思いやりが重い


この人達は昔からやることの度が過ぎる。


末っ子をかわいがっているつもりなのだろうが、時にとんでもない事を平気でやらかす。そしてそれを愛情だと疑っていないあたりが面倒だ。


「パスポート?こたの?ああ、あれは・・・・」

ほら、やっぱり。人の物勝手に漁ったんだ。もう子供じゃないんだから人の荷物を触らないでほしかった。

「何で勝手に盗るんだよ、あんな大事な物を。俺こっちじゃ身元証明できる物パスポートしかないんだからな。早く返して」
「あら、免許取ったじゃない。あれでも立派に証明できるわよ。それに何で今パスポートがいるの?あと最低でも3か月は日本に居るんでしょう」

「そのつもりだったけど・・・とにかく返して」
「あんた、まさかもう向こうに帰ろうって思ってんじゃないでしょうね!体調万全じゃないでしょうが、リハビリだってやっと始めるっていうのに・・・」

体調って・・・その割には帰国した次の日からバリバリ労働させたよねお母さん。
それはさておき、そう・・・その通りだ。俺は帰る。
2週間しか居なくて申し訳ないと思うけれど、背に腹はかえられない。
今すぐ帰る。とにかく空港に行く。飛行機が無かったら、キャンセル待ちもいとわない。

鬼気迫る表情で視線だけで「帰る」と訴え、それ以上何も言わず突っ立っていると、あきれたように母親は言った。

「私は持ってないわよ」
「うそ、だってさっき」

「こたが帰って来た次の日に・・・ほら、免許センターに行ったでしょう。その後、」

一応パスポート盗難事件に関わっているせいか、いつも強気な母が申し訳なさそうに言う。

「蝶子が持って行ったわよ。私は・・・それはやめなさいって言ったのよ」


(な・・・なっ・・・・・・・・・・なんだってーーー!!!!!)


「な・・・、なあ、何で・・・・・・、何でさ!」
「そりゃあ こたをゆっくり休ませたいからでしょう。あの子あんたの怪我すごく心配してたでしょう。3ヶ月は絶対休ませるって言ってたからきっとそれで、」

日本に帰るのを嫌がっていた虎太郎が、何かの拍子で気が変わってアメリカに戻ることを予想しての行動だろう。昔から蝶子姉は特に自分の世話を焼きたがった。今回だって怪我したとき一番に飛んできたのは蝶子姉だったし、手厚い看護も仕事を休んでまで付きっきりでしてくれた。
留学する時も、アメリカでの生活も蝶子姉が居たから何とかなった訳だし、返せない恩は山ほどあるけど・・・

しかしそれとこれとは話が別だ!心配するにも度を超してるって・・・
その愛情は重いわ・・・俺もう大人だし。
しかも、パスポートってめっちゃ貴重品だぞ。
もしも職場から緊急に帰国命令が出たらどうするんだ。パスポートが無かったら俺帰れないじゃんか。それに日本で俺の身分を証明できる物ってパスポートしかないし。・・・あ、免許もだけど・・・。

帰国した次の日に盗られていたなんて。さすが蝶子姉。俺の行動をよく把握している・・・

(でも・・・・・・・・・返してもらわなきゃ。)

虎太郎は姉の愛情+要らぬお世話の結果生じたこのハプニングに頭を痛め、まずは取り戻すために動き出した。


「お母さん、蝶子姉ちゃん今どこにいるの?」
「さあね、電話して聞いてみたら?あの子も悪気があってやったんじゃないから。あんまり怒らないであげてよ」
「分かってるよ。そんなことくらい。・・・・俺が心配かけてるのは・・・・・間違いないしね」

携帯を取りに部屋に戻り電話をする。
仕事中なのか姉はなかなか出ないが、コール20回でやっと繋がった。



『何?こた。今仕事で移動中、明日かけ直すわ』

何で明日なのだろうか。そして忙しい時に掛けてしまった自分のタイミングの悪さに舌打ちする。

「き、切らないで、30秒だけ」

なんなのよ、早く言いなさいよねと、蝶子姉に不機嫌にせかされる。


「姉ちゃん、俺のパスポート」

『ああ、気が付いたの?あはははは・・・・・・・・・・・ごめん』

(はぁ・・・・・・やっぱり。)

