ハルヒSSの部屋
涼宮ハルヒの戦友どっかーん 7
死ぬまで生きるだけならミジンコでも出来る。人間らしさってそうじゃないだろう?
何故、人の形をして産まれて来たのかを思い出せ。
望まない結末なら全力で否定するべきなんだ。其の結果、朽ちたとしても本望じゃないか。
少なくともハルヒなら全力で同意してくれるぜ。「アンタも漸く分かってきたじゃない!」とか何とか言ってな。ハレハレな笑顔で叫ぶ其の顔が目に浮かぶね。
綺麗事? 結構だ。そう言って貰えるのは寧ろ嬉しいってモンで。
だってさ。綺麗事は綺麗だから綺麗事って言うんだろ? 心からソイツを叫んでみたいから綺麗事って言うんだろ?
だったら俺は叫んでやる。其の、アンタらが直視出来ない綺麗事ってヤツを。

アンタらの、心の奥まで届けてやる。


「感謝してる」
上を向いて真っ青な空にハルヒへの恨み言をぶつぶつと吐き続ける俺に向かって、声が降った。
「君は僕の呼び声に見事に応えた。立ち上がってくれた。……分かっていたとは言え、此処まで君が僕の思った通りの人だったなんて嬉しいよ」
女が背中越しに呟く。其の声は強く優しく。
気取っている訳でもなく、強がっている訳でもないのに凛と立つ其の姿を見て、きっとヒーローなんてモンは向いてないんだな、と今更ながら俺は頭を掻いちまうね。
ヒーローってのはピンチに颯爽と駆けつけて、そして雰囲気を一変させる、コイツみたいなのの事を言うんだろう、きっと。流石に俺にはこの役柄は荷が重い。
「キョン、其れは違う。ヒーローというのは其の人自体は強くなくて良いんだと、僕は思うよ」
そうかい。俺が考えるヒーローなり勇者なりってのは、震える仲間を背にして一番に敵に向かっていく様な男なんだがね。
「其れなら既に実践済みじゃないか」
女の肩が揺れる。笑っているのだろうか。
「君はこの絶望的な状況で立ち上がった。きっと、君以外の誰にも出来はしないだろうね」
そうでもないと思うが。しかし、此処は素直に受け取っておくべきだろう。
「有難うよ」
「礼には及ばない。君と僕の仲じゃないか。其れに礼を言うのは僕の方だ」
は? 何故にお前が礼を言う必要が有る?
「『待たせたか』ね。うん、格好良かったよ。良いものを見せて貰った」
……女の笑い声に自分の顔が赤くなるのがありありと分かった。
つか、最初から見てたんならもっと早く登場したら如何だ? って、俺の話しなんかやっぱり聞いてないのな。

「嗾けたのは僕だからね。そして君は立ち上がった。ならば、嗾けた人間として責任は取らなければならないだろう?」
女が凛と前を向いた。国木田と、谷口を見据える。風に震えるは紺で統一された美しい衣装。握られた呪符(っつーのか?)が手のひらを離れて女の周囲に展開される。其れは桜吹雪にも似て。
「此処から先は僕のターンだ」
其の後姿をヒーローと呼ばずして何をヒーローと呼ぶべきなのか、なんて事は一寸俺の脳味噌じゃ見当も付かなかった。

