ハルヒSSの部屋
涼宮ハルヒの戦友あっぱー 4-1
誰かの為に誰かを犠牲にするなんて展開は少年誌じゃ許されない。
けれど、実際にそんな選択を迫られて、第三の抜け道すら絶たれたとしたら。
俺は誰かの為に誰かを犠牲にするのだろうか。
止まっていてはどちらも失うという状況に晒されて。
俺にその決断は果たして出来るのだろうか?


あっぱー第四章「さよなら×バイバイ×ごきげんよう」


あくまで軽やかに。ソイツには翼が生えている様だった。
重力を感じさせない猫少女の脚の一薙ぎが振り下ろされつつ有る斧槍のベクトルを逸らす。赤錆浮く凶器の叩き付けられた先には誰も居ない。空っぽの地面だけ。長門の計算は狂わない。
吹き上がる土砂。まるで地雷でも爆発したかの衝撃が俺の耳を劈く。
「朝倉ッ!」
俺が促すまでも無かった。剣持つ少女は既に土砂の津波を盾を翳し突破。一つ目の巨人に向かって風の様に迫っている。
無論、相手も女騎士の動きに気付かない訳は無い。地面に埋まり込んだ自身の獲物を担ぎ直し、間合いを詰める少女を迎え撃とうとする。
が。
其れはならない。
「さぁって、みくるの魔法で筋力強化されたお姉さんと、力比べと行こうかい?」
俺達の五倍は下らない大きさを持つ亜人へと声高にそう告げたのは同じく亜人。竜を其の血に秘める狂戦士。
少女は斧槍の先端を渾身の力で踏み付けていた。
其れは蟲竜の尾撃をも受け止めた力。そんなモノに阻まれていては如何に体格で勝るサイクロプスであっても、おいそれと引き抜ける訳など無い。
焦る一つ目の巨人。獲物を捨てるか、筋力に任せて無理矢理に引き抜くかの一瞬の判断に赤い瞳が揺れた。
其の刹那が致命傷。隙を見逃さない、抜け目の無い男を誘う格好の餌。
それが自然と、当然と、亜人の持つ唯一の目玉に朱を纏った矢が深々と突き刺さっていた。耳を塞ぎたくなる様な狂気の悲鳴を挙げる巨人。空気が震える。しかし、そんなものはいつかの竜の咆哮の足元にも及ばない。
そんな程度で俺達が、揺らぐ筈も無い。
全員が揃っている、今のSOS団は無敵だ。

時を同じくして、動いていたのは騎士。少女は駆け上がる。地面と巨人の腕の間に架けられた橋を。まるで踊る様に。
斧槍の上を夜を疾駆する狼の如く走り抜ける。
視界を失ってよろめく怪物の、其の手から力が抜けて獲物が離れ。自然、重力に従って斧槍は落下を始めた。
だが、寸前に朝倉は跳んでいる。古泉の援護射撃によって、巨人が怯む。足場を失う事を見越しての大ジャンプ。
少女の踏み切るタイミングは完璧だった。いつかの体育の時にも見た、それは見事な走り幅跳びだった。しかし……其れでも届かない。閃く剣が巨体の喉笛を噛み千切るには、後50cmばかり、距離が足りない。
朝倉の身体が放物線を描いて落下……すると思われた。俺でなくとも誰の眼にもそう映っただろう。が、そうはいかなかった。少女の身体は下から押し上げられていた。
「……跳んで」
「任せてっ!」
何時の間にだろう。跳躍して空中に位置取っていた長門の、肩に騎士の脚が乗っていた。朝倉は躊躇わずに長門を蹴る。蹴って、更に上へと跳ねる。
距離はもう無い。

ルート、オールクリア。
白刃が、血に染まった。一つ目の巨人の肩を蹴って、朝倉が距離を取る。
もうサイクロプスが立っていられる、理屈など無かった。首を半分近くまで切り裂かれて生きていられる生き物なんて居る訳ねえ。亜人が血を雨の様にしぶかせながら倒れる。
「キョン君! みくる! ダメ押しっさ!」
鶴屋さんの声が響いた。彼女は落ちて来た長門を受け止め、抱きかかえている。あの分だと朝倉の着地も問題無いだろう。俺は俺の仕事をするだけだ。
……言われずとも、活躍の場が無いなんてのはゴメンですよ。
「「イキヲ=フ=キカケルナ!!」」
俺と朝比奈さんの杖から放たれた二重の突風が巨体を吹き飛ばす。幾本もの木々がその身体にぶつかり、肉を抉り、耐えられずに折れる。
「……まるで某忍者漫画みたいだな」
俺は呟いた。森の奥に向けて、3m幅の轍が其処には出来上がっていた。

