突き刺さる視線
まるで霞がかったように、視界がぼやける。
あれは、
誰だ。
あれは・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・獣だ
「・・・か」
「・・・・・・なか、お」
「おい!田中!!」
「う、・・・ ・・・ は、・・はい」
チンピラ君の声で、虎太郎は現実に引き戻された。止まっていた時が急に動き出し、酒が入り声が大きくなった男達の騒がしい雑談が再び耳に飛び込んできた。
「またボーッとしやがって、ビール追加だ。取りに戻るぞ」
「え・・・・・・・」
そんなことをしている場合ではない。これ以上こんな場所にはいられないのに。
頭の中ではグァングァンと警鐘が鳴り続けている。「逃げろ!」と叫んでいるのは自分の声。
早くこの場から逃げなければ!
すぐそこに、あいつらがいる。
なんで・・・
なんでなんだっ!
ここにはもう住んでいないと聞いていたのに。どうして居るんだ!
今日に限って偶然出会ってしまったと言うのであれば、こんなに不幸なことはない。自分の運の悪さを悔むほかない。
まさか・・・自分が戻って来たことが、どこからか伝わってしまったのだろうか。
どうやって?
あのおばさんたちの噂話が原因だろうか。それともずっと実家を見張っていたとでもいうのだろうか。それとも・・・
・・・考えたって真実は分からない。
バレているのかいないのか。
しかし、バレているのならここに来た時点で・・・いや、実家に戻ったことが分かった時点であいつは俺の前に姿を現したに違いない。
(だとすると、まだバレてはいないのか?)
「おい、田中。・・・・田中!!」
「っつ、 は、・・・・・・ は、い」
話しかけてくるチンピラ君の言葉がよく理解できない。声がまた遠くに聞こえる。
目が回るような感覚に、ふらついて壁により掛かかった。その様子に命令口調だったケンジも虎太郎の様子がおかしいことを感じ取り、先ほどよりも少しだけ抑えた声で話しかけた。
「気分悪いのか、なんか顔色悪いぞ」
「い、・・・・いえ」
「そうか」
大丈夫なら行くぞと、チンピラ君はケースを持ち上げる。
そして虎太郎も、早くこの場から逃げ出そうと震える手でケースに触れた。
ケースを持ち上げようとしたが混乱しているのか手に力が入らず、左側の取っ手からするりと手が離れてケースが傾く。
ケースの角が床に接触しガダンと鈍い音を立て、空瓶がガチャンとぶつかり合った。
「何やってんだ、田中!床に傷がつくだろうが」
「す、・・・・すいま・・・せん」
大きな音を立ててしまった。
焦って大広間の方にチラリと視線をやるが、ケースを落とした音などまるで聞こえていないように、先ほどと変わらぬざわついた宴会風景にホッとする。
(はぁ・・・)
廊下にしゃがみケースをどけて、落とした床の部分を確認する。床に傷は付いていなかったし、空瓶はどれも割れていない。よかった。傷が付いていたら弁償ものだったかもしれない。ここで問題を起こしたら、自分が帰ってきていることがバレてしまうかもしれないと思うと、気が気でなかった。
慎重に行動しなければ、自分で自分の首を絞めることにもなりかねない。とにかく今はこの場から早く離れよう。台所まで行ったら裏口からそのままトンズラだ。
そう心に決めて再度立ち上がろうとしたとき、
虎太郎は覚えのある視線を、背中に感じた。
チリチリと焼け付くように突き刺さる視線を。
取っ手を握りしめしゃがんだまま、感じる視線の方向にゆっくりと振り返った。
この時振り返ったことを、後でどれだけ悔やんだことか・・・・・・・・
長い廊下の先に、黒いスーツ姿の男が立っている。
虎太郎の顔に緊張が走った。
背の高い、大柄な体躯の男は、逆光で顔が見えづらい。
でも・・・
分かる。
知ってるんだ。この感じ。
この男が纏うこの独特な重たいオーラを。
その身を包んでいる獰猛な空気を。
近寄る者をその牙と爪で血に染める。
傲慢で、威圧的な支配者。
床がミシッと音を立て、男が近づいてくるのを虎太郎に教える。
一歩一歩急ぐことなくゆっくりと、獲物を追いつめるようにその距離を縮めて来る。
(逃げないと、逃げなければ!)
震えながら立ち上がるが、床に足が縫いつけられたように動かない。
痛いほどの存在感まき散らしながら近づいてくる男を、睨みつけることしかできなかった。
男の鋭い視線が身に突き刺さる。
ギラギラした目に肉を射抜かれて、見えない鎖で体を締め付けられるような痛みの錯覚に陥った。
息苦しい。
呼吸はしているはずなのに、それは肺を満たさずに喉のあたりで止まってしまうような苦しさを感じさせた。周囲の音が消えキーンとする耳鳴りが脳に直接突き刺さるようだ。
背筋に汗が流れる不快感。その汗は落ちきる前に直ぐに冷めて、冷水が流れるように体の熱を奪ってゆく。同じように手や足の指先も冷たく感じ、寒気が体を支配した。貧血で倒れてしまいそうな、体から力が抜けて足元が揺らぎ自分の力では立っていられないような感覚が襲って来た。
――― それは恐怖。
突き刺さる視線は、それだけで人を射殺してしまいそうな凶悪さを秘めている。目の前の男は、視線だけでこれほどの恐怖を虎太郎に与えた。
その恐怖を与える、野獣のような危険な臭いを漂わせる男が、肉厚な口角を少しだけ上げて、
そう・・・・
笑った。
獣が・・・笑う。凶悪な顔を歪めて、嬉しそうに。
そして獲物を視界に捕らえた獣は、低い声で唸った。
「久しぶりじゃねえか」
変わらぬ声色に、記憶そのままの獣の声に、虎太郎の目が大きく見開かれる。
11年前と何も変わらない、耳に纏わりつくその恐ろしい声に、固まった体がビクリと震えた。
「・・・・・タロ」
獣はその名を口にすると、ペロリと舌舐めずりをして獲物に向かった。
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