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短編
ショコラの契約

ショコラティエ×極道



ショコラの契約




――――最初に恋したのは、お前が作るチョコレートだった。







滑らかに延びる、ブラウンの川。
繊細な模様を描く指先に導かれ、甘やかな香を漂わせながらチョコレートが流し込まれた。

蓼科幸壱(たてしな ゆきひと)の作るチョコレートは、まさに芸術品であるといわれ、どんな宝石にも勝ると噂されるほどだった。
しかし今創られているそれがどんな芸術になるのか、知ることが出来るのはただ一人、幸壱の主人だけである。

幸壱は二年前、ショコラティエとして地位も名声も手に入れていた絶頂期に突然世界の表舞台から姿を消した。

店をたたみ、弟子も他の仲間に預けてある男の手を取ったのだ。

広域指定暴力団京獄組(則ち武蔵会)二次団体東雲組組長東郷久人。
若干38にして京獄組組長京楽忠孝の懐刀と言われ、若頭補佐にまで上り詰めた極道である。
京楽忠孝は35歳だがこちらは生まれた時から極道、筋金入りであるのに対して東郷久人は28歳で極道入り、わずか十年で幹部中の幹部にまでのし上がった。

背中に背負ったのは双頭の大蛇。そのためついた呼び名は武蔵の大蛇(おろち)。
冷静沈着、しかし意外にも武蔵会一の武闘派である彼こそが蓼科幸壱が全てを手放してまで選んだ、主人であった。


「幸壱」

「久人、待ち切れないのか?」

そして東郷久人は、無類のチョコレート好きだった。

今も幸壱の手元のチョコレートをせわしなく見ている。

「もう少し待ってくれ。すぐに出来る」

173センチと小柄な体を鋼の筋肉がしなやかに覆った見事な肉体がチョコレートに誘われてやってくる。
東郷久人は蓼科のチョコレートが食べられるなら鍛え上げた肉体が緩んでも構わないと思っていた。このために、蓼科幸壱の要求だって呑んだのだ。

「久人、おいたするなよ」

「…………」

幸壱の手が意味ありげに触れる。久人は慌てて手を引っ込めた。

「そういえば、京楽組長は貰ったのか?真人の姐さんに」

「…………多分」

「そうか。今日、久人仕事は?」

「……………本部」

「そっかそっか。昼から?」

「……………夕方」

ニコニコ笑いながら幸壱は頷いた。

「姐さんには一度会ったけど面白い人だよな」

「…あぁ」

久人は無口である。口は異様に堅い。
それゆえか京楽組長も神田若頭も久人に秘密を託す。久人は秘密番であり、武蔵会の裏の元締めでもあった。

「ねえ久人」

「………?」

幸壱はチョコレートを冷蔵庫にいれ、久人のほうを向いた。

「二年、経った」

「……」

「二年前交わした契約、更新する?」

「………」

「ショコラを貴方だけに造るかわりに、俺に抱かれる契約。また受け入れる?」

「………」

久人はしばらく黙り込み、頷いた。
幸壱からため息が零れる。さっきまでチョコレートが流れていた作業台がわずかに曇った。

「そんなに、俺のチョコレートが好き?」

「………あぁ」

蓼科幸壱のチョコレートに出会い、久人は心奪われた。
世界が崩れ落ちる音が聞こえた。これまでのチョコレートとは格が違った。

このためなら身体くらい何でもなかった。

蓼科幸壱のショコラを独占出来るなら何だってするししてきた。

好きなんてものじゃない。

「…嬉しいけどね、久人」

「…?」

「二年、待ったし、いいよね」

「……幸壱?」

「契約期間、久人の一生でもいい?」

「…………もちろん」


一生このチョコレートを独占できる。
久人は単純に喜んだ。

幸壱は苦笑しながらシンクにもたれた。

「契約成立だね」

「……あぁ」

久人は頷き、幸壱の隣りにたった。こういう無防備なところがたまらないのだとにやけながら久人の固められた髪に手を伸ばす。無口で能面のような男が黙って撫でられている様など誰も想像できないに違いない。

「二年前」

「ん?」

「俺は、お前のチョコに恋をした」

「知ってるよ?」

久人が突然話しだした。幸壱はハテナマークを飛ばしながら応える。久人が身体を幸壱に開いてまで欲しがった、彼のショコラ。ショコラティエとしての栄誉を潰してまで幸壱が欲しがったのは、久人の心だったがいまだ手に入れてはいない。

