ハルヒSSの部屋
朝倉さんの戦友
コトー海洋小国家軍事同盟。「コトー小国群」と略される事の方が多い其れの筆頭国家、コトーの首都、キカン。
海の香りがする其の街の通りを、朝倉涼子は一人で歩いていた。

長門有希と古泉一樹は装備の調達へと出掛け、次いで鶴屋某が朝比奈みくるを連れて、この都市のギルドに顔を出すと出て行った。彼と安宿で二人きりになれたのは彼女にとって僥倖では有ったが、そんなゆったりとした幸せな時間も長くは続かないのがこの世の常。
突如として現れた涼宮ハルヒ(町娘に見えなくも無い格好に変装していた。この人物、生来のコスプレ好きである)によって、拉致とすら取れる強引な手管で引っ張られていった。
結果少女は一人、宿にぽつねんと、何をする言いつけも無く残されたのである。
一時間ほど「誰か帰ってくるかも知れない」と、宿の一室で茶を飲みつつぼうっとしていたのだが、誰が帰ってくる気配すら無く。
少女は服に括り付けられた小銭入れの中身を確認すると、外へと出る事を決意した。

朝倉涼子は、其の元となった人格もそうだが、元々一所に留まって時間を浪費する事が得意ではない。

宿を出た途端、強い日差しが肌を焼く。季節などというものがこの世界に有るのかは知らないが(なにせ、この世界が生まれてから一週間と少ししか経っていないのだから)、此処数日は過ごし易い日が続いていた。
春か、秋か。気温から考えればそのどちらかであろう。ならば、今日は快晴が過ぎているだけだけで。
「帽子が欲しいかな……」
少女は太陽を眩しそうに見上げて呟く。翳した手の平も透かして陽光が届くような、必要以上の好天気。民家が密集する区画では、万国旗の如く家から家へと張られたロープに洗濯物が掛かっているのが、涼子の居る場所からでも見て取れた。
まるで「幸せ」という言葉を体現したかのような雲一つない青空。洗濯物も干し甲斐が有ると言うものだ。
陽の光の下、風に吹かれるが侭に、立っているだけで嬉しくなってくる。
「うん♪」
少女は左右をきょろきょろと見回した後に、一つだけ頷いて笑顔で歩き出した。目的は露天が並ぶストリートだが、其れがどちらの方向に有るのかなんて少女は知らない。
しかし、其れでも。
彼女は何の躊躇いも無く歩く。まるで、歩く事そのものが目的だと言わんがばかりに。
足取り軽く、彼女は歩く。其の頭上で太陽が笑っている。
少女が幸せを少しでも、感じているのならもう少し張り切るかな、と。太陽がそんな事を考える訳など無いが、しかし殊更強く輝いた。

半時後、水色の帽子に白のワンピースに身を包んで、少女は露天のパラソルの下で飲み物を飲んでいた。
「たまには服を買ったって罰は当たらないわよね」
誰にともなく呟いてストローに口付ける。口の中に広がった酸味有る強いフレーバーは何と言う果実の汁かは分からなかった(恐らく現実世界には存在していない類の果物だと彼女は考えた)が、渇いた喉にはそんな事は関係無く、給水を望む体は貪欲に其れを欲した。
そしてまた、一度口を付ける。
「さて、と。帽子も買ったし、次は何処に行こうかな?」
辺りを見回す。広場の噴水で遊ぶ子供達が眼に映る。何処からかバイオリンが奏でる音楽も少女の耳に届いていて。
とても幸せな、時間。
ゆっくりと、風が吹いて。ゆっくりと。

少女は何時しか目を閉じて、自分をこの世界に呼んでくれた少年に祈りにも似た感謝を捧げていた。
笑って。泣いて。叫んで。怒って。震えて。立ち上がって。たった一週間ばかり一緒に居ただけなのに、少女は少年の色んな顔を見た。
目蓋の裏側で其れを、思い出していた。
もしも、本当の自分が少年の傍に居て、その表情を見ていたら。少しでも良い。今の自分の様に心を通わせる事が出来ていたら。
自分は此処に居なかったかも知れない。だけど、朝倉涼子は彼の傍に居続ける道を選んで居たかもと。そう思えた。
其れが切なくて。そして少し悲しい。

