蒼谷騒然(4)


「おはよ・・」
「おっす、遠野・・・」
「はああー・・・・・・」
「なんか、・・・・・妙な感じだよな」
「そだね」

朝から暗い雰囲気を漂わせるクラス。いつもならアイドルならではのかわいい笑顔を無邪気にふりまきながら、元気に教室に入って来る千加はずっしりと重たいオーラを背負っていた。そしてそのアイドルの隣にはいつも天真爛漫なお姫様を守る大人しい従者が付き従っているのだが、その彼の姿は無い。



――― 虎太郎がいない教室。



穏やかな彼は特に存在感があるわけでは無い。なのに彼の不在が無性に寂しく感じられこんなにも教室の雰囲気ががらりと変わるのは、それだけみんなの心の中に大人しい豆芝君がいて、その存在が思っていたよりも大きかったということだった。






前回に引き続きトラブルを起こした綾瀬虎太郎は、保護者緊急呼び出しの上、5日間の自宅謹慎となった。

重すぎる処分に芝ピー友の会を中心としたクラスメイトが、教師に嘆願書を出したが受け入れられなかったのは、2度のトラブル共に綾瀬から手を出していることが大きく影響していた。それは見ていた者達が間違いないと証言している。そして今回は止めに入った椎神を殴り、怪我までさせてしまった。これは暴力事件としても受け取れることから、教師はことのほか慎重に対応し、加害者の綾瀬に重い処分を下さざるを得なかった。
学校の外でどれだけ暴れようが確証が無ければただの噂で治めることができるが、校内の衆人環視の元、これだけ派手に乱闘騒ぎを起こせば厳しい処分の対象となっても当然であった。



京極は第3者の証言から殴る蹴るの暴力行為は一切しておらず、綾瀬が一方的にケンカをしかけたと判断された。それについては綾瀬本人も否定をしなかったことから、京極はケンカを煽った責任だけが科され後日保護者面談という処分になった。
2人が暴れて壊したものは両者で折半またはその多少の歩合を決めるのだが、それを保護者に一任したのは、金の問題に学校側が関わるのを嫌ったからだ。揉めたときに訴訟だの何だのと逆に訴えられるのを避けるため、通常口は挟まない。しかも相手があの京極となるとなおさら学校側も仲介などには立ちたくない。それに今回は加害側がはっきりとしているから、綾瀬が全ての賠償金を強要されてそれを不服と思ったとしても、最終的に折れるしかない。学校側は泣きつかれても加害者の肩など持ちはしないのだから。



今回は被害者であり、仲間のケンカを体を張って仲裁したともっぱら好評判の椎神は、次の日何食わぬ顔で普通に登校してきた。その綺麗な顔の口の端だけが痛々しい痕を残していたが、本人はいつもと変わらぬ飄々とした態度で過ごしていた。



そして千加は・・・


「あーもう、ムカツク。なんで椎神は無罪放免なのさ!しかも『椎神さんかわいそうー。友達を殴るなんてひどい』とかアホな1年はこたろーの悪口言ってるし。マジむかつく!大体事の発端はあいつがくだらないことするからなんだよ。それに止めに入ったのもあれ、絶対計画犯罪だよ!怪我するの承知でわざとこたろーに殴られたんだよ!」

ブツブツ教室で文句を言いながら、クラスメイトに当り散らしていた。

「そうかもなー。あいつならやりかねねえよな。でもさ、芝ピー陥れてあいつに何の得があるんだ?」
「そんなの・・・・・そんなの知らないよ!!とにかく悪いのはぜーーーーんぶあいつらなのになんでこたろーだけが5日間も謹慎なんだよ!」



皆で書いた嘆願書は去年のクラスメイトの分も入れると結構な署名数になった。だが虎太郎の謹慎は一日も縮まりはしなかった。それが千加には納得いかず怒る原因のひとつでもあった。

