欲深い誓い
廃工場のドアが再び開き、現れたのは黒服に身を包んだ数人の男達。彼らは倒れた20人の流血惨状を目の当たりにして息をのむが、すぐに椎神の元に駆け寄って来た。

「あとは頼みます。車を一台山城邸に向かわせますから」

京極の連中に椎神が後片付けや乗ってきたバイクの処理などの指示を出し、龍成は意識の無い虎太郎を大事に抱え出口に向かっていた。



「ちょ・・・待ってよ!!」

縛られたままの千加は椅子をガタガタ引きずりながら大声を張り上げた。黒服の男が側にやって来てきつく結ばれた縄を解くと、腕をさすりながら千加は走って虎太郎に駆け寄った。

「こたろー」

龍成に抱かれた虎太郎は生きているのは間違いないだろうが、体には痛々しい傷が点在し、青白くうなだれた顔にあの禍々しいレイプの記憶もよみがえり、目に熱いものが吹き出してくる。

「ぼ・・僕のせいで・・」

泣きながら眠る虎太郎に手を伸ばすと、龍成はふいとその手をよけ無言で車に向かい歩き出した。

「別に君のせいじゃない」

冷たい声が後ろから背中に突き刺さる。椎神は脱がされた虎太郎の衣服と壊れた携帯電話を手に龍成の後に続いた。

「でも、僕がつかまらな・・」
「君こそ被害者でしょう。こっちのもめ事に巻き込まれたわけですから。怖い思いをさせましたね」

椎神の言い方は冷たく全く気持ちなどこもっていなかった。千加とは目も合わさないで淡々と言葉を続ける。

「もしも君がコータに対して悪いと思うなら、ここで見たことは他言しないでください」

一切関わるな。その声はすでに命令だった。
起こったことを口外したらただでは済まさない。最後に一度だけ僕を見た椎神の目はそう告げていた。

「1人寮までつけます。もう狙われることは無いと思いますが。それとしばらくコータはうちで預かりますから」

有無を言わさぬ言葉に聞き返す暇も与えられず、車に乗り込んだ椎神達は千加を置いて行ってしまった。「どうぞ」といきなり声をかけられビクッと肩を震わせてらせて振り返ると、どう見てもヤクザにしか見えないこわもてのおじさんが車に乗るように促した後、怖くて動けずにいた僕は強引に引きずられて車内に放りこまれた。

(・・・・大丈夫だ。ヤクザだろうけど・・・大丈夫だ・・・多分・・・・)

動き出した車から廃工場を振り返ると、まだ車が2台残っていて、椎神達が乗ってきたバイクも見える。あの中で一体今から何が起こるんだろう。


『殺しちゃおうよ・・・』


椎神の言った残酷な言葉が甦る。

・・・まさかね・・・そんなこと・・・あるわけないよね・・・



「こたろー・・・」

大事な友人の名前をか細い声でつぶやいた。
体も心も傷ついた、心の優しい僕の友達。

思い出すとまた涙があふれてくる。最後まで「千加に手を出すな」と自分の身を盾にした友人。


(ごめんね・・・ごめんね・・・こたろー)


千加は張り裂けそうな胸をギュッと掴んで、身を挺して自分を守った虎太郎のことを思い続けた。






どうしてこんなことに・・・

――― 後悔は無駄なこと。そんなことをしている暇があったら、失敗したことを取り返すくらいの結果を出すことを考えろ。―――

椎神はそうやって親とも師とも呼べる祖父に言い聞かされ育ってきた。そして自分もそれの方が合理的で無駄がないと理解できていた。
そんな自分が・・・今、後悔という気持ちに苛まれている。

情けない。

感傷に浸る暇など自分には無いというのに。
暗くよどんだ気持ちを抱えたまま、椎神は携帯電話を開き通話を始めた。






山城邸に向かう途中、亀山医師と連絡を取り合った椎神は、先に知り合いの病院に向かうよう指示を受けた。傷の様子から内臓が傷ついているかもしれなかったからだ。病院に着き毛布に身を包んだ虎太郎を診察室に運んだのは龍成で、山城邸に着くまで医者以外の誰にも虎太郎に触れさせることは無く、そばから一歩も離れなかった。



診察室に消えた龍成。

静まり返った廊下には自分とガードが2人、少し離れた場所で待機している。
ひんやりとした壁にもたれかかると、自然と口からため息がこぼれた。




悲痛な目で、ただ一人だけを視界に納める龍成。
いつからあんな目をするようになったのだろう。
悲しんだり、喜んだり、何とも分かりやすい人間になったものだ。出会った頃はあんなまともな人間じゃなかったのに。いつから変わってしまったのだろうか。それが悪いことだとは思わないが、あの悲痛なまなざしを見ていると言いようのない不安が心をよぎる。
初めから・・・この不安はずっと付きまとっていた。何気ない日常の中で常に心の奥深くにそれは潜んでいる。それはコータト出会ったあの日から続いていた。