何時の間にか猫が彼女の脚に擦り寄ってきていた。抱き寄せる。人馴れしているのか、猫は大して暴れる事も無く彼女の胸にされるが侭に引き寄せられた。
「どうしたの? 迷子になっちゃったのかな?」
猫がなぁーと一つ鳴く。
「そっかぁ、迷子になっちゃったかぁ。困った子ね。きっと飼い主の人が心配してるわよ」
何を言われているのか分からない猫は尻尾を立てる。そして一声。
黒目がちの其の眼は、長門有希のものに少しだけ似ていた。心の奥まで見透かすような、ブラックオパールの瞳は何より雄弁に物を語る。
「心配してくれてるの?」
なぁー。お世辞にも可愛いとは言えない声で鳴く猫。
「そっか。でも、私なら大丈夫よ」
猫を地面に下ろす。とととっと、少女を振り向く事も無く走り去る。
「あの子には帰る場所がちゃんと有るのね」
自分には無い其れ。猫と長門をダブらせて、少女は一つ大きな溜息を吐いた。
「羨ましいな」
其れは少女の心からの言葉だった。

少女には帰る場所は無い。還る事実しか決められていない。
大切な仲間達が、心より慕う彼が、元の世界に帰る時。彼女の存在は還る。
元々其の為に生み出された存在だ。其処に異を挟む心算は少女には無い。
生み出されて、彼と触れて、彼らと触れ合って。
其の時間はとても素晴らしいものだったから。この世界に創られて良かったと、心から思っている。
そう思っているからこそ。彼女は望んでしまう。
この時間が長く続けば、と。彼らと一日でも長く共に居たい、と。
そして其の願いが「皆と無事に元の世界に帰りたい」と思っている彼の思いに反している事も、彼女は知っていた。

「もしも、私がいなくなったら……」
少年は泣いてくれるだろうか。泣いてくれたら嬉しい。ふとした時に、何かの拍子に思い返して少しだけ寂しく思ってくれたら。
「悲しい。けど……なんだろう、この感情」
嬉しいともしあわせとも違う。冷たく痛く、そして甘い思い。
其れは「切なさ」という感情。
「嫌だけど……嫌じゃない」
もしも彼が泣いてくれるなら。彼の心にチリリとした仄かな傷を残せるのなら。
仮初の存在でしかない自分にも「此処に居た」という確かな証拠を残せるのだろうか。
「泣いてくれるかな」
彼女はぽつりと呟いて、空を見上げた。パラソルの裾から覗く空は彼女の心情を少しも憂慮してくれず、快晴だった。

まひるの月は、白く、白く。
其処にすら思いを重ねる事を許されなくて。

「私はこの世界に召喚されて良かった」
其れさえなければこんな思いをする事は無かったとしても。
「私は彼に会えて良かった」
出会わなければこんな想いを抱かなくて済んだとしても。
「私はやり直せる機会を与えて貰った」
元々の罪が彼女ではない朝倉涼子に有ったとしても。
「私は、しあわせ」
こんなに胸を締め付けられていたとしても。

石畳に、数滴の涙が零れた。

叫びたかった。理不尽な世界に対して。叫び出したかった。
元の世界に帰る際に自分も一緒に連れ出して欲しいと、毎晩のように哀願したくなる。事実、彼に其れを口に出して請えば其の方法を探ってくれただろうと少女は思う。
しかし、其れはいけない事。
「彼をこれ以上危険な目に遭わせる訳にはいかないから」
其の思いは彼女の本心。そして恋をする少女が想いを寄せる少年の事を一番に考えるのは当然の事だから。
「私は彼の友人として呼ばれた。私は彼の背を支える為に産まれた。私は彼の剣となって眼前の障害を叩き斬る事を誓った」
少女の眼に宿るのは己の身を捨ててでも一心に尽くす騎士の魂。
「だから、私がそんな事を考えるのはいけない事」
其の身は仮初。朝日が昇れば消え逝く泡。
そんな事は最初から分かっていた。だから望まないようにしていた。心の表面に浮かんでこようとする其の度に唇を噛んで想いを深く沈めた。

