ハルヒSSの部屋
涼宮ハルヒの戦友どっかーん 9-2
俺の敵。俺が殺そうとしている相手。ジョン=スミス。過去に俺がハルヒに対して名乗った偽名。其の名を持つ魔王。
俺の敵を自称する男。俺を殺そうとしている男。ハートブレイク。大切な人間を守る為に俺を殺すと言う。恐らく、大切な人間とは……自惚れかも知れない。しかし、俺には確証が有った。
コイツはジョン=スミスを守ろうとしている。其の為に俺を殺そうとしている。こう考える以外、俺の胡乱な頭は回答を出せなかった。
……となると……そういう事は……。

「お前は、異世界同位体か」
「言ったでしょう。核心は何も言えない、と」
「最初は異時間同位体の可能性を考えた。と言うか其れ以外に考えられなかった。だが、其れだと辻褄が合わない」
「聞きましょうか」
「もしもこの時間の……多分、お前らからしたら十六年前に当たるんだろう、俺を殺したら、十六年後の俺は存在しない事になる」
「ふむ。続けて下さい」
「だったら、其の可能性は無い。殺せないからな。お前らは何処かで分岐した平面世界の、其処から十六年後の俺達だ」
「なるほど。見事な推理力だ」
男が手を叩く。しかし、湯に濡れた其れは音を立てない。
「恐らく分岐は去年の十二月半ば以降だな。『あの事件』を知っている以上、そうとしか思えん」
ハートブレイクを名乗るソイツは満足そうに笑う。
「では、平行世界が産まれたトリガーについては如何お考えでしょうか?」
「其れは分からん」
「もう一つ、其の平行世界の人間が何故この世界に呼ばれたのか。これについては?」
俺は沈黙するしか無い。其処までは考えが未だ及んでいなかった。
「穴だらけですね、貴方の予想は」
煩ぇ。馬鹿なのは自覚してるからあまり触れるな。
「ですが、其れを抜きにしても、上出来と言わざるを得ないでしょうね。僕達の出したヒントに良く気付きました」
……の割にはちっとも褒められてる気がしないのは……いや、良い。進んで墓穴を掘る趣味は無いからな。

「一つ聞かせろ」
湯当たりしそうに火照った身体を諌めつつ、俺は男に向けて口を開く。
「お前は何故、今、俺を殺さない」
大仰な音を立ててソイツが立ち上がる。風呂の縁に腰掛けるとタオルを巻きながら呟いた。
「この場で全てを終わらせたいのも山々ではありますが、そうもいかない事情が此方にも有るんですよ」
「何だそりゃ?」
「僕の知る中で規定事項に最も五月蝿い方が脱衣場で睨みを利かせていますので」
……さり気に覗かれてるのかよ。いや、まぁ? コイツが言う「規定事項に最も五月蝿い方」ってーのが誰の事なのか、何と無く分かるんで別に取り乱したりはしないが。
いや、考えようによっては男に監視されてる、ってのの方がおぞましいかも知れん。
「其れに、今では少々都合が悪いのですよ。『貴方が死んでもオカしくない状況』を目前に作った、其の上で行わなければ少女が癇癪を起こしかねませんので」
少女……ハルヒの事か。
「守られている、そう言い換えても良いでしょうね。全く……今回彼女は中立の筈なのですが、しかし貴方を想う事は忘れてはいないらしい」
「困ったものです、ってか?」
「いいえ。そうでなければ前提が崩れますので。少女の我が侭も許容範囲ですよ」
「余裕だな」
「真逆。これでもギリギリの綱渡りをしている心算なのですよ。見えませんか?」
嗚呼、さっぱり見えんね。
「俺なんか、何時でも殺せる。そんな眼をしてるように、見えるな」
決意を秘めた眼。古泉も時折そんな眼をしやがるが、其れよりも余程……深い色を湛えている。潜って来た修羅場の数がコイツにそんな眼をさせるに至らせたのかも知れない。
俺達の側の古泉もいずれこうなるのだろうか。これからどんな事件に遭遇していくのか、そんな事は分からない。しかし、相当な事態に巻き込まれていくんだろう。
恐らく、其の渦中には俺も居て。

