アルバイト


着実に進む末っ子移住計画は、帰った次の日から早速発動された。


帰国した日、おちょこ6杯で眠り王子と化した虎太郎は、たかが130ミリリットル程度の酒に酔って何年振りかの二日酔いに苦しみながら目を開けた。
そんな息子に炊き立て白米とシジミ汁を準備した母親は上機嫌。そして姉の蝶子は虎太郎に胃薬などを飲ませると、昼から外に連れ出した。

姉に引っ張られるようにして連れて行かれた先は免許センター。配達で軽トラックを運転させるために、運転免許証を取りに行かされたのだ。
虎太郎は運転免許をワシントンで取得したため、日本ではその免許は役に立たない。日本で運転するためには都道府県の免許センターで口頭での試験を受け、試験場内と路上での実施訓練を経てから免許の書き換えをしなければならなかった。
蝶子姉は外務省で働くキャリアウーマンだけあって、そういった諸事情に妙に精通している。あれよあれよと言う間に、手続きを済ませあとは数度の実施訓練を終えれば免許が取得できる状態にまでなった。

「私に任せておけば一事が万事うまくいくわ!大船に乗ってつもりでドーンと構えなさい」


(どうせあと3カ月くらいで帰るから、免許とか要らないんだけど・・・)


こうして要りもしない免許の手続きが終わった。




父親の酒屋でアルバイトとして働くようになって1週間。さほど広くもない店内での仕事には直ぐに慣れ、商品の出し入れとレジ打ちは父親がいなくても出来るくらいにはなっていた。

だが、こうやって仕事に慣れることにも抵抗がある。虎太郎には酒屋を継ぐなどと言う気持ちは皆無だったからだ。
父親を手伝う息子の姿を見る母親はとても嬉しそうだ。こんな生活がずっと続いてくれたらと、一日に何度も口にする。それを聞くたび「店を継ぐつもりはないから」ときっぱり否定するが、そうなると母親の機嫌は急降下し悲しげな顔をされたり愚痴をこぼされたりするのでそんな状況に正直まいっている。

実家に再就職なんてするわけがない。大体仕事を辞めたわけではないし、辞めるつもりもないのに。再就職を押しつけるなんて的外れもいいところだ。SPの仕事は休暇中であり、怪我が治ればすぐ復職しなければならない。3か月は日本に居ると家族には言ったが、ああもしつこく迫られると嫌気がさして早く帰りたくなってしまう。
心配してくれているのは分かるが、もう少し自分の仕事にも理解を示してほしいと虎太郎は思うのだった。



支払われるバイト代は日給5000円。
貯金はあるし医師が認める療養期間中は自動的に給料が入るので、金には困っていない。危険が伴う仕事だけあって労務災害などは細かい規定と手厚い補償が義務付けられている。だから無理して働かなくても生活は出来るのだが、金は無いよりもあった方がいいに決まっているのでバイト代が出るのはありがたい。
それに傷ついた内臓や外傷の回復具合が知りたいし、リハビリできる機関も探したい。検査と通院の必要が発生するが、虎太郎は日本の医療機関が発行する保険証や医療保険等を持っていない。そうなると高額な医療費を満額自己負担することになるので、これからかさむ医療費を少しでもバイト代でカバーしたいと思ったのだ。

しかし虎太郎はその5000円という金額には苦言を呈したかった。
10時に店を開けて閉店までの9時間を時間で割ると555円・・・なんだこの低賃金はと文句を言ってみたが、「3食昼寝付きでレジに座って休憩ばかり。実働2時間くらいしか動いていないから、時給2500円みたいなものだ。こんないいバイトは他にはねえ、感謝しろ」と、父親は5000円でももったいないと言い切った。

確かに・・・実際は汗水流して働いてはいない。多少の力仕事はあるが、そんな在庫整理や積み込み作業は数分で終わる。客もまばらにしかやって来ないし昼飯を食ったら居間で1時間は休養と称して昼寝をしてしまう。レジに座っていても暇だからうとうとしてしまい、やって来た客に起こされることもしばしば。19時閉店なのにおとといは雨が降って客の入りが少ないのをいい事に、18時半で店を閉めて店のコーラとお菓子を食べながら時間をつぶした。
こんないい加減な仕事ぶり。普通のアルバイトなら初日・・・いや、午前中で首だろう。
元よりやる気が無いし、親の店だから適当でもいいやという気持ちが大半を占めているから身が入らない。それに自分は一応怪我人だ。偉そうなことを言う父親だっていつも暇そうにしているから、自分も同じようにダラダラとしてもいいのだろう。客が来たら動けばいいと、虎太郎はあくまでも後ろ向きだった。

そんなやる気のない虎太郎を父親は業者に紹介したり、地域の商工会の出ごとに無理やり連れて行ったりして着々と本人の意思を無視した移住計画は進む。






「あの」


中年の女性客に声を掛けられ、瓶を拭いていた手を止め声がした方を見る。

「お酒の取り寄せをお願いしていたんだけど、もう届いているかしら」

「あーっと、すいません。ちょっと待ってください」

詳しいことは分からないので、店の奥の扉を開けて実家に戻り父親を呼ぶ。俺に店を任せていた父親は居間でのんびりくつろいでやがった。



「おう、安藤さんとこの」

さっきまでの仏頂面はどこかに消えて女性客に笑顔を振りまく父親は、奥から木箱に入った日本酒を持って来て渡した。
女性客は木箱を受け取りながら、父親と楽しそうに世間話をしている。

(お得意さんかな?このおばちゃん。)

「ところで綾瀬さん、アルバイト雇ったの?」

虎太郎を見るおばちゃんは興味津々だ。目が妙にキラキラ輝いている。

「ああ、こりゃあ息子だ。まあ、アルバイトには違わねえがな」
「え!綾瀬さんとこに、こんな若い息子いたっけ?」

(若いって、俺29才ですけど・・・・・。くそっ、)

この童顔のおかげで実年齢を言うといつも相手は驚くのだ。

「たけ(武)にまさ(将)だろう、で華子に蝶子、その下がこれ。5番目だ」

(物みたいに言うな!)

