龍 VS 虎


龍成の強肩から繰り出される重い拳をぎりぎりでかわし廊下から縁側に飛び退くが、勢い余ってそのまま庭まで転げ落ちた。目深にかぶっていたキャップが脱げ、きれいに刈りそろえられた芝生の上にフサリと落ちる。


晴天の空の下、茶色がかった短髪は地毛よりも明るく龍成の眼に映った。
昔とそう変わらない顔つきに、探り出したいのは・・・



必死に抗おうとする、闘いを諦めない眼差し。



己よりも強大な者に立ち向かおうとする、自暴自棄ともとれる捨て身で向かう者のみが持ち得る絶望に直面する寸前の、あの壊れそうに揺らぐ悲壮さを漂わす眼。
虎太郎は弱くて、でも強い男。
迷いの中、必死で活路を見出そうとするその負けん気を、龍成は気に入っている。
勝てないと分かっているだろうに、それでも闘う前から諦めることはしない。たとえどれほど無残に屈服させられようとも、這いつくばって一矢報いようとする眼には強い光が宿っている。
そんな抗う眼が見たいがために、常に壊れる寸前まで虎太郎を追い詰めて来た。


目の前で構える虎太郎は恐れを抱いている。
11年ぶりに再会した、自分という忌み嫌う存在を前に、必死に自らを奮い立たせ怯える姿を隠そうと攻撃を繰り出してくる。



――― こいつと再び拳を交えたい。



ゾクゾクするようなその高揚感は、性的な昂奮に類似していた。



闘いに、欲情する。



拳を、蹴りを、あのしなやかな体に与え、傷と痛みを味わわせることに喜びを感じる。
あの健康的な肌に牙を落とし肉を噛めば、昔と変わらぬ甘く悲痛な声を上げるだろう。
龍成は首筋に視線を這わせた。舐めるようにいやらしい視線を・・・
あそこは特に気に入っている。首筋からうなじにかけてどれほどの証を刻んだことか。

甘い味。
あいつの血は味も香りもこの上なく甘い。


アレが・・・欲しい。
タロに喰らい付きたい。
それはおそらく、感極まる程の最上の悦楽。


気が付くと舌舐めずりをしながら、飢えた獣のように虎太郎の後を追っていた。





虎太郎が体勢を立て直した所に、縁側から飛び降りて来た龍成がかかと落としで腹部を狙ってくる。
虎太郎は転がりながらそれをよけて、素早く身をひるがえし立ち上がる。

龍成は近づきながら、スーツの上着を乱暴に脱ぎ捨てた。
ネクタイを引っ張り緩め、ボタンを2つ分引きちぎり襟元を開く。薄手のシャツでは隠しきれない筋肉質な体躯が現れ、肩幅の広さや腕の太さに鍛え上げられた野性的で危険な臭いを感じ取る。
その野獣は袖のボタンもちぎり取り、邪魔な袖を肘まで巻き上げると、再び虎太郎を射るように見据た。

「11年たっても変わらねえなあ、相変わらず・・・そそる顔してやがる」

あまり顔を見せないようにするために目深にかぶっていたキャップが、遠くに転がっている。
元より童顔な顔は、身内にさえも全く成長していないと言われたが、そそるなど言われるのは羞恥に耐え難い。
虎太郎は家族にはかわいいと言われ続けていたが、女の子のような顔立ちをしているわけではない。分類するとしたら、男らしいとまではいかないが幼く凛々しい顔立ちと言ったところだろうか。
際だってというものでもない。近所のおばちゃんに受けがいいくらいのレベルだ。

だが目の前のこの男は、かわいいだの、そそるだの、煽るなどの趣味の悪い言葉で虎太郎を揶揄し貶める。

「気色悪いことをぬかしてんじゃあねぇ!」

「それが11年ぶりに飼い主に言う言葉かよ」

地面を蹴って龍成の顔を狙いこぶしを振り上げる。
大きな体には似つかわしくない素早い動きで龍成はそれをかわし、虎太郎の脇腹に掴かみかかる。
体を捻りぎりぎりでかわし龍成の背中に蹴りを仕向けると、ガシッと腕で足を払われた。



「若頭!」

遠巻きに見ていた構成員達が、龍成の元に駆けつけようと縁側から飛び降りる。

「待ちなさい」

厳しさをはらんではいるが耳には心地よく響く声の持ち主が、駆け寄ろうとする男達を一声で制した。
声の主は廊下に立つ黒服連中と比べると幾分細身だが、堂々とした上品な身のこなしは幹部クラスの人間であることを想起させた。

