わりに卒業されたから、顧問の先生から聞いた話だけど」
「……そう、ですか……」
「オリジナルの小説を書く、その資料にしていたって聞いた」
……違います。それは只の「設定」ですよ、長門さん。
「そう……くくくっ……あははははははははっっ!!」
見つけた。向こうの世界とこちらの世界を結ぶ、僕を除いてたった一つの特異点。
「最初は……そうそう、シンデレラでしたね! ふふっ……そうか。そういう事ですか、長門さん……ふふふっ」
やっと見付けた手掛かりに、僕は笑いを堪え切れなかった。

シンデレラ。
三びきのこぶた。
泣いた赤鬼。
うさぎとかめ。
はだかの王さま。
オズの魔法使い。
かぐや姫。

その棚には、見覚えの有る絵本が並んでいて。
そして、その最後に有ったのは。


『古泉一樹の情操教育』


『第八話』

『うらしまたろう』


僕は本を手に取るとそれをパラパラと捲った。思った通りに。それの最後は尻切れトンボで。
「ねぇ、長門さん」
「何?」
「少し、お話しても良いですか?」
さっきまで興奮していた、僕の心は幾分落ち着いていました。静かに椅子を引いて腰掛ける僕。
「……構わない」
少女は答える。その声に少しだけ臆病の色を乗せて。
台詞回しは同じなんですが……ね。
「イントネーションだけでこうも印象が変わるものですか」
奇異奇矯を見る眼で、僕は彼女を見ていたらしい。少女が僕から視線を逸らし、身を小さくした。
「ああ、こちらの話です」
「……そう」
「貴女が知人と良く似ていらっしゃったので、つい見入ってしまいました。不躾な視線に、気を悪くされたのでしたら謝ります」
「気にしていない」
言葉とは裏腹に、彼女は僕と視線を合わそうとしない。……ま、先程までの自分の奇行を思い返せば当然でしょうか。
しかし、少し寂しいですね。
「謝りついでに。どうもその所為か、気が動転していたようでして。失礼をしました」
「大丈夫」
彼女は首を振った。
「そう言って頂けると助かります」
意識して笑顔を作る。少女がちらりとこちらを見た。
「……良かった」
僕とは決して相対せず、けれど彼女はにっこりと笑う。
「貴女には……笑顔がよく似合いますね」
僕の言葉になぜかパソコンの陰に顔を隠す少女は、頬を少しばかり赤くしていた様な気がしますが……それは見ていなかった事にしましょう。
それにしても……本当に、初めて知りましたよ、貴女が笑うとあんな表情になるんですね……。
……長門、さん。
「それなりに付き合いは長い筈なんですが……こればかりは仕方が有りませんか」
彼女は産まれたばかりの赤子。感情を知るのは、これから。
だから……これは都合の良い、夢。
「何の話ですか?」
パソコンの向こうから問い掛ける声。僕は苦笑した。
「夢物語ですよ」
そう。誰かが「こう在りたい」と願った末の悪夢。

「……そう言えば長門さん」
「何?」
「以前、どこかで会いましたか?」
少女の態度は初対面の男に向けるにしては……少しばかり警戒心が薄い気がします。
普通、ここまでの狼藉を働けば有無を言わさず逃げるような気がしますが。
「……図書館。覚えてない?」
覚えている訳も有りません。この世界に来たのは今日が初日です。
「……すみません」
「貸出カードを作ってくれた」
貸出カード……ああ、図書館で蔵書を借りる時に必要になるアレですか。
「そう、でしたか」
「わたし……ああいうの苦手だから。凄く、助かった」
彼女はデスクトップパソコンの向こうから顔を出した。そして頭を下げる。それを酷く、不愉快に感じたが、顔には出さない。
それは……彼女にそれをしたのは僕じゃない。彼だった筈で。
その役が僕に置き換えられている事実。
再確認。この世界は、歪んでいる。
居るべき人が居ないから、その皺寄せが来ているのでしょう。早急に、無理矢理に創り出した事に起因している矛盾感が、この世界に招待されたのだろう僕には否めなかった。
「あなたは覚えていないかも知れないけれど……ありがとう」
その言葉を受け取るべきも彼だ。気付かれぬ様に、奥歯を噛み締める。そして、言葉を紡いだ。
「覚えていない以上、僕ではないかも知れませんが……もし『その人』に会ったら伝えておきますよ。そして彼の代理として、返礼を。どういたしまして」
それはまるで、三文芝居を見ているような、現実でした。