「なぁ、お前は俺を殺そうとしてる。其れは理解した。理由は何と無くでしか分からんが」
「其れが如何かしましたか?」
「で、もう一つ分かった事が有る。お前が出来れば俺を殺したくないと考えている、って事だ。聞かせろよ。俺達の世界とお前達の世界が共存していく道は本当に無いのか?
先刻お前は『時間切れ』。そう言ったよな。ならば時間さえあれば何とかなったかも知れない。そういう事だろ? 俺でよければ何だってしてやる。だから……教えてくれ。頼む。俺に出来る事は本当に無いのか!?」
そうだ。どちらかしか存続出来ない、なんてオカしな話が罷り通ってたまるかよ。もしも、其れしか無いんだとしても、だったら法則自体を塗り替えちまえば良い。そうじゃないか?
そして、俺はそんな事が出来る神様みたいな奴を、幸か不幸か一人だけ知ってる。諦めちまうのは、未だ早いんじゃないのか、超能力者ッ!?

「無駄ですよ」
冷徹な声。仮面の中に溢れ返る感情を無理矢理押し込んだような、そんな声。
「何でだよ……何でそんな事がお前に言い切れるんだよ」
震える身体。焼けそうな程身体は温まったってのに血管を流れていく血が妙に冷たい。
「ならば、逆に問います。何故『あの事件』の時に貴方は両者の存続を願わなかったんですか?」
「……え?」
……コイツは今、何て言った?
「出来た筈です。今の様に貴方が本気で望み、本気で願い、本気で悩んだのなら、少女はきっと其れに応えたでしょう。ですが、貴方はあの時其れをしなかった」
「オイ、一寸……待ってくれよ」
現実が崩れる、ってのはきっとこんな時に使う言葉なんだろう。
「であればこそ。今回に限ってあの時と違う結末が訪れると、本気で考えているのですか?」
「冗談だろ、なぁ」
冗談だよな。冗談だって言ってくれよ。なんでお前はそんな苦しそうな顔して、そんな事を言うんだよ。
止めろ。……止めろよ。……止めてくれよ!!
「いい加減気付いたら如何です? 今回の事件は、この世界は、あの十二月の続きなんですよ」

俺が聞かされた真実の一欠片は、欠片の曲に俺を押し潰すに十分な重みを持っていた。
……ハルヒ。今回ばっかりはちょいと冗談じゃ済まされないだろ。



呆然とする俺。何も考えられないのか、何も考えたくないのか……多分両方だろうな、なんて事は分かっても一体其れが何だって言うんだ。
何処からかガンガンと音が聞こえた。ぼんやりとする頭で、其れでも首を動かす。脱衣所へと続く戸が、外から叩かれていた。
其れを受けてか男がニヤリと笑む。
「おや、時間切れですか。此処は「流石はウィスタリアさんだ』とでも言うべき場面でしょうね。台本通りのタイミングです」
湯船の縁から立ち上がるハートブレイク。俺は其れをぼけっと見ているだけ。何も出来ない。声も掛けられない。
……今は、何も、したくない。
「では、今回はコレで失礼します。次に会う時はインオーガニックさんと一緒に」
ソイツが振り向く。俺の眼にしっかりと映り込んでいる筈の其の姿も、脳味噌には届かない。
「……貴方の命を頂きに来ますので、其の心算で」
そう、言い残して浴場から出て行く男の背を見送った後、緊張感の解けた俺は湯船に沈み込みあわや溺死しかけた。

