ハルヒSSの部屋
オキノイシノ 3
誰に憚る事も無く。
神に憚る訳も無く。
彼女は語った。忌憚無き言葉で形無き想いを。過多に騙って語り続けた。
古泉一姫。
眠り姫。
その日、その夜は少女の為に有ったと。そう誰かに言われたならば、きっと俺は信じてしまうに違いない。
まさに、独壇場。この言葉すらこの夜の、この少女の為に有ったのではないかと錯覚してしまいかねない程に。
決して小さくないアロマキャンドルが燃え尽きてしまうまで。
彼女が口を噤む事は一度として無かった。
まるで泳ぐ事を止めたら死んでしまう魚みたいに。
俺に憚る筈も無く。
故意に恋して好意を乞う。
そう、それは。
強迫観念に囚われた恋愛パラノイアみたいに見えた。

「ふしだらな女だと思われたでしょうね。初めて会った男性に唇を……あまつさえ自分から押し付けるなんて。
ですが、勘違いしないで頂きたいのは、私は決して誰彼構わずにキスを仕掛けるキス魔ではないという点です。
この言葉でご理解頂けますか? そうです。貴方の至った考えは、それは自惚れでは決して有りません。
貴方が相手だから、貴方と私の二人きりだから、私は迷わずその唇を奪った。この解釈ですこぶる付きに正しいのですよ。
ええ、多少アルコールが入っているのは否定しません。先程まで一樹とお酒を酌み交わしていたでしょう。
彼と身体情報を半ば共有する関係の私には、彼が摂取したアルコールがどうしても引き継がれてしまう。ので、確かに少々昂揚してはいます。有り体に言えば私は酔っていて。
しかし、意識はしっかりしたものです。自分で言うのもなんですし、こういった類の自己申告には説得力が欠けると、言われてしまえばそこまでですけれど。
それでも。貴方を真直ぐに見つめて揺らがないこの瞳が気を狂わせている人間の持ち物に、果たして見えるでしょうか?
私は自分を見失ってはいません。そして貴方にキスをした先刻もしっかりと意識的に行いました。
不慮の事故でも貴方を誰かと勘違いしたのでも有りません。貴方に誰かを重ね合わせた訳でもなければ、誰でも良かった訳でもないのですよ?
言葉の誤解曲解、空気の誤読未読が得意な貴方でも、しかし事実を誤認なされないように、私はここで宣言しましょう。明確に。

あのキスには確固たる意思が有ったのです。

勿論、貴方のではなく私の。これは言うまでも有りませんね。
私とのキスの是非を貴方に問わなかった事に関しては深くお詫び申し上げます。貴方が気を悪くなされたのであれば、私はどんな形のお詫びも致しましょう。
冗談では有りませんよ。そして、からかっている訳でもまた有りません。真実、どんな形のお詫びであっても。身体でも、心でも。およそ私に用意出来るものならば例外無く何であろうと。
私は貴方に望むものを差し出しましょう。
ふふっ。貴方は人の本気を冗談で躱してしまうのがお上手ですから。そして悲劇を通り越して喜劇的なまでに他人からの好意には鈍感で。
ですが、それには貴方の周りに居る女性にも問題が無くも無いと言えますね。貴方のそういった特性を知りながら、それなのに彼女達は感情を簡潔な言葉にする行為を憚る。
なぜでしょうね? 恥ずかしいから? 私には分かりません。……いえ、嘘を吐きました。その気持ちも分からなくは無いのです。
けれども。
こと、想いを向ける相手が貴方ならば、しかしそれは憚ってはならないと。彼女達は、彼女は頑ななまでに気付かない。
ああ、気付いてはいるのでしょうね。気付いていながらも、今の関係を壊さないように気付いていない振りをされている。
その間に鳶(トビ)がどこからともなく現われる可能性にも眼を瞑ったままで。
愚かな人。
哀れな人。
幸せな人。
彼女の在り方が私は本当に羨ましい。
望みとは口に出さなければ叶わない事を私は知っている。例え言葉にしても、叫んで縋っても、望みは叶わない時ばかりだとも知っている。
それでも、伝えなければ『確率』はそこに生じる事すら無いのです。
だから……だから私は鳶と疎んじられようと、貴方にしっかりと伝えます。伝えたい。伝えなければならない。