「そんで、遠野はさあ、反省文出来たのか?」

「・・・・頭痛がしてきた」

A4レポート用紙2枚の反省文。これが千加に対する処分だった。内容は・・・


『公衆の面前で不謹慎な行為に及んだことについて反省を促す』である。


それはあの濃厚キスについての反省文を書けという恥ずかしい罰則だった。



周りから見れば千加が椎神にキスをした・・・という風に見えたらしい。実際そうなのだから言い訳のしようもないが、何故そんな事態になったのかは声を大にしては言えない。

「なあ、遠野。実のところどうなんだ?」
「何がだよ」

「その・・・椎神と」
「何もないよ!あるわけないだろう。あれは・・・・あのキスは嫌がらせなの!!」

「でも、すごかったよな・・・あのベロチュー。見てるこっちもさ、グッときたわ」

下半身が・・・と言ったところで、そいつは千加のげんこつを食らった。実際その場に居てあのディープな絡みを眼見した者は、悶々とした生理現象に囚われた。何かと話題になる2年のアイドルと王子様が、白昼堂々と激しく求め合うようなキスをする場面を見せつけられれば、男の園ならではの倒錯的な禁断のドアを叩きたくなる衝動にかられてしまっても誰も責めたりはしない。そのあとトイレが混雑したらしい・・・

「全く、毎晩抜いてるくせに、人をオカズにして昼間っから手コキしてんじゃないよ!あーなんかお前達イカくさいよ」
「たのむから遠野、その顔で下品な事言わないでくれ。イメージが崩れる・・・」

ムスッとして千加はクラスメイトを睨んだが、かわいい顔で睨んでも全く怖くないしそんな顔が「いじめて」と言っているようにさえ見えて来る。男ばかりでいるとこんな錯覚が日常茶飯事になってくるが、それをおかしいと感じる者が少ないことも蒼谷ならではの事かも知れない。

「あーもう。反省文って何を書けばいいんだよ。男とベロチューかましてすいませんって、それ1行しか思いつかないよ。2枚もどうやって書けって言うんだ!舌を絡ませた回数?それともすご技テクニック?『あいつは氷の女王様みたいな冷血人間だけど、口も冷たかったです。計ったらきっと体温が低いと思います』とか書けばいいわけ?そう言えば椎神も相当場数踏んでるみたいでさ、舌使いが半端なくエロかったんだよねぇ。あれを気持ちいいって感じたのが敗因だったよ、最悪。なんか嫌な奴にイカされたってぇの?そんな敗北感満載だよ、超ヘビー。そんな感想でいいのかなあ?それとも、ベロの使い方でも書いて教えてやろうか。うちの担任そっち方面へたくそっポイし。パスタの麺で練習とか結構いけるんだよ。僕はさ、麺を結べるんだよ、クルンクルンキュッ!って。すごいでしょ!サクランボはちょっと硬いから無理だけどね。でもやっぱ実践あるのみだからさ、人数こなすのが一番な、・・」

「とりあえずさ、もう何でもいいから・・・・・・黙って書こうな遠野」

クラスメイトに諭されて千加は大きなため息をついた後、やっぱり帰ってから部屋で書こうと用紙をファイルにしまった。





―――椎神にキスを強要されました。


そう言えばこんな頭を悩ませるような反省文は今すぐ破って捨てられるのに。それができないのはこれ以上問題が複雑になるのを回避したかったからだ。まずい問題はいろいろある。それこそ山積みだった。

「なぜ椎神がキスを強要したのか」と教師に聞かれれば「こたろーを止めるためです」と素直に答えるだろう。そこまでは何の問題もない。「ではなぜ綾瀬は京極と椎神にあんなに食ってかかるのか」と聞かれれば「彼女」の事を話さなければならなくなるかもしれない。まさに今回のケンカの原因はそこにあるのだから。虎太郎は佐藤さんとのことを誰にも話していないのに、自分が勝手に話すわけにはいかない。たとえそれが虎太郎を守る一つの手段であったとしても、虎太郎自身がそれを望まないだろうと千加は思ったからだ。万が一話してしまったとしたら、今度は「何故綾瀬の彼女にあの2人が関わってるんだ」とか聞かれたら・・・

「そんなの京極がこたろーにちょっかい出したいからに決まってんじゃん!ここ蒼谷だよ。先生達だって生徒の濡れ場の一つや二つくらい見たことあるでしょうが!男の恋愛トラブルだよ!!」

・・・などとは口が裂けても言えるわけがない。京極はいいとしても虎太郎の人格を疑われそうなことは言いたくないし、虎太郎も教師にそんな目で見られたくはないだろうし。




そして引っかかることはまだある。


『君は犬を飼うのが上手ですね。さしずめ餌は自分自身って所ですか。頭の先から足の指先まで、舐めまわしてくれそうな忠犬で・・・・フフッ、いろいろと満足してるんでしょうね』


千加とケイトの関係をわざわざ口に乗せて勘ぐったあの台詞。嫌な笑いをした椎神は確信していた。


(関係なんて・・・・・・あるに決まってんじゃん!付き合っているんだから問題ないじゃん。)