涼宮ハルヒの戦友どっかーん第七章 「It's my turn !!」

「如何やら、本気で僕達二人を相手にする覚悟みたいだね」
国木田の台詞に谷口が身を低くする。クラウチングスタートの様なものだろう。其の姿勢からは何時でも飛び出せる、そんなサバンナのライオンもかくやと言った空気が見て取れた。
正しく一触即発、って奴か。俺達の間に流れる「剣呑な」って形容詞じゃ全然足りない緊迫な空気がびりびりと肌に凍みて比喩でなく痛いぜ。
「君達が退いてくれれば、僕も手荒な真似はしないと言うか、出来ればしたくないんだけどね……」
しかし、全くそんな空気を意にも介さず喋る女。えっと……其の心は?
「……弱い者苛めって格好悪いだろう」
薄紅色の唇から零れ出した溜息に谷口がキレた。
「抜かせッ!」
蛮人が高速で俺達に飛び掛かる。しかし、其れを予見していたのだろう。女は俺を振り向くと、古泉お得意のジェスチャーをした。「困ったものです」って奴か。
……そんな場合違う! ほら、後ろから凄ぇ形相で谷口が迫ってきてんぞ!
「分かっているから、そう急かさないでくれないか。僕としては君とこうして歓談するのは久々なんだ。もう少し、こう、余韻を楽しませてくれよ」
いやいや、何を悠長な事を言ってやがるんだ。会話なんざ別に今じゃなくても出来るだろ。なんて台詞を言う事も出来ず。
俺は唐突にやってきた強烈なGに脳を揺らされていた。女に抱えられて宙を舞っているのだと、気付いた時には某フリーフォールなんて目じゃない自由落下が俺を待っていて。
「マジかよぉぉっっ!」
靡く様な前髪が無くて助かったとでも言えば良いのか。何時ぞやの朝倉もビックリの大ジャンプを披露した女のフードが強風に煽られて、ソイツの素顔が陽光の下に晒される。

其処に有ったのは、想像通りの顔だった。と、描写すると少しばかり嘘が有るな。

「やっぱりお前だったのか、ささ……」
「黙っていないと舌を噛むよ、キョン。嗚呼、其れとね」
トン、と。速度に反して音も無い鮮やかな着地をするソイツ。しかし、其の瞬間を狙って谷口が放った幾十もの輪剣が風を切って俺達に迫る!
「君に其の名で呼ばれるのは些か不満が有るな」
まるでよく分からんが……なら、何て呼べば良いんだよ? って俺も何でこんな切羽詰った場面でこんなに暢気な会話してやがんのかね。
……どうも調子が狂うな。女に引き摺られているんだろうか。
「今はスケアクロウだ。慣例に従って君にもそう、呼んで貰いたいね」
俺の良く知る少女の面影を其の顔に残す女は、片手を来たる暴力の嵐に向けて翳した。其の手に導かれる様に呪符が移動して輝く。ソイツが形作る見えない壁に吹き散らされる輪剣。アニメみたいだな、オイ。
っつか……慣例って何だよ。
しっかし、こうも台風みたいに色々やってくると、現実感なんて何処にも見当たらんね……。
俺はささ……スケアクロウの背中に隠れた侭嘆息する。
「やるね!」
背後から国木田が楽しそうに叫ぶ。って、何時の間に近づいて来たんだ、コイツ!
「間接攻撃と直接攻撃を入り混ぜるのは基本でしょ?」
冥王の手の中に影が収束し大鎌の形を取る。
「コレなら君の結界でも防ぎきれないよね。言っとくと谷口のチャクラムとは訳が違うよ?」
「成る程。多重攻撃か。流石、上手いね」
振り下ろされる鎌。今にもソイツが俺ごと自分を両断するかも知れない、ってーのに女は不適に笑ってみせる。
……ん? 俺ごと? ……いやいや、待て待て待て待てぇぃ! 俺ごとであってもなくともコイツはピンチって奴じゃないのか!?
だってのに、コイツはなんでこうも余裕なんだよ。
「余裕? 違うよ。今際の際まで笑顔で居ろと、僕に言ったのは君じゃないか?」
言った覚えが無いぞ、と言う事も侭ならず。ソイツは俺を庇う様に俺と国木田の間に立つ。
真っ白な腕を空でも掴む様に掲げて……もしかして鎌を受け止める心算なのか!?
「無理だッ!」
「無理だよ!」
俺と国木田の叫びが重なる。嗚呼、国木田のは叫びって言うよりも雄叫び、って言った方が正しいか? ってそんな事言ってる場合じゃねぇ!
「そうかい。何が無理なのかな?」
声に混じる余裕。コイツは何を考えてやがるんだよっ!?
女を庇おうとして抱き締めた。其の瞬間に雷でも落とされたみたいな閃光が、俺の網膜を焼いた。
ほぼ其れと同時に国木田の呻き声が聞こえる。
何をやったんだ、ささ……この女は!?
眩しくて目を開けられない俺に優しい声が降る。
「良いかい、相手にダメージを与えられる手段なんて言うのは一つで良いんだよ、キョン。大切なのはね」
直後、近くで車でも爆発したんじゃないかって炸裂音。国木田の叫び声が遠ざかっていく。何だ!? 何が起きてるんだ!?
「何処で其のカードを切るか、なんだ。よく覚えておくと良い」
漸く涙も止まって目を開けた俺の視界に飛び込んできたのは、谷口を巻き込んで吹き飛ぶ国木田の姿だった。