私は貴方をずっと見てきました。
私は貴方が好きです。
どうか私とお付き合いをして下さい。

捕捉説明をします。ああ、要らないとは言わないで下さい。貴方がそこまで鈍いとは幾らなんでも私だって思ってはいませんよ。
ですが、私はそれでも怖い。
もしも。
万が一。
貴方が私の言葉を勘違いして受け取っていたらどうしようと。
だからこれから語る事は貴方の為ではないのです。
貴方に私の想いが間違なく伝わっている確信を求めるが故の独り善がりな言及なのだという事を理解して、どうか不快に思わないで下さい。
そう、これは私自身の為なのです。貴方から『勘違い』『聞き違い』『記憶違い』という退路を奪って、初めて私は私の想いが貴方に余す事無く届いたと。
そう信じてようやく安堵する事が出来る。

私にとって一番怖いのは、この想いが貴方に伝わらない事だから。

先ず始めに。貴方と私は初対面ですけれど……しかしこれは一方的になってしまうのですけれども、私にとってはまるで初対面などでは有りません。
一樹について、恐らく説明させて頂く機会も今後追々有るかと思いますし、また一樹本人の口から聞かれるでしょうから、取り敢えずこの場で、私の感情を貴方に理解して頂く上で必要と思われる事だけを説明させて頂きます。
私は一樹の、視覚や聴覚といった感覚を全て経験しています。ので、この一年と半年、一樹の眼を通して私は貴方という人間を見て、聞いて、知っています。
一目惚れではなく、私の側にはれっきとした、そして長い時間の裏打ちが有って成る今日のこの場だという事を、先ず手始めに貴方に知って貰いたいのです。
貴方は古泉一樹と触れ合うと同時にこの私、古泉一姫とも無自覚に接触していたのですよ。
それは友人の。
それは同性の。
それは好敵手の。
それは仲間の。
それはそれは命と天秤に掛け得る大切な間柄のように接して下さった。
私が貴方に好意を抱くには、その経験は必要にして十分だった……ええ、想いを抱くまでの期間から逆算すると十六分くらいですか。

ずっと。何度と無く。貴方とこうして話す日を夢見ていました。

ふふっ。驚かれるのは非常に良く分かりますよ。幾ら非常識な世界に愛された貴方とは言え、友人だと思っていた少年が実は少女だった……などといった、まるで出来の悪い三流恋愛小説を読んでいる気分でしょうから。
ですが、勘違いをされると困るので言わせて頂きますと。私は古泉一樹とは別の人間です。
いいえ、別と。言い切ってしまうのはやはり強引であるかも知れません。そうですね……二重人格の発端となった小説はご存じですか?
ええ。『ジキル博士とハイド氏』です。
私と一樹はあの関係が一番近いかも知れません。私がハイドで、一樹がジキルですが。
逆だと、ここまでの私達の説明を聞いて思われたかも知れません。主人格はジキルだろうと。が、その様子では、かの小説を読まれた事は無いようですね。
端的に説明しますとジキルはハイドという自分の裏の存在を知らないのですよ。対してハイドはジキルという人格、そして彼がジキルであった頃の経験を持っている。
そういった意味で、私はやはりハイドなのです。

