虎の傷と龍の傷
山城邸に着くと、いつもの別宅に部屋を準備し眠る虎太郎を布団に降ろした。
その後の報告を聞くために椎神は席をはずし、しばらくすると亀山医師も到着し今後の治療内容などを話した。
その間龍成は部屋から一歩も出ず、熱を発し始めた虎太郎の額に手ぬぐいを乗せ、全ての世話を自分で行った。



予定より1週間早く、京極の家を出てしまったが、あの廃屋での惨状はもう本家に伝わっただろう。組の連中を後片づけに使ったことは後で難癖を付けられそうだが、何の考えもなくそれをやったわけではない。
あの血まみれの廃屋。あれを目の当たりにした連中は包み隠さず状況を報告するはずだ。龍成は生半可な人間ではない。やると決めたら徹底的に相手をつぶす生粋の極道。こんな自分達を拾うか捨てるか。周りはどう見定めるのか。

こんなことは2度と起きてはならないことだが、起こってしまったことは最大限に利用する。追い出された子が、苦汁を舐めさせられてきた自分が、今から全てを取り戻すためにも。今回のことでまた、本家でぬくぬくと育った奴らとの格の違いを見せ付てやれたと椎神は思う。
コータの不幸まで利用する自分は、コータをレイプしようとした人間よりももっと浅ましい生き物なのかもしれない。自分ほど汚れた人間はいない・・・

「何を・・ははっ・・・・・  今更だよ・・・    ・・・ ふふっ・・・   ははは・・・」

未だ後悔と欲望の狭間で葛藤する椎神は、誰に聞かせることもない嘲笑を閉め切った暗い自室に響かせた。






本宅とは違い、限られた人間しか訪れることのない別宅は人の存在を感じさせない程静まり返っていた。その一室で虎太郎は手厚い看護を受けてる。
腹を殴られたところが一番ひどくて、それは一人では起き上がれないくらいの痛手だった。3日間は支えて起こしてもらい、布団の上で食事をした。口の中の傷は以外と早くふさがったけど、切れた口の端はなかなか治らなくて味の薄いおかゆを用意してくれたのはいいんだけど・・・


「もう少し口開けろ」
「無理。痛いし」


ひな鳥の口にえさを運ぶ親鳥の図。
スプーンにのせたおかゆをフーフー冷ましてして俺の口に根気よく運ぶのは龍成。中学のときのペット扱いで「アーンしろ」とか無理やり口にスプーンを突っ込まれたことはあったが、今やってるのは完全に介護だ。口が開かないことをブツブツ言う俺をしかりもせず、時間を掛けて親身に世話をしてくれるので何だか照れくさい。こいつこんなキャラだったか?

「これ、おいひぃ」
「当たり前だ、誰が作ったと思ってんだ」
「これも?」

龍成のレパートリーは幅広い。薄味のおかゆさえおいしく作れるなんて主夫の鏡だ。

「夕ご飯カレー食べたい」
「バカか、口開かねえし、しみるぞ」
「でも食べたい・・・」
「・・・・・・・」

フーと呆れて鼻から息を噴き出すけど、龍成は多分作ってくれるだろう。食べ終わると口の端を濡らしたタオルできれいに拭いてくれる。切れた口の端の傷に軟膏を塗る指はごついのに、ひどく優し気に触れてくる。薬を塗るくらいならもうそんなに痛くないのに、触られると痛みを思い出し、つい癖で眉を寄せて痛む素振りをしてしまう。

「痛えか」
「ん・・・平気」

そして軟膏を塗り終わると、龍成は食器を持って部屋から出て行った。







俺が目を覚ましたのは暴行された次の日。



「いやあ、まさかあんなことになるとは思ってなかった、ははは・・・びっくりだ」

「ほんと、まいったまいった」と、布団の上でまるで他人事のように話す虎太郎。おどけてそんなことを口走ると、それまで自分に語りかけていた椎神と龍成は無言になって目を眇めて俺を見た。




そんな目で・・・見るなっつーの。




俺だってそりゃあ・・・・・・・・・・ショックだった。




まさかレイプなんて。自分がそんな目に遭うなんて。
痛みで朦朧としていたけれど、あれは確かに自分の身に起こった出来事。助けが来なかったら、本当に輪姦されていたかもしれないと思うと今でもゾッとする。
でも、一応無事だったし・・・暴行はひどいものだったけれど。


「大丈夫だって、別にあんなのどうってことないし」


その事実を忘れたかったからか、口をついて出てきたのはそんな一言。でも、忘れたくても簡単に忘れられるものじゃなく、俺はその後すぐにそれを思い知ることとなる。







障子から入る薄い光がだんだん影を帯びていく。もう夕方に近いのかもしれない。うとうとし始めた自分は夢と現実の狭間でまたいつもの夢を見る。
虎太郎の心に落ちた暗い影。
はあはあ・・・と顔を歪め、時折唸りながら熱い吐息を漏らす虎太郎の見る夢は悪夢。


夢に現れる ――――― 無数の手


その手に押さえつけられた自分は金縛りに遭ったように動けない。ベタベタと粘り気のある手が体中を這いずり回り虎太郎の肌は悪寒に総毛立つ。その手が性器に触れ、『柔らかい、お前も触って見ろ』とたくさんの声が耳に響いてくる。
嘲笑する声に耳をふさぎたくても指一本動かない。下劣な手がだんだんと下半身に集まり足を抱え挙げられ、恥ずかしい場所を人目に晒す。『突っ込んでやる!』その言葉が何度もリフレインしギリッとした痛みが秘所に走り、悲鳴を上げているはずなのにその絶叫は聞こえない。誰にも届かない。



――――― やだ、嫌だ。やめろ!!

