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短編
Forest of solitude





俺は、ひとつの世界を知っている。
そこは、森と泉と空しかない世界だ。泉のほとりから見渡せるだけしかない世界。
泉がさざめくことも、風が吹きぬけることも、梢がこすれることもない完全なる静寂の世界に、不思議な男が座っている。
薄碧の髪を持ち、碧眼でふわりと笑っている男だ。見慣れない装束を着て、じっと座っている。
いつも微笑みを浮かべている。





「今日は寒いな」

話しかけても答えてくれたことは無い。けれどその微笑みは確かに「そうだ」と語りかけてくれている。きっと、何かの事情で声が出ないのだ。もしくは俺が嫌いなのかもしれないけど、それでは俺があまりに悲しいので考えない。

「今日も綺麗だ」

その空も森も、そしてお前も。
名前も知らないけれど、きっと綺麗なお前に似合った、綺麗な名前なんだろう。いつか教えてくれるだろう。その日を楽しみに待てるんだから、俺は幸せものだ。

「今日は綺麗な花を持ってきた」

知り合いのおばあさんがくれたんだ。俺にはわからないが、きっとこれは綺麗なものなんだろう?
ああ、確かにお前が受け取って持ってくれたら、すごく綺麗だ。お前が直接受け取ってくれたことは無いけどいつもなくなってるから、受け取っていてくれてるんだろう?

「今日は、魚を食べたんだ。その泉にもいるのか?すごく綺麗かもしれないな」

「名乗ってあげたのかい?ギル?」

「ああそうだ。俺はギル」

お前が名乗らないから、忘れるところだった。
俺はギル。自慢はゴールドの髪。
俺に助言してくれたのは、知り合いのおじいさん。俺は今日もお前に話しかける。

俺はギル。
綺麗な男、あんたの名前は?

気難しいんだね。まだ、俺のことを疑ってるの?

いつかお前の声を聞きたいな。




今日は雨だった。土産はいいものを持ってこれなかったんだ。ああ、近づけないよ、お前をぬらしてしまうだろう?
泉が傍にあるのに、いつもぬれてないから、きっとお前は水が嫌いなんだ。
そんなに哀しそうな顔をしないで。乾いたら。すぐにお前の傍に行くよ。

「ギル。ほら、タオルだよ」

「すまんな」

タオルを借りて拭く。大分乾いたけど、今日の俺は泥だらけなんだ。だから少し遠くでいつもみたいに話そう。

雨は嫌だな。お前は好きか?
いや、青空が好きだろう?お前の世界はいつだって晴れている。

明日は何を持ってこようか。何がいい?そんなに綺麗なお前に似合うものはいっぱいある。

でも謙虚なお前は何も望んだりしない。ああ、それじゃ俺が困ってしまうのに。




結局今日は本を持ってきた。知り合いのおじいさんがくれたんだ。
彼はいつもひとりだから、慰めになるだろうって。そんなものかと思ったんだ。
お前は喜んでくれるかな。

「今日は本だ」

でも頭がいいおまえなら、本もいいかもしれない。

「本は好きか?」

にっこりと微笑むんだから、きっと好きなんだろう?
どんなお話が好きなんだ?勇者とか、そんな話がいいのかな。その森には、狼とかいるのか?
でも凄く綺麗な森で、きっと、お前しかいないんだろう。
寂しいか?俺が毎日来てるけど。
なんだか寂しそうだ。何がいいんだろう。
今日こそ声を聞かせて。名前はなんていうんだ?そんな哀しそうな目で微笑まないで。そんな顔すら綺麗なんだ。





それから夏が来て秋が来て冬が来て春が来て、また夏が来て、秋が来て、冬が来た。



まだお前は話してくれないけど、恥ずかしがりなんだ。
相変わらず凄く綺麗だ。
今日も何か持ってきてあげたいけど、最近からだが思うように動かない。
きっと寒さのせいだ。お前のとこに来たいから、無駄なことは出来ないんだ。でも、最近お土産を持ってこないから寂しがってるんじゃないかと思って、今日は綺麗な花をもってきたんだ。
やっぱりお前には花が似合うよ。前に持ってきた花は、お前の足元に咲いている。

「おはようギル」

「ああ、おはよう」

「今日も来たんだね」

「当たり前さ」

知り合いのおじいさんがニコニコと笑っている。
当たり前さ。じゃなきゃ彼が寂しがる。俺は彼が好きなんだ、彼には笑っていて欲しいのさ。

それにいつか声を聞かせてくれるかもしれないだろう?いつか彼の名前を知りたくて、呼びたいのさ。

「寒かっただろうに」

「ああ、最近は寒さが厳しいね」

おかげで食事もままならない。
でもお前と食べればなんだって美味しいんだ。お前は少食であまり食べないけど。

今日の花は、知り合いのおねえさんがくれたんだ。お前のほうが綺麗だけど優しいおねえさんさ。

「今年は寒いそうだよ」

おじいさんが呟く。寒そうに腕をさすって。
俺も寒いな。彼はどうだろう。


「きっとそうだと思った。彼が寒くないといいけれど」

泉の傍なんて寒そうだけどな。
寒かったら、いつでも言って。傍に行きたいな。







「おはよう」

今日は、なんだかとても眠いんだ。だからきっとあまり話せない。でもぐっすり寝れば十分さ。またたくさん色々話そう。
なんだか最近寒くなくなった。冬が終わったのかな。

「今日も綺麗だ」

俺の名前を呼んでくれないかな。ああ、覚えてないかな。

「俺の名前はギル」

ゴールドの髪が自慢さ。
そして俺はひとつの世界を知っている。


「お前の名前は?」

今日のご機嫌はいかが?
今にも落ちそうな瞼をこじ開けて、お前を見る。
俺は、ひとつの世界を知っている。
そこは、森と泉と空しかない世界だ。泉のほとりから見渡せるだけしかない世界。
泉がさざめくことも、風が吹きぬけることも、梢がこすれることもない完全なる静寂の世界に、不思議な男が座っている。
薄碧の髪を持ち、碧眼でふわりと笑っている男だ。見慣れない装束を着て、じっと座っている。
いつも微笑みを浮かべている。

おれがお前に恋をして随分経つよ。
いつも無口だね。きっと綺麗な声をしてるんだろう。

その微笑ほど綺麗なものを知らないよ。

ああでもごめんな。ちょっと俺は眠ることにする。ぐっすり寝たら、またたくさん話そう。
大丈夫、俺はずっと傍にいる。
ひとりの寂しさなんて、お前は知らなくていい。










ふと柔らかな刺激に目を醒ませば、お前が微笑んでいた。

「――私の名前はノア」

「…」

「ノアだよ」

ああ、やっぱり、綺麗な声だった。










「あ、おじいさんこれ!」

10歳くらいの男の子が甲高い声をあげた。
彼が指差した先を見て、周りに立っていた男の子の両親と祖父は眦を下げた。

「ああ、ギルだよ」

「変な犬だったよな、うちに代々伝わる絵に恋をするなんて」

「寒さで死んでしまったけど、描き足してあげたのね」

「これで、きっとずっと一緒にいるさ」

白髪の老人はにっこりと笑い、絵を撫でた。

壁にかかった一枚の古ぼけた絵。
泉のほとりで、森をバックに微笑む男の隣りに金色の毛並みのゴールデンレトリバーが一匹、真新しい色彩を放ちながら寄り添っていた。







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