先程、私は一樹の感覚を経験していると言いました。『共有』という言葉は使わずに。
つまりです。一樹の感覚は全て私にも共感されますが、しかし私の感覚は私が共有を許可しない限り一樹にはフィードバックされないのですよ。
例えば先程のキスの感触。あれは私しか記憶していません。一樹も同性とのキスなどは共有したくないでしょうし、私も私だけの記憶に留めておきたかった。
貴方は一樹ではなく確かに『女』の一姫とキスをされたのです。故に、男相手にキスをした、などと頭を抱えられる必要は無いのですよ。
私は私。彼は彼ですから。
身体にしても、心にしても。私が持つ能力は変身ではなく……どちらかと言えば分裂という表現が近いでしょうか。
無論、私を基として彼は生まれていますので、そこに少なくない存在の重複を貴方が感じられたとしても、決して私は咎める事をしませんよ。
それは簡単に予想出来得る事ですしね。何かしらの端々に、貴方は私と一樹を否応無しに重ねて感じ、そして……もしも私と貴方がデートをする運びになった折りなどは、やはりどこか不快に思われるかも分かりません。
それは仕方の無い事。
けれど、どうか知っておいて欲しい。
私は女だと。
私は一樹と違うのだと。
私は一姫だと。
私は貴方の友人であり続ける事を望む彼とは違うのだと。
私は、何も考えず、世界の行方など思わず、神の安寧すらも顧みず、唯、貴方の恋人の位置を望む浅ましい女なのです。
ええ、再度、繰り返します。
好きです。
私は貴方が好きです。
『like』ではなく『love』の意味で。恋愛感情を貴方に対して抱いています。
なぜ自分が、などとは言い出さないで下さいね。
私はそこに理由を持ち出したくは有りません。と、言いますか。恋愛感情が先に有りきで、どこが好きなどと言い出した所で全て後付けでしかないでしょう?
感情とはそういうもの。そう……例えるなら化粧品の様なものです。肌に合う合わないに理屈は有りません。
……と。男性に対して化粧品で例えたのは失敗でしたね。ピンと来てない顔をされています。
ああ、お気になさらず。貴方の表情ならば、それこそ大欠伸をされていらっしゃる所から、うたた寝をされている場面まで、私は見ていますから。そしてどんな表情の貴方であろうと私は好きですよ。
……ふふっ。その不機嫌な表情だって『照れ隠し』でしょう?
残念ですね。私はずっと第三者視点で貴方を見てきました。岡目八目、ですか。貴方が長門さんの微細な表情変化を汲めるように、私には貴方の表情が読める気がしますよ。
……どうか厄介な女だと思わないで下さいね。
厄介な女である事は間違い無いのですけれど。疑いようも無いのですが。しかし、誰よりも貴方にだけはそう思って貰いたくないから。
分かっています。これがわがままだという事など。
分かっています。これが甘え以外の何物でも無いと。
でも、貴方は優しいから。
きっと、貴方は親身になってくれるから。
この非常識な事情を抱えた女であっても、それでも普通の女の子と同じ様に扱ってくれる事を、いつからか私は期待してしまっていました。
女神であっても。
宇宙人さえ。
未来人ですら。
異世界人までもが。
……超能力少女も、貴方の前では例外無く普通の少女になれるのだろう、と。
私はずっと羨ましかった。
涼宮さんが。朝比奈さんが。長門さんが。
私もあんな風に扱われてみたいと、願っていて。
そして、優しい貴方にお願いが有ります。

昨日まで存在すら知らなかった女に突然告白されても、その告白を普通は受け入れる事なんて出来ない。私にだってそれくらいは分かります。
だから、最初に一樹が言った通りの関係になって頂けないでしょうか。

『先ずはお友達から』

陳腐では有りますし、使い古されてはいますけれど、貴方にとって体裁の良い返答をこちらで用意させて頂きました。どうか汲んで下さらないでしょうか?
勿論、私は友達という立場に甘んじているつもりは有りません。少しづつ貴方に私という人間を知って貰って、それから今日の告白に対する返事を頂ければ幸いです。
なので。手始めに今週か来週の日曜日を私に下さい。
誤解なさらないように。これはデートの誘いです。ええ。

……私とデートをして下さい。お願いします」


実際は改行が入らない上に、この長文ですら大分は端折っている事をご理解頂けたら幸いだ。
かくして俺のターンがようやく巡ってきた訳だが……いや、もうなんか……色々と疲れちまってな……。
好意を向けられた経験がこれまで全く無かった俺にとって、眼前で行われたこの一大告白劇はちょいと……彼女には途中でこっちのライフが無くなってた事にくらいは気付いて頂きたかった。
前言通りに生憎、俺の心臓は鶏肉で出来ているんだ。口から霊魂とか出てる気さえするね。
だから、俺には一言返すのがやっとだったって話。