これで死んだら流石に洒落にも何にもなっていないと思う訳だが。

浴場の暖簾を潜ると既に其処にはハルヒが待っていた。湯上りの為に髪がしっとりと濡れて其の長さが際立つ。
いつもの俺なら同級生の美少女(何度も言うが見た目だけならば十分に其の規格を満たしている)の何時もとは違う姿に此処は見惚れているべきなのだろう。
だが、残念ながら俺にも気分じゃない時、ってのが有る訳で。
「遅かったわね! 男の曲に長湯って気持ち悪いわよ?」
嗚呼、そうだな。俺もそう思う。
「ちょ、一寸……如何したのよ、キョン。お風呂に入った後なのに顔色が悪い、って有り得ないじゃない!」
ハルヒに指摘されて初めて気付く。そうか。俺は今、傍から見ても其れと分かるくらいに青褪めてんのか。
「ま、色々有るんだよ、生きてるとな」
呟いてお茶を濁す。ハートブレイクを名乗る男からは何も聞いちゃいないが、この類の話をハルヒに不用意にすればどんな結果を産むのか。其れぐらいは俺でも分かる。
「あれ? もしかしてお風呂に入ってる内に後一日で死ぬ、って現実が直面してきちゃったとか?」
ハルヒが愉しそうに笑う。其処で笑うかよ。全く絵に描いたような悪魔っぷりだね。
しかし、一人で勝手に勘違いをして深くツッコんでこなくなるのは今ばっかりは助かるか。
「そんな所だ」
「……ふーん。キョンみたいな無気力っぽい奴でもやっぱ死ぬのは怖かったりするんだ。面白いかもね」
「何がだよ?」
苦笑する俺に向かって……だから元気一杯人を指差すのは止めなさい。
「あたし、足掻いてる奴って嫌いじゃないのよ!」
はいはい、そうですか。俺にとっちゃ何の冗談でも無い事態なんだが、コイツにとっちゃ其れこそ完全無欠に他人事だもんな。
観測者は気楽で良いね、本当に。一度くらい立場を交換して頂きたいもんだ。
「俺だって勇者を連れて来るに吝かじゃないし、後一日もがいてみる気ではいるんだけどな。其の前に問題が有る。っつーか、其れをクリアしないと勇者云々所じゃねぇんだが」
「分かってるわよ。この城から出たいんでしょ。其の辺もばっちり、抜かりは無いわ!」
そう言って笑ったハルヒの……晴れ晴れな笑顔は相も変わらず俺達の団長さんの侭で、少しだけ気が楽になったのは気の迷いだと思いたい。
「キョンとは頭の出来が違うのよ!」
……其の一言は余計だ。

そうだ。ハルヒが「楽しくない結末」を望む訳が無い。
此処はコイツが創った世界で。ならきっと、針の穴レベルの小ささでしかなくとも、其れでも救いの手は用意してくれている筈なんだ。
其れこそ「何時も通り」に。
なら今回の問題も「何時も通り」って事じゃないか。救いの手に、会心の一手って奴に俺が気付けるか如何か。そういう事なんだろ、ハルヒ。
でもさ。そんなのなら今までにも色々有ったし、死にそうな思いも少しばかりしてきた。阿呆みたいなのから深刻な奴まで、世界の危機ってーのにさんざ振り回されてきた訳で。
其の度に何とかなってきたんだ。今回だって、きっと何とかなる。
ヒントだって、分かり難くカモフラージュされているかも知れないが、きっと用意されているんだろ?
今回だけが例外なんて認めないぜ、ハルヒ? 今回のコレもお前が引き起こした何時もの我が侭の延長線上って事だよな?
だったら解いてやるさ、このパズルも。
俺は頭が悪いからちぃとばっかし厳しいかも分からないが。お生憎様。俺は一人じゃない。ちょいと性格に癖が有るけれど、しかし頼れる仲間が居る。
だから……やってやる。
何を望んでるのかは正しく「神のみぞ知る」って奴だが、其れでも。
其れでも、ハッピーエンドだけは俺達を裏切らない。