「今でも、恋してる」

「それも知ってる」

「…」

「俺のチョコを食べる久人は、恋する目をしてるもの」

少し、妬けるくらい。
東雲組を背負う彼が唯一、癒されるときは幸壱のショコラを食べているときだ。二年前衝撃の一目惚れをした相手は、ショコラを愛した。だから幸壱は持ちかけたのだ。

久人のためだけにショコラを作るから、抱かせてくれ、と。

数ヶ月の契約が一年になり、二年になり、一生のものにした。

「…鈍い奴」

「え?」

久人は小さく呟いて幸壱を小突いた。少し冷たい幸壱の手を払いのけて腕を組み、眉間に皺を寄せる。
極道の顔になりつつある久人に内心焦りながら幸壱は所在無さげにシンクに手をついた。
何かまずったのだろうか。いや、事実を言っただけだ。

久人を怒らせたら厄介だ。なぜならだんまりを決め込んでしまうから。まるで貝のように何も喋らない。

「どうしたんだよ久人」

「お前が鈍いのが悪い」

久人はぷいっと出て行ってしまった。
残されたのは途方にくれた幸壱である。

「え、えぇー…」

可笑しい。何故こうなった。幸壱には分からなかった。
分かることは、冷蔵庫の中の最高のショコラは日の目を見ないかもしれないということだけだった。





「で、出てきちまったと」

「はい…会長」

夕方、本部での定例会議の後。しけたツラしてる理由はなんだと問い詰められ、洗いざらい吐かされた久人は落ち込んだ顔で頷いた。
まさか恋愛のしかも男同士の愚痴を敬愛する会長に吐かされるなんて思っていなかった。

「お前はチョコにしか興味ねぇのかと思っていたが蓼科がお目当てだったのかよ」

「両方です」

「…」

忠孝は呆れた目で足を組みなおすと煙草に火をつけた。

「今日はバレンタイン。お前も勝負してみたらどうだ」

「え…」

「お前が女役だろ」

「!!」

ふーっと煙を吐き出し、忠孝はあっさり言った。驚愕した久人を横目に呟く。

「二年前くらいからお前妙に色っぽいんだよ。気をつけるんだな」

「は、はい」

久人は頷くしか出来なかった。女役と知られていたことは極道としてちょっと傷つく。
忠孝は気にしたふうでもなく、煙草をもみ消すと立ち上がった。

「お前も極道なら欲しいもんは手に入れろ」

「…」

「背中の大蛇、見せ掛けじゃねえんだろ」

ニッと笑った忠孝に頭を下げて、久人はぎゅっと拳を握り締めた。




「幸壱」

「帰ったの?」

柔らかな黒髪に優しそうな顔。蓼科幸壱の顔を見て久人は障子を閉めた。
これは会長の命令なのだと言い聞かせ、どきどきと煩い胸を押さえつける。

「座れ、話がある」

「え?うん」

幸壱は大人しく座った。
息を吸い込み、久人は一気に言った。

「俺が、お前のショコラのためなら何でもするのは、それがお前が作ったショコラだからだ」

「――は?」

「お前だって、ショコラのことしか興味がないから、俺達を繋ぐのはそれだけだったから、だから」

一生分喋った気がする。
だがまだ足りない。また口を開く。

「――好きなんだ。幸壱が」

ショコラだけじゃなく。
ショコラを作る幸壱が。たまらなく、好き。

数秒間の痛すぎる沈黙が落ちた。

ぐっと耐え、待ち続ける久人を少し冷たい手が抱きしめた。

「――なんだ、先に言われちゃった」

「え?」

「今日はバレンタイン。今年は恋人として過ごしたいから、契約はもういいよねって言おうと思ってて・・・これもさ」

出してきたチョコレートには、繊細な文字で「I Love You」と書かれていた。

「好きだよ久人。もう二年前から」

「煩い…」

恋人になった極道を抱きしめて、幸壱は己の一生を引き換えにしても悔いはないものをやっと手に入れた幸せに、これ以上ない笑みを浮かべたのだった。



最初に恋をしたのは、お前が作ったショコラだった。

かわしたのはショコラの契約

そして今

ショコラの恋は、ふたりの恋に。



(ショコラのキス)
(好きなショコラとお前がワンセットなんて)
(俺は溶けてしまいそう)


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