「なら今週の日曜で」

ああ、今なら『流され体質』と笑ってくれても甘んじてその汚名を受けるさ。

その日は明け方からシトシトと雨が降り、そのせいか前日よりも幾分気温が下がって肌寒かった。
朝食を摂りながら眺めていたテレビに丁度映っていた可愛らしい顔のおねーちゃん曰く、寒冷前線様が我が物顔で「ぶらり途中下車〜日本列島縦断の旅〜」をなさっていらっしゃるそうだ。
……そりゃ俺の布団からいつまで経ってもシャミセンが出て来ない訳だよな。「猫は炬燵で丸くなる」を一々地で行かなくてもいいのに。
ネコデンティティか何かだろうか。俺には知る由も無い。
そんな寒々しい朝っぱらからパジャマで箪笥からタートルネックを発掘する作業に従事しなければならなかったのは忌々しかったが、しかし、秋らしい天候だと言えなくもないかなどと考え直す。
「風流」と「コーヒーの味の微細な違い」の分かる男としては、秋の雨は案外嫌いじゃない、とかな。……いや、戯言だ。寒いのも暑いのも正直要らん。中庸で良いんだよ、何事もな。
……つまらない人間で結構だ。
ってな訳で本日は土曜日。土曜と言えば週一カツアゲ違った不思議探索である。俺は前もって、組分けに細工を施して貰うよう長門に頼んでおいた。
……万馬券狙えるな、長門となら。マジ、チートだ。

「マジ、デートじゃないんだからね!」
ワンパターンな捨て台詞を残して去っていくハルヒご一行。
ふむ……捨て台詞、ね。そう思って見てみたら、大股で歩き去るその後ろ姿が途端やられ役っぽく見えてくるから人間の認識とはほとほと不思議だ。
……「不思議」とな?
計らずも早々に目的を達成しちまった。流石は俺。って事で本日の探索は個人的に終了。打ち切り。
ハルヒ先生の次回作にご期待下さい。ってなモンだ。
「デートじゃない……ねえ」
なあ、団長様よ。デートとくらい思わなければ実際こんな酔興やってられるかっての。俺は同意を求めるように隣をチラリと見た。
「ま、お前からしたら俺相手ってのは不服かも知れんが……悪いな」
「……いい」
この短いやり取りであっても特定が可能な圧倒的な存在感。皆様は果たして俺の隣に居るのが誰かお分かり頂けただろうか。
そう。三点リーダでお馴染みの宇宙人。午前中における俺の相方は長門である。
「二、三お前に聞きたい事が有ってな」
「何?」
「寒いし、話は喫茶店に戻ってからで良いか?」
過去、長門にこういった類の提案をして断られた例が無い。案の定、彼女は無言で喫茶店への道をぺたぺたとでも擬音が付きそうな足取りで舞い戻っていった。
……なんか水族館から脱走したペンギンを見てる気分だ。
タキ○ード銀みてぇ。
下らない事を考えつつ俺もその後ろに続く。
……あー、寒っ。
誰がこの雨天の中を好き好んで歩き回るものかよ、全く。鬼の居ぬ間に、ってな。一刻も早く温かいコーヒーと戯れたいぜ。

――カランコロン。
喫茶店の扉を開けると響く、鈴の音に誘われて店員さんがやって来る。何名様ですか、とのマニュアル通りの応対に長門がピースサインを出していたのが少しだけ面白かった。
「……二人」
コイツも何だかんだで少しづつ人間社会に順応してきてるんだろうなあ。うん、良い事だ。ただ、長門とピースサインが絶望的なまでに似合わないのは……これはもう仕様だろう。
さて、宇宙人が人類との友好をボディランゲージで示すという、考えようによってはこれは未来の教科書に載るレベルの非常に歴史的な事件なのかも知れないが、
自分が今まさに異星系間における友好の掛け橋である事などウェイトレスさんが知る筈もない。
そりゃそうだ。電波さんにしたって発想が突飛に過ぎる。
もし仮に気付いていたとしたら古泉の機関か宇宙人勢力か未来人組織の所属だろうね。
俺達は彼女に言って店の最奥のテーブルに陣取った。何、特に意味は無い。窓側は寒いし、万が一ハルヒに見つかったらつまらんってそんだけだ。
「店内あったけー。あ、長門は何飲むよ?」
「……貴方は?」
「俺? 俺はホットコーヒー一択だ。地獄のように熱いヤツを熱いと言いながら飲むのが良いんだよ」
「昨年末の鍋と呼ばれる料理形式の時にも今と同様の内容を貴方は口にした」
「寒い日に熱いモンを口に運べるのは少しばかり幸せな事なのさ。だが、俺達は基本ツンデレだからな。その幸せに対して逆に熱いと文句を言う訳だ」
言うが早いか長門はくりくりとした大きな眼をメニューから俺に向けた。ん、なんだ? 今の説明で分からんトコでも有ったか?
「……『ツンデレ』って、何?」
「ツッコむトコ、そこかよ」
……何でもない。只の妄言だ。