吹き飛ぶ国木田を受け止めた谷口が展望台の縁、寸での所で踏み止どまる。ちっ。流石に二人揃って之で強制退場とはいかないか。
つか、何したんだよ、お前!?
「嗚呼、閃光による目潰しと爆発系の呪文さ。連続詠唱、って奴だね。どちらも至近距離で叩き込んだんだけど、多分ダメージは無いね。間合いを開ける程度の意味でしか無かったみたいだ。勿論、リングから落下してくれる事を狙っていたが……そうも簡単にはいかないらしい」
そう言って女はチラリと二人の魔人を見やる。
「流石は同位と言った所かな。咄嗟に簡易の防御障壁を展開する国木田君も、まるで見当違いの方向に飛ばした筈の彼を吹き飛ぶよりも速く回り込んで受け止めた谷口君も、ね」
オイオイ、何褒めてんだよ。今がチャンスなんじゃないのか? 畳み掛けるんじゃないのか?
あんまり長引かせると作者が泣くから決めるならさっさと決めてくれ。
「勿論だよ、キョン」
にやりと笑う女。ビームでも出るんじゃないか、って鋭い目で二人を見据える。
そして俺に向かって何事かぼそぼそと呟いた。うん? 何言ってるのかわかんないぞ? もっとはっきり喋ったら如何だ?
「おまじない、だよ」
はぁ?
「……さて、之からキョンには『ある呪文』を唱えて貰いたいんだ」
俺に向かって耳打ちする女。いや、其の魔法なら覚えてない事も無いが……はっきり言って何の役にも立たんぞ?
「構わない。僕が『今だ』と言ったら正面に向けて其れを発動してくれ。良いね?」
良くない。作戦が有るのなら、せめて全貌を教えていけ。
「そんな暇は無いね」
はっきりすっぱりすっきり言い切るソイツ。
「態勢を整えさせる時間は残念ながらあげない事にしているんだ。何事においても……例えば恋愛とかね。之も君が教えてくれたんだよ」
言うが早いか女は駆け出す。紺のマントが風に吹かれて揺れる。何度でも言わせて貰うが、其の後姿は俺が成りたかったヒーローにしか見えない。
もしくは戦場に舞い降りた女神……か。我ながら臭い比喩だと思うが仕方ない。
アイツは俺に勝利を運んできたんだから……ドイツもコイツもピンチにしか現れてくんねーのが玉に瑕だけどな。
……やれやれ。

「国木田っ!」
谷口が国木田を揺するも国木田は動かない。コイツは……もしかしてマジで気絶してんのか!?
って事は、だ。谷口と国木田には悪いがコイツはひょっとして……ひょっとしなくてもチャンス?
「今だ、やっちまえ、ささ……」
「僕はスケアクロウと呼んで欲しいと言った筈だよ!」
……声を荒げてまで遮らなきゃならんのだろうか、ささ……スケアクロウよ?
ま……まぁ、兎にも角にも? 女は先程の谷口のスピードに勝るとも劣らない速度で二人に迫っていく。其の左手には球形の青い光。
何の魔法かは分からないが、ほぼ間違い無くアイツの言っていた「切り札」って奴なんだろう。つか、この場面で其れを切らないなんて考えられない。うん、自分でも単純だと思う。
ここで「メド○ーアじゃなくてベギ○マでしたー」ってやられたりしたら簡単に騙されるんだろうな。全く、大魔術師への道程は長く険しい。
そんなもんになりたかったりはしないが。
実況に戻るぞ。女が豹のようなしなやかな走りで二人に迫る。
「之で終わりさ」
言って其の腕の螺旋○を二人に向けて解き放……てなかった。
二人にぶつかる前に青光が消滅したから、ってのが其の理由。……何だって!?
「敵を騙すには先ず味方から……兵法の初歩の初歩だよね」
そう語ったのはスケアクロウじゃぁ無かった。