「行きましょう、キョン君」
隣で古泉が言う。俺は頷いた。
「本番はまだ先ってな。分かってるよ、そんな事くらい」
戦闘で負った被害を確認する暇など無い。この電撃作戦は一分一秒を争う。
誰に合図された訳でもなく、俺達は各々に走り始めた。
森の奥、敵将が陣取っているであろう、其の場所へ。

「囲まれますね、コレ」
隣で囁く優男。小走りとは言え、森の中。木の根やら何やらの障害物も多いのに、息一つ乱さないで俺に併走するコイツはつくづく俺とは鍛え方が違うのだと知る。
「……だろうな」
俺だってこんだけ騒々しくしといて、其れで何の出迎えも無いなんて思ってねぇよ。だがな、超能力者。虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。
「罠だと知りながら飛び込むのは愚策ですよ」
「逆だな」
「逆……ですか?」
古泉が首を捻る。俺は息を整えて(コイツが汗もかいてないのに、俺だけが疲労してるのを見せるのはなんか負けた気分だ。意地が有るんだよ、男の子には)続きを話した。
「この短時間で張った罠なんか目の粗いザルだろうよ。だったら幾らでも間隙を突いてやれる。そうじゃないか?」
「……なるほど。敢えて罠に乗り、其れを逆に利用しようという訳ですか。いやはや、こういった事に関しては僕よりも余程貴方の方が向いているようだ」
「荒事専門の曲(クセ)して何をホザいてやがる、馬鹿野郎」
こちとらお前みたいなのと違って完全無欠に一般人だっつの。
「そろそろ、其の一般人という自称も怪しいですけどね」
「まぁ、な」
「おや、自覚はしていらっしゃるのですか」
古泉が笑う。肩が上下しているのは……走っている所為だと思い込んでおこう。コイツに爆笑されていると考えたら、途端に気分が悪くなるのは何でだろうな。

「あうぅ!」
俺達の後ろで木の根に躓いた朝比奈さんは、本当にシリアスな空気をぶち壊すのが上手い。其れを仕事にすれば其の道の第一人者として確実に成功出来るだろうとか余計な事を考えた。
「……大丈夫ですか?」
手を貸して少女を引き起こす。立ち上がる時に彼女はそっと、俺にだけ聞こえるように言ってウインクをした。
「肩に力が、入ってますよ。キョン君、大丈夫です。貴方は一人じゃありません」
毒気を抜かれる。……今の転倒はもしかしなくても態とですか、朝比奈さん?
「何の事でしょう?」
そらっ惚(トボ)ける彼女は、其れでも矢張り俺達の要に違いなかった。少女は前を行く仲間を追って走り出す。
「……感謝します」
誰にも届かないであろう言葉を呟き、俺も彼女の後を追った。

「予想通り、ね」
朝倉が溜息混じりに呟く。
「みたいだねっ。居るよ、其処の茂みとかに。油断しちゃダメっさ!」
斧槍を担ぎ直し、鶴屋さんは朝比奈さんを庇う様に位置取った。俺から見て後方。成る程、退路も絶たれてるって訳ですか。
ここまで来れば誰に言われずとも理解出来るさ。俺達は完全に囲まれているって事くらい。
「元より退く気なんざさらさら無いけどな」
呟いて杖を握り締める。じゃらり、先端に付いた飾りが音を立てる。連動するように、俺の咽喉も鳴った。
「……謀らずも正念場ですね」
弓に矢を番(ツガ)えて古泉が囁く。俺は号を発した。
「陣形、トライアングルツイン! 後方は鶴屋さん、任せました!」
「りょーっかいっさ! 大船に乗ったつもりで任せておくれよっ!」
言葉も無く、長門と朝倉が互いに距離を取る。直接戦闘を出来る三人が広めに三角を作り、其の内に俺と古泉、其れに朝比奈さんという支援型の三人を有する。包囲された場合の俺達のスタンダードだ。
俺達が囲まれている事にとっくに気付いているのを見て取ったのか、茂みからぞろぞろと亜人が姿を現し始めた。十……二十……オイオイ、まだ出て来るのか!?

「およそ三百。君達を相手にする為だけに集めてみたんだよ。如何かな? 足りなかったりするかい?」

木々の間を聞き覚えの有る声が木霊する。……この……声はっ!



