綾瀬家の人々


「でもテロに遭うなんて、すごい国よねーさすがアメリカ。私は日本に生まれてよかったわ」

長女の華子がせんべいをかじりながら「お茶飲む?」と言って虎太郎の湯飲みに再びお茶を注ぐ。
のんびりしたお茶の間。どこにでもある和やかな家族のだんらん。それとは対照的な世界で虎太郎は働いている。生と死が紙一重のそんな刹那的な世界に身を置いていた日々が非現実的に思えてしまうほど、ここは穏やかだった。



だがそれは現実に起こったテロ。
銃が身を守る社会アメリカでは、軍や警察だけでなく民間人の手にも当たり前のように武器が渡っている。
日本では考えられない銃社会。住居敷地内に許可なく踏み込めば、相手を打っても構わない日常がそこにはある。車の中にでも、カバンの中にでも簡単に武器をしのばせることができる。銃器マニアの親はライフルやショットガンの使い方を幼い子どもにも教えるので、子どもさえもが銃の扱いに慣れていて撃つことに喜びを覚える者も少なくない。

サバイバルナイフは、ハイスクールの生徒のポケットやカバンをあされば大抵出て来る。トリガーを引けば誰でも撃てる銃が、そこらの銃器店で販売されている。簡単なプラスチック爆弾なら、ホームセンターで部品を全て揃えることも可能だ。
火薬、薬物・・・取り締まっても埒が明かないような事ばかりだった。

それと比べると、ここは何て安全な国だろう。
凶悪事件が増えて来ているとはいえ、あちらこちらで頻繁にテロが起こるわけではない。
こんなふうにお茶をのんびりすする生活が、夢のようだった。
時折軋む体の痛みさえなければ、本当にテロのことなんて忘れてしまいそうなくらいの緩やかな時間が流れている。
戻った実家で家族に囲まれた虎太郎は、自分が夢の世界に居るような安堵感に浸っていた。



「向こうは爆弾テロとか銃乱射とかニュースでよくやってるよな。おーこええ!」
「あんな国でお前よく10年も暮らしたよな」
「私は向こうに住むなんて絶対無理。怖くて外を歩けないわ。蝶子だってあんまり海外に行かない方がいいわよ。危険だわ」
「あはは・・・私は海外に行くのが仕事だからねぇー。ま、気を付けることにするわ」

兄姉達は、それぞれ家庭や仕事があるのにわざわざ虎太郎の帰国に合わせて実家に来てくれていた。
武兄は40才を越えている。虎太郎に一番年齢が近い蝶子姉は今年で36才。末っ子の虎太郎は、年の離れた兄姉たちに小さい頃からかわいがられて育った。今でもそれは変わらず、こうやって仕事で被った怪我のことを心配して駆け付けてくれている。

「でも、こたが怪我したって聞いたときは心臓が止まるかと思ったわよ」
「なんで警察とか、SPとか。またよりにもよってそんな仕事するかなぁ」
「そうよ!あんた達もっと言ってやってちょうだい。そんな危ない仕事はもう辞めてって」

母親は間髪入れずに兄姉達の肩を持ち、これを機にSPを辞めさせようともくろみ始めた。






要人警護について4年目を迎える今年。虎太郎は大きなテロに遭遇した。


その日は外国の企業のトップを数名招いた晩餐会。高位にある外国人訪問者も警護の対象となる。そんな中起こった爆弾テロ。国の権威を貶めるための無差別なテロが各地で頻繁に起こっていたので警戒はしていたのだが、その包囲網は破られ多くの人が被害に遭った。


警護対象者をかばい殉職・・・・しなかったことが奇跡と思えるほどの重傷を虎太郎は負った。


1ヶ月の入院と3カ月の静養を言い渡されるほどの怪我。
大怪我だったがそれでも命が助かったことに感謝したのは、後日テロで命を落とした者がいた事を知ったからだ。仲間を失うこともある。自分の命だって危険にさらす・・・それでもこの仕事を止めようとは思わなかった。
それだけ、虎太郎はこのSPの仕事に誇りを持っていた。

任務を果たした虎太郎は普段取れない休みもあり、上司は休暇を取ることに寛大であった。いつ死んでもおかしくない仕事なので、命が助かったのはラッキー以外の何ものでもない。よく生きていたと周囲からも運の良さを称えられた。
やっと普通に歩けるようになり、これから3か月のリハビリと静養期間に入る頃、入院の世話をしてくれていた外交官通訳をしている蝶子姉から、静養するなら日本でするべきだと言い渡された。

今回のことだけではなく、今までも家族には心配ばかり掛けていた。体が完全に元に戻るまでは最低でも半年かかると、医者に説明を受けた。それなら帰国して実家で養生するようにと、それが家族の総意だった。