「大体、あの程度で此処まで僕が気絶する訳が無いだろう? 冥王を舐めるのも良い加減にするべきじゃないかな」
谷口に抱えられた侭の国木田が、地面からたった今這い出てきたゾンビみたいにゆっくりと上体を起こす。歪んだ微笑を其の顔に貼り付けて。
「お返し♪」
何処までも愉悦を含んだ其の言葉と共に、俺の親友が吹き飛んだ。

上体を大きく反らしながらも女は辛うじて踏み止どまる。其処に阿呆の一つ覚えみたいに突撃する谷口。
って、え?
オイオイ、あの馬鹿! 途中で方向転換して俺の方に向かって来てやがるぞ!!
「くっ……キョン!!」
スケアクロウが叫んで俺に近寄ろうとするも立ち上がった国木田が其れを許さない。
「君の相手は僕がしてあげる。役不足かもしれないけどね」
マズい。之はマズい。非常にマズい。おい、GOサインは未だかよ! 今、何の対策も打てなかったら、冗談じゃなく俺死ぬぞ!?
スケアクロウを見る。ソイツも俺の方をちらちらと見ていたらしい。視線が絡み付く。其の眼には絶望なんてこれっぽっちも浮かんでいなくて。
何処までも、余裕。
……そうかい。何か策が未だ有るんだな。そうだな?
信じさせて貰うぞ、親友。

俺に飛び掛ってきた谷口が笑う。
「取り敢えず、死んどけ」
言葉と共に、俺に凶刃が振り下ろされる。
絶望的な状況なのに……なんでだろうな。俺は目を瞑って、アイツから来るであろうGOサインを耳を澄ませて待っていたんだ。
信頼、って奴か。嗚呼、重ね重ね臭くて申し訳無いが、其れでも俺は信じていたんだ。
アイツなら……俺の一番の親友にしてヒーローなら、この状況から特大の逆転満塁サヨナラホームランを打ってくれる、ってな。

パキン。

乾いた、指を打ち鳴らす音が世界に響いて。
瞬間、俺の意識がブレた。

「今だ」

聴覚がアイツの透き通った声を拾う。其れが脳に伝達されて俺の口へと信号を発信するのが手に取るように分かった。一瞬が何秒にも感じられた、って言ったら信じるか?
でも、事実そうだったんだから、仕方が無い。そう言う以外に俺には表現が出て来ないんだ。
眼を開く。そして叫んだ。
「イキヲフ=キ=カケルナ!!」

俺の言霊に応じて、谷口の背中を突風が襲う。ソイツは立っていられないとかそんなレベルじゃない。敵を吹き飛ばし背後の何がしかに叩き付けてダメージを与える為の風。
そんなものを背後から、しかも完全に意表を付いてとなれば如何に谷口とは言え堪えられる訳は無い。
少年の体はまるで糸の切れた凧の如く宙を舞った。其の先は、何も無い。

此処は空の上。

ん? 背中?
一寸待った。俺、何時の間にアイツの背後に回ってたんだ? 先刻、一瞬だけ意識が飛んだが、もしかしてあの時に空間移動魔法でも使われたのだろうか……って、恐らくそうなんだろう。
其の感覚はかつてハルヒによって空間移動をして貰った時に、よく似ていたからな。
ならばあの、指を打ち鳴らす音がトリガーで。
呪文を使ったのは誰か、なんて考えるまでも無い。
「僕の『おまじない』は効果が有っただろう?」
そう言って国木田と対峙する女はくっくっくと楽しそうに笑った。そして緊張の糸が切れた俺は其の場にへたり込んでしまった訳だ。