「国木田かっ!!」
叫んだ。木立の中を少年の哄笑が遷(ウツ)ろう。虚ろに、響き渡る。
「名前を覚えていてくれたの? 感激だなぁ」
思わず歯がギシリと鳴る。……三百、だと……!? どうして城塞都市に数を裂いておきながら、そんだけの数を捻り出せる!?
「予想外の……数字ですね」
隣から声が聞こえた。ふと見ると古泉の顔からも微笑が消えている。
「僕もね、予想外なんだよ」
何処からとも無く少年の声が聞こえてくる。姿は見えない。恐らくは声だけを此方に伝える魔法だろう。ウィザード=ボイス(魔術師の口)。使い魔を介していても同様の芸当が出来る筈だ。
「真逆、獣王がヤられちゃうとは思わないじゃない」
……ッ!? 其れってッ!?
「一兵も失う事無く、完全に一対一で、何処かの誰かに倒されちゃったんだよね。となると彼女の有する軍だけが将を持たず宙に浮いちゃうのは、キョン。分かるかな?」
まるで俺達を小馬鹿にする様に、少年の笑い声混じりの説明は続く。
「で、八柱で直轄の軍を持っていない僕、冥王に彼女の軍が任されちゃったんだよ。軍とかそういった面倒事は性に合ってないから今まで持たずに居たのに……全く、ツイてないよね」
……合点が行く。だから城塞都市を襲ってきたのは魔獣……獣王軍だったのか。……って今更そんな事に気付いたって何になると言うのか。真実、後の祭り。
獣王を再起不能にしたのは誰でもない、この俺なのだから。ならば事態を悪化させたのも誰あろう……俺自身。
「攻城戦なんてのは兵の数を失う事が前提だからね。其れだけは、幾ら失ってもちっとも心が痛まない軍を借り受けれたのも僥倖と言えるかな?」
完全にしてヤられましたねと、小さく声が聞こえた。……スマン、古泉。俺が前日まで何をやっていたのかの仔細を伝えておけば、先手も打てた筈だってのに。
「谷口配下の亜人混成部隊。其の半分が、丸々この場には残っているんだ。さて……君達が置かれている状況に関しての納得は出来たかい?」
嗚呼……嗚呼、分かり過ぎる程に、な。
「僕は前に言ったよね。借りは必ず返す、って。スケアクロウは別件で動いてるし……何より僕達は今回、魔王から直々に君達の始末を言い渡されている」
クスクスと、歪んだ黒い笑い声が聞こえた。

「準備は、良いかい?」
少年の言葉を皮切りに、戦闘は始まった。

猪面の亜人、オークの斧を受け流し反撃する長門。少女の死角から緑の液体(恐らくは毒液)が付着した剣で斬り掛かろうとするゴブリンに俺は魔法の矢(マジック=ミサイル)を撃ち込む。
亜人が倒れたのを眼の端で確認し、次の術の構築に入った。
……三百、ね。
朝比奈さんは回復係だから数から外して考えて……一人頭六十か。
「やってやれない話では有りませんね」
朝倉を樹上から狙う射手を逆に射落としながら古泉が呟く。
「当初の予想より三倍は多い。ですが……所詮、有象無象でしょう」
だな。其れに、この程度なら。
「相手が個体能力の高い魔獣であれば多少は違ったかも知れません。しかし、連携の取れていない亜人では僕らを止める事など出来ないかと」
古泉と立ち位置を入れ替える。鶴屋さんの援護に回った俺の背では、古泉が今度は長門に迫る投擲斧を射落としていた。
三筋の火線を杖の先から放ち、口が詠唱から解放される。俺は叫んだ。
「不足だぜ、国木田っ!!」
そうさ。此処は三百とかしみったれた数を持って来る場面じゃ、決して無い。

数による圧殺が目的なら、せめてこの百倍は持って来ないと絵にならない。話にならない。そうじゃないか?

俺と、SOS団を、舐めるのも大概にしとくんだな。
此処に居る俺達は、六人揃いさえすればゴキブリ並にシブトいんだよ!



「其れとも、怖いか、国木田! 俺達が!」
挑発。剣戟の音鳴り止まぬ森の向こうから、反応が返ってくる。
「嗚呼、怖いね。位階は下だけれど、八柱の一人を君達は屠ったんだ。否、『達』は余計だったかな?」
……阪中との一戦の事は知れてるって事か。思わず舌打ちが出る。敵を知り、己を知れば百戦危うからず。少なくとも国木田は此方に関して情報を持っている。
「僕は臆病だからね。そんな相手に対して一欠片でも油断を見せる気は無いんだよ」
「だから、俺達の前に出て来ない。出て来れない、ってか」
「そうさ。君達に『ここぞ』という場面は与えてはならない。コレが僕の出した結論。君達はチャンスに滅法強いみたいだから」
確かに。隙を突いての逆転が俺達の常勝手段みたいな所は有った。蟲竜を相手にした時も、獣王を相手にした時も。辛くも勝ちを拾う時は須らくそんな感じだった事は否めない。
「だったら、其の『ここぞ』をあげなきゃ良いだけの話でしょ?」
悔しいが……国木田の言う事は正しい。もしも、この場に頭が姿を現せば、俺達は死に物狂いでソイツだけを叩きに行くだろう。
……だが。
「だから、其れにしちゃ数が足りない、って言ってんだ!」
俺は杖を振り上げた。
「術式構成開始! オチ=ロ=カトンボ!」
杖に力強い緑光が収束していく。

