SPという仕事


「虎太郎はホント、変わってないわよねー」


約10年ぶりに実家に帰った虎太郎を、両親と兄姉たちは呆れながらも温かく迎えてくれた。虎太郎を囲むようにして座る兄姉達の会話が弾む。虎太郎は黙って話に耳を傾けていた。



「高校を卒業してすぐ留学したから、もう11年か」
「出て行ったきり帰って来ないなんてね。そんなに向こうは居心地がいいものなの?」
「普通は帰るだろ」
「将(まさる)兄がそれを言うかな」
「そうそう、将だって糸の切れた風船でしょ。あんたの場合蒸発したみたいに消息絶つからこたよりもタチが悪いわよ」
「俺は海外まで行かねえし。せいぜい沖縄が限界さ」

次男の将兄は若い頃から定職に就かず、いろいろと親に迷惑をかけているプー太郎だった。ふらっと出て行ったら1か月、半年、長い時は1年でも音沙汰が無い。今でこそ職に就いたがその仕事が杜氏なので、これまた全国を呼ばれるがままに旅する風来坊とかしていた。


長男の武(たける)は学生結婚し20歳で家を出た。今では別に店を持ち立派に家族を養っている。しっかり者の長女の華子(はなこ)は遠方に就職したためやはり直ぐに実家を出て1人暮らしを満喫したが数年後子連れ男と電撃結婚したし、次男はさっきのとおりだ。そして次女の蝶子(ちょうこ)は大学の途中で留学しそれから海外でふらふらしたかと思えば、どこでツテを掴んだのか今では国家公務員として外務省で働いている。一番ぶっ飛んでいるように見える蝶子姉が、官僚の元で真面目に働いている事実が虎太郎には今でも信じがたいことだった。


そして末っ子もなぜか親元を離れ海外に旅立った。


仲がよかった5人の綾瀬家兄姉達は、それぞれの個性をゆるぎなく発揮し、我が道を突っ走っていた。我の強い上の4人はともかく、唯一気弱な年の離れた末っ子だけは、手元に置いておきたいと母親は思っていたのだが、大事に育ててきたはずの箱入り末っ子が留学すると言った時は家族の全員が耳を疑った。


心配する家族の反対を押し切って、右も左も分からない外国に飛び出してから11年。その間、家族に会った回数は5回。
その回数が多いのか少ないのかは分からないが、将兄のように音信不通はまずいし、自分も家族には会いたかったので、予定が組まれればなるべく会うように心掛けてはいた。
1回目は留学して間もない頃、両親がそろって1週間ほど留学先に観光がてらやって来た。次が確かフルムーン?夫婦の旅行先を息子のアパートメントに選ばないでほしい。3回目は大学を中退したとき。息子がおかしくなったのではないかと心配した母が長男と長女を引き連れて説得にやって来た。そして4回目は、就職先が決まったとき。なぜ海外で就職するのかと鬼気迫る形相でしこたま説教された。最後は、長女の華子姉の結婚式。ハワイで挙式を挙げたのでその時は家族全員がそろった。帰って来ない末っ子にわだかまりがある中でも、久しぶりに皆の顔には笑みがこぼれた。


しかしその間、家族と会うことはあっても、虎太郎が日本に帰って来ることは一度もなかった。



+++



虎太郎は高校を卒業後すぐに渡米し、姉が暮らすアメリカに留学した。

当時海外で仕事をしていた次女の蝶子姉のツテを頼って留学し大学に通っていたが、学内の掲示板に貼られていた「警察官募集」の張り紙を見たことで、虎太郎の運命は劇的に変化した。

小さい頃の夢は警察官だった。
チキンな自分にとって、悪に向かって勇ましく立ち向かっていく警察官はヒーローに見えたのだった。


――― カッコイイ警察官になりたい。弱い者いじめをする悪い奴をやっつけてやるんだ。


幼い胸に小さく灯った憧れの灯は、弱虫で、泣き虫、特に得意な事もなく人に遅れることの方が多かった不器用な虎太郎の、唯一なりたいと願った職業だった。
しかし残念なことに、それから時を経て成人を迎えた頃には、そんな願いを持っていたことなどすっかり忘れてしまうほど、自分は焦燥しきった人生を送っていた。

夢も希望もない毎日。

人としての尊厳のない生活、言いなりになるしかなかったすさんだ高校生活を余儀なくされた自分は、逃げるように日本を出た。気が付けばこんな遠い国で自分は一人無気力な生活を送っている。そんな虎太郎にとって掲示板に書かれた内容は、忘れかけていた希望を与えてくれるものだった。