おばちゃんが更に目をキラキラさせてじっと見るので、虎太郎は何だか落ち着かない気分になって来た。

「えっと、三男の虎太郎です」

ぺこりと頭を下げるとおばちゃんは、「やだーこんなかわいい子がいたなんて、うれしくなっちゃう。たけちゃん達は男前だったけどこの子全然似てないわねー。本当に兄弟?」・・・とか耳にキンキン来る声でわめく。

「ちょっと店手伝わせてるんだ、まあこれからよろしく頼むわ」

おつりを渡すと「目の保養になったわ!みんなに報告しなくっちゃ!」と、ミーハーな少女のようなテンションの高さでおばちゃんは帰って行った。



「なに、あの元気なおばさん」
「ありゃあ、3丁目の安藤さんとこの奥さんだ。常連だからしっかりタラしこんどけよ」

「・・・・なんだよタラすって」
「愛想ふりまけってことだよ。ニッコリ笑って“今日もきれいですね奥さん”とか言っとけばビールの3本くらいは追加してくれる。たけは稼ぐのうまかったぜ〜」

客から金を引き出すためならお世辞くらい使いこなせと、商魂丸出しの台詞を吐き父親は再び家に消えていった。
人づきあいの下手な、人見知りの激しい子ども時代を過ごした虎太郎にとって、口で金を稼ぐのはとてつもなく高いハードルだ。その人見知りは、大人になった今も治った訳では無い。


そして次の日。
店に思ってもいなかった客が現れた。




「いらっしゃいませ」


客は入って来るなり商品も見ずにレジに近づいてきた。


「お前、虎太郎だよな?」


「え・・・・、あ・・・・・・はあ。そうですが・・・」


見ず知らずの同年代の男に突然名前を呼ばれ、頭の中で人見知り警報が鳴る。

「わ、うっそーマジでか!超久しぶり!」

目の前で喜ぶ男を見て誰だっけ?と思考を巡らすが、誰だか全く見当が付かない。

「俺だって、俺!斉藤一也。中学3年間一緒だったじゃん、あ、小学校もだけど」

たはは、と笑う男の表情に、“斉藤”と言う名を何度もリロードさせて記憶を手繰り寄せる。


(あ・・・・・・、思い出した。近所の一也だ。)


「あ、ああ〜一也。そうだ、西中のときの・・・斉藤一也!」

「やっと思い出したか!」



一也は近所に住む小・中学校の同級生。俺の数少ない友達の一人だ。
久しぶりに会った旧友との再会にお互い興奮して、大人なのにピョンピョンはね回ってしまった事を後で思い出すと恥ずかしかったのだが、友人の訪問はそれくらい嬉しい出来事だった。
懐かしい。
一也と会わなかった空白の11年いや、14年になるか。その時間が一気に戻って来たような気持ちになった。



「昨日母ちゃんが、綾瀬酒店の末っ子が帰って来たって言ってたから、まさかと思って来てみたわけ」
「何で・・・一也のお母さんがそんなこと知ってるんだ」

「おばちゃん連中の噂になってるらしいぞ。酒屋にかわいい男が居るって」
「・・・か・・・かわいい・・・だと」
「おう、もういろいろと噂でもちきり」

ベビーフェイスはアメリカだけでなく、日本でも猛威をふるっているようだ。しかし昨日の出来事がもう近所の噂になっているなんて。あれ?あのおばさんって3丁目って言ってなかったか?一体どれくらいの広範囲で噂が広がっているのだろうかと心配になって来た。
一也がニヤニヤしているのを見ると、噂の内容が気になる。どうせロクな噂ではないだろうけど。

「それにしてもお前、高校卒業してどこで働いていたんだ?なんで実家に戻って来たんだ?まさかはやりのリストラか!」

一也は俺が海外にいたことを知らないようだ。近所なのに、どうやらそのあたりの事は伝わってなかったらしい。しかし海外に居たことを詳しく話すと、一也の母親からおばちゃん連絡網に引っかかる予感がするので、遠くで働いていたんだと多くを語るのはやめた。

「一也は今、何してるんだ」
「俺?職人」

「職人って・・・何の?」
「畳。ほれ、うち畳屋だから」

(ああ・・・そうだった。こいつの家畳屋だった。)

それにしてもまた特殊な職業だ。
そんな一也は、最近はフローリングが主流だから参ったぜと愚痴をこぼす。

「今度2人目も生まれるし、頑張って稼がないとな」
「え、一也、結婚してんの?」
「おう、嫁さんと、5才の娘に、今度息子が生まれる。気は強いけどいい嫁でさ」

一也は照れながら、でも幸せそうに家族のことを話した。


(そうだよな、俺達はもう30才になる。)


彼女がいたり、結婚したりして、子どもがいる奴も多いだろう。
自分の選んだ仕事に自信を持ち、時には不安になりながらも自分のため、家族のため、そして大切な人のために一生懸命生活しているんだ。


(俺って、何してるんだろう・・・・・)


今は仕事を離れているせいか、虎太郎は自分が周りに取り残されているような気分に陥った。

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あきゅろす。
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