結局、長門はホットココアとクッキーをオーダーした。良いチョイスじゃないか。
五分もしない内に注文の品がテーブルに並んだ。ウェイトレスのねーちゃんが離れるのを待って俺は本題を切り出す事とする。
「古泉のヤツが言うには今年度いっぱいでハルヒの……願望実現能力だったか? アレが消えちまうらしいんだが……長門、お前は何か聞いてないか?」
「何かって……何?」
……聞き返されても困る。
「そうだな。例えば、お前の親玉はどうなんだ? やっぱ古泉達と同じでハルヒの力がそろそろ無くなるって考えてんのか?」
俺の質問に少女はしばしその動きを止めた。恐らく頭上の母船と連絡を取っているのだろう。長い付き合いだ。俺にだってそのくらいは分かる。
「……質問に対して情報統合思念体は結論を保留した」
「保留?」
「未来の予測は決して容易ではない。涼宮ハルヒが関わっているのならば尚更」
どんだけコンピュータが進化しても次の行動が読めない女……ね。褒めてんだか、けなしてんだか。すげえ微妙なラインだ。
「未来予知と未来予測は違う。前者は同期を止めた今の私には不可能。後者は涼宮ハルヒ次第で幾らでも塗り替えられる」
なるほどな。実際に見てくるのとは違って、計算式で未来を割り出すのは思っていた以上に難しいらしい。
「……だが待てよ。その……情報統合思念体とやらには時間の概念が無いんじゃなかったか?」
「そう」
「だから同期なんて事が出来るんだろ?」
「逆。異時間同期という能力を獲得したから、我々は時間という概念を失った」
「どっちでもいい。なら、未来は見放題って事じゃないか?」
「……未来から観測した場合の過去は基本的に単一だが、過去から観測した場合の未来は複数が同時に存在する。それを観測する者もまた個と複の境を持たないが故にそこに不可逆の矛盾は存在せず、この概念は意味を成す」
……意味が分からん。
「結論から言えば、未来を見る事は可能。ただし、それは可能性の一つでしかない。また、分岐しうる未来全てを知る事も出来るが、数が膨大な上に、どの未来が選ばれるかは確率に委ねる他無い。
その確率にしても有機体独自の『揺らぎ』によって容易く覆る事が既に立証されている。以上から、思念体の回答は保留」
……しまった。解説役も午前の部に同席させるべきだったか。なんて気付いた所で後の祭。
「あー、非常に情けない話なんだがサッパリ理解出来ん。……もう少し噛み砕いて言ってくれると助かる」
「涼宮ハルヒが来年の三月末までに願望実現能力を保持し続けている可能性は3.1415926535%」
それなんて円周率!?
「ほぼ3%」
ゆとり教育の弊害キタコレ!
「保母さんパーセント」
保育士って言うらしいぞ、最近は。
「……ん? 複数とは言え未来が見えてんなら、自律進化の可能性だったか? それってのは観測の必要無いんじゃないのか?」
「思念体は細かい情報収集が出来ない。星単位が限界。また、派遣されたわたしのような有機インターフェースは物理境界を持っている為、時間に半ば存在を縛られている」
咄々と説明をしてくれる長門には悪いが、やっぱ理解出来そうにない。辛うじて分かったのは長門の親玉が宇宙規模の大雑把野郎って事と、円周率はコイツなりのジョークって事くらいだ。
「それに涼宮ハルヒ及びその周辺を観察対象とした場合、確率論は意味をなさない。彼女の能力とはそれまで観測し得なかった未来を創り出すもの。そしてその観測出来ない未来にこそ、自立進化の可能性が有るのではないかと思念体は考えている」
「よく分からんが……なあ、長門。お前はどう思うんだ?」
「……何を?」
「ハルヒから力が消えちまう事」
俺の質問に、長門は正面から言い切った。そりゃもうスッパリと。

