灰色
「あ、アニキ!」
「ケンジ、全然酒足りてねえぞ。早くビール座敷に持って行けや」
「は、はい!」
アニキと呼ばれる男が来たとたん、急に低姿勢になったチンピラ君。名前はケンジらしいが、その名前を覚える必要は俺には無いのでもうこいつは“チンピラ君”でいいだろう。そのチンピラ君は殴ろうとしていた俺をポイッと捨てて、冷蔵庫に駆け寄った。今までとは打って変わった素早い動きでビールを2ケース出し俺を睨む。
「おい、田中。てめえも手伝え」
「はい?」
「ずべこべ言ってねえで早くこれ持てや!」
(なんで俺がそこまで・・・)
そうは思ったがここでもめてもまた話が長引くので、仕方なくケースを抱えてチンピラ君の後に付いて行った。
長い廊下をビールケースをガチャガチャいわせて歩く。どうやら本宅の奥座敷に向かっているようだ。
かつて知ったる他人の家。
所々ですれ違うのは、見張りをしている黒服のおっさん達。
(って・・・俺ももうおっさんの仲間入りか?29になるもんな)
角を曲がると一直線の長い廊下が延び、広い庭園が目に飛び込んできた。
相変わらず無駄に広い。
奥座敷に近づくとたくさんの人の雑然とした声が聞こえてきた。やっぱり宴会をしているようだ。
(昼間から宴会とは、なんと贅沢な。悪どい方法で巻き上げた金のくせして。)
人の金を巻き上げたり、法外な金利をふっかけたり、奴らの金の出所はロクなものではないはず。その金で宴会なんて理不尽だと思うが、その宴会のおかげで今日は万単位の売り上げがごっそり入る。そうなると金は天下の回りものであり、それが自分のバイト代に変換されるところまで金の道筋が繋がると、5000円が汚い金にも思える。でも自分は労働の結果として受け取っているのだからその時点で正当な金に換わっているとも思えてくる。働いた分の金は欲しいので、自分が受け取る金はきれいな金だと無理矢理自分を納得させた。
酒が飲めない虎太郎は、基本酒は夜飲むものだと思っている。
だから昼間からドンチャン騒ぎをする人間の気持ちが全く分からない。もうバカにしか見えない。昼は働け!と声を大にして言いたくなるほど、宴会に興じる人間達が奇妙に思えた。
自分が酒を飲める人間だったら違う考えが持てたのかもしれないが、下戸というか飲んだら意識が飛んでしまう自分にとって酒は危険な物でしかなかった。だから酒は飲まないと虎太郎は決めていたのだ。
奥座敷の大広間は廊下をはさんだ庭園がよく見えるように、今日は障子が全て外されていた。
大広間には40〜50人位だろうか、黒服や落ち着いた暗めの色合いのスーツに身を包んだ男達が食事をしながら酒を酌み交わしていた。
「こら、ボーットしてんな。田中、ここに置け」
オールヤクザ?に気圧されて、突っ立っていた虎太郎にチンピラ君が小声で指示をする。
チンピラ君は瓶を数本抜き取り座敷に入ると、首をヒョコヒョコ何度も下げながら空いた瓶と交換していた。
(なるほど、下っ端は大変だな・・・あいつ、動きがハトみてえ)
どうせ最後はケースの片付けもさせるのだろうと、チンピラ君が空瓶を回収してしまうまで、なるべく目立たないように廊下の壁に寄った。
それにしても・・・一面真っ黒。
よく見るとストライプが入っていたり、縮緬っぽい柄の物を着ていたりする人物もいたがほぼ黒地。なんでヤクザは黒が好きなんだろうか。
自分も仕事柄真っ黒な集団の中で過ごしているが、雰囲気が全然違う。
なんというか・・・・・・そう、目つきとかその堂に入った態度のふてぶてしさが違う。
SPは人を守る仕事だ。犯罪者に対して容赦はしないが、いつも敵対心をまき散らして相手を威圧しているわけではない。どちらかと言うとその存在を消して職務の遂行に当たっている。
反対にヤクザは人を脅して傷つけてなんぼの職業。堅気の人には手を出さない・・・なんて言ってはいるが、それが違うことを虎太郎は身をもってよく知っている。
人を虐げることを平気でする。
ここにいる男達はみんなそんな眼をしている。
あの下っ端でさえ人を見下した、虎太郎のことをまるでゴミでも見るようなそんな視線を向けていた。
こいつらは人でなし。
人の皮を被った獣の集団だ。
(早く終わらないかな。)
広間でビール瓶を片付けるチンピラ君を、目立たないように捜す。
チンピラ君は座敷の奥、上座辺りにいた。
畳に膝を突いてペコペコしながら酌をしている。上座なだけにそこには組のトップや幹部でもいるのだろう。さっきよりも一段と腰を低くして、顔を上げられないような低姿勢で受け答えをしているのが見えた。
そのとき・・・
虎太郎は、チンピラ君の伏せた頭の向こうに目を疑う光景を見てしまった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
(な、・・・う、・・・・・・・・・・・・・嘘!!!)
驚きのあまり一瞬息をするのも忘れる。
ゴクッとのんだ唾の音が耳に大きく響く。
ペコペコと頭を下げているチンピラ君の酌の相手に、虎太郎は我が目を疑った。
・・・・あれは・・・・・・
・・・・・・・・――――― 椎神(しいがみ)!!!
なっ・・・・・・・・
なんで!なんで!なんで!!
どうして椎神がここにいる!!!
ってことは、まさか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!
椎神が酒を飲む隣の上座に、おそるおそる目をやると、
そこには・・・
黒服に身を包んだ、
獰猛な、
野獣がいた。
(あ・・・あれは・・・・・・・・)
息が止まる。
時間も、世界も一瞬で停止する。
いや、止まったのではない。
時間が・・・逆戻りするのだ。
11年の時間が一気に巻き戻るような、そんな急速な時の流れを体に感じた。
脳内でグチャグチャに動き暴れ回る獣との記憶。しかしそれとは逆に体は固まったように動かなかった。
足が震える。
ギリギリと鳴るのは強くかみしめすぎた歯列の音。
乾く口内。
指一本動かすことも出来ない程、虎太郎は凍りついたようにピクリとその場から動けずにいた。
(なんで・・・・あいつが、ここに!)
グルグルと視界が回る。
見たくないのに、なぜか張り付いた視線を外すことができない。
――― 危険だ。
あいつは・・・危険だ!
耳に入っていた人々のざわめきが遠ざかって行く。
カメラのレンズを搾るように、視界は狭まりそこに映るのは・・・
――― 狂気をまとった凶暴な野獣。
ぐらりと世界が揺れる。
視界がだんだんと暗くなる。
そして心には恐怖が訪れた。
虎太郎の目に映る世界は・・・ 霞がかった、 灰色だった。
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