ハルヒSSの部屋
涼宮ハルヒの戦友どっかーん 9-1
知らず知らずに、傷付けていた人が居たとして。いや、居るんだろう、きっと。
知らず知らずに、助けてくれていた人が居て。いや、居るんだろう、ずっと。

俺は何も気付かないで、不幸だって項垂れてた。
其の事を先ず、謝りたい。

でも、だけど……気付いた所でそんな事しか出来ない。
謝った所で許して貰えるとも思えない。
これから先もずっと傷付けていく事を止められない、こんな俺だから。


どっかーん第九章 「A Piece of Truth」


頭が痛い。俺の意識が覚醒した時、先ず思ったのは其れだった。次いで、身体に纏わりつく感触から布団に寝かされている事を知る。
ベッドの上か? ……嗚呼、全部夢だった、ってオチか。此処でも最終兵器「夢オチ」が幅を利かせてるんだな。そっか。ならば寝てしまおう。此処最近でトップクラスの悪夢だった事は間違い無い。
こういうのは二度寝して忘れちまうに限るってモンだ。
節々が鈍い痛みを訴えて、思わず身体を揺する。腕の位置を変え……所謂寝返りを打った訳だが。
さて、此処で当然の疑問が湧き上がる。つまり……掌に当たった吸い付く様に柔らかく、そして温かい物は一体何で御座いましょうか?
アレか。枕か。其れとも布団か。にしちゃヤケに滑らかで、そもそも柔らかさの質が違う。之はもっと……そう、よくマシュマロとか餅に例えられる類の、そういった弾力を持っている代物だ。
……俺、何時こんなフラグ立てたよ?

幾ら平時から鈍い鈍いと言われ続けていた所で、流石にこの状況は俺でも推察&理解出来る訳で。まぁ、実際に触った事は無いさ。いや、この場合は無かったと言うべきだろうな。
現在進行形で俺は今、未知の感覚を初☆体☆験、である。
初めて、とは言え俺も矢張りと言うべきか想像力逞しい男子高校生である。だから本能的に分からいではないんだ。俺が触っているコレは間違いなく……「アレ」、なのだろうという事には。
つか、脳内を攫ってみても他に候補は「File Not Found」な訳で。
目を開けて確かめる事が怖くて出来ん。この大きさから長門じゃないのは分かるんだが。特徴的な双丘を持つ朝比奈さんで無い事も間違いなく。
ならば、誰だ? 俺は誰の……その、む、胸を触ってるんだ?
「んぅっ」
耳元で艶っぽい吐息。……密着!? 桃色吐息ですか、お客さん!?
誰がお客さんなのか、と言った疑問も有るであろうが、如何かご容赦願いたく思う。何故ならば俺にも自分が何を言っているのかは半分以上分からないのだから。
所謂「メダパニ」状態である事を、ご理解頂ければ幸いである。
しかし何時までも確認をしない訳にもいかない。現状認識は迅速的確にがモットーだ。今、決めた。まぁ、隣ですやすやと眠っている人間が誰であるのかは、半ば以上予測は付くのだが……しかし、当たって欲しくない。
恐る恐る薄目を開けて。そして飛び込んできた光景に目を限界まで見開く。
「ひぃっ!?」
慌てて口に自由な左手を当てる。此処で起こしちまうのは死亡フラグのバッドエンドでノコギリのお世話には未だなりたくはない。
目を伏せてる少女。睫長いな。つか良く見ると、いやまじまじと見なくてもやっぱりコイツは美人なんだな、と再確認。
小さな頤。うっすらと開く紅色の唇。健やかな吐息に混じる少しの喘ぎは俺の右手が引き起こしてるのか? 思い出したように時折ピクリと跳ねる身体は知人の贔屓目を抜きにした所で「艶っぽい」と説明せざるを得ない。
口さえ開かなければ、と谷口も言っていた。絶世の、とまではいかなくても一寸其の辺ではお目に掛かれない美人。
ソイツ、涼宮ハルヒは其れが当たり前の様に俺の隣で、一緒の布団で眠っていた。
嫌な予感ほど良く当たるのは何か? 俺の日頃の行いが悪いからか?

