ハルヒSSの部屋
涼宮ハルヒの戦友あっぱー 4-2
俺達が戦いを始めてから、既に相当の時間が経過していた。

長門は血塗れで倒れている。大部分が返り血だが、全てがそうではない。
小さな身体で、運動量を頼りに戦う少女のスタイルは、消耗戦に向いている訳も無い。……少女はもう、戦えない。
これ以上の失血は、死に繋がりかねないと、俺は朝比奈さんに告げられていた。

朝倉は長門に治療を施し、そして時折迫る敵を片手に握った剣で払っている。
左手で治癒呪文を行使し、右手で剣を振るい続ける。少女の額には玉の様な汗が幾つも浮かんでいた。
当然の様に朝倉も無事ではない。長門の身体に翳す左手からは、ポタリポタリと汗よりも粘度の高い液体が滴っている。
絶え間無い防戦は、彼女の流れる血が固まる事すら許さない。



古泉は鶴屋さんに、朝倉に、朝比奈さんに、そして俺に向かってくる敵を撃墜し続けていた。黙々と、弓を引き、矢を放ち、近付いて来た死体には腰から提げた短剣で応戦する。
自らが戦線離脱した少女達の代わりだとでも言うかの、其の八面六臂の活躍を形容する言葉を俺は知らない。表情を変えず、ソイツは死を生産する。
死んでも死んでも、死に切れない死体を相手に、死を重ねる。其の姿はまるで道化。少年は大切な仲間を守る為に血を絞る。

朝比奈さんは泣いていた。無理も無い。吐かなかっただけでも立派だと思うし、事実として俺は何度も胃液が逆流しそうになった。
黒い、赤い。眼の死んだ、心の死んだ、命の死んだ元生き物は、生物ならば生理的に本能的に其れを嫌悪し、恐怖する対象だろう。当然だ。
だってのに、彼女は目を背けなかった。止まらない涙を拭いもせずに、彼女は大切な仲間の為に心を削って詠唱を続けている。
少女の放つ風の刃に、蠢く死体の脚が飛び、腹が裂け、首が舞った。朝比奈さんは、其れでも決して、目を逸らさない。

鶴屋さんは戦っている。古泉と朝比奈さんの援護を受けながらも、其れでも孤軍奮闘と言える圧倒的な数の差を。
吼えて、腕を振るう。業物の斧槍は刃を欠けさせて、槍部分は折れている。既に其れは刃物ではない。鈍器でしかない其れで肉と骨の塊を叩く。
少女は常に三体以上の死体を相手にしていた。囲まれる事も度々有った。彼女は長門と違い、避ける戦い方が出来ない。必然、鶴屋さんの綺麗だった翡翠色の鎧は見る影もなくなっていた。外傷は言うに及ばず。筋肉、内臓、共にかなりのダメージが有る筈なのに。
少女は其れでも、其の小さな背の向こうには一体の敵も通さなかった。

戦局は、地獄の一語に尽きた。
希望なんて無かったし、余裕なんて無かったし、隙なんて無かったし、勝ち目なんて無かったし、作戦なんて無かった。
唯、何時か必ず来る破綻を引き伸ばしているだけとしか、俺には思えなかったんだ。