「谷口!!」
国木田が虚空に向かって飛び出す谷口を庇おうと動く。しかし、回り込まれてしまった! そんなメッセージが幻視出来る様な動きで道を塞ぐ女。
「君の相手は僕じゃないのかい? 一度言った事には責任を持ってくれないと困るな」
国木田が舌打ちする。対するスケアクロウは毅然としたものだ。
傲慢不遜なハルヒが動とするなら、ソイツは静。同じ仁王立ちにしたって性格がよく出ているな、と思う。こんな時に何を考えているのか、って感じだが。
まぁ、勘弁してくれ。俺としちゃ生きるか死ぬかの瀬戸際だったんだ。一寸くらい呆けて馬鹿な事を考えていたとしても大目に見て貰いたい。
「先刻の授業の続きだ、キョン」
紺のマントを靡かせて、ソイツは謡う様に言葉を紡いだ。
「致命傷を与えられる手段が無い場合はね。其の時は何を以って勝利条件とするかを考えるんだよ。今の場合はリングアウトと言った所かな。
僕の補助が有ったとは言え、君にだってあれだけの事が出来るのさ。胸を張って良い」

「覚えてろー」とか叫んで遥か眼下の海へと際限無く落ちて行く谷口を放置して、ソイツの話は進む。如何でも良いが、谷口よ。お前はバイ○ンマンか。
「今回の勝利は、間違い無く君の手に拠るものだ」
国木田が笑みをひくつかせているのが何だか妙に面白くて、俺は座り込んだ侭の姿勢で大笑いをした。

長々と話していて悪いが之にて無事に決着、である。

「未だ、やるかい?」
女が国木田に向けて静かに微笑む。真昼の月の様な、針の先の様な鋭敏さを持って問い掛ける。
「君が続ける心算なら付き合ってあげるよ?」
俺に歩いて近付きながらソイツは呟く。国木田に背を向けているのは……其れだけ余裕が有る、って事なのだろうか。
「意地悪だね、君は。僕に続行する理由が無いのを知っていながら、敢えてそんな問いをするなんて」
国木田の腕の中の大鎌が風に溶けて消える。
「降参だ。大体、今回の仕事は谷口に命ぜられたもので、僕はバックアップに過ぎないからね……これ以上やる意味も無いさ」
冥王が体の割りに大きめの黒いローブの中で肩を竦める。いや、国木田が小さいから普通サイズのローブもだぶだぶに見えちまうんだろうな。
「でも、覚えておくと良いよ、キョン」
「へ?」
いきなり話題の矛先が自分へと向く。国木田が俺に向けた視線は……何っつーか、黒い愉悦を湛えていた。
遊び相手を見つけたチェシャ猫と、口を開けば死刑を望むハートの女王を二で割った様な……自分で言っていてよく分からん例えだな。すまん。

「二度目は無い」

その一言が捨て台詞。間も無く黒い立ち姿は球となって虚に消えた。

「終わった、のか?」
「嗚呼、終わった。お疲れ様、キョン」
女が俺の前にしゃがんで微笑む。
「今日の君は、とても格好良かった。見に来れて、本当に良かったと思っているよ」
「……あんまりからかうな」
立ち上がろうとする。無意識に手を宙に出した。
「引き上げてはくれないのか?」
「僕は君の隣にずっと居る。だけどね、決して手は引かないんだ。そう決めてる」
「何だよ、其れ」
「僕の親友は、誰の助けも借りずに一人で立ち上がる男なんだよ。其の姿に僕は……僕達は惹かれたんだ」
「だから、そういう冗談は止めろって」
言って俺は立ち上がる。よいしょっと、って声が口から漏れちまうのが我ながら年寄り臭い。
「冗談だと思うのかい?」
「嗚呼、大いに思うね」
「そうか……どうも、僕の知っている君よりも君は意固地だね」
お前の知っている俺?
「其れってどういう……」
「残念ながら台本に書いてない台詞は喋れない」
女が俺の口に手を当てる。其の指からは嗅いだ覚えの有る匂いがした。
「台本?」
「そう。台本」
台本、ってのはアレだろ? 舞台とかドラマとかを演じる時に前もって仕草や台詞が書かれていて……。
「……何を知ってる? お前は……何を隠してる」
スケアクロウはくっくっく、と肩を揺らした。
「先刻と同じだ。僕は台本に書かれていない台詞は喋れない。例え君の問いへの答えを持っていても。例え僕が君を愛していたとしてもね」
「あ……愛!?」
「言っておくけど、友愛や親愛の類では無いよ? 嗚呼、この台詞は台本に載ってなかったかも知れないな……まぁ、良いか」