「し、しかし、椎神さん」

「若の・・・若頭の邪魔をするな」

怜悧な顔をした椎神という男は、冷徹な瞳の奥に闇色に静かに燃える炎を浮かべて若頭の龍成と、酒屋の戦闘を見つめている。

「楽しそうだな、龍成は」

「はい、組長」

椎神は無表情な顔に少しだけ笑みを浮かべてこの屋敷の主、組長である山城慶大(やましろけいだい)に向き直り答えた。

「あれは・・・」

龍成と拳を交えている酒屋を見ながら、山城は何かを思い出したように言葉を漏らした。

「ああ・・・あれは・・・・・・そうか、あの子か」

ゆったりとした羽織を着た着物姿の組長は、目を細めて傍観している。常に矍鑠とし厳しい表情を崩さない山城が、その相好を緩めて庭で火花を散らす2人を懐かしそうに眺めながらつぶやく。
その言葉に、椎神は頷いた。

「覚えておいででしたか。組長」

山城は酒屋の顔に、昔よく遊びに来ていた子供の面影が重なり、「懐かしい・・・」と、遠い記憶に思いをはせ楽しげに言葉をこぼした。
山城は、11年経ってはいたがはっきりと思い出したのだった。


若頭の龍成と闘うあの男。


他人に興味を示さない、周りのことなど関心のない、全く子供らしくなかった甥の龍成が、常に側に置いていた友人がいたことを。



「綾瀬酒店の息子だったな。確か・・・・虎・・・」

山城のつぶやきに、椎神は穏やかに答えた。

「綾瀬虎太郎(あやせこたろう)です。若の・・・・」

椎神はそれ以上口にすることなく、再び闘う2人に向き直った。



「椎神さん!」

組の若頭が一人で見知らぬ“敵”であろう人物と闘っていることに苛立ちを隠せない組員たちは、今にも動き出し酒屋を殺してしまいそうな勢いで、前傾姿勢のまま椎神の許可を待っていた。

「そんなに加勢に行きたいのなら・・・行けばいい」

椎神の許可が下り、殺気立った組員達は我先に駆けつけようと足を踏み出した。

「ただし・・・」

60人は居るであろう集まった組員達に聞こえるように、よく通る声で椎神は言い放つ。



「死ぬのを覚悟で行けよ」



勇んでいた男達の動きが止まる。
椎神の言葉に耳を疑い、言われた言葉の真意を探ろうと必死の形相で椎神を見た。
目の前の敵はたった一人。小柄で細身の・・・・酒屋の店員だ。
これだけの人数がいれば、相手が刺客だろうがどんなに強かろうが仕留められないはずは無い。
なぜ椎神が「死ぬのを覚悟で」などと言うのか全く理解できなかった。

男達は椎神が奇妙な言葉を発したおかげで、加勢に行くことを躊躇した。
椎神はそんな部下達の視線を集めながら、そいつらには眼もくれず、闘う2人だけを視界に収めて部下たちに言った。

「見て分からないですか。若頭は楽しんでいらっしゃる」

その言葉に、全員の視線が龍成に移る。

互いに一歩も退かず激しく闘い続ける2人。
若頭の顔は。

笑っていた。

しかしそれは
見る者を震え上がらせるほどの、狂気を漂わせた恐ろしい笑みだった。


――― 若頭が笑みを浮かべている・・・


それは、京極龍成を知っている人間にとっては非常に恐ろしい現状だった。
抗争相手を身内も恐れるほどの残酷なやり方で徹底的に敵を潰した後に見せる、恍惚とした狂気の笑み。

それと同じ表情で今、目の前の見知らぬ男と対峙している。

見ている者にも、恐怖が波及する。
人を殺めた事がある悪人達でさえも、狂気をまとった若頭は誰よりも恐ろしかった。



「楽しそうでしょう。何せ11年ぶりの逢瀬ですからね」

軽い口調は椎神のもの。緊迫した状況の中にありながらも、事も無げに楽しそうに話す。この状況を普通に傍観していられるのは、おそらく組長と椎神くらいのものだろう。


「ですから・・・邪魔したら殺されますよ。若頭に」


場が凍りついた。



「死にたい奴は行けばいい。止めはしない」



穏やかに微笑む椎神だが、組員達にはその冷たく美しい表情が見る者の命を一瞬で奪う、死神のように見えた。

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