さて、俺がこの状況で何を思ったのかは想像に容易いと思う。ん? 美少女と言って差し支えの無い三人組に囲まれた生活によって常時持て余しがちな情熱に対して渾身の理性でフルブレーキ掛けていたんだろ、って?
いやいや。其れはアンタ達が当人でなく、また、ハルヒって人間を良く知らないからこそ言えるんであってだな。
よくよく考えてもみてくれよ。この状況でハルヒが目を覚ましたらどうなる? 最近でこそ「死刑よ!」って口癖こそ聞かなくなった。ものの、しかし其れに分類される所業に晒される事は疑いようが無い。
……取り敢えず手をアイツの、その、豊満と表現して語弊の無い胸の上からどかす必要が有るだろう。其れも早急に、だ。
少しだけ惜しいとかは考えないでも無いが(俺だって健康な男子高校生であるからして、如何かご容赦頂きたい)、しかし俺は其れよりも命が惜しい。
目を閉じて息を殺し、指の先端まで神経が通っているのを確認。指先を少しだけ動かして……やわらけーなー、オイ。
……って何揉んでんだよ、俺! 何に流されてるんだ、俺! しっかりしろ、俺!!
「……んふぅっ」
ハルヒが囁くように声を出し、俺の心臓が跳ね上がる。……寝てるよな? 起こしてないよな? 柔らかく閉じた目蓋は動く素振りも無く……ふぅ、驚かせるんじゃありません。
気分は爆弾処理班である。羨ましい? じゃぁ、変わるか? 他人事だと思って好き放題言いやがって。
少しづつ、慎重に右手を其のケシカラン擬音を量産して憚らない物体から遠ざける。今だけで良い。宿れ、俺の右腕に……スタープラチナ(精密動作性A)!
心臓が煩い。ぶるぶると震える右手はレッドゾーンからの脱出完りょ……。
「むぐぅ」
天使のような(実際は悪魔である)可愛らしい寝顔から可愛くない声が出て、ハルヒが寝返りを打った。何故だか、其れが当然の様に俺の方へと、だ。巻き込まれる形になった俺の右手は前人未到の谷間へと否が応にも挟み込まれる訳で。
ぐにょりんっ、とかそんな音が脳に響いたのはきっと幻聴なのだろう。そう、信じ込むぞ、俺は。しっかし、其れにしたって……。

やーわーらーけー!
って一寸待て、オイ! 之はもしかしてもしかしなくてもラブコメフラグじゃなくて100%純粋純正の死亡フラグかよ、こんちきしょー!!
マズい。非常にマズい。この状況下でハルヒを起こさずに糖蜜の天国から右手を引き抜く自信なんざ俺には無い。
まかり間違ってもテクニシャンなどでは無いのだから。と言うか、恥ずかしくも告白させて頂くと経験なんぞ皆無である。何の経験か等と心優しい読者の皆様にあってはどうか聞かないで頂きたい!
これは……態とハルヒを起こす様なアクションを仕掛けておいて自分は寝た振り、ってのが一番無難だろうか?
この冷静と情熱の間から抜け出す術は無いのだから、ならば現状に流されるのが、まぁ……いつも通りとか言って欲しくは無いのだが。
と、一寸待て、俺。思い出せ。
此処はハルヒ創造の不思議世界だ。ならば、手はもう一つばっかし有るだろ。
そう、今の俺は魔法使いだ。
だったら、ピンチは魔法で潜り抜けるのが其の正しい在り方であろう、うん。
どんなピンチにもクレバーであれ。師匠。貴方の教えは今も俺の胸に響いております。
さあ、そうと決まれば話は早い。
「術式選択画面展開」
あくまでこっそりと。起こさないよう注意しながら小声で呟く。頭の上に最近描写をすっかり省かれていた青いウィンドウが出たのを確認して、俺は溜息を吐いた。
憂鬱の原因なんざ決まり切っている。どうも、この世界に俺はすっかり馴染んでしまったらしい、って事だ。
……やれやれ。

……で、俺は一体どんな魔法を使う心算だったんだろうか。一寸三十秒前の俺に問うてみたい。
……焼き払う? いやいや、待て待て。寝てる相手に爆炎かますってどんだけ鬼畜だよ。
……状態異常睡眠解除? いやいや、待て待て。そんな不自然な起床をさせたら俺が起きてる事に気付かれるだろうが。
……空間移送? おーい、何がしたいんだ、俺はー?
大体、術の触媒となる杖も持たずに何しようってんだ。
仕方ない。こうなれば何かを如何にかしてハルヒの奴にあくまで自然なお目覚めを……。