恥ずかしがる様子も無く女はそう言って、恥ずかしくてむしろ顔を真っ赤にしているのは不公平にも俺ばかりだった。

「さて、今日の僕はピンチヒッターでも有り、そして又、メッセンジャーでも有るんだが」
全くもって話が見えてこない所為でメダパニする俺をさて置いて、女は話を続ける。
「正直、そんな事情は全部忘れてしまいたいと言うのが本音だ」
オイ、コラ。正直過ぎるにも程が有るだろ、お前。
「まぁ、人間とは年を取ると素直になる生き物だからね。仕方の無い話なのさ」
やれやれ、と嘆息するソイツ。否、そんな御託は良いからさっさと本題を話せ。
「全く、君は結論を急ぎ過ぎるきらいが有るね。十六年振りの再会なんだから、もう少し感動的でも罰は当たらないと思うよ?」
……十六年振り?

「おっと、口が滑ったな。忘れてくれ」
そう言ってニヤニヤと笑む女。其の目は爛々と、俺の様子を伺っていて。……間違いない。コイツ、態と口を滑らせてやがる。
台本、と。コイツはそう言った。十六年振り、とも言った。
俺の知る限りのコイツはそう簡単に口を滑らす様な奴じゃない。俺の推測が正しければ、だ。
「このやり取りを、お前は既に知っているんだな。既出、って奴だ。そうだろ?」
「ご名答……くっくっく。ヒントは出し過ぎるほど出した訳だから気付くのは比較的容易だけれど。しかし、賞賛を送ろうか」
結構だ。
「如何してだい?」
このやり取りを知っているのなら、俺が気付くのもお前には分かり切ってる筈だからな。……朝比奈さん風に言えば既定事項。そういう事だな?
「嗚呼、其処まで気付くのも知っているよ」
全部見透かされてる、ってか。全部、お前にとっては小芝居でしか無い、ってか。
「そうだね。哀れだろう?」
「一つだけ、聞かせろ」
俺は言って、杖を女に向けて構えた。

「お前は俺の敵か? 味方か?」
「敵でも味方でもない。僕の立ち位置は……そうだね。強いて言うなら、君の親友さ」
そう言って女が見せた表情は、俺が知っている少女の笑顔にそっくりだった。

「俺達は過去か?」
「ノーコメント」
「お前は俺達と同じ世界の人間か?」
「ノーコメント」
「お前の……お前らの目的は?」
「ノーコメント」
「ジョン=スミスの正体は?」
「ノーコメント」
「お前は誰だ?」
「ノーコメント」

「ならば結末は既定事項なのか?」
「……此処までの質問に関しては全てノーコメントだ、キョン」

「クソッタレ!」
俺は地面……鳥の背中を蹴る。何て事は無い。只の八つ当たりだった。
「お前は……俺の知らない事を色々知っているんだろ!? なら、少しぐらい教えてくれても良いじゃねぇか!」
声を張り上げる俺を、女は冷めた目で見ていた。
嗚呼、そうか。此処で俺が激昂する事も、コイツは知っているのか。俺が何を思い、何を考え、何を話し、何をするのか。全て知っていやがるから、動じる事が出来ない。
悲しそうに、少し伏せた眼も、演技でしかない。そんな風に思う、俺は性根がひねくれ曲がっているのだろうか。
「すまないね。僕には君に話せる事が殆ど無い」
女は一つ溜息を吐いた。其の仕草もまるで人形がプログラムに沿って動いている様に俺には感じられて。