自分が日本を出た理由を考えると、帰国することに抵抗を感じたが、もうあれから10年が経った。
怪我をして弱気になった自分は、家族の愛情にも飢えていたのだろうか。
電話の向こうで親不孝者と両親に言われ続けるのにもうんざりしていたし、少しの間なら帰ってもいいかと思い始めていた。

そんな虎太郎の気持ちに気づいた姉は、本人の気が変わらない内に旅券を購入し、退院直後、弟を無理やり機上の人にさせた。さすが手回しのいい蝶子姉。有無を言わさぬ勢いで帰国にこぎつけたのだ。




「ゆっくり休んで。早く元気になってねこた!」
「うん、蝶子姉ちゃん。いろいろありがと。もうだいぶいいし、普通に生活する分には何も問題は無いと思うよ」
「そっか、良かったわ。こたが病人だとさすがに頼みづらいもの」
「はあ?何の事だよ母さん」

母は虎太郎の目の前に、紺色の厚手の布を差し出した。受け取って布をほどくと細長い布にひもが付いている、これは・・・・・・・・・・・・・エプロン?


「何、これ。・・・酒?」


紺色の前掛けには「酒」と言う白抜きの文字がでかでかと書いてある。酒屋独特の前掛けのエプロン。今どきこんなものを身につけるのは、下町の商店街くらいのものではないだろうか。

「あんた元気なら明日からお父さんの仕事手伝いなさい」

母親は上機嫌で末っ子に言い放った。

「俺・・・・、静養するために帰って来たんだけど」
「家に一日居ても退屈でしょう?お父さんの手伝いくらいしなさい」
「・・・・マジで・・・・」

力説する母親の目は真剣そのもの。冗談でそんなことは言わないと、帰って来た息子を次の日からこき使おうと息巻いていた。

「でも母さん。こたは一応怪我人なのよ?今でこそ元気だけど事件の時はもう・・・包帯グルグルだったんだから。ミイラだったのよ」
「ミイラって・・・そんなことないってば。姉ちゃんそれ言い過ぎ」
「あら、似たようなものだったじゃないの。だからちゃんと休ませてやってよ、母さん」
「でも、こたは日常生活に支障はないって今言ったわよ。店番くらいできるでしょうが」
「え・・・俺、店で働くの?」

このままでは丁稚奉公さながら働かされてしまいそうな状況に、蝶子姉が助け舟を出してくれているが、なんとなく母親の意見が通りそうな雰囲気が漂う。心の中で蝶子姉に「頑張れ姉ちゃん!俺は立派な怪我人だ!」とエールを送ったが・・・・

「そんなにひどいことはさせないわよ。大丈夫よ。店番なんてカウンターに座ってレジ打つのと、あとは車で配達くらいのものだから」

さっきは、手伝いだと言っていたのに。それが店番に変化し更に配達までもが加わった。次から次へと仕事が追加されている。まんまと母親の口車に乗せられてしまってこれはわなだとやっと気づいた。
危険信号が鳴っている。
母の言葉に「なるほど・・・」と、兄姉達までもがニヤニヤと虎太郎を見つめている。


(これって・・・・はめられた気がする・・・・・・・・・・・・・・)


家族にとって末っ子の帰国は絶好の機会。
帰国を機に酒屋の仕事を覚えさせて、親子の情に訴え、虎太郎を日本に定住させるつもりだった。


(くそぅ・・・)


恨めしげに家族に視線を送るが、文句を言っても勝てそうになかった。こうやっていつも家族には丸め込まれてきたのだ。

「ま、ここにいる間だけでも、親孝行だと思って頑張りなさい」
「酒屋は体力勝負だから、体がなまらなくていいと思うぞ。これもリハビリだと思え」
「さて、こたの帰国と再就職に乾杯しましょう」
「よし、兄ちゃんがこたのためにいい酒選りすぐってもってきたからな」

蝶子姉までもがいつの間にか敵に加わり、あろうことか再就職などと口走った。

「・・・・・・再就職じゃあないし、それに俺酒飲めないし・・・・」

家族みんながあっけにとられた後、爆笑する。

「こた、お前マジで」
「あんた、やっぱりまだ飲めないの!」
「酒屋の息子のくせに情けねえ」
「よっし、今日はいっぱい飲ませちゃいましょう」


兄姉4人の不適な笑い。


家族全員が11年ぶりに自宅で再会し、飲み屋と化した綾瀬家は12時を過ぎても大宴会が続く。


今日の主役は、それぞれ家族6人から順番に進められたお猪口6杯で、開始1時間ですでに夢の中の人となっていた。

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