大勢は、決しつつ有った。
そもそも、統制の無い亜人の群れが俺達SOS団の相手を出来る訳が無い。数が俺達の五十倍だろうと、矢の一本で、剣の一薙ぎで、数を削れる様な相手に苦戦する道理も無い。
来たるボス戦……国木田を相手にする余力さえ俺達は残しつつ、其れでも然(サ)したる傷を負う事も無く、順調に敵を蹴散らしていた。

……かに、見えた。



「やるなぁ。流石は勇者様御一行だ」
まるでカードゲームでもやっているかの様な気軽なノリで国木田は言う。俺達の居る辺りには亜人の屍が一寸した塁壁を造っていた。
「随分と余裕だな、国木田!」
俺の前で鶴屋さんが斧槍を一閃する。犬頭の亜人は首を刎ねられて地に倒れ込んだ。血溜りは、既に俺の足元まで侵食して久しい。
「だが、お前が用意した三百とやらはもう残り僅かだぜ!?」
この場に冥王を引っ張り出してやろう。恐らくSOS団の全員がそう思っていたに違いない。剣は、拳は其の速度を鈍らせない。
程無く、古泉の矢が最後の一匹と思われるオークの腹部を射抜いた。
「さぁ、出て来いよ! 次はお前の番だ!!」
森深くに向かって叫ぶ。国木田は此方の様子をウィザード=アイ(魔術師の目)で伺っている筈だ。罠は綺麗に打ち砕いてやった。当初の予定よりも大分力技だったが、まぁ、結果オーライだろう。
あちら側の説明を真に受ければ手勢はもういない筈だ。魔獣の群れは火の壁に覆われた都市を未だ右往左往している事は想像に難くない。
後は国木田と……姿を影も形も見せてはいないが谷口。この二人を片付けてしまえば良い。
そう思っていた。
思い込んでいた。
全く、自分でも浅はかだとしか言いようが無い。SOS団の実力を知っているであろう国木田が、果たしてこの程度の罠を罠と呼ぶだろうか。
谷口だけで有れば、其れも有ったかも知れない。
だが。
国木田は違う。アイツは過大評価こそすれ過小評価をしない。だからこそ、俺達の前に出て来ない。
気付くのは……「其れ」が行われた後だった。



「真逆。未だだね。僕の出番は当分先になりそうだ」
俺達の間に戦慄が走る。だが、其の理由が分からない。数を頼りに包囲して、其の数を失って。俺達は然程疲労しちゃいないってのに。
……分からない。国木田の……発言の真意が読めない。
「僕が何故『冥王』なんて呼ばれているか、考えた事は無いかな?」
俺の背後で、古泉が震えた。第六感がガンガンに警報を鳴らす。この流れはヤバい。非常事態だ。そう、声高に俺に訴える。
「冥界の王。冥界って分かるかい? 死者の行き着く先の世界なんだけど」
まるで世間話をする様な、冥王の声のトーン。
「其処の王様って二つ名なんだ、僕。で、なんでそんな不名誉な呼称を持っているかって言うとね」
一旦、地面に刺していた剣を持ち直す朝倉。鶴屋さんも不穏当な空気を感じ取ったらしい。周囲を睨み付けて犬歯を剥き出している。
森の中。俺達の耳に届く様に、重々しい声が聞こえた。

詠唱が、聞こえた。



「血を失い、熱を失い、鼓動を失った者達に汝らの王が告げる。安息の場は当に無い。其の罪深き魂を受け入れる世界は王命に拠(ヨ)って其の門を閉じた。
なれば知れ。死して尚、眠る事は許されぬ。土に還る事は許されぬ。其の寒々しい魂は、彷徨う事さえ許されぬ。
安寧は幻想。歪(イビツ)な土くれが生の輪環に加えられる等在りはしない。死の神は平等でなど決してない。
死に切れぬ死者に許されるのは唯一つ。死を冒涜する事のみ。
血を求め。熱を求め。心臓を求め続ける哀れな者よ。壊れた肉を妄執で満たせ。我が手の中で……踊れ屍」