だけど、好きになってしまった。

だけど、好きになってしまった。

世界が変わる。其の瞬間を彼女は見た。仲間の為に……そして自分の為に。
立ち上がって前を向く、少年の横顔は彼女の中の全てを一変させた。
恋に憧れる少女を。恋に焦がれる少女に。
剣を振る理由は、義務感から何が何でも守りたいという感情に。
こんな感情、知らなければ良かった。知らなければ作り笑顔でも笑って見送る事が出来た。悪くなかったなと、そう思いながら還る事が出来た。
其れなのに。
「なんで今回は沈んでくれないの?」
顔を覆う。泣きそうになる。でも、雲一つ無く空は晴れていて。
せめて雨が降っていれば。きっと泣けてた。この思いも、想いも、涙と共に雨に流す事が出来たのに。
「ダメ。この想いは、沈めなきゃ。深く深く、沈めないと、いけないもの」

もしも、いなくなった自分を想って、泣いてくれるなら。
「其れだけで、私はしあわせ」
そう、思いたかった。思い込もうと、必死で思い込もうとしていた。

歩き出す。其の足は幽鬼の様に覚束ない。
ふらふらと、気付けば少女は露店の在る通りを抜けて本屋や雑貨屋が立ち並ぶ一角へと来ていた。
硝子の向こうに人形やら民芸品やらが並ぶ其の中の、一つの店の軒先に彼女は目を奪われた。そっと、其れを手に取る。
「手紙をあげたい人でも居るのかい?」
店の奥から声が掛かる。若い男の声。少女は慌てて其れを店頭に戻した。
「い、いいえ。そういう訳では……」
「ふぅん、なるほど」
店主が顎を擦る。
「希望は恋文用の便箋か」
「へっ?」
少女の顔が一瞬にして真っ赤に染まる。其れを見て納得と、店主は一人うんうんと唸る。
「任せてくれ。そういった物ならウチは専門だ。文房具専門店『コンピケン』の在庫は君みたいな綺麗な少女の為に有るんだからね」
そう言ってニヤリと笑った。よくよく見れば顔立ちは幼く、年齢は少女と同じくらいであろうか。
「えっと……その……」
「嗚呼、お客さん?」
「は、はい!」
声が上擦る。無理も無い。恋文などという単語を出されて、まして確かにそんな事を少しばかり考えないでもなかった少女なのだから、パニックに陥ってしまうのは当然だ。
「好きな色とか花とか、そう言った物はあるかい? 何でも言ってくれよ?」
自信満々にそう言って踏ん反り返る青年。如何でも良いが客商売にしては態度がなっていない。本当に如何でも良い話だが。
「えっと……」
問われて少女は首を捻る。本来の朝倉涼子ならそう言った嗜好も持っていたかも知れないが、生憎彼女は生後十日を少し過ぎただけである。
この色が好みだとか、この花が綺麗だ、などと言ったものを持ち合わせるにはどうしても日が浅い。
「そう言った物は特に……」
「そうか」
照れなくても良いのに、と店主は思う。しかし、其れも仕方が無い事なのかな、とも思うのだった。この店主、其れなりに人を見る目は持っていた。
「なら、コレとか如何だい?」
店主が取り出したのは「The day of Sagittarius」と書かれた……少なくとも恋文向きでは全く無いのは想像が付くと思うので描写は割愛させて頂く。
「え」
少女は口をあんぐりと開けて其れを見つめる。
「本気……ですか?」
「冗談だよ。コレ、ウチの新作。もう、何に使えば良いのかってデザインだろ? 其処が逆に受けるかなって思ったんだけど全然ダメでさ」
そう言って青年が笑った。釣られるように少女も笑う。
「お、ようやく笑顔が見れた。そうそう、美人は笑顔が一番だよ」
こんな間抜けな柄の便箋でもこんな役には立つのだなぁ、と。店主はデザインを務めた職人への評価を少しだけ上方修正した。