「……撤退だ」
俺は言った。鶴屋さんと古泉が顔は向けずともピクリと反応した事で、声が届いているのは確認出来た。
「朝倉が先頭。鶴屋さんは長門を背負って下さい。朝比奈さんは転ばないように注意して。今から結界を切る。少しの間だけ……頼んだ」
古泉が短剣を握りなおす。朝倉が長門を地に寝かせ直した後、両手で剣を掴んだ。
「陣形、トライアングルツイン! 長門さんの穴は僕が埋めます!!」
古泉が叫ぶ。慣れない事をさせちまう。悪いな。後でこの借りは必ず返す。
「キョン君が術の詠唱を終えるまで、後少しです! 死守して下さい、皆さん!」
少年の問い掛けに強く頷く騎士と戦士。瞬間、神官が放った環状の炎が俺達を守るように包み込んだ。
「ナイス、みくるっ!」
「油断は禁物よ、鶴屋さんっ!」
炎を強引に突破して、肉の焦げた臭いを撒き散らしながら、左腕を失った亜人の死体が朝倉に飛び掛る。少女は其れを冷静に袈裟斬りにして、更に捻りの加わった回し蹴りを叩き込んだ。
吹き飛び、炎の壁の向こうに消えていく死者。その顔には何の表情も宿っては居ない。当然だ。死体なのだから。
「死なない」から俺達は其れを怖れるんじゃない。生者が持っている死への怯え、躊躇。そういうモノを全て蔑ろにして、文字通り「死を恐れず」迫ってくる其の姿が、怖いんだろう。
炎の壁を突き破って、身体の一部を、大部分を、失った死者が前衛三人に群がる。古泉、朝倉、鶴屋さん。三者三様の戦い方で、其れを散らす。



……詠唱が完成するのに、そう時間は掛からなかった。

「ゲンジ=ツォ=ミロ!!」

十数に及ぶ俺の分身が戦っている三人の隣に、後ろに、正面に其々現れる。
「散れっ!」
放たれた号令に幻は蜘蛛の子を散らす様に走り出した。死者の群れの中に、ソイツ等は飛び込んでいく。俺と寸分変わらない姿形をしたモノが地雷原に突貫していくのは、幻影と分かってはいても見ていて気持ちの良いモノではない。
俺の姿をした其れは如何やらアンデッドの眼にも「標的」として映ったようだった。死者の「攻撃対象」が次々、最も手近に居るモノに書き換えられていく。
つまり、俺の分身に。ああ、思考回路に電気が走ってない連中で、本当に助かった。
「今です、鶴屋さん、長門を頼みます! 朝倉、分かってるな!!」
「先頭でしょ!? でも、肝心の道が無いわ!!」
眼の端で朝比奈さんの腕を古泉が掴み支えている。……逃走準備は、問題無いっぽいな。
「道なら、今、造るッ!!」
俺は一度に二つの呪文が詠唱出来る。そういう設定。片方は幻影魔法だが、もう片方は……此処まで来れば言わずもがなだろう。


「ヤッパ=リ=キイテネェェッッ!!」

俺の放った特大のメガ粒子砲が、其の軌跡上に有る全てを光の中に飲み込み、焼き、溶かし……そしてこれ以上無く分かり易い脱出ルートを作り出した。
MPの消費の多さによって引き起こされた、貧血に似た立ち眩みが俺を襲う。だが、此処で気絶しちまう訳にはいかない。奥歯を噛んで正気の糸を繋ぐ。
「逃げるぞっ! 後ろは見るな! 一目散だッ!!」
三十六計逃げるに如かず。SOS団は退却ってコマンドを選ぶのを許されちゃいないとか前に言った気がするが、どうか撤回させて貰いたい。
大切な仲間の命が懸かってんだよ。信念とかそんなのは俺一人の時だけで十二分だ。
だから、恥も外聞も無く、逃げる。誇りより意地より、俺にはダチの方が大事だ。っつか、比べるのすらおこがましい。
朝比奈さんを支えて走る古泉が、懐から出した煙幕玉を辺りにばら撒いた。後ろから走る俺が其れを踏み砕いて爆発させる。白い煙が、まるで霧の様に辺りを覆っていく。