俺は……ハルヒを信じてる。

「キョン! あんたに選択肢をあげるわ!!」
ハルヒの部屋に一旦戻った所で唐突に切り出されたのはそんな台詞。ベッドに腰掛けた悪魔はニヤニヤと笑っているんだが……なんだ。また悪巧みか、ハルヒ。
お前の思い付きに振り回されるのは正直お腹一杯なんで。出来れば今回はそういうのは無しで進めてくれると助かるね。
「あら、そんな事を言って良いのかしら? コレはあんたにとってみれば、すんばらしぃ提案なのよ?」
うんうんと、一人で頷く少女は新しい玩具を買って貰った子供の様に眼を爛々と輝かせている。俺の脳内に有る対ハルヒ警報が「ロクな事にはならない」と声高に訴えてきた。
経験則とは偉大なもので。鈴を鳴らされて涎を溢す事を強制させられた何処かの犬宜しく、其の笑顔を前にした俺は反射的に身構えてしまう訳だが。
「……今度はどんなくっだらない事を言い出す気だ、お前は」
「失礼ね」
ハルヒが口を尖らせて俺の所見に対し抗議するが、しかし胸に手を当てて之までの所業をよく思い返してみろ。狼少年を此処で引き合いに出すのも恐れ多いくらいに、俺のハルヒ警報の悪い予感的中率は百%だ。
ちなみに良い予感なんざ感知した事は一度たりとも無いぞ。
「……あたしが何をやったって言うのよ」
「こっち側のお前の暴虐にしたって目に余るものが有るってのに、根本が俺の知ってるお前と大差無い、ってんじゃ俺がそう思うのも無理からぬ事だとは思わないか?」
「……こっち側?」
おっと、口が滑った。
「何でも無い。只の妄言だ。忘れろ」
「あっそ。にしても話ぐらいは聞こうとは思わないワケ?」
思わないね。しかし、此処で俺が何を言った所で、考えた事を口に出さずにはいられないのがお前の性分だろうが。
「……さり気に馬鹿にされてる気がするんだけど?」
「気の所為か……若しくはお前に自覚が有るんだろうな」
出来れば後者だと思いたいね。つか、そろそろ毎回のトンデモ発言に気付いて改善して頂きたい、ってのが本音だ。
「むぅ……まぁ、良いわ。兎に角、あたしが此処で提案したいのは、ね!」
何だ? 頼むから無茶は言わないでくれよ。

「あんた、あたしの僕(シモベ)になりなさい!!」

頭が痛い……お前は何処の吸血少女だ。

「し……しもべ?」
「そう、僕よ。使い魔でも何でも、この際呼び方は如何だって良いわ!」
強引な展開に頭が付いていけない。取り敢えず俺に、お前の電波提案を噛み砕く時間を寄越せ。
……僕。脳内辞書によると主に従属して其の命令に従う存在の事を指す言葉か。
……使い魔。右に同じ。否、こっちの場合は命令の前に「強制」が入る分扱いが酷い。
「……」
「如何?」
答えるまでも無いだろ。
「全 力 で お 断 り だ ! !」
大体、そんな提案を飲んでみろ。RPGならバッドエンド確実のルート分岐じゃねぇか。
例え死んでも拒否する、っつーの!
「あら、話は最後まで聞くべきよ、キョン。あんたがあたしの下僕になる、って誓うんなら其の呪い……後一日で死ぬ奴ね……解いてあげても良いんだから」
……なるほど。そう来るか。
「考えてもみなさいよ。後一日で五日間探しても見つからなかった勇者に運良く遭遇出来るとでも思ってるの?」
ハルヒの背中から覗く悪魔的尻尾がちっちっち、とでも言いたげに少女の体の前で左右に踊る。
「あたしとしても、此処までやっておいて何の成果も得られない、ってのは幾らなんでも詰まらないのよね。だから、弱っちいあんたでも小間使いくらいなら使えなくも無いかなー、って。我ながら未来を見据えた建設的な意見だわ、うん」
まるでファウストに契約を求めるメフィストみたいに、其の台詞には抗い難い何かが混ざっていた。
そして少女は悪魔其の侭の仕草で蟲惑的に唇の端をにぃ、と引き上げる。全く……違和感が見当たらない程にベストな立ち位置じゃないか、ハルヒ。
誰が考えたか知らないが魔姫って言葉がこれ程似合う少女を、知人の中で俺はコイツ以外に知らないね。

さて、考え所再び……だな。
読者の皆様には今回、何度も俺の独白に付き合って貰って大変申し訳ないと思っている。が、話の山場である事を理解して頂き、出来ればもう少しお付き合い頂ければ幸いだ。
此処で考えるべきは「生き残る術が他に有るのか如何か」ではなく。
もしもハルヒの提案を受け入れた場合、之がハルヒ的正当なシナリオなのか、という事である。
言うまでも無く、この状況はゲームで二択を迫られる、所謂ルート分岐であろう。其れ位は俺にだって分かる。分かるんだが……。
しかし分からないのは「どちらがグッドエンドに繋がっているのか」という事である。
如何か「ゲーム脳乙」等と言わないで頂きたい。之は俺達が現実世界に帰れるか否かの瀬戸際なんだ。