「……えっと、話……?」
ああ、そうでした。話が有るんですよ。が、その前に……ですね。
「一つ、聞いてもよろしいでしょうか?」
「良い」
僕は手の中の絵本を振った。
「……浦島太郎、って読んだ事有ります?」

「……有る……けど」
「結構です」

僕は絵本を開いた。まるで子供に読み聞かせる様な気分だった。こうする時のこの感覚は不思議と、嫌いではありません。
「彼女」を相手に散々とやりました。せがまれるままに、一度として拒まず。その理由はどうやら僕の方にも有りそうで。
どんな世界でも、彼女が僕に望むのは同じなのかも知れません。
そう、彼女の中で少しづつ開いていく感情のつぼみに。水をやり、世話をしていきたいと、僕は思っている。だから。
何度でも、読んで聞かせる。何度でも、ハッピーエンド。何度でも、君に笑顔の種を撒く。
嘘で構わない。僕は所詮、嘘吐きです。得意な事は嘘を吐く事。世界を騙すのが仕事の道化。
世界に比べれば、宇宙人を騙す事なんて。

僕には造作も無い。そうでしょう?

だから、聞かせる。僕の大切な少女が、世界に絶望しない様に。
嘘が、偽者が。現実に、本物に。敵わないなんて誰も決めてない。
そう信じている。だから、聞かせる。
嘘で塗り固めた、僕に出来る、僕にしか出来ない情操教育を。

僕の大切な少女が、いつの日か、本当の意味で笑える様に。

「ある所に、宇宙人が居ました」
「え?」
少女が驚愕の声を上げます。予想通りのリアクションは……ちょっと嬉しくなってしまいますよ?
「あの、浦島太郎の話じゃないんですか?」
クスクスと、漏れ出るくぐもった笑い声は……ああ、これは僕の物ですか。
「少しの間、置いておきましょう」
絵本に目線を落としたままで、呟く。
「僕は回りくどい話し方が好きでして。まぁ、余り自覚は無いのですけどね。それで良く、友人に叱られたりするんですよ」
彼が本題を急かす声が鮮やかに脳内で再生される。ですが、ダメですよ。子供に読み聞かせるのに、焦りはいけません。
この世界に居るのかどうかも分からない少年の、記憶だけとなっても存在を主張するその強さが可笑しくて笑ってしまう。その僕に同調する様に、少女の笑い声が重なった。
「……ユニーク、ですね」
「ああ、それも良く言われます」
そちらは彼女から。目の前に居る少女と同じ顔をしたヒトの口から。
「思っていたよりも、面白い人……古泉さん」
「ん? そう言えば僕、貴女に名乗りましたか?」
少女が笑うのを止め、俯く。その顔は今度こそ見間違え様も無く赤く染まっていています。
……ふむ。この話題は止めておいた方が良さそうですね。
「ま、僕が貴女の名前を知っている以上、オカしな話ではありませんね。大方、図書館で出会った時にでも、名乗り合ったのでしょう」
そういう事に、しておきましょう。

「……えっと、浦島太郎は実は宇宙人で、その宇宙人が亀を助けるんですか?」
少女は恐る恐る口にする。長机に肘を突いて、その想像も面白いかな、と思考を走らせるましたがしかし、ストーリーは既に細部まで決まっていて、変更は利きそうにありませんでした。
「ふふっ。その発想は面白いですね」
トントンと、人差し指で頬骨を叩く。見る見る内に彼女は萎縮していった。
「え? えっと……えっと……」
「残念ながら」
僕は話し出す。
「浦島太郎さんはまだ出番待ちで楽屋にいらっしゃいます」
「……古泉さんって、やっぱり面白い人なんですね」
少女の表情がクルクルと変わる。今はまるで白百合の様に笑っていた。そんな笑顔を、僕はなぜだろう、切なく思った。

本当は、「君」に最初に見せて貰いたかった、なんて。

「とある宇宙人が、とある地球人に恋をしました」
それはまるでおとぎばなし。
「そんな事って有るんですか?」
言葉少ない貴女が教えてくれたおとぎばなし。
「僕も少々自信が有りません。でも、未来にはそうなってしまっているみたいでしたね」
誰もが笑うおとぎばなし。
「まるで自分の事みたいに話すんですね」
だけど僕は笑わない。
「ええ。長門さんは宇宙人が恋をする、なんて可笑しいと思いますか?」
僕は信じられる。
「……」