「この状況……まるで何かの映画みたいだな」
「未来は白紙だ。そう、全てを知っている友人の博士が告げるんだね」
「どんな気分だ? これくらいは答えられるだろ?」
「そうだね……デロリアンに乗って未来を一足先に見てきたような気分だよ」
予想された回答では其れは有ったけれど、俺は笑った。

既定事項だからって、笑えない道理は無いんだと思えたのがせめてもの救い。

「聞かせてくれ、お前が持って来たメッセージって奴を」
風に靡く髪を掻き揚げて女が笑う。
「分かった。一度しか言わないから、良く聞いてくれ」
目を閉じる。目蓋を越えて外の光は明るく。しかし、視覚を閉じた分聴覚は鋭敏に、思考は良く回った。
俺は考える。一つのヒントも逃してはならない。一つの聞き逃しも有ってはならない。
「僕がジョンから言付かったメッセージは二つ。一つ目はこの世界での生死について。
この世界はハル……涼宮さんによって創造された世界。閉鎖空間に酷似した代物だと言うのはもう気付いている筈だ。よって、この世界で生きる者も皆、涼宮さんによって創造された神人の亜種だと思ってくれて良い。
先程の谷口君を引き合いに出して説明すると、だ。彼は神人が谷口君の姿を取っているだけなんだよ。そして其処に君達の世界の谷口君の性格がダウンロードされている……そういうモノだ。
もし、君がこの世界で谷口君を殺したとしても、本来の谷口君には何の影響も無いから安心してくれて良い。……安心して戦ってくれ」
成る程。朝倉と似た様な存在、って事か。
「って、一寸待てよ」
「なんだい?」
「其れって……其れって俺も! 否、俺だけじゃない。古泉や長門や朝比奈さんも『そういうモノ』って事なのか!?」
俺が俺ではない可能性。俺達が俺達ではない可能性。
長門ですら考えが及ばなかった第四の可能性が頭をチラつく。

何が言いたいのかと言うと、つまりは、
この世界の主人公は俺達ではなく、ジョン=スミスの側ではないのか。
其れが俺が気付いた、第四の……そして最悪の可能性だった。

其の場合、俺達が此処に居る理由は一つしか考えられなくて。
「君が考えているのは、自分達は体の良いやられ役なんじゃないか……って事だね」
俺の親友を自称する女は、見事に俺の考えを見透かして笑った。

「折角思い付いて貰った所悪いんだけれどね。其の可能性は無いよ」
何故だよ!? 何故、そんな風に言い切れるんだ!!
ジョン=スミスがヒーローで、俺が悪役で……なら、俺が殺される事も合点が入って……俺にはこの考えが一番正解に近く思えて仕方が無い!!
「君がそう考える……思い込もうとする気持ちも分からないではないけどね」
俺はハルヒがどれだけジョン=スミスに会いたがっていたかを知ってる! アイツがどんな思いをしていたかも間近で見てきた! なら……アイツの傍にずっと追い続けていた存在が居る、今の状況は願ったりじゃないか!
「そうだね。そうなのかも、知れないね」
俺はずっと考え違いをしてた。ハルヒがジョン=スミスなんて過去の亡霊じゃなくて俺を選んでくれていたんじゃないか、って思い込もうとしてた。
でも!
現実はそんなに簡単じゃない。理想的でもない。アイツが……涼宮ハルヒが無理やりに過去を忘れようとするなんて……考えられない!!
「キョンの見ている涼宮さん、か。ねぇ、キョン。君は涼宮さんの全てを分かっているみたいに言うけれど、其れは傲慢じゃないのかな?」
……なんだよ、其れ。
「君は人一人の全てを分かってあげられる程、何でも知っているのかい? 何だって気付いてあげられるのかい?」
まるで、俺が鈍感みたいに言うじゃないか。
「鈍感? 否、もっと酷いね。身勝手で横暴だ」
……なら、ハルヒが何を望んでいるのか、お前は知ってるっていうのかよ!
「少なくとも、彼女が今望んでいるのは君だと知ってる」
其の呟きは……其の一言だけは、とても演技だとは思えなかった。