古泉曰く、現実世界への帰還をする為には「この世界での規定事項を満たす」事が肝要である。
では一寸、ハルヒの提案を飲んで従僕になった後の展開をシミュレートしてみよう。
もしも俺がコイツの使い魔になってしまった場合、コイツは如何考えるのだろうか。
少しは好意的に思われている(此方側のハルヒはそうは思っていないかもしれない。何しろ、現実世界の記憶がコイツからはゴッソリと抜け落ちているからな)らしい事から、俺を支配下に置いたら……うーん、想像が付かん。
ん? 一寸待てよ、俺。
ハルヒがもしも其の状況に充足を覚えてしまったら、如何なる。最悪この世界が固定化されてしまうかも分からない。
この世界を現実にして、元々俺達の居た世界が消えちまう可能性も考えられる訳で。
……なんてこった。
つまり、俺達が元の世界に帰るには「あー、楽しかった。お腹一杯」とコイツに思わせる。若しくは「ヒキ」の有るエンディングが必要になってくる、って事じゃないか。
魔王を倒せば元の世界に帰れる、って単純な問題では実は無い。そういう事か? 気付くのが遅ぇだろ、俺!?
そして、ハルヒの使い魔になる、なんて選択肢には其の「ヒキ」がまるで見出せない。

そして、そんな事より何より。
俺は朝比奈さんに伝言を頼んだ。
「心配しなくても後から必ず合流します」と。
朝比奈さんを嘘吐きにする訳には……いかないよな。
例え自分の命が秤の片側に乗せられていたとしても。俺の命なんかよりもあの人の涙の方がよっぽど価値が有るんだから。
……なんだよ。考える必要なんか最初から何処にも無いじゃないか。

「なぁ、ハルヒ」
「何よ。腹は決まったの? だったら其のローブ脱ぎなさい。解呪の邪魔よ」
近付いて来ようとする少女に向けて片手を出し、其の動きを制する。
「いや、そうじゃなくてな」
「は? あんた自分が何してんのか分かってる? 明日には死ぬのよ? だったら藁でも何でも、縋ろうとするのが人間ってモンじゃないの!?」
嗚呼、お前の言う事は尤もだよ。だけどな。本当のお前なら此処では別の解答を持ち出す筈なんだ。其の辺忘れちまってるらしいから、しょうがなく代弁してやると、だな。
「俺の帰りを待ってくれてる奴らが居る。先に行け、とは言っておいたが残念だけどそんな言葉に従ってくれそうな奴らじゃなくて、なぁ」
溜息を吐く。けれど、其れは決して嫌な溜息じゃない。
「馬鹿な奴らだよ、本当。だけど……ほっとけねーだろ」
「何よ。先刻から何の話をしてんの?」
俺は顔を上げる。腹は括った。明日、死んじまうとしても。其れでも守らなきゃいけない約束が有るんだ。
其れに男なら、最後は笑って、「俺は精一杯やったぞ」って言いながら、前のめりに死んでみたいだろ? なぁ?
多分、今がソレだと思うんだよ。何、格好付けてんだよ、って思われるかも知んないけどさ。
だけど、出来れば格好付けて生きてみたいよな。
「ハルヒ。お前は『諦める』って言葉は好きか?」
俺の言葉に少女は俯いて、考え込んで、困惑して、顔を上げて。百面相とまではいかないまでも十面相位はたっぷりとやった後に、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「大っ嫌いよ!!」
「だよな。俺もだ」