「んむぅ?」

耳元でハルヒの声。疑問系? これはもしかしなくてもお目覚めですか、お嬢様。慌てて目を瞑って寝た振りをする。
グッドタイミングだ、ハルヒ。俺ももうそろそろ我慢が利かなくなってた所だったからな。何の我慢かは聞くな。
さてさて、ハルヒが自分の胸の谷間に俺の手が入り込んでいる事実に対してどんなリアクションを取るかは甚だ疑問ではあるが、俺が眠っている(まぁ、起きてるんだけどな)以上、之は不幸な事故である。
流石のハルヒであっても眠っている人間に対して暴虐を働くような真似は……世界が違っても俺はお前を信じてるぞ、ハルヒ!
「んぅ……キョン?」
はい、キョンです。グッドモーニング。ですが、俺は絶賛睡眠続行中ですので如何かお気になさらず。犬にでも噛まれたんだと思って其の楽園に包まれている右手の事はそっと心の中に閉まって頂けると幸いです。
「未だ……寝て……? って……うぇ?」
ハルヒがもぞもぞと動いて、其の度に形を変える「なんだかなー」に昇天違う揉みくちゃにされる俺の右手。一人勝手に俺はこの感触を忘れまいと心に刻み込む。
散々、無茶苦茶な目に遭っているのだから、これくらいの思い出は残させて貰っても罰は当たるまい。
役得、って言葉を思い出した。
「ななななななななな!!」
ハイ、ハルヒも現状を正しく認識したようだ。寝惚けた頭でご苦労な事だが、出来れば早く俺の右手を解放してくれ。息子のこれ以上の増長を阻む意味でも、頼む。
「何、触ってやが……むぅ、寝てやがるし……」
イエス。俺は静かに寝ているだけなので、可及的速やかにこの問題を解決してくれるか。
「くぅっ、殴りたいのに此処で殴ったらコイツ的には身に覚えの無い暴力を振るわれた、って事でアタシが一方的に悪い事になるわね……くそっ、歯痒いわ」
いや、そんな説明的な台詞は要らんから、さっさと退け。退いて下さい。本気と書いてマジで頼んます。
「アタシと一緒のベッドに入れてやった事だけでも破格の待遇だって言うのに、其れに胡坐をかいてひ……人の胸を……」
ハルヒが飛び退く様に身体を離す。やれやれ、漸くか。嗚呼、疲れた。後は起きるタイミングだけだな。其れさえ間違えなければ最早問題有るまいさ。
……とか言いながら問題は山積みの様な気はしないでもないが、しかし、当面の命の危機は乗り越えられそうではある事に安堵を隠せずにはいられない。何処までいっても俗物である。其処、今回だけは許す。笑って良いぞ。
「……コイツが覚えてないならノーカンよね、ノーカン。そうよ、こんな奴に触られたからって減る訳じゃ……あれ?」
ハルヒの声。そしてふるふると動くベッド。なんだ? ハルヒの奴が震えてるのか? しかし、なんで?
「おいコラ、キョン」
……なんで、殺気に溢れてるんだよ、お前の声は!?
「アンタ、しっかり起きてるでしょ? ネタは上がってんのよ?」
ネタ? ええ、寝てます。俺はしっかり寝てます。だから、お前の勘違いでファイナルアンサー……って古いか。
「あくまで寝てるフリで押し通す訳? まぁ、良いわ。って事はベッドの上にふよふよ浮かんでるウィンドウもアンタの寝言って事になるわね。あらまぁ、器用な寝言よねぇ……」
……背中に嫌な汗が流れる。やっちまった。忘れてた。開きっ放しのウィンドウの事なんざ完っ全に忘れ切っちまってた。
アレ? 之はもしかしてもしかしなくてもラブコメフラグじゃなくて100%純粋純正の死亡フラ(省略)。
「寝てるんなら、其れでも良いわよ? 回避される可能性が無くなってアタシ的には非常に助かるものねぇ。さて、地獄の業火に焼き尽くされるのと、氷の棺で其の侭永遠の眠りに着くのと、どっちが好みカシラ?」
DEAD or DEAD ですよね? 出来れば片方の選択肢はALIVEであって欲しいと切に願うのは俺の我が侭ですか?
「あらあら、回答無し? 好き嫌いが無いのね? 其れとも本当に……本っ当に眠ってるの? ま、この際どっちでも良いわ。取り敢えずアンタは……」
如何する? 如何すればこの極限の状況を逃れられる? 誰でも良い。分かる奴が居たら今すぐ此処に飛んで来い!

「記憶を失うまでフルボッコよ!!」
「遺言ぐらい考える暇をくれぇぇっっ!!」
「やっぱり起きてたじゃないの、このエロキョンバカキョンウスノロキョーーンっっっ!!!!」

どっかーん!

まるで漫画みたいに俺の身体が宙を舞った事を、不本意ながら記載しておく。
嗚呼、爆発オチって言うのか、こういうの?



