花火散る(4)
拳が空気を切り裂く。


椎神の顔面に向けて容赦なく龍成が振り下ろした拳を、椎神は床を蹴り後ろに跳んでかわし、飄々とした顔つきで庭に降り立った。




「何してやがる」

「まあ・・・・・治療の一環ってとこかな」


足元で横になって口を押さえている虎太郎の表情は見えないが、胸までめくれ上がったシャツに何をやっていたのか大体の想像はつく。

ゆらっと顔を上げた龍成の目はあの廃工場で見た目と同じ。龍成にはこの目が似合う。獰猛で凶悪で、視線が合っただけで心臓がキリキリ痛むほどの凶悪眼。誰もが向けられたくはないその視線に椎神の心は陶酔し高揚感が沸き上がる。


(それですよ。その目でなきゃ)



「・・・覚悟、できてんだろうなぁ」
「自分が何もできないからって、人に当たるのは感心しかねますけど」

「そりゃあどういう意味だ」
「そういう意味ですよ。自覚してるくせに。いつまで指をくわえて見てるのかなと思って」

「あれは、俺のだ」
「分かってますよ。飼い主が野放しにしているからちょっと・・・撫でてやっただけです。それが気に障るんでしたら、しっかりつないでおいたらどうですか」





虎太郎に触れないでいる自分に、椎神が疑心を抱いているのは知っていた。何か言いたいことがあるのだろうとは思っていたが、それをこんな形で行動に移すとは思ってもいなかった。



きれいな天使の皮を被った悪魔のような奴。何とも扱いにくい男・・・椎神。



誰よりも自分のことを知り尽くしているかなりやっかいな人間。考えは大抵読まれているし、腹の底に押し込めた心情さえも隠すことは難しい。交わした契約さえ守れば裏切りはしないと思っていたが。
出会った頃から何も変わらない。目的のためには手段など選ばない尽きぬ野心を持つ男。

顔色一つ変えることなく、こんな暴挙にまで出るとは。

だが、今回はやりすぎだ。

それが傾倒する主のためであろうと、俺が許すとでも思ったか。




――――― あれに触れたら最後、てめえだって許しはしねえ。






一歩踏み出すだけで、重い空気がゆらりと動く。その重圧をひしひしと肌で感じながら、自分に殺気を放つ主の怒りを更に煽るような言葉を発する。

「それと、無理やりじゃありませんから。コータにもちゃんと了承は得てますからこれは合意の上の行為です。聞いてみたらどうですか?」

「その必要はねえ」

言い終わるや否や、龍成は椎神に殴りかかった。







「・・・・・・ぅぇえ・・・椎神の奴ぅ・・・」

(気持ち悪ぃ・・・マジで吐くかと思った・・・)


自分が気持ち悪くて悶えている間、頭上で言い争う声がしたが、喉に上がってきそうな吐き気を押さえるのに必死で、誰が何を騒いでいるのかよく分かっていなかった。声が出せれば「うるせえ!静かにしろ!俺は今猛烈に気持ち悪いんだ!!」と叫んでやったに違いない。
ようやく吐き気がおさまりめくれ上がったシャツを下ろしながら体を起こすと、暗い庭で激しく動く何かが目に留まる。



――― 何だあれ・・・ ・・・ ・・・







ガツッ!


龍成の繰り出す拳を椎神は両手で受け止め、その勢いを利用して今度は自分が龍成の胸元に飛び込みその腹に拳を打ち込んだ。しかし打ちこみが浅かったのか、椎神のパンチにもひるまなかった龍成はその顔に側面から蹴りをくらわす。うまく屈んでそれをよける椎神に龍成は間を開けることなく殴りかかる。龍成の一方的な攻撃、椎神の巧みな攻防。

「そんなに腹が立つ?他人が触れたことが」
「・・・・」

「いい声出してたよ。聞かせてあげたかったな」
「・・・・」

「それとも怪我してるコータに手は出せない?もっと傷つくとか思ってるの?極悪龍が聞いてあきれますね」

「・・・言いてえことはそれだけか」







――――― 煮え切らない龍成に、発破をかけて見たのだが。




その結果、龍成の怒りを買うことなんて百も承知だった。
わざと見せつけるために、縁側で押し倒したんだから。
しかも“合意”という言葉が更に追い打ちをかけたはず。

龍成は自分が虎太郎に手を出すなど思っていなかっただろう。いつもの遊びや冗談のたぐいではなく、脱がして舐めまわしているのを目にすれば龍成の中で抑圧されていた欲情が上手く爆発してくれるのではないかと期待した。


(見ているだけじゃ簡単にかすめ取られちゃうんだって分かった?)


多少のことでは動じない龍成もさすがに衝撃を受けたようで、撲殺する勢いで襲いかかって来る。ここまでは予想通り。


問題なのはここからだ。
怒りにまかせていつまでも自分を相手にしていないで、早々にコータに目を向けてほしい。だまされていたずらされたかわいそうな飼い犬を連れて、どこぞにしけ込んでもらいたいものだ。他人に奪われるのがそんなに嫌ならさっさと自分の物にしてしまえ。

「コータ気分悪そうだから、介抱してあげれば?」
「てめえをぶち殺したらな」

「それは勘弁してほしいなあ・・・うおっと!」

龍成の拳が頬をかすめて皮膚が焼けたような痛みが走った。

(今出してほしいやる気は「犯る気」の方なんだけどね・・・)
目の前で吠える龍成は自分を「殺る気」で頭がいっぱいのようだ。そっちの気は早めに鎮めてほしいがタダでは治まらないだろう。そこが頭の痛いところだった。

「元よりこんなことやってお咎めなしとは思ってません。1発くらいなら甘んじて受けますけど。・・・できれば顔以外でお願いしたいですね」



気をもんでやった結果がこれでは全く割に合わない。
だがこの牙の抜けた主のためには、こんな方法でも摂らない限りは状況は動かないと思ったのだ。せっかく煽ったのにこれでも龍成が虎太郎に何もしないのなら、ただの骨折り損。そして自分はかなりの痛手を被って・・・これ以上間抜けな話はない。全ての苦労は水の泡。







「何やってんだ、あいつらは?」



龍成は・・・何か知らないけど怒りまくってる。椎神は機嫌が悪そう・・・そんな2人が何か口論してまた殴り合いを始める。


「こら!お前らやめろって」


あわてて2人に駆け寄るが、険悪な2人の雰囲気にそれ以上近づくことができない。何マジになってんだこいつらは。



自分がゲーゲー気持ち悪がっていた間に、一体何が起こったのだろうか。治療目的とか言ってどう考えても嫌がらせのようなことしかしなかった椎神と、どこに行っていたのか知らないがいつの間にか帰って来た龍成が超バトルモード。しかもハードに全開。
止めるべきなんだろうけど、割って入る勇気は俺には無い。この2人がやり合うのは始めて見たが、間に入ったが最後自分も巻き込まれボコボコにされそうな気がしてならない。せっかく怪我も治って来たのにそれは御免こうむりたい。



とにかくどうにかしてやめさせないと・・・


視界に入った白いビニール袋。

そうだ、あれを!



虎太郎は花火の袋を手に取り、中をあさり目的の物を取り出してライターを掴んだ。そしてまだ対峙している2人の足元に向かって点火した物体を投げつけた。



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あきゅろす。
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