結局其れが俺の出した、たった一つのシンプルな結論だったりするんだよ。

ハルヒが首を振って、笑った。
「残念だわ。あんた、其れなりにイイ線行ってたのにね。其れだけに残念」
「褒められてんのか?」
お前が俺を褒めるなんて、谷口じゃないが驚天動地だね。
「死の現実を目の前にして其れでもそんだけの啖呵が切れる奴なんて稀よ。きっとあんたの頭、どっかオカしいわ」
褒める時は素直に褒めて頂きたいが……ま、ハルヒにそんな事は言うだけ無駄か。
「俺だって、俺だけの問題ならお前の提案を受け入れてたと思うぜ? 見えないかも知れないが、之でも命は惜しいんだ」
「ふーん。信頼ってヤツ?」
「そんな格好良いモンじゃねぇよ。単なる腐れ縁だ。似非スマイルとの縁だけは何とか切ろうと努力しちゃいるが……中々切れなくて困ってる」
「何、其れ」
ハルヒが笑った。俺も笑った。余命一日だってのに……何でだろうな。俺はこの時心の底から笑っていたんだ。
「死んだら面白くないから、意地でも勇者を見つけなさい?」
「ま、努力はさせて貰いますよ、っとな」
ハルヒの、恐らくは精一杯の激励の言葉を、噛み締めて俺は頷いた。

「ご用意が出来ましたよ」
唐突に聞こえた、部屋のドアをノックする音とエンジェルボイスに面食らう。
「へ? え?」
困惑する俺を置いて、ドアを開けるハルヒ。へぇ、この部屋は内開きなのか。そんな如何でも良い観察を思わずしてしまうのは、俺が其れだけ困惑していたって事にしておいて欲しい。
「さっすがシフトさん! 相変わらず仕事が早いわー」
「煽(オダ)てたって何も出ませんよ、もう。年上を余りからかわないで下さいね」
得 盛 再 来 。
そんな四文字が頭の中を埋め尽くす。いや、自分でも失礼極まりないと分かっちゃいる。分かっちゃいるんだが……しかし最早アレは目線誘導を強制する一種の兵器だと思う。
「あ、キョン。この人は『タイムシフト』さん。ウチで一番話が分かるの。こんな綺麗なのに『三臣』の一人なのよ? もう無茶苦茶強いんだから!」
「ご紹介に預かりました、『タイムシフト』です。キョン君、久し振り。元気だった?」
艶やかな栗色の髪も眩しい女性に微笑みを向けられた……当の俺はと言うと、開いた口が塞がらず。みっともなくも口を馬鹿みたいに開き放していた。
「あれ? シフトさんはキョンと知り合いなの? ってか、あたしキョンって言っちゃった!?」
「安心して下さい、涼宮さん。魔王さんに告げ口したりはしませんよ」
果たして其れで本当に良いのか。俺は確かに助かるのだが、しかし魔王の部下として本当に其の対応で許されるのか。余りにあっけらかんと背信を口にする彼女を前に、魔王の不遇を嘆かずにはいられない。
本気と書いてマジで部下に恵まれてないな、ジョンよ。
「ありがとっ! 本当、シフトさんは話が分かるわー。あの馬鹿魔王とは大違いよねっ!」
「ダメですよ。一応主人と従僕なんですから。そんな言い方はいけません」
貴女も「一応」ってのは如何かと……いや、もう何も言うまい。
「あたし、皆と違って主従の関係じゃないもんね。……で、先刻から黙ってばっかのキョン。如何かしたの? そうしてると只でさえ頭悪そうなのに、更に阿呆に見えるわよ」
「驚いてるんですよね。こうやって会うのは本当に久し振りだから」
そう言って彼女が俺の方へと歩いてくる。一歩、踏み出す度に其のメロンに喩えてすらメロンが役不足な二つの砲弾がぐにゅぐにゅと形を変える。
そして思春期真っ盛りな男の子が其処から目を離せる道理も無い訳で。
少しくらい呆けるのは勘弁して頂きたい次第だ。
「会いたかった」
そう言って握られた両手は温かく、そして其れを切欠として俺の意識は漸く帰還を果たす事が出来た。女性の胸部は時として凶器となり得る。覚えておいて損は無いぞ。
まぁ、こんな素晴らしいモノをお持ちの方には中々お目には掛かれないだろうが。