それからの虎太郎の行動は早かった。



警察官になるためには養成学校に行かなければならない。2年通った大学をやめ飛び込むように養成学校に入学した。

渡米して2年で日常会話はマスターできていたので、養成学校では仲間達の強烈なスラングには困ったものの、それからの2年間はそれが苦にならない程夢中になってカリキュラムをこなした。
一番つらかったのは体力を付けるための訓練。
日本にいる時も体は大きくないし体力もあまりないほうだと思っていたので、日々の訓練では最低の評価がつくことが多かった。

それでも進級できたのは、虎太郎の熱意と、小柄な体からは想像できない身体能力、特に体技のレベルの高さからだった。

虎太郎はケンカが強かった。
本人が望んでそうなったわけではなく、状況的にケンカが日常茶飯事の学校生活を中高6年間強いられていたので、自然と身に付いたのだ。

「柔よく剛を制す」と言うことわざが日本にある。虎太郎はまさに言葉通りの人間だった。

欧米人から見たら小柄な彼を初めはバカにする者が多かったが、その小さな体から繰り出す想像を絶する素早い攻撃に舐めてかかった者達は返り討ちにされた。ベビーフェイスのくせに、組み合ったり押さえつけられたりしてもなかなかギブアップしない根性にも周りは驚いた。
小さな子供のような日本人が、自分達と対等に渡り合う。それは相当の努力と忍耐を強いることだが、虎太郎は弱音を吐かなかった。そんな虎太郎の直向きな姿に侮辱する者もだんだんと減り、次第に同期生達にとけ込んでいった。



そんな虎太郎に、更に転機が訪れた。


ーーーアジア人で戦闘力に長け、語学にも問題がない。人柄も穏やかで協調性がある人物を捜しているーーー


警察養成所を卒業し、念願かなって市警に配属され2年が経つ頃、上司からの一言が虎太郎の人生をまた大きく変えた。


――― 「SPをやってみないか」


SP。それはシークレットサービス(日本ではセキュリティーポリス)。国土安全保障省が管轄する、要人警護の部署である。
多国籍の要人警護に当たるSPは、外国人の警護をする際に、通訳もできる警備員の養成に力を入れていた。虎太郎はまさにうってつけの人材だった。

自分が必要とされている。
それが嬉しかった虎太郎はすぐに承諾した。再び訓練施設に入ることとなり、連邦訓練センターで、犯罪捜査官訓練プログラムを受けた。



そこでは銃火器操法や危険物の扱い、戦闘訓練と防御戦術等の基礎的な警護技術についての訓練を3ヶ月ほど受ける。
その後ワシントンD.C.に戻り、郊外のシークレットサービス訓練学校で5ヶ月に及ぶ追加的な訓練を積む。
ここでは、偽札やクレジットカード詐欺の見破り方・物理的防護の方法・特殊な車両運転法など、シークレットサービスの二つの任務である「警護」と「経済犯捜査」に焦点を当てた訓練を行う。

そして日本を逃げるようにして飛び出した虎太郎は、渡米してから7年後、SPとして要人警護の仕事に就いた。
それは警察官としての仕事よりもより高度な能力と技術を必要とする特別な仕事であり、自分もこの仕事に誇りを持っていた。

程良い緊張感がある方が体にはいいらしいが、SPのそれは命がけの仕事だ。
重要な任務はときに眠れなくなるほどのストレスを与えるほどの重圧があったが、日系人の上司にアジア系の仲間、そして訓練施設で共に切磋琢磨し合った仲間がいればそれも乗り越えることができた。

暗く閉ざされた年月を忘れさせてくれるほど仕事に没頭した。
そしてあっという間の11年の時が流れた。



+++



「この子ったら、一度も帰ってこないんだもの。親不孝者だわね、こたは」
「・・・でも結構こっちに来たじゃんか。計算では2年に1回は会ってる。それって多い方だと・・・」
「こた。あんたアメリカまでいくらかかると思ってんのよ。長野のお爺ちゃんに会いに行くのとはわけが違うのよ。もう、お母さんあんたが心配で心配で夜も安心して眠れないのよ」

それにしては血色のよい、60代にしては若く見える母親は息子の事よりも、旅行代が気になるようないい方をする。昔からがめつい母親だった。合理的なものだから早割りやマイルを駆使して、息子の都合関係なく自分の都合と怒った勢いで毎回強襲してきた。
両親からはいろいろと苦言を呈されたが、無事に帰ってきたから良しとして、これからは今までの分親孝行をしろと言い渡された。

「それにこた、あんた怪我の具合はいいの?」
「え・・・、あ。うん。だいぶいい」

「出血多量に臓器圧迫?だったか。縫ったとこもうふさがってんのか?」
「ふさがってるから歩けるんだよ。日常生活には何の差し障りもないよ。軽く走ったりなんかもできるしね」


(そう・・・。あの時は死んだかと思った。よく生きてたよな俺・・・・)


虎太郎は仕事で大怪我を負い、今は静養のための長期休業中だった。

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