「相手はどんな人なんだい?」
丸椅子に腰掛ける少女にコーヒーを出しながら店主は聞く。マグカップを受け取りながら少女は少し首を傾げた。
「……普通の人、かな?」
「そっか。其れじゃ其の人の好みとかは分かる?」
「……好み?」
分かる筈は無い。そんなモノを聞いた覚えは無ければ、恋心を故意に封じ込めようとしていた少女がそんな事を聞き出そうとする訳も無く。
「黒とか茶色とかの服をよく着ている……くらいしか分からない、かな」
全くもって地味好きな主人公だ。
「そうか……しかし、恋文に使う便箋が黒とか茶とか言うのは面白くないな」
ふぅむ、とまるで自分の告白のように悩み込む店主。この青年、なかなか人は悪くないのだった。
「立ち入った事を聞くかも知れないので、答えたくなければ答えなくていいんだけれど、さ」
青年が顔を上げる。
「何か事情が有るんじゃないかい?」
恋する乙女に事情が無い訳が無いのだが。其れを抜きにしても、少女が店頭で便箋を手に取った時の、其の表情は彼に何かを訴えかけてきていた。
沈黙して顔を俯ける少女。其の今にも泣き出しそうな顔が握られたマグカップの中に注がれた琥珀色の液体に映り込む。
「例えば、さ。其の人とは身分違いの恋をしている、とか」
この世界に身分なんてものが有ったとは作者ですら初耳だったりする。
「報われない恋をしている、とかさ。君みたいな綺麗な子が、なんて考えたくも無いけどね」
そう言って顔を赤らめる店主。実はこの青年、今「既に結婚している男性に恋心を抱く少女」の妄想をむくむくと膨らませていたりする。が、顔を俯け続けている彼女が其れに気付く筈も無く。
「……報われない、って点は当たってると、思う」
「そうか。分かった」
何が分かったのだろうか。少女は顔を上げた。青年は一つ微笑むと、まるでシンデレラに出て来る魔女の様に言い放った。
「僕が君の恋を後押ししてやる」

店主が店の奥から持ってきたのは淡い青色の便箋と、揃いの封筒だった。
「綺麗な色ね」
「この色は切なさの色だよ」
青年はそう言って少女にペンを持たせる。
「切なさの色?」
「嗚呼。昔、感情を色で見る事が出来る魔法使いが居てね。ソイツが切なさはこの色だ、って言ったのさ。其れ以来、この青は変な名前で呼ばれてる」
青年が其の色の名前を告げる。少女が目を見開いた。
「さ、伝えたい事を書いて」
すらすらとペンが走る。青いインクが淡い水色の便箋の真中辺りに、二つの文を産んだ。


もし、私が宇宙人でも友達で居てくれますか?
もし、私が今にも消えてしまう泡沫でも、好きと言ってくれますか?


「ありがとうございました」
少女は丁寧に頭を下げる。
「いやいや。美人の役に立てたんなら、こんなに嬉しい事は無いよ。また縁が有ったら『コンピケン』と『ブチョー』をよろしく!」
「ブチョー?」
「あ、僕の名前だよ」


少女は便箋を握り締めて帰り道を歩いていた。空はそろ赤く染まり始めて、子供達が彼女を追い越して走っていく。
「カラスが鳴くから、かーえろっ♪」
少年の一人が歌っている。そんな光景を微笑ましく思った。自分もあの宿に戻ろう。そろそろ誰か帰ってきている筈だ。
少女は少しだけ足早に、道を急いだ。今だけは、自分にも帰れる場所が有る。其の事が純粋に嬉しかった。

「朝倉ッ!?」
後ろから声が掛かった。振り向くと彼が居た。走って少女の方へ向かってきている。其の後ろからは、鉄の鎧に身を固めた幾人もの兵士。
一目瞭然。少年は衛兵に追われていた。
「何をやったの!?」
「俺じゃねぇ! 古泉と長門だ!!」
古泉一樹、後に述懐す。「いやぁ、長門さんのピックポケット(スリ)が失敗するなんて思ってもみませんでしたよ、あっはっは」
長門有希、後にこう語る。「うかつだった。今度はもっと上手くやる」
「ええい、説明してる暇はねぇ! 兎に角今は逃げろ、朝倉っ!!」
少年がすれ違い様に少女の腕を掴む。強い力で引かれる。走り出す。

手を繋いで、駆け出す。
二人は走る。夕陽に照らされた赤い石畳に影が重なって。其れはまるで元々一つだったものが二つに枝分かれしたようなシルエット。

少年は少女の手を取って逃げ出した。其れがまるで少女には世界から連れ出してくれているように思えて。
「朝倉っ、シンドいかも知れんが、文句は後であの馬鹿共に言え!」
「うんっ!」
少年が叫んで。少女は満面の笑みで走った。

この手の平が、私の産まれた場所で還る場所ならば。
この生も性も、そう悪いものじゃないと。そう、思えた。
そして、手に手を取って、二人は逃げ出した。

「Blue suits her well」 is closed.


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