「なんでこんな所に居るんですか、貴女も!!」
「禁則事項です♪」
嗚呼、朝比奈さん(大)は何時何処で出会っても其の天使的容貌とロリボイスを屈託無く俺に披露して下さいましたとさ。

Time Shift。朝比奈さん(大)はハルヒにそう呼ばれていた。件の例に漏れず英語のテストも低空飛行を続ける俺だったが、しかしこれくらいは和訳出来なくもない。
意味は「時間移行」。
成程。そりゃ朝比奈さん以外に其の名が当て嵌まりそうな人は俺の周りには居ないだろう。
いや、居ない訳では無いが、其の某もう一人の心当たりはウィス……なんとかって呼ばれてたし。
「『三臣』は自分の意思で動く事を魔王さんに認められているんですよ。ですから、彼が血眼になってキョン君を探していたとしても、私には其れを報告する義務は課されていないんです」
さいですか。いや、まぁ魔王の不遇に関しては正直如何でも良くなってきました。
其れよりも其の服を内側から不自然に盛り上げる二つの膨らみが、ですね……。
「一寸、キョン! あんた、何デレデレしてんのよ! 只でさえ時間が無いんだからさっさと行くわよ!」
「デレデレとかしてねーよっ!」
飛んでくるハルヒの怒声に首を回す。で、お前は一体何処へ行く気だ?
「あんた、この城に永住する気にでもなった訳?」
其れこそ冗談だろ。……って事は、だ。準備ってのはアレか?
「この城から出る準備に決まってんじゃない!」
「先程、涼宮さんからお願いされた通りに空間歪曲装置は設定しておきました」
「うん。ありがと、シフトさん!」
朝比奈さん(大)に対して思い切りよく頷くハルヒ。……なぁ、一つ思ったんだが。
「何よ」
「お前の空間移送魔法辺りで一発、俺を城外へ跳ばしてくれれば済む話なんじゃないのか?」
「はぁ? あんた、本当に魔術師なの?」
ハルヒがジト目で睨む。いや、睨まれるような質問をした心算は無いんだが。謂れの無い侮蔑を受けるのには悲しいかな慣れてはいるが、しかし傷付かないと思ったら大間違いだぞ、ハルヒ。
思春期は矢鱈と繊細なんだ。繊細ボーイ、グラスハートだ。
……我ながら意味が分からんなぁ。
「この城には『空間移送魔法の座標指定に乱数を自動入力して其れを無効化する結界』が常時展開されているんですよ、キョン君」
朝比奈さん(大)が手を握りつつ説明してくれたが……申し訳無いんですけど意味が分かりません。
果たして之は俺の頭が悪いのだろうか。
「つまり、空間移送魔法は使えないのよ」
おお、ハルヒにしては分かり易い説明だな。珍しい。ん? ……なら、なんで俺がお前の所に来れたんだよ?
「あの鈴は座標指定じゃなくって、対象指定……この場合はあたしの元へ飛んでくるようにしてあった訳。馬鹿のあんたにも分かるように説明すると魔法の毛色が違うのよ」
……ダメだ。一生懸命(?)説明してくれてる所、本当に済まないと思うが俺は速やかに理解を放棄させて貰う。
「で、この結界は確かに侵入者を防ぐ分には都合が良いんだけど、あたし達自身も移動が出来なくなるじゃない? そこで、空間移動じゃなくて予めこの城内の空間と外部の空間を直接繋げてある装置が有んのよ」
たびのほこら、みたいな感じで良いのだろうか。
「良く分かんないけど、多分そんな感じね。で、其の装置の維持管理をしてるのがシフトさんなの」
「そういう事です。では、早目に行って下さいね。余り開放が長いとなが……インオーガニックさんが勘付いてしまいますので」
「って訳よ。分かったら、さっさと行くわよ、キョン!」
へいへい。如何でも良いが襟を引っ張るのは止めろと何回言ったら覚えてくれるんだ、お前は。
「は? そんな事言われたの初めてなんだけど?」
嗚呼、何と言うか。顔も性格も殆ど同じだからやり難いな、ハルヒ。いや、こっちの話だから一々目くじら立てる必要はないぞ、っと。