「アンタも大概頑丈よね」
お褒めの言葉をありがとう。しかし、こんな連載終了で良いと思うのならお前の脳味噌をちょいと疑わせて貰う。
「連載?」
嗚呼、最近ペースが落ちまくってるがな……と、戯言だ。聞き流せ。
「ふぅん。まぁ、良いわ。で、聞きたい事が有るんだけど?」
床に正座をさせられている俺の前で腕を組んで仁王立ちのハルヒ。正座をしているのは……確かに其れだけの事を事故とは言えやってしまったのだから甘んじて耐えよう。
「其の前に、俺から質問を良いか?」
「何よ?」
じろりと睨む、視線は完全に電車の中で遭遇した痴漢に向ける其れである。嗚呼、だからアレは事故であって俺の意思は其処に無かったんだと、言った所で聞く耳なんざ持ちゃしないのはいつも通りのハルヒか。
「お前の元にぶっ飛ばされてきたのが、あの鈴の力だ、ってのは理解してる。多分、其の際のショックで気を失ったんだろう、ってトコまで正しくな。で、だ」
「で……何よ」
いや、だから……其の犯罪者を見る眼をされていると非常に話し難いんだが。
「何故に俺はお前と一緒のベッドに寝てたんだ? いや、この場合寝かされていた、ってのが正しいのか?」
気の所為だろうか。俺の台詞にハルヒの顔に下から徐々に朱が差していっている気がする……眼の錯覚だよな、多分。コイツがこんな分かり易いリアクションをする様なら、平時から俺は困っていないという話。
「そ、そんなの仕方が無かったからに……き、決まってんじゃないの! 気絶してる奴を、床に放置しておくのも寝覚めが悪かったから……そうよ! 仕方なく、なのよ!」
……かつて、散々悪役染みた言葉を放った人間……魔族だったか?……の口から出て来たとは俄かには信じ難い台詞なんだが。
「アタシは歯向かってくる奴を倒すのが好きなのよ。無抵抗のを倒した所で、何の面白みも無いわ」
そんなもんですか。……っと、取り敢えず礼は言っておく。
「ありがとうな」
「何よ、気色悪いわね」
「其れと、済まん。お前から貰った鈴、勇者も見つけてないのに、使っちまった」
頭を下げる。土下座に近いポーズをしている為にハルヒがどんな顔をしてるのかは分からない、しかし見当はつく。つーか、此処で怒らないような奴はハルヒじゃない。
「やっぱり見つけてきた訳じゃないのね? 見つけたけど触れられなかったから、取り敢えずアタシに報告に来た、とかを期待してなくも無かったんだけど?」
「本当に、すまんかった」
「……なら、何で鈴使ったりしたのよ」
「お前に会いたかったからだ……まぁ冗談だが。謝ってる最中に冗談なんか言うな、って話だよな。悪い……オイ、何で顔赤くなってんだ、ハルヒ? やっぱ怒ったか!?」
頬を大きく膨らませて、何でも無いとそっぽを向くハルヒの背に、俺は鈴を使うに至ったあらましを説明した。おーい、ちゃんと聞いてんのか?

「と、そんな訳でどうしようもなかったんだ」
「理解はしたわ。アンタを許すか如何かはまた別問題として、ね。ま、元々そんなに期待もしてなかったけど」
ハルヒが嘆息する。にしてはそんなに気落ちしていない所を見ると、真実俺は「使い捨て」らしい。
別に其の扱いに対して異議を唱える気も無いさ。仕方が無いと諦めちまえたりもする。この「ハルヒ」は、俺達の知っている「ハルヒ」と一緒で別人っていう、また七面倒臭い属性の持ち主なんだからな。
やれやれだ。

「あー、っと。其れで、だ。どれだけ眠ってたのかと、此処が何処なのかを教えてくれると助かるんだが」
俺の問いかけに対して面白くなさそうにハルヒが指を一本立てる。一時間? 身体の疲れが取れているように思えたが、実際はそんなに眠ってないらしいな。これが若さか。
「何、勘違いしてんのよ。一日! 丸一日、アンタってばアタシのベッドを占領してたんだから!」
一日!? 一寸待て。鈴を鳴らす前でさえ呪いを受けてから五日経ってたんだから……正味後一日の命なのか、俺!?
目前のハルヒが「だからアンタと一緒のベッドに寝たのは何度も言ってる通り仕方なくって言うか……」などとごにょごにょ言っているが、そんな事は如何でも良い。
マズい。非常にマズい。
もう二度と朝比奈さん達には会えないかも知れないな、などと腹を括って鈴を鳴らした事に関して選択をミスったとは思っちゃいないが、しかし気付いたらすぐ其処まで「命日」が迫ってるってのは!
冗談にも何にもなってないぞ、くそっ!!
「あっと、此処が何処か、だっけ? でもこっちは少し考えれば分かる質問じゃない? アタシの部屋が有るんだから、此処は魔王城に決まってるじゃない」
……期せずして本丸突入、ですか? しかも単独で? 其れは勇気ではなく蛮勇と言いますよ?
「あ、変な事は考えない方が身の為ね。アンタ程度じゃジョンはおろか、其の親衛隊にだって太刀打ち出来ないだろうから」
変な事ってのが何かは考えたくも無いが。真っ赤な唇をくちゅりと水音が聞こえてきそうな程に愉しそうに歪ませて、ソイツは笑った。