虎太郎は電話の向こうに居る姉に、聞こえるようにため息をついた。

「なんで持ってくかなぁ」
『悪いとは思ったのよ。でもさ、こた治ってないのに帰っちゃいそうだったんだもん。』

その通りだった。姉の心配は見事に的中していたのだ。
帰ろうと思わなければ鞄の中にしまい込んだパスポートなど確認する必要がない。次にパスポートを確認するとすればそれは、3ヶ月後に虎太郎がアメリカに戻るときだったはず。
それがこんなにも早くに訪れた事に対して、蝶子は勝手にパスポートを盗ったことは悪いと思ったが、盗っておいて正解だとも思ったのだ。


『こたが帰って来て母さんすごく喜んでた。父さんだって口には出さないけどあれで嬉しがってるのよ。こたは家で一番出来の悪い、でもかわいくてたまらない末っ子だからね。3ヶ月も居なさいとは言わないから、せめて・・・・あと1ヶ月くらいは家に居ようよ。ねっ!』


猫撫で声でせがむ姉だが、言葉の端々に家族の思いが見え隠れする。11年も戻らなかった自分。数年に一度しか会わなかった自分は、親からしてみれば冷たい息子なのかもしれない。
本当は・・・自分だって家族と一緒に居たかった。
でも、それが出来なかった。
出来なかったんだよ・・・・・・・


そして、きっとこれからも、俺は逃げ続ける。
10年も経って、もうその必要があるのか無いのかは分からないけれど。
自分自身が・・・あの出来事を忘れられないから。
だから・・・駄目なんだ。
ここには居られないんだ。



「蝶子姉の心配はありがたいんだけどさ・・・・・・・・・・・・・・・返して」
『はあ・・・。こんなにお願いしてもダメなわけね。理由は何?言ってみなさい』
「そ・・それは・・・」

理由を聞かれてドキリとした。
蝶子姉にしてみれば、そこまで頑なに帰りたがる虎太郎の方が不審なのだ。

「・・・その・・・仕事が」
『何言ってるのよ、完全回復には半年かかるって医者が言ってたでしょう。向こうでの療養期間を差し引いてもあと最低3カ月はこっちで過ごせるのよ。私あんたの上司との話に立ち会ったんだから。今更嘘言ってもダメよ』
「嘘じゃなくて、その・・・あんまり休むと感覚鈍るし。リハビリは向こうの方が進んでるから・・・」
『あんたね・・・・・もう・・・・・・』

しどろもどろ無理に言葉を引き出す弟に、何か他に理由があるのかもしれないと蝶子は思ったが、それを聞き出すには今は時間が無かった。

『分かったわよ・・・でも、そうね・・・。2週間したら帰すからそれまではせめて家にいなさい。仕事も大事だけど、親孝行はそれ以上に大事にしてちょうだい。今度戻ったらまたいつ日本に帰れるか分からないでしょう。父さんと母さんだっていつまでも若いわけじゃないのよ』
「・・・・分かってるよそれくらい。でも2週間はちょっと・・・」
『あんたねえ・・・・・・・ううん、もういいわ。今度ゆっくり話しましょう』

姉は2週間待てと言ってそれを譲らなかった。なんで2週間も待たなきゃいけないんだ。今すぐパスポートがいるのに!
そっちが渡す気が無いならこっちから取りに行くほかないと思い虎太郎は勇んで聞き返した。

『じゃあ切るわね。お大事に』
「待って、今から取りに行くから。今どこにいるのか教えて」

『取りに来るの?』
「うん」

『そう、でも・・・それはちょっと無理だわ』




姉ちゃんが電話の向こうでバツが悪そうに言う。


『ごめんねー。私もう出国するから。行き先はね、アメリカ。じゃ、2週間後に帰るからね。それまでしっかり親孝行するのよ』

そしてプツリと電話は切れた。



頭が真っ白になった。



(今なんっつーた?)



