迷う心
暗い部屋の中でヒックヒックとしゃくる声を必死でかみ殺し、浴衣の袂を引き寄せ、膝を抱えて眠る龍をずっと見続けていた。



先ほどまでの荒い呼吸は治まり、規則正しく布団が上下している。完全に眠っているのだろう。
目が覚めたら不埒な行為に及んだことを、龍成は何というのだろう。いたずら?ふざけた?いつもの嫌がらせだと言って欲しい。そしたら俺だっていつもみたいに怒鳴って口げんかして終われるのに。
もし、そうでないとしたら・・・いったいどんな理由が他にあるって言うんだ。
あまりの衝撃的な行為に精神も肉体も疲れ切っていて疲労感がドッと襲う。室内の冷たい空気は、薄い浴衣を身にまとっただけの虎太郎の体を徐々に冷やし、小刻みに震えが走り出す。



「っつ・・・・ふっ・・・うう・・」

こらえきれない嘆きが漏れ、口を押さえた指の先が氷のように冷たくなっていた。



「コータ」

ふすまごしに聞こえる声に体がビクッと飛び上がる。
椎神!!
ふすまに背を向け、自分の体を両腕でギュッと抱きしめ背中を丸めて頭を下げた。こんなぶざまな姿を見られたくなかった。

静かにふすまが開き、畳がきしむ音がする。



パサッ・・・

背中に羽織が掛けられた。それは俺が龍成に脱がされた羽織だった。
頭に手が触れ、声の主は何度も撫でてはコータと呼ぶ。

「コータ・・・ごめんね」

「ひっく・・・っく・・」

頭を撫でる手が肩に触れたとき、どうしてか分からないけど体が恐怖を感じて椎神の手を叩き落としてしまった。

「あっ・・・」


椎神は叩かれた手を俺から離し、またごめんねとつぶやいた。

悪いのは俺なのに、椎神に謝らせてしまった。でも今の俺は何をどうしていいのか分からず、自分に触れる者が全て怖かった。おびえる目で視線を合わせると、椎神はいつもの天使の微笑みを返した。

「コータ。怖かったんだね」


歯列が合わなくて、泣いているのと寒さでガチガチ音がする。口に当てた指先も、肩もガクガク震えている。自分の体なのに制御することができず、言葉も発せずにいた。

「もう、大丈夫だから、こっちへおいで」

椎神は自分から近づこうとはしなかった。おびえる虎太郎が自分から動くのをその場で根気強く待った。

「怪我、してない?」

その言葉に自然と指が動き、鎖骨の辺りに触れた。気が動転していて痛みを忘れていた。噛まれたんだ。

「してるんだね。亀山先生に見てもらおう。ね、コータ」

心配そうに様子をうかがっている椎神の言葉に、頬に熱いしずくが流れ落ちて俺はその場に丸まって泣き崩れた。


「うっ・・・・・・・・お、・・・俺、、俺ね・・・いけな・・い・こと・・・・・いけな・・・・・こと・・して・・・」


「コータ・・・そばに行ってもいい?」

俺の答えを聞く前に足音も立てず近づいて来た椎神は、膝をついて俺の頭を再び撫でた。

「コータは何も悪くないでしょう。だから自分をせめたりしないで」

いたわる言葉が落ちてくる。畳に伏せた顔をゆっくり上げるとそこには天使のような慈愛に満ちた顔が俺を見ている。でもその顔が少し気まずそうな表情に変わった。


「でもね、龍成のことを嫌わないであげて」


天使の口から思わぬ言葉を聞く。嫌わないでって・・・

「りゅ・・りゅうせが・・・俺に・・・」

「うん、分かってる。分かってるのに止めなかったから、悪いのは私です」

だから「ごめん」って謝ったのか。龍成がこんな行為に走ることを予想していたのに、止めなかったから。

「ごめん、コータ。でも龍成にはコータしかいないから」

「!?」

椎神の言葉の意味が分からない。何を言ってるんだろう。

「コータだけなんだよ。龍成が側に置きたいのは。あんなに弱ってるのにコータしかいらないって言うんだよ」

俺を怖がらせないように、ゆっくりと肩に手が伸びる。その手に引かれて椎神の腕の中に抱き寄せられた。
椎神の腕の中はあたたかかった。こらえていたものが堰を切ったように流れ出した。

「俺、俺は・・こ・・こわ、くて・・でも・・・りゅせ・・やめてっ・・・て・・・」
「うん」

「・・も、・・・・・わけ分か・・らからな・・くて。あんなこと・・・」
「うん」

「・・・・い、やだ・・・」
「うん。そうだね」



「じゃあ・・・もう龍成とは会いたくない?」
「・・・・・それ・・・・・は」

俺の言葉に相づちを打っていた椎神が返してきた言葉に当惑した。俺にこんな理不尽なことを繰り返す龍成。初めは大嫌いだった。顔も見たくないくらい。側に寄ってきて嫌なことばかりして、挙げ句の果てに飼い主と下僕なんて言われて。でも・・・・・大事な・・・大事な友人だとも思った。
あいつがいたから俺は学校に行けた、強くなれた。嫌なことの方が多かったけど、楽しく笑い合うことも最近は増えてきた。6年一緒にいてやっと友達だと思え始めたのに。

「わ・・・分・・・からない」



やっと友達だと思えたのに。
そうだ・・・
そうなんだ。
俺はこの関係が崩れるのが怖くてたまらないんだ。



「と・・・友・・だ・・・・だって。おも・・った・・・のに・・」
「うん。そうだね。友達なんだよね」

「でも、友・・だったら・・こんな」
「龍成が起きたらそう言ってやりなよ。友達なんだからって」

椎神はそう言って、長く綺麗な指を頬に当てて涙を拭いてくれた。目覚めた龍成にそんなことを言えと言われても、顔を合わすことも出来ないかもしれない。行為に対してはすでに怒りよりも、羞恥と悲しみ、背徳感の方が心を占めている。 それでも俺は頷いた。このまま会わないなんてこと、出来るはずもないから。言わなければならないことがあると思えたから。

「ぅ・・・・うん・・」

「そう。優しいね。コータは」

優しい?違う。俺はただ怖いんだ。あんなことされたのに嫌いになっていいはずなのに。切り捨ててしまえばいいのに。
もう、自分がよく分からなくなった。



龍成の俺を呼ぶあの声が耳から離れないから。
切ない呼び声。まるで龍成じゃないみたいに。

(「タロ」)

「りゅせ・・・」


体がブルッと震える。寒さか、与えられた快感の名残か、それとも恐れか。




震える虎は、暗闇の中で眠る龍をただ静かに見つめた。

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