「嫌いじゃない」
少しづつ感情に目覚めていく、貴女の横顔を見ているから。

「さて、恋する彼女……彼でも構いませんが。兎にも角にも宇宙人が今、僕の手の中に有るこの『浦島太郎』を読んだとしたら、何を思うでしょう?」
少女は少しだけ笑った。
「発想が突飛過ぎて……」
……かも、知れません。ですが、事実は小説より奇なりとは金言なんですよ。
「ヒントを、下さい、古泉さん」
ヒント、ですか……。
「そうですね。些(イササ)か境界条件が足りていませんでした。僕とした事が」
少女がまた、クスリと笑いました。理由は分かりませんが、笑うのに理由は要らないのかも知れません。
「宇宙人と地球人の間にはどうしようもない決定的な差が有ったんですよ」
少しばかり僕の言葉に考え込んだ少女がその形の良い口を開きます。
「……身体の違い、ですか?」
「間違ってはいません。もう少し詳しく言いますと……『寿命』です」
「そっか……そう、ですね」
「宇宙人がどれだけの長生きをするのかは良く知りませんが、少なくとも想い人が死んだ後も長い時間を生きる事になると僕は推測します」
彼女は、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェイスは、一体どれだけの耐用年数を持っているのでしょうか。聞いた事は有りませんけれど、あの口振りでは僕より長い寿命を持っているのは確実でした。
僕が少し思索に耽っていると、少女から質問が飛びます。
「……宇宙人に知り合いが居るみたいに話すんですね」
みたい、どころの話では無いのですが。しかし、僕はそれを口には出さず、代わりに嘘にしか聞こえない真実を話す。
垣間見せられた、いつかの欠片を言葉に載せる。
「未来の、花嫁ですよ」
本当に、嘘みたいな未来で笑うしかないけれど。
希望と期待。しあわせで、笑うしかないけれど。

「『浦島太郎』を読んで彼女はきっと……」
「……きっと?」
想像でしか有りません。しかし、確信していました。恐らくこれが今回の事件のトリガ(引き金)だと。
「乙姫を自分に、浦島を恋人に準(ナゾラ)えたのではないでしょうか?」
少女が俯いた。少しの沈黙が部屋を支配する。パソコンが駆動する、排気音だけがヤケに耳に付いて。
次に声を発したのは、僕ではなかった。
「……生きている時間の違いを『浦島太郎』を通じて再認識した、という事?」
「正(マサ)しく」
僕は頷いた。

浦島太郎、という物語の特異性。
このおとぎばなしは『体内時計の差異』について触れている、昔話にしては非常に珍しいタイプのものだそうで。
だからこそ名作として語り継がれている訳です。
では果たして、そのおとぎばなしに、地球人とは違う時間を生きる「彼女」ほどその存在がシンクロする方は、これまで居たでしょうか。
まるで、「彼女」に読まれる為だけに創られた物語だと、思うのは僕の考え過ぎですか?

「……すいません。初対面同然の貴女に、こんな変な話をしてしまって」
少しだけ頭を上下させる。
「……大丈夫。楽しんでる……から」
「そう言って、頂けると助かります」
微笑みを顔に浮かべると、少女が顔を赤くして眼を背けました。……僕は今、何かしたでしょうか?
いえ、良いでしょう。それを気に留めるよりも、先にやるべき事が僕には有りますし。
それは即(スナワ)ち、彼女の考え違いを正す事でした。

「そうですね……多分、今回の原因は、この絵本の結末不十分に端を発しているのでしょう」
目前の少女が眼を丸くする。まるで訳が分からないと、その瞳は何より雄弁に語っていました。
「今回? ……結末不十分?」
「そうです。浦島太郎は箱を開けておじいさんになってしまいました。こんな終わり方では彼女が考え違いをしてしまうのも、無理は有りません」
そうして彼女は世界の変革を、自分が只の人間である世界を創り上げた。
そういう事なのではないだろうか?
もしも、この手の中の絵本に、きちんとした結末が描かれていれば。多分、この事態は起こり得なかったのでしょう。

