短編
爺になって、また手を繋ごう
爺になって、また手を繋ごう
「で、逃げる算段はあるんですか隊長」
洋は45年も囚われていた建物を眺めながら言った。
73歳にもなって警備を突破してきた柏木隊長はニコニコ笑いながらうなずいた。
「わしを誰だと思っている。軍神の名はまだ捨てておらん」
「懐かしいことを」
「この世界にも、まだ骨のある若者はおるぞ洋。さーて、行こうかの」
柏木は背筋を伸ばして歩き始めた。洋もパイプをくわえてついていく。
世界はだいぶ変わっていた。洋がいた研究所は郊外にあるらしく、まわりには原っぱしかない。ぽつん、と置かれたバイクは柏木のもののようだ。
「あんた、45年も何してたんだ」
「力をためていたのじゃよ。仲間と力と金がなくては何もできんからのう」
「それで?」
「夢を叶えたぞ」
柏木はバイクに跨がりニコニコと洋に手を伸ばした。
柏木にも何らかの改造が与えられた可能性は高い。くそったれな研究に助けられるとは、と洋も笑った。
「おせーよ」
「そう言うな。これでも急いだつもりじゃよ」
バイクは快調に走り出す。アラームは、あらかじめ仲間が切っていたらしく追っ手の来る気配はなかった。
「もう不老の研究は完成しおった。お前さんも用済みじゃ」
「そりゃ光栄なことで」
頑健な背中に捕まり、洋はため息をついた。
もう激しい恋情に身を任せる年齢じゃなくなった。
ただ、柏木とふたり、畑でも耕して生きていきたい。
45年も耐えたのだ。それくらいの願いは、叶ってもいいと思う。
バイクは夜どうし走り、廃墟の町で止まった。
「なんだ、ここ」
「かつてはここに首都があったんじゃ。大日本があった島は、もう忘れ去られておる。今や都市も政府もユーラシア大陸にしかない。大日本は、ドームの崩壊もそのままじゃ」
「食い物もねえだろ」
洋はヘルメットをとり、荒れ果てた町を見回した。
ちらほら見える人影。突き刺さる視線に目を細める。
「なに、そうでもない。わしみたいな奴は、案外たくさんいるものじゃ」
柏木は焚き火にあたる薄汚れた老人に近づいた。
親しそうに握手を交わし洋を呼ぶ。
「ここは拠点のひとつ」
「拠点?」
「わしが作った、ドームの支配を抜け出す組織…スサノオじゃ。数千人にもなったメンバーが正体を隠し点在しておる」
「まだ戦ってんのか」
あきれる洋に柏木は笑って見せた。
「わしは引退した。心配しなくても、もう戦わんよ」
「柏木さんはきっぱり引退なさったよ。やや、これは失礼。私は鵺。あるときは老人あるときは美女の諜報員さ。ああ知ってるよ。洋さんだろう?耳にタコさ」
老人はスクッと立ち上がると張りのある声で捲し立てた。にっ、とウィンクする目は若いが見た目は老人である。差し出された手を握り、洋は戸惑ったように見つめた。
「信頼ない顔だね。さすがは元大日本軍。用心深い。私はまあ頼れると思うよ。これでもそれなりに使えるさ。案内だろう?待ってて」
「世話をかけるね」
「これくらい何でもないさ。やっと柏木さんの夢が叶うんだから」
鵺は陽気に笑うと手をふった。
準備する間、手持ちぶさたの洋はパイプをいじくり回しながら柏木に話しかけた。
「隊長」
「ん?外は疲れるかい?」
「いや。夢ってなんなんだよ」
「私の夢は君を迎えにいくことじゃよ。もう叶ったがのー。ふぉっふぉっふぉっ」
「胡散臭い爺め」
「お前さんも爺じゃろ」
柏木はツッコミを入れたあと、真っ白い頭髪をかきあげた。
その仕草が、28歳の柏木とダブって見える。特別美形ではなかったが、精悍な顔立ちだった。
「隊長」
「なんじゃ?」
「あんた、独身だったろーな。ガキなんかこさえてねーよな」
「当たり前じゃろ」
「いやわかんねえ。あんたのこった。利用できるならガキでも妻でもこさえかねねえ」
「心外じゃ。わしはこの左手に誓った約束を忘れたりはしていないぞ」
柏木はいささかむっとしたように左手を振った。
戦争の雲行きが怪しくなり、敗戦色が濃くなっていたある日のこと。
四国の方で太平洋からの進軍に対していた柏木の隊は一時的な休戦になっていた。
人目を忍んで、激戦続きで疲れきった体を二人、地面に横たえて本物の空を見た。
きれいに晴れ渡った、青い空を戦闘機も飛ばない珍しい日だった。
言葉はほとんど交わさないまま、眠りもしなかった。二人きりでいられる一秒一秒が惜しく、骨の髄まで味わいたかった。
ぎりぎりになって、洋が言った。
「約束が欲しい」
「約束?」
「どうなっても、繋がっているって」
我ながらめんどくさい奴だと思わないでもなかったが、我慢出来ない。引き離されるのだと、どこかで予感していた。
柏木はにこり、と微笑んだ。
三歳年上の上司の、余裕を失わない態度はいつでも洋を力付ける。
「指輪はないが…誓いを立てよう。きっと君を、ずっと愛すると」
柏木は洋の左の薬指にキスをした。
戦争さえ起こらなければ、そこには今頃指輪がはまっているはずの、むなしい指。
薄い唇が触れただけで、神聖なもののように思えてくる。
「…俺も、誓いますよ」
洋も、武骨な手を伸ばしてキスをした。
ちゅ、と触れて刻む、見えない指輪。
バカだと笑われそうなくらい、幼稚な誓いだ。
だが、大事なのは真剣に誓ったその気持ち。なんの保証もない軍人の、唯一できた約束。
「じゃあ、行こうか、洋」
「はい隊長」
柏木が手を差し出す。
包帯の巻かれていた若い手は、しわくちゃで乾燥した手に変わった。
「わしは浮気はしないのじゃ」
「よく言うよ」
重ねた洋の手も、骨が目立つ痩せた手だ。
脂気のない手を重ねても、冷たい手は暖まらない。
それでも力強く握る手に万感の想いがこもっている。
「いつまで生きるかのう」
「さーな。100歳は越してやろうか」
「そのころはヨボヨボじゃ」
「いいじゃねーか。二人でよたよた散歩すれば」
「惚けても知らんぜ」
「リードつけて引っ張ってやるよ隊長。あんたがなにを忘れたって、おれは覚えてる。心配ねーよ」
洋は笑いながら紳士的に老いた柏木を見つめた。
トレンチコートがよく似合う、柔和な紳士。
「45年も待ったんだ。もう離れねーからな」
柏木はちゅっと洋の手にキスをして頷いた。
「やっと結婚できる」
「ばか」
洋は照れ臭そうにパイプをくわえて目をそらし
「結婚なら、あんときしただろ」
と呟いた。
柏木の手を握る手は、はなさないまま。
「洋」
「ん?」
「行こう」
鵺が呼んでいた。
夕陽が零れ始めている。
柏木が笑っている。
洋はパイプを一吸いして、引かれるままに歩き出した。
繋いだ手から伝わる、幸せな鼓動を感じながら。
爺になって、また手を繋ごう
(この世で再会できたんだ)
(死ぬまで一緒に生きようよ)
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