如何でも良いが、悪役が板に着き過ぎているぞ、ハルヒ。

さて、整理してみよう。
俺は現在、単身魔王城に居る。
コレだけでも大ピンチなのはお察し頂けると思うが、事態は更に悪い。
何故ならば俺の命は呪いによって後一日しか無いからだ。
でもって、この呪いを解くには自他共に認めるような勇者をハルヒの前に差し出さなければならず。
勇者を見つけるにしろ、何にしろ、取り敢えずは此処から脱出しなければならないだろう。
……で、其れがそう簡単に出来たら苦労はしてないという話に立ち返る訳だが。
今、この瞬間に勇者とやらが魔王城に突貫でもしてくれれば何とかなるのかもしれないが、残念ながら其処まで話が出来過ぎている事は無いと俺は考える。
都合の良い展開を前回で散々披露してしまった以上、二度続けてそんな事になれば流石に問題有りだしな。
更に言えば、勇者は古泉曰く「メインシナリオそっちのけで、日々襲い来るサブクエストを今、この瞬間でさえ律儀に消化して」いるらしい。そう、今この瞬間ですら。
となると、だ。やっぱ「何とかして城を脱出して、かつ、限られた時間で勇者を見つけ出してくる」しか俺に残された生きる術は無いのだろう。
全く、何時もながら無理難題を突き付けてくるのがハルヒらしいって言うか、何と言うか。
アレだ。今回の件が終わったら機関に色々請求しても良いような気がしてきたのは俺だけじゃない筈だよな。な?

「お風呂に行くわよ!」
唐突になんだ? ハルヒちゃんの始まり方みたいな事しやがって。いやいや、コイツがいきなりにして突拍子も無く阿呆な事を言うのは何時もの事だが、其れにしたって言うに事欠いて「入浴」ってのは一体如何した事だ。
「うだうだ言ってんじゃないわよ。アンタに付き合ってアタシは一日お風呂に入ってないのよ! アンタもでしょ? だったら何よりも先ずはお風呂、なのよ!」
念の為に聞いておくが、混浴とかいうオチは無いよな?
「殺されたいの?」
いやいやいやいや! そんな事は全くこれっぽっちも思ってない! ただ、流れ的にそういったイベントが用意されていても可笑しくないんじゃないかと思い、橋を渡る前に杖で叩いただけなんだから未遂だ!
「……ふぅーーん」
ジト目で睨まれた所で嘘は言っていない! 神に誓……いや、気分屋で気紛れな某神様に誓うのは何故だか本能が拒絶するので、命に懸けてと改めさせて貰うが。
「予め言っておくけど、変な事を考えたり、ましてや実行に移そうとしたら余命が一日縮むわよ?」
……一日しか残り寿命が無い身の上で、更に其れが一日縮んだら死ぬんじゃないか?
「そうとも言うわね!」
其れ以外にどんな解釈が有るのかお聞かせ願いたい。



浴場へと向かう道すがら、俺はハルヒに話し掛けていた。
「なぁ、頼んだら俺に掛けた呪詛を解いたりしてくれるか?」
ちなみに俺は今、黒の目深なローブをハルヒによって着せられている。「人間だってバレたら、アンタ其の場で殺されるわよ?」とはハルヒの言。
何処から入手したのかは分からないが男物である。まぁ、コイツがなんやかんやの衣装調達に関しては俺の想像の及ばないスキルを持っている事は元の世界での朝比奈さんの日々増え行く衣装を引き合いに出すまでも無いと思う。
「何か言った?」
「いや、だから俺が此処で頼み込んだら余命を引き伸ばしてくれるのかなー、とか……」
「冗談! アタシは約束を守ったんだから、今度はアンタが守る番でしょ?」
「だよな……だよなぁ」
甘い考えにも程が有るよな、確かに。コイツは(全滅の危機を招いたのもハルヒなのだが)あの時、俺達の命を救ってくれた訳だし、其れに報わないのは例え命の危機に晒されているとは言え筋違いなのは俺にも分かる。
そして、コイツがあの時、俺達を殺そうと本気で考えていたのはコイツの所為では無い訳で。