「いいこと」

「……その心は?」
「成長の証」
なるほど。負うた子に教えられて浅瀬を渡るって感じだ。
「成長か。そりゃ確かに良い事だ」
「……そう」

あの涼宮ハルヒであっても、それでもやっぱり人は成長するんだ。
さっき長門が慣れないピースサインを見せた時に思ったじゃないか。
「コイツも何だかんだで少しづつ人間社会に順応してきてるんだろうなあ。うん、良い事だ」ってさ。
そうだ。それは長門の言う通り「いいこと」なのだろう。
ただ、少しばかり釈然としないのは、ハルヒに成長という言葉が絶望的なまでに似合わないだけで。
ただ、それだけだ。
……きっと、それだけなんだ。

「マジ、デートじゃないんだからね!」
「冗談も大概にしておけ、この馬鹿」
ってな感じで第二ラウンド。お相手は最近、(私的に)何かとお騒がせのアイツ。

「長門に聞いたぞ」
「はあ、何をでしょうか?」
「ハルヒの力……マジで春までに消えるかも知れないらしいじゃねえか」
やっぱり喫茶店の(おねーちゃんに不審な目で見られそうだったので河岸は変えた)奥で俺と古泉はコーヒーを啜っていた。本日五杯目のホットコーヒー。流石に胃の調子が心配になってくる。
「満更、嘘でもないらしいな、この間の話」
「ええ」
「なあ、お前は怖くないのか?」
自分が消える事が怖くないのか? そう尋ねる俺に向けて、古泉はうっすらと笑みを浮かべた。
「強がりでも何でもなく本音で、余り恐怖は感じていません」
「俺なら怖い」
「僕と貴方では大分話が違ってきますから」
「話が違う……ね」
俺とお前では、そりゃ違うだろうよ。かたやヘタレの臆病者。かたや日夜世界を守るスーパーヒーローだ。肝の鍛え方が違い過ぎる。
「そういう事ではなくて……ですね」
「なら、どういう事だよ」
「もし盲腸炎になったとして、貴方は盲腸を切る事に抵抗が有りますか?」
「……無いな」
少し首を捻って古泉の言わんとするニュアンスは理解したが、しかしそれにしたって比喩が乱暴過ぎないか?
「僕は一姫の一部でしか有りません。そしてそれは普通の人は持っていない……第三の腕のようなものです」
「それは分かる。分かるよ。だがな、それにしたって古泉」
お前は自意識を持つ一人の人間だろうと、言おうとしたがそれよりも古泉の割り込みが上手かった。
「僕は僕という個人だ、とおっしゃるのでしょう? 確かに。ですが、それと同時に一姫のアタッチメント(付属品)でしかないのも自覚しているのですよ」
「だが、爪を切るのとは訳が違う」
呟く俺を、少年のウインクが襲った。ええい、気色悪い行為をするな。
「嬉しいですね」
「……お前、蔑まれると喜ぶって大分アウトだろ、その性癖」
「いえ、そうでなく。貴方がここまで僕を気に掛けてくれていたとは正直予想外でした」
そう言ってソイツは……手に負えない事に心底幸せそうに微笑んだのだった。


そんなこんなで、日曜日がやってきた。時間とは宇宙人や未来人以外にはすべからく平等に過ぎ去るものなのだという揺るぎない現実を、これほど実感した三日間は無かったと言っても決して過言ではないかも知れん。
とは言うものの、だ。この手のイベントというのは悲観的になる必要性は別段どこにもないのであり、むしろ男ならば期待に胸を膨らませるべきなんだろう。ああ、そんな事は分かっているんだ。
だが、約束の日が「やってきた」と言うよりも「やってきてしまった」と言った方がずっと腹への収まり具合が良いのは、これは一体どうした事なのか。
……デート。
……デートである。
……和訳すれば逢引。
こう書くと途端に明治大正の匂いがしてこないか? って、そんなんは正直、真実、心底どうでも良いよな。
なら、何がどうでもよくない事なのか、と自分に問い掛けてみるのだが。
……うん。デートなんだよなあ。理由も曖昧に、けれど零れ出る溜息。
「事実上」とか「成り行きで」といった、聞いた人間の興を根こそぎ削いでくれる枕詞に、付け入る隙を与えさせないという意味で。
完全無欠にカレンダにはデートフラグが燦然と輝いていた。しかも、蛍光ペンで星印を付けたのは誰あろう俺自身である。
「誤解・曲解のバーゲンセール」などと、不本意にもそんなレッテルを貼られているらしい誰かさんであっても、そこに他のイベントを疑う余地すら見出だせないのであるからして。
……姉さん、事件です。