――― 『私もう、出国するから』



携帯はすでに切れていた。力の抜けた手から携帯がするりとこぼれ、畳の上に落ちた。



アメリカに帰りたいのに、パスポートはアメリカに行こうとしている。今から姉を追いかけて空港に行っても間に合わない。
外交官の仕事をする蝶子姉ちゃんがいつ日本に帰ってくるかなんて分からない。
世界中を飛び回っているからすぐに休みが取れないことはよく知っている。


――― 『2週間、親孝行しなさい』


(そうだ!!2週間って言ってた。てことは、今度の休みは2週間後か!)

ガックリ落ち込んでいると、電話の内容を聞いていたのか母親が部屋に入って来た。



「こた・・・やっぱり帰る気だったの?あんたまだ完全に治ってないんでしょう」

体悪くするわよとか、親不孝者とか、やっぱり甘やかして育てたから怖がりなくせして考えなしに好き勝手するのかしら・・・とか、京極君達のおかげで少しは芯の強いまっすぐな子に変わったと思っていたのにアメリカに行ったきり帰ってこないし・・・とか。母親は散々な愚痴をこぼしながら下に降りて行った。

親不幸なのは、確かにそうだ。それは認めよう。
しかし甘やかしたのは・・・親の責任だし、俺がチキンで後ろ向きなところは生まれつきの性格のせいだ。もちろん今もチキンかもしれないが。
好き勝手・・・そう。そうだな。好きなように生きているように周りからは見えるだろう。でも俺だって出来れば日本で警察官になりたかったさ。

そして母親が愚痴った一番最後の部分が、何とも納得いかない。
誰のおかげで芯の強いまっすぐな子に育っただと?

――― 「京極君達のおかげで少しは芯の強いまっすぐな子に変わったと思っていたのに・・・」

はあ?何言ってるのさ母さん。あいつらのおかげで俺の心も・・・体もズタズタだ!!
日本に帰って来なかった最大の原因はあいつらだよ!


そう声に出せたらどれだけ楽だろうか。
しかしその言葉は、喉までせり上がったが飲み込んだ。
一生言わないと誓ったことだから。



それから1時間もしないで夕ご飯に呼ばれ、まだバツの悪さをか抱えたまま虎太郎はテーブルに着いた。

「こた」

居間で新聞を広げていた父親が、神妙な声で話しかけてきた。

「今まで好き勝手にさせてやったんだ。せめて1ヶ月くらい付き合え」

新聞から顔を上げて息子の目をグッと見る。近所でも評判の強面の親父顔は未だに虎太郎を怯ませる威力を持っていた。
威厳のある怖いお父さん。虎太郎の父親はまさにそれだった。

「それにバイト始めたばかりだろうが。仕事を選ぶなんか10年早え。したくねえ仕事でもしなきゃならん時もある。働くってのはそういうもんだ」

やる気のない俺の姿に仕事を軽んじていると思っているのだろう。確かにいい加減に仕事をしていたし、それを指摘する父さんの言葉は理にかなっていると思うけれど、こちらにもそれ相応の理由があるのだ。

「1ヶ月経ったら出て行ってかまわねえ。自分のしたい仕事に戻りゃあいい。だがここにいる間はアルバイトでもバカにすんな。一度決めたことは最後までやりきれ」

分かったら明日はちゃんと配達に行けと、車のキーを投げてよこした。


明日の配達先は・・・山城邸。
それを思い出した虎太郎は、夕食を半分以上残して箸を置いた。

「あんなこと言ってるけど、お父さんだって こたが帰って来てうれしいのよ。一番かわいがってたあんたがSPなんて危険な仕事に就くから、気が気じゃ無かったのよ。本当なら こたにこの店を継いで欲しかったのにって、そう思ってるのよ」

こっそり耳打ちする母。みんなが心配してくれてるのは痛いほど分かる。

(・・・別に家に居たくない訳じゃないんだ。家族は好きなんだ。ただ・・・・・・)



複雑な気持ちを抱えたまま、次の日虎太郎は山城邸に車を走らせるのだった。



+++



そうさ。
別にあいつがここにいるわけじゃない。
先日の一也の話では、あいつはもうこの屋敷には住んでいないと聞いた。

ビールを届けるだけだ。
そうしたらすぐに帰ればいい。
もうあまり考えないようにしよう。


気持ちを切り替えたつもりだったが、ハンドルを握る手は震えていた。

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