「嗚呼、そうだ」
「何よ?」
「ほら、あの時。あれ以降お前に遭えなかったから仕方なかったってのも有るんだが、鶴屋さんの命を助けて貰っておいて、お礼を言ってなかったな」
俺は立ち止まって、ハルヒに頭を下げた。柄じゃないが、しかしこういった事はしっかりと誠意を見せておくべきだと思う。
「ありがとう。助かった。この世界に絶望せずに済んだ」
「ふ……ふんっ! あんなのでも居なくなったら勇者発見確率が下がるでしょうが。仕方なく、よ」
「お前、今日だけで何回『仕方なく』って言った?」
俺の問い掛けに「数えてる訳無いじゃない!」とそっぽを向いて歩き出す、そんなハルヒが「ハルヒ」とダブった。
余り適切な表現ではないかも知れないが、しかし、そんな感じだったんだ。だから敢えて言い方は変えないでおく。
「なぁ、なんで俺を殺さなかったんだ? 自分で言うのもなんだが、ベッドに寝かせるよりも窓から放り出す方がお前らしいって言うか」
「単なる気紛れよ。其れに、ほっといても勝手に死ぬじゃない?」
ハルヒの奴が大股で歩くもんだから、隣を歩く俺も少しばっかりペースを速める。
「アタシ、介錯って好きじゃないのよね」
うーん、不穏当な発言だ。多分、ソイツは好き嫌いで判断するようなモノでは無いと俺は考えるのだが。
「其れに、アンタなんかでも、後一日も残って無くても『もしかしたら』って有るじゃない?」
「もしかしたら」と口にした時のハルヒの横顔は少しだけ楽しそうだった。ふむ。分かりにくいがコイツも所謂「ハルヒ属性」みたいなモノはきっちりと持っているらしい。
「だから、アンタはアタシの期待に応えられるように精々努力しなさい!」
「へいへい」

なんだかなぁ。……言葉だけ切り取ってみたら何時も通りに聞こえない事も無くって。

勘違いしてしまいそうになる。

「其れよりも先ずはお風呂よ! 命の洗濯って奴をしておけば、自ずと力を出すべき時に力は出て来るモンなのよ」
「嗚呼、そうだな」
なんて同意した俺の口角は少しだけ上がっていたりしたんだ。



風呂場は男女別だった。いや、落胆したりとかはしてないぞ? むしろ安心したぐらいだと此処に言い含めておく。
「キョン、お風呂に入る前にアレを触っておきなさい」
と言ってハルヒが指差したのは……何だ、あのぶにょぶにょぐにゃぐにゃした紫色のモノは? 何で風呂の入り口にアンナモンが置いてあるんだ?
「スライムよ」
「はぁ」
当然とハルヒが胸を張るのだが、イマイチよく分からん。何がさせたいんだ、お前は。
「うーん、何て言えば良いのかしら。ま、実際にやって見せた方が理解も早いでしょ」
そう言って其れに数秒手を置くハルヒ。スライムの内部に泡が立った後、其の一部が分裂……って言えば良いのだろうか? 子猫程の大きさの塊が其処から飛び出た。
「……訳が分からんぞ?」
「まぁ、見てなさい、って」
ハルヒが俺の前に右腕を出す。一寸待ってろ、ってか。はいはい、何が起こるのかは知りませんが……っうぇ!?
「……ハルヒだ」
「失礼ね、アタシじゃないわよ」
俺の視界で見る間にハルヒそっくりに変態したのは、一寸だけ飛び出した件のミニサイズスライム。
見た目だけは瓜二つである。まぁ、ハルヒ’(とでも呼んでおこう)の方は眠たげな半眼なので見分けが付かない訳じゃないが。しかし、一体、如何なってやがるんだ?
「このスライムはね、自分に触れた生き物の魔力をちょこっとだけ貰って生きてるのよ。元々は野に居るモンスターとかが主食なんだけど。で、魔力を貰った生き物の姿を真似て、其の姿をもって同類を誘う、ってワケ」
おお、不思議生物だな?
「あんまり理解してないわね……ま、馬鹿キョンなら仕方ないか。で、コレは其れを一寸だけ改良したものなのよ。簡単な命令も受け付けるように」
「ふーん」
まぁ、なんとなくで良いなら理解はしたよ。出来れば何に使うのかと、何で浴場の前に設置されてるのかまで教えてくれると助かるんだが。
「此処まで言っても分からないってアンタは筋金入りの馬鹿なの?」
「悪いがお前の説明で理解出来る奴は少数派だと答えさせて貰う」
「あ、そ。まぁ、良いわ。簡単に言うと『今使用中ですよー』って立て札の代わりなワケよ。誰が入ってるかも分かるし」
成る程。漸く理解した。しっかし、其れなら立て札で良いんじゃないか?
「この城の浴室にはね……覗きが出るのよ」
……嗚呼、そうか。お前も大変なんだな……。
「そういうのを防ぐ為に、誰かが入って来ようとしたら其れを妨害するように命令しておくの。突破されたら大声をあげるようにも、ね」
沈黙する俺を置いてハルヒはスライムに対して一言二言何かを伝える。
「じゃ、アタシはこっちだから。死にたくなかったら変な事を考えるのは止めておきなさい?」
説明責任は果たしたとでも言いたげに暖簾の向こうへと消えていくハルヒ。赤暖簾には「女湯」……ね。如何でも良いが何故にこの浴場はこんなに日本的なんだろうか。
「ま、考えた所で仕方ないな。どうせアイツの趣味だろうし、なら考えるだけ無駄、か」
俺はスライムに手を置いて其れが俺の姿を取った事を確認すると青い暖簾を潜った。
ウィンドウを確認すると本当に少しだけMPが減っていたのは……まぁ、別に書くほどの事でもないな。