亜人の死体がピクリと動いた。見間違いじゃない。視界一杯の屍が、一斉に身体を動かし始めたのだから。

……現実でなければ、悪夢。

「さぁ、始めよう。第二幕だよ、キョン」


「……死者の夜明け(リビング=デッド)!!」


冥王の呼び声に、あるいは首の無い、あるいは腹の無い、あるいは腕の無い……死者がのっそりと起き上がる。
「役者が不足していて悪かったね。でも今度は『死なない』三百が相手だ。さぁ、頑張って殺してくれよ」
国木田の哄笑が、森の中に狂った様に響き渡った。





そこは地獄だった。

地獄でしかなかったし、
地獄でしか有り得なかった。
地獄としか形容出来なかったし、
地獄としか見れなかったし、
地獄としか受け取れなかった。

国木田は呟いた。自分を侮辱した罪は地獄ですら生温い、と。

だが、待ってくれ。どうか俺に聞かせて欲しい。
五感一杯に訴えかける、この今にも気を狂(チガ)わせてしまうような、死の軍隊(群体)に取り囲まれた状況を。
唯、徒(イタズラ)に実らぬ抵抗をし続けて、消耗し、磨耗し、擦り切れ、いずれ唯一の命を失う未来しか見えて来ないこの絶望を。
越える地獄なんて一体何処に在るって言うのか。



「朝比奈さんっ、除霊魔法(ターン=アンデッド)をッ!」
必死で結界を維持しながら、杖を取り落とさない様に握り締めながら叫ぶ。朝倉の腕の中で痙攣しながら荒い息を吐く長門。其の身体は傷だらけだった。
俺が結界を解けば雪崩れ込んだ死者が抵抗出来ない二人を食い殺す。明白な、絶望的な、見たくないのに、目を逸らす事を許さない、近い未来。
逃げたくて、叫ぶ。だが、返って来たのは矢張りと言うべきだろう、黒く塗り潰された未来ばかり。
「やってますっ! でもっ……でも、全然利かないんですッッ!!」
今にも泣きそうな声の少女。いや、声音だけで言えば泣き叫んでいるようにしか聞こえない。
朝比奈さんの杖が何度も、何度も白く輝く。現世に繋がれた哀れな亡霊を、其の有るべき場所に返そうと光は導く。……だけど。
「わたしの強制力じゃ、国木田君の強制力を振り払う事が出来ませんッッ!!」
死者は、還らない。土にも、天(ソラ)にも。只、奮戦する鶴屋さんに襲い掛かり、俺の展開する結界に武器をがむしゃらに叩き付け、古泉が射る矢に倒れては又起き上がる。
クソッタレ! 今回ばかりは本気で反則だろッッ!?
「除霊が利くとは思わない方が良いね。術の文言は覚えているかい? 冥界の門は閉じたんだ。彼らの魂には行き場が無い。幾ら魂を空に還そうと壊れた身体に彼らは戻らざるを得ないんだよ……つまりは無駄なのさ」
木々の隙間から聞こえてくる国木田のご高説は右から左。真剣に聞いて、其れに関しての対処を考える余裕も、時間も、有りはしない。
そして、小手先の策は冥王相手には無駄な事も、理解していた。

鶴屋さんに飛び掛る、首が半分ほど繋がっていない猪面の亜人に対して古泉が矢を射る。吹き飛ぶ其れの右腕。だが、其れは躊躇わない。
死者に痛覚は無い。躊躇する心が無い。唯、傷口から黒く冷たい血を噴き出すのみ。残っている左腕が鶴屋さんの鎧を殴る。砕けるのは拳の方だが、しかし顔を顰(シカ)める少女。
一拍遅れて古泉の二の矢が亜人の、元々取れ掛けていた頭を弾き飛ばした。
「サンキュ、古泉クンッ!!」
鶴屋さんは血と共に感謝の言葉を口に出す……って、血!? 吐血!?
「大丈夫ですか、鶴屋さんッ!?」
血を口元から垂れ流している少女を見て「大丈夫」だと判断する医者が居たら此処に連れて来いってくらいに間抜けな質問である事なんて分かってる。だが、しない訳にはいかない。
「未だ……ダイジョブっ!」
少女は迫り来る死ねない死体を斧槍で薙ぎ払いつつ、そう応えた。だが、其の顔に余裕などは欠片も見えない。
『未だ』。この言葉がどんな意味を持っているのかは誰の眼にも……耳にも明らかで。


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