「皆、着いて来てる!?」
朝倉の声が前方から聞こえた。視線を向けると鶴屋さんに負ぶわれている長門と眼が合った。黒曜石の様な、宇宙空間の様な其の眼が少しだけ小さくなっている。
何を思っているのだろう。少女は、俺がやろうとしている事に、気付いているのだろうか。かも知れない。長門なら、有りそうな話だ。
見て、いられなかった。前方に向けて俺も煙幕を投げる。長門と、俺の間にゆっくり雲が立ち込めていく。
「殿(シンガリ)は任せろ!」
俺は叫んだ。叫んで、立ち止まる。少しづつ、小さくなっていく少女達の背中を、見送った。鶴屋さんも、朝倉も、朝比奈さんも、俺の言葉に従って一度として振り返る事無く走ってくれている。
唯、長門だけが、何時もより少しだけ悲しそうな眼で、俺を見ていた。
其れも、数秒。灰色の煙が、世界を覆うまでの間。




……後は、知らない。

「じゃあな」

俺は呟いた。決意? ……かも知れない。此処で少女達を確実に逃がす為、俺が出来る事なんてのは一つしか無かった。

『この森の中でアレから逃げる事は不可能。之はボス戦。今、この一帯には入る事は出来るが出る事は出来ない、特殊なフィールドが展開されている。謂わば、結界』

さて、この台詞を果たして覚えてくれているだろうか。第一部、クソデカい猪と戦った時の長門が言ったヤツである。まぁ、覚えてくれている奇特な方も居ないと思ったので引用したのだが。
RPGでは基本、ボス戦ってのは逃げられない。そりゃそうだ。シナリオに関わってくるからな。逃げちまったら話が破綻する。
この世界もそういった所ばかりは律儀である。ボス戦に入った場合、俺達は基本的に逃げ出す事が出来ない。
が。
基本的に、と言ったな。そういう事だ。何事にも例外は存在するってな。
蟲龍と戦った時の事を覚えていらっしゃる方は居るだろうか。あの時、朝比奈さんが自分を置いて逃げろという趣旨の発言をした筈だ。記憶力に自信は無いが、其れでも衝撃的だったからよく覚えている。
さて、この朝比奈さんの発言に首を捻られた方も居るかも知れない。一寸待て、ボス戦は逃げられないんじゃないのかよ、と。ごもっとも。アンタの言い分は正しい。

つまりは其れが例外って事、だ。
……何? 意味が分からない?

RPGなんかをやってると戦闘中に状態異常に掛かっちまうなんてのはザラな訳だが。「混乱」とか「恐怖」とかってステータス異常になるとこっちの命令なんざ無視して勝手に仲間が逃亡しちまったりする。
そんな経験は無いだろうか。ボス戦だろうが何だろうが問答無用で逃亡するメンバーに憤りを覚えたのは俺だけではないと思いたい。
主人公と状態異常を得意とする中ボスがタイマン張った時にはマジで手に汗握ったとか、嗚呼、話が逸れちまったな。
この世界のシステムでも、其れが起こり得るんだ。
結論を言う。

誰か一人でもボス戦を継続していれば、他のパーティーメンバーは戦闘から撤退する事が出来る。


さて、此処まで言えば俺の行動にお気付きの方も多いと思う。つまり、殿(シンガリ)とは「死ぬ役」だ。
少女達を逃がす為には、ボス戦を継続させる必要が有り、誰かが残らなければならない。
この世界は俺の創った世界で、アイツ等は唯、巻き込まれただけ。責任を取るのに俺以上の適任が居るか?



「だから、付き合う事は無いんだぜ、古泉?」
「そう、言わないで下さい」
……隣に居る超能力者を、今日ほど力強く思った事は無かった。
「貧乏くじを進んで引くとは……馬鹿だね、お前も」
「貴方だけに良い格好はさせませんよ」
皮肉にもこんな状況で鮮やかに微笑むコイツは、けれど長門達と一緒に撤退するべきだと思うし、死ぬのは俺一人で十分だとも思う。
其れなのに。
「以前は死地に連れて行って貰えませんでしたからね。あんな思いは、二度と御免です」
「嗚呼、飛行船の時か」
「あの時も、相手は国木田君でしたね」
「今回、谷口は居ないけどな」
其れなのに、俺には「逃げろ」と言えない。一緒に死んでくれる奴が居る事に安堵さえしていた。
「……お前まで、死ぬ事は無いんだぜ?」
こんな遠回しが、俺にとっての精一杯。
「そうです。残るのは一人で良い。キョン君、僕を置いて逃げて下さい」
俺に言えない其の台詞を、さらっと言う古泉。自分だけ格好付けやがって。対抗したく、なっちまうじゃねぇか。
「其れは断る」
「同じく、ですね」