心は鶏肉で出来ている。コンビニのフライドチキンはなぜあんなにも美味いのだろうか。

さて、唐突だが今までだらだらと語ってきた、俺の高校入学からの一年半を是非ここで思い返してみて貰いたい。
……いや、別に反芻しなきゃ読み進めてはいけないとか言い出す気は無いけれど。
そうして頂けたら幸いだ、って程度で。では、問題。
女子と二人で何の躊躇も哀感も無く「デートした」と俺が胸を張って言い切れるようなイベントがその一年半には果たして有っただろうか?
……ああ、そうだ。ニアミスこそ多々有れど、デートと勘違いしてしまいそうな出来事にこそ遭遇すれど、しかして実は一度も世間一般で言う所のデートなるモノを行った経験が、俺には無い。
……衝撃の事実だ。
いや、当然の現実か?
いやいや、そんなんはどっちでもいい。頑として立ちはだかる、この場合の問題は一つしかないのだから。
すなわち、デートとはどうすれば良いのか。
「How To」
これに尽きた。
恥ずかしい話だが、当日の服装一つとっても頭を悩ませてしまったのであるからして、俺がどんだけテンパっているか、それだけでも理解して頂けるかも分からない。
余り気合の入った格好では相手方を引かせてしまうだろう事は想像に難くないし。とはいえ、自分を(特に異性には)良く見せたいと考えるのは、これは最早DNAレベルでのヒトの性に違いなく、俺とて決して例外ではないのである。
「いつも不思議探索をやる感じの服で良いじゃないか」
などと姿見の向こう側に立っている男に再三言い聞かせるものの、ソイツは一向に聞き入れようとしやがらない。俗物……訂正、見事なまでのパンピーぶり。いっそ清々しい。
となると、だ。俺の心と身体は箪笥の前でああでもないこうでもないと、カジュアルとシックとアーティスティックの狭間を、まるで嵐の海を行くガレー船の如く揺れに揺れる事となる。
コーディネイトの幅が有る程、服は持っていない筈……なのだが、どうしてだろうか? 時計の針ばかりが進み、服装選考はまるで進まないのが実情で。
どっかの宇宙人が俺の周囲の時間と空間に干渉していたと聞かされた所で驚かないくらいにはウラシマ効果を体験していたね。
はたまた。
待ち合わせには優しさアピールの為に三十分前から着いていた方が良いのか。それともがっついていないクールな一面を披露する目的で時間ギリギリに到着した方が良いのか。
なーんて事も箪笥を漁りながら考えてしまう次第で。全く、我ながらデートくらいで何を舞い上がっているのだろうかと、折々にふと我に返って溜息を吐く事しきりだった。
全く。これじゃ、谷口を馬鹿に出来やしないじゃないか。
「……初めてのちゃんとしたデートなんだよな……」
鏡に向かって呟いてみるも、そんな真似は美少女がして初めて絵になるのであって、悩める男子高校生が同じ仕草をやってみた所で一銭の値段も付かないのは……これが世に言う男女差別ってヤツか。……きっと違うな。
ようやく決まった勝負服@不戦敗仕様(勝ちに行くのは諦めた。まず勝利条件から分からん)は、カーキのジャケットに黒のカラーデニム。内にグレーのタートルネックって、
無難という言葉をそっくりそのまま体現したような組み合わせに、なっていたのは規定事項ってヤツなのかも知れん。
とてもじゃないが二時間強も悩んだ末のコーディネイトとは思えまい。俺だって夢にも思えん。そういう「いつも通りですよー」って服装をわざとチョイスしたから、その意味では成功していると言えなくもないか。
しかし鏡の向こうに居る口許を緩ませた男は、我ながら地味過ぎる気がしないでもないんだよな。ぬう……やっぱ普通過ぎるか?
思わず市松柄のパーカに手を伸ばし……いやいやいやいや、冒険するのはもう少し経験値積んで、レベル上がってからだよな。うん。
アリアハンから離れられない勇者一行の気持ちが少しだけ分かった気がした。
まあ? ちゃんとしたデートってのが初めてなのだから、兎に角、恥をかかない、かかせない格好をするのが第一じゃないのかねとは、紳士的な最終選考理由だろうと自分でも思う。
いや、何を言ったところで結局言い訳なんだけどさ。


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