他人になど興味を持たず、家族さえ傍に寄せ付けなかった、たった一人の孤高の龍。そして孤独な龍。彼も子供の頃は寂しいと思う気持ちが存在していたのかもしれない。
珍しいものを手に入れてもすぐ壊してしまい長くは続かない龍成が、何かに夢中になるなんて思わなかったし、結局つまらなくなってすぐに飽きるさ・・・椎神はコータに対しても始めはそう思っていた。

でもそれが間違いだったと気付くのにそう時間はかからなかった。

日に日に虎太郎への執着は増し、不確かな感情をあらわにする極悪龍。コータにのめり込んでいくような龍成を見るたびに、あの不安な気持ちが心に沸き上がってくる。

本気なのか・・・

6年たっても執着が色あせることはなく、それは一層大きなものになっていった。
だからコータをあげると約束した日から、彼を守るのも自分の役目だと椎神はそれを当たり前のことのように受け入れた。それが龍成の望みだと分かっていたから。






コータと共に過ごすことができなかった夏休み。

この夏、早めの帰省を余儀なくされたのは、組織に身を置くと誓った龍成と少しでもその基盤を固めるために京極家の力となりその実力を知らしめるためだった。
龍成はすでに高校生とは思えない凶悪な威厳をかもし出している。やはり先代の血を色濃く受け継いでいるのは長男の龍成であることを、本家や分家の口さがない連中に十分見せ付けることが目的だった。山城の叔父の力を借り、家に連なる者や組織の重鎮との面通しも済ませ、肩身の狭い本家にあっても滞りなく椎神の計画は進んでいた。

『親さえ見離した凶悪な子供が戻ってきた』

嫡男が戻って安泰だと口々に言う親戚連中だが、腹の中では皆そう思っているのだろう。長年放り出されていただけあって敵は多い。しかし龍成の容赦ない性に傾倒するも者もいた。これから日を追うごとに龍成の存在は京極家に大きな影を落とす。その存在を少しづつ浸透させていけばいい。

龍成に京極家を継がせてみせる。絶対に。
そのためになら何だってやってやる。
椎神にはその思いしかなかった。






今日椎神が虎太郎に連絡したのはほんの気まぐれ。様子見のつもりだった。
夏休みは実家で過ごすように言い聞かせたし、久しぶりに家族の元に帰るコータの喜ぶ姿を見て、まさか数日で寮に戻るなんて想像もしなかった。それくらい自分は京極家のことで頭が一杯だった。


それを今更後悔しても仕方が無い。しかし後悔せずにはいられなかった。


なぜ自分は毎日安否の確認をしなかったのだろうかと。どうして目を離してしまったのだろうかと。
京極家での龍成を見る目が好奇の目から畏怖を含んだ敬意を払う視線に変わる。自分の理想とするものが見え隠れする中、そんな主の姿に心酔していた。彼しか目に入っていなかった。
自分は欲深い。
龍成さえ居ればいい。龍成と共にあればいい。
離れているコータのことなんか、正直頭には無かった。



でも、
他人によって暴行を加えられ、
無残なぼろきれのようなコータを見た龍成・・・
悲痛な目でコータを見つめるしかなかった龍成を見たとき愕然とした。

自分が必要なのは極悪な龍。
触れるもの全てに牙をむく、荒れ狂う龍に心底惚れたと言うのに。
他人に心を揺さぶられるような弱い龍など必要ないのに。
だが、それも自分の敬愛する龍成に変わりはなかった。
極悪で狂気に満ちた最強の龍は、コータにだけただの人間に戻る。だからこそあんなに魅かれ、欲しがるのだろう。
それをまざまざと見せつけられた。



椎神が常に抱いていた不安が形となって現れた今回の事件。
その身と心に多大な傷を受けたコータと、それを抱き締めただ見つめることしかできなかった龍成。
自分達の護る手からこぼれ落ちてしまったコータ。



もし、もしもコータが背を向けたら、龍成はどうなってしまうんだろう。
コータが他の誰かを選んだり誰かに奪われたりしたら、そんなことが起こりでもしたら龍成は・・・・・・



「全てはコータ次第ということですか・・・」







診察が終わり、虎太郎を大事に抱きかかえた龍成が廊下に出てきた。目の前に立つのは極悪龍であって極悪龍では無い。想い人を見るような目で見つめ、腕の中の弱り切った虎を抱く牙の抜け落ちた龍。



――――― 守れなかった。でも後悔なんて・・・今更しない。


――――― 他人に触れさせ傷つけた・・・・・・・・・もうこんな失態は二度としない。


――――― 虎を傷つけていいのは・・・龍だけなのだから・・・・・・




椎神は、暗く欲深い心にそう誓った。



次回・・・「虎の傷と龍の傷」

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あきゅろす。
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