「……おじいさんになってしまいました。それが浦島太郎の終わり……」
「それ、違うんです。実はこの話、続きが有りまして」

「え? 続き?」
「浦島はこの後、鶴になるんですよ」
絶望した太郎は玉手箱を開け、三筋の煙が立ち昇り太郎は鶴になり飛び去った。それが御伽草子で付け足された結末。

「え? え?」
少女が驚愕を顔に出す。僕は手の中の絵本を人差し指で弾いた。
「知らないのも無理は有りません。そこまで描写が為されていない媒体も多いので……ね。丁度、この絵本の様に」
「えっと……なぜ、鶴?」
「二通りの解釈が有ります。一つ目は老衰の暗喩」
「鶴が死をイメージさせるのは……なんとなくですけど、分かる……」
「フランダースの犬の最終回を思い浮かべて頂ければよろしいかと。死んでしまった、と直接表現ではなくする事で広く受け入れやすくしたのかも知れませんね」
「やっぱり、竜宮城に行ったせいで、浦島は死んでしまう……の?」
「いいえ」
「え?」
「先程、解釈は二通りと僕は言いましたよね」
まるでシンデレラの話をした時の様だと思う。あの時、僕の話を聞いてくれたのは目の前の少女では無かったけれど。
同じで、違う。

『そうしたいのは山々。しかし、貴方の相手は私であって私ではない』
『私には私の貴方が居るように』

そう……いう事ですよね、長門さん。

「もう一つ?」
「ええ。むしろ、そちらが本題です」

「浦島が助けた生き物って何か覚えていますか?」
「亀ですね」
「結構です。では、鶴と並んで長寿の縁起物とされている生き物は何でしょう?」
「……亀、です」
僕は頷いた。そして問う。
「ですね。さて、最後にもう一つ質問です。乙姫は何の生き物の変化と言われているか知っていますか?」
「……それも亀?」
そう。そしてそれが貴女が抱いた疑問への、僕なりの答えです。

「これは独自解釈では有りません。古典研究者のれっきとした説なのですが」
前置きをして話し始める。少女は静かにパソコン前の椅子に座り、僕を見つめていた。
「乙姫と浦島は竜宮で夫婦となったらしいんですよ」
「……知らなかった」
「子供向けの絵本には当然書いてありませんが」
「結婚していたという事? 乙姫と浦島が?」
「はい。浦島が地上に上がったのは母親への結婚報告だったという話です」
「神様と……人間ですよね?」
少女の疑問も分かる。ましてや、その本来の姿が「彼女」であったのなら、尚更だろう。
宇宙人と地球人は結ばれない。彼女は強く、そう思い込んでいる。
だから、僕は努めて軽く言う。そんな事は障害でも何でも無いと、少女の背の向こうに居る筈の「彼女」に教える為に。

古泉一樹の情操教育、と。そう言った所でしょうか。我ながら、なかなか悪くないタイトルセンスではありませんか?

「ギリシャ神話等を見ましても神と人の婚姻はそれ程有り得ない話では有りません。混血の子供が主人公の話も、そう珍しくは有りませんね」
「……聞いた事は有ります。ペルセウス、でしたか?」
「ヘラクレスも、そうですね」
僕は一つ、わざとらしく咳をして話題を変える。
「である以上、宇宙人と地球人が結婚しても良いのではないのかと僕は考えるんですよ」
神と人に比べれば、その距離など高が知れている。僕達の恋愛は、そんなに絶望的に見えますか、長門さん?
僕には、とてもそうは思えません。
「……寿命の問題は?」
少女の問いに、僕の口の端は自然と吊り上った。
「解決済みです」
「えっ?」

「言いましたよね。浦島は鶴になったんです。亀と並ぶ、長寿に」
「……あ」
「浦島太郎の元となった話では、鶴と亀はそのまま永遠を連れ添ったそうですよ」
「……永遠」

亀は万年の齢を経、鶴は千代をや重ぬらん。

「ねえ、長門さん」
「……何?」
「貴女が人間になった理由は僕にも分かります」
少女が沈黙するのを良い事に、僕は言葉を続ける。
「僕に近付こうとしてくれたんですよね?」
少女が悲しそうに、眼を伏せた。
「……何の話か分からない」
「分からなくても構いません。しかし、どうかそのまま聞いて貰えますか? この、嘘吐きの戯言を」
「……はい」
「ありがとうございます」

「貴女は人間になろうとしてくれた。いや、なってくれた。僕の為にである事は理解しています。でも、少しだけそれが寂しいんです」
少女は身を震わせて、ただ僕の話に耳を傾けてくれている。
ありがとう。
「ですが、なんで僕を信じてくれなかったんですか?」
少女を通して、その背に居る「彼女」に話し掛け続ける。
「僕は言いましたよね。貴女を決して一人にはしないと」
きっと、「彼女」には聞こえている筈だと、そう信じて。
「僕は嘘吐きですが、大切な事には決して嘘を吐かないと、そう言ってくれたのは貴女では有りませんか。それ以降、僕はその言葉を誇りとして生きていこうと決めたのに」
……ねえ、長門さん。僕を只の嘘吐きにしないで下さい。