「其れじゃ、行ってきます。ええと……シフトさん、って呼んだ方が良いんですよね?」
「はい。頑張って下さいね、キョン君!」
朝比奈さん(大)を置いた侭、俺はハルヒに引き摺られる侭に部屋を出た。手を解く時に彼女が少しだけ見せた躊躇いは……嗚呼、後一日で俺が死んじまうかも知れないからか?
あの人ならそんな事情を知っていてもオカしくはない、な。
別れ際、彼女の唇が動いた様に見えた。「また会いましょう」って言っていたのだと思う。前を行くハルヒの声でかき消されてしまった為に俺には知る術は無いけれど。
「また、会いましょう」
俺は開いた侭の扉に向けてそう呟いた。届いたか如何か、なんてのは問題じゃない。こういうのは気のモノって奴だ。

「ねぇ、キョン。最後にもう一度だけ聞くわ。本当に、あたしの僕になる気は無いのね?」
件の「空間歪曲装置」とか言う馬鹿デカい鏡を前にしてハルヒが俺に聞いてくる。最終通告、って奴か? だが、俺の気持ちは変わらないな。
「悪い」
「そう。……なら、精々後一日、楽しんで逝きなさい」

俺はハルヒに手を取られながら其の鏡を潜り抜けた。途端、俺でも気付けるくらいあからさまに周囲の空気が変わって。
何と言うのだろうか。室内特有の少しだけ重い空気が、抜けるような爽やかな色に様変わりした、とでも言えばご理解頂けるだろうか。
「城を出た……のか?」
辺りを見回す。城に有った奴を人一人が通れる程度の大きさにした鏡だけがポツンと置かれた、小さな石造りの部屋に俺達は居た。
「そうね。此処はコウヨウエン王国の北西部辺りになるわ」
ハルヒに連れ立って其の小さな部屋を出る。見渡す限りの草原が、其処には広がっていた。
日差しが強く、体全体をすっぽりと覆う変装用の黒いローブでは些か暑い。
「西に進むと街道に出る筈よ。其処までは案内してあげるから、優しいあたしに感謝する事ね!」
「着いて来てはくれないのか?」
ローブを脱いで丸めながら、ハルヒに向かって問い掛ける。
「なんでよ?」
「いや、勇者を見つけてもお前の元に連れて行かないと、俺は死んじまうんだろ? でも、お前から貰ったこの鈴は」
俺は懐中から小さな鈴を取り出す。貰った当初は金色だったのだが、魔力を失ってしまった所為だろう、其れは鈍い銀と化していた。
「この通り『使用済み』だ」
「むぅ……なるほど。分かったわ。予備は用意して来なかったし……でも、今日一日だけよ。あたしも暇じゃないんだから」
「嗚呼、其れで良い。サンキュな」
太陽は中天まで上がっている。思わず腹が鳴った。丸一日ぶっ続けで寝ていたって話だから空腹も無理からぬ話ではあるな。
「そう言えば昼時か。腹が減ったから、先ずは近隣の街まで行って飯にしようぜ」
そう少女の背中に話し掛けて。そういや尻尾とか隠さないとコイツ街に入れないよな、どうすっかな、と考えていた時だった。

そう。俺はすっかり忘れていた。穏やかな展開の後には必ず嵐がやって来る。
残念ながら今回もそのジンクスは外れなかったって訳で。
多分、俺は神様辺りに嫌われているんだろう。其れともコレが俗に言うツンデレ、って奴なのだろうか。其の趣味を持っている人達には悪いが、どの辺が良いのか俺は理解に苦しむね。

「其の必要は無いのね!」
俺とハルヒが背後から鋭く放たれた声に振り向く。其処に居たのは少女。
「此処で会ったが百年目なのね。八柱が第六席『獣王』阪中!」
ひしひしと感じられる敵意を前に、ざっ、と地面を踏み締めて戦闘態勢取る俺。視界の少女は息を一つ吸い込むと、俺に向かって告げた。

「いざ、尋常に参るなのねっ!!」

……心安らぐ暇を求める、なんてのはハルヒに知り合った時点で願ってはいけなくなったものなのかも知れないな、なんて馬鹿な事を考えた。


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