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幻滅デイリー
無知の恐怖
「前進せんせーい」
職員室前の廊下で、向こうから呼ばれる。このあだ名で呼ばれるのは不本意だが、振り向いて遠くにいた生徒に応えた。
「どうかしたのかい、半田くん」
本を持ったまま駆けてくる生徒、半田虎徹。彼は自分が浅学だという事に嘆き、進級した際に相談を持ち掛けてきた生徒である。だから、ぼくは学を深める為ならば、図書委員を務めてみたらどうかと提案した。そして、彼は図書委員の位置に修まって、しかも会計に立候補したと聞く。担任としてみれば嬉しい事この上ないのだが、司書教諭を悩みの種になっているとは口が裂けても言えない。
「先生が希望していた本が、入荷しましたよ」
「ええと、何だっけ」
歳を取ると、どうも物忘れが激しいらしいというのは建前だ。彼をテストしてみようと思う。決して、意地悪などでは無いと誓う。彼には一度、教えたのだから。ぼくが一週間程前に図書室で入荷希望に記入したのは、新渡戸稲造全集。
「ほら、全集ですよ。先生ったら、忘れっぽいんですね。ニットコイネゾウの全集ですよ!」
「半田くん、それを言うならニトベイナゾウ。旧五千円札の人だって、話したでしょう」
「五千円札は、トイグチヒトハですよ」
「は、半田くん……。それは、ふざけて言っているだけですよね」
どうか、ぼくを安心させて欲しい。
「え、違うんですか」
ぼくは、背筋が凍り付く瞬間を感じていた。

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あきゅろす。
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