「なれば、なぜ僕を鶴にしてくれなかったんですか?」

「古泉……さん」
「僕は貴女が貴女でなくなる事の方が、余程辛いんですよ?」

「長門さん」
「はい」
「僕は、ありのままの貴女が、一番好きですよ」
「……はい」
「宇宙人である事も、個性でしかないでしょう?」

気付けば、少女の瞳から涙が零れ出していた。それはまるで、溶け出した雪。

「ねえ、長門さん」
「……何?」
「僕は貴女にとって、そんなに信じられない男ですか?」
「……そんな事は……無い」
「ならば、帰ってきて下さい。僕達の元へ」

気付けば、少女の眼は「彼女」の眼へと変わっていました。全てを飲み込む、ブラックホールの様な、よく見慣れたあの瞳に。


「帰ってきて下さい、僕の元へ」
今度こそ。これは告白儀式(プロポーズ)。

その場しのぎの嘘では無い。拙(ツタナ)い僕なりの、誠心誠意の。

告白儀式(ハートトゥハート)。


「僕は、古泉一樹は、ありのままの貴女を、受け入れます」
「……良いの?」
「ええ。永遠、結構じゃないですか。貴女と二人なら、恐れる必要など有りません。そうでしょう?」

「……古泉一樹」
「……はい。なんですか、長門さん?」

「…………貴方は………………ユニーク」
「そう言うと、思っていました」

「少女」と「彼女」の狭間で、僕は初めて「彼女」の笑顔を見た気がした。
それは眼からの途切れる事無い涙を伴ったものではあったけれど、とても、綺麗な微笑みだった。

「こいずみいつき」
はい。

「しあわせになりたい」
分かりました。僕が貴女のしあわせを請け負います。

「あなたのしあわせになりたい」
もう、既にその願いは叶っていますよ。

「あなたとしあわせになりたい」
では、一緒にしあわせなりましょう。

「あなたとおなじ、いきものになりたい」
もう、既にその願いだって半ば以上叶っていると思いません?

「あなたとおなじ、じかんをいきたい」
こうして語らっているのが、同じ時間を生きている証拠ではありませんか?

「あなたといっしょにいきていたい」
断る理由が見当たりません。

「あなたのとなりをいきていたい」
奇遇ですね。僕もですよ。

僕も、貴女の隣で一緒に生きて幸せになってみたいと、丁度思っていた所でした。

「わたしでいいの?」
他の誰でもない、貴女が良いです。

「わたしはうちゅうじん」
そんな事を言ったら、僕だって超能力者じゃないですか。

「……そう」
そうです。ふふっ。案外、似た者同士なのかも知れませんよ?


「「ユニーク」」


絵本を閉じる、パタンという音が部室に響く。
それはいつだって終わりの合図。今日、この日も同じだったようです。
刹那、僕の世界は暗転した


古泉「では、今回の事件について説明を頂けますか?」
長門「貴方と定期的に会話をするようになって、バグ、エラーの類が爆発的に増加した事が遠因」
古泉「ふむ。続きを」
長門「わたしはそれを消去する為のプログラムを走らせた。そこまでは記録に残っている。恐らく直接的な原因はデバイスとプログラムの間のコンフリクト(衝突)」
古泉「……なるほど」
長門「貴方には本当に申し訳無く思っている」
古泉「いえ、特に気にしてはいません」
長門「今度はもっと綿密にエラー消去のプログラムを組む」
古泉「……」
長門「どうかした?」
古泉「その、エラー除去プログラムの事なんですが」
長門「心配しなくても良い。二度目は起こさない様に努力する」
古泉「いえ、そうではなくて、ですね」
長門「……では、何?」
古泉「エラーをそのまま残しておいては何か不都合が有るんでしょうか?」
長門「有る。具体的には情報処理速度の低下。情報操作能力の減衰。突発的行動の発生等」
古泉「……理解しました」
長門「では、今からプログラムを組む」
古泉「その必要は、無いと考えます」
長門「……理由を」
古泉「気付いていませんか?」
長門「何に?」
古泉「情報処理速度の低下。情報操作能力の低迷。突発的行動の発生。それが行き着く所まで行った場合、どうなるでしょう?」
長門「……インターフェイスとしての能力を失う。そうなってからでは遅い。アンチエラープログラムを組む余剰メモリまで失ってしまう」
古泉「……ねえ、長門さん」
長門「何?」

古泉「まるで、人間(ボクタチ)みたいですよね、それって」


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