千加はそれをひけらかすつもりはもちろんないが必死こいて隠すつもりもない。周りも薄々気づいているので公然の秘密と言うことになっているし、蒼谷では多くのカップルが存在するからたいして気にもしていなかった。全く気づかないのは虎太郎みたいに周りの事に興味が無い人種か、彼女持ちで幸せいっぱいな人間くらいのものだ。
だが、それをつついてきた相手が椎神なだけに、考えは慎重になる。自分はよくてもケイトは私生活で問題を抱えるのはまずかった。彼はスポーツ特待生で入っているから、教師の目も厳しい。妙な事に巻き込むわけにはいかなかった。色恋沙汰はただの噂。それに留めておくにはこれ以上事を大げさにするわけにはいかない。

そしてさらに頭を悩ませるのは、椎神がケイトから殴られそうになった事実を否定したことだ。一触即発の場面を目撃した者もいたが、被害者の本人がそれを真っ向から否定したのだから教師もそれで納得するしかなかった。事が公になったら、ケイトにも何かしら罰則が科せられたかもしれない。たとえ軽い訓告などだったとしても、都大会前にせっかく努力して勝ち得たレギュラーを外されてしまうことにもなりかねない。


(恩でも売ったつもりかよ。ほんと、いけすかない奴。)


弱みを握られたようで全く釈然としない。結局虎太郎が全てを背負って処分された。何もできなかった自分。乗せられてキスなんかしてしまったおかげで言いたいことも言えなくなったし、ケイトにまで嫌な思いをさせてしまった。そして「虎太郎を止めて」と頼んだ結果がこれだ。
椎神はわざと殴られて、悪者になった虎太郎。

「ごめんよ。こたろー。僕って・・・・役立たずどころかもう最悪最低の足引っ張りだよ・・・・」



寮に帰ったら今日も1人だ。

あの優しい同室者は今、全ての責任を引き受けて蒼谷を離れた。


悲しくて泣いてはいないだろうか。

辛くて、苦しくて、悔しくて自分を見失ってはいないだろうか。

いや・・・泣いた方がいいんだった。いつも我慢ばっかりしているんだから、家に帰ってそこが安心できる場所なら、思いっきり泣けばいい。ただ、1人では泣かせたくなかった。

泣くのなら・・・一緒に泣いてあげたかった。




5日は長い。土日も入れると1週間も虎太郎は学校に来れない。せめてもの救いはあのツインズの顔を1週間見なくて済むと言うことだろう。その間に少しでも傷付いた心と体を労ってほしかった。
そして帰ってきたら、いっぱいごめんなさいを言おう。


『千加は悪くないってば』


昨日も別れ際そう言った虎太郎は、千加に心配をかけまいと笑って寮の部屋を出た。

(家でも怒られてないといいけど・・・それにしても虎太郎のお父さん、怖そうな人だったな。)

両親が迎えに来た時の虎太郎の顔は引きつっていた。それを見てまたかわいそうな気持ちがこみ上げてきた千加だった。






次の日、妙なタイトルの校内新聞が出回った。いつもは売れ残る新聞部の駄目新聞がこの日は5分で売り切れたらしい。

『三悪とうとう仲間割れ!昼下がり恐怖のエントランスで破壊総額50万(超)か?!』

『アイドルと王子の熱烈なキスに期待のダークホースが即時乱入!危うい愛のトライアングル、勝利の女神は誰に微笑むのか!』

『熱き友情の盾。「大丈夫です。私、保険に入ってますから・・・」。100万ドルの天使の美顔。そんな保険は存在するのか!?』

『まさかのアイドル攻?君が上なら私は下。宗旨替えの真実に迫る。その時ホールは盛った!』

『三悪GTレース!龍1.2、王子1.8、芝ピー2.5オッズ低し。勝敗はおおよそ決定しているのになぜ賭ける?現ナマ非公式トトカルチョは賭博犯罪です。見付けた者は風紀委員まで』


3流芸能記事のような見出しに煽られ、あることないこと噂は広まり、千加はあちらこちらでいじられ散々な目に遭った。そう思うと、虎太郎は学校に来ていなくて正解だったかもしれない。



蒼谷を一時騒然とさせた事件は、本人達の悲痛な思いをよそに、噂は尾ひれ背びれをつけまくり、すべらない話は大フィーバーした。

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