俺は言葉を無くした。
「涼宮さんが望んでいるのは過去からの脱却だ。其の考えで相違無い。
一つ目のメッセージが途中だったね。この世界の生き物は神人の類だという話なんだが……例外が有ってね。其れはつまり『創られた』存在ではなく『呼ばれた』存在が居るという事なんだ。
考えてみて欲しい。二通りの人間が居る事に気付かないかい?」
……俺達が『呼ばれた』のなら『創られた』人間との違いは……。
「向こうの、本来の世界を覚えていない、って事か!」
「御名算。例外はたった二人。この世界の創造主である涼宮さんと」
「もう一人は……朝倉か!?」
「そうなるね。涼宮さんが記憶を無くしている……この世界に沿うモノに改竄されているのは当然として、朝倉さんが向こうの記憶を持っているのは……」
「否。朝倉は持っていない」
そうだ。アイツは本来の世界の朝倉ではない。本来の世界に既に朝倉は居ないから、ダウンロードするべき人格が存在せず……代替として『何か』で埋める必要が有った。
「其れだけが彼女が特別な理由では無いんだが……まぁ、良いさ。さて、此処まで言えば二通りの形でこの世界に涼宮さんに関係している人達が居る、と言う事実は理解して貰えた筈だ」
嗚呼、何と無くだが理解したよ。

「さて、二つ目のメッセージだ。『創られた』存在は死んでも本来の世界の其の人には何の影響も無いとは言ったね。
では、『呼ばれた』人間は如何かな?」
其の言葉で漸く一つの考えに思い当たる。……オイオイ、マジかよ。
「言わずもがな、だね。此方とあちらで存在が重複していないんだ。分かり易く噛み砕くなら、君や長門さん、古泉君、朝比奈さんの死は、現実世界でも死だと言う事さ」
何度か死ぬような目に遭ってきた。其の度に頭の片隅で「コレはあくまでゲームなんだろう」って考えていた節は確かに有る。
「そして、この世界の元となったゲームに『蘇生魔法』は存在しない」
そんな俺の甘い考えは、全て吹き飛ばされちまった。

「命の扱いには十分注意してくれよ、キョン。いつもいつも、僕が傍に居る訳じゃないんだから」
女の声なんか、まともに聞こえなくなる。そうとも。俺はこの世界に来て一番と言っても良いくらいに狼狽していた。

「おっと、そろそろ時間だね」
時間? 何の時間だよ?
「君のお仲間が君を心配して此処にそろそろやって来るのさ」
……古泉達か。
「待ってくれ! 俺には未だ聞きたい事が山程有る! 俺は……全然、疑問に関して解答を得ていない! むしろ疑問が増えちまったぐらいだ!!」
「今、この場では何を聞かれても答えられないから、どの道同じ事さ」
目を開く。微笑んでいる女。其の眼からは母親が公園で遊ぶ愛しい子供を見守っている時の様な、慈愛が見て取れた。
「だから、さよならだ、キョン」

女が俺から離れていく。何処へ行く気なのか。何をする気なのか。さっぱり分からなかった。だけど。
「……さよなら、じゃねぇだろ」
俺の声に親友が振り向く。
「そうだね」
「こういう場面で『さよなら』って言って分かれるのは親友じゃねぇよな」
「親友なら親友らしく、か。君は成長しても、芯の部分は其の侭だったんだね」
訳分かんねぇ事言ってんじゃねぇよ。今の俺とか未来か別世界だかの俺だかを同一視されても、俺は俺だ。
そして、お前が何処から来たお前であっても、お前は俺の生涯最高の親友だろ。

「またな」
「嗚呼……また会おう」

紺色の後姿が、幽霊みたいに少しづつ透けていく。
「最後に一つだけ。キョンに贈り物を」
俺から離れるように歩いていく。其の足は既に消え失せていて。其の体は鳥の背を離れ、宙に浮いていた。
「このゲームには裏技が有る。後で古泉君にでも聞いてみると良い」
其の言葉を最後に、とうとう其の姿は見えなくなった。
誰も居なくなった展望台で立ち竦んでいる俺に、朝倉の涙で滲んだ叫び声が届いたのは其の直後だった。


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あきゅろす。
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