「うああぁぁっ」
久し振りにデカい風呂に浸かったのだからして、少しぐらい呻くのは大目に見て貰いたい。つか、俺だけじゃないよな?
「堪らねぇな、しっかし。やっぱ日本人は風呂に限るって事か」
湯を掬って顔にぶつける。そう言えばこのSSで風呂の描写って初めてじゃないか? いや、ちゃんと入ってはいたんだぞ、と誰に向かってかは知らないが一応釈明しておく。
「まぁ、そんなん如何でも良いか」
「そうですよ。今はこの湯に身体を委ね、日頃溜まった疲れを癒してみては如何ですか?」
「だよなぁ。お前と意見が合うのは余り歓迎したくは無いが、コレばっかりはしょうがないよな」
「おやおや。これは全く、酷い言い草ですね。しかし、其れも貴方らしいと言えば、そうですか」
「如何でも良いが、あんまり寄るんじゃないぞ。こんだけ広いんだから近づく必要は何処にも無い事を早目に伝えておく」
「なんですか、其れ?」
「深くは考えるな。……にしても、お前少し声低くなってない……あ?」
当然の疑問に漸く気付いた。つか気付くのが遅過ぎるだろ。なぁ……俺は今、誰と喋ってるんだ?
此処にアイツが居る訳は無い……にも関わらずこの声の主は間違い無く、あの似非スマイル超能力者だ。
「嗚呼、今の僕は如何か『ハートブレイク』と呼んで下さい。まかり間違っても、キョン君が思い浮かべた名前を僕に向かって告げないようにして下さいね?」
「ハート……ブレイク?」
「はい。失恋。済んでしまった恋。其れが今の僕に与えられた名前です。ま、簡単なアナグラムによる偽名ですが。如何か意識して解かない様にお願いします」
戦慄する。ロック鳥の背で助けられたアイツに続いて……こんな奴まで出てきやがるのかよ?
「本当は別の人が出たがったんですけど、ね。しかし男湯に乱入させる訳にも……何と言いますか、慎みに欠けると思ったので自粛して頂きました。いやはや、彼女が未だ未だそういった方面での常識に欠けるのは……御察し頂けるかと」
ソイツの冗談染みた台詞も、まるで耳に入らない。俺はかなり動揺していた。
「……如何いう事だ?」
思いつく限りの全ての疑問を乗せた一言に、男がふっと笑う。
「ダメですよ、キョン君。スケアクロウさんも仰ったと思いますが『ソレ』は貴方が自力で解くべき問です。僕らに出来るのは……そうですね」
湯をざぶざぶと掻き分けて、ソイツが俺の方へと歩んでくる。湯気で顔が半ば隠れているが、しかし其れにしたって見間違える筈も無い。
「こうして、口に出さずしてヒントを差し上げる事くらいの事でしょうか」
俺の知っているソイツよりも幾分老け込んだソイツが、今のソイツの様にニヤケて見せた。
何だ? 何が起こっていやがる? ってか……何の冗談だよ……何の冗談なんだよ!
「お前は誰だ!? 答えろ、こいっ!?」
口を手で塞がれる。湯に塗れた其れを気色悪いと、抗議する間も無くソイツは告げた。
「言ったでしょう、そっちの名前を口に出してはダメだ、と。もし口に出せば其の瞬間、僕は貴方の敵に回らなければいけなくなるんですよ。そして、其れはもう少し後で……そう、決まっています」
訳が、分からなかった。この世界に何が起きているのか。目の前に居るコイツが何を意味しているのか。一体全体……。
「意味が分かんねぇよ……全然……何が如何なっちまってんだよ!!」
俺の、誰に向けたかも分からない、恐らくは世界そのものに向けた叫びが、風呂の壁に反響して残響した。