――――― 誰か 助けて!!



「うぁぁ!」
「・・・ロ・・・・・・タロ・・・・・・・・おい、タロ!!」

「うあぁぁ!!」
「タロ、目を開けろ!」
「やだ・・・・やめ・・・ぁあああ・・・」


夢と現実が交錯し暴れる虎太郎を布団に抑え込み、龍成は虎太郎の名前をひたすら呼び続けた。


「大丈夫だ、タロ。目を開けろ」
「う・・・・・うっ・・・ぁ・・ああ・・・・」


焦点の合わない目から涙があふれ、ガクガク震える体は触れる全てのものを拒絶した。龍成の腕には、虎太郎がかきむしった傷跡がいくつも筋を作り、それでも押さえつける虎太郎には傷や痛みを与えないように出来る限りの配慮をした。





眠りから覚める際に悪夢が引き起こす一種のパニック障害。





それは目覚める際に必ず起こるわけではなく、安らかに目覚める日もあれば夜中に突如叫び出すこともあり、今日のように短時間の昼寝から覚醒するときに起こることもあった。

泣き叫ぶのは同じ言葉。

―――――― 『やめろ・・・ 誰か助けて・・・』



それを聞くたび硬く握り締めた拳は震え、なぜもっと早く助けてやれなかったのかと自分を責めずにはいられなくなる。







高校に上がると同時に、虎太郎とはわざと少し距離を置いた。
今までと変わらぬ友人を演じたが、余計な接触は避け毎日の日課だった噛みつくこともやめた。そうやっていつでも手が届くところで飼いならした。中学と比べると危険値がだいぶ下がった俺に対して無警戒に懐く虎太郎に、何度食指が動きそうになったことか。我慢など初めての経験だった。

予想していた通り、高校入学と共に振ってかかる敵対グループ。中学のときから暴れまわっていた龍成達の名は蒼谷に来て更に悪名を馳せ、常に行動を共にする虎太郎自身にも自分の身を守る力を付けさせる必要があった。いつでも守ってやれるわけではない。ある程度の安全圏を作るためにも、始めは徹底して不穏分子を叩き潰す必要があった。時間をおかずそれこそほぼ毎日ケンカに明け暮れた。これから本腰を入れて組織に身を置く龍成は、今まで以上に戦う感性を高めておきたかったし、それより何より・・・・・・血が騒いだ。

我慢は性に合わない。自分が楽しむためにやり始めたこととはいえ、触れられる距離にあるものに触れられないでいることが無性に苛立ちを募らせた。その鬱憤を晴らすがごとくなり振りかまわず、降りかかってくる火の粉を払いのけもせず進んで渦中に身を投じた。

甘やかす一方で、そんな無理を強いる。相反する行動に始めは戸惑う虎太郎だったが、意外にも虎太郎はその状況に早く慣れた。ブツブツ言いながらもくっ付いて来るし、龍成にいたぶられてきただけあってケンカのセンスも身についている。自分が強くなることが嬉しいようにさえ見て取れるときもあって、そんな虎太郎の変化に龍成はおおよそ満足していた。



中学時代と違って、笑顔で過ごすことが多くなった虎太郎。



「お前なんか大嫌いだ!」と6年間豪語されていただけに、懐く虎太郎はそれはかわいかった。「顔がゆるんでみっともない」と何度椎神に嫌味を言われたことか。
しかしこういう関係もいいものだ。いじめてばかりではなくもっと早く気づけばよかったと少し後悔し、この穏やかな日々に虎太郎の身に触れてもいないのに満足する自分自身を不気味にさえ感じた。


触れもしない。噛まない。味わわない。しかしそれでもよかった。
本当にこれは俺なのか?と自分を疑い、自問自答したこともある。
何故かずっと執着してきた。
手放したくなかった。ずっとそばに居たかった。
そしてあの冬の日、山城邸でぶっ倒れてやはりタロは特別だと自覚した。これを自分のものにしたい。懐に入れたい。


だからそれを口にした。
欲しいと・・・
そう椎神に宣言したにも関わらず自分は今、何をしているのだろうか。

穏やかな日常。
そんな自分に似合わぬことをしていた矢先。「またな」といつものように別れたあのタロが・・・・・・・・・あんな姿で地面に転がっていた。




まず何にキレたって・・・

そばに寄ると、こいつは笑ってやがった。
怒り狂う俺に笑いかけ、「負けた」とか、「罰」の心配なんかしてやがった。
そんなあいつを見て、更に怒りで目の前が真っ赤に染まった。

動画には泣きながら嫌がるタロが写され、その脚を抱え上げる男達を見たとき・・・自分の中でブツリとまた何かがぶちキレた。
その後はただひたすら拳を振るった。無性にそこにいる何もかもを消したかった。全てが終わった後、タロを抱こうとしたその手は血まみれだった・・・・・・・何かに触れるのに初めて躊躇した。




力なく目を閉じたタロの顔は青白く、むき出しの肌は陶器のように白く傷が鮮やかに浮かび上がっていた。抱き上げると眉を寄せて苦痛の表情を浮かべたがそれは生きている証。それだけで・・・生きていることが伝わってくるだけで、安堵して抱き上げる腕が震えた。



自分が震えるなど・・・それは・・・




――――― 生まれて初めて恐怖と言うものを感じた瞬間だった。




タロを失うかもしれないという恐怖に・・・・この身が情けなくも震えた。



次回・・・「見えない傷」

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