嗚呼、俺達は同じ。愚かで安直な「男」なんだ。

「意地が有るんだよ、男の子には」
「退けない戦いが有るんですよ、男の子には」

俺と古泉は、並んで立って、腕と腕をぶつけ合わせた。
其れだけ。其れだけで、他に何も要らない。

女の子を守って死ぬって、男の子の本懐だろ、なぁ?

人工の霧が、晴れる。
現れる、死者の群れ。
杖を構える、俺。
弓を引く、戦友。

「壮観、ですねぇ」
「全くだ。全く……リアルでホラー映画の俳優に抜擢されるとは思ってなかった」
ゆっくりと。しかし確実に進行する、絶望の体現者達。
「其れも脱出する役ではなく、食い止める役ですよ」
「ま、これも成り行きだろ」
「ですね。こればっかりはレディーファーストとはいかないでしょうし」
俺達が逃げられない事を知っている国木田の指示だろうか。其の動きは鈍重と言って何の差支えも無かった。
一思いに踏み潰さないのは冥王なりの意趣返しなのかも知れない。性格悪いね、国木田。
「あーあ。ついてないな」
「ホント、ついてないですよね」
「でも、仕方ないしな」
「まぁ、今更退けませんし」
二対三百。数の差は明白。おまけにあっちはどんだけ破壊されても死にゃしない。こっちは一回でも致命傷食らえば終わりだってのに。
勝ち目なんか何処にも無い。出来るのは時間稼ぎだけ。捨て駒って表現が今の俺達程しっくり来る奴も珍しいだろう。
「……敵陣で棒立ちにさせられた銀将の呪いにでも掛かってたのかね」
「キョン君、棒銀好きですよね」
何度も其の戦法にやられてる曲(クセ)に何を言うか。
「……まるで、死に際みたいな会話じゃないですか」
「まるでも何もなぁ……無いだろ」
笑った。笑って、ソイツは弓を引き絞って、俺は詠唱を口に乗せた。