「少し、落ち着いたら如何ですか? 僕だって、今此処で貴方に何をする心算は無いのですから」
男が笑う。よくよく見れば其の顔の微笑みに違和感を感じる。何と言えば言いのだろうか。古泉表情学の権威を名乗る気はさらさら無いが、しかし、其れにしたって何かがオカしい。
何時もと違う。年齢とか、そういったものから引き起こされるのとはまた別種の、違和感。
これは……そう。何かを隠そうとしている時の笑み。
「今此処で、って言ったな」
「ええ」
「もう少し後で、とも言ったな」
「おや、聞いていなかったのではないかとの危惧もしていましたが……如何やら杞憂のようですね。結構です」
ソイツが湯船に身体を沈めながら冗談めかして言うが、そんな事は如何でも良い。
「お前は魔王配下……いや、そんな事は関係なく。お前は、俺の敵なんだな」
憤りをなるべく押し殺すようにして俺が呟いた一言に対して、愉快そうに。そして辛そうに、「ハートブレイク」は頷いた。

「……少し、例え話をしましょうか」
男は俺と正対する位置に移り話し始める。
「一番大切な人を生かす為に、二番目に大切な人を手に掛けなければならない、となったとします」
「いきなり、エラく重い仮定だな」
「ええ。其れなりに真面目な話ですから。では、本題です。もしも貴方なら、如何しますか?」
一番大切な人と二番目に大切な人を天秤に掛けろ、か。
「考えるまでも無い。二番目に大切な奴を手に掛けずとも一番目に大切な奴を助ける為の方法を探す」
「まるで正義の味方ですね」
男が目を伏せる。……一体何が言いたい?
「では、更に条件を絞り込んでいきましょうか。そんな方法が、もしかしたら有るのかも知れません。しかし、残念ながら時間が無かった、としてみましょう。今度は、如何されますか?」
……考えたくも無い。選べる筈も無い事は、お前が俺の知っている通りの人間だったなら分かるだろ?
「ですが、選ばなければいけません。嗚呼、手に掛けた後の事後処理は気にしないで下さい。其の為の、機関ですから」
「ふざけんな」
「先に言ったと思いますが、至って大真面目ですよ」
「だったら尚更だ。そんな事になる前に何とか出来なかったのかよ」
「知った様な口を聞かないで頂けますか、只の子供の曲をして」
殺気すら感じる鋭い視線で睨み付けられる。感情を吐露しようとしないソイツが、こんなあからさまな憤怒の情を見せるとは思ってもみなかった。
「なっ!?」
「僕は何と言われても構いません。しかし、其の方法を見つけようと十六年間足掻き続けた彼女達の思いを簡単に否定した事は、決して許す事は出来ません。如何か撤回して下さい」
その顔は、泣き顔にも見えないことも無くて。何時もの微笑の仮面を被ってはいてもまるで隠せてはいない、ソイツの心の内を初めてぶつけられた気がした。
「……何が、有ったんだよ」
「其れが言えたら苦労しないから、こうして例え話をしているのだと察して欲しいものですね」
上手、上手に言い返される。何時もの古泉よりも更に性質が悪い。年の所為か? 如何しても後手後手に回される感覚。上手い返しが、出て来ない。
「何時か、貴方は二つの世界の内どちらかしか存続出来ないという選択の場に立たされた事が有ると、そう聞き及んでいます」
一寸待て! なんでお前が「あの事件」を知っていやがる!?
「其の時、貴方は選択した筈です。元の世界を。今度は僕達が、同じ岐路に立たされているのだと、そう言えば少しは分かって頂けますか」
……マジかよ。
「ええ。だから、僕は聞いているんです。他でもない貴方に。貴方なら、如何しますか。罪悪感に負けて一番大切な人を見殺しにしますか。其れともエゴを通して二番目に大切な人を手に掛けますか」
「お前は……選択したのか?」
「ええ。僕は選びました。一番大切な人の為に二番目に大切な人をこの手に掛けようと、そう決めました。今の貴方の様に、何も選べない優しい人に代わって、優しくない僕が」
そうか。コイツがこんな表情をしてるのは……そういう理由か。
「……だから、俺の敵に回るのか」
「そうなります。二番目に大切な人、とは誰の事か。最早お分かりのようですね。申し訳有りませんが、僕は其の人を殺そうと思っています」
殺す。そんな言葉がとても自然にソイツの口から出て。そして其れを、俺も当然だと感じた。
死ぬ程悩んで死ぬ程後悔して死ぬ程絶望した、そんな過去が男の声から手に取るように理解出来たからかも知れない。
「そうかい」
何も言えなくなった時、俺に残されてる言葉ってのは、何時もこの四文字だけ。自分の語彙力に憐れみすら覚える。嗚呼、情けねぇ。

考える。考える。俺の周りに散らばったピースが少しづつ、有るべき場所に嵌まっていく。頭の中で一つの真実の形を成していくのがハッキリと分かる。
まるで、霧が晴れていくように。


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あきゅろす。
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