さぁ、始めよう。

これが、最後だ。こんなのが俺の、最期だ。


ぞろぞろと敵が集団を成している地点に対して、弧を描く軌跡で赤い光を先端に咥えた矢が放たれる。着弾点で爆発が起こった。
「迫撃砲かよ」
「似たような物ですね」
俺達は、この期に及んでのんびりと、まるで爺さん婆さんが縁側で茶飲み話でもする様なゆるさだった。
否、こんな時だからこそ、なのかもな。死を一遍でも覚悟しちまえば、こんな感じになっちまうんだろう、きっと。
俺はバリボリと、懐から取り出した不味いMP回復薬を噛み砕きながら、ぼんやりとそんな事を思った。正面では古泉が放つ第二、第三の矢によって少しだけ絶望が其の到達を遅らせている。
「……出来れば、国木田だけでも倒しておきたいよなぁ」
「おや、死を覚悟して欲でも出て来ましたか?」
「残されたアイツ等の為に何が出来るのかを考えただけさ」
「貴方は、優しいですね」
超能力少年はキリリと前を向き、弓から矢を放つ動作を継続させつつ、そう呟いた。
古泉が何が言いたいのかも分からないではないさ。自分が死んだ後の事を心配しても仕方が無いとか、そんな事だろ。だがな。
「お前は考えないのかよ」
「実を言うと少しばかり考えました」
……だよなぁ。大体、此処に残ってる時点で「自分の命よりも仲間の命を優先した」って事なんだし。
「只、出来るか如何かは別問題ですけどね」
「やれるだけ、やってみようや」
咀嚼したモノを飲み下す。口に溢れる青臭さ。腰に提げた皮袋の水を少しだけ含んで口内を洗い流す。良薬口に苦しとは良く聞くが、其れを律儀に守ってくれる必要性は何処にも無いんだけどな。
「よっしゃ、MP補充完了。よし、もう一戦やれるぜ」
「やる前から負け戦と決まっているのが、切ない所です」
「其れはお前、言いっこ無しだろ」
顔を見合わせて笑う。これから程無く死んじまうってのに、俺達はまるで生きているみたいに笑う。
「怖いか?」
「そりゃ僕だって死ぬとなれば怖いですよ。膝が笑ってます」
「……俺もだ」
奥歯にしっかりと力を入れていないと、きっと噛み合わずにカタカタ鳴っちまう。
「なんでこんな役を自分から進んで受けてしまったんでしょうね、僕。本人も気付いていない部分で自殺願望でも有るんでしょうか」
「……逃げても、良いぞ。其れが当然の反応だ。誰も……少なくとも俺は咎めない」
「貴方がお逃げになるのなら、お供しますよ」
「無理言うなよ」
「無理くらい言わせて下さいよ」
矢を放ち、火弾を放ちながら、俺達は場違いに饒舌を持って喋繰り続ける。
「僕は一度だけ、機関を裏切り、貴方の味方になると前に言いましたね」
「嗚呼、そんなん言ってたな」
「……世界の為に、逃げて下さい。貴方が死んでしまえば、世界も同時に終わるかも知れない」
「機関の一員としての古泉一樹の発言か?」
「いいえ。きっと機関としての僕の身の振り様として一番正しいのは此処で貴方を見捨てて、涼宮さんの心のケアをする事では無いかと考えますね」
「成る程な……だから『一度だけ』なのか?」
「ええ。こんな真似は一度しか、出来ないでしょう?」
古泉の言う事は、ある意味で正しいのかも知れない。でも、ある意味で、決して正しくない。
「……俺の代わりに、お前が死ぬのか」
「ええ。英雄代理(Hero representation)。僕らしいと、自分でも思ってしまうはまり役ですね」
……でも、其れじゃダメなんだ、古泉。
其れじゃ、ダメなんだよ。


「『血反吐を吐いて、泥水啜(スス)って、命を賭けて仲間を守り抜いてみろ。其れが出来て、且つ、未だお前が生きていたら、また会う事になるさ』」

「……こないだ、魔王が俺にそう言ったんだよな」
「魔王……ジョン=スミス氏に、会ったのですか!?」
「嗚呼。今になってあの発言の真意が理解出来たよ。アイツはこの状況を予測してたんだろうな。だから、俺がお前を置いて逃げないように釘を刺したんだ」
言いながら自分でも納得する。そう。もしかしたら、俺は怖くて怖くて、古泉に全ての始末を押し付けて、逃げ出していたかも知れなくて。
「『こう言っておけば逃げられない』という含みも考えられます。貴方を確実に亡き者にする為の、誘導かも分かりませんよ」
優男の呟きにも俺は首を横に振る。アイツはそんな器用な真似が出来る男じゃない。
「……其の口振りだと、魔王はお知り合いだったようですね」
「このボス戦が終わったら、幾らでも話してやるよ」
「……地獄への土産話も頂けないんですか、僕?」
古泉が笑う。俺も笑う。まるで最期なんかじゃないみたいに。

まるで最期みたいに。

「お前は、死なないよ」
「貴方は、死にません」

「俺が、守るからな」
「僕が、守りますから」

絶望は、もう目と鼻の先まで迫っていた。


六つの月が、場違いに綺麗だった。

俺は親友に背を預ける心地良さを噛み締めていた。目の前には顔を半壊させた元生き物が俺を殺そうと砕けた剣を振り被ってるってのに。
「矢張り、僕の背を預けられるのは貴方しかいません」
其れでも俺には背後の古泉の発言に舌打ちする心の余裕が有った。
「そして、僕の、僕達の居場所は確かに此処に有ったのだと、そう思いますよ」
俺は杖の腹で短剣を受け止める。死者とは言え、ソイツは力が弱い訳じゃない。しかもこちとら魔法使いであり、肉弾戦に向いているとは世辞にも言えないだろう。
受け止めて弾き返す力なんて持っちゃいない。だから俺は杖の先端から魔法の矢を打ち出して剣を持つ其の腕を撃ち砕く。
「取り戻しましょう、偽りでなく、僕達が心から笑い合える居場所を」
古泉が囁いて、俺に飛び掛ってくる狼人の成れの果てを射落とす。
「一緒に、取り戻しましょう。ねぇ、マイヒーロー?」
少年と入れ違いに俺は動く。俺のフォローの為に背中を見せた古泉を、狙う亜人の顔面に杖の先端を叩き込んだ。
「ジョウネ=ツォモ=テアマス!」
先端、赤い光が収束して爆発。腰から上を四散させて尚立っている、残った下半身だけの醜悪な元生き物を蹴り飛ばす。
「なら、生きて帰らないとな?」
「其れが出来れば苦労はしませんね」
俺達は囲まれていた。四方八方から迫る死者の群れを近付けさせない様に矢は、術は途切れる事が無い。途切れれば、死ぬ。
ハイペースで自分の中の何かが消えていったし、古泉が背に負う矢筒もどんどん其の中身を減らしていった。
何時か、矢は魔力は、切れる事など分かり切っていた。
其れが、俺達の末期だという事も。

死者が積極的に襲ってくる事は無かった。指揮官の性格だろう。六人を相手にしていた時の勢いは其処に無い。
唯、俺と古泉の脳髄に絶望を叩き込む事だけを目的とした、殺し方だった。
俺達二人は猫の檻に入れられた鼠の様に「いたぶられ」ていた。

其れは時間の問題。そして時は、決して待たない。
時間を稼いでいる方としては幸いだったと、言えるのかも知れない。少なくとも、少女達はもう安全圏まで退避した筈だ。
「そろそろ、矢が切れますね。多めに持って来た筈なんですが」
「そっか。こっちもデカいの二発撃ったら、其れで見事に気絶出来るっぽい」
……晴れやかだった。今日は死ぬには悪くない日だ、と何の後悔も無く言える。そんな気分だった。
「もう、十分でしょう。キョン君、逃げて下さい」
「此処まで来て……つれない事言うなよな」
「……言葉を変えましょうか。僕一人なら何とでも出来る、と言っているんですよ。機関での『教育』は張子ではありません」
……嘘、か。もしも真実ならば二人で残ると決めた時に言い出す筈だし、何よりこの世界のシステムが逃亡を許さない。
「貴方は足手纏いなんです。此処まで言っても、分かりませんか?」
其れは悲しい嘘。其れは優しい嘘。
俺を逃がす。唯其れだけの為に目の前の超能力者は苦しい嘘を吐き続ける。
「大魔法の詠唱時間くらいなら稼ぎましょう。空間移送魔法、ですか。アレで逃げて下さい」
古泉は言葉通りに矢を番え、放ち、又番え直すまでの速度を上げる。赤い矢の結界。そう言って何の問題も無い、凄まじい速射だった。
沈黙する、決断出来ない俺に、古泉は言う。
「……貴方が居なくなったら、誰が世界を救うんですか、マイヒーロー。悩んでいる暇なんて……一秒だって無いでしょう」

あの十二月の再来。また、俺の前に天秤が現れる。
『どちらを選ぶ?』

「世界と……僕一人の命。そんなモノを秤に掛けないで下さい」
古泉が泣いているみたいな声でそう言って。なもんだから、俺は腹を括った。

「術式詠唱開始……『ワタ=シハコ=コニール』……」

「そうです。其れで……良いんですよ。貴方の判断は、正しい。誰に貶されても、貴方自身が罪の意識に苛まれたとしても……其れでも僕が、貴方の正しさを保証します。マイヒーロー」
矢を放つ少年は、泣き声で……其れでも矢張り微笑んでいた。

俺は、如何だ? 笑えてるか? なぁ? 頬が引く付いてるけど、一生懸命に笑顔を、コレでも作ろうと努力してるんだけどさ。……笑えて、るか、俺?


……古泉。俺はお前に、言ってない事が有るんだ。其れも、結構沢山。ジョン=スミスの正体だとか、この世界の、俺に分かっている限りの真相だとか。
……空間移送魔法の、対象に取れる範囲とか、さ。

さて、空気を読まないで申し訳無いのだが、此処でもう一回過去の戦友から文章を抜粋させて貰う。
『古泉と朝比奈さんに、言っていない事実が一つ有る。
空間移送魔法、「ワタ=シハコ=コニール」には一つだけ重大な欠陥が有る、という事。
其れは詰まり、術師本人を運ぶ事は出来ない、という一点だ。
分かり易く言うと「何処に飛ばすかを選択する事は出来るが、自分を対象に出来ないバ○ルーラ」だったりするのだが。
もし、コレを説明していたら古泉も朝比奈さんも俺を止めただろうから、言うに言えなかった訳だ、うん。』

……つまりは、そういう事だ。

古泉の周囲の地面に、紫に光り輝く魔方陣描かれる。少年が、ハッとして顔を上げた。俺は……微笑む。ソイツのお株を奪ってやろうと、全力で。
「お疲れさん」
其れだけ言った。古泉が、まるで小さい子供の様に、泣いている。だけど、もう魔法は始まってしまった。発動は、止まらない。
「……貴方は……また……僕を……連れて行っては……くれないんですね」
嗚呼。悪いな。俺の、我が侭だよ、コレは。分かってる。
「……貴方は……僕よりもよっぽど……嘘吐きだ」
かも知れないな。だが、騙されるお前も、悪いんだぜ?
「ええ……今回ほど自分の浅慮を呪った事は……きっと後にも先にも無いでしょうね」
……エゴイストで本当にすまん。……アイツ等を、頼む。

「ワタ=シハコ=コニール!!」

古泉の姿が消える。最後に見た、其の顔は、年齢よりも随分幼く見えた。
「また会おうぜ、戦友」
「待っています、戦友」
伸ばした手と手は、重なる事は無かった。


俺は死者の群れに向けて、たった一人で対面した。
コレが、俺の選択。俺なりの、最良の選択。
「出て来いよ、国木田ッ! 一対一で、未だ恐れるかッ!?」
夜の森に向けて、吼えた。返事は無い。視界を埋め尽くす死者が此方に向かって動き出す。
冥王は慎重。万策、尽きる。万事、窮す。
MPは、さっきので、ほぼ全部使い切った。回復薬なんか、飲んでる暇を与えて貰える訳も無い。
頼りない銀の飾りを付けた杖だけが、俺に残されて。

誰も、犠牲にはしなかった。其れだけが救い。悪くない。
何もかも不器用に、要領悪くしか物事を進められない俺にしたら、そうさ。かなり上出来じゃないか。
「今日は死ぬには悪くない日だ」
まるでインディアンみたいに、誇らしく、そう口にした。足は震えるし、腕は震えるし、歯は震えるし、全身で震え上がっていたけれど。
けれど、心は揺るがない。なら、其れで……其れで、十分。十二分に……、
「悪くない」
そう呟いた。

